夢の実現とその過程
どうも、ゆず茶です。このラジオは夢も希望もない、ワンオペ主婦から自由なフルリモとフルエックスの会社員に転職したゆず茶がフルリモとゲームの働き方、ワンママの葛藤や、時には子育ての気づきなどをお話ししている番組です。
私なんての、嘆く全ママに届きたい、理想の働き方に近づくヒントをお届けしております。
今日は、子供の頃の夢が叶わなくて良かった…全ては点と点で繋がっているんだよというようなお話をさせていただきます。
本題の前にお知らせというか雑談なんですけど、
昨日、冷えたやっこさんと小一の壁についてのライブをしました。
私もやっこさんも、この春から小学校になる子供がいるということで、
いろんな小一の壁についてお話ししたわけなんですが、
これから壁を迎える方とか、壁を乗り越えた方ならあるあるのお話とかをいろいろお話ししましたので、
小一の壁というワードに興味がある方はぜひアーカイブから聞いていただければと思います。
タイムスタンプつけようと思ったんですけど、なんせ話に夢中になっちゃって、
全然メモできていなかったので、タイムスタンプがつけられていないんですけど、
このライブで言いたかったのは、小一になったらとりあえずマヨネーズの容器を持ってこいって言われるので、
マヨネーズもしくはケチャップの容器は常にストックしておくこと。
あとは夜中、本当に夜9時とか10時に明日三角定規が必要だから、
急に言われた時に買える店を探しておくこと。
それだけは覚えておいてくださいっていうのをライブで伝えました。
概要欄にライブのアーカイブと小一の壁について私が過去に語った放送を貼っておきますので、
気になる方はぜひアーカイブを聞いていただければと思います。
よろしくお願いします。それでは本題です。
今日は子供の頃の夢が叶わなくてよかったっていうお話をさせていただきます。
皆さん、子供の頃の夢って覚えてますか?
その夢は今叶っていますか?
私は夢は叶ってはいないんですけど、それでよかったんじゃないかなって思う出来事があったので、
結局私は全ては点と点で繋がっているっていう言葉がすごい好きでそれをよく言ってるんですけど、
運転手への道のりの試練
またコネクティングドットみたいな話が出来る事があったのでお話をさせていただきます。
よろしくお願いします。
私の子供の頃の将来の夢は電車の運転手だったんですね。
子供の頃っていうか結構大学生になってからかな。
私は元々電車が好きなんですよ。
なんでかって言うと、私は5歳下の弟がいるんですね。
弟が当時すごい電車が好きで、5歳下なので学年で言うと6年生と1年生みたいなね。
そんな感じだったんですけど、弟が電車プラレールがすごい好きで一緒にプラレールをしたりとか、
あと私が中学生になったら、私が弟を連れて2人でスタンプラリー、電車に乗ってスタンプラリーに行ったりとか、
電車がすごい身近だったんですよね。
だからすごい電車の名前とかも知ってたし、
あとはそれまで大学生のときに就職活動、就活をするときにね、
自分が何がやりたいかって考えたときに、そういえば電車の運転手になりたいとか鉄道会社で働きたいっていう気持ちが芽生えてですね、
私は鉄道会社をいろいろ応募しました。
結果的には鉄道会社の駅員をやる仕事の会社には就職ができたので、
大学卒業してから7年ぐらい駅員の仕事をやってました。
私の駅員の会社っていうのは、本当は駅員の仕事をする会社で、
言ってしまえば委託会社、グループ会社なんですけど、
運転手とか車掌とかは大元の社員がやる仕事なので、
そっちへのステップアップっていうのは入った時点で道はないんですよね。
今は人手不足だから、もしかして中途採用とかでも運転手とか車掌とかになれる道があるのかも。
ちょっと調べてないから何とも言えないですけど。
私が大学就職活動している時は、大元の会社に合格できなければ、
電車の運転手とか車掌にはなれないっていう感じだったんですよね。
ちなみに私が鉄道会社に、JRとか金鉄とか名鉄とか一般的な鉄道会社ですよ。
そこは全部受けたんですよ。地元の受けられるところは。
でも身体検査っていうのがあるんですよね。
私が応募してたのは現場の職員だったんですよ。
