2023-03-14 46:01

【751】心のエネルギーは節約するほど減っていく

愛もリビドーも時間も
00:04
おはようございます。
ドモーニングボイスです。
やっぱりこっちの方が言いやすいということもあって、言い淀まずにパッと言えますね。
751回目だと思います。
僕あれですから、回数は通算回数だけしかもう考えていないんですね。
途中で名前がバンバン変わってるので、全部を1回目からにするとすごい回数が激減するはずなんですけど、
トータルの回数を喋ってます。
これもちょっと怪しい数字ではありますが、そんなに間違ってはいないと思うんですよね。
少なくとも700回は言ってるような気がします。
50回くらいさばよんでるってわけではないんだけど、700回くらいは言ってるはずですね。
751回目かどうかはちょっと微妙なところもある気がします。
このグッドモーニングボイスに戻してからというか、
なんといっても大きいのは今喋っているアンカーのマイクなんですよね。
これがあってから完全に元の体勢、つまり元の場所でiPhoneで収録するというところに戻ってくることができて、
やっぱりこれが一番楽だってわけではないんだけど、自由で。
これで喋ることさえできればかなりの収録頻度にはなるだろうと。
で、正直別に収録頻度にさほどこだってるわけではなくてですね。
毎日やるぞみたいに思ってるわけでは全くないんですね。
その日できればやったらいいやと。
できればしかもモーニングUから朝に配信できればいいやと思っているだけでして、
毎日やろうというわけではないですし、
これにも書いてましたけど一応そのフォトキャストの説明欄のところにもほぼ日でいきますっていう感じで、
僕にとっては日休日も平日もあまり変わりがないのでですね。
ここで2度寝したくなったら寝ちゃいますから。
朝の何時に収録するぞと決めてるわけでもありませんし、
あれなんですよ、それこそタスクシュートにすらですね、毎日リピートにはなってないんですよこのタスクは。
ほぼ日リピートみたいなそういうのはないけど、
つまりだいたい休日を中心に週6日という変則的なリピートを適当に組んでおいてですね。
出ている日でも出てない日でもやる気になったらやると。
これが一番やっぱり何をやるにしても都合はいいですよね。
とにかく散々私は言ってるつもりなんですけどね。
散々私は言ってる通り、事前に決めておいた通りに動くというのは、
1タスクたりとも僕は良くないとも今は思うんですね。
なぜならば一番気分がいい時の行動を決してそのようには取らないからなんですね。
例えば家族で食事をするみたいなのでも、
03:03
絶対に朝食をみんなで取るとかそういうのを決めてしまうと、
かえって辛くなると思うんですよ。
僕はやっぱりね、生まれてから今まで一番何の苦労もなく、
これをやれば必ず基本気分が良くなり、
しかもこれができるということはある意味幸せだと。
確信できる行動が一つ、僕は病弱だったけどいろんな意味でも
あらゆるところを勘案に入れてもそれは言えるというのが2つあるんですね。
1つは寝ることなんですよ、これが。
僕は不眠とかに悩んだことがないんですね。
寝て幸せでなかったって思ったことはないんですよ。
だから寝るのが惜しくて事前にいろいろやっちゃうってあるじゃないですか。
よく聞きますよね、ツイッター見ちゃうとか。
僕はあれ理解が全く実はできてないと思うんですね。
寝る前にツイッターを押してからじゃないと寝たくないって思ったことは、
僕は実はツイッターがこの世に登場して以来もないですね。
寝るのとツイッターを天秤にかけるなんてとんでもないと思うんですよ。
僕は続きが気になる漫画すら読み切れずに寝ちゃうんですよね。
要するになんていうんですかね、よかさ読めばいいやって思うんですよね。
そのように思うということが若いということなのかもしれませんけれども、
寝るのに対して何かを優先したいという気持ちになったことは
実はないですね。
だから結構僕は、今では全然違うんですけど、
昔セミナーするときのプレゼンってかなり僕は臆病者なんで、
やっぱりですね、橋哲夫さんに習った通り、
事前に全部喋ることは書いておくみたいなのをやってたんですよ。
これだけは終わらせないと寝れないかなと思ったんだけど、怖いから。
やっぱり翌日に準備しちゃうんですよね。
僕は多分そういう人間なんだなって思います。
どんなに恐ろしいと思っててもとりあえず寝るんですね。
寝るということは僕にとってはそういうやや至上の喜び的なところがあるので、
寝るのが嫌だって思うことはなかった。
そしてその寝るって行為は寝たくなったら寝るんで、
タスクシュートに書いてあるから寝るとかいうのは、
僕書いてないんですよ、睡眠に関しては。
寝てた時期もあったんだけど、書いてないんですよ。
だから寝るというものは事前に決めていないんですよね。
いつ寝るかってこと。
すべてはこれに準拠したいということです。
あともう一つはおしっこね。
すいません、食事中の人は本当、前回もそう思ったんですけど申し訳ないですけど、
これもね、いつ出るかわかんないじゃないですか、ある意味では。
僕はこれ事前に決めておいた通りにやるっていう人がタスクシュートにいたら、
これだけはやめといた方がいいと思いますね。
多分体に悪いですよ。
