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ゴリけんの諸説あります。
歴史好きの私、ゴリけんが、学校の教科書に載ってない歴史について語りますと。
はい、ということで早速、今日のお題は何でしょうか。
はい、今回のお題はですね、ご存知でしたかね、2025年中のはね。
あの、ラジオに大きく関係あるということで、今回のテーマは、
【ラジオ100年の歴史】
ということですよ。今、我々がやっているラジオ。
そうです、今喋ってますけども。
これが100年です、開局から。
で、結構いろいろ話題にはなりましたけど。
はい、そうですね。
ということで、ちょっとその辺のラジオの歴史を調べて参りましたけども。
ラジオのね、祖というか、ラジオの父と呼ばれる人がいるのはご存知ですか。
え、誰の父?
いるんですよ。
100年っていうのはご存知でましたけど。
100年、うん。
え、誰だろう、ラジオの父。
後藤新平という人ですね。
へー。
岩手県の人ですね。
この方がラジオの父ということなんですよ。
まあこの人はいろんなこの人生の流れからラジオにたどり着くんですけど、
なんかこれがこう、面白くてですね、調べていくと。
そのちょっとどういう生涯を生きて、そしてラジオに行ったかという説明をさせていただきたいんですけども。
まあこの後藤新平さんという人は、まずはお医者さんだったんですよね。
へー。
で、お医者さんで一応有名なエピソードとしましては、自由民権運動の板垣大輔ね、
襲われる王冠から、で板垣死すとも自由はしせず。
はいはい、そのことね。
あれはね、その時死んでなかったっていう話はしましたけども、
その時に駆けつけた先生でもあります。
へー。
後藤新平は。
だからもうお医者さんのスタートなんで、お医者様の考えなんですよ。
ほうほうほう。
生理学をやっててね。
だから国家のことを考える時も、衛生面が整えば国もうまくいくという。
まあそういった観点からものを捉えるというね。
国の政策も人体になぞらえて修復した人です。
あーなるほど。
まずこの人が一つ目の取り掛かった、いろんな大異業を成し遂げてる人なんですけども、
まずこの、やったのが日清戦争があった時に、これらがめちゃくちゃ流行ったんですよ。
これらね。
感染病です。
中国で日清で戦ってて、24万人がこれらにというか戦ってきてるんですよ。
とにかくこれらを国の中に持ち込んじゃいけないという時に、陸軍の検疫部だったんですよ。
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ほうほうほう。
この後藤さんが。
で、いわゆる検疫を任されたんです。
おー重要じゃないですか。
24万人ですよ。
うわー一定ね。
どうしたと思います、この人。
えーでも検疫でしょ、24万人。
まずこの数字を聞いてこの人すごいのは、全員検疫しようとしてたんですよ。
えー?それ以外の方法かなと思いましたよ。
そうでしょ。
検査検査っていうからねかなと思って、えー全員やるんだ。
そう。これをね、広島、山口、大阪、3カ所に検疫所を作って、1兆円かけて、今のお金でですね。
で、症状のある人、いない人を分別するんですよ。
で、分別した人、もし熱がある人は隔離すると、いろいろある。
だからもうすでに、この時すでに、今で言うと発熱外来と違うとこあるじゃないですか。
あー今ね、発熱外来みたいな。
まさにコロナの前からやってた人ですね。
で、いろんな入り込むとまずいんですから厳しくてですね。
検疫をすり抜けた人、24万人中、37人しかいない。
まあ、少ないな。だいぶ少ないですね、でもね。それでも。
逆に、その検疫をしたからこそ、パンデミックは起きなかったんですよ。
すごくないですか。
そうですよね。だってコロナでもね、ものすごいスピードで。
で、その隔離するときにちゃんと消毒をする会場とかも作って、徹底的にやって。
で、やっぱ住民はちょっと嫌がるじゃないですか。
まあね。
どういうことなんだろうって。
そこの施設を作るのも。
まあそうですね。
その不安を解消させるために何をしたかというと、やっぱ見学会を開いてね。
来てくださいってこうやってやってるんですよって、消毒やってますよみたいなこと。
で、そういう、これも医学の。
すごい。
で、その後に台湾統治とかね、そういうことの初代総、南満州鉄道の初代総長とかやったりとか。
東京市長を経てやったりして。
1923年にとんでもない事件が起きるんですよね。
関東大震災。
ああ、そうですね。
これ死者10万人ですよ。
で、山本内閣っていうのが立ち上がってですね。
その時に抜擢されて内務大臣に任命される。
へえ。
元に戻してくれっていうことなんですよ。
ほうほうほう。
で、この人が書かれたのは復旧ではなく復興をすると。
ほう。
復旧というのはどういうことか知ってます?
まあ、元の状態に戻す。
元に。復興っていうのは新しく作り変える。
確かにね、興っていう字がありますからそうですよね。
東京をそうしたいということでこの人がやっぱりこだわったのは100年後の今の僕らが生きている時代を見越して道路の建設ですね。
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ほうほうほう。
拡張とか。
まさに大動脈。
ほう。
医学だ。
医学の観点からここが詰まったらいかんのやないかみたいなことで整備していって。
今でいうと昭和通りとか靖国通りとかあの辺はこの後藤新平さんがやってるんです。
医者が。
例えばお医者さんっていうかお医者さんですよね。
お医者さん、いやもうこの時は内務大臣ですけど。
元々はそうやって。
公園とかね、墨田公園とか。
ありますね。
できる施設として作っている。
へえ。
ここに逃げた方がこう大動脈が流れるんじゃないか。
ただその後に非常にこの時やっぱ治安が悪くなったんです。
なぜかというといろんなその状態が悪くてほら今で言うとSNSが流行るじゃないですか。
流言被誤って言うんですか。
人の口のねあれで拡散して悪い。
ありますね。
情報が流れていろんなちょっと差別とかも生まれたんですよ。
朝鮮の方をなんか誤めてしまったりみたいな事件が起きたので正しい情報が必要だということでできたのがラジオ。
東京放送局が。
NHKですもんね今のね。
そうです。そこの初代総裁です。
へえ。
その時にもう出す側受ける側双方がもう正しい情報をしなきゃいけないっていうのも言ってますね。
それ本当ですか。
諸説あります。
へえ。
まずは簡素なスタジオで学校の図書館を借りてスタジオ作って。
そうなんですね。
であの機材が熱くなるといかんから氷を置いてね。
へえそんなこともある。
最初の1925年に放送が始まって最初のアナウンサーが京田武雄さんというアナウンサーがね聞こえますかっていうとこから始まったんですね。
それがもうマイクテストじゃないですけど。
聞こえますか。その後にご挨拶をしたのがこの後藤新平という人ですね。
そして最初は3500人しかいなかったけども拡大していったと。
うわすごい。
それはじゃあもう今の放送も全部その一人のお医者様からなりた。
のアイディアからまあいろいろ人が来ていったという。
でもすごいですねそういったねその全ての物事をやっぱ医学的な観点で。
観点で見ていってということですね。
まあいろんな偶然重なりあったんですけども。
今しゃべれているのも後藤先生がいたからということですね。
うわもう感謝感謝でございますね。
ということで今年は1925年のラジオ開設から100年ということで。
100年ということで。
はい。
今回のお題はラジオ100年の歴史でした。
はい。
ゴリ県の諸説あります。
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