おひポカ #55555 連続ラジオドラマ 言えなかった大好き
前編 月に一度の帰り道
夕方 水族館帰りの車が、娘の家から
少し離れた公園のそばに止まった 月に一度だけ会う父と娘
助手席には少し氷の溶けたジュース。足元には水族館のパンフレットと小さなペンギンのぬいぐるみ。楽しかった一日の余韻がまだ車内に残っていた。
いやー楽しかったな水族館。
うん。
ペンギン思ってたより歩くの早かったな。
お父さんずっとペンギンの真似してた。
あれは真似じゃない。ペンギン側が俺に寄せてきた。
何それ。
見たろ。胸張ってちょっと偉そうに歩く感じ。
お父さんも偉そうだったよ。
お父さんは偉そうなんじゃない。偉いんだ。
どこが。
うーん。今日チケットなくさなかった。
それ普通。
駐車場の場所も覚えてた。
それも普通。
普通のことを二つもできた。もう今日は大成功だな。
この前コンビニで財布忘れたもんね。
あれは忘れたんじゃない。一時的に預けた。
通りに戻っただけでしょ。
まあ、世間ではそういうらしいな。
今日も5分遅刻したし。
5分は誤差だよ。
お母さんだったら怒るよ。
お母さんは正しい担当。お父さんは楽しい担当。
何それ。
人には役割があるんだよ。
じゃあペンギンは。
うーん。俺に寄せる担当。
まだ言ってる。
娘が笑うと父も笑った。
父にとって月に一度のこの時間は1ヶ月分の楽しさを全部詰め込む日だった。
来月は動物園にするか。
動物園?
まいこ、レッサーパンダ見たいって言ってただろ。
うん。
うーん。その次は遊園地でもいいな。
お父さん、絶叫系はあんまり得意じゃないけど、まいこが乗りたいなら。
お父さん。
ん?
あのね、今日言っておきたいことがあるの。
娘の声が少しだけ低くなった。
父は冗談の続きを飲み込んだ。
どうした?
もう会うのやめたい。
車内の空気が一瞬止まった。
え?
来月からもう会うのやめたい。
なんで?
嫌いになったとかじゃないよ。
うん。
今日も楽しかった。
水族館も、アイスも、買いに買ってくれたジュースも、全部楽しかった。
じゃあ、どうして?
お母さんがね、私、新一さんのこと、ずっと新一さんって呼んでるでしょ。
もう一年くらい経つのに、まだお父さんって呼べないの。
無理して呼ばなくていいだろ。
うん。
新一さんもそう言ってくれる。
名前でいいよって。
焦らなくていいよって。
あ、なら。
でもね。
娘は、手元の紙カップへ目を落とした。
私が、新一さんって呼ぶたびに、お母さんの顔、ほんのちょっとだけ止まるの。
止まる?
うん。笑ってる顔がね、一瞬だけ止まるの。すぐ戻るよ。
すぐ、いつもの顔に戻るけど、でも、わかるの。
そうか。
お母さん、ずっと頑張ってた。
お父さんと離れてからも、私が寂しくならないように、困らないように。
新一さんも、私に無理に近づいてこなかった。
ずっと待ってくれてる。
だから、うまく言えないんだけど、私、新一さんのこと、いつかちゃんと呼びたいの。
お父さんって。
父は娘を見た。
娘も逃げずに父を見ていた。
いや、私にとってお父さんは、お父さんだけだよ。
でも、お父さんに会ってると、やっぱり私の中のお父さんは、お父さんだけになっちゃう。
今の家で、お母さんと新一さんと、私で、ちゃんと家族になりたい。
だから、ごめん。
娘は父の目を見たまま、最後の言葉を置いた。
もう、会うの、やめてもいいかな。
父は何も言わなかった。
ただ、娘の顔を見ていた。
そうか、何かを言いかけて、父は一度、口を閉じた。
飲み込むように息をした。
そして、何かを決めたように、小さく笑った。
なんだ、それ。
お父さん?
いやさ、すげえ真面目な顔するから、何かと思ったら、じゃあ、俺からも言っておきたいことがあるわ。
月に一回会うの、俺も正直、ちょっと面倒だったんだよ。
え?
毎回さ、どこ連れて行こうかなとか、何食べせてやろうかなとか、結構、考えなきゃいけないだろ。
嘘。
嘘じゃないよ。
だって、お父さん、いつも楽しそうだった。
そりゃ、楽しそうにするだろ。子供相手なんだから。
つまり、あれだろ。新しいお父さんができたから、古いお父さんはいらないってことだ。
違う。
違わないだろ。
違うよ。
いいよいいよ。わかったから。
まいこも新しいお父さんがいい。俺も自由になる。ちょうどいいじゃん。
何でそんなこと言うの。
言っておきたいことなんだろ。
だったら、俺も今のうちに行っておこうと思って。
お父さんはお父さんでしょ。
俺はもともと、そんな立派な知恵じゃないしな。
やめてよ。
時間は守れない。約束は忘れる。大事なことはいつもお母さんに任せて逃げる。
やめて。
お母さんに迷惑かけたことぐらい、まいこだってわかってるだろ。
やめてよ。
だからちょうどいいんだよ。これからは新一さんお父さんって呼べばいい。
俺のことは、もうお父さんって呼ばなくていい。
ひどい。
そうか。
ひどいよ。
早く忘れる。月に一回会う父親なんて邪魔だろ。
やめてってば。
ほら、早く行けよ。お母さん待ってるんだろ。
それとも何。
最後に、お父さん今までありがとうって泣く?
そういうのいらないから。
娘の手が紙カップを強く握った。
最低。
ああ。
最低。
娘は持っていたジュースを父にぶつけた。氷が父の足元に落ちた。
父は濡れた服を見もしなかった。ただ笑っていた。
さよなら。
娘は助手席のドアを開け叩きつけるように閉めた。足音はすぐに遠ざかっていった。
車内に父だけが残された。父はハンドルを握ったまましばらく動かなかった。
やがてまた小さく笑った。
その笑い声は少しずつ形を失っていった。笑いはすすり泣きに変わった。
そして、こらえきれないおえつになった。
ごめんな。ごめんな。お父さん。最後までお父さんみたいなことできなかった。
父は泣いた。濡れた服も足元に転がった氷もそのままにして、
ハンドルに額をつけしばらく泣き続けた。
やがて父は大きく息を吸った。
もう一度ゆっくり息を吐く。
父は誰もいない助手席に向かって娘にはもう届かない言葉を置いた。
俺のことなんか嫌いになれ。
言っておきたいことあったんだよ。本当は。いっぱいあったんだよ。
でも言葉が止まった。
父は泣きそうになる声を飲み込んだ。
そのままちゃんと。
父は最後だけは父親の声で言った。
幸せになれ。
その日父は娘の人生から自分を消した。月に一度の帰り道。
助手席に残ったのは空の紙カップと言えなかった大好きだけ。
お日様ポカポカラジオスタートです。