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2021-03-05 32:17

【GMV 333】仕事を進めるために正しさを手放しておく

不安を含むなら正しさはノイズになる
00:04
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
いつもと聞こえ方が違うとすればですね、
今日はいつものところが洗濯機がすでに回ってて、
たぶんゴーって音がするので、和室の方で撮っているぐらいですね。
で、今日はですね、先送りを…先送りじゃないな。
昨日、仕事の記事に書いた関係なんですけど、
仕事に取り組む気が…気ですね。
進まないとか重いとか、先送りはこの中に含まれる現象なんですけど、
そういう時にですね、どうすればいいかというのではないんですけど、
要するに一言で言うと、その責任のもしかしたら99%は正しさというやつにありますので、
それを手放してしまえばですね、たぶん仕事に取り組むのにさしたる苦労はなくなるだろうというお話をちょっと補足的にしたいと思います。
長寿画って書いたはずなんですけど、長寿画の働きが邪魔だということですね、言ってしまえば。
で、私、具体的な話からしたいんですけど、
例えばもうこれは本当だいぶ前からですね、いつぐらいだったか思い出せませんけど、
たぶん震災の前から、例えば英語の勉強とかは一切してないです。
あとプログラミングというものにも一切触れてなくて、
あとデザインの勉強とか写真を上手に撮るとかいうのも全部やめてますね。
要はこの延長線にある話なんですけども、正しそうなこと。
昔私がさっと手放していったのはそういうことだったんですよね。正しそうなこと。
正しさを手放すというところまでは行き着かなかったんですけど、その理由も割と簡単で怖かったからなんですよ。
表裏一体というか、なんていうんですかね、表裏一体ですね。
くっついちゃってるんですよ。正しさと怖さというのが。
で、正しいやり方をしないと危険な目に遭う気がしたり、損をする気がする。
損はまだ霜なんですけど、やっぱり危険に繋がってる。
03:02
たぶん私はですね、この種のことに臆病なんだと思うんですよね。
大体の人は損って言うんだけど、僕は損ならいいんですよ。
やっぱり危険というのが嫌いなんですね。
本当に痛いとか、本当に金がないとか、そういう恐怖感の方が絶対的に大きくて、
人と争えない最大の理由もそういうことなんですよ。
なんかこうね、後ろからヤクザが出てくるとかないけど、
その人には勝てるかもしれないけど、
その人の100倍くらい危険そうな人が出てくるかもしれないじゃないですか。
私そういうこと考えちゃう口なんですね。
なので人と喧嘩をするというのも、私にとっては損得というよりは、
やっぱりこう、生死みたいな、そういうことをイメージしちゃいがちなんで。
これたぶんですね、後から言いますけど、
私の長寿画の重大な部分に母の金銭的恐怖というのがあるんですよ。
お金を損すると家を失うみたいな。
この理由も簡単で、母は実家を失ってるんですよ。
昔の話で、私もそもそも母が子供の時の話だと思うんで、
よくわかんないし真偽のほどお定かでないんですけど、
赤髪って言うじゃないですか。
赤髪って兵隊に取られる時の話なのか。
貼るんだって言うんですよね。家具とか。
使っちゃいけませんよと。税金払ってないから。
そういうのを貼りに来る税務署の人がいて、
家中に貼られたことがあるんだそうなんですよ。
母がとにかく金だけは、金があればなんとかなるっていうのを僕にですね、
たぶん僕が1歳とかの時から根本と教え込んできてるところがあるんですよね。
覚えてないですよ。覚えてないですけど、
4,5歳の時にはもうはっきり覚えていて、
そういうことを繰り返し言われてきてるんですよ。
一つのイリュージョンなんですけど、これは。
なかなかね、やっぱり倉殿さんに
お金の重要さの大切さのイリュージョンみたいな話を聞いても、
99%しか納得できないんですよ。
この奥深くあった自分の記憶の、
ほぼ記憶できていないような記憶。
でも母の若い頃の顔がちらつくから、
お金と母の若い頃の顔が僕の頭の中でセットなんですよ。
完全にイリュージョンなんですよ。
なんですけれども怖いんですね。
お金を失うということが。
たとえそれが1円でも損をするということでも、
結構恐怖感があって、
