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2020-09-01 31:59

【GMV 216】人はなぜ「キレる」のか?

キレるのも、キレそうになるのも、もとを正せば不安と恐れ、なのですが。
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おはようございます。グッドモーニングバイブスです。
えっと、昨日ですね、タブサ・エイコさんというエッセイ漫画家の
キレる私をやめたいというコミックを読んだんですね。
この本はそれ単独で十分
詳しく書かれていて、この種のコミックはですね、詳しく書かれているというところが一つのポイントだなと
時々読んでは思います。 なるべくリアルに忠実に、それに何の意味があるのかっていうのが
はっきりと分析できなくても、ついこう、モトカキは、漫画家の人もそうだと思うんですけど、分析しきってから書きたいっていうのはあると思うんですが
多分、リアルな描写ができていればできているほどですね。
やっぱりいろんな、後の分析にむしろマッチするので、
とりあえず、忘れないうちにというのかな。
実体験を、他に省かずに書き込めるかが
大事だなと思います。読んでて、やっぱり実体験なところは一番こう
なんていうんですかね、やっぱりでも有益なんですよね。 読者として得られる情報としては。
で、あの、まあ切れるんですよ。
普段は温厚だっていうふうに書いてあって、そうなんだと思うんですけれども
この種の話ってよくあるじゃないですか。少ないに夫をグーで殴るっていうのがあるんですけど、
それだけが問題じゃないんですね。 一番
興味深いと思ったのが、 夫を殴った後で
警察に電話するんですよ。DVを受けたと。
まあ、若干夫が抵抗したということがあったんですけれども、
基本的にこれはすごいびっくりだなと思ったんですね。
殴っておいて、
DVを受けたということで電話をすると。 電話して警察が来ることを、
来るわけですよね。百刀番通報だから。 想像して
非常に恐ろしくなって、 家から飛び出して、何とか警察を家に来させまいとするという
シーンがあるんですね。 しかも
まあ本当に警察来ちゃうんですよ。しかも2人も来ちゃって、
いやいや帰ってくださいと。
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暴力受けてませんからと一生懸命言うんですけど、それの通りいいダクダクと警察は帰れませんよね。
本当に言わされているのかもしれないし、いろんな可能性があるので、とりあえず家には行きますっていう話になって、
もうすごくこう、
気が動転してですね、何としてでも警察を帰らせようとするっていう展末があるんですね。
で、まさにこういうことなんだな。切れるという言葉と。
何回も切れる描写があるんで、大変わかりやすいんですね。
何がどうわかりやすいかというと、 グッドバイブスを知っていると大変わかりやすいんですよ。
もちろん田草英子さんっていう、これは漫画家の人なんですけど、田草さんはグッドバイブスなんて知らないで描いてるわけですね。
なのでというのか、そうは言ってもこのぐらい大変なエピソードがあち、いろいろ入っているぐらいだから、
後ほどいろんなカウンセリングとかを受けられるんですよ。 最終的にはゲシュタルトセラピーという、これもですね認知コード療法の
原型みたいなもので、そっちはそっちでまた独自の発展を遂げている心理療法なんですけど、
多分お読みになればわかる通り、非常にグッドバイブスとまた共通点がたくさんあります。
で最終的にはですね、この話は母との確執にやっぱり行くんですが、やっぱりってやっぱりこのパターン多いですからね。
ただその母との確執っていうのも間違いなくそのアプローチは正しいわけですよ。
ただ、美容によってはこれは男女問題でもあるわけですよね。 夫に問題がゼロじゃないので、そんなことを言えばですね、
結婚相手の問題が一でもあれば全部ダメって話になったら、結婚なんて成り立たないですけれども、
夫との問題もないわけじゃないんですが、このケースではですね、夫はそれほどこう
最重要キャラではないんですね。なんといってもその絵の描かれ方でわかるじゃないですか。
夫はかなり雑に描かれてるんですよ。やっぱりお母さんが問題なんですよね、彼女のケースでは。
そういうふうにいろんなアプローチがあるんだけれども、
