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みなさん、こんばんは。内省るうむ。このチャンネルは、息をするように内省している私、もみじが、今、自分の内側にある思いを言葉に出してみようという試みで発信しております。
今日はですね、全力とか自分の100を投じるってどういうことなんだろうというテーマでお話ししていこうかなって思います。
きっかけはですね、先日ある方にお会いした時に、その方がお話の中で、
あーなんか、ふとね、全力を出すってそもそもどういうことなんだろうとか、自分の100%の自分みたいなのって、改めて考えるとどういうことなのかなーって思うんだよねーっていうお話があったんですよ。
でまぁ、この手の話はもう私の大好物なので、どれどれどれ、ほうほうほうみたいなね、お前のめりになって、何それ、考えてみるの面白いなみたいなね、一緒になってね、あれこれ考えてみました。
そんなね、お話ここでも出してみたいなって思った次第です。
でね、まず、そうですね、全力を出すとか、100%の自分みたいな言葉を聞いた時、皆さんはどんなイメージ持たれるでしょうか?
この言葉って普段、私たち多分日常でね、何気なく使ったりとか耳にしたりしてると思うんです。
まぁじゃあ、そうだな、次の試験は全力で頑張るとか、
うーん、なんだろうね、スポーツの場面で必死に走ったり、なんかのプロジェクトで、夜遅くまで頑張る姿みたいなイメージが浮き、その中でこう、自分の次のプレゼンには100%の力出したいとかさ、
面接ではなんか、この面接は自分の100を出したい、みたいなのとか、まぁそんなイメージあるんじゃないかなぁ、なんて思います。
でね、以前は私も、なんかそうですね、全力っていうことは、なんか限界ギリギリ、あるいはもう限界を超えちゃうぐらい頑張ることなのかなぁ、
みたいなね、結構軽い気持ちで思ってたんですね。ただ、じゃあこれまでの自分の人生の中で、私あれは全力だったよなぁって感じるもの、
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自分の100、あるいは100以上出してた時、どんなものあったかなぁと思い返すとね、
なんか自分が漠然と軽い気持ちで思っていたものとの質感がちょっと違ってるんですよね。そこがね、面白いなぁって感じるんです。
で、じゃああの時の自分は100%、あるいはもしかしたら100%以上のエネルギー投下してたんじゃないかって思うのはどんなものかって考えた時に、
まず最初に思い浮かぶのは、前の夫との結婚生活なんですよね。
でね、ただ問題がありまして、その前の夫との生活にはね、いろいろな種類の問題がありまして、
まあ決して楽ではなかったし、結構しんどいことの方が多め、分量的には多めみたいな、だったんですよ当時。
でも、まあ私はすっごくね、その彼が好きで、まあ結婚したということもあってね、その彼との生活を守りたくて、
自分ができることは、もう何でもその時の自分ができる限りのエネルギーで取り組んでたんですよね、今から思うと。
で、思い出してみたら、いやーもう絶対今はあんなのできる気がしないみたいだね、あのエネルギー量。
あんなね、エネルギー放出しながら何年も、その関係性の問題、家庭の問題をなんとかしようとか、そんなパワー出せる気がしないわ、みたいなね、思っちゃうぐらいですね。
やってた、本当にやってたなって思いますね。そこにはなんか、やってたかなぁ、じゃなくて確実にそうだったっていう感覚があるんですよ、自分で。
で、じゃあ、まあ限界ギリギリ、さっき言ったね、全力は限界ギリギリ、あるいは超えて頑張ること、みたいな、それも確かにそうだろうなって思うんだけどね。
まず最初に、じゃああの時の自分のことを思い出したら、その全力出してるかどうかっていうことすら、もうそういう発想すらなくて、もうその時はめっちゃもう無が夢中なんですよ。
その何かに取り組んでいるっていう、その時間一時一時が、ちょっと必死というか、なんだろうね、これが全力なのかどうかなんて考える余地もないぐらい、取り組んでいるなんかその没入感というか。
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そこがね、この全力の話になった時に面白いなって思ったところなんです。
自分が全力出してるかな、これって自分の役かな、なんていう概念すらわかない。
もっと頑張らなきゃいけないんじゃないか、もっと頑張れるんじゃないか、みたいな発想が全くなかった。
それだけ何か必死の思い出、何かその取り組んでいることの果中に自分がいたっていう感じかな。
そこがね、すごく面白いなって思ったんです。
で、まあ最終的にね、前の夫っていうぐらいだから、まあ離婚したんですけれど、私はその彼とね。
でも離婚を決めて別々に暮らそうって思った。
それを切り出した瞬間っていうのは、多分その無我夢中だったのが、気持ちがもう途切れた瞬間があって、
その時に、あ、離婚っていう文字が頭に浮かんだ。
で、それはなんかもうね、あの時あったのは、もう自分にできることはもうすべて、もう全部全部やり尽くしたっていう感覚があって、
自然に、あ、もうだからもう終わりにしよう、もうここでもういいっていう気持ちになった。
自然に思えたっていう感じかな。
そういうプロセスがあった中で、まあ離婚を決めて別々に暮らし始めた時っていうのは、
なんかこう、ある種の達成感みたいなものっていうかね、
これ以上自分にできることは本当にないし、十分にやったなーっていう感覚がもうしっかりあるので、
なんか悔い、後悔みたいなものは何にもなかったし、
離婚した後の自分の人生っていうものに前振りすることができました。
そういうのを全部あった上で、今から思うと、あれは私、あの時は全力だったんだなーっていうね、
そういう過去の話です。
そう思うとね、今でも今、何かのきっかけとかね、タイミングでね、
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時々あれ、自分今全力出せてるかな?本当に。
自分の100出せてるのかな?って思う時あるんですね。
私も例えばじゃあ仕事をしている時とか、何かを取り組む時に、
たまにそういう思いがふっと湧くんですけれども、
こう考えてみると、そういう疑問が出てくる時っていうのは、
多分私の本当の全力じゃないからこそ出てくる疑問なんじゃなかろうかっていう気持ちがあります。
なぜなら自分の過去を振り返った時に、
本当に全力出したならそれ以上ぐらいって言ってたんじゃないかっていうとこがね、
自分が全力かどうかの意識すら全くない。
本当に無我夢中。
後から、あ、あの時こうだったなーって思う。
っていう経験したからなのかなーっていうのをこうなんとなく考えた。
そんなことを感じたエピソードでした。
私これ皆さんにもね、ぜひ聞いてみたいんです。
皆さんにとってこれまでに、
あ、あれはもう自分のなんか100出したよなーとか、
全力だったなーって感じる思い出?エピソード?
どんなものがあるでしょうか。
もしよかったらぜひこの機会に、
自分にとっての全力は何だろうって考えてみると、
自己理解がまた一つ深まるんじゃないかなーって思います。
だからぜひ考えてみてください。
それでは今日も最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。
また次の放送でお会いしましょう。
おやすみなさい。