きょうだいが抱える心の重荷と太田信介さんの経験
みなさん、こんばんは。
テレ会をはじめます。
今日の議題ですね、テーマは、
なんで兄弟は障がいのある。
まあ、兄弟限らず、親もそうでしょうけど。
他の人に言えないのか。
太田信介さん、50歳。
障がい者の兄弟たちが集う福岡兄弟会のリーダーだ。
親とは違う、心の重荷を背負った兄弟たち。
自分の弟はなんでこんなんなんだろうって。
周りのみんなの兄弟とは違うって。
兄弟の話とかもなるじゃないですか。
なんか自分の心の中の弱みランプというか。
パチッとこうついて、あ、この話題ちょっと切り替えたいなとか。
自分が若い時に悩んでいたことを、
やっぱりここで来られる方って結構現在進行形で悩んでいたりとか、
同じ悩みを共感できるような仲間がいるっていうのは、
やっぱりこう自分のモチベーションになっているなっていう風に思ってますので。
宿題にハンナフィガトーン、ハンナフィガトーン。
ね、頑張ろう。
新助さんにも自閉スペクトラム症の弟、こうすけさんがいる。
障害特有の行動に長い間悩まされてきた。
寛静な住宅街でほとんどが同級生もしくは1校上だったんですね。
そしたら弟が気勢を上げて物を叩き走り回って、
そしたら周りの人が逃げていくんですね。
僕も白い目で見られて、どう接していいかわからないっていうことが続いていたので、
僕はとりあえず遠い所に行きたいなっていうのを思っていましたし、
隠したいなっていう風には思ってました。
そのことを親に告げることはできなかった。
親に行ったところで、なんかまともな返事が返ってきそうにもなかったし、そもそも。
親も悩んでいると思っているので、結局親が死んだ時どうなるのかなっていうのを思っていたんですよね。
親よりもずっと長く向き合わねばならない、障害者の兄弟たち。
もし親が亡くなっても、そこに私が入れるぐらいの余力を残しといてほしいって。
家族を壊している原因が弟じゃないかって。
もう私は弟のこと兄弟って見てないので基本的に。
兄弟の数だけ誰にも言えない思いがあった。
RKBラジオドキュメンタリー
障害者の兄弟 心の重荷を下ろして
画家・太田宏介さんの才能と兄弟のビジネス
ギャラリー甲助さんでございます。
こんにちは。よろしくお願いします。
福岡兄弟会の太田信介さん。
37歳の時、画家である弟、甲助さんとアートビジネスの会社を立ち上げた。
甲助さん、今週は別舗に行くからね。
名物の鳥居店、それでいい?
いい。
やったね。
食うのが一番。
各地の古店には兄弟で訪れる。
喋りながら絵を描く弟の甲助さん、43歳。
重度の自閉スペクトラム症と知的障害がある。
弟のマネージメントは信介さんの仕事だ。
イベント会場に出かけ、ライブペイントを披露する。
12時半には戻ってから、舞台で絵を描かないといけない。
ライオンの絵を描こうか。
やった。
甲助さんの作品には動物や鳥を描いたものが多く、
中には100万円で取引された作品もある。
年6回開いている古店には数百人が訪れる。
甲助の絵の色彩とか、やっぱり作品に関して
お客さんの反応というのは本当に僕は絶対にできないし、
だからといってプロデュースする部分というのもすごく重要だと思うので、
できないところを補うという感じになっているかなと思います。
でもこれってどこの会社でも一緒なのかなとは思っているので、
一人じゃやっぱりなかなかできないので。
絵を描く甲助さんの周りにはあっという間に人描きができる。
よー、こんな色がずんだと思う。
鹿の色なんかもオレンジでしょ。
ふくろうさん、あれが可愛いし、動きがすごくリアルに捉えて、
それがまた目とかの表現されているのが楽しいなと思いました。
弟は目がチョンって自分でやるだけなんですけど、
弟が描くととても可愛くなるんですよ。
人々を魅了する画家、太田浩介。
弟の絵を世に広めたいと、
新助さんは勤め先を退職し、会社を起こした。
起業した時ってスケジュールがガラガラだったんですね。
それが不安で不安で仕方なくて、
今こんなになったのはありがたいなって思えるようになりましたね。
ライブペイント中の甲助さんが急に立ち上がる。
時計の針は間もなく12時。
きっちり正午にランチを取る甲助さんは、
時計を見ることもなく絵筆を置き、外に出ていく。
体に刻まれたルーティンだ。
甲助さんの好みに合わせた食事。
この日は玉ねぎソースたっぷりのビーフステーキだ。
ガンガン食べてる。
太るものが好きなの。
母親がおたわわ言うわ。
よかったね、甲助。
でも酒も飲まない、タバコも吸わないんだったら、
好きなものを食べるくらいはさせたいなっていう感じですね。
ギャラリーも兼ねた自宅で、母と暮らす甲助さんの朝は、
洗濯で始まる。
手を洗うごとにタオルを取り替えるので、
毎朝数十枚のタオルが物欲しがいにならず。
洗濯は出張先でも欠かすことができないルーティンだ。
穴をはくか、はっぱく東京だったんですね。
甲助は自分の下着だけをコインランドリーに行って、
300円くらいかけてやってたんですね。
やらないと調子が悪くなるとか?
