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#5 25歳 店舗責任者の頃、適応障害になり退職
2022-02-25 15:20

#5 25歳 店舗責任者の頃、適応障害になり退職


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セラピストの鬼軍曹、ジムサヤームの藤原です。 今回は、25歳、
店舗責任者時代に、適応障害と診断されたお話をします。 今から10年くらい前、
2012年に、ホテルの中の リラクゼーションサロンの店舗責任者をしてました。
当時、セラピスト3年目ぐらいだったと思います。 実力があって、店舗責任者になったのではなくて、
先輩たちが辞めていったことで、繰り上がりの形で、
責任者になりました。 だから、人に指導をするとか、
後輩のお世話をするとかっていう経験とかがないまま、
自分自身のことで精一杯の時のまんま、 10店舗くらいある中の一番忙しいお店の
責任者になって、 プレッシャーでしかなかったんですね。
お店の中で、会社の中で一番忙しいから、
朝から晩まで予約詰め詰めだし、 1ヶ月270時間くらい働いていて、
その店舗は、 会社が運営するスクールを卒業して、
各配属先に配属なる前に、 一旦研修として、
新人さんたちが来るようなお店で、 ホテルスパだから、
他の路面店よりも、
リピーターさんが少ないお店だから、 ある意味経験を積むっていうのには、
いい環境だったと思うんですよ。 リピーターさんで回ってるお店に、
いきなり新人さん入っても緊張するしね。 私も、
淡路島のホテルに配属される前、 路面店勤務の時も、一旦は同じように、
ホテルの中のお店で、 新人研修みたいな感じでさせてもらったので、
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自分が今度は、新人さんたちを面倒を見ながら、 お店を回していくっていう立場になったわけなんですけど、
とにかく忙しいから、全然余裕のない スケジュールなんですね。
ご飯食べる暇もない日も多かったです。 だいたい12時間勤務ぐらいでした。
その中で、新人さんたちのお世話もする。 しかも、もう上の先輩たちがいない状況でだったんで、
20代半ばで、力の抜き方がわからない状態で、 でも、できませんとか、
大変ですとかって言ったら、 自分の評価が下がるんじゃないかって、
思ってたから、 常に120%どころか150%くらいで、
自分なりには頑張ってたんですね。 でもやっぱり、自分に無理をかけながら頑張ってるので、
どうしても周りへの態度もきつくなるし、 心の余裕がないから、
だんだん、食事を
取らなくなって、 本当にね、普段の量の半分も食べなくなって、
謎の頭痛がずっと続いてたので、 強めの鎮痛剤ばっかり飲んで、
ご飯あんまり食べないから、パワーが出ないので、 強めの栄養ドリンクいっぱい飲んで、
ごまかして、ってやってたんですよ。 もう毎日のスケジュールをこなすので精一杯でした、当時は。
上からと周りからのプレッシャーもあったし、 あったというか、多分自分がプレッシャーだと感じすぎてたって感じですけど、
で、ある日、
全然ベッドから起き上がれなくて、 仕事行かなきゃいけないのに、
1ミリも体が動かないみたいな感じになって、 すべてのパーツに鉛がついたかのような感じ。
起きたくないとかじゃなくて、なんだこれはっていう、 動かねえって感じになって、
本当にヤバいから、これは今日お店半日休んでも、 病院行かないといけないってなったんですよ。
なんとかして、せめて夕方からでも動けるようにならなきゃと思って、 病院に行ったら、
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適応障害ですと言われて、
なにそれって感じでした。 当時25歳の私には聞いたことがない単語でした。
ストレスになっているものから、 離れなさいって言われて、
いやいやそれは困りますと。 まだお仕事モードの自分だから、
もうすぐ半分期だし、 シフトの穴を埋めてくれる人はいないのと。
限られたメンバーで回してるお店だから、 私早くお店戻らなあかんねえと。
天敵言ってや!みたいな感じで 言ってたんですけど、そうじゃないと。
で、病院の先生に言われたら、 もう言うこと聞くしかないかなというか、
じゃあ休職しましょうとなって、とりあえず半月くらい 休職することになりました。
で、いろいろ考えるわけですよ。 お仕事に行ってないから。
適応障害ってなんなのかなとか、 私こんなに頑張ったつもりなのに、
こんななっちゃってどうしようとか、 私責任者なのに、後輩たち頑張ってるのに、
早く戻らなきゃって思う自分と、 しんどくてお休みしてるのに、
会社の中のいろんな人から、 ひっきりなしに連絡が来るわけですよ。
心配を装って、いつ帰ってくんねん っていうプレッシャーをめちゃくちゃかけられて、