これの克服に僕はかなりの努力を今割いている最中なわけです。
06:00
以前この番組でナルシシズムの皮を剥ぐという表現を取ったんですけど、
この私のナルシシズムのど真ん中にこれがあるんですよ。
多くの人はナルシシズムというあの言葉、
大変よくないんじゃないかと思っているんですけど、
自己愛と訳してしまうんですが、
ナルシシズムは何とか言っていますが、
その中に自己はないし愛もないんですよ。
ナルシシズムなんですね。
あえて言うならやっぱり難しいですね。
でもナルシシズムはナルシシズムなんですよね。
これが私の何て言うんでしょうね。
愛が向かってしまった先ですみたいな、
そういう感じなんですよ。
イリュージョンなんだけど。
自体愛と訳す人もいるんですけど、
確かにそうなんですけれどもね。
でも自体愛、大変分かりにくいですよね。
自分が好きという話では全くないんですよ。
みんな自分好きじゃないですか。
ナルシシズムは自分が好きですって話とは自己中とかとは、
そういうレベルの話ではないんですよね。
固着関連の核みたいな感じ。
ちょっと難しいんですよね、説明が。
まあ、よしとしましょう。
とにかく母はこう考えたわけですね。
お金さえあれば何とかなる。
逆にこれを裏返すと、
金がなくなったらどうしようもないっていうことじゃないですか。
それも、だから私は4歳か3歳の頃か、
熱出した時に決まって読む本が家無き子だったわけですね。
あれじゃないですよ。
足立由美さんが出ているドラマじゃないやつです。
マロっていう人が書いたのかな。
どってことない話なんですけどね。
ほっと読みましたね。
繰り返し読んだ記憶が3歳の頃だったと思います。
入院先のベッドで読んでたんですよ。
とにかく家がない、お金がない、貧しいっていうのが、
怖くて怖くてですね。
真っ黒なんですよね、その世界は私にとっては。
それより悪い世界はないぐらいな感じ。
そういう感じがあったわけです。
だからどうしてもグッドバイブスやってて、
何を一番やめたいかって家計簿をやめたいんですけど、
やめられないんですよね、家計簿だけはね。
家計簿をやめるということは、
クモ恐怖症の人がクモを食べるみたいな勢いが
僕の中ではちょっとあって、
ちょっと違いますね、やっぱりね。
なんて言うんですかね、これは。
糸が切れてるかも、綱が切れてるかもしれないけど
バンジージャンプやるみたいな、
そういう感じのが近いですね。
でも何度かチャレンジ中なんですよ、家計簿をやめると。
正しさというものは、
09:00
今日はむしろ理屈を述べるよりも
解決策にフォーカスしてみたいんですけど、
要は日頃からやめておけばですね、
仕事をするときにつまづく可能性が
劇的に減ると思うんですね。
昨日ちょっと橋製造さんとお話ししたんですけど、
この辺を、
単に理解ではダメなんで、
実践していただくのはいろいろと
困難がつきまとうだろうなと思っているんですけど、
例えば、
時間が大事だという正しさがあるわけですね、
私たちの中に。
これを手放してしまえばですね、
時間がかかりそうな仕事を前に
躊躇する理由はなくなるんですよ。
こういう作りで、
私たちはあまりにも多くのものを
大事がっているためにですね、
仕事ができないわけですね。
で、時間を失わなさそうなことを
代わりに従うと。
これが正しさに従うということなんですよ。
正しさというのは、
必ずですね、外から教え込まれるものなんです。
私が母に教わったようにですね、
外から教え込まれるので、
内側から湧き上がってくることは決してない。
だから内側から湧き上がってきているものって
多分正しいという感じを持たないので、
しゅはりとかって言うじゃないですか、
私あれ好きじゃないんですよ、
途中この番組でも言ったんですけど。
すごくこうですね、最初、
外から何かを教え込むんですね。
で、芸道みたいなのはしょうがないと思うんですけど、
例えば私スキーやってたときに、
これも前にお話しした通りなんですけど、
良くないなって思うんですよ。
こう止まり方とかね、曲がり方とか、
こういう形で教えていくのって、
これしかできなくなっちゃうんですよね。
簡単に曲がれるようになるから。
あの、私本当に一回だけ習ったすごい先生がいて、
スキー板を誰も乗せないでですね、
こう坂から流したんですね。
それ見たとき、なるほどと思ったんですよ。
スキー板ってのは滑り方を完璧に知ってるんですよ。
