保育園イベントの日
はい、どうも。みやけんのボルケーの薩摩訛りの耳毒ラジオ、みやけんです。
今日ですね、ちょっと、えっとねー、次男の保育園のイベントというかね、で、一日撮られておりました。朝からですね。
もともとは妻がこれ行く予定で、休みをね妻がとってたんですけど、本人がパパと行きたいっていうことになって、どうするって言われて、いやどうするって、いいけどさ、みたいな感じで、本人が言うんだったらっていうことで、私が行くことにしました。
まあね、私、僕基本的にあの、イラスト講座が入ってなければ、スケジュールはどうとでもできるんですけど、とはいえとはいえですね、これでじゃあ、えっとね、講座がない日は、Uber Eatsで日銭を稼ぐわけだから、えっと、まあ一日分の稼ぎがなくなるわけですよね。
で、妻も休んでいると。っていう感じで、経済的な計画がなかなか難しいんですが、まあでも行ってきました。
えっとね、うちの次男の保育園は仏教系の保育園なんですね。
それで、えっと今日はなんかねその、何の日なのかわかんないんですけど、えっと、仏の子の集いみたいなので、その系列の保育園が結構多かったっすね。
保育園、幼稚園が4園ぐらいあって、あとなんちゃら施設なんちゃら施設も、きょうね、え、そんなあるんだって感じでしたけどね。
それはまあ合同でね、その、本当にお寺の方にね、えっと本願寺、えっと、浄土真宗本願寺ですね。
鹿児島支店っていうね、ところなんですけど、そこのねでっかいお寺にね、集まって、いや、その、なんだろう、なんだろうな、まあイベントっちゃイベントですよね。
行ってきました。まあ親子の集いっていうことでね、一緒にその、なんか、お寺のところで、一応、なんか、えっと、ほうえ、ほうえ、ほうえって着る着物か、なんだっけ、まあお経みたいな、お経の歌みたいなのをやったりとか、
あとは歌のお兄さんみたいな人が来てね、イベントをやって、子供たちを楽しませるというね。で、親子でお弁当を食べて、まあそれ半分終わったら、今度はその後、すぐ近くにですね、博物館、プラネタリウムみたいなのが、まあ小規模なものですけど、あるところがあって、そこに行って、化石を見るとか、化石この前見たばっかりなんですけどね、ものすごいやつを。
まあ見てみて、プラネタリウムで爆睡と。いや爆睡しちゃいけないね。爆睡しちゃいけないんだけど、私は爆睡しちゃいましたね。あれは寝ますよ、あんなもん。一回だけいびきかえておきましたけどね。
ということをしたりしながら、やっとね、今さっき帰ってきまして、週のコンダテを決めて、今買い出しに出るところです。ということで、ということで、やっと一人になれたので、今スタイフォー立っております。そんなこんなで、長くなりましたかね。
まあいいや、本題行きましょう。ミニトクたちをよろしくお願いします。では行くぜ。
関西のお笑い文化の分析
あれ、ちょっと話します。思ったこと。えっと、なんだっけ、ボケっていうボケやん。からの、それちゃうねんっていうね。
主題としては、えっと、関西人のお笑いマウントみたいなタイトル。タイトルはそんな感じですかね。
えっと、あのね、言い方ちょっと良くないなと思ってます。でも表現としてはこれが一番わかるんやかなと思うんで、本当にマウント取ってきてるとは思ってないんですよ。
まあそこらへんの話はね、ちょっといろいろ思ったんで、いろいろ思った中の5個思った中の1個2個言えるかどうかっていうぐらいの感覚なんですけど、話していきたいと思います。
はい、えっと、一旦ちょっと今買い物を済ませてきました。じゃあ本題続きいきたいと思います。
えっと、あ、まあプレップ法で話しましょうかね。結論から言います。結論は、えっと、もうめんどくせえ。もういいじゃん。っていうところです。
もうね、知らんがなうるせえよっていうところまで言いたいなっていう感じですね。で、これ結論です。なぜそう思ったかっていうところをね、言っていきたいんですけれども。
一つはね、マウントに聞こえちゃうっていうところをちょっと自分なりに解析、分析してみた話をするんですけど、あのね、やっぱりマサイさんが言ってたのがすごくやっぱりわかるというか、そういうことであればっていうね、材料になってます。
