00:07
はい、どうも。薩摩訛りの耳毒ラジオを
とある組織の人身運び屋、miyakenneです。
えっと…
いやー、一週間終わりました。はい。
えっとね、走ってきました。200キロ…230キロでしたね。
あのー、眠い。
眠さとの戦いですね、これ。
あのー、路線バスとかね、観光バスかつて乗ってましたので
あのー…
まあ、眠くはなるんですよね。運転中眠くなるということは
まあ、日常的にありましたけども
とはいえね、やっぱり路線とかだと色々やることがあるっちゃあるので
それで乗り切ってたところもあるんだなーって思いましたね。
今はただのおかがい運転手なので
黙ってただただ運転するという状態でいるとね
いやー、睡魔が一番の敵ですね。
今日もね、高速をね、ずっと走るわけですよ。
いやー、眠い。
まあ、とはいえ予想していたので
当時のね、眠気ざましグッズを持ってね
で、走りましたね。
でも、やっぱり年には勝てぬのか。
うわー、きついなーっていうことで
ブラック…ブラックガム…あの違うな
ブラックキシリトールをね、3つ食べましたね。
あのー、あれが効いてるうちはね、大丈夫なんですけど
でも、もうやっぱりあのスースーがなくなると
また眠気に負ける、負けそうになるっていうことで
次の新しいの食べてとかやってましたね。
まあ、攻略法で一つ思いついたのが
歌を歌うっていうね。もちろん声は出せないので
声を出さずに歌を歌うっていうのをやってましたね。
まあ、一石二鳥かなと。眠気ざましになりつつ
一応、声帯のレベルでは歌の練習にもなるっていうことで
前にちょっと解説したことあるんですけど
声を出さないで歌の練習をやる方法ってのがありましてね。
それをずっとやってましたね。
声帯だけ震わして声は出さないっていう歌ですね。
ビブラートの練習とかしたりとか
呼吸の練習、ブレスの練習、
腹式呼吸の練習っていうのを声を出さずにもできるので
それをやることによって眠気ざましをするという
03:02
いろいろあります。
フル装備だと運転用の手袋をしてとか走るんですけど
まず手袋を外す。眠くなってきたら。
それでもダメなときは靴を脱ぐっていうね。
それでもダメなときは靴下を脱ぐっていう手もあるんですけど
今日は靴下までは脱がないで済みましたね。
これねだいぶ眠気ざましになるんですよ。
裸足で運転するっていうのは。
裸足で運転するのね、ちょっと足に違和感があって
慣れが必要であるんですけど。
慣れてしまえばできますね。別に。
そんなことより寝てしまうと終わるので。
それ以上にこの足に違和感がある状態の方が
まだまともな運転ができるということでね。
やってますよ。やりましたよ。
こんなしてたなって思いながらね。
ということで本日もミミトクラジオよろしくお願いします。
では行くぜ。
明日、次男が卒園式を迎えます。
保育園終わりますね。
長男から始まってなので7年お世話になりました。
約7年ですね。
長男はね、最初妻が育休あけてからは
妻が勤める、妻は看護師なので病院に勤めてましたので
ますので、今会社変わったからなんですけど
当時の病院に勤めてた病院には保育所がついてたので
最初の1年間ぐらいはそこにいたのかな。
1年間じゃない、半年か。
4月から正式に保育園という時に
家の近くに新しい保育園ができていたので
そこに通わせ始めたから約7年ですね。
下の子も同じ保育園に通って卒園するまでということでした。
この保育園で新しかったんですよ。
ちょうど長男が妊娠してるぐらいの時に
あそこに保育園できたよ、みたいになってて。
見に行った時だから2年目ぐらいで
綺麗で新しい保育園だったんだけど
7年経ちましたからね。
もうだいぶね、この辺の傷だらけになってるなっていうのを
この前、次男の保育産官に行った時にね
見ました。
今日はだからそんなようなちょっと自分勝手な
懐かしい話になるんじゃないかなって思ってますけどね。
保育産官も年長産だとまともに見たけど
06:00
まだ赤ちゃんだった頃は2歳3歳とかの頃は
教室の後ろ側に壁を作って
その壁に何箇所か5,6箇所のぞき窓がついてて
そこからのぞくっていう保育産官でしたね。
他のところそんなやってるんですかね。
わかんないですけど、うちはそんな感じで
要は子供たちに親が来てるってのが
わからないような状態にしておいて
のぞき見るっていう
普段の保育園の生活をのぞき見るっていうスタイルでしたね。
当時はね、なるほどとか思ったけど
今考えればあんなことやってんのかなと思ったけど
年中産、年少産からか