行きたくなったら行くでしょ、これはね。
06:00
ということは、僕はこれにやっぱりすべてのタスクは準じたいんですよね。
この通りにはやれないにしても、基本これに準じたい。
だからその気になったらそれをするっていうのが理想的だと思いますね。
そういうくだらない話はよしとしてですね。
お知らせをしておきますね。
これはもう、先日ね、ついに渋谷でやりたいってあれほど言ったおかげでなのか、
それとは別になのかわかんないですけど、早終わりにお一人様を申し込んでいただいて、
もうちょっと感激してですね。
渋谷にこの方がいらっしゃるということが決まったから、
もう渋谷でやることに僕は決めました。
これでいいやっていう感じになりましたね。
これだともう白黒トントンで交通費だと赤かなぐらいな勢いなんだけど、
そんなことはいいやっていうふうに思いました。
どっちにしても1000円とかですからね。
やっぱりですね、これと何の関係もない可能性も十分あり得るとは思うんだけども、
こういうふうに気持ちでやらないといけないよなとは思うんですよね。
3人だから気合い入れるとか、1人だから気合いが入らないとか、
そういうのって来る人には関係のない話ですからね。
どうしてもそういうのが全く無関係でできるかというと、
そうはいかないとは僕も思うんですよ。
今WBCやってますけれども、やっぱり第一回大会ほぼカンコ鳥に近い状態だった時代があったわけですよ。
というかそもそもWBC以前の世界の野球大会っていうのは神前自衛的なやつで、
人なんか全然入れやしないみたいな時代もあったんですよね。
そういう時にプロ野球の選手が本気を出してやれてたかというと、
今と比べて大リーガーとかも来ないみたいな感じでね、
みんなあんなにやってたかというとそんなことは絶対ないんですよね。
やっぱり数万人があのように土曜めから出せるパフォーマンスってあるんですよ。
そもそも昔の神前自衛はシーズン終了後にやってましたもんね。
秋も深まってきた頃に全ての選手が疲れ切った後にやってたんだけど、
今も春先にやっちゃいますもんね。
キャンプインの後で開幕の前という、ある種の選手にとっては最高のパフォーマンスが出せるタイミングでやると。
このタイミングで実はああいうのをやるのって問題があったと思うんですよ。
今もなくはないのかもしれないと思うんですけどね。
プロ野球は一応契約社会なんで、
一番パフォーマンス出せるタイミングで一番金が稼げることをしないっていうのは、
かなり稼ぐ人たちですからね。
問題あるんだと思うんだけど、
ああいうことができるってやっぱり盛り上がりっていうのは関係あるとは思います。
だけどもやっぱり僕の場合は数万人とかを相手にするっていう仕事ではないわけだから、
やっぱり3人なのか10人なのかでパフォーマンス変わるようではいけないような気がします。
09:05
変わらないですけどね、最近は。
だから久しぶりにそういうことがあったからいいなと思いました。
とりあえずお一方渋谷にいらっしゃい。
これは結構僕は表現としてエモいってありますけど、
ああいうところがまだ僕の中ではなかなかうまく消化しきれてないところがあるので、
表面的には多分人には伝わりにくいと思うんですけど、結構感動するんですよ。
こういうことが起こるとですね。
そういうわけで、よかったなと思いまして渋谷でやろうというふうに決めました。
のでまだですね、当然残席は割とわんさかありますんで、
これを言うともうなんかこうまたダウナーになっていくんですけど、
ダウナーにはならないんだけどね。
なんかこう盛り上がる言葉じゃないですけど、
4月1日は嘘じゃないのでよろしくお願いしたいと思います。
今ですね、ちょっと違うんですし、
まだ少しその前にこの話もしておかなきゃいけなくて、
J松崎さんとやってるですね、100日チャレンジの第3期募集をかけていて、
今その認定トレーナーの方と一緒の活動というのが増えているんですよ。
また少し言うと広めるという方ですね。
この活動に関しましてもですね、いずれは一般公募になっていくと思うので、
その辺もぜひ、ちょっとねこれも高く感じるかもしれないですけど、
かき上げ塾と同じで、これは広めていく中で、
いわゆる協会がサポートバックアップする形で、
認定トレーナーの方がビジネスまですぐにいくかわからないんですけど、
収益は上がるようにJさんがですね、私が考えるよりもそういうことはJさんとか、
いわゆる事務方で多分ですね、
広報で一番激しく動いてくださっているのが大橋哲夫さんなんですけど、
この2人でやってるから全然収益上がらないなんてことはないんですよ。
真剣にちゃんと集めてやろうと思えばですね、
すでにまだベータ版なんだけどゼロ規制という方々がそれなりに活動していただいて、
多分タスク集と協会的な活動で収入上がり始めている方もいらっしゃるんじゃないかなと思うんですね。
だからそういう意味でこれはそんなに高いものではないと思うんですよね。
協会ビジネスって言われている、そういう考え方から考えるとですね。
あとタスク集とユーザーはこれはもう逆に、よくJさんもおっしゃるんだけど逆になっちゃっていて、
本来はそういう広める人がどんどん広めることによってユーザーが増えていくという形なんだけど、