乗っかっていればいいわけですよね。
あれを曲げようとしたり止めようとしたりしなければ、
完璧にコントロールできるんだけど、
私たちはただ怖いから、
正しい滑り方とかいうやつを学んじゃうわけですよね。
そしてそれを上手くなればなんですけど、
その滑り方では、これおかしいんですけどね、
正しい滑り方では滑れないところに行ったときに、
その正しい滑り方は捨てなきゃなんなくなると。
これが手張りなんでしょうけど、
私これ無駄だなって思うんですよ。
長い時間かけてやっと学んだものを、
もっと長い時間かけて大体の場合は捨てていかなきゃ。
それできないんですよ、大概の人は。
途中で嫌になっちゃうんですね。
あれなんかもっと他にやり方ありそうなもんだと
12:03
ずっと思ってるんですけれども、
よくわかんないんですけどね。
この流れの中で私が捨てた大きなものとして
姿勢っていうのがあるんですよ。
人前でいろいろあるんでね、
姿勢、正しい姿勢って言うじゃないですか。
本当あれダメだなと思ってて、
私最近全然風邪ひかないし病気しないし、
アトピーまで出なくなってるんですけど、
もう姿勢を捨てたんですよね。
姿勢という言葉自体を捨てようと、
あの言葉も好きになれないんですよ。
姿に勢いっていうやつね。
捨てて、好きなっていうか、
もう考えるのやめようと。
昔蔵野さんがですね、
なりなさい自分で、
あの言葉大変面白いとずっと思ってるんですけど、
なりなさい自分で言うのが本当に私には多くて、
最初に母から教わっちゃったじゃないですか、
お金の貯められる私になりなさいと、
しょうごくんになりなさいと。
ずいぶん頑張ったもんだよね。
で、母はやっぱりその自分の教えに従って、
一生懸命頑張ってきたわけですよ、
そっち方面。
あんまり得意なわけでもないのに。
最近全くやってないですけどね。
ここなんですよね。
本当にやりたいわけでも何でもないことだったわけですね。
で、正しい自分になりなさいという中で、
正しい姿勢って本当によく言われますよね。
子供の時から。
この種の本もよく売れるし。
もうこれ完全に捨ててみたら、
予通なくなったんですよね。
肩こりもないんですよ。
この正しい姿勢を一瞬でも意識したら、
即やめるっていう感じでいるんですね。
日本人これ本当好きなんですよね。
どういうわけなのか。
やっぱり日本人の特徴に、
肉体美っていうものにすごいこだわるなというのが感じます。
アメリカ行った時、
つくづく思ったんですよ。
日本人というのは見た目の綺麗さに、
特に身体の綺麗さに厳しいと。
アメリカ人というのはこれには相当ゆるいんで、
やっぱり楽ですね、向こうに行くと。
思い出してみると、向こうにマッサージ屋さんとかないのに、
結構私が一日中座って英語読んでいても大丈夫だった。
姿勢に対する意識の向け方を遥かに弱めたというのが、
偶然ですけど完全に良かったんだろうと思うんですね。
本当に良くないなと、
寝てる時まで気にしかねないじゃないですか、我々って。
これをやめたのは大きかった気がするんですよ。
僕の割と原体験的にあるのがスキー板で、
乗っかってないわけですからね、誰もね。
姿勢も何もないわけですよ。
板しかないんですよ、そこには。
これが一番理想的な滑り方なのに、
15:00
上に向かって、こうして、ああして、
姿勢を良くしてってやるのが、
良いとは思えないんですよね。
もしそれをやるんだとすれば、やっぱりそれは、
結局最終的にはただ乗っている状態という姿勢を目指すしかなくて、
それって多分ですね、外からじゃ分からないんですよね。
自分の中で決めることでしかないと思うんで。
だからここにですね、自分は、
個性ってものに進む以外ないと思うんですよ。
仕事の話に戻るんですけれども、
私が仕事をするわけじゃないですか。
私がするんですよ。
この際に早くやるのが正しいとか、
ショートカットキーを使うのが正しいとか、
音声入力が正しいとか、ないんですよ、そんなものが。
あるわけがないと思うんですね。
だから迷うということが起きたら、
すでに間違っていると思うんですよ。
私たちは迷うからチェックリストを書きましょうとか、
タスクリストを書きましょうとかって言うんだけど、
そんなはずないんですね。
迷うわけがないと思うんですよ。
だって迷うということは、
すでに何か外からの影響を込むっているはずだと思うんですね。
今はそれをやっている場合ではないとか、
