あのー、チャッドGPTとかの、生成AIに何か質問をして完璧な答えが返ってきた時に
思わずありがとうって打ち込んじゃったことありませんか?
あああそれ、凄くよく分かります。
画面の向こう側に何か心を持った誰かが座っているような錯覚に陥るんですよね?
そうなんですよ。機械の中に幽霊がいる みたいに感じてしまう不気味な程の知性というか。
へえ!
もしあなたがあの流暢な日本語を返すAIの画面越しにこいつ本当は生きているんじゃないかって
異風の念を抱いたことがあるなら今回の深振りは間違いなくあなたのためのものです
はい今回の情報源はですね youtube チャンネル
シコシコギャング大学の動画 AI を生んだ哲学思想のトランスクリプトになります
この動画めちゃくちゃ面白かったですよね
ええ私たちが AI に感じるその知性の正体がですね
単なるテクノロジーの進化じゃなくて実は20世紀に起きたある哲学の革命にあったという驚くべき事実が語られています
さてここを紐解いてみましょう
私たちが AI と会話している時そこに意識はないって頭ではわかってるじゃないですか
はいプログラムですからね
ではなぜあれほどまでに知性を感じるのか
その答えを探る前にまず大前提として AI のベースであるディープラーニングが
いかに私たちの想像と違うアプローチをしているかという部分から整理していきたいなと
そうですね私たちは AI が人間みたいに論理的に考えて答えを導き出しているって錯覚しがちなんですけど
なんかすごいスーパーコンピューターが実行してるみたいな
ええでもソース資料によればディープラーニングの仕組み自体は人間の論理的思考とは全く異なっていて
驚くほど愚直な最適化のプロセスなんですよ
愚直ですか
はい人間なら原因と結果のメカニズムを理解しようとしますよね
でも AI は違います
例えば自動運転の学習だと AI は道路とはこういうものだみたいな物理法則を理解して走るわけじゃないんです
じゃあどうやって運転を覚えるんですか
とにかくシミュレーション内で何十万回も走ってぶつかりまくるんです
ぶつかりまくる
ええそしてたまたま1回成功したパターンだけを抽出してそれを何千万回と繰り返すことで結果的に走れるようになるんです
なるほど新薬開発の例もすごく象徴的でしたよね
そうなんですよ
現代の生物学とか科学って蜂の体内で生成される物質が花粉のタンパク質にどう影響するかみたいなメカニズムを仮説立てて論理的に薬を作るじゃないですか
はい原因を特定してそれに効く成分を考えるみたいな
でも AI のアプローチは一切の仮説を必要としません
量子コンピューターなんかを使ってただランダムに10兆回とか計算してがん細胞が死ぬ薬の組み合わせを見つけ出すだけなんです
単純にものすごい計算力に物を言わせるわけですよね
でもちょっと確認したいんですけど
それって金庫の鍵を開けるときに1秒間に10億個のパスワードをデタラメに入力するような
完全な当てずっぽというわけではないですよね
ああいい指摘です
純粋なランダムではなくて勾配効果法と呼ばれるようなエラーから学習して少しずつ正解に近づいていく数学的なプロセスは手入れいます
なるほどつまり目隠しをした人が山の頂上から谷底に向かって降りていくようなものですよね
はいはい
谷底がどんな場所かっていう全体像とか意味は全く理解していないんだけど
足裏の感覚だけでこっちの方が少し傾斜が下がっているなっていうデータだけを頼りに
何百万歩もかけて確実に一番下までたどり着いてしまうみたいな
素晴らしいアナロジーです
まさにそれなんですよ
AIにはなぜその薬ががん細胞に効くのかっていう生物学的な理解は一切ありません
谷底の景色は見えていない飯ね
ただ天文学的なデータの中からこの組み合わせが最もエラーが少ないっていう地点を足元の傾斜だけを頼りに見つけ出しているんです
ここには考えているプロセスも意識も存在しません
思考も意識もないただの目隠しをした数学的な最適化プロセス
だとしたらですよ
私たちがチャットAIに質問した時
なぜ彼らはあんなにも完璧な文脈で
まるで心があるかのような言葉を紡ぎ出してくるんでしょうか
ここからがいよいよ面白いところですね
資料はこの謎を解く鍵として
20世紀のイギリスの哲学者ウィトゲンシュタインの言語ゲームという概念に移行していきます
このウィトゲンシュタインの登場はですね
哲学の歴史において強烈なパラダイムシフトだったんですよ
と言いますと
それまでのヨーロッカ哲学例えば古代ギリシャのプラトンなんかは
全ての物事にはイデアつまり本質が必ず存在するという前提を持っていました
本質現実の背後にある
絶対に揺るがない完璧な正解みたいなものですよね
ええそうです
だから私たちが使う言葉の一つ一つにも
必ず確固たる本質が存在するはずだと考えられていたんです
でもウィトゲンシュタインはこの常識を真っ向から否定しました
