1. 夕焼けひとりきり
  2. 新幹線の食堂車 from Radiotalk
2024-10-11 10:07

新幹線の食堂車 from Radiotalk

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夕焼けひとりきり、始まりました。昭和。二桁生まれのパーソナリティ。ミッキーロンリーがご案内します。昭和レトロ。
今は懐かしい思い出。明日の心配もせず、駆け抜けた昭和の時代。温かく、優しい昭和の情景。
心を思うままにお話しできればと思っています。 どうぞお付き合いください。今日は昭和レトロのお話。
テーマは 新幹線の食堂車。憧れのキーワードです。
昭和の世代のみなさん。 現代に生きるリスナーのみなさん。新幹線。
我々子供自分からの憧れの存在。 その中でも特別な
ステージ。 食堂車。
まつわるエピソードを私ミッキーがお話ししてまいります。 どうぞお付き合いください。
新幹線の食堂車。 その始まりは
明治時代以降に食堂車は憧れの存在でもあり 新幹線開業当初はなかった。そして1975年。
時代に合わせて短縮された中で
同時に距離も 東京から
名古屋 大阪
岡山 そして博多と時代の
変遷とともに 長距離移動が短縮される時間と合わせて
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その中で食堂車。 もちろん当初は
東京名古屋か ビュッフェの始まりだ。
それが 終時間の要する
そんな利用者に合わせて食堂車が誕生する それはまさしく憧れの存在
カレーライスから始まって ビュッフェチュ
ハンバーグステーキ サロイステーキ
その入り口にある北東ナイフの看板は 入りたくても当初入れない憧れの存在でもあった
多くの人が 利用して
それこそバブルの時代 30人分を1回に炊き上げるほど炊飯器も用意されていて
多い時には10回も炊き上げるほどの必要な量だったと聞く そしておなじみの光景
富士山を見ながら そのイメージは私ミッキーも今も
時として窓際に あるテーブル
椅子が外向きになっている場所は 食堂車をイメージして
今も嬉しくなったりもする カフェでもそうだ
通り行く窓際の テーブルそれは食堂車をついつい
意識してしまう遠い思い出だけれども そんな
食堂車も2000年 新幹線も速度が徐々に進化して高速化が図られていく
光号に連結してあった食堂車も 望みの主源によって待機車両となってしまうことも時折あって
同時に姿を消していく もちろん
旅の目的の中 楽しみにしているビジネスの人観光客も多い
そんな風に思う それこそ25年余りの間まさに自分が昭和の時代に成長していく過程で
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ブルートレイン新幹線の食堂車憧れでもあったけれども 自分が乗りたいと思って夢をつないだ時には姿を消していく
それだけ時代の変遷も早かったっていうことであろう 夢のような
まさにソンマトのような出来事だ ある
食堂車の苔 登場人物
秋和くん 時夫ちゃん 北海道さんが窓際
富士山を見ながら食堂車念願の初体験だ 北海道さんはカレーライス
時夫ちゃんと秋和くんはサロインステーキ 北海道さんはついつい癖で
水のグラスにスプーンを突っ込んでしまう 秋和くんが注意する
北海道さん恥ずかしいよ ごめんごめん
そして 時夫ちゃんはフォークとナイフを器用にサロインステーキを食していく
秋和くんはパクパク食べてもう残りが少なくなって わーもうなくなっちゃうよそんな
時夫ちゃんに訴える 秋和くん任して
時夫ちゃんが残り少なくなった秋和くんのステーキを また
細かく切ってって数が増える 秋和くん
増えたでしょ これでご飯
食べれるね ありがとう時夫ちゃん
また同じ数になって秋和くんはご満悦 富士山を見ながら
3人は並んで 食堂車を
満喫するのであった 話は変わります
新幹線の食堂車 我々は
憧れの存在でもありました そして亡くなって新幹線は
パサーと呼ばれる スタッフがワゴンサービスで
各地の土産そしてワインビール 販売を続けてくれました
そしてお馴染みのカチカチになったアイスクリーム 私ミッキーは名古屋で乗って
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アイスクリームを続いていたら
大阪に着いてしまうそんなような こともありましたね
今日は夕焼け独りきり新幹線の食堂車 夢のステージでもあった昭和の砂に輝ける
歴史を刻んだ物語 お話しました皆さんも
そんな記憶ございましたでしょうか 夕焼け独りきりこのあたりでお話を終わりたいと思います
お付き合いしていただきありがとうございます 次回の番組お楽しみに
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