それって外から言われることですよね。
そういう文章では人にこう言われるとか、
これは完全に外からの話ですよね。
迷わないと思うんですよね。
その仕事をするときになって、
その仕事をどうするかで、
私の内的な何かはきっと迷いなくそこにあるはずだと思うので、
特に仕事に際してはですね、
正しさというものを一旦すべて捨ててしまう。
そのときになってですね、
でも急にできないんですよ。
時間大事だと日頃ずっと思っているのに、
急に仕事をやるときだけ時間の大切さを捨てましょうって無理なんで。
だから私は日頃から時間というものを大事にしない。
できればお金というものも今みたいには大事にしない。
姿勢はもう完全に無視しているんですけれども、
朝起きる時間は早いほうが正しいとかそういうのを
実際にやめていくと、仕事にいざ向かうときにですね、
余計なノイズが、正しさはノイズでしかないので、
ノイズが私を邪魔しなくなるんですよね。
こうなると、そこで迷ったり先に送ったりするという気持ちが
沸き上がってこないんですよ、面白いことに。
先送りしないのは正しいっていうふうに思っているじゃないですか。
それもかかわらず先送りするんですよ、正しさのせいで。
それは結局何かを大事にするからなんですよね。
いっぱいありますよね、私たちは。
時間もそうですし、体力も温存したいし、
後でやりたいことが他にあるからね、という正しさがあるじゃないですか。
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後でやりたいことも全部、最近ライフハッカーにあったんですよ。
仕事も私生活もやりたいことを諦めない。
あれ正しさですよね。しかも外から登場してるじゃないですか。
ああいうものを取り込むことによって私たちは
また仕事を先送りする可能性を一つ増すんですよね。
こう考えていると、見るとすごいですよね。
ものすごい膨大な危険なことを大量に取り込んでいると思うんですよ。
私だから、極力自分に不安感と正しさを同時に植え付けそうなものは
読まないようにしているんですね。
本であれ、ツイッターであれ、記事であれ、何であれですね。
そこに多少はどうしてもあるわけですよ。
正しいお金の使い方をしないと危険ですというのはしょっちゅう見ます。
正しい時間の使い方をしないと人生を無駄にしますとか、
正しい姿勢でいないと体を悪くしますとか、そういうやつですよね。
そういうのを全部捨てていく。
そうしないと自分の中でそうするのが自然だというのが
何なのかが分からなくなってしまうので、
現に私はさっぱりそれを分からずにやってくるという
非常に無理なことをしてきたんですね。
全部正しさで固めると。
正しいやり方しかしないんですよ。
それこそショートカットキーで文章を打つとか、
正しい感じがするじゃないですか。
でもそうしたいのかどうかは全然別の問題なんですよね。
私の手とか刀、本来どうしたいのかということは。
これが大きかったと思うんです。
もう一つは、世の中で流通している強烈な正しさに早起きというのがあるんです。
僕はこれを概ね捨てたんです。
僕にとって6時過ぎは早くないのでね。
4時起きとかしてましたからね。
あれ一体何なんだろうと思ったんですよ。
2時間例えば朝読をするとかっていう正しさがあるわけじゃないですか。
ここには不安があるんですよね結局。
まず人より多くを寝ていたら損するんじゃないかという
つまらん不安があるわけですよ。
もう一つ、他人に煩わされないという安心感があるんです。
これ逆に言うと他人が怖いってことになっているわけです。
これも非常に良くなくて、他人が怖いと
こう言いたいんですよ私は。
早起きをするとか朝活をするということはいいと思うんですね。
ただ早起きをすることが正しいになったら注意信号だと思うんです。
早起きをすることが正しい。
なぜならば他人に煩わされない時間が大切だからになったら
赤に近いと思うんです。
アウトに近いと。
なぜならばそこには動機付けとして恐怖感がある。
21:03
これは柔らかいけれども対人恐怖だと思うんですね。
この対人恐怖が温存されるじゃない。温存されるというか強化されますよね。
朝早く起きるということは多分誰にとってもかなりのパワーを要するんで
そのパワーを使って自分の恐怖を固めていく。
そういうことをするとですね。
朝頑張って苦労して辛い思いをして起きると
自分はすごく正しいことをやっている気がする。
実際に人に煩わされずに自分がやりたいことをやれていく。
すごく静かだし穏やかな気持ちで進められる。
ここには当然反対の面として
他人ってのは嫌でノイズで恐ろしいものだという気持ちが入ってますよね。
それに煩わされないということが報酬であるならば
それが煩わすということはとても嫌なことだっていう
ネガティブな強化師って言うんですけどね。
負の強化師だってことになりますよね。
つまり他人は負の強化師なわけですよ。
避ければ避けるほど良いものになっていく。
そうすると
やっぱり柔らかく対人恐怖ですよね。
この感情を持つことがなぜ仕事の邪魔になるかというと
仕事って他人に対して多少捧げるものじゃないですか。
だからだと思うんですね。
他人が一切介在しなければ仕事ではないじゃないですか。
ということは他人が介在するということが確定している仕事については
これはもう意味のない形容詞ってやつで
他人が介在するに決まってるんですけど
全てどこかしらノイジーなものになってるはずなんですよ。
他人が恐怖なんだから
こう考えればすぐわかると思うんですよね。
虫が嫌いな人が虫でいっぱいの調理場で
調理する気になるかどうかと。
非常に嫌ですよね。どうしてもしなきゃなんなくても。
できれば先送りしたいじゃないですか。
私はこれをやってるんだと思うんですよ。
正しさにまみれながら仕事をするということは
正しさの反対側に負の感情がおそらくあるので
私の母がそうだったようにお金を失うということを大変恐れる。
これはですね、お金を使うということが負の感情とまみれてるわけですよ。
貯蓄だけが大好きなわけですよ。
貯蓄していたいわけだから消費って悪いことじゃないですか。
そうすると消費をするたびに何か先送りしたくなるし
気が重くなると。非常に邪魔ですよね、この種のことって。
でも大体正しさは負の教科書を含んでる。
どうしてかというとそれは自分発じゃないからなんですよ。
24:00
プログラミングの勉強をしておこうと。
しておかないと他人に遅れを取るとか
一歩遅れると他人に冷笑されるとか
そんなことも知らないのかと思われるとか
良くてですね、いざ便利なことができそうな時にその機会を逃すとか
結局でもそこにはマイナスの何かがあるわけですよね。
だから勉強すると。こういう理由ばっかりになっていくと思うんです。
こういう理由になればなるほど早起きすることによって
仕事をする時の邪魔になるという
よくわからないからくりを自分の中で育ててしまう。
現に私は早起きを捨てる。
つまり人が起きてる時間にならなければ起きない。
そもそも人に煩わされるっていう発想自体を
グッドバイブスみたいに依頼を受けたらすぐやる。
あれの何がいいかといって依頼を受けてたらすぐやるということはですね
依頼を受けることすなわち悪だという感情と決別できるじゃないですか。
依頼を受けるということが悪だということになると
依頼が来るたびに嫌な気持ちにならなきゃいけないわけですよ。
それがどんなに素晴らしい依頼であっても。
まして依頼を受けた時に途端に報酬が手に入るとは限らないわけですから
依頼の報酬は善だけど
依頼そのものは悪であるっていう感じをずっと持って仕事するのって
やっぱりさっきの調理場と虫みたいな関係になっちゃうと思うんですよ。
そこに善悪が入り乱れるわけですよね。
この場合の悪ってのはすごく厳しいものだと思うんです。
自分の内的なものなので。
内側から自分を邪魔してくるわけですから
外から何にも邪魔が襲ってきてないのに
内側の何かをえぐってくるようなもの
あるいは浸食してくるようなものによって煩わされると。
僕はこの感じがあるんじゃないかと思うんですよね。
タスクをやりたくないという時に
仕事をやりたくないという時に
そこに迷いが生じるという時には
内側から浸食されるような
これをやって何になるんだろうみたいな
それは内側から来てますよね。
自分の思いだと思うんですね。
これをやると時間がかかるんじゃないだろうかって
それっておかしいと思うんですよ。
だから何なんだろうって思うんですけど
あれは多分そのことその言葉自体が問題なんじゃなくて
その時に発生している強い負の感情が
すごく自分を縛っていると思うんです。
私が昨日の記事で結局書いたのは
そういう縛りというものが一切ないならば
ゲームをやるように仕事をするというのは
何にも苦労がないと思うんです。
27:01