生まれた時から関西人、大阪人は笑いに触れている、笑いのシャを浴びているので、それが当たり前になっててみたいな話をしてて、うん、だからなんだろうな、で、僕もねコメントのやり取りしてて、それは違うと、ちゃうと、こうした方がおもろいねみたいなのがあるらしいんだけども、はっきり言ってね、わかんないっす。
で、これはね、生まれた時から浴びてるって言うじゃないですか、あの方言と一緒だなって思ったんですよ。
うーんと、だから、えっと、関西、なんだか関西ね、関西人が衛生関西弁が気持ち悪いって言って、ちゃうねん、そうじゃないって言うね。
っていうのは、これも全国、全国というか、まあ、方言の地域の人はわかると思う話だなと思うんですけど。
だから、鹿児島弁もね、僕は鹿児島なんで鹿児島弁なんですけど、とにかくあの、えっと、謎の九州弁みたいなのを鹿児島弁ってやって紹介するのがもう、まあまあ腹が立つんですよね、正直。
全然違うんですけどね、つって、なにをさあ、みたいな。
受け取り側の感情
そういうのどうじゃなかって言うね。
どこが鹿児島弁をさあ、つって思うわけですよ。
だから、そういう感じの突っ込みと、それは寒いねんとか、そこそれちゃうねん、その返し間違っとんねん、みたいなのって、そういう方言に対して突っ込むのとかの一緒かなと思いました。
だって、子供の頃からそれ浴びてて、もう、要は、なんだろうな、多分セオリーみたいなのがあるんでしょうね。
その関西の笑いのセオリーみたいなのがあって、それを子供の頃から浴びてるから、このセオリーがもう笑いの正解だっていう風に擦り込まれてて、
そのセオリーからずれたのを見たときに、いやいやいや、違う、なんか気持ち悪いな、だからその方言のイントネーション違うんだよな、みたいなのと同じぐらいの、同じように気持ち悪さとか、それ間違ってるよっていう指摘をしたくなるっていうのがね、なんじゃないかなと思って。
っていうのがまず一点ですね。
で、あともう一点はですね、そんな関西のお笑いっていうのは、とはいえ僕ら地方民にしたって、東京の人もそうかもわからないんですけど、やっぱりお笑い、関西お笑いだよねっていうのは、周知の事実というか、それはそれでそうだっていう風に思ってるわけですよ。
だからこそ、これ方言とちょっと重ねて考えてほしいんですけど、関西弁が日本語の標準だよね、みたいな感じなんですよ。
お笑いは関西の人の評価が標準で正しいものだよね、みたいな。
っていうのは僕らも思ってるわけですよ。だから関西の人は別にそう思ってないかもしれないけど、一つの正解です、権威です、だから権威化してるんですよね、関西人がお笑いを語ると。
だから関西人が語るお笑いからずれてると、関西弁を喋らない人は日本人じゃない、みたいな。そういうような日本語を喋ってない、みたいな。のと同じような感じ。
関西のお笑いで笑いをやろうとしないやつは日本のお笑いできてないよね、みたいな。いう風な感覚にこっちも勝手に受け取ってるわけですよ。
だからこれは関西の人が別にマウント取ってないっていうのはもうそうだと思うんだけど、こっちが勝手に、まあ言えば卑屈というか、そっちが正解でそれに近づこうと思ってやってるけど、違うって言われるってことは間違いなんだと。
でも間違いなんだって言われたらちょっと否定されたっていうところがあるんで、少しうんって思うところはあるわけですよ。それをわかりやすく言うとマウント取ってくるな、みたいな。
っていう風に感じる。だからね、まさやさんとかも悪くないですよ。はっきり言うと本当に悪くないんだけど、勝手にこっちがそう感じてしまうのは、これはこれだからある意味しょうがないっちゃしょうがない。
だからしんさんの娘さんがネイティブな英語の発音するっていうのは、別にマウント取ろうと思ってやってるわけじゃないっていう例え。それはもうその通り。その通りなんだが、受け取り側がマウント取られた感じがするって受け取ってしまうことはあるでしょ、それは。
お笑いとマウント感
それは受け取り側がそんな受け取りするから悪いんだろうも違うじゃないですか。悪いんだろうも違うじゃないですか。そう言ってしまってもいいかもしれないけど、でもそこは悪い悪いじゃなくてしょうがないじゃないですか、それって。