これは私が読んでて思ったのがですね、グッドワイブスは
なかなか汎用的だというのが一つのアドバンテージかなと。
キレるのは、この場合はお母さんが間違いなく問題の原因になってるんだけど、
キレる原因というものを考えた時にですね、アプローチによって見えてくるものは違うわけですよね。
多分このフェミニズム心理学ってあるんですけど、そっちからいけば間違いなく夫にフォーカスが当たると思うんですよ。
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それはそれで間違ってはいないんだけど、多分夫にフォーカスを当てた場合、得られる効果はタブサさんの場合はかなり少ないなって感じがします。
しかも離婚に至りかねないパターンなんだけど、離婚の意思はお互いないのでこのアプローチはすごくこう
ちょっともったいないアプローチではあるんですよね。 最終的にはかなりいい感じの関係になっていたし、その方が多分
タブサさんのケースではメタだったと思うんです。 やっぱりお母さんとの角質で、お母さんとの角質って話になってくるとゲスタルトセラピーなんかでも
もちろん取り扱いますけれども、古典的な心理学ですね。親子関係に
難しさがあったと。 非常にこれも典型的なんですけど、お母さんが何かにつけてダメ出しをすると。
そういう自分はダメな人間なんだという 自己イメージを背負って、それが切れることのきっかけを作っている。
この図式って非常によく耳にするし目にもするんだけど、これだけ聞くとよくわからんですよね。
なぜ自分がそんなにダメだと思い込んでいると。
インナーチャイルドとかいう表現もありますけど、そっちのアプローチもまた別途ありますが、自分の特に子供の自己イメージが大変
愛されていないと思うと切れやすくなるみたいな話なんですけど、なぜそれで切れるのか、という疑問が湧くんですよ。
その辺が非常に酷明に描かれているというか、わかりやすく描かれていて大変面白かったわけです。
グッドワイブスならばこのアプローチも取らなくはないんですが、多分
恐怖感という方に着目しますよね。 私はこの方が汎用性があるなと思うんですよ。
例えば私の場合、私は切れるということはないけれども、やっぱり田口さんのうんと弱くしたような
ことがしばしば起こるわけですね。言われたことに対して必要以上に過剰反応してしまう。この過剰反応の大きさによってどこかから先が切れるという表現になるわけですよ。
私は過剰反応しても人を殴らないですけど、過剰反応すると音を殴る場合は
切れるという表現になると思うんですね。この過剰反応の部分に着目する考え方もあるじゃないですか。
それがHSPというやつですよね。過敏だと、自分はそう非常に敏感で繊細だから、こういうちょっとした一言にも深く傷つくんだというアプローチですよね。
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この話とその他に発達障害的なアプローチも似てますよね。
いろんなアプローチがあるわけですよ。似たようなところに行き着くんですけど、この田口さんの場合はほぼ間違いなく
HSPから言ってもお母さん出てくるはずだし、発達障害で言えばもちろんお母さん出てくるはずだし、どうしてもそこに行き着くんですね。
で、グッドバイルスだけがちょっと違うと思うんですね。お母さんは出て見えてくるはずなんですが、
恐怖心にむしろフォーカスするはずだろうと思ったんです。さっきのですね、警察に電話というのが
やっぱり非常に一番象徴的で、警察に電話するのは怖い時じゃないですか。
一体何が怖いのかわかんないんですよ。 だって殴ったのは自分なんで、自分が怖いからって、自分が暴力を犯しそうだから警察に電話するっていうアプローチ取らないと思うんですね。
怖いというのはですね、イリュージョンなんですよ。 お母さんがそんなにものすごい怖いのかというと、お母さん怖い人じゃないですね。
ひたすら嫌味を言ったり、怖いくもあるんだけど、とにかくひたすら勉強させると。
なんで勉強させるのかというと、娘の将来が怖いからなんですね。 このアプローチはグッドワイブス的だと思うんですよ。
つまり、切れるのであれ、なんであれ、異常行動が見えたら、そこに背景には恐怖があると。
夫殴っておいてDVを受けましたと言って、百刀板してその警察が来ないように家から飛び出していって、