年少産から後ろで普通に立って見るっていうことをしましたね。
子供ってやっぱり関心なもので
ちゃんと外に出れば外での過ごし方
なんていうんだろうな
家での自分と外での自分っていうのをね
2歳とか3歳の時からあるんだなっていうのを感じて
非常に感心したというかね
いろいろ学ばされましたね。
それもそうだし
それを実感してから
したからこそ外と家とで
子供なりに自分を切り替えて使い分けてるんだ
ということを知って
その結構反動っていうのが
いろいろやっぱり出るんだっていうことを学びましたね。
具体的に言うと
うち長男はですね
領域にね、保育園の時は通ってて
それが
その時が
結局
なんか言葉が上手く出ないっていうことを相談して
領域受けてみてはどうですかって話だったんですよ。
自分の話をする時
あのね、えっとね、あのねって言うんで
全然こう話ができないっていうのが
ちょっと心配で
保健所に相談したら
領域受けてみますかって言われて
いわゆる
なんて言ったかな
ちょっともう忘れちゃったな
領域の教室
教室じゃないな
施設っていうのもちょっと大げさか
領域上に
保育園に通いながら
週に3日ぐらいその
領域の方に行くっていうね
保育園に迎えに来るんですよね
で、連れて行ってくれて
3時間ぐらい領域で過ごしてまた帰ってくるっていう
送り迎え付き
09:00
送り迎えがないところもあるんですけど
送り迎えしてもらわないと困るなっていうんで
送り迎え付きの領域施設を探してね
いくつかだから何個も見学はしましたよね
で、ここに決めたっていうところに行かして
あ、違う
保育園の時はもう場所決まってたのかな
もう忘れたな
行かせて
で、そのままエスカレーター式に
領域受けてた子は放課後でサービスが
小学校になったら受けられますよっていうんで
で、正直言うとその言葉の問題は
結構半年ぐらいで回復というか
復帰してて
復帰じゃないな
解決してて
喋れるようになっていたんですよ
だから本当にそういうちょっと発達障害だったのか
あのー
えっと何ですか
あのー
そういうお年頃だったのか
正直分かんない感じだったんですけど
その言葉に関してはね
なんだけど
結果としてやっぱり
家ではおしゃべりなのに
この保育園の様子を聞くと
なかなか引っ込み違反だっていうのも分かってきたので
やっぱり領域とかに通わせるようになると
すごく
保育所ではどんな様子ですか
家ではどんな様子ですかっていうのを聞ける
聞けるというかね
定期的に面談があって話するんですよね
それでやっぱり付き合わせてみると
だいぶ違うなっていうことが
やっぱり改めて分かってます
で、結果として
これ多分パターンとして多いと思うんですけど
外ですごく自分を出せずに我慢している
その反動で家ではめちゃくちゃ喋るっていうね
そういうことはよくあるんだろうなと思って
っていうのがあったので
その領域の内容も
発語とか言葉がっていうので最初言ったものも
途中からはそういう
メンタルケアというか
外で我慢しすぎない
要はちょうど
外でも家以外でも自分を出せるっていう
感じを目指しましょうっていうことで
領域は見てもらってね
結局
何だろうな
喋りたいんだけども
大勢の中では自分が発揮できなくて
なかなか話を聞いてくれないっていうのが
ストレスになる
それが家に帰ると爆発して
もうずっと喋ってるっていうことなんでしょう
という話になって
で、領域は
3人ぐらいでね
5,6人の子供を3人ぐらいで見るんで
一人一人に向き合えるっていう体制だったので
保育園はね
十何人を一人の先生とかで見る
特に学年が上がるとね
という状況だったので
12:02
その領域に行かせることによって
その中間でちゃんと話聞いて
大人が話聞いてくれるっていう
外でねっていう空間がありつつ
家では心許して自由に喋れるっていう
これやっぱり三段の空間を味わうことによって
完全に内と外が分かれるんじゃなくて
その中間みたいな
家みたいに安心して大人と喋れるけども
でも外だよっていう
まあ言えば公の空間だよっていうのも
体感できるというか
実感できてそういう生活ができるっていうので
すごく良かったなと思って
発達障害かどうかっていうことを考えると
リブラス先生もよくおっしゃってるようにですね
僕自身が発達障害だったんだろうなと今思えば
思うところは
いわゆる我々の界隈でいうと
ロボだったんだなっていうのがあるんで
長男もどう考えても自分にせっかく似てるから
やっぱり行かせてよかったなっていうのは
すごく思いましたね
