「心が潔癖症」とは何か、そして過去の経験
皆さんこんにちは、里山の暮らしとビジネスのチャンネルにようこそ。 パーソナリティーの西江みどりです。
今日のテーマは、心が潔癖症だと生きていくのが時々しんどい、 というテーマでお話しさせていただきたいと思います。
心が潔癖症って一体何のこと?っていうことなんですけど、
簡単に言うと、心が純粋ということですね。 私、今現在、心が別に純粋無垢な心の持ち主ではないんですけど、
かなり遡って、10代の頃は、人を疑うということを知らなかった。
本当に純粋な子供だったなぁというふうに思うんですよ。
両親や家族に恵まれて、愛に恵まれてですね、 末っ子だったということもあって、とても可愛がられて育ったので、
本当に人を疑うということを知らずに育って、10代の後半まではね、 みんないい人だっていうふうに思って生きてきてたんですよね。
中学生とかぐらい、思春期に入ってくると、 女子は心のいろいろな変化っていうのを、
体の変化とともに、おそらく心の変化っていうのもあって、 中学校2年生ぐらいの時に、とても精神的にしんどい時期がありました。
それは私だけじゃなくて、たぶん周りの人たちもね、 私の同級生たちはみんな同じようだったと思うんですけど、
そこで女の子は特に生理とかが中学生ぐらいから始まるので、 いろいろな感情の起伏っていうのを自分自身に感じるようになって、
それが今までになかったことが起きている、 自分の体や周りに起きているっていうことで、
すごく精神的につらいっていう時期を、10代の頃から、 早くから女性は味わうことになるんですよ。
男性の場合はわからないです。 男性になったことがないので、
男性の10代の頃の心の感情の変化っていうのは、 体の成長とともになる心の変化っていうのはよくわからないんですけど、
女性は大きな変化として生理っていうものがあるので、 そこですごい人間のきれいな部分だけではない、
裏の部分というか、嫉妬とか妬みとか、 怒りとか悲しみとか、そういう部分に多く触れるようになってくるのが、
この生理の始まる時期じゃないのかなと思うんですけど、 その辺だと女の口で、
高校生、大学生、大学生になって親元を離れて一人で生活するとか、 大学に行くのに自分で一人暮らしを始めて、
そこで大学に通学するっていう風になると、 さらにそれがこじれたりして、
今まで両親からの愛に支えられ、 家族の愛に近くで支えられて育ってきた子が、
いきなり知らない土地に行って、 新しい人間関係を築くっていうことですね。
両親は電話しさえすれば話しできるけど、 遠い地にいるのでなかなか会うこともできないってなると、
一人暮らしっていうこともあって、 私はかなり自分の悩みっていうのを 自分の心の中に留めていました。
誰かに相談するでもなく、 悩みを自分の中に閉じ込めていた時期があって、
軽いうつ病になった時期もあるんですけれども、
そういうことで大学生になると、 中学生の時よりはよりまた違うレベルで、
人間の裏と表の感情を 知ることになってくるんですよね。
この大学生の年代っていうのが 18、19、20とかそれぐらいの年齢ですけど、
子どもと大人の中間どころの心というか、 そういうものを持っている時期だと思うんですよ。
私はこの時期に非常に苦しくて、 一人暮らしだったことが大きいのと、
あと自分が人にあまり辛いことがあっても、 相談せずに自分で解決しようとするタイプだったので、
余計にしんどかったんですけど、
友達関係同士の話だけではなくて、 大人に変わっていく、心が大人に変わっていく最中に、
やはりまだ子どもで純粋な部分と大人のずるい、
社会が本当に大人ってずるいなっていうことを すごい感じ取ってしまう、
繊細な時期だったように思うんですよ。
本当に世界が汚いもののように思えてしまって、
それで自分の中でも苦しいという時期が この10代の終わりにあったんですけど、
大学時代と人間の裏表
その時ですね、ちょうど世界の終わりっていう 歌手のグループの歌を聴いて、
ほぼ同世代の人たちなんですけど、 世界の終わり自体がね、
すごく共感をしたんですよね、その時。
ちょうど子どもから大人に変わる時に、
子どもの目線から見る大人の社会っていうのは ものすごく汚く思えたりとかするっていう、
そういう部分を世界の終わりがちょうど 歌っている歌手の中に込められていたので、
すごく共感できて、
私それまではね、ユズが大好きで、 ユズの曲をよく聴いていて、
明るい前向きな気持ちっていうのを 自分の中で、
保てたっていうかそういうのがあったんですけど、
人間ってそれだけでは語れないね、
明るいとかハッピーだけでは語れない 裏の面っていうのが人間にはあって、
だからユズの曲にはすごく楽しくしてくれる 曲っていうのが多い、
自分の心を助けてくれる歌っていうのが 多いんですけど、
それだけでは、ユズの曲は共感というよりも、
自分の心を前向きにしてくれる、 ハッピーにしてくれる曲っていうのが多くて、