必死に叫ぶというのは全て正常な行動とは思えませんよね。 つまりこれは怖いんですが、何が怖いのかというとですね、
タブサさんの場合は自分がダメ人間だと言われるのが怖いんですね。 この恐怖が絶望的に高いので、
時と場合によっては百刀板までしちゃうというレベルに入るわけです。 これは本人にならないとわかんないです。
なぜ自分がダメ人間だと言われる恐怖感から百刀板通報に至るのかというのは、多分ですね、よっぽどその恐怖感が極端なものでない限り、
合理的には辻褄が合わないですね。 でもいろんな場面でやっぱりそれなりに辻褄は合っているわけです。
将来への恐怖がもちろんあるんですけど、それがあったのはむしろお母さんですね。
ご本人は将来への恐怖よりも何よりも、今今今今自分がダメ人間だと言われるということが怖い。
その中でも一番私が、やっぱりこのシーンも大変興味深いなと思ったのが、危うく子供に暴力を振るいそうになると。
普段は温厚なんですよ、このお母さんはね。 だから非常にこう普段は温厚ということの意味は、表現は問題があるなと思うんだけど、
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子供、子供っつったって多分あれは0歳児か1歳児ぐらい。 1.2歳児とかそういう感じの子に暴力を振るいそうになる。
なぜかというと、怖いからなんですが、何が怖いのか、その子供の何が怖いのか。
子供が怖いんですよ、こういうケースではね、やっぱり。 自分に恐怖心を与えた存在にその恐怖心を何とかしろというのが、
つまり取り除けというのが理不尽な、理不尽ですからね。 幼児に殴るというのは、殴られた幼児にしてみれば。
その幼児は何を言われているのかというと、恐怖心を取り除けと言われているんですが、何の恐怖かというとやっぱり同じなんですよね。
私をダメ人間だと思っているだろうと、この表現はですね、漫画に書かれています。 ここ書かれないと多分読者わかんないと思うんですね。
危なかったと、この子を殴っていたら、私は自分をダメ人間だと思っている人間を一人増やすところだったという表現があって、
非常にあれはグッドバイブスを知っている人には分かりやすい文脈です。
多分あれ、この漫画が初見だったら、私かなり考え込まないとわからなかったと思うんですね。
子供が自分をダメ人間だと思うと、この恐怖感はですね、私には全くなかったものですね。
2歳児とか1歳児だった子供の娘が、私をダメ人間だと思っているから、娘に理不尽なことをするという発想は、発想自体が全く思い浮かばないものだったので、
なるほど、子供への暴力というのは様々な理由があるんですけれども、
畳ではなかなか了解されないというか、納得されない、理解されないものに違いないとは思いました。
あれ、書かれなければ、あのシーンからでは非常に分かりにくいし、グッドバイブスを知らなければ、
あのシーンからは分かるはずなんだけど、十分情報はありますけれども、それでも分かりきらないかなという感じがあります。
でですね、この恐怖があそこにもあるという、ただそれだけをフォーカスすることの良さはですね、
抽象的になる面もあるけれども、汎用性がやっぱり高くてですね、一般化しやすいんですよ。
どんな人にでも、どんなケースでも、かなりよく成立する。
私は例えば、母にそれほどひどいことを言われて育ったわけじゃないし、
母との確実が原因でもないし、そもそもキレるところまではいかない。
HSPではないし、ADDとかでもない。けれどもですね、やっぱり過剰に反応しちゃうことはあるんですよ。
なんかちょっと妻に言われて、こうカチンとくる。そして言い返す量が多いすぎるとか、そもそも言い返さなきゃいいわけなんで。
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で、これは
なんていうのかな、
今のような全てのアプローチではぴったりと当てはまる。人はいくらかは分かりますよ。
昔、母に言われて、自己肯定感ですか?それが高くないと。
高くないと言われれば高くないかもしれないし、繊細なところがあると言われればそうかもしれないんだけど、
どうしてもそのレベルまで達してないんですよね、自分は。多分恵まれてるんですよ、そういう意味では。
で、なので暴力を振るうとか、怒鳴り散らすとか、キレるということはまずない。
逆当番する人の気持ちに至ってはよく理解できない。
なってくると、自分の場合は何なのかと考えるとですね、もっと簡単なんですよ。