自分自身が感じてきたような
生き苦しさっていうのは生きる辛さね
生き苦しさをちょうどこの中間点があることによって
感じずに
要は自分で抱え込まずに
成長できたんじゃないかなって思いますね
それがあったから
なんか新しいところに行くのは楽しいことだ
っていうふうに本人認識してて
なんか人見知りしない感じなんですよね
新しい場に行っても結構興味があれば
参加することは別に苦じゃないみたいな
性格にはなってくれたので
小学校に上がるときに
放課後でサービスを受けようって
だからもう受けないでいいかなとも思ったんですけど
せっかくならっていうんで
領域の先生の推しもあって
もういいやってばやめればいいから
行かせばいいかと思って
ただその放課後デイサービスは
自分たちでどこに決めるかっていうのを
決めないといけないっていうんで
結構何箇所かな
6,7箇所見学に行って
でここっていう場所に決めたんですよね
それもね色々勉強になった
面白いっちゃ面白かったですね
色んな特色を持った
放課後デイサービスっていうのはあってね
なんか英語教育を頑張ってるとか
なんだろうな
ITというか
バーチャルゴーグルを使って
コミュニケーションの練習をするとか
そういう最新のあれを
うちは取り入れてますよとかね
あとうちは目の前に公園があるので
15:02
しょっちゅう外遊びをさせるようにしてますとか
色んな特色のある
放課後デイサービスがある中で
一応先生と喋って
ここの先生なら任せられそうだなって
僕が感じたところに
最終的には行かせましたけどね
でねその見学に行くときも
結構物応じしないで
一緒にじゃあゲームしてみますかとか言えたら
うん行くとか言って
行ったりしたのも大って感心しましたね
かつてのもし自分だったら
全然こう引っ込みじあんで
あの見知らぬところで
人の輪に入っていくなんて
とてもできない
今でもそうありますけど
自分はそうだったけども
長男はねそうやって
ケアしてくれたおかげなのか
新しいところで新しいことをやるのに
物応じせずに行ける
っていうキャラになっていた
もともとそうだったかもしれないですけどね
のがあったので
小学校に上がっても
結構大丈夫だったし
児童クラブに行っても
大丈夫だったし
放課後でサービスに行っても
大丈夫だったなっていう
いろんなところに出向いていける子になったのは
よかったでした
とはいえ生来はねちょっと
引っ込みじあんとかあるから
最初はかなり様子をうかがって
いてはいるみたいですけど
そんなにこの
何だろう泣いても帰るとか
そういうことはなかった子だったな
になったなっていうのが
印象ですね
あれ保育園の話じゃないね
まあいいや
今何言おうとしたっけ
そうそう
とはいえね
本とか要は自分の世界に
没頭するのが好きな子であるので
児童クラブに行っても
友達と馴染むというよりは
その空間には馴染んですぐ
漫画とか本とか
自分が好きなものを見つけて
それに没頭するっていうのがあって
放課後デイサービスに
行かせた時も
最初はそうあったらしくて
それを随時そういう報告を受けて
遊びに誘ったりして
参加するけど途中でもうやめた
って言ってまた本を読み始めたり
っていう感じだったのが
やっぱ最近はね
友達とコミュニケーションを取る
友達と遊ぶっていう
ゲームをしたりして遊ぶ
っていうことをやるようになりましたよ
ってね
放課後デイサービス略して
放デイなんですけど
放デイの先生とかもね
言ってくれたりして
いやーよかったなと思ってますね
なんかやっぱりちょっとね
そういう自分の子供が
人より遅れてる
人より足りない部分がある
いわゆる発達障害の疑いあり
っていうのは
今までの感覚だと
ちょっとやっぱり受け入れにくかったりして
18:00
できれば普通に
いわゆる普通のことを
同じにさせたいなって
思うところなんですけれども
やっぱりいろいろね
そういうの見てみたら
これラッキーだなと思って
むしろやっぱり
今時にはね
箱の中に入れて
みんなと同じように教育ってのは
やっぱ無理があるなっていうのを
分かってきてる時代になってるんで
一人一人をやっぱ
直接見てもらえるところに
行かせられたのは
すごくラッキーだなと思ってますね
そういう感覚が途中であったので
次男もぜひ行かせたいと思って
次男も保健所に相談に行ったんですけど
この子家で暴れるんですよ
みたいな感じで
なんかね最初は
受け入れてもらえなかったですね
いや大丈夫です普通ですみたいな
外ではお利口さんなんですよね
外ではお利口なんですけど
家ですごくね
暴力的だったりとか
感触を起こしたりするんですよね
って言っても
このぐらいの子供は
外でちゃんとできてれば
もう十分ですよみたいな感じで
長男と違って
次男はですね
領域を拒否されましたけど
なんだけど
今度小学校に上がるにあたって
改めてこの放課後デイサービスに
行かせられないかなって言って
長男が言ってる
放デイの先生にも相談したりしながら
やって
いろいろやりまして
結果ですね
次男も放課後デイサービスに
行かせることができるようになりました
この表現もしかしたら
すごく違和感がある言い方かもしれないんですけど
僕からするとそういう感覚ですね
長男もいるんで
まあいいのかなって
いやでもね実際ね
やっぱ外で
引っ込み事案で
中で大暴れっていうのはね
次男も一緒で
というかむしろ次男の方が
やっぱりその間を
取り持つところに
行かせられる機会があったら
絶対そっちの方がいいなと思ってたんですよね
外での我慢のストレスが
いや本当にね
お利口さんらしくて
家ではねもうね
暴言を吐いたりね
物を投げたりね
パンチキック繰り出したりとかね
するんで
相当外でのストレスが
溜まって家で暴れるんだろうなと
もちろん性格もあるのも
でも根底は一緒かなと思ってね
だって保育園の先生に聞かせると
全くやっぱそういう様子が
分からないらしくて
家での様子っていうのは
そんななんですかって
すごくお利口だけどなーみたいな
信じられないってどの先生も
口を揃えて言うぐらい
次男は外で自分を
全然出せてないんですよね
本来はもっと激しい性格をしてるのに
それが外で
全然それを抑えて生きてる
21:01
っていうのが
保育園の先生の話を聞いても
エピソードとして分かるので
だから是非ねやっぱ
法令みたいなところで
ちゃんと意識的に
見てもらえるところに
行かせられることが
できるようになったので
良かったなーって思ってますね
それはそれで
保育園の話に戻ると
よく小野野さん
がね2Fの中で言うと
小野野さんは
小学校が嫌いなんですよね
本人言ってるから
言っていいと思うんですけど
PTAとかがすごく嫌で
小学校も何考えてるんだ
っていうことが多いと言えば
どやさしたいことが小学校には多い
保育園は良かったんだけどなーって
よく小野野さん言ってるけど
うちは逆で
保育園ね変なこと
多かったんですよね
それに比べて
小学校は結構
PTAとかもすごく葛藤的で
先生たちも
ちょっとモデル校みたいになってる
ところもあるんで
教育委員会というかね
いろんな新しい取り組みを
どんどん導入して
実験をしたりする学校なので
小学校は僕はね
すごく好きなんですよね
でも保育園がですね
やっぱなんか
行き違いとか
病気の扱いとかがね
こっちは仕事をするために
保育園に預かって
もらってるんだけど
保育園のルールが
それで病気の何とかで
それで行かせられないんだったら
いやもう治ってるじゃん
っていうのに診断書をもらってきて
登園していい許可を
もらってきてくださいって
もらってきてくださいって
仕事があるのにいつ行くのみたいな
休んでいかないといけないので
行っても
先生にはい行っていいですよって
言ってもらうだけなんですよ
病院の先生にね
そのためだけにこっち仕事休んで
また連れて行って
いや何のために保育園に
行かしてるんですかっていうね
変なルールをすごく厳しく
もう一回追い越されたことが
ありましたからね
あれは本当に腹が立ちましたね
いや診断書持ってないとか
ちょっと受け付けられないです
とか言われてね
どうするんですか
私もう仕事休むんですかねみたいな
フリーランスだったんで
それ可能であったんですけど
可能であったから
連れて帰りましたけど
めちゃくちゃ腹が立って
これ本当に勤めの人だったら
どうするんだろうみたいな
だからもうそれから
病院に連れて行って
謎の診断書じゃないや
登園許可書みたいなもらって
何回でもらったか書いてもらって
でももう病院の先生も
悲しいことに
結局そういう時期って
多いわけですよ子どもの
24:00
この通院も来店も多い時に
登園許可だけのために
業務が増えるから
あっちの先生もめんどくさい
はいはいはいはい
登園許可ねはいはいはい
どうぞみたいな感じなんですよ
これ誰が得してんのと
誰が
それも役所とかにも僕
苦情みたいに言って確認したら
保育園の裁量に任せております
そこはみたいなね
役所としては別に
その登園許可書が
絶対必要っていうふうには
してないんですけど