かなりユーザーが増えて、しかもしばらく放置されてたわけじゃないんだけど、
12:03
しばらくユーザーが増えたメソッドも多くの人が知ってから協会ができていくというですね、
急遽作られていくという、そういう意味では逆になっているので、
人が全く集まらないということはないはずです。
もちろんあれですよ、パッと作ったブログにパッと載せるとどんどん来るっていうような、
そこまでの知名度はタスク集とにはないと思います。
7つの習慣とか、まして何か有名な宗教とかじゃないかとね、
多分知っている人の方が遥かに少ないことに違いはありませんから、
そこのところをタスク集と協会でバックアップすると、
それは当然タスク集と協会の方にはユーザーさんというのとつながりがございますから、
そういうふうに考えていただくとよろしいんじゃないかなと思いますね。
だからそのために一番一般に公募されているのが100日チャレンジの、
特に一般公募、つまりタスク集とユーザーでなくても、
これは集うことができるというコミュニティがあるので、
これもすぐなぜかいっぱいになってしまう。
なぜかというのがやっぱりユーザーさんはそれだけいたのに、
今までこういうものがなかったからいけなかったとは思います。
多分ですね、タスク集とユーザー向けのは間もなく締め切りになると思います。
もう明けて2日くらいしか経ってないんですけど、申し訳ないですが、
これはもうタスク集とユーザーさんの優先的にどんどんそっちに告知していくし、
ウェイティングリストもありますので、
でも100日待ちというのは長く感じられるかもしれませんけど、
割とあっという間ですからね、100日。
これはちょっと怖い言葉かもしれませんが、
今日はちょっとその話もしたいんですけど、
100日というのは、見ようによってあっという間です。
だからウェイティングリストに待っていただくと多分すぐやってきますから、
心配なくリストになんなら連ねておいていただくといいかなと思います。
レストランのウェイティングリストとかもそうですよね。
ウェイティングに、僕なんか完全にそういう人間だったんですよ。
結婚して家族で行くようになるまで、
あのウェイティングに佐々木って書いたことは一回もないかったですね。
あれを書くんだったら違う店へ行きますみたいな人だったんですよ、本当に。
絶対あれは理解できない。
父もそういうところがあって、
時間をすごく無駄に使うくせにそういうところがあるんですよ。
母はでも待とうっていうことを言う人だったから、
やっぱり母が書いた場合は、だから母が佐々木を書いたことはありましたよ。
私はああいうのは書かない人間だったんですけど、
今は普通に待っていて、待ってりゃ来るんだなっていう、
まあ当たり前なんですけどね、待っててこないと困りますから。
待ってりゃ来ますからね。
100日も待つことはレストランでは絶対ありえませんが、
でもそんなことはないんですよね。
すごいお店とかだとそういうことはあり得るんだということを最近知りました。
僕は知っただけでそういうところに書く気にはやっぱりならないんです。
15:03
まあそういう関係ない話でまた15分間経過するので、
本題に入りますと、
100日なり1000日なり、何でもいいんですけど、
時間的リソース、つまりリソースと呼ばれているものについてですが、
私たちはですね、これに関して、
最近私いろんなことをまた思い出しているんですけども、
多分これは精神分析とグッドファイブスの強い影響なんですよね。
人の過去を掘っていくことがやっぱりいろんな意味であるんですね。
あるいは人が過去を語り始めるという場面に出会わすんですよ。
言い合わすんですね。
そうするとやっぱり自分の過去を思い出すきっかけにこれがなるんですね。
私、最近、波濤定蔵さんという、これはね、
私が子供の頃はなんかね、
いわば自己啓発の走りみたいな人、
走りって言ってはいけないんですかね。
私も子供だったんで、
ああいうものがどういうジャンルに属する、どういう人なのか、
子供心にもですね、これは本格的なものではないみたいな、
そういうですね、偏見もちょっとあったんですよ。
なんとなくあったんですよ。
小学校、多分最初に見つけたのは2年とか3年の頃だったと思うんだけど、
当時ね、四季、四季ってのは埼玉県の浅賀市の上に四季市っていう市がありまして、
多分結構普通に知られてる市だと思うから言ってますけれども、
そこにね、今ではもうないんだと思うんですよね。
一時四季市にララポートがあったんですよ。
ララポートっていうのは船橋の方に本店がある、
多分デパートみたいなもんだと思うんですけど、
そのララポートって全身が四季ファイブって言ってたんですよ。
四季で、五階だから四季ファイブなんですよ。
この五階に神聖堂がありまして、
その神聖堂にいっぱいあったんですよ、加藤定蔵さんの本が。
私結構ちょっと家からは遠いんで、
まだ小学校1,2年では一人じゃいけないんでね、
父がやっぱり本屋好きだからやたら連れてってくれててですね、
この四季ファイブの神聖堂に行くのは非常に好きだったんですよ。
ちょっと好きすぎていたなっていうふうに今だと思うんですけどね。
これしか楽しみなかった気がするんですよ、ある意味。
ネットはないしね、パソコンもないし、