恐怖なんですね。ダメ人間だと思われる恐怖じゃないんですよ、私の場合は。
私の場合はただ注意をされているうちに、自分が
まあ、昔は特に思いましたが、
2つあって、1つは疲労感が増すと。疲労感が増す理由ははっきりしてるんですね。
コルチゾールが出てくる。怒らなければいいんだけど、反応として怒っちゃうと。
で、このコルチゾールが、私の場合はもともとそういうのが多分、何らかの形でですね、これはそれこそ親との確実かもしれない。
あって、必要以上に分泌しやすい。これは理屈としてはあるんですよね。
HSPっていう風に感じられている方も多分これ多いと思います。
最初から身構えているようなところがあって、
反応が、反応、つまり身体反応が早いんですね。早いし簡単なきっかけですぐ生じるし、
もしかするとですね、身体反応を起こす予感めいたものをいつも持っちゃっている。身構えているってことですよね。
で、そのおかげで、必要以上に注意されると疲れる気がするんですよ。
だから、体力、気力、注意力を奪われる。ついでに時間も奪われるような気がして、ここに恐怖感があるんですよね。
で、何ですよ。恐怖感がある。話ちょっと飛ぶんですが、
ドコンジョガエルの娘という漫画がありまして、お父さんドコンジョガエルで超有名になった後、
描けなくなって、まあ転落人生みたいに描かれてるんですけど、その中でですね、お父さんがパチンコに逃避しちゃうんですよ。
で、このまま行くとすべての原稿が落ちて大変なことになって、
カンバックも絶対できなくなるから何としても連れ戻してこようみたいな、そういうシーンだったと思うんですよね。ちょっと記憶が曖昧ですが。
その時に、まあこの話は背景はともかくとして、お父さんパチンコへにいるんですが、
ちょっと待って、今確変入ったところだからっていうセリフがあるんですよ。確率変動っていうのかな。
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要するに、まあ大当たりでそうだから感ですよね。そこを娘が聞いてカチンときて、無理やりパチンコへから引きずり出すとお父さんがキレるんですよね。
あのドコンジョウカエル描いていたお父さんですよね。
キレて娘に暴力を振るというシーンがあるんですけど、このキレるは母親との確実とかいらないじゃないですか。
心の奥底を分析する理由、必要は全くないですよね。恐怖そのものなんです。どういう恐怖かというと、確変が無駄になる恐怖ですよね。
だから恐れと不安なんですけど、で、お父さんキレてる。タウサさんの場合には自分がダメ人間だと思われると、そういうふうに思い込ませてきた母親のことを思い出して、
夫の何気ない一言でもキレちゃう。全く同じ理由。理由は全然違うけど全く同じ原因。つまり恐怖ということになるわけです。
ホラー映画ってクラゾノケゾさんがブログで描かれたのが印象的なんですが、そういうことに限りなく近い。
確変がミスミス無駄にする恐怖というのはどういうものかは、私にはもう未経験ゾーンでわかんないんですが、
まあとにかくなんとなく、そのお父さんのブチキレぶりからすると大変な出来事なんでしょう、きっと。
そのやっぱり取り乱し方ですよね。キレるというのは取り乱しているのであって、怒っているのに違いはないんでしょうけれども、恐怖感。
理不尽に恐怖。理不尽なのは殴ったりキレたりしている方なんだけど、自分としては理不尽な目に猛烈に合わされているというところがどこかにあって、
百刀番通報するというのは、やっぱり人間としてはすごく象徴的だと思うんですよ。やっぱりヘルプを叫んでいるわけですよね。
確変から引きずり出されるというのも、多分ヘルプを叫ぶに値することなんでしょう。この両者はとにかく方やギャングル依存だし、
方や母との角質なので、例えばこれに対してHSPとかいう方向から攻めていっても、片方には当てはまっても、片方には当てはまらないみたいなことになってしまうんですよ。
こういったワイプスの良いところで、どっちにも簡単に当てはまるわけですね。恐怖があり、それを与えた人間に対して攻撃をすると。
それが例え一歳児であっても攻撃をすると。その一歳児に対する攻撃、確変が失われるということに関する攻撃はあからさまにイリュージョンですね。
ここまでは全部オーソドックスに説明が効くんだけど、ここにやっぱり男女関係とか結婚制度の問題みたいなのを持ち出すと、