そこで出てくるのがゲームの例ですね
はいサッカーかくれんぼトランプ
私たちはこれらを全てゲームと呼びますよね
ええでもこのゲームという言葉の本質って何でしょう
勝ち負けがあることですか
いやかくれんぼには明確な点数とか勝敗はないですよね
じゃあボールを使うことですかね
トランプは使いませんよね
じゃあ複数人でやること
ソリティアは一人でやりますよね
ああなるほど
そうなんですどれも少しずつ似ている部分はあっても
全てを貫くこれこそがゲームの絶対的な本質だ
と呼べるような共通の要素は存在しないんです
確かに
言葉には固定された本質なんて存在せず
ただその場その場のルールに従って人々が運用しているだけだと説いたんです
これを彼は意味とは仕様であるつまり言語ゲームと呼びました
つまりこれってどういう意味なんでしょう
私たちが普段使っている言葉には絶対的な真理なんて最初からなくて
ただ状況に合わせてお互いに空気を読み合いながら
プレイしているルールの集合体に過ぎないってことですか
まさにそういうことです
何千年もの間言葉の奥にある本質を探求するのが
哲学の仕事だったのに
ええ
いやそんなもの最初からない
ただの言葉の使い方のゲームだよと言い放ったわけですから
当時の自粛人たちにとってはもう世界がひっくり返るような衝撃だったんです
世界の土台が消えてしまったような感覚ですよね
でも言葉に本質がないなら私たちが使っている言葉って
一体何のために存在しているんでしょうか
そこでさらに世界観を揺るがす思想が登場します
近代言語学の父と呼ばれるスイスの学者ソシュールですね
彼が提唱したのは言葉が現実を切り分けるという概念でした
はいソシュールはシニフィエ
つまり現実そのものとシニフィアン
それを指し示す言葉や記号という関係性を定義しました
えっと普通私たちはまず目の前に現実のものがあって
それに後から名前をつけたと思っていますよね
そうですね例えばリンゴという果物が先に宇宙に存在していて
後から人間がそれにリンゴというラベルを貼ったと
しかしソシュールはそれが逆だと主張したんです
言葉というのはもともと境界線なんてない
混沌とした現実を人間の都合で切り分けるナイフのようなものだと言うんですよ
ここからが本当に面白いところなんですが
ソースにあるハエの視点のたとえ
あれが非常にわかりやすかったですよね
ええあの例えは秀逸です
例えば一匹のハエが飛んできたとします
ハエにとって人間の服も顔も髪の毛も
全部ただのよくわからないけど止まれる物理的な場所ですよね
そうですハエの世界は混沌としていて境界線がありません
なぜならハエは言葉を持っていないから
ええ一方で人間はここに顔というナイフを入れ
髪の毛というナイフを入れ
服というナイフを入れて
世界を切り分けます
はい
言葉があるからこそ私たちはこののっぺりとした世界を
意味のある別々のパーツとして認識できるんです
この部分私なりに考えてみたんですが
ええ
言葉というのは世界をそのまま映し出す鏡ではなくて
のっぺりとした現実という生地をくり抜くクッキーの型なんですね
クッキーの型
型がなければ現実はただの巨大なスライムのような塊に過ぎない
言葉という型を押し当ててくり抜くから
初めてそこに意味や輪郭が生まれるんだと
それは現象を完璧に捉えた素晴らしい表現ですね
これをより大きな視点で結びつけると
言葉が現実を生成しているという
劇的な逆転現象が起こるわけです
現実があって言葉があるのではなく
言葉が先にあって現実を生み出している
虹の色の話もまさにそれですよね
日本の私たちは虹を七色だと認識していますが
アブリカのある地域では三色だと認識されているそうです
現実の光の波長そのものは世界中どこでも同じなのに
言葉というクッキーの型の数が違うから
見えている現実そのものが変わってしまう
その通りです
魚をマグロサバアジと細かく切り分ける文化もあれば
英語圏のようにざっくりブルーフィッシュ
青魚という一つの型で済ませる文化もありますし
はいはい
さらに重要なのは物理的なものだけではないということです
民主主義や人権といった概念も
物理的な実態はどこにもありませんよね
確かに宇宙のどこを探しても民主主義という物質は落ちていません
でも民主主義という言葉の型があるから
私たちはそれを現実として認識して
時にはそのために命をかけることすらある
さらに言えば心も同じですよね
心が折れるとか
実際に心臓の筋肉がポキッと折れているわけではないのに
そうなんですよ
私たちは心が折れるという言葉の型を持っているから
その抽象的なダメージを現実の痛みとして強烈に体験します
まさに言葉が生み出した現実です
さてここで一つの大きな疑問が湧いてきます
何でしょう
ウィトゲンシュタインの言葉は本質のないゲームであるという思想
そしてソシュールの言葉が現実を切り分け作り出すという構造主義