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おはようございます。ラーメン大好きめんぱぱです。 今日もよろしくお願いします。
今日はですね、ラーメンの歴史の続き、お話ししたいと思います。
2回目ということで、1回目がですね、室町時代の形態名が、今、現時点で最古の記録として残っているラーメンということでご紹介しました。
その次ですね、その次に文献として残っているのが、三戸三国公がラーメンを食べたというところなんですけれども、この辺りから話しさせていただきたいと思います。
日本で初めてラーメンを食べた人ということで、よく紹介されているので、ご存知の方も多いんじゃないかなと思うんですけれども、
三戸三国公は、儒学に関心があったようで、中国、その時は民国ですね。
民国が滅んだ時に長崎に亡命してきた儒学者がいたようなんですけれども、その儒学者を呼び寄せて、三戸の方にですね、呼び寄せて、
三戸三国公は、うどんとかそば、ちょっと話飛んでしまうんですけれども、うどんやそばというのは鎌倉時代に日本に入ってきたと言われているんですけれども、
三戸三国公は儒学者にうどんを振る舞ったと言われています。
そのお返しとして、その儒学者しすんしゅいがですね、中国の麺料理を三戸三国公に振舞ったとされています。
三戸三国公がラーメンを食べたということなんですけれども、その後ですね、身を見真似なのか、教えてもらったのかは、ちょっとよくわからないんですけれども、
そのラーメンというものを三戸三国公が自作をして振舞ったというのが伝えられています。
当時ですね、その三戸三国公が食べたというラーメンは、もちろん今のラーメンとは違って、中国の麺料理ラーメンというところなので、
豚肉の塩漬け、乾燥されたものから出汁をとって、トッピングはですね、薬味みたいな感じですよね。
山椒とかニンニクとか、そんなところをのせたようなシンプルなラーメンといったものだったと言われています。
当時ですね、動物系のお肉を食べるというのは禁じられていましたので、三戸三国公がどういう出汁をとったかわからないんですけれども、
もしかしたら動物系の出汁をとったかもわからないんですが、トッピングに関しては日本流の形で変えていった可能性もあると言われています。
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日本の残っている文献ということではそういうことなんですけれども、やはり中国との交流によって麺料理が出てきて、
日本流にアレンジしていって、文献には残っていない中で、いろんな交流、麺料理が食べられていったという可能性はあるのかなという感じですね。
貿易も交流も盛んになっていって、横浜とか長崎では中華街ができてくるわけですね。
1872年頃は横浜中華街で南京そばという名前で、いわゆるラーメンというものが提供されていて、
日本人が幅広くラーメンに触れていったというのがこの頃になってくるというところですね。
その後ですね、長崎の方で長崎ちゃんぽんというものが生まれてきて、
わりと日本全国にラーメンというのが広まっていくというような流れになっていくんですけれども、
今日はちょうどきりもいいのでここまでにしたいなと思います。
今日も聞いていただきましてありがとうございました。またよろしくお願いします。