息子に芽生えた時間の意識
みみとも。 じゃあ今日もみみとも始めましょう。始めましょう。はい。
最近の気になりごと。 最近ねー、あるんですよ。
なんか、はっと気づいた出来事があって。 時間についての出来事なんだけどね。
Boyちゃんいるじゃない。 小学校になったのよ。
うちのBoyちゃんが言ってるところは、幼稚園の時は森の幼稚園みたいな形で、森の中にずっといるんだよね。
やっぱりこう、環境と戯れながらやりたいことをやってると。
小学校になると、ついに屋内に入れるわけよ。 入っているんだけど、この間ね、Boyちゃんはね、
ちっちまちあわせをしようという話をして、明日の3時半にここで待ち合わせようっていう話をしたの。
それにびっくりしたのよ。 新しい感じだね。
新しいでしょ。何が新しいかって言うと、まずそんなこと初めて言われた、明日の何時って未来の話だから、
常に今を生きていたBoyちゃんが未来を生き始めたなみたいな話と、もう一つは3時半って時計の時間じゃん。
時計の時間だね。 時計の時間を言い寄ったと思って。
ついに時計の時間を生き始めたかなというふうに思ったんだよね。
3時半まで多分時間が結構あるから、それまで外で遊んでたりとかするの?みたいな話を聞いたら、外には時計がないんだ。
だから中で遊んでるみたいな話をして、いよいよ時計の時間だなみたいな。
時計があるところでね、時計を意識しながら動くっていうね。
って思ったんだよね。で、なんかちょっとだけこう、
まあそれも大事なことだよ、未来のこととかさ、時計をちゃんと意識しながら。大事だけど、ある意味、自分の時間を生きていたBoyちゃんが、時計の時間を生き始めたな、みたいなふうに、
一末の寂しさというか、 わかる。
いうのをですね、感じたんですよ。 そうだね。
それがちょっと気になること、最近。
そうか、ついに。
ついに時間を意識する世界に、
ようこそ、っていう感じ。 そうだよね。
失われる「自分の時間」への寂しさ
いや、どう思う?どう思うもこう思う?ないかもしれないけどさ、どう思う?
そうだね。
なんか、必要なことなのだろうと思うけど、やっぱちょっと寂しさはあるよね。
へえ。
なんか、ほんとになんていうの、
その時間とか、誰にも何者からも支配されない、自分自身の時間。
だから、自分の中から湧き出てくる、その衝動とか欲求を思う存分実現できる、みたいな時間をすごいたっぷり生きてきた人たちが、
そこからちょっと脱皮していく、みたいな感じで、
ああ、あのたっぷり、たっぷり自分の衝動に従ってやり遂げていた、あの尊い時間が、
もう見られなくなってしまうのかもしれない、みたいな、なんかちょっとそういう寂しい気持ちがあるかな。
そうだよね。
別にそれが、どっちがね、いいとか悪いとかってことじゃないと思うんだけど、
なんか、ああ、あの時間尊かったな、みたいな感じ。
でもさ、なんか今話したり聞きながら思ったけど、なんていうのかな、
ぼーいちゃんは別にそんな意識はないわけじゃん。
ないね、ない。
ね。
ないし、なんなら楽しんでるよね。
そうそうそうそう。
で、そこからいくとさ、そう思ってるのは自分たちだけっていうかさ、
そうだね。
自分たちが、まあ時計の時間を生きてる割合が多いじゃん、たぶん、おそらく。
その中で、なんか自分の時間をたっぷり取りたいっていう願いが自分たちにもありそうな気がしたね、なんかね。
そうかもね。
うん。
ある意味ちょっとそれを投影してるってことかもしれないね。
そうそうそうそう。
うん、そうかも。
多様な時間の捉え方
うん。
うーん、あんまないもんね、私たち自身にこう置き換えてみたら、その自分時間をたっぷり生きるみたいなシーンってないんだよなあ。
うん。
毎日やっぱり時間を意識しながら。
なんかね、それはまあでも、うん、なんかある意味自然と言えば自然なのかもしれないけど、
人間というさ、その生き物の一種の秩序感みたいなこととかさ、社会性みたいな話から言えば自然かもしれないけど、
でも一方で違う方の人間としての、なんていうのかな、自分に没頭するとかさ。
うん。
うん、なんか割合みたいな話なのかな、どうなのかな、なんかわかんないけど、両方。
うんうん。
なんかあれだよね、時間が時計の時間だけだと思っていないことが大事な気がするかな。
いろんな時間があるじゃん、なんか今だったら出てきたのはさ、時計の時間とさ、時計の時間って割とこう直線的?