ファミコンがやっと出てきてたんだけどうち買ってもらってなかったし、
そもそも自テレビもなかったんですからね。
これしか本当楽しみがないぐらいに今だと思ってるんだけど、
そんなことはないんだけど、これはでも相当楽しみでしたね。
そこで加藤定蔵さんという人を多分最初に知ったのは四季ファイブなんですよ。
もう今はないですよ、四季ファイブは。
これがですね、直球のタイトルですよね、あの方は。
18:04
君はそのままでいいんだよみたいなタイトルなんですよ、本当に。
全部そうなんですよ。
それが何百冊ぐらいは、四季ファイブにすら50冊ぐらいはあった。
50タイトルぐらいはですね。
ものすごいある意味、ミリオンな人だったんだと思うんですね。
あんま詳しくは僕知ってないんですよね。
ウィキペディアでちょっと調べてみたことがあった。
これが加藤定蔵さんかみたいなのは、
加藤定蔵か大蔵って読むのかその辺すらちょっと怪しい。
定蔵だと思うんですけどね。
とにかく今で言えば、発達障害とかHSPの方みたいなのを人に向けた
励ましのメッセージみたいなのを書く自己啓発系の、
ただ当時はそういうジャンルが全然確立していたとは言えないので、
加藤定蔵みたいな、そういう風になってて、
うわーっと本があるっていう、ただそういう風に。
しかもあの、いわゆる面談、あんまりなかったですから、
面陳みたいなのは、いわゆる挿してあるだけなんだけど、
間違いなく売れてたとは思うんですよね。
加藤定蔵みたいなコーナーがすごく広く取ってあるみたいな感じで、
これというジャンルに属していたわけではないんですよ。
私の見た本屋さんではね、そういうことなんですよ。
だから次の加の人は全然違うジャンルの人で、
作家とかね、そういう感じになっちゃうわけなんですけどね。
で、その加藤さんの本を、僕は何冊かは読んだんですね、中学の時に。
で、やっぱりもう一つ本格的でないっていう気持ちは残ったものの、
悩んでたから、中学、高校時代はかなり悩んでたから、
その中に非常に今でもその影響は受けた、当時すごく受けた言葉がありまして、
エネルギーというものは、心のエネルギーというものを、
人は節約すれば元気になると思ってるけど、
それは全く逆だっていう風に彼は書いてたんですね。
心のエネルギーは一般的なエネルギーとは逆で、
使えば使うほど元気になる。
多分これね、どこかの何かを探せば、だけどあの人本多いから、
この全く同じ文言を見つけ出すのは難しいかなと思って、
自分は引用先探したんですけど、家に今は加藤先生の本がなくて、
多分実家に置いてあるんだけど、実家ももうほら、
うち寺だったけど、今寺から追い出されてしまったから、
ないんだと思うんですね。
彼の本は絶対持ってきてる人がいないと思うんで、
だからどっかにあったと思うんですけどね、
うちにはそんなに百冊とかないから、
探せば絶対この文言がある本はあったはずなんだけど、
どれだったかが、書写名しか覚えてないってやつですね。
これに僕はすごく当時救われた気がします。
当時ね、今とは全然僕は違って、青春時代は暗いんですよ。
21:01
中学、高校、老人はややマシだけど、
大学3年ぐらいまではほぼ欲打つ気なんですよ、私の。
特に高校、中学3年あたりから、
いいことも結構あったし、楽しかったところもあったんで、
打つとは言えないんだけど、
大学、昨日ちょっと前もお話したと思うんですけどね、
1,2年の頃はほぼ打つだったなと思うんですよね。
特に2年はあれは打つだったなと言わないわけにはいかない。
じゃなければ薄くアルコール依存みたいな感じでしたね。
で、それはいいんだけど、
中学たぶん1年か2年の時にそれを読んで、
なんかね、そういう中学生っているじゃないですか。
何をやってもダリーって言ってるんですよ。
そんな感じの人間だったんですね、中学の頃は。
とにかくダルい。なんかね、なぜかダルいんですよ。
で、ダリーっていう感じで、
特に勉強とかはむちゃくちゃダルクて、
ほぼ全くやってなかったんだけど。
だから、よくあれですよね、英語学科とか入れてますよね。
英語なんて5点とか取ってた時代がありますからね。
難しかったですけどね、私立中学だったから。
でも5点とか取んないじゃないですか、なかなかね。
0点はね、たぶん数学で1回やるぐらいであんまないんですけど、
5点とか英語で取るって、なんだよっていう感じなんだけど、
そのぐらい何にもしなかったんですよ。
なんかすれば5点ってことはないじゃないですか。
しかも、うちの学校怖くて、
赤点3つで本当に留年させちゃうんですよ。
本当に中学生でも留年させちゃうんですよ。
中学3年も2度やるとかがあるんですよね。
だから、あんなところでよくそういうことやってたなと。
一応僕6年で、中学高校は6年で卒業しましたから、
浪人はしてますけどね、その後。
だから留年はしなかったんですけどね。
それでそのだるかった時代に、
やっぱりこうすっごく心理的なというのか、
精神力の節約みたいなことに当時こだわってたんですよね。
当時こだわってたんですよ、それは一番。
社会人になってからは、そういうお話って僕MPとかね、
メンタルパワーみたいなのしてたんだけど、
実際は僕社会人になってからの方が、
これはグッドバイブスを通して、
知っている知っていないを半変わりなしに元気だったんですね。
