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おはようございます
今日は2022年6月23日
木曜日
まもなく朝の6時になろうとしている
そんな時間なんですけど
これはバナナブレッドのラジオを搭載してやっている
30代前半の会社員が
部屋で一人でマイクに向かって
特に何か決めずに話しているうちに
何かがゆっくり定まっていく様に
立ち会っていただくというポッドキャストを
神奈川県川崎市からお送りしているものです
このポッドキャストのことを
説明できるようにだんだんなってきたなっていう
冒頭の
これは結局今何をやっているのかというと
話すっていうことは
声にたくさん情報が入っている
話すってことはやっぱりすごい
とっても大切なことだとやっぱり改めて
だんだん思ってきて
声の情報の中には
言語情報と非言語情報が含まれていて
言葉に書き出してしまえるものと書き出せないものがあって
今話している日本語はテキスト化できるんだけど
この声のトーンとか
言葉と言葉の間の空気の
時間とかリズムとかビート
03:06
BPM
そこから見える聞こえる感じられる
僕の体調とかテンションとか
感情のようなものみたいなものは
文章にテキスト化にはできないかもしれなくて
テキストにできることとできないことが声には含まれていて
それが話すっていう行動アクション
体の動きの中に含まれて同時に放たれている
自分が話しているっていうこと自体も
その声が自分に聞こえている
他の人の話を
ポッドキャストを聞くとかラジオを聞くとかもすごい好きなんですけど
好きなんだけど
そういう
結局その人の話をポッドキャストは一方的に
聞くことしかできない
途中で合図中打つことも
リアクションすることも許されないし
求められてもいない
ただ誰かの話を聞く10分なり20分なりの
この時間を過ごすってことが
どういうふうに表現できるかっていうと
立ち会うってことなんじゃないかっていう
立ち会う
ガスの回線
引っ越した後に
ガスが開通してない部屋に
ガス会社の人が来て
ガスの回線する作業に立ち会うみたいなイメージですね
そこでやられていることが自分には何かわからないんだけど
大事な何か確認とかをしている
その場に立ち会っているみたいなこと
06:06
例によってですね
ちょっと早朝に録音しているんで
半分無意識
この発話に何か意味があるのかというと
おそらくない
ただ
録音しているから話しているだけ
前回
この放送配信の中で
食べ物がよく喉に詰まるっていう話を
ひたすら20分くらいした記憶があるんですけど
僕は子供の頃から喘息で
今も
その息が苦しい
薬を飲んだり牛乳機を吸い込まないと息が苦しい
喉が細いから
吸い込むときに音がする
そのくらい喉が細くなっているから
食べ物が喉に詰まりやすい
フライドポテトの尖ったところ
硬いところが喉に引っかかって
めちゃくちゃむせった話を
知ったんですけど
月に一度全息の病院に通っているんです
かかりつけの医者に
全息の様子を見てもらって
その次の月の薬だとか
牛乳機を処方してもらう
その診療のタイミングが昨日だったので
最近気になっている
喉に物が詰まりやすい
09:01
これは全息のせいでしょうか
という質問をしたところ
機関と食堂は別の区だから
関係ないねっていう
全息とは関係なくて
それは君があわてて食べているから
だねっていう
よく噛んで食べた方がいいねっていう結論でした
このポッドキャストの中で間違った医療情報を
お話してしまったなっていう
思い込みによって
喉に食べ物を詰まらせるのは
全息で器官紙が細くなっているから
っていうのは単純に
よく噛んでないからだったっていう
そのお詫びを話さなきゃいけないと思った
冷静に考えればそうですよね
こんな風に
何か体に不調があった時に
全息のせいにするっていうのが
自分の中でよくあって
頭が痛かったりすると
これはもう全息で
酸素がうまく取り込めてないんだっていう風に思ったり
思ったりして
その次の月の先生に見てもらう時に
先ほど頭が痛いのは
これは全息のせいですかねっていうと
いやそんなに酸素が吸えない状態に
頭が痛くなるくらい酸素がないっていうのは
今の全息の状態ではない
ありえないねみたいな否定を
これは全息のせいですかねみたいなのを
診察のたびに聞いて
いや関係ないねっていう
否定してもらう時間みたいになっていて
12:09
この全息とずっと付き合っている
10年とかそういう単位で
薬を飲んでいると
なんか効いてるのか効いてないのか
薬がですね
効いてるのか効いてないのか分かんない
しこれからもずっと飲み続けなきゃいけないのかなとか
月に一度病院に行って
行かなきゃいけないのかなとか
思うと
だんだんその病気っていうよりも
自分の特徴みたいに思えてくるんですよね
その全息
息が定期的に苦しくなる
息が苦しいっていうことが
なんか人生に蔓延してる状態
もちろん薬とか飲んでれば
飲んでる間は問題なく息が吸えて
別にそんな僕の全息って言いますけど
そんな急な発作が起こるわけでもないんで
多分軽い程度の全息なんだけど
息が苦しいっていうのが
自分の人生にずっと横たわっている状態
って思った時に
なんかもはやそれは
息が苦しいのは異常な状態ではなくて
自分の人生と平等
背が低いとか指が短いとか
そういう自分の身体的な特徴と
同じようなとこで
僕は息が苦しいっていうのが
あるのかなって思うと
なんかそれは治せるなら治したいけど
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もしかしたらなんか方法があるのかもしれないんだけど
治すっていうよりはもはや
この息の苦しさをアイデンティティにしていく
なんか息が苦しいからこそできることが
まああれですね
自分の価値観とか考え方とか行動に
少なからずこの息苦しさが影響しているのかもしれないんだけど
あとは積極的に必要悪というか
何か悪いことがあった時に
全則のせいにする
全則だからねって思うことで
僕のせいじゃないからね
全則だからしゃあないよねっていう感じで
自分の気持ちのやり場を作るための
ゴミ捨て場に全則を使うっていうのとか
なんかこう
もしかしたらおそらく死ぬまで息が苦しいのだとしたら
何か使っていかなきゃいけないんじゃないかっていう
ふうに思っているのかもしれないですね
こうやって特に何か決めて話しているわけではないことによって
自分がこんなことを考えているんですね
そう話していると
自分が思ってもいないようなことが口から出てきてびっくりする
っていうところですね
今週もあと2日
あっという間の平日
会社行ってきます
行ってきます
聞いてくれてありがとうございました