一方で世界の終わりの曲は、
逆に共感、今ある自分の等身大を 映す鏡のような曲ばかりだったので、
こんなふうに自分と同じように 感じ取っている人がいるんだなっていうことを、
歌を通じて知って、
そこで、
親と自分の親世代との考え方の違いっていうのが はっきりとわかったんですよね。
今まで親と一緒に暮らしているときは、 親の価値観が半分自分の中に入っていたので、
自分たちの世代が生きてきた環境と 親の生きてきた環境っていうのは違うので、
やっぱり感じ取る、同じ物事を見る見方っていうのも 全然違っていて、
そこの狭間で私は苦しんでいたんですけど、
私たちは私たちの世代の価値観、
生きてきた環境によって感じ取るものが 親とは違うんだっていうことを、
世界の終わりという人たちが歌っている曲を聞いて 共感できたことによって、
これは自分だけが感じている心の 闇とか矛盾じゃないんだなっていうことを知ることができて、
すごく世界の終わりに出会えたことが、 自分の世界を広げることになったなって思いました。
人の良いところばかりを見る生き方とその代償
中大の終わりまで、本当にやっぱり自分は、
潔癖ぐらい人のいいところばかりを見ていて、
人が持つ憎しみとか悲しみとか嫉妬心とか憎悪とか、
怒りとかそういう部分には割と蓋をして、
生きてきた物事、人を見てきたんじゃないかな というふうに思っているんですよね。
人はいいところを見ないと人付き合いがとてもできないし、
いいところを見ないと損するっていうふうに ずっと思っていたんですよ。
だからその人に対して嫌な気持ちがあっても、
それを蓋してその人のいいところばかりをピックアップして、
その人との付き合いをしていたっていうところがあって、
多分あまりそれを続けていると 自分の心には優しくなくて、
自分の心と体と脳の矛盾みたいなものが出てきて、
それがきっかけで多分うつ病になり、
半分うつ病になったんですけど、
そういうところにもつながっていたのかなと 今思えばそんなことも思ったりもします。
人間の感情の複雑さの受容
人間っていうのは、まだ私40年しか生きてないですけど、
今まで見てきて、きれいな部分だけじゃないんですよね。
一人の人間が持っている感情っていうのは、
美しい面もあったり、それからすごい汚い面もあったり、
でもそれがあって一つの人間っていうことが 人間なんだなっていうのが、
最近すごく受け入れられるようになってきて、
人間の例えば聖母マリアのように、
美しい感情だけではないんですよね、人って。
その憎しみとか悲しみとか嫉妬心とか、
そういうものも持っていて、
初めて人間っていうものが完成するっていうふうに、
最近需要できてきた、 自分で受け入れることができてきたなということで、
そういう見方をすると、
自分が日々生きていく中でも社会で起こることに関しても、
すごく楽になるなっていうふうに思っていて、
もし自分が美しいところばかり、
人の美しいところばかり、
温かかったり、親切だったり、美しい心とか、
そういうものだけを良しとして、
自分の心の中の憎しみとか悲しみっていうものを受け入れない、
悪だと思っていた場合、
人を見る目もそういうふうになってしまって、
憎しみとか悲しみとか、
そういうマイナスのような感情っていうことを良しとしないってなると、
そういう人が現れた時に、自分の中に現れた時に、
それを許すことができなくて、むちゃくちゃ苦しいんですよね。
人はこうあるべきだとか、こうじゃないといけないとか、
なんでそんなことをするんだろうとか、
嫉妬心でなんで意地悪してくるんだろうとか、
そんなことを思っていても、
それは人間の表と裏の感情であって、
それが一つの人間としての感性系なんだっていうふうに、
良いところばかりの人っていうのはいないっていうことですよね。
それはやっぱり自分も含めて、
自分の中にも表と裏があって、
それを自分の中でしっかり、
そうであるっていうことを自分で許すというか、
受け入れるっていうことが、
自分がやっぱり生きやすくするためのものなのかなっていうふうに、
最近は思っていて。
講座による変化と40代からの視点
これはですね、よく放送でお話しさせていただいている、
井原氏みちこさんのノート書きまくる会っていう講座と、
あと許しと需要のワークっていう講座があるんですけど、
そこの2つで、私は大きくそこが許せるようになってきて、
自分の生きづらさというか、
生き苦しさっていうのが少し半減したのかなっていうふうに思うんですよね。
40歳になるとね、社会経験もある程度あって、
それから結婚もして、
子供がいたり、
それから他の血の繋がりのない家族との親戚関係ができたりとかすると、
あと仕事も任されたりとか、
いろいろな経験してくるとね、
嫌でも人間の良いところ、それから悪いところっていう、
悪いところ、良いところって言い方もあれなんですけど、
良い面と美しい面と、