中高大の頃に比べれば、
社会人の方が全然僕は幸せなんで、
やっぱりってことは何もないんだけど、
全然ハツラツとしてるなと自分でも思うんですよ。
特に大学時代に比べればですね、
大学3年の時に出会った先生が良かったんですよね。
あと留学が良かった感じが僕の場合はしますね。
その前のドコモサービスの勤めた経験も大変良かったんですよ。
とにかく学校時代が小学校を除くとですね、
大学の最後の方は別として良くなかったんですよ。
学校時代は僕は全然適応的じゃなかったんで、
ものすごく不適応だったから、
もうなんかかなりの長いこと起死念領だったし、
24:02
自殺願望までいかないんだけど、
死んだ方が楽だなみたいなのがずっと、
重層低温っていうんですかね。
心の底にあるいは頭の片隅の方にね、
死んじゃった方が楽だよなみたいなのがずっとあったんですよ。
死ぬの怖いから嫌だけどみたいなね。
で、まあまあそれもいいんですが、
つまりそれで加藤定蔵さんのそれは非常に効いたんですよね。
それしか覚えてないんですよ。
彼の本の言葉としては。
とにかくエネルギーというものは節約するほどダメで、
心のエネルギーは。
使うほど元気になれる。
これ誰かの質問に答えるという形でしたね。
私は元気がないので、
心のエネルギーを節約したいんですけど、
加藤先生良い方法を教えてくださいみたいな、
そういうQA方式になっている本で、
加藤さんがそのように答えて、
この発想は全く逆にしなければダメだっていう感じで書いてたんですよね。
それで僕はその時以来、
そんなもんかなと思って、
とにかくだるかったけど、
出してみることにしたんですよ。
使うということ。
エネルギーはどうせ節約しても、
加藤定蔵さんによれば無駄だから、
使うことにしようと。
そしたらだいぶ元気になったんですよ。
そして英語の点数も、
5点から60点くらいまではいくようになったんですよ。
5点だったわけだからだいぶマシですよね。
10倍くらいは取れるようになったと。
全然良い点とかじゃないですけどね。
私立中とはいえ、
ちゃんと勉強してる人は80点くらい取るから、
60点とかで別にそんな素晴らしいってわけじゃないんですけど、
マシにはなったわけですよね。
少なくとも50は取れるようになったみたいな。
35未満だと留年が迫ってくるんで、
少なくとも40点は全てのテストで欲しかったっていうのがあって、
これは加藤定蔵さんのおかげあるんですよね。
加藤定蔵さんいなければ、
全部の強化40点以上っていうのは結構無理だったかもしれないと思うんだけど、
なんとかなったんですよ。
これがだってこんな言葉だけですもん。
2行くらいですんじゃないですか、こんな言葉は。
しかもこれって何も言ってないじゃないですか。
心のエネルギー使えって言ってるだけですよね、ある意味では。
しかもその心のエネルギーって何よってことを考え始めると、
それはそれで相当、本一冊絶対いけるテーマじゃないですか。
心のエネルギーって何だっていう話になってくるんですね。
だから心のエネルギー使えという、
たったこのしょうもないアドバイス1個で、
ここまで楽になるんだなっていうのは僕は思いましたね。
今もよく覚えてはいないんだけど、
これを先日、倉園さんのですね、
倉園平蔵さんのGood Vibes Factoryの
今日のGood Vibesって彼がほぼ日で、
平日なのかな、書いてくださってるのがあるんだけど、
あれ見て思い出したんですよ。
これはちょっとニュアンスは違うんだけど、
27:00
例えば自分が水でできているならば、
水が自分から不足しているとか枯渇しているということで、
悩む必要はないでしょうっていうような文脈で書いてあって、
もし自分が愛でできているならばっていう話なんですよね。
この愛と僕は心のエネルギーって同じ意味だと思っているんですよ。
まあ、リビドーって言ってもいいんだけど、
つまりですね、愛を節約しようっておかしいと思うんだけど、
こう言ってみるとね。
でもこういうことなんですよ。
僕らがやりがちなことって、
人を愛せないっていうか、もうちょっと手前のところで、
なぜ私が、例えばですけど、
誰かに理不尽に文句をつけられたとき、
別にそんな厳しく怒られたとかじゃなくてもいいんで、
そんなことどうでもいいじゃんっていうことを言われて、
カチンときたりしたときに、
これを僕は思い出さなきゃいけないなってよく思うんだけれども、
例えばですよ。
何がいいかな。
こういうときにパッと思い浮かばないのが不思議なんですよね。
いつもこのことを考えてるはずなのに。
箸が右向きであるべきなのに左向きになっていて、
なんでそんなに左向きにするの?みたいに言われたとするじゃないですか。
で、カチンときたらダメなんですよ。
なぜダメかというと、
ここで僕らは心のエネルギーを節約しようとしてるから、
そうなるんだと思うんですね。
だって右を左にするってのは、
まさかできないって言うほど疲れてる人は滅多にないじゃないですか。
ゼロだとは言い切れないことが最近分かってきたので、
ゼロではないと思いますが、
僕は全然クルッとひっくり返すのは全然なんてことはないし、
そこで謝ればいい話なわけですよ。
ここでなぜ私が謝らなければならないんだって思うということは、