なんかプチッと切れたというか、 もう最後の糸が切れたって感じ。
頑張ってなかったら、 はいはい頑張りますよってなるかもしれないんですけど、
いやもうこれ以上頑張られへんっていうところに、
仲間だと思ってた近隣の店舗の人たちから 追い討ちをかけられたっていうのがだいぶ答えて、
会社のためにとか、社長や周りの人にがっかりされないように、
期待に添えるようにって思って、 自分ができる限界値を超え続けようと思って、
やってきても結局ねぎらってくれる人いなかったって、
その事実に気がついたときに、 もう辞めますってなったんですよ。
本当はね、若くてその会社に入ったし、 正社員だったので店長になって、
その後もう少し上の役職につけるように 頑張ろうって思ってたんですね。
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もともと独立したいと思ってこの世界に入ってみたから、
ある程度の肩書きとか経験がないと 次のステージにはいけないって思ってたから、
しかも正社員雇用が少ないこの業界での正社員だったので、
ここで出ていったら次正社員雇用を探すの 難しいんじゃないかって思ってたし、
繰り上がりの形ではあるけど、 若くして忙しいお店の店舗責任者にまでなれたんだから、
次はエリアマネージャーとかになりたいなとか思ってたので、
そのキャリアが、自分の夢見てたキャリアプランが 一旦崩壊する、無しになるっていうのは
嫌だったから頑張ろうと思ってたのに、 周りからのプレッシャーがもうこれ以上は無理です
っていうのになっちゃって、半月の給食後、 その会社を去ることに決めました。
自分の中では、私のキャリア終わったとか思ったし、
これからどうやって生きていくんやろうって思ってたし、
しかも適応障害って診断されて、 人を癒す仕事を選んだ自分が、
癒しが必要な立場になった。
その事実に、ものすごく落胆しました。
こんなはずじゃなかったって思ったし、 私何がしたかったんだろうって思ったし、
この先の未来はどうなるのかなってすごく不安になったんですけど、
多分それは、自分が見えている世界があまりにも狭かっただけで、
今考えるとそういうところも若気の至りだったのかなと思うんですけど、
当時の自分は本当にね、終わったみたいになってました。
ただそれから、それからというか、もっと言うと退職を選ぶ前、
給食中に会社の人とは全く関係ない、 太鼓式マッサージのつながりの人たちに
誘われる形で、給食中のね、 実家帰っている期間、実はチェンマイに行ってまして。
本当は家に居るってなんですよ。
家で療養しているのを装ってチェンマイに行っちゃいました。
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それが人生初めてのタイへの旅行でした。
そこでね、またいろんなことがあって、不思議体験もあって、
その先につながる出会いもあって、どんどん回復していくわけなんですけど、
その話はまた少しずつできたらなと思います。
ただ一度は適応障害と診断されたっていう事実は、
自分の中で結構大きく今でも受け止めていて、
もう二度と過剰に無理をしないように生きていこうって決めるきっかけにはなりました。
自分が選んだ無理だったりとか、期間が決まっている無理だったり、
目的がある無理だったら、ある程度はまたやるのかもしれないんですけど、
ゴールの見えない何かに追い立てられるような無理だったりとか、
自分が評価されたい、でもその評価基準が分からないから、
全方向において実力以上のものをやろうとするっていう無理の仕方は、
もうやったらあかんなっていう風に今は思っています。
それはとってもその後の人生に教訓になったのかなっていう意味では、
ちょっと根性論で頑張りがちな自分にとっては、
強制的なストップがかかって振り返るものもあって、
人生の休暇みたいなのにもなったおかげで、
いろんな経験ができたので良かったかなと思っています。
自分が自分に高いハードルを設けすぎて、
しかもそのハードルを飛ぶごとにどんどんどんどん上げすぎて、
自分で自分を追い詰めてしまった結果動けなくなった。
しかもそれが人に迷惑をかけることにもつながったっていうことだったので、
勉強にはなったなと思います。
じゃあまたこの続きの話は、
少しずつ尻滅裂に脱線しながらお話したいと思います。
今後もいろんなお話をしていったりですとか、
セラピストさんやいろんな活動をされている方と
コラボ配信などもしていこうと思っているので、
プロフィールボタンタップしてもらって、
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フォローとTwitter、インスタグラムのフォローの方もお願いします。
セラピストの鬼軍曹、事務室山野藤原でした。
ではまた。
15:20

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