いろんな総合職とか事務職とかいろいろあると思うんですけど、
私が応募してたのは全部現場運転手とか車掌になれるところで応募してたんですが、
言っても3車しか受けてないんですけど、全部身体検査までは行くんですよ。
身体検査だと落とされたんですね。3車とも。
あれ何だろうなって思って、当時調べた時に、私めちゃくちゃ目が悪いんですよ。
どれぐらい目が悪いかっていうと、コンタクトをされている方だったら分かると思うんですが、
コンタクトの度数がマイナス10なんですよね。
これを言うとかなりの方で驚かれるんですけど、
みんな悪いって言うんだけど、だいたい悪いって言っても、
コンタクトの度数がマイナス5より多い方ってほぼ聞いたことがなくて、
私マイナス10だから本当に相当悪いんですよね。
今はちょっと分かんないですけど、当時の国土交通省の基準とかで、
運転手の運転手をやるのであれば、
クシドっていうんですけど、それがマイナス何とか以上だとできないみたいな規定があったんですよ。
だから私は鉄道会社に現場の仕事で応募した時点で、
一時面接がどうこうじゃなくて、身体検査で絶対に引っかかる運命だったんですよね。
っていうのを身体検査で3回落ちた結果をその時に初めて知ったんですよ。
強制してればいいと思ったんだけど、そういう問題じゃなくて、
もともとの裸眼でこれ以上なければいけないっていう、
今は本当分かんないけど国土交通省の規定で私は運転手になるっていうルートは
もともとなかったっていうのをその時に気づいたんですよね。
それを知った時に私めちゃくちゃ本当にショックで、
結構本当に新幹線の運転とかすごいしてみたいと思ってたし、
車掌とかもしてみたいと本当に思ってたんですよね。
なんだけど私は目が悪いせいでそれが立たれたんだって大学生ながら、
当時すごい悔しい思いをしたわけなんですが、
点と点の繋がりについて
その後結局さっきも言ったけど駅員の仕事ができて、
制服を着て鉄道会社の会社員として働けてたわけなので、
それはそれで楽しくて全然良かったんですけど、
当時の悔しい気持ちっていうのは結構今でも残ってます。
それを踏まえた上で、
なんで私がその夢が叶わなくて良かったという話を今しようかと思ったかというと、
この前ですね、電車に乗る機会があって、
私電車に乗ると一番前の運転席の後ろの席に結構張り付くんですよね。
なんでかというと、私さっきも言ったけど電車が好きなので、
電車の運転手さんの後ろに立って、
運転手さんがどういう動きをしているかとか、
あと普通に運転席から見る景色を見るのが好きなんですよ。
多分これ鉄小田的な要素があるかもしれないんですけど、
っていうのでこの前も特等席をゲットできてですね、
音楽を聴いたりしながらも運転手さんがどうやってやってるのかとか、
あとその時は指導の方もいらっしゃったので、
こういう風に指導してるんだなとか見てたんですよ。
そしたらですね、ある駅を出発しようとした時にサイレンが鳴ったんですよね。
そしたらどうやら私が乗っている電車と次の駅の間に人が立ち入ったみたいなんですね。
だからしばらく動かなかったし、運転席の近くにいると
指令っていうね、今どこで何が起こっているかっていう無線みたいなのが入るんですけど、
それが結構聞こえてくるんですよ。
それを聞いてたら、今私たちの電車が止まっている、すぐ近くで人が立ち入っているっていうね。
確かに私も一番前だったから見たら確かに人いるんですよ。
ちょっと向こうなんですけど、運転手さんと先生でそこに人がいるねみたいな話をしてて、
本当に人いるやんって、てか本当勝手に入ってんじゃんみたいなびっくりしたんですけど、
その時に運転手と車掌と無線の指令室の人といろんなやり取りをしているわけなんですが、
やっぱりそういう時ってざわつくじゃないですか。
運転手とかそういう仕事って平常であることが当たり前なんだけど、
やっぱりそれなんかある程度の異常児というか、たぶん結構23時に起こると思うんですよね。
運転手としての責任
リスク管理っていうのかな。
鉄道って当たり前に走ってると思うけど、やっぱりそういった人が立ち入ったりとか、
線路に物が落ちたりとか、ちょっと河川にビニール引っかかったとか、