ある種のエネルギーをここで使いたくないっていう意味だったと思うんですよ。
心を広くするとか応用にするとかいろんな言い方がありますけど、
それこそ愛するとか許すとかいろんな言い方がありますが、
どっちみちエネルギーを使うわけですよね。
ここで僕が、これはあくまでも仮定なんですけどね。
バーチャルの話なんだけど、
もしそこで何にも言われずに相手がニコニコしていれば、
使わずに済んだと思えるようなエネルギーを、
こういう仮定を僕は頭の中でしてるってことですよ。
何にもなくスムーズで全てが平和に進んでいけば、
使わずに済むはずだったエネルギーを、
ここでわざわざ何か場を乱すような言動があったり、
口調があったために、
それに対して私が心の中で何かを少しはね、
少しは例えばグッドバイブスみたいなことをしたり、
全くしなくていいはずだったこと、
それは少しなんだけど、
わざわざすることによって自分の心を穏やかにして、
例えば許すなり愛するなりということを
30:01
させられているというふうに考えると、
何かを支払わされた感じっていうものを感じるから、
カチンと来るんだと思うんですよ。
この支払いが加藤定蔵さんが言うみたいにね、
抑えようとすればするほど減っていき、
使えば使うほど増えるというですね、
なんか不思議な構造ですけれども、
もし本当にそうであるならば、
ここは喜んで使うところなんですよ。
倉澤さんがよく愛するって言ってる時の文脈も、
これにとっても似てるなって思うことがあるんです。
だから思い出したんだと思うんですよね。
つまりこれは自分のリソースでもいいんだけど、
自分の愛でもいいんだし、
自分のリビドウでもいいんだけど、
そういったものに対する態度なんですよね。
倉澤さんがよく時間についておっしゃることとも似てるし、
特に価値について言ってることが、
これと全く同じだと思うんですね。
価値を惜しむということをするということは、
そのことをするのに、
これは値しないというわけですよね。
例えばここで場を収めるために、
私が牢を取る必要はないのか、
ここを穏やかな食卓にしておくために、
私がなぜわざわざ気を配らなければ、
気を配るっていう言い方も、
これは甘えの構造ですけど、
気を配るっていうのも同じ文脈なんですよ。
気を配る価値がないと思うから、
気を少なめにしておきたいわけですよね。
その配りたくないわけですよ、気を。
これを支払ってみると、
その価値というものが信じられるようになるという、
なんか騙されてるみたいに思われるかもしれないですよね。
これ認知的不協和の話ともちょっと似ているんだけど、
一番僕がこれに近いなと思うのは、
トム・ソーヤの壁塗りかな。
要は壁を塗るのが楽しいと思ってやると楽しいんですよ。
で、辛いと思ってやると辛くなるんですよ。
で、だから皆さんというのかな、
ここで反対の意見を取りたがるという場合には、
僕もカチンと来てる時はつまりそうなってるんだけども、
つまりカチンと来てる時はその反対の立場を取りたくなってるんだけど、
このトム・ソーヤが壁塗りをする時、
楽しんでいる方がいいのか、苦しんでいる方がいいのかという問いは、
意外と簡単じゃないよね、世の中的にはという話なんです。
もし楽しんでやるのがいいはずだという風に、
楽しいか苦しいかだけなら簡単なんだと思うんだけど、
でもですね、例えば危機として会社の仕事をやってるのは、
良いことなのか良くないことなのかって言われた場合、
かなりの人がこれはやりがい搾取であるって言うじゃないですか。
で、さっきの加藤さん、加藤定蔵さんの、
心のエネルギーを使えば使うほど出るっていうのは、
文字通りというのかな、
やりがい搾取の構造そのものになるじゃないですか。
だから、少なからぬ人がここで、
心のエネルギーを節約しようと思うのは当然なんですよね。
やりがい搾取ということは、
33:01
心のエネルギーを節約しないと、
使い果たして死んじゃいますよっていう警告を発しているんですよ。
だけれども、これも多分認知神経学ですら言えることだと思うんですけど、
ずっと使わずに済ませようとすると、
うつっぽくなっていくんですよ。
なぜならば、ここが難しいんだけど、
心のエネルギーを使うということの中にはですね、
認知力を高めるという部分があるんですよ。
だから、例えばなんだけれども、
食欲を、そういうことはあれなんですよ、
神経科学的にやれるんだけど、
食欲を控えめにして物を食べると、
ものすごくまずく感じるんですよ。
これはそんなに不思議な話じゃないですよね。
味覚等々に回さないと、
コロナでやってたじゃないですか、
物の味がしないとか、
舌の上がザラザラしてるだけで、
ちっともおいしくないとか、
そういうことが起こるわけですよ。
嗅覚も大事だしね。
しかも消化しようという意識が、
消化管の方に働いていたりと、
食欲って機能しないんで、
食べ物は全部あるし、吐き気を思いをしちゃうんですよ。
で、ここで味覚と嗅覚と、
食欲にドーパミン系ですけどね、
十分そういうものが入っている。
つまり元気にいっぱい食べれる方がいいかどうかって言われれば、
大概の人はいいって答えると思うんですよ。
これは食欲搾取ではないですかっていう問いは、
当てないと思うんですよね、多くの人は。