そうです。ルーティンを変えたくないので。
ルーティンをこなすことで落ち着く。
夕方、必ず近所のプールに出かけるのも数十年来の決まりごとだ。
扉が閉まっても、しばらく窓越しに見送る母。
自由に活動されてますよね。
掘りっぱなして、何もしません。
太田兄弟の母、愛子さん、75歳。
食事の支度は愛子さんの役目だ。
夜、香介さんが帰宅。
帰宅後は洗面台へ直行。
手洗いうがいはコロナ禍前からのルーティンなので、ほとんど風邪をひかない。
香ちゃんのリクエストのハンバーグ。
ハンバーグです。いただきます。
残りの分はおかりを?
それは違う。もう十分。それで十分。
ご飯が大好きです。本当はご飯を3杯くらいは食べたい。
最後までお肉は残す。
途中から納豆でいっぱい食べて、2杯目はふりかけ。
ずっとこのメニューだ。
自閉スペクトラム症ならではの強いこだわりは、日常生活の隅々に垣間見える。
誕生からしばらくして、香介さんが人と目を合わせないことに気づいた母。
3歳児健診で障害を持っていると告げられた。
その頃の香介の状況というのは奇声ですね。
自分で耳栓してキーって言って走るもあるんですね。
他動がすごくてですね。
思いはあるけど何も表現できないから鬱赤していくんですね。
振り回される日々の生活の中で、その才能に気づいたのもやはり母だった。
油粘土を作るんですけれども、その手つきがすごく良くて。
私この子器用なんだと思ったんですよ。
実は上の長男も長女もとても不器用なんです。
でも香介の手先見た時に、こんなに器用だったら何かできることないのかなって思うぐらい器用を感じました。
土曜日と月曜日には先生の指導を受けている。
画家松沢沢子さんとは30年以上の付き合いだ。
ピンクの本だったんだ。頑張ってね。
ピンク終わったら、ゴリラさんのお顔と胸のところを赤い線で描くって昨日言ってたやん。
それ描いてくださいね。お願いします。
9歳で教室に通い始めた香介さん。
絵は愚か、クレパスで線を引くことさえもままならなかった。
来られた時は本当に多動で、5分と座ってられなくて部屋の中をうろうろして叫んでたんですよ。
それで本当に私もどうしようと思って、そういうお子さんに絵を教えるっていうのは不可能かなって思ったんですね。
だけどもとりあえず粘土だけは興味がありますっていうことだったんで、何が好きって聞いたらゴレンジャーが好きって。
それでゴレンジャーの粘土で作ってみようかって、紙粘土ですね。
その後乾かして、まず絵の具を5色、ゴレンジャーだから。
そしたらすごくちょっと興味持ってくれて、そこから絵のほうにちょっと導いていったんですよね。
チューリップを描けるようになるのに3年。
何かを描きたいという欲求が芽生えるのに5年以上かかった。
線がとても面白いんですよね、こうすけくんの場合ね。
そして色が独自の色彩感があるので、彼が持っている本来の才能みたいなものを壊さないようにしてきたんですよね。
古典を開くように進めたのも松沢さんだ。
両親が始めた古典を兄が引き継ぎ、より大きなビジネスに成長させている。
両親がとにかく一生懸命やってくれていたので、それを活かしたいなと。
もっというなら親も年を取っていくので、当然親なき後のことを考えたときに
弟が親が亡くなっても経済的な自立も踏まえ、そういうことができればいいなという気持ちもありました。
オープニングセレモニーのテープカットをお願いいたします。
宏介さんの日常とルーティン、母の支え
2024年秋には地元太宰府に、こうすけさんの作品を専門で扱うアートスペースが完成。
さらに同じ年の10月、TBSの連続ドラマにこうすけさんの作品が採用されたのだ。
TBSのプロデューサーさんが障害の兄弟を取り上げようと考えられていたので、結構早い段階にご連絡はいただきました。
聞かれてどうでした?どんな最初の印象?
