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これは、いつかどっかに書くとか、残しとこうと思ってたことなんだけど、
しゃべる気になったから、しゃべっとこうって思いました。 私、子供の頃っていうか、成人するまでの記憶がすごく薄いんですね。
思い出す必要もないから思い出さないし、 だから余計薄れてっちゃうのかもしれないけど、
どっか自分の中で風雨をしてるんだろうっていう気もしていて、 なんでかっていうと、幸せじゃなかったんですね。
楽しかった思い出も本当に数えるほどで、 なんでだろうと思うと、その根っこにあるのは孤独だったからだと思うんです。
じゃあ、なんで孤独だったんだろうって思うと、理解者が誰もいなかったんですね。 もちろん友達とかいなくて、
幼稚園から高校まで、その時々で近くにいる子はいたけど、 じゃあその子たちが友達かっていうと、そういう認識はなくて、
今でも連絡とっているような地元の人とか本当に一人もいないし、 それが寂しかったかっていうと、そういう記憶もなくて、そういうものだと思ってたんです。
理解されないのが当然で、 だから地元には居場所を感じたことがなかったんですね。
家庭環境を振り返ると、両親が手放しで愛してくれたかと思うと、そうじゃなかったと思うし、
まあ彼らは彼らなりに愛してたのかもしれないけど、 唯一母方の祖父はとても可愛がってくれたけど、
愛してくれることと理解してくれることってまた違うと思うんですね。 だから大人になるまでの地元にいた頃の自分を思うと、
もうシンプルにずっと孤独だったなっていう感覚です。 それが当たり前だったから、理解されることも求めてなかった。
そういうものだったんですね。 思えばね、地元のコミュニティって結局たまたまそこに集まっている人で作られる、
すごく狭いローカルなものがベースだから、 どの枠にもはまれなかったっていうだけなんですけど、
それが21歳の時だから、自分が大人になった頃って感覚なんだけど、 社会に出た途端、180度ガラッと変わったんですよ。
あるIT会社に入ったらね、私がまるっと受け入れられたんですね。 そこで生まれて初めて自分の居場所があるって思えたんです。
歓迎されている感覚を知ったっていうか。 そこに入って間もなく夫と出会ってるし、
そこで今の会社の社長と出会ってるし、 そんな夫は結局私の一番の理解者です。
それだけじゃなくて、よくできた人で、私に何も求めないんです。 頑張らなくていい、ありのままでいいんだよって、言葉にはしないけど教えてくれた人です。
2003年のあれは本当に大きな人生の転機だったなって思います。 そのちょっと前くらいからインターネットでも活動してて、
ネットってほら、そういう共鳴する相手と出会いやすいじゃないですか。 だからネットにも居場所がなんとなくあって、
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だから社会に出てからは苦しいこともあるけど楽しいこともいっぱいあって、 私と少なからず縁がある人もたくさんできて、本当に感謝しているんですけど、
こういうことを考えると、人生の割と早い段階で居場所を見つけられた自分は本当に幸せだなって思ってます。
その分大人になるまでが無味乾燥っていうか、モノクロの光景みたいな感じなんですけど、
分かんない。特に父親は嫌いだったし、小学校の頃にいじめとかも経験してたから、 余計に無意識で昔の記憶を殺しているだけかもしれないんですけど。
唯一、趣味の音楽に没頭している間は楽しかったんですけど、 現実逃避だから楽しくて当たり前で、その時間が間違いなく救いでもあったから、
自分にとってあるアーティストのファンであることの意味っていうのはすごく重いんですね。 で、また重いことを言っちゃいましたが、
なんか昨日、近藤さんの日記の中で子供の頃、学生時代の人付き合いみたいなお話をされてて、それとはちょっと主旨が違うけど、
自分のことでいつか話しておこうって思ってた内容を出す気になったので、しゃべりました。 あの別に今これで唯物に物思いにふけてるとかじゃなくて、
単にこういう感じだったんだよっていう記録です。 以上です。