でもそれはどうしてなのか。
意外とさっきの構造とあんま変わらないんですよね、これは。
食欲を出せば出すほど物がおいしく感じられますということと、
心のエネルギーを使えば使うほど物事を楽しくやれますということと、
例えば配偶者なりパートナーなりを愛すれば愛するほどその人と楽しくやれますということと、
会社の仕事を機器としてやればやるほどやりがいを感じられますということは、
多分神経科学的な説明では全部同じになっちゃうんですよね。
だけれどもある種の行為は搾取になり、
ある種の行為はそのままでいいっていうふうに僕ら考えるから、
出し分け、区分けしたいと思うようになるじゃないですか。
やりがい搾取は、ごめんだけれども物はおいしく食べたいって思うじゃないですか。
だからまず心のエネルギーを出していい場面なのかどうなのかを十分に見極めてから、
ある種の行動にはエネルギーを出し、そうでないことにはエネルギーを使わないようにするという器用なことが実はできないんですよ。
これはなぜかというと、使うか使わないかを決めた段階で現実が変わってきてしまうので、
ニュートラルにそれを見極めるっていうわけにはいかないってことですね。
でも僕のこの話を聞いただけだとですね、
36:00
いやいや佐々木はそれできないかもしれないけど、俺は見極めるぞっていう方もいらっしゃると思いますので、
そういう方はチャレンジしていただくといいかなというふうに今私は思うようになりました。
これはすっごい難しいことで、私は原理的に不可能だと思うんだけれども、
それはつまり神経的に無理だと思っているんだけれども、
わかんないですからね、そればっかりは。
人間の技術ってすごいんで。大谷翔平とか見てると、人間の技術ってのは人間離れしたところはあるなと。
ただ、これを見極めるのは結構人間離れするところもあると思います。
というのは見ているとですね、加藤定蔵さんってやっぱりすごい独特の人で、
何十人というか多分何百人単位で、もしかすると何千人ってオーダーなんでしょうね、見てきて、
能力の有無とかかわらず心のエネルギーを節約して生きている人は欲打つっぽくなっているのを絶対見てきたんだと思うんですよ。
だからああいう世の中で全然言われてないようなことがスパッと書けちゃうんだろうなと。
割とそれもいっぱい量産されている本の一冊の一節にポッと出てくるっていうぐらいにサラッと書いてしまっているんですよ。
だからこれは多分隣の人に当てはまってしまうんだろうと思ったんですよね。
その時も思ったし、今ますます思います。
つまり、節約ってそうじゃないですか。節約するということは態度を決めますよね。
なるべくお金を使わないとか、なるべく時間を使わないとか、なるべく人を愛さないとか、なるべくエネルギーを使わないといったことは全て、
それだけの価値はないからそうするはずなんですよね。
お金一番わかりやすいですよ。
iPhoneには10万払う価値はないなっていうから節約するわけじゃないですか。
僕は別にiPhoneにいくら払うのが妥当だって話ではないんだけど、
でもその人にとってのそのものの価値を態度で示してしまうから、自分にははっきりさせてしまうのは確実ですよね。
払うのがいいか悪いかは別として、払えば価値があると信じたという方向にかなり進みますし、
払わないんだったらそれだけの価値はないというふうに信じたということになるんだと思うんですよ。
お金の場合これは絶対必要なことだと思うんですよ。
これは倉田さんがよく言う通りで、限りがありますからね。
限りなく使える人はそんなことしないと思うんですよ、やっぱり。
でも心のエネルギーは限りがないんですよ。
これがですね、すごい大事なポイントだと思います。
愛でもいいんですし、リビドでもいいんですけど、限りがないんですよ。
だってリビドに関して言うならば、精神分析でリビドの枯渇を問題にしているケースってないですよね。
ほとんどリビドが停止する方を問題にしています。
これは僕すごい大事なことだと思うんですよ。
鬱の問題でもですね、分かりにくい説明だし、今日さらっと説明するのでは分かるように説明できる自信はないですけど、
39:07
欲鬱というのは、あるいは鬱というのはですね、精神分析では対象喪失というふうに説明されるんですよね。
対象喪失であってリビド喪失じゃないっていうところです。
これものすごく重要なポイントだと僕は思うんですよね。
すごく単純に言うと、パンケーキ大好きです、蜂蜜いっぱいの。
これに対して食欲がグッと、食欲がリビドですよ。
だからパンケーキを愛しますと。
パンケーキは愛する対象じゃないんで、やっぱり食べる対象なんで。
リビドと言っても愛欲ではなくて食欲なんだけど、でもリビドでやっぱり説明するわけですよ。
で、パンケーキが突然と世の中から消えちゃいました。
そしたらこの人の食欲はなくなりましたって言った時に、消えたのはリビドじゃないってことなんですよ。
対象の方なんですよね。
リビドは対象とセットだから。
このことも世の中では忘れ去られていて、リビドとは性欲だってことになっていて、
しかも対象の話が一向に出てこないんだけど、対象とリビドはセットなんですよ。
だから対象が消えるとリビドは働かなくなるのであって、リビドが消えてなくなるわけじゃない。