正直嬉しかったですよ。嬉しい意味には何個かあるんですけど。
当然こうすけさんのことを知っていただけるという知名度のアップというのもあるんですけど、
障害のある兄弟の思いが全く障害の書も分からない人たちが考える機会があるっていうのは大チャンスだなというふうに思っています。
チャンスに恵まれた太田兄弟。
しんすけさんは最近弟にプロ意識が芽生えたと胸を張る。
絵を描くことで仕事になっているっていうのは十分わかるようになったなと思います。
もう5年くらい前ですかね、母からのお小遣いとかいうのはもうゼロなんですね。
もう自分が絵を描かないとお金がないっていう風になっているので、やっぱり仕事っていうのはわかるようになったなっていうのは大きいなと思うんですけどね。
給料は一遍に使ってしまわないようにと数回に分けて渡すようにしている。
お帰り。
おはようございます。
こーすけ、これ書いて。
いいよ。
こーすけ、熊本で北海道の動物たち売れたよ。
ありがとうございます。
これ、お疲れさん。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
どうも。
何で使います?
はい。
何に使う?
内緒です。
自分が映画観に行ったりとか結構してるんですよね。だから金がいるわけですよ。
それはそうなんですよ。
こーすけさんの障害がわかったとき、兄のしんすけさんは母に宣言された。
うちの母は結構はっきりものを言ったんですね。
1個だけ、今後一切あなたたちにああしなさい、こうしなさい、自分の将来こうしなさいとかいうことを一切言わないから、自分の人生を歩みなさいって。
弟はもう一生決めれない、そういう障害だからっていうのははっきり言ったので。
なんで僕当時、習い事いっぱいさせられてたんですね。
習字とかソロバンとか大嫌いだったんですけど。
野球以外全部やめて、それを母も自分がやりたいんだったらやめていいっていうのを言ったので。
僕はそういう部分はポジティブに受け止めました。
当時10歳だったと思うんですけど。
その言葉通り、母は弟につきっきりとなる。
他の兄弟に対しての思いっていうのは何か?
ごめんねって思ってました。
ごめんねって、でもね、だめなんよ、とにかくこっちをやらなきゃいけないんだからごめんねって。
見て見ぬふり。
もうあんたたちでやってちょうだいみたいな。
言ってません。
言ったら涙が出てくる。
もう聞くこともなかったです。
忙しい母に、新助さんも心の内を隠してきた。
弟が気性を上げて物を叩き、走り回って、そしたら周りの人が逃げていくんですね。
僕も白い目で見られる。
どう接していいかわからないっていうことが続いていたので、
僕はとりあえず遠いとこに行きたいなっていうのを思っていましたし、
隠したいなっていうふうには思っていました。
後ろめたさじゃない?
嫌いじゃないんで。
小学校1年生の時に弟が生まれたので、やっぱりかわいいんですよね。
ただ、やっぱり周りの目が気になるので、
ただ、その狭間にいて罪悪感を感じていましたね。
弟に申し訳ないなっていう気もしてたし、
弟自体も悪いことしてるとは思ってないだろうしっていうのはすごく葛藤がありましたね。
しかし、本当に隠したかったのは、障害者の弟がいるという現実だった。
信介さんの葛藤と変化、きょうだいへの思い
20数年、多分人にはほとんど話してなかったんじゃないかなと思います。
最近なってですね、中学校、高校、大学とかの同窓会みたいなので、
全然話してなかったよねって言われます。
それはなんで話せなかった?
やっぱりこう説明をしてどういうふうに思われるのかが怖かったと思います。
やっぱり、例えば大学生とかだと食堂でワイワイワイワイとかお酒を飲みながらワイワイワイワイしてるのに、
実は弟が障害があってサーッとなった時にチーンってなったりとかするんじゃないかなとか。
そういうふうにも思っていましたし、
例えば彼女とかに言ったら振られたらどうしようとか、そういうふうなことも思っていた時はあったと思います。
そんな胸の内を母が知ったのは、わずか2年前。
新助さんの本、僕らは兄弟で起業するを読んだ時のことだった。
障害のある兄弟の思いは、世間にはほとんど知られていないと思います。
私も幼少期から親に相談したことはありませんでした。
なぜかというと、親に相談しても逆に親が傷つくことになるので、兄弟は我慢してしまうのです。
本読んで、はあ、やっぱりね、こんなにいろいろあったんだなって思って、
もう本当に泣きましたよね、私もね、読みながらね。
でもようね、ちゃんと育ってくれてありがたいねって思いましたね。
隠したかった弟。しかし、いつしか兄の気持ちは変わっていく。
管理職をしてて、すごいプレッシャーの中、家に帰ってきた時にですね、癒される。
それプラスなんか絵を通じて、ちっちゃい子の気にしなくていいよって言ってるような気がしたんですね。
自然と涙が出た時に、あ、弟の絵ってこういう風な感情をさせるんだなっていうのを初めて分かって。
なんかできることは少ないんじゃないかってずっと思っていたんですね。
人にも迷惑をかけるし、みたいなのは。自分もなんか恥ずかしい思いをする。
そう感じてたんですけど、こんなに人に感動を与える絵を描けるんだっていうのを
自分で感じれたのが一番変わった。弟の見る目も変わった。
なので兄弟の関係も変わったということですね。
鎮助さんの中に生まれた弟へのリスペクト。
きょうだい会の活動と結婚問題
康介さんの古典を訪れた客から繰り返されるある質問が兄弟会の活動を始めるきっかけとなる。
お兄さんは結婚されてますかってよく聞かれるんですね。
いろんな地域に行っても同じだったんです。
自分のところの娘とか息子が行けてる感じなのに、彼とかを一度も連れてきたことがないんです。
30歳過ぎても結婚しようともしないんです。
お兄さんどうでしたかとか、もしかして障害がある兄弟がいるからしにくいんですかねっていう質問をどこに行っても聞かれて。
兄弟の悩みって一番大きいのは僕は結婚だと思ってて。
そこさえクリアできれば、ただその結婚っていうのはどうしても親なきゃとか絡んでくるからですね。
新助さんは交際中の後に妻となる純子さんを思い切って弟の古典に連れて行った。
妻に聞いたんですね。どう思ったっていうのは大田家のサポート体制が。
交障害のある人に対して突き放すとか冷たいとかそういうのじゃなくて温かくみんなが接してくれてる。
そこを見て安心したっていうのは妻が言ってて。
ただすごく緊張したというか、ダメだったらどうしようかなというふうには思ってたと思います。
きょうだい会のメンバーの声
福岡兄弟会はグース月の第2土曜日の夕方、福岡市の福福プラザで開かれ、
10名ほどの兄弟たちが参加している。
みなさんこんばんは。
今日は親に言えなかった兄弟の本音っていうテーマで話していると思います。
ちょっとヘビーですよね。
ここだから話せるようなことを話していきたいなと思いますし、
なごやかにできたらいいなっていうふうに思っております。
会長をしております匠と申します。よろしくお願いいたします。
匠美希さん。3姉妹の長女ですぐ下の妹に障害がある。
親の負担を減らしておいてもらいたい。自分が亡くなる前に。
いろんな支援者さんとつながってもらって、いろんな人の手を借りながら、
もし親が亡くなってもそこに私が入れるぐらいの余力を残しておいてほしいって思うんですけど、
親は必死に自分で支えてるんですよね。
弟に二次障害が出ているという20代の女性。
50キロぐらいある重いテレビをバーンって投げたりとか、
だんだんと家がめちゃくちゃになってきてて、
だんだん弟が悪者に見えてきて、
家族を壊してる原因が弟じゃないかって、
弟だって苦しんでるって頭ではわかってるけど、気持ちが追いつかない。
小川陽子と申します。
2017年、両親亡き後に直面した50代の会社員、小川陽子さん。
軽度の知的障害を持つ2歳違いの弟と2人残された。
今この世の中はインターネットであふれてるんですけども、
やはり何から手をつけていいかがわからないっていうのが本音だったんですね。
