JAZZ BAR 昭和への誘い
夕焼けひとりきり。始まりました。昭和。二桁生まれのパーソナリティー。ミッキーロンリーがご話します。昭和レトロ。
今は懐かしい思い出。明日の心配もせず駆け抜けた昭和の時代。温かく優しい昭和の情景。心のままにお話しできればと思います。
どうぞお付き合いください。今日は、JAZZ BAR 昭和。
素敵なピアノが流れる小店。女神アフロディーテが時として購入する。カウンターの奥に、味わい深くお酒をたしなむ。
彼の名はジェイ。人は彼をそう呼ぶ。
今日は ドライマッチン。
私ミッキーがそばにいてお話をお伺いしたいと思います。 お付き合いください。
正義と悪のレッテル
ジェイさん。 こんばんは。
そばにいてよいですか。 やあミッキー。
また会えたね。どうぞ。 何を考えていたって
正義と悪の連続。 抽象的なキーワードだ。考えてみたい。
ミッキー。 我々は様々なビジネス、プライベートを生きる中で、ありとあらゆるものにその立場を置かれる。
時として、加害者になったり、被害者になったり、
そんな気持ち苛まれることはないだろうか。 そして、
極まれば、 正義と悪、
そんなレッテルをつけられていることもあるかもしれない。 気をつけなくてはいけないことがある。
あるテーマにおいて、その立場が異なる、
真においてだ。 例えば、
ある事情に関して、その異なる意見がある。
世界において、本当にそうだ。対立しているものがある。 アメリカ、
ロシア、中国といった、巨大な国の問題も関わることだろう。
そして、同じ、ある部分において対立構図がある。 それぞれごとに
連結している問題がある。 どちらかが
回ると、 片方が反対の側に回る。
そして、 国連という組織があるのだけれども、そこでも常任理事国が
二つに分かれるし、一つの条例の下、
何か一つでも反対すれば通らない。そんな意識も、
事案として決定付けられることもあるだろう。 そして、
希望の諸国はいつもその
中に巻き込まれることとなるだろう。
外交表の問題にしても、経済的なものにしてもそうだ。 その場合に、ふと
対立構図を考えている。片方から見た場合に、正義があった。
それを主張したところで、相手側から見た場合は、相手も正義だと感じているということを忘れてはならない。
相手が悪だと思っていても、相手から見れば悪だという話なんだ。
ましてや、宇宙から見て俯瞰すれば良いのだけれども、それは人々の意識では
難題なことを、 その時にふと考えている。
歴史と紛争の教訓
我々日曜の中の些細な話でもそうだ。俯瞰して考えれば結論に至るのだけれども、
目の前のものと対立することになる。
歴史上において、戦争を我が国も経験した。 その前に、例えば太平洋戦争の時、
アメリカ、日本、今では友好国、
関係になっているのだけれども、当時は、ある地域においても、
向かい合った時に、互いに殺し合いなど、そんな悲惨な歴史があった。
その時に、兵士同士は互いには何も、
憎しみもなく、その相手の主情も分からないということ。
そして、国同士の問題で目の前にいる者が、
憎しむ者の対象として、
やり合う結果になってしまったという話だ。
歴史上ありとあらゆる紛争はそうなんだ。
目の前の部分の相手が、
本来ではないということ。
いつも、その国同士の紛争において、
傷つく者はストイドだという話だ。
そして、時として愛国心、そこが支えになるものではあった。
外交上の努力の限界から、こういったものに繋がったんだろう。
力と平和への道
今も世界でも、我が国においても、
その愛国心が叫ばれていると同時に、
欲し力というキーワードも利用されている。
ただし、様々な形がある。
人々の教育上の部分のもの、経済力。
文字上だけではないものの、
何か話題となると、文字録の。
その外相の話題に話が転換していく。
その中で結論。
過去においても、その延長性にあるものが、
紛争に繋がったということ。
ある程度の欲し力には、なるのだけれども、
互いに拳を振り上げた同心では、
紛争は収まらないということ。
そこの中で、人はどう収めていくかということ。
互いに傷つき、何かメリットがあるのか。
デメリットは何なのか。
いつもどちらかが力づくで、
人類の歴史においても、それが国をかたどってきた。
その中に人々は生きていくし、
これからも時代が続くであろう。
その中で、わずか人々の生きる人生の、
短さは儚い。
その中で、人々が幸せを実感できるものとは、
何かそのテーマを掲げたときに、
誰が利を得る。
誰がその存得に関わるし、
存得に影響するかというお話ですね。
Jさん、ありがとうございます。
今の世に誰もが平和を願う気持ちは同じこと。
その延長戦に考え方も多種多様。
そのときに必要なことというのは、
自分と相手、それは自らから見れば正義であるし、
立場が入れ替わればそれは逆となるもの。
その中で、同意点というものは人としてどうあるべきか、
それが最大公約数ともなるというもの。
その収まりの中で人々は平和に生きる。
以前聞いたことがある。
地球上の資本を人口で割ったら、
1億円は日本円にして手に余るという話だ。
それを誰かが余分になるために並合を組む。
そんな歴史は繰り返したくもないという話ですね。
Jさん、乾杯してください。
乾杯!
Jazz Bar Showa