ゲームをやる時って
私昨日もやってて思ったんですけど
モチベーションが高まっているわけじゃないんですよね。
ただふっと入れるものだっていうだけなんですよ。
今のこの年になってみると
大変ワクワクして
ゲームだみたいにならないんですよね。
別にやる時にも。
そんなに感情で仕事に入るのは
そう難しいことではないと思うんです。
何が難しいかといえば
正しくやろうとすることですよね。
ゲームはこれがないんですよ。
正しくゲームをしようなんて
思わないじゃないですか。別に。
特にそれほど難易度の高くないゲームであれば
正しいゲームの仕方も何もないですよね。
やりたければやればいいし
辞めたければ辞めればいいと。
このスタンスで仕事をした方が
我々がゲームに良いに向かえるところから考えても
良いだと思うんですよね。
正しくゲームをしようとか
考えないように
正しく仕事をしようなんて
考えなければいいと思うんです。
そのためにどうしても
事前、最初から
正しさというものを
日頃からですね
捨てられるだけ捨てていく
ということをしていった方がいいと
自分は思うんですよね。
そうすると行動が残酷になったり
リポが違うと犯罪的になるんじゃないか
と思われるのかもしれませんけど
もしそう思うならば
法律だけは一応
念頭に置いておけばいいと思うんですけど
実際にはそうはならないですね。
私もこうやって
GOOD VIBESで1年以上やってたけど
だから
急に
犯罪に走りたくなったとか
いうことはないですし
行動が犯罪的になったということもないです。
朝起きるのが1時間半ほど
遅くなったりはしてますけどね。
最後に
私はずっと島島の
パートナーとして大橋哲夫さんとやってきてるわけですね。
途中
というのも変ですが
GOOD VIBESを知って倉津野圭三さんとも
一緒にさせていただくようになって
この2人見てると
本当に
私の目からですよ
大橋さんは
今はそんなに早起きされてないかもしれないけど
比較的早めにフリーランスとしては起きられている
倉津野さんはそもそも
朝起きない人ですから
真逆なわけじゃないですか
多分その他
いろいろな理由も
いろいろなこともあって
大橋さんは家計簿という域を超えるほど
きっちりお金を管理されている
と思うんですけど
倉津野さんはその辺のことを
理解されていないような気がするんですね
いろんな意味で
現代の
価値観からすれば
特にライフハック系でいえば
大橋さんのほうが正しいでしょう
私は
この2人を比べて
どっちが正しいやり方なんだろう
30:00
って考えるのは
すごいナンセンスだなとしか思わないんですね
どっちかを採用する理由はないし
まして本人たちにとっては
お互いのやり方のほうに
合わせる理由もないと思うんですよ
こう考えるのって自然じゃないですか
具体的な例を今出したんですけど
倉津野さんが大橋さんに
ぴったりならなければならない理由はないし
逆もないですよね
大橋さんが朝起きるのやめようとかするからといって
それによって何を得られるという感じも
全くしないんですよね
私には
どっちでもいいと思うんですよ
これを個性というわけじゃないですか
なぜこれなのに
急に抽象的な話になると
正しいやり方に
自分を揃えたくなってしまうのか
具体的に見れば
大橋さんと倉津野さんの
どっちが正しいかを
私はそう考えること自体
並べて考えること自体が
意味がないと思うんですね
ベースが違いますから
年齢も違いますし
やっていることも違いますし
考え方も違うので
つまり個性が違うから
違うじゃないですか全てが
何ら問題はないですよね
なのにどうして
抽象的な話を持ち込んで
急に正しい姿勢で
正しくお金を管理して
その話になったときには
そっちに合わせた方が
いいような気っていうのが
急にするんだろうかと
他人に
他人と入れ替わるということが
不可能なのはみんな知っていて
しかも例えばライフハックの
人たちなんかは
多分個人主義的だと思うんですよ
人は自由に生きるべきだと
思っていると思うんですね
ショートカットキーを覚えなければならないとか
例えばですけれども
朝早く起きなければならないとか
朝活をしなければならないとか
急にこうますと
はどべたみたいになってしまうのは
どうしてなんでしょうかね
32:17

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