それからちょっと認めたくないような汚い面っていうのを目にするようになるわけなんですが、
そういうところをね、
いちいち人間が、
その汚い面とかを自分で悩んだり苦しんだりしていても、
自分が苦しいだけなんですよね。
人間誰しもそういうものを持っていて、
井原清美さんの講座では、
人間は誰しもね、
汚いという表現はしないんですけど、
憎しみや悲しみや怒りっていう感情を人間は誰しも持っていて、
それを自分の中で蓋をせずにちゃんと、
自分にはそういう感情があるっていうことを認めてあげるっていうのが、
大事なことなんだっていうことを教えてくれたんですよね。
それは自分の中にもあるし、もちろん他人の中にもあるし、
それから世界中の生きている人たちの心の中にもあるし、
っていうことなんですよね。
人間は脳が発達しているので、
他の動物にはないそういう感情っていうのが、
芽生えているっていう動物なんですよね。
そうですね、多くの歴史とかでもね、
やっぱり憎しみや悲しみ、歴史だけじゃなくて、
いろいろな小説とか物語の中にも人間模様で、
漫画の中にもね、人間の怒りや悲しみや憎しみっていうものは、
登場してくるわけなんですけど、
それがあっての人間なので、
それこそが人間らしい部分なんじゃないかなっていうふうに思っています。
「心が潔癖症」が生きづらさを生む理由
今日のタイトルに戻るんですけど、
心が潔癖症だと生きていくのがしんどいっていうのはね、
世の中みんないい人たちばかりで、
人間は信じていれば必ずね、
その人と仲良くなれるとか、
その人と信頼関係が築けるかっていったら、
実際のところそうじゃなかったり、
実際そういうこともあったりとか、
いろいろなことがあって、
世の中いい人ばかり、
いい人ばかりっていうのも、
いい人ばかりではないというか、
みんなだから、
同じといえば同じなんですよね。
その時の周りのその人の環境によって、
その度合いが強く出たり弱く出たりっていうのはあると思うし、
人間の脳の構造上ですね、
女性は特に痛感すると思うんですけど、
生理中とかって自分の体がしんどいんですよね。
それからお年寄りとかも、
常に体が思うように動かないっていう、
辛い痛みなんかを抱えながら生きていると、
ちょっとしたことで感情の起伏が激しくなったり、
怒りとか、
妬みとか嫉妬心とか、
そういう負の部分の感情っていうのが、
表に出やすいんですよ。
女性はだから、
美しい心の面と、
いろんな憎しみとか、
一見ちょっと暗いようなネガティブな感情っていうのを、
両方抱えているので、
とても心の中では苦しんでいるんですよね。
だけどそれを自分で認めて、
私の場合は、
人間ってそういうもんでしょっていう風に、
受け入れられるようになったことと、
人の脳の構造上から、
人間の右脳のところに、
そういう不安とか、
悲しみとか、
怒りとか、
人を信頼できないとか、
裏切るとか、
そういう感情っていうのが、
人間の右脳のところにもあるんですよね。
だからそれを持っているのが人間っていうことで、
自己受容による人生の楽さ
もちろん人と、
その反対で人と、
世界と一つに繋がれているっていうような、
感情っていうのも人間の中にはね、
それは確か左脳の方にある感情なんですけど、
例えば音楽フェスに行って、
その会場でみんなが一体化になって、
一つの歌を歌って、
みんなが幸せな気持ちになって、
みんなが繋がっているような気がするっていうのが、
そういう感情も人間はね、
確か左脳だったと思うんですけど、
持ち合わせていて、
人間ってそういう生き物なんですよね。
だからあまりにこの人の、
この人は汚いとかね、
この人は、
自分とは全然違う人だとか、
そういうふうに思っていると、
生きるのがしんどくなるので、
自分の中にもそういう妬みや嫉妬心や、
それから人を悲願だりとか、
そういう気持ちって必ず持ち合わせていて、
それが何度も言っているんですけど、
それがあって人間って一つの感性系だっていうふうに、
私は最近思っているので、
そういうふうに思えるようになると、
世の中綺麗な人しか受け付けないとか、
そういう嫉妬心とか持っている人は、
絶対嫌だみたいなことは、
以前の自分だと思っていたんですけど、
最近はそういうことを思わなくなって、
自分もそういう心を持っているっていうことを、
自分で受け入れることによって、
人生を生きていくのが、
少し最近楽になったかなというふうに思っていますし、
井嵜美智子さんの脳と書きまくる会とか、
美智子さんの放送にはですね、
だいぶ救われてまして、
本当自分ってそうなんだよな、
それを認めることによって、
自分って苦しくなくて、
生きていけるなというふうに思ったので、
今日その話をしたいなと思って、
急遽ここで放送に思いを乗せてみました。
ということで、
今日もここまで放送を聞いてくださり、
本当にありがとうございます。
それではまた次の放送でお会いしましょう。
それではまたね。