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はい、こんにちは。原液教師の逢坂ひめこです。
昨日、広島に原爆投下された日ということで、8月6日ですよね。
あの、広島ってね、私にとってすごくね、思い入れが深い場所なんですよ。
これ以前から何回も言ってるんですけど、あの、私のルーツ、実は広島にあってですね、
あの、ばあちゃんのね、故郷が広島なんですよね。
で、じんちゃんの故郷が岡山なんですよ。
だから、私実は中国地方にもともとゆかりがあって、
あの、もともとその実家の本籍地もね、私、岡山県なんですよね。
岡山県なんですよ。だから、私、中部地方に親戚も結構いてて、
で、特に広島はね、伊藤崎、呉、尾道、犬島、本当にこの辺りに親戚も結構住んでて、
で、ばあちゃんはね、三原の出身だったんですけど、
なんかね、広島の話をよく聞いとったんです、子供の時からね。
で、うちはばあちゃん子で、おばあちゃんからね、よく広島のいる子供時代の話とかも聞いてましたよ。
で、原爆がその、投下されたのが1945年ですよね。
終戦の日ですけど、終戦の年なんですけど、
その時ね、うちのばあちゃんがね、広島に疎開をしていたのですよ。
そう、で、原爆が投下された日はどうしてたの?って聞いたら、
あの、広島に実はおばあちゃんがいてて、
ま、でも、三原なんかな、三原の方かちょっと離れてるとこにいたんですけど、
でもね、なんかね、言ってた、原爆が投下された時に煙が見えたって言うんですよ。
いわゆるキノコグモですよね、原爆が投下されたの。
それをね、見たっていう風にね、言ってたことがすごく印象的。
で、その後ね、広島市内から三原方面に、その町の人たちが帰ってくるんだけど、
みんな死んでしまったっていうね、その後。倒れて死んでしまったって言ってね。
なんかそういう話を聞いてすごくね、一言とは思えなかったなっていうのは思います。
もう戦争が終わってからもう80年にはなるのかな?
結構昔になりますよね。
だけど、まだ100年も経ってないかっていうのが実感としてあって、
で、今もね、世界で紛争、戦争が起こっていて、
多くの人がね、亡くなったり、襲撃を、攻撃を受けたりしてビクビクして、
生きるや死ぬかの瀬戸際にいる人もたくさんいますよね。
なんかそういう時に今、平和の祈りを捧げるっていうのはすごく大事なことだよねって思います。
平和のありがたさを知り、それをね、将来に向けてね、永劫を続けていけたらいいなっていうね。
すいません、ちょっと浅いことしか言えないんですけど、そういうことを思ったりをしています。
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さてはて、広島といえばね、私は小学校の時に実は広島に修学旅行に行ったんです。
小学校6年生の時の話でしたね。
その時覚えてるのが、初めて新大阪から広島まで新幹線に乗ったんですけど、
その時に、新大阪初の新幹線じゃないから停車駅が数分しかないと。
その間に全員が新幹線に乗れるようにって言って、時間内に車両に乗る練習をしたんですよね。
三角コーンを体育館にパンパンってドアのところに並べて、
その時にみんなの座席順に並ばされて、バッて行くわ!みたいな感じでスポップ落ちて何回も練習させられたのをめちゃめちゃ覚えてます。
すごい手厚いですよね、学校もね。
小学校6年生の時の出来事です。
修学旅行は一泊二日だったんですけど、1日目は新大阪から広島まで新幹線に乗って午前中にね。
それでね、広島の平和公園へバスで向かいました。
平和公園に行って、原爆のこのゾーンのところで織鶴を掲げてですね。
そこで語り部さんの話を聞いたのを覚えています。
そこで原爆の歌を歌ったのかな?歌を捧げるってやつでしょうね。
その後よ、広島の平和公園の中を判別行動になったわけよ。
6人ぐらいの班で。