結構そういうので止まっていることもあると思うんですけど、
運転手とか車掌とかって、そういうイレギュラーな時に冷静でいないといけないと思うんですよね。
でも私、たぶんそういう時に私の性格上テンパっちゃうなって思って、
もし私がこの電車の運転手をやってたとしたら、
しかも後ろを見ると、朝9時とかだったんですよ。
これから通勤する人がいっぱいいるであろう電車で、
たくさんの人の命を背負ってて、
しかもちょっと前には線路に立ち入っている人がいる。
その中で冷静を装わなきゃいけないわけですよね。
その見習いの運転手さんも先生がいたからかもしれないんですけど、
落ち着いているようには見えましたけど、
やっぱりそういう時にお客さんから、
なんで動かねえんだよとか言われることとかあると思うんですよ。
私も実際駅員として働いていた時に、
そういったことは結構日常茶飯事で言われていましたし、
言われれば慣れるんですけどね。
そんな知らねえよみたいな毅然とした対応が、
徐々にできるようになってきてましたけど、
その様子を見てたら、私運転手に向いてなかったのかもなって、
その時に思うようになって、
慣れなくてよかったというか、
そういう運命だったのかなって自分の中で思えたんですよ。
別に今運転手に未練があるとか、
そういったことは全くないんですけどね。
結果その電車は運転再開したわけなんですが、
立ち入った人を捕まえることができなくて、
とりあえず助行運転しながら運転再開します、
みたいな指令が聞こえてきたんですよね。
だから本当に20キロとか30キロとかでね、
車並みな遅さで電車が走っていたわけなんですけど、
その時も運転手さんは左右見ながら人がいないか、
あとかつ信号を見ながら、
本当にすごい慎重に走ってたんですね。
だって一歩間違えれば立ち入った人が急に飛び出てきて、
引いちゃったりとか、そういったことも考えられますよね。
だから本当になんだろうな、
運転手っていう仕事はすごい責任だし、
やっぱりいろんなことで人身事故とかってあると思うし、
そういう人身事故を起こしてしまった運転手さんも、
自分は全く悪くないけど、それでいろいろ病んじゃうとかね。
自分が運転してた電車、目の前に人が来て、
子供とか若い子だったら、運転手だって人間だから、
病んでしまう気持ちとかあると思うんですよね。
っていうのを考えたら、
私はやっぱり電車の運転手は慣れなかった、
慣れない運命だったんだろうなって、
なんか思ったんですよ、その出来事を見てね。
あと思ったのは、本当に日本で電車もちゃんと動くし、
安全って言われてるけど、
そういった当たり前を支えているのはやっぱり人であって、
私フルリモートの働き方最高とか言ってますけど、
確かにそれはそれで最高なんだけど、
やっぱりそういう現場仕事があってこその、
世の中が成り立って、こうやって安全に暮らしていけるんだろうな、
っていうのを改めて電車の一番前に乗って思ったわけですよ。
キャリアの繋がり
たぶんこんなに電車の一番前に乗って、
いろんなことを吸収できるのって、
私ぐらいになるんじゃないかなって。
本当にその時は割れながら思いましたね。
ただ電車の一番前に乗って運転手さんを見ていただけで、
こんだけ吸収できる能力すごくないですか。
でも私は運転手になれなかったのは、
当時はすごい悔しかったけど、
結果それで駅員になれたわけだし、
駅員をやってたから、
産後で仕事を続けられなくて辞めたけども、
辞めていろいろあって、
育児のルーゼみたいになったけども、
それを克服して、
今はフルリモートの会社員として働けているので、
やっぱり全ては点と点で繋がっているのかなって、
本当に思いました。
今の働き方とか仕事内容も、
私は好きでやってますし、
これからもどんどんキャリアアップしていきたいなって、
改めて思っているっていう話でございました。
皆さんもよかったら、
昔の将来の夢とか、
それが今できてるよとかできてないよとか、
実は未練があるよとか、
そんなような気づきになれば嬉しいなと思います。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
それではまたね。