相続どうしたらいいのか。
財産管理両力のない弟に対しては無効になるとかって書かれてあって、
どうしたらいいのっていうところで、
太田さん、匠さんとかが福祉の関係に強い方が私の周りに寄ってきてくださって、
まずこうした方がいい、ああした方がいいってアドバイスしてくださったんですね。
小川さんには今なお、亡き母や弟に対する複雑な思いが残っている。
多動性が非常に多かったんですよ。
なので、人を叩く、悪口を言う、暴言を吐くっていうのが当たり前だったので、
その仕向け先は全部私のところにやってくる。
私は当時それに対して困ってるとかそういうのじゃなくて、
自分の目の前にいる家族しか知らないから、これが自分の家族で当たり前なんだって。
違うっていうことに気がついたのは小学校、中学年から高学年くらい。
当たり前と思い込んだ生活で、母に言われ続けた言葉。
自分たちがあの世にいたと、あなたしかいないんだからみたいな形で言われ続けました。
でもよくよく考えたら、私の人生って弟に親がなきゃと縛られないといけないのって、
どうして弟に優しくしないといけないのっていうのが心の根底にありました。
山口県の名門高校に進学し、短大を経て一流企業に就職した小川さん。
趣味の社交ダンスでも指導員の資格を取るほどの優秀な娘に、
母は常に無関心、あなたには迷惑かけないが口癖だった。
私はほとんど母親から褒められて育った経験ないんですよ。
それとお礼も言われたことないんです。
弟に愛情を持ってるかって言ったら、太田さんのように愛情を持てないんです。これが本音なんですよ。
あなたたちは平等に育てたって言ってるけど、やっぱり受け取る側の気持ちって違うじゃないですか。
やっぱり兄弟時あるあるだと思うんですよ。
小川さんが感じた兄弟差別は、母亡き後、意外な形で証明されてしまう。
遺品整理している間に思い出グッズみたいなのが出てきたんですよ。
蓋がしてあったので開けて見てみたらほとんど弟の成長記録とか連絡帳とかいっぱい出てきて、
私の思い出は小学校3年生か4年生ぐらいの時の連絡帳一冊だけだったんですよ。
で、その思い出の差に歴然として。
まるで愛情の差を見せつけられたかのようだった。
一方で母は障害者年金の手続きを行っていなかったのだ。
あなたには迷惑かけないからって言われたから、任せたつもりが蓋を開けてみたら、
障害者年金も受け取ってないっていうことが分かって、診断書も取ってないっていうことが分かって、
それが全部私にのしかかった時に、あの言われた言葉は何だったんだろうって。
もうそこで初めて怒りがフツフツと湧いてきましたね。
あなたには迷惑かけない。しかし、恋愛面でも兄弟としての壁にぶつかった。
自分の家族に障害児はいないって言われたことがあるんですよ。
その時は私、怒って書いたことがあります。
うちの弟のことを理解してくれないなんて。
それよりも兄弟時の現実を突き詰められたって思った方が強かったです。正直なところ。
兄弟時の結婚に関する現実が全部ネットに載ってて、私は結婚できないかもって思いました。
そこで初めて母親を責めました。
すっごい責めました。
そういう弟がいるから私、結婚できないんだって。
母さんはどんな反応でした?
もう泣きましたね。
あの時はどうしようもなかったって泣いてて、それ以上言葉が出てなかったんですよ。
兄弟だから直面した結婚問題。
兄弟時は結婚が難しいっていうのは、特に女性側が難しいなっていうのは実感してます。
なぜかというと、子どもを考えている人にとっては遺伝するんじゃないかっていう可能性があるというふうに世間の方は認識してますよね。
反対の健常者ばっかりの家族側からしたら、切実な問題であるっていう意味もすごくわかるんですよ。
自分の親が苦労しているところしか見てないから。
私は自分自身は子ども欲しいとあんまり思ってないことにも気がついたんですよ、そこで。
出産が怖いっていうイメージがやっぱりついちゃったのもありますね。
日本児童相談業務評価機関の代表理事、安倍和彦さん。
ヤングケアラー問題の専門家である。
ヤングケアラー支援と今後の展望
安倍さんは、障害者の兄弟もヤングケアラーであると語る。
見守ってるだけっていうのも、結局その時間、自分が遊べなかったりとか、自分が好きなことをしたんじゃなくて、
介護する相手に合わせて対応してるわけですから、ヤングケアラーと考えていいと思います。
兄弟が障害を持ってるって言えなかったって、ほとんど回答されるんですけれども、これは理由としてはどういうところ?