その時に絶対に行けって言われたのが、平和記念館。原爆記念館ね、広島のね。
それは広島の平和公園に行った人がいたら分かると思うんだけど、入口にある建物ですよ。
そこにみなさん絶対行ってねって言って、まあまあ衝撃を受けましたよね。
原爆の時刻で止まっている時計とか、原爆被爆したね、被爆者たちが持っていた服。
身につけていた服とか、身につけて持っていたね、カバンとかそういうのがボロボロになってるんですよ。
しかもですね、私が特に覚えているのが、すごいでっかいパネルが展示されたの。写真のパネルはね。
それがね、外骨が積み上げられた、原爆で亡くなった人の遺体を収容してるんでしょうね。
外骨が積み上げられている写真があって、私めちゃめちゃ外骨怖いんで、めちゃめちゃちょっとヒーッて恐れおののいたのを覚えています。
怖いなと思ってね。そうなんですよ。
だから本当に原爆で被爆して、肌がドロドロになっているとかね、人とかね、顔がただれているとか、そういう写真とか模型とかを見て、原爆って怖いなって。
今水素爆弾を落としたらこれぐらいの200倍の威力があるって聞いてるから、すっごい怖いなと思って、すごくね、背筋が凍ったというか、ドドドっとしたのを覚えています。
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その後ね、原爆ドームに、原爆ドームの方まで歩いて行ったり、爆心地がこの辺って言って、その場所まで行ったりしてましたね。
だから小学校6年生ながら、やっぱり初めて親とじゃなくて、学校で旅行に行くということ。
そのワクワク感とかね、ドキドキとか、興味とかそういうものがすごく思って覚えております。
で、その後ね、私も本当によく覚えているんだけど、原爆ドーム前っていう電停の駅があって、電停っていうのはちんちん電車、いわゆる路面電車ですね。
広島市電ですわ。その広島市電の原爆ドーム前から宮島方面まで、結構長い距離なんですけど、路面電車に乗ったんですよ。
そこは路面電車なのかと思って、バスじゃなくて。そこで宮島口まで行くと。宮島に宿泊先だったんで。
で、広島市内から、市街地から宮島の方に電停を路面電車で行って、そこからフェリーに乗った。
その時に、数分ですよ、言うても。だって見えてますからね。宮島口から宮島は見えてるわけなんですけど。
フェリーに乗った時に、小学校の先生が、宮島っていうのが女の人が横に寝ているような山の稜線が見える時に願い事を言ったらいいよって言われたんですよね。
見てると、宮島の山並みが人が寝ているように、横に寝ているように見える瞬間があって、その時にお願いしたのを思いますけど。
願うっていうのが本当に正しいのかどうかもわからないですけどね。そういうことを思えていますね。
宮島はもみじまんじゅうを買ったり、食べ歩きができたからね。いろんな味のもみじまんじゅうを試して、バニラ味、カスタードクリーム味、抹茶味、チョコレート味、いろいろな味を楽しんだのも覚えてますしね。
夜にお土産を選べる時間があったんですよ、重厚度でね。ちょうど宮島の商店街の中にある旅館に泊まったから、その辺をぶらぶら歩いてたなーって思っています。
夜はクラスの女子を2グループに分けて、そこでみんなでワイワイ喋りながら夜を過ごしたのを覚えてますけどね。
誰が好きなのとかぶっちゃけた話ないとかね。寝るときにみんなで布団を寄せながら喋ったのを思い出し、枕投げをしたのも思い出し、楽しかったなと思いますね。
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2日目はね、宮島で重厚度だったんですよね。宮島水族館とか海岸に行きましたね。
宮島水族館で落花を見たり、お土産物を見たり、いつくしま神社にも行きましたね。すごく綺麗だったですね。
いつくしま神社行って、その時は満潮だったから鳥居の方までは歩けなかったんですけど、すごい美しかったですね。建物がね。
後に世界遺産にもなってますけれども、いつくしま神社、鹿にパンを取られたっていう話とかもね。
鹿にパンを取られる。奈良の大仏がある奈良の公園でもあるんですけれども、鹿に取られましたね。パンを取られるっていうこともあって、たまたまあげとったら取られちゃったっていうのもあるし。
あとは海岸に行って、その時にみんなでね、海にも触れなかったんですけどね、みんなで足を浸してキャッキャッキャッ言ってたのもすごく思ってますね。
でその後ですね、お昼ぐらいにはもう宮島を出てね、そっから新幹線でまた新大阪で学校に帰ってきたっていう、そういう話でございますよ。懐かしい。
なんかそういうのが一番最初の広島の思い出だったんですよ。まあちゃっかり平和学習と、あと平らな境目にゆかりのあるいつくしま神社なので、そういうね、歴史の話とかも聞いた。
事前学習でちゃんと学んでから行って、で修学がよく終わった後はね、新聞、班で新聞掛け言われてね、記事をみんなで担当して書いたのも思い出す。
なんかそんな小学校6年生の12歳ぐらいの時の話ですけど、まあよく覚えてるなと思ってね、今喋りながらびっくりしております。
でそういう思い出がある広島なのでね、なんかそれから20代はよく広島に行ってました。
あの私ポロノグラフティっていうね、あのグループが大好きで、もうこのポロノグラフティもなんと結成25年ということでおめでとうございます。
そのポロノグラフティがよく広島でライブをしてたんですね。
夏になるとサウンドマリーナっていうね、今はもうないんですけど、野外ライブを実は広島でやってて毎年。
それをねよく見に行ってました。
まあポロノが出るときは必ず行ったし、それ以外でも結構ね、あの好きなアーティストさんがね出てたんで。
なんかロック、あまりロック寄りじゃなくてポップス寄りのね、あのフェスだったんですけど、それに行って見てましたね。
スキマスイーツとかはたもとひろとかゴスプラーズとか。
あと、あそうだ、なんかあれだわ、あのコメコメクラブの石井達也さんとか藤井文也さんとかも見たことありますね。
なんかそう、藤井文也いたっけ?
私の間違いだったらごめんなさい。
とかね見に行ったりしてて、すごい懐かしいライブ。
それもなんか多分8回ぐらいは行ってるはず。
ライブ完成に毎年毎年。
だからそれの影響で私毎年ね、実はね、広島に行くようになって。
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今はもう結婚してますけど、今でもね、あの、広島行きます毎年。
教員になってからも行ってました。
なんかね、その時に絶対行くのが広島の平和公園。
あの、平和公園には必ず行くことにしてて。
まあなんかやっぱり原爆っていうのが自分の中にあるんでしょうね。
8月にね、行ってて。
8月めっちゃくちゃ暑いんですけど、その時にね、こう、蝉がすっごい鳴いてる中ですね。
暑い中ね、平和公園行って。
で、原爆ドームって平和公園からめっちゃ一番遠いところにあるんですけど。
でも平和公園って原爆ドームが見えるように真っ直ぐ建てられてるんですよね。
真っ直ぐ。
計算されて建てられているんですけど。
そうなんですよ。
だからそこまで歩いて、そこで原爆ドームを一周して見上げるみたいなことをね、毎年してましたね。
今年もね、私広島にお盆まき行くのでね。
平和公園の近くのホテル撮ってるからね、また朝でも見に行こうかと思っております。
平和公園行こうかなと思ってます。
さあ、というわけで今回はですね、私の姫子のね、広島への思い入れについて語っていますが。
広島はポルノグラフィティの故郷ということで。
はい。楽しみ。
今年もね、広島、広島を楽しんでいきたいと思っております。
はい。皆さんももしよろしければですね、広島への思い出とか魅力とかをコメントで教えていただけると嬉しいです。
それではまた。姫子でした。