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ドコンジョガイルの娘さんのあの問題に、確変から引き離された時にキレる方、一切説明がつかないですよね。
それは男女問題でも家庭問題でもDV問題でもないので、ついでに発達障害の件はあるかもしれないですけど、この際発達障害よりはギャンブル依存の方を遥かに問題にするべきですし、
多分この問題はみんなギャンブル依存ということになっちゃうと思うんですね。
ギャンブル依存と要育歴の問題というのが、恐怖でキレるという構図を持ってくることで結びつくというのが大事だなと思ったんですね。読んでいて。
恐ろしい目にあっているわけですよね。で、私たちはやっぱりそれがキレるということなんだなと。
キレられた方は常に、キレられた幼児の息子さんは、タブサさんの息子さんはキョトンとしてましたけど、キョトンとするしかないんだけれども、
やっぱり息子さんにはどうしようもないことですけれども、そこには恐怖を与えているという側面があって、それがどれほど相手のイリュージョンで増幅されたにせよ、恐怖を与えているという側面があってですね、
これに対して謝るのは理不尽だとか、この恐怖を取ってあげるのは、自分が犠牲になっていると考えるのは、やっぱり実に、なんて言うんでしょうね、現実を無視しているということなんでしょうね。
目の前にいる人は間違いなくイリュージョンで恐怖を増幅していて、ここに合理性とか正義とか一切ないんですよね。関係が全くないんですよね。
100等番通報しておきながら、警察を何としても家に入れさせないと努力している、あの様子にあれが描けてあるのは大変良かったと思うんですけど、あの様子を読むとですね、なるほどなぁと思います。
イリュージョンそのものなんですよね、戦っている相手は。だから警察が来てしまったら困るわけですよね。自分を攻撃した存在はそこにいないんで。警察というのはリアルな存在ですからね。
だからセラピーになったわけです。ゲシュタルとセラピーは非常に、今ではあまり有名ではありませんけれども、日コード両方が圧倒的に有名になりましたから、非常に実際的な手法で、
なんというかですね、この漫画にもその後ずっと出てくるんですけど、今ここにいるっていうやつを非常に強調するんですよ。
太郎さんのは非常に漫画家さんらしく、リアルにそれを表現されているので、ビジュアライズに表現されているので、非常に分かりやすくていいんですね。
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今ここというのは観念的じゃないんですよ。今私は葉っぱを見ているとか、そういうことをずっとやっているシーンが漫画で描かれているんですね。
あれにどういう効果があるのか、読んでいて多分非常に不思議に思われると思うんですけど、非常に太郎さんの場合は特にですね、強烈に効果があると思うんです。
頭が未来から解除される、未来に注意が全部持っていたのは一切停止することが可能になりますよね。
お母さんから譲り受けた恐怖心は全て将来への不安ですから、このままでは未来に一番よく懸念しているのが、これも不思議といえば不思議なんですが、夫に嫌われるということを恐れているわけですね。
目の前で葉っぱに集中している限りはですね、未来に夫に嫌われることを恐れる必要はないわけですよね。
旅行のスケジュールを組むシーンが非常にわかりやすかったんですけど、旅行のスケジュールというのは将来のことですよね。近い将来のことですよね。
近い将来においてその旅行のスケジュールを組んで素晴らしい旅行を夫としようと思ったんだけど、自分のミスでいろいろと狂うと、
そのことへの怒りがあまりにも強烈で、家中のものを投げるというシーンがあるんですけど、
それはまさに今ここと未来とのイリュージョン性というのかな。
そこに足を踏み入れるということが異常行動を生むという、非常にわかりやすいシーンでした。ウッドバイオス的にね。
ゲシュタルトセラピーでも最終的にはそこをかなり強調するので、特にやっぱりお母さんの恐怖ですよね。
この子はこのままいったらろくな大人にならない。その恐怖心がドリルいっぱいやらせるという行動に打って出るわけですよ。
子供は意味がわかんないので、大変苦痛に思う。ただ、自己肯定感だけが差がある。
ここだけを取り出すとどうしてもやっぱり母と子みたいになってしまうんだけど、
だから解決策が母と子の問題の解決、そのシーンもありますが、と並行して少なくとも、