みんなから大変ねって言われたりとか、場が暗くなる。
友達に言っても状態が変わらないっていうのがありますし、かわいそうな特別な子って見られたくない。
自分からヤングケアラーだって友達に言うっていうことは少ないですね。
虐待を受けてることも同じなんですけれども、人に誇れるような話ではないわけですね。
特別でいたくない、目立たないようにしようという、そういう心理が働くんだと思います。
2024年、ヤングケアラーが法律で明文化されることが決まった。
今後、兄弟を取り巻く環境は変わるのだろうか。
行政はヤングケアラーへの支援というのが義務付けられると思います。
罰則はないでしょうけれども、今までは自治体が半分自己負担になってしまうので、
積極的に取り組んでいるところとあまり取り組んでいないところと結構差があったんですけれども、
義務化されると啓発も始まっていくし、具体的な支援策も始まるんだろうなというふうに思います。
家族が一緒になって、家族のためにということはビタになりがちなんですけれども、実はそうではない。
家族も大事、でもあなたはあなたで自分らしく生きていっていいよという、そのメッセージを伝え続けていくことですよね。
こんにちは。
小川陽子さんの新たな人生と弟への思い
親亡き後、実家住まいだった小川陽子さんはマンションで一人暮らしを始めた。
弟、正人さんはグループホームに入所し、元気に仕事にも通っている。
親の遺品整理を機に小川さんは片付けについて学んだ。
開けてうっとりっていう教えがあって、取り出しやすくしまいやすく、開けてすぐ取ってまたしまえるっていう。
こんにちは。
こんにちは。よろしくお願いします。
資格を取り、会社勤めの傍ら。休日にはオンラインで講座も開いている。
これは私にとって、今の私にとって不要か必要なのか。
2番目に考えることは、今の私にとって適切なのか適切でないものなのかって、最後の最後に自分にとって心地のいいものか、そうでないかっていうのを考えていくんです。
弟ファーストの人生を整理した小川さん。
自分軸っていう考え方が最重要視されるんですね。
常に自分ありきで考えていかなきゃっていうことに気がついたんです。
亡き母への思いも自分なりに肩をつけた。
よくよく考えたら私、母に反抗した記憶がなかったんです。
大体思春期とか皆さん反抗するじゃないですか。
私はちょっといい子すぎたんだっていうことにすごい気がつきまして。
もっともっと私も自分の気持ちを親に喧嘩してもいいからぶつければよかったって。
弟にはグループホームへの引っ越し以来、ほとんど会っていない。
軽度の知的障害なのである程度自分でできることもあるんですよね。
私がどうしても弟と言うとカリカリするんで、
なるだけ弟にそういうストレスを与えないほうがいいみたいなんですよ。
ないです。心配とかそういうのはないです。
もうないですね。
どちらかと言ったらもう私は保護者みたいな感覚です。
可愛いとかいう感覚よりも弟が自分一人で楽しく生きれればそれでいいっていう考え方です。
健常者同士の兄弟っていうのは本当にわかんないです。感覚的に。
羨ましいかと思ったら羨ましいと思ったこともないんですよ。
そう思わないと今まで生きてきた自分の人生なんか全否定しそうな気がしてですね。
2024年春。
早稲田大学の通信教育課程で学ぶ小川陽子さんを訪ねた。
夜遅くまで課題に取り組んでいるという。
今私が履修しているのは家族社会学。
あと障害児の心理学も今履修しています。
ちょうどスタートしたんで。
今これを勉強するのはタイミング的にいいかもしれないってちょっと思うようになったんですよね。
弟とは距離を置いたはずだが、意外なことに障害について勉強を始めていた。
周りが言っていることは理解しているそうなんですよ。
でもどうやって表現をしていいかがわからないのが特徴だって言われたんですよね。
私それはもう本当に目からうるこだったんですよ。
だから本人は理解できているけど意思表示がしづらいっていうのであれば、
そこに気をつければ弟の会話ももうちょっと理解をしてもらえて意思表示ができるんじゃないかって考えるようになったんですよ。
弟の障害について理解を深めたのであれば、今後兄弟の関係が変わっていくのだろうか。
気持ちが変わるとか、お母さんと話してみようかなと思うことで。
ちょっと時間がかかるかもしれないですね、私の場合は。
弟が嫌いなわけではないんですけど、好きでもないんですよね。
兄弟って言いますけど、弟との関係性が兄弟だと思っているので、
自分は保護者であって、弟はいろんな人から被害を受け取っていないと今の生活は成り立たないと考えているので、
私はそれを見守る者たちは、親ではないけど見守る者たちは、
だけど弟の人生を全部消す必要はないというふうに考えています、今でも。
障害者の兄弟250名が所属する全国兄弟の会。
全国きょうだい会の活動と体験談
2024年5月、総会が福岡市で開かれ、およそ40名が参加。
グループ討論を行った。
兄弟っていうのは、上に障害のある兄とか障害のある姉がいて、
