シュウの放すラジオ ショートバージョン
いやー、今ちょっと田んぼ行って、1本ずつ稲刈りをいつものようにしてきたんですけど、今日はね、ちょっとね、朝一でびっくりして田んぼに行ったっていうところがあるんですよ。
朝一っつっても僕の場合は遅いんですけどね、もう10時過ぎてましたけど、家のカーテンをバーって開けたところから田んぼが僕見えるんですよね。
そしたらね、田んぼの目の前にいるその田んぼの持ち主のおばあちゃんが、稲刈りしてたんですよ。
いや、僕がお米作っている田んぼでね、あらららーと思って、まあ以前にもちょっとお話ししたことはあるんですけど、
その田んぼの土地の持ち主のおばあちゃんはですね、もう、えーと、なんていうんですかね、お年を召してらっしゃるせいで記憶が定着しないと言いますか、
僕もちゃんとした病名は、病名というか、ちょっとはっきりわからないで濁しつつ喋りますけど、
まあ毎回僕と顔を合わせているけど、同じ話を何回も聞かれるみたいな感じなんですよね。
もう周りの方もみんなそういうことで把握してらっしゃってっていうような状況で、それでもお一人で暮らされてるっていう状況なんですよね。
なんで、あー飽きちゃったかーみたいな感じですよね。
僕は警戒してたのはイノシシだけだったんですけど、イノシシよりも先に買っとかなきゃーっていうんで一本ずつ買ってたんですけど、
そのおばあちゃんにね、ある程度駆られちゃってて、ちょっとこれはこのまま行くと、今売れてるやつをほぼ全部駆られてしまうと思って、
僕もね、急いで準備をして田んぼに行って、で、まあにこやかに話をしながら一緒に稲刈りをして、僕は僕の分を極力確保するみたいなね、
そんなセコいことをやってきました。まあ持ち主のおばあちゃんなんでね、その借りている手前、一部をお米としてお返ししないといけないみたいなところはありますけど、
まさか本人が出てきて僕より先に稲刈りすると思ってなかったので、ちょっとびっくりしたっていうところもあって、
うーんどのぐらい取られちゃうか心配になっちゃう、僕のビビリも発動してみたいな、あ、ちょっといかんいかん、前置き長めですね。
ということで行きましょう!シューの話すラジオ!話すは手放すの話す
土地は誰のものでもないなんてなこともよくツイッターなりポッドキャストでも言ったりする僕ですけど、
なんだかんだでミミッチー面が残ってて自分でも情けない限りではありますねー。
はい、そんな感じなんですけどね、まあそんな中でもある程度コミュニケーションもとっとかないとギスギスしちゃうかなみたいなところが、
まあねーもう向こうさんにしたらあんま覚えてないから関係ないのかもしれないんですけどね、そんな風にしてきました。
自分の想像力が及ぶ範囲でだけ人間って判断をしてるんですよね 3円と5円はもうビビったるもんですと
で3兆5兆みたいにでかくなりすぎてしまったらそれはそれでどうでもいいですと もう想像が及びませんという風になっていくので
そういうふうに考えていくと 本当に人間ってなんて感覚的な世界で生きてるのかなというふうに僕は思うんですね
でそんな感覚的に生きてる人間の世界に無理やり当てはめているのが法律みたいな形に 僕からは見えているので
これはちょっとねそういうふうに当てはめることが本当にいいのかなっていうのを改めて 考えさせられるすごく面白い回だったなっていうのが僕なりの感想でした
本当はね他にもいろいろと広げられることはあるかとは思うんですけど 毎日配信しているこの10分台の配信ではこんなところかなっていうふうに思いますので今日は
こんな感じにしておこうかなと思います っていうようなところでシューの話すラジオ
略してシュー法は hsp っていう先天的なビビリとして生まれた僕 シューがビビリだからこそ問題の根本原因に意識が向いて最終的には個人単位じゃなく
世の中全体の問題点にビビリが反応しちゃうこと それを発信することに僕の生きる役割があるんじゃないかって思ってそんな僕の意識を日々
発信する番組です 僕からは今の世の中が滝坪に向かう船みたいな環境問題をはじめとした社会課題が
加速度的に大きくなっているっていうふうに感じられてるんですね だから僕がビビリすぎるせいでできたメタ認知というかそこから来る意識と問いを
投げるみたいな感じがこのポッドキャストの一だと思っています 僕はそんな滝坪に向かう船みたいな状況は間違いなく人間が作り出していることだと思って
て人口自体加速度的に増えていることもあるし 人間の欲望も大きくなりすぎているっていうふうに感じています
でその原因として人間の欲望を増幅させてしまうような特徴をだんだん強めてきて しまっているお金っていうものが一つあると思っていて
そんなお金みたいな何かが入ってこないとインプットされないと自分からもアウトプット を出さないようみたいな
交換条件的なインプットが先な構図も感じています だとしたらアウトプットが先な構図に逆転させることで滝坪に向かうスピードが
緩和されるんじゃないかなって思っています でそんなアウトプットが先っていうイメージなんですけど生きていくために最低限のことで
満足するみたいなのも大事だと思っていて だから僕はこの手放すをテーマにしてるんですけど
僕は幸せっていうものは相対的なものでしかないっていうふうにも考えてて 人との比較って意味じゃなくて自分個人の単位で見た時に沈んだ状態からちょっと
マシになって浮かび上がってくる そんなふうに幸せっていうのは心の状態が相対的に変わった時に感じられるって