各園に任せてますみたいな
ことでじゃあ保育園の
あれじゃねえかみたいになってね
何なんだここはって
特に園長がね
園長は辞たともに認める
辞たともにって辞は認めないか
どの保護者も言ってる
園長ちょっと変だよね
園長でね
保育園ですね
うちの保育園
途中で経営が変わったりも
してるんですよ
最初は社会福祉法人
みたいなところが母体の
保育園だったんですけど
通い始めて3年目ぐらいで
ちょっともう母体が変わりますと
言えば保育園売られたわけですね
西本願寺の要は
保育園の
仏教系の学校法人とかを
やってるところが
経営に移ったんだけど
園長変わらなかったんですよね
園長ってどういう立場なんですかね
あれ
何だかね
理事長はもちろん変わったんですけど
新しいところに変わってから
理事長の保護者は
僕は好きだったんですけど
何分現場がね
園長はとにかく融通が
効かないんですよ
もう決まりですから
みたいな感じでね
僕言ったんですよ
もういちいちねって
インフルエンザかかりました
あるいはコロナかかりました
あるいはノロウレスかかりました
治りました
治ったという証明を
取りに行かないと通わせられないとか
そんなこと言われたら
こっちはもう仕事できないから
もう僕はそんなこと言うんだと
今後私
どんな感染症にかかっても
保育園に報告しませんよと
他の父兄さんも
そうなるんじゃないですかって
そもそも何のために
感染症とか
保育園で出てます?
流行ってます?って
何のために言ってるんですかと
そうやって変に厳しくすると
もう言わないほうがいいやって
なりますよ人間はって
それでもいいんですかぐらいのこと
僕は言ったんですよ保育園に
そしたら
いやーみたいな感じで
またちょっと考えてよ
今度また相談会議でやっときます
とか言って
いや絶対やってねえだろみたいな
27:00
感じでね
思ってたから
それから3ヶ月ぐらいしてから
なんかルールが新しくできたけど
より若干ね
より厳しくなったりしてて
もう何やってんだみたいな
何ですかこれつって
いやこの前
言ったことを踏まえて
また会議でやったんですけど
厳しくなってるじゃないですか
意味わかんないんですけど
分かりました
僕今後一切報告しませんからね
って言って
実際それから2年間ですね
うちの次男は
保育園に対しては
インフルエンザにもかかってないし
何の感染症にもかかってないことになってますね
っていうぐらい
もうね嫌でしたね保育園
のそのシステムシステムというか
なんかこのね
まあでもそれも終わりました
卒業卒園となりました
でもね
やっぱこれを機にね
ちょっと過去のビデオとか見てね
いや本当に成長したなという
考え深い思いですね
さすがにも
とはいえですね
やっぱ高校の先生方は
すごくよくしてくれたりもしたんで
思い出もあるし
大学の先生もいるんで
明日はね
ちょっと泣くかもしれないなと思ってますね
さすがに
はい
まあ7年間
7年ちょっとお世話になりました
ということで
いよいよ卒園となりました
まあちょうどだから
そのタイミングもあったのでね
私も就職の方は
もうじゃあ今年だな
ということで
移ったところだし
ちょっとのんびりした職場で
子供の対応もすぐできる
すぐできるっていうこと
結構わかってきたんでね
実際働きだすと
子供が急になんとかっていうときは
なんだっけあれ
子供
子供
面倒見休みみたいな
なんかね
3日ぐらいあるらしくて
いつかだったかな
いつだったらそれでパッと
休むこともできる職場だってことも
よかったなと思って
まだ子供
次男がね
小学校1,2年生の間は
今の職場でそういう対応もできる
ちょうどよかったなと思ってました
ところです
私ポジティブモンスターなんで
ポジティブな部分にしか目が行ってないんでね
はい
今のところそんな感じでね
いい感じです
まあ自分の夢だった
イラストで
食べていくというね
夢は
残念ながら破れてしまいましたが
何よりも子供が一番なので
とはいえ僕の中でね
子供家族が一番なので
そのポジティブに目を向ければ
実にいい環境になっているなというところです
30:02
はい
あの
一人のアーティストというか
絵描きとしては
非常に
なんだろう
負けた感っていうのはあるんですけどね
だから物事は見方ですので
ポジティブな見方をすると
非常にいい環境になっておりますよというところで
頑張っていきましょい
長くなりましたが
終わりまーす
じゃあまたねバイバーイ
ミヤケンでした
チェスト
卒園式
ありがとう