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夕焼けひとりきり、始まりました。昭和。
二桁生まれのパーソナリティ、ミッキーロンリーがご案内します。
昭和レトロ、今は懐かしい思い出。
明日の心配もせず駆け抜けた昭和の時代。
温かく優しい昭和の情景。
心を思うままにお話しできればと思っています。
どうぞお付き合いください。
今日は、JAZZ Bar 昭和。
素敵なピアノの流れるこの店。
カウンターの奥にグラスの氷を回しながら、味合い深くお酒をたくさん飲む。
彼の名は、J.
人は彼をそよぐ。
また会えました。
今日は、ブラッディ・マリン。
私、ミッキーがそばにいて、お話をお伺いしたいと思います。
どうぞお付き合いください。
Jさん、こんばんは。
そばにいて良いですか?
やあ、ミッキー。また会えたね。
どうぞ。
何を考えていたって、反省点と課題の定義について。
こんな抽象的なキーワードについて考えていたんだ。
人々は、日常生活を送る上で様々なシーン。
自分を反省して、帰りに見ることがある。
もちろん、様々な課題を見出して。
もちろん、明確化することができれば、それを改善して、次に繋げることができれば、
前向きに物語を始めることもできるのだけれども、
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時々、非常化しにくいような作用を起こすことがある。
それは、ネガティブな思考が優先されてしまって、自分自身を責めてしまうこと。
私がダメだ。私にはできない。
そうだ。課題の明確化が抜け落ちている。
何が悪かったのか。いつ、どこで、何。
その定義を限定していない。省いてしまうという状況だ。
故に自分自身を、私はダメだったという、責めてしまう結果になってしまう。
本当の姿というのは、もちろん、例えば何かの事象で反省点を見出すようなことがあるような、
自分の執行があった場合に、ここを改善すれば、ここを直せば、というものを明確化しなければいけない作業を起こされてしまって、
自分はダメな人間だ。自分ではできない。そうやって解決してしまうこと。
本当は、例えば100あれば、そのうちの直さなければいけない部分は少しかもしれない。
それが20%であったり30%。そんなウエイトかもしれないんだけれど、直さなくて良い部分、その人自身の良い部分もいくつか残っていて、
大事にしなくてはいけないことまでひっくるめてしまって、自分自身を否定してしまうこと。
そして、私にはできない。私はダメだ。そんなネガティブな執行で自分自身を決めつけてしまうこと。
再度、いつ、どこで、何が。そこの掘り起こしという部分に、第三者的なまた客観的な目線で眺めてみてはどうだろう。
そうだ、明るく統一してみる。いつも言うのだけれど、何だって良い部分は多く残しとり、
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たった一つのきっかけで自分自身を否定してしまうことがあってはいけないし、自分の良いところは残しつつ、直すべき課題に取り組んで改善していく作業。
そして人々、また各々が共同作業、自分自身に向かい合って向上心を持って進めること。
さもすれば、そんな社会は良い社会になるはず。そしてその恩恵もまた再度ブーメランのように自分に返ってくる。
その話だ。Jさん、ありがとうございます。
人々は日常生活でポジティブにすべてが進めば良いのだけれど、
それについある事象のきっかけでネガティブになってしまって、そこで改善すべき部分を課題の明確化、
すなわち認知の売却化、そんなことをしてしまった場合には取り組むべき課題が誤魔化されて、私はダメな人間、そんな言葉で済まされてしまう。
それだけはあってはいけないこと。そんな話ですね。
Jさん、乾杯してください。乾杯!
ジャズバンス昭和。
今日は否定的な話の4。またポジティブにならなければいけないことこそ、
自分自身を俯瞰して何かの難局にぶつかった際、その直すべき改善点、
あえて何が、どこが、いつ、そんな部分を取り除いてはならない。
そして明確化すれば物語をスタートさせられる。
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そんな話をJさんが周知にこやかに日記に書かれてくれました。
あやかりたいと思います。
ジャズバンス昭和。
何気ない日常生活の中での、自分自身が先進、誰もが言えること。
たまには癒やしていかれてください。お待ちしています。
夕焼けひとりきり、本日はお付き合いしていただき、誠にありがとうございます。
次回の番組、お楽しみに。