今ここにいられるようになるということが非常に大事なんですよね。
確率変動のドコンジョガエルの作者さんも、何としても今ここから逃れたいので、
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彼はパチンコをしていたわけです。今ここで漫画を描かなきゃいけない。
彼の今ここはドコンジョガエルの原稿を落とさないことに全部かかっていいはずなんだけど、
それがあまりにも恐ろしい。これもやっぱり、物を描いて締め切りに追われて、
しかも売れっ子にならないと本当のところはわかんない感覚だとは思うんですね。
描けばいいじゃんって絶対みんな思うと思うんですよ。
漫画の原稿に関して言えば、サツタは吸ってるのと変わらないほど、
僕なんかほとんど1ページも読んだことがない漫画ですが、
それでも作者の名前も作品も登場人物まで知っているというほどの作品なんだ。
でもそれを描くということが非常に恐ろしいということになっちゃったんですね。
イリュージョンなんだけど、そのイリュージョンは強烈なので、
ひたすらハチンコに行くと。
これとひたすら未来のことを考えるということはとてもよく似ていると思うんです。
今ここが怖いんですよね、結局。
だけれども今ここが怖いとかいうことはないわけで、
梅の前にあるのは葉っぱとかなんで、これは本当にわかりにくいんですよね。
画家にでもらったような気分っていうんですかね。
梅の前のことから意識を逸らさないということが、
これほど簡単なことはないような気もするんですけれども、
私たちは気がつくとですね、例えば奥さんの機嫌が悪いと気がつくと脳内シミュレーションを始めるじゃないですか。
この後こう言うとああ言ってくるって、その瞬間に未来に入っちゃってますよね。
まだ起きてないどころか、いかにも起こりやすそうに思うかもしれないけど、
決してその通りには起こらないはずの何かです。
脳内シミュレーションをやっている人はみんな知っていると思うんですよね。
100%その通りに全てが再現したことなんてないんじゃないですかね。
だから完全にその時にはイリュージョンに入っちゃってるんですけど、
それをやめられないんですよね。
一番最後にタルタさんがキレる私をやめたい、一番最後にそのシーンが出てきます。
これが私にできなかったことなんだ。
自分が投げかけた問いに対して夫からの返事を待つということなんですけど、
待てないかったわけですよね。
待つ前にキレると。
何でキレるのかというと、夫から返ってくるどのような一言であれ、
自分にダメ人間の楽園を押すというイリュージョンが暴走するからなんですね。
それがキレるということなんだという作品で、
本当になるほどと。
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あれをああいったコミック一斉ではなくて、
本格的な劇画漫画みたいになったら大変いいなと思いました。
そうすると、あの作品だとどうしても、
よくあるお母さんが自己肯定感を娘に持たせない人の結婚生活における問題、
どうしてもこの文脈で読む。
もちろんその文脈でそもそも書かれているんだから当然なんですが、
実はあらゆるキレるということや、キレそうになるということや、
何か言われてカチンとくるという苦しみが続いているというあらゆるケースに
あの話はほぼほぼ当てはまる。
あれをですね、グッドバイオスを知って読むと大変いいと思うんですね。
今の書かれている通りのお母さんによって自己肯定感を打ち砕かれた人の
結婚生活の難しさという筋と、これが本筋だけど、
これをグッドバイオス的に読むとどういうふうに見えるかというのが
同時にはっきり見えてくるはずなので、大変有益です。
多分その二軸で見ると、どんなケースにでも同じようなことが
頻繁に発生しているということが分かって、
かなり対応の仕方ができるようになると思うんですね。
ゲスタルトセラピーは心理学の本で理解しようとしても、
今ではホイホイ出ていないぐらい、ある意味マニアックな領域になっちゃったんですけど、
あれほど実践に沿ったゲスタルトセラピーの
人の漫画を通じて知ることができるというのも大きなメリットだなと。
私なんかが割と仕事でやりたいことの一つがああいうことだったりします。
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