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夕焼けひとりきり、始まりました。
昭和、二桁生まれのパーソナリティ、ミッキーロンリーがご案内します。
昭和レトロ、今は懐かしい思い出、明日の心配もせず駆け抜けた昭和の時代、温かく優しい昭和の情景、心のままにお話しできればと思います。
どうぞお付き合いください。
今日は、居酒屋時代。
素敵な名前のこの店、温かく柔らかな明かりが店内を灯す。
カウンターの奥に、味合い深くお酒をしみじみ取った品物。
彼の名は、ホップ。希望の人。また会えました。
カウンターの中に上品な和服のお出たちの、おかみさん。
彼女の名は、朝日の時よ。
灯台の明かりを灯すかのように、人々に愛と温もりの明かりを灯し続ける。
今日は、私ミッキーをどんな癒しで包んでくれるでしょう。
そばにいて、お酒を組み交わしたいと思います。お付き合いください。
ホップさん、こんばんは。そばにいて、よいですか。
やあ、ミッキー。また会えたね。
おかみとホップは、笑みをたたえ招き入れてくれる。
03:06
何を考えていたって、堪用な社会への道のり、都合なテーマについて考えてみたい。
ミッキー、日々喧騒の中で、昨今に思うこと。
情報にしても、暮らしも豊かになり、人々は多くのものを手に入れることができた。
サービスにしても、物にしてもそうだ。
依然とは比較にならないほど稀に。
そして、未来にしても続くであろう。
この繁栄は予測できるのだけれども、気をつけたいことがあって。
ふと、その人生観、世界観に共通することだけれども、
追い求めるその形は、非常に厳格なものになりつつある気がしてね。
見る目、空気が厳しいものになっているということだ。
余裕がなくなり、堪用な社会というものが忘れられてしまっていくのに、
気をつけなくてはならない。
こうあるべき、こうでなくてはいけない。
自らのマインドを持ち、向上心を持っているのは、とても良い側面があると。
そこに重視されると同時にならない自分。
他者を許せない気持ちが出てきてしまい、
ネガティブなものに支配されていないかということだ。
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日常をシンプルなワードで言うと、
余裕がなく疲労困憊している自分にふと気が付く。
そして、自分に甘く人に厳しく。
自分に厳しく人を許す人に甘くなら良いのだけれども、
忘れているような価値観のような気がする。
人をネガティブに語ることを厳しく見ることによって、
自らが何もしなかったとしても、
人を押し下げることによって自分のポジションを
安息の場として錯覚してしまうような空気感があるのも否めない。
ふと考えてみるアバウト、許すというものが、
以前は寛容な社会が連動していたような気がするんだよね。
これでいい、こうすればいい。
互いにその人々をある価値において
グレーゾーンを多く設けている。
そこに許容されることにより、
そこに何らかの自分が存在感を感じられるということだ。
自らも除外された感覚を持たず、
自分も当事者として連動させることができる。
誰しも置かれる状況というのは、
それは時間的な流れ、時の流れ、
経済的な自分のポジションの流れによって、
そのタイミングは人により多種多様。
困った時には助けてもらう。
余裕がある時には人を助けるというのは道理の通った話。
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一度従事された者は非常にありがたいことだ。
反対にそうではない自分を責めたって言っては、
とても心に傷がつくという話。
寛容な社会というものが救うもの、
非常に大事なもののような気がするんだよね。
ホップさん、ありがとうございます。
久しく寛容な社会というのから遠ざかっていたような気がします。
適当、大雑把、それを言われず言葉もあることでしょう。
ただそこに許容するものがあれば、
自らのその心で関わることができる。
そして人は除外を人に対してしなくなるということが一番だということですね。
ホップさん、おかみさん、乾杯してください。
乾杯。
居酒屋時代。
人は誰しも身の回りにコミュニケーション、
その社交的なものを形成しています。
誰もがそのコミュニケーションはつながりあって、
その社会へ広がりは無限なもの。
当然のことかもしれません。
ただ、除外してしまうことによって自らののみの所属するもので、
また自分だけが良くて他は除外して良い自分になった、
社会になったと勘違いするのは気をつけなくてはいけないという、
そんな居酒屋時代に人は集まります。
お立ち寄りください。
この辺りで終わります。
お付き合いしていただきありがとうございます。
次回の番組お楽しみに。