うつの人が生きる意欲をなくすのは対象喪失というふうに説明されているんです。
これはどの本を読んでも対象喪失って言葉は精神分析系でうつを説明するときには絶対出てくるような気がするんですね。
どこにもリビド喪失とか書いてないんですよ。
つまり僕らのエネルギーがなくなったとは解釈していないんですよね。
これは精神分析の解釈だけど。
でも脳科学の中でもいわゆるモノアミン系って言うんだけど、
セロトニンとかドーパミンとかがなくなったとは誰も考えてないんですよ。
こううつだろうとこう精神不安薬だろうと同じで、
モノアミンとかセロトニンを製造しましょうという薬はどこにもないんですよ。
それはあるんですよ脳内に。
ただうまく機能してないとかうまく働いていないから揺さぶりをかけるっていう話であって、
なくなったから補充しましょうっていう話はどこにも書かれてないんですね。
つまりエネルギーはなくならないんですよ。
少なくともうつぐらいではなくなったということにはならないんですよね。
だからリビドがなくなるってことは多分ないんですよ。
問題は使えなくなることなんですよね。
だから節約というのは実はかなり危険な行為なんだってことなんです。
節約をしているうちに節約は何をしているつもりもわかんないじゃないですか。
本当にそれで節約になってるのかどうかもわかんないじゃないですか。
メーターもインジケーターも何もないんですから。
ただ節約してる気になってるだけなんだけどそれは多分使わないってことなんだけど、
使わないことによって僕がその食卓でなんか小さなことで指摘されてカチンとするような、
つまり節約することによって不快になっていくんですよ。
42:04
だってそこで心のエネルギーをガッと使えればなんてことはないじゃないですか。
いろんな意味でなんてことはないじゃないですか。
そこに大量に投入すれば、要するに大量に相手を愛すればっていうのは
ちょっと物量的でおかしいかもしれないけどそういうことなんですが、
そこに例えばいくら時間をかけてもいくらエネルギーをかけても
いいということになればそんな状態ならばですね、
収めることできるじゃないですか。
自分の心のザーつきであれ、相手の心のザーつきであれ、その場の雰囲気であれ、
真剣にいくら時間をかけてもいいと、あるいはいくらエネルギーを投入してもいいと思えさえすれば。
で、それができないということは時間とエネルギーを節約したいと思うからですよね。
しかもそれをずっと常時やっていて、そのことが習慣になっていると、
もはやエネルギーを出さないことが一つのデフォルトになっていくんだと思うんですよ。
だからありとあらゆることにイライラすると。
こっちが何を節約できている結果なんだろうと。
あるいは何かそれで節約することによって何か別のものが得られているんだろうか。
これがとても僕が今面白いなと思ったんですけど、
そうやってデフォルトで家では時間やエネルギーをものすごく節約している人が、
外に素晴らしい女性を見つけたりするんですよ。
これって面白いと思うんですよね、今の話から考えてみると。
そういうことってよくあったりするじゃないですか。
家の妻はすごく冷淡で全然愛せなくて、てか言いながら浮気したりするじゃないですか。
これ対象喪失ですよね。
対象喪失して家でリビドウがほとんど機能しなくなっているから、
家の生活がすごく味気ないので、外に素晴らしい人がいるように見えるのは、
外でリビドウを開放しているからですよね。
これ家で開放すれば多分逆の現象が見えてくるんだろうと思うんですよ。
これがあれですよね。とってもそんなわけにはいかなくて難しいから、
例えばそこで行き詰まった場合に、僕がしたみたいに蔵園さんに相談しに行ったりするわけじゃないですか。
外ではすごく楽しくなれるみたいな、そういう話を始めたりするわけですよね。
これってつまり、外に素晴らしいものがあって家にないのではなくて、
家では心と時間とお金を節約しようとして、外ではそれを開放する用意があるよっていう話なんだと思うんです。
自覚はないんですけど。
これをいわばどこにいてもやれるようになればいいわけなんですよ。
どこにいても無限にあるエネルギーは無限に投入できるようになれば。
そうすると一番最後に残ってくる問題っていうのは、果たしてそれ無限なのかっていう問題だと思うんですよ。
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心のエネルギーなり時間というものは本当に無限なのか有限なのかってことなんですよね。
有限なんだということであるならば、これがもうつまり最後の壁になる、一つの壁になるんだろうと思うんですけど、
もし愛なりリビドウなり心のエネルギーなり時間なりが有限なんだということであるならば、やっぱりその証拠が必要になるだろうなって思うんです。
その証拠集めを一生懸命しているうちに、ここがニュートルじゃないんですよね。
その証拠集めというものは有限であるという結論から逆算すると有限に見えてくるんですよ。
時間は常に無いような感じがするし、心のエネルギーも常に不足している感じがする。
多分そのことを書いたのがミハエル・エンデの桃ですよね。
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