うん。
うん、なんかこうどんどん前に進んでいくみたいな話だとするならば、自分の時間っていうのは別に1秒とか1分とかそういう話じゃないからさ。
うんうん。
それはなんかもう時間の概念がちょっと違うっていうかさ。
うん。
なんかそういうのもあるし、あとこう延間的な時間っていうのかな、季節が巡るみたいなさ。
うんうん。
なんかそういう巡る時間みたいなのもあるような気がするし、なんかいろんな時間をやっぱ楽しめるといいのかね。
そうだね。
うんうん。
でもさっきさ、なんかあの没頭するって言ったと思うんだけど、でも確かになんかに没頭してる時っていうのは、時間を意識してないから、なんていうの、もう目の前のことに没頭してるから、そもそも時間の概念にあまり、なんていうの、支配されてない。
時計の時間の概念に。
そうそう。支配されてないなって思って。
没頭する時間と充実感
で、私今ほら竹細工をさ、習ってるじゃん。
はい。
で、まさにあの時間はさ、没頭の時間なのね。
うんうんうん。
で、あの、その先生と話したりとかするときは、ちょっとまあ現実に戻っていくんだけど、自分で目の前の作業に没頭して手を動かしてる時っていうのは、完全に時間のことは忘れていて、時計のね、時計の時間のことは忘れていて、
で、なんかふって、その、例えば先生のところに行った時とかに、パッてこう時計とかを見たりすると、はっ、もうなんかこんなに時間経ってたみたいな感覚になるから、
たぶんね、本当に没頭して何かに集中してる時っていうのは、その時計の時間の世界を生きてるというよりは、ちょっとそれとはまた違う時間が自分の中に流れてるような感覚はあるよね。
うんうんうん。そうだね。
うん。
どっちが好きですか?
でもね、そっちの方がさ、なんか満たされる感じがあるよね。
なんか充実感みたいなことなのかな。
うんうんうん。
とか、そうそう。
うん。
直線的な時間と円環的な時間
それだけで生きるとどうなんだろうね。
それだけで生きるとどうなんだろうね。
うん。
自分にフォーカスし続ける、まあまあそういうワークショップもやってるけど、
うん。
それはでもとはいえ2泊3日ぐらいでしょ。
うんうん。
なんか1ヶ月ぐらいそれやったらさ、なんかどういうふうに世界見えるのかなみたいなことちょっと今。
でもなんか見え方変わるんだろうね。
まあでも違うよね、きっとね。
うん。
なんかあの、
自分時間でずっと。
そうそうそうそう。自分時間から世界を見るのと、
うんうんうん。
時計時間から世界を見るのは、
うん。
違うだろうね。
うん。
どんな感じになるんだろうね。
それこそさ、なんだろうな。
動物とかさ、
うん。
時計ないじゃん、別に。
ない。
さあ、どういう時間なんだろうね。
でもなんかほら、なんだろう、夜行性とかそういうのはあるから、
やっぱり自然に影響はされてるんだと思うけど、
冬眠とかさ、
どういう、やっぱり意味は今を生きてる感じ?
そうだよね。
そこから世界を見るとどう見えてるんだろうね、みたいな。
そうだよね。
なんかだからあれでしょ、その、
時計というものができる前の時代の人間の形みたいなことだよね。
なるほどね。
時計の時間はできてない人間っていうのはさ、
そうだよね。
だから何時かわかんないから、
もう日のあれだよね、
上がって明るくなって暗くなるっていうのだけが、
その時間的な概念で言えばそれしか持ってない。
まあだからもしかしたらさっき言ってたこう円環的な感覚なのかな。
また巡ってくるみたいなさ、
時計はなんていうのかな、時計もまあ巡ってるんだけど、
未来にこう直線的に進んでいくみたいな感じのイメージで、
先に進んでいくみたいな感じだね。
先に進んでいくみたいな感覚で時計の時間を話してたから、
それがない時って季節が巡るとか日が巡るとかさ、
そうだね。
なんかこう命が巡るとかさ、
そういう感覚なのかね。
ちょっとやっぱ違う世界だよね。
そうだね。
で、その巡るとかその循環の中で、
自分たちも生きてるっていうか生かされてるっていうか、
そういう感じだよね。
そうするとやっぱちょっと感覚違うね、確かにね。
直線的なものとはね。
なんかやっぱ先へ先へってなるもんね。
円環的時間と心のゆとり
時計的な時間的なものを意識するとさ、
なんかあるじゃん、会社とかでもさ、
何年後のキャリアとか、
そういうのもすごい直線的に先のお金の話とかさ、
なんかそういうコミュニケーションがあるなみたいな。
だから巡る、そのサイクルとか循環とか巡ってくるみたいな、
そういう大きな流れの中の自分みたいな感じになると、
いろんなものの捉え方とか、
自分のもしかすると過ごし方とか、
なんかそういうことが変わってくるのかもしれないな。
なんかね、今聞いてて思ったのは、感覚よ。
もう直線の時ってさ、結構焦るっていうか、
今を逃したら終わりだみたいな感じもあるし、
今やったかないと次に繋がらないみたいな、
常に何かに焦っているみたいな感覚になるけど、
巡ってくるっていうのは、来る時に来るみたいなさ。
いろんな円環だとするならば、
小さい直径のものと大きな直径のものと、
上の方回ってるのと下の方の回ってるのとかいろいろあってさ、
なんかそういうのが来るべき時に来るかなとか、
一回そこが合わなかったとしてもまたどっかで合うかなとかさ、
なんかそういう感覚に今話を聞いていてなって、
なんかちょっとほっとするっていうか、
ある意味身を委ねられるっていうか、
なんかね、そんなのをちょっと今聞いてて、
質感としては思ったかな、なんかね。
いろんなリズムとか、いろんなサイクルとかがある中で、
その巡り合わせで来る時は来るし。
なんかその方がゆったり待てるっていうか、
そうかもね。
そんなことはね、今ちょっとこう、
けいちゃんの話を聞きながら体感がしたな。
それぐらいの感覚で痛いよね。
痛いですね。
今これじゃないととかさ、
直線的に何かを例えば積み上げていかないととかさ、
ある時から逆算した時には、
これをやらねばならないみたいな感じとかで、
焦るとかぐらいだったら、
なんかそのやっぱり自分は大きなサイクルとか、
巡り合わせの中にいて、
来る時は来るしっていう感じで、
そういう心持ちでいられると、
割と心穏やかにいられていいなっていう感じがするけどね。
するけどねって。
けどねだよね。
軸足の置き方と行動の重要性
いられる?