湧いてくる感情だし。だからそういうことなんだよなって思うんですよね。だからリスペクトしてるからこそ、違うっていうのをあ、違うんだって素直に受け取ってしまって、でもそれがまあ言い方、あとは言い方が強かったりとか、それこそ分かってねえなみたいなことを言われるとやっぱりマウント感を感じてしまう。
だからイリブラ先生が笑いのことに関して深く深く考察して分析したことを言っていうことに対して、わからないなあって言うと、え、わかんねえのみたいな感じに、いやわかるでしょみたいな感じで言ってくるのがやっぱりマウントに感じるんですよね。
正直言ってさ、もうこっちは勝手に感じることなんだけども。
ていう、ていうだけの話。もうまあ言えば、だけの話なんですよ。
で、そこにやっぱり、やっぱりそれが分かっている方がレベルが高いだとか、あの、言えば関西弁、また方言に例えると、関西弁うまく喋れてる方がまあ言えばレベルが高いと。
関西弁が下手な奴はもうダメな奴みたいな、そういうような評価を与えてるみたいな感じにはもうなってるんですよね。
あーこの笑いわからんかーって。
うーん、あんなダメやなあみたいな。
でも、え、関西弁喋れんのダメやないじゃないじゃないですか。喋れないでしょって。
それだって言ってるじゃないですか。生まれてから、生まれながらにして、小さい頃から浴びてるんだから、シミにシミついてるって。
生まれながらに身についてるものに追いつけるわけがないじゃないですか。
方言ネイティブの人はわかると思うんですけど、僕も、かごしま弁をかごしま弁以外の人が絶対にちゃんと喋れるなんて思ってないですよ。
それ無理だもん。で、僕も説明できないですからね。このイントネーションの使い分けって、もう説明できないレベルで身にシミついてるから。
だから、でも間違ってるっていうのはわかるから、それ違うんだよなーって思っても、でもそこで、え、かごしま弁喋れねーのわかってねーなーってならないじゃないですか。
で、仮になったとしても、あとはこれはマイノリティーかマジョリティーかの問題で、多い方、多い?話者が多い方が勝ちみたいなところがあって、
でも本当は本質は数の問題じゃないじゃないですか、その価値ということで言えばね。
だから関西のお笑いがわからないからと言って、何だろうな、なんかねやっぱこうダメなやつみたいな感じになるのは、そこはね本当に正直納得いかないですね。
納得いかないし、もっと納得いかないのは、ちょっと外野からあの人関西のお笑いわからないんだな、だっせえなっていう風に見てる人が、もしいるとしたらそっちがもっと嫌いですね。
関西の人から言われるのはまだいい。
方言と価値観
っていうのはなんかね、全体感じて思ってますね。
っていうのを全部考えてたら、お笑いなのに何真剣に嫌な気持ちになったりしてんだっていうのが非常にやっぱ馬鹿らしくなってきますよね。
求めてるのは笑いであり幸せなのに、考えれば考えるほど嫌な気持ちになったりムカついたりするっていうのはめちゃめちゃ馬鹿らしいなと思ったら、
要するに分析したり評価したりするのっていうのが、そもそも無意味でめんどくせえっていうのが結論になったと。
好きにボケさせてくれたらいいじゃんって。で、それ面白くねえなって思うんだったら思っとけばいいじゃん。
面白いなって思う人もいるんだし、それだから価値観の問題だからね。
鹿児島弁が気持ち悪いな聞きたくないな、なんか田舎臭くて嫌だって思う人もいれば、なんか味があっていいねっていう人もいるのも事実だし。
で、そういう人がいるって言ったって僕は鹿児島弁の鉛しか喋れないしね。これ変えられないんだから。
とかね。それと一緒だと考えればそこはやっぱゴチャゴチャゴチャゴチャでもない。あるいは何ならレベルが高いなの、レベルが低いなの、分かってないなの。
分かってないのが面白いなの。うーんめんどくせえって思いました。っていうのが結論です。
はい。長くなりました。もっといろいろ考えた気がするんですけど、もうこんなところで終わります。
じゃあこれからも、でもとはいえポジティブに自分は自分らしく楽しんでいきましょい!ということで終わりまーす。
じゃあね。またね。バイバーイ。三宅でしたー。エンディングテーマはこちらでーす。
そんな僕の意見に賛同する人、この指止まれー。バイバイ。チェストー。
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