自分が妹とか弟の立場、自分がお兄ちゃんとかお姉ちゃんの立場で障害のある弟や妹がいますっていうことについてちょっと深めたい方はこちら。
兄や姉と弟や妹では、その思いに違いがあった。
下ってなんか物心ついたらさ、ちょっと変なお姉ちゃんがいるみたいな。
ちょっと我が家は他のところでは違うのかなっていうような思いも。
違うけど自分にとっては普通じゃないですか。
お兄ちゃんはお兄ちゃんだしっていう感じで。
でもそれが実はものすごい普通じゃなかったんだなって気づくのって大人になってから。
大阪から参加した40代の和久本優子さんには、
重度の知的障害と進行性の難病を持つ2歳年上の兄がいた。
生まれたときから兄がいていたので、
私の母は私のお母さんではなくてお兄ちゃんのお母さんなんだってそういう認識でいてました。
甘えてはいけないんだと。
とても母も厳しかったし、やっぱり優秀な。
母からしたら障害者を産んだ負けを私に取り返したい。
それを私もすごく感じていて。
甘えることを知らずに必死強がってしまったので、
そのあたりがその後の生きづらさ、その後の人生に微妙に影響していると思います。
家族写真には母と手をつないだ兄の前を一人歩く和久本さんが写っている。
当時4歳だった。
幼いころに泣けなかった自分がいきなり40代になってわーって泣き出したりとか、
不適切な感情があふれて兄弟会に出会って少しずつ落ち着いてきたんですけれども、
今でも時々4歳の自分が出てきて泣いてしまうことがあります。
兄弟会。それは障害者の兄弟たちが思いを共有する場。
きょうだい会での共感とロングケアラー
共感の場なんですよね。
みんなで集まって分かる分かるってこと絶対毎回出てくると思うので、
分かる分かるって思うだけで自分の抱えてたもやもや、
自分だけが悩んでるんじゃないかこんなこととか、
もやもやしたのが本当に研ぎ覗かれていく。
私たちってヤングケアラーじゃなくて死ぬまでケアラーなんだよね。
ロングケアラーなんだよ。
24時間テレビなんかだとすごく障害者とか、
すごく美談として語られていて、あらゆるすごく違和感があるんです。
いい話ばっかりじゃないよね。
ずっと好きなわけでもないし、
ずっと嫌いなわけでもないし、
相反する気持ちの間でもやもやする。
兄弟の数だけ、思いがあふれる。
結婚への悩みと先輩からのアドバイス
日本の障害者の総数、延べ1160万人余り。
その2倍近くいると予想される兄弟たち。
結婚どうするっていうイベントをしたら125人、独身の方。
結婚に悩む若者には大田信介さんたち先輩がアドバイスを送る。
結論ですよ。障害あるほうがなかろうが、
価値観が結婚ってスリッパの奥一つで喧嘩になるわけでしょ。
簡単な話。
だけどこれってすごく重要じゃないですか、兄弟にとって。
これでAとかUとかPとかいう人は、
そこの人といくらやっても難しいんじゃないかなと思って。
これ結論ですよ。表現は悪いかもしれない。
その人はもう無理。次行ったほうがいいぐらい。
そっちのほうがね、結婚ってゴールちゃうから。
そこからが長いから。
そこで最初にパッと言われて乗り越えられへんかったら、
次も絶対無理やでみたいな話やから。
そんなんじゃなしにどうしてもあなたと結婚したいっていうだけの、
やっぱり尋問をとみがかなあかんのちゃう。
よー、そんなこと言うな。兄弟にしか言われへんやろな。
ずっと続いてきた。
太田兄弟のビジネスと将来への課題
そしてこれからも続くであろう兄弟たちの苦悩。
しかし、分かり合える仲間がいた。
お、光介。
よくなったね。
はい。
像もいいし。
障害がある画家の弟、光介さんと会社を起こした太田信介さん。
しかし、心配はつきない。
予期せぬ行動で光介さんは警察に保護されたこともある。
地元のイベントでは勝手に会場を離れ、
一人バスに乗り隣町をさまよっていた。
光介さん、今からバスとか絶対に乗ってはいかんよ。
今からステージに出らんないといけないよ。
絶対に入れるんですか。
あっ。
絶対ですか。
絶対ですか。
うん。どこ行くと、今から。
神戸に。
うん、じゃあ帰ってきて、ここで食べて。
絶対に入れるんですか。絶対ですか。
そうよ。
絶対ですかと繰り返すのは、納得していない証拠なのだ。
基本的には自由にさせてます。
色々束縛すると彼の良さが出ないですよね。
絵もそうですけど。
ただ、今日みたいなこともね。
今までなかったですけど。
地元で分かってるからこういう行動になると思うんです。
難しいっちゃいや、難しいですけどね。
ただ悪気がないから、やっぱガーガーガーガー行っちゃダメだっていうのは思いますよね。
というか今の時代、上司か部下じゃないけど、
お兄ちゃんが弟をワーワー言っても、多分いいことってあんまないですよね。
だからそういう部分でいかに気持ちよく仕事ができるかなっていうのをちゃんとやりたいなと。
ビジネスパートナーでもある弟。
母亡き後の身の振り方も大きな課題だ。
お母様がもしいらっしゃらなくなったら、一緒に住もうとか思ってらっしゃる?
いやいや、今は考えてない。
実家を残してくれたので、シェアハウス的なものとかグループホームみたいなことができればいいなっていう風に思ってます。
この環境が変わらなければ弟はもっともっといい絵を描いてくれると思う。
やっぱ環境が変わって、やっぱ上手くいかないことが多くなると、なかなか絵も難しくなってくる。
可能性は出てくると思うので、この家を利用できればいいなっていう風には考えてますし、母が元気なうちに動いていきたいなって思ってます。
自分が何もかも責任を持たないといけないって思うと、生きづらさだけが残っちゃうなっていう風に思うんですけど。
この自分のところの子供とか奥さんがどう思うのかなっていうのを一番に考えてほしいなって。
兄弟よりも僕はそこを一番に考えるべきじゃないかなっていう風に思います。
太田信介さんには目標がある。
一社会人としてやっぱ成長してほしいなって。
これは障害あるない関係なく、一流の画家を目指してほしいなっていうのがあるので、障害のある人ってある程度いけばこれだけできればいいじゃないかとか、やっぱそういう風になれるんじゃないか。
康介もある程度絵を描けるので、僕はいいとは思うんですけど、もっと上を草真由恵さんみたいに目指してほしいと思うから、やっぱ厳しいことは厳しくしていこうと今の段階では思ってます。
自閉の画家ってよく言われますけど、そういうのもやはり本意ではないですか?
本意ではないです。基本的にはもう画家太田康介で勝負したいなっていう風に思ってます。
太田康介さん。人気のドラマにも作品が採用された今注目の画家。絵筆をとりながら思いをつぶやく。
兄弟だからこその絆と愛情
ねえ、よかったねえ。先生が喜んで。
それよく言うんですよ。先生喜んでとか。
いいのができたらお兄ちゃんが喜ぶとか言ってますよ。
それは間違いない。
うまいねえ。
お客さんが喜ぶよ、康介。
そうかそうか。
その通りです。
できないことを補い合う兄弟。
外での仕事が終わると兄が車で弟を家まで送る。
最後に康介さんに聞いた。
これがもし兄弟じゃなかったらどうだったんでしょうね。
そうですね。それはなんか自分も考えたことはあるんですけど、
じゃあ僕が他の方の作品を取り扱うことも今となれば可能だとは思うんですけど、
素晴らしい作品を書く方がいっぱいいらっしゃるんだけど、
それを僕は本当にお客さんにちゃんと伝えられるのかなっていうのは疑問だなと思ってはいます。
だからやっぱり兄弟だから、ちっちゃい時から見てるからっていうので、
自分の心の底から言葉が出るのかなっていうふうに思ってはいますけど。
帰ってきた弟への愛情ある答え。
障害者の兄弟が抱える苦悩と支え
家族だからこそ悩み傷つき
時には途方に暮れる障害者の兄弟たち
しかし心の重荷を下ろせる場所がある
RKBラジオドキュメンタリー
障害者の兄弟
心の重荷を下ろして
朗読 田畑龍介
音声 青堀 陣
編集・選曲 寺岡 昭
プロデューサー 宮岡 智春
ディレクター 石川 恵子
ナレーション 瑞希
制作・著作 RKB毎日放送でお送りしました。
地下鉄祇園駅から徒歩2分、RKBスタービル博多祇園スタジオは
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