いられるかな?どうなんだろう。
なんかでもさ、どっちに軸足を置くかみたいな話もあるよね。
なんか今、それも今、
けいちゃんの話を聞きながら今自分に置き換えてたんだけど、
自分の場合は、
普段こう、人とかに仕事で関わる時に多いのって、
やっぱこう、
仕事の文脈って直線的に進んでる人とか組織がすごく多いから、
なんかその中に今で言うならば、
遠観的な要素を持ち込もうとしているような気がする。
なんかね、そのエッセンスとしてねっていう感じのことを思ったりもするけど、
なんか逆に軸足を置くってこともあるなと思っていて、
例えばその遠観的な中に身を置きながら、
でもたまに直線的に進むみたいなさ。
なので足場をどっちにするかとか、
まあどっちとか決めなくてもいいのかもしれないけど、
なんかそれを行ったり来たりできるとか、
なんかそういうのを今思ったな。
ちょっともうなんかグッと中小で話しちゃってるからあれかもしれないけど。
なんか伝わる?
うん、伝わる伝わる。
なんかちょっとそれとずれるかもしれないけど、
その居られるっていうさっきの質問にちょっと思ったのは、
なんか私結構ね、新卒の時ぐらいから、
なんか物事は結構、物事とか人との出会いとかもそうなんだけど、
なんか縁とタイミングみたいなことを結構よく口走ってて、
だから、ある意味巡り合わせで自分の縁とかタイミングがあった時に来るみたいな、
思考の人だったなみたいなことを思い出したのね。
だから、なんかそういうことを思ってたから、
たぶんその巡り合わせで、来る時来るだろう、
あの人だったんだろうと思うんだけど、
なんだけど、なんか一方で思ってるのは、
じゃあなんかずっと受け身で待ってればいいのかっていうと、
そういうことでもないなっていう気がしてて、
その巡り合わせって何で自分の元に訪れるのかっていうと、
たぶん何か、別に何でもいいんだよ、仕事でもいいし、
海でもいいし、遊びでも何でもいいんだけど、
なんか自分の関心事について何かその行動してみるとか、
学んでみるとか、誰かとそれについて喋ってみるとか何でもいいんだけど、
なんかのたぶん行動をするみたいなことによって、
例えばそこからさ、何かその人が新しい情報を持ってきてくれるとか、
新しい機会を、あの人こういうことやってたなっていうことに気がついて、
誰かがそれをご縁でつないでくれるとか、
なんかそういうことの巡り合わせもあるなっていう気がするから、
結局なんか巡り合わせで、なんかそういうことが大事だなと思いつつも、
じゃあなんか座ってずっと待ってればいいのか、巡ってくるのかっていうと、
なんかそれだけじゃないような気もしてるっていう、なんかそういう感じもある。
なんかのプランドハプンスタンスセオリーみたいな話もそうだし、
あとは、やっぱりなんかこう動いているみたいなことが、
なんか止まっていると動いているの違いみたいなこともあるかもしれないよね。
なんか待ちながら動いているのか、待ちながら待っているのかみたいな、
のはやっぱ違うような気がするよね。
そうだね。
確かに自分も動いていないと言えば、なんか愛用がないのかもしれないよね。
違うこう、違う演習とか角度で回っているものがさ。
っていう感じがしているな。
だから、別にその大層なことをやれっていう意味じゃないんだけど、
何かを動いているとか、っていうこと自体も動きながら、
そうだね、ゆうくんの今の表現で言うと、
動きながらその巡り合わせとか、縁とかタイミングみたいなものを待つみたいな風にいられたら、
なんか自分としては良さそうかな、みたいな風に思うかも。
まとめと感想
なるほど。面白かったです。
面白かったですか?
あの、もしかして聞いてくれるように伝わるか伝わらないか、
ずっと抽象で話しているからあれだけど、でもなんか面白かったなと思いました。
今日はこれぐらいかな。
じゃあこんなところで終わっていきましょう。
ありがとうございました。