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休み明け、初っ端の労働には、ロケット鉛筆と臭い付き消しゴムを使うことでテンションを上げています。 どうも松田です。
さあ今週も行きましょう。 金曜DONKEY コマツバヤシのマーブルブルース。
さあ始まりました。金曜DONKEY コマツバヤシのマーブルブルース。 3月20日金曜、明けて21日土曜。
どうも松田です。今週もよろしくお願いします。 先ほどのお便りはホワイトレモンさんからでした。
ということで、 働いている皆さん、
初っ端の労働、どうですか?休み明けの初っ端の労働は。 毎朝毎朝辛いんですけど、特に休み明け月曜の朝、
本当に辛いですよね。 辞めようと決意した回数を前曜日で割り振ったら月曜が一番多いんだと思います。分布にすると。
っていうぐらい自分は、 休み明けに辞めたいなと思うことが多くて。
DONKEYがいるんですけど、毎昼、毎日昼、ある一人のDONKEYと話すんですけど、
その人に同じ話をしたら自分は水曜だって言ってて。 確かに水曜って、
真ん中まで来たっていうことと同時に、 まだ真ん中だっていうのと、
まだ折り返しでこの後続くんじゃんっていう、 達成感と、まだ3日しか経ってないっていう、
達成感と同時に、全然目標に達しないじゃんって、 その金曜日から全然に近づいてないじゃんっていうことと、
あと2日あるっていうことに、平たい言葉というか、 よく好きなみな言葉で言うと絶望するっていうか、
夕曜日なんでそれは分かるんですけど、自分なんか火曜も辛いですね。 月曜頑張った。頑張っていったと。寝ます。で火曜。
なんかもう自分は火曜にはもう金曜の気分なんですよね。 って思ってカレンダー見ると、当然一番左端が日曜だとすると、
3列目にやるわけじゃないですか。 え、こんな端っこ? 火曜こんな端っこ? 今日こんな端っこ? みたいなことがよくあるんですけど。
皆さんどうですかね。カレンダーなんかあんま見ないほうがいいんだろうなっていう。 カレンダー見るほど自分の立ち位置が明確になって、
その休みの待ち遠さに、休みの待ち遠しさというか、 休みしか考えてないっていうか、それはやっぱサラリーマンなんだなっては思いますよね。
で、まあ自分の周りにはその一郎とかして、 まだ現状働き始めてない方とかもいるんですけど、
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その人になんかもう偉そうに忠告みたいなことしちゃって、 いやマジで、マジでサラリーマンきついよ。
マジやめておけよサラリーマン。本当にきついから何にもだよ。 何もないよサラリーマンって、みたいなのを言って。
でもなんかこう思うんですよ。自分もできるだけ禁じてるんですけど、 あの偉そうなこと言うのって気持ちいいっていう。
なんかこう自分とは違う、こんな大きなものを背負ってる感が出るっていうか。 いやサラリーマンつらいよって言ってるとき、この社会全体を代弁してるみたいな感覚になっちゃうんですよ。
それの気持ちよさはなんとなくわかるんですよ。 だからこそあんまりそういう大きなことは言いたくないんですよ。
自分がね、そういう学校の先生とか教授とかテレビ番組のコメンテーターが嫌いなのはそういう理由で、
なんか大きいものを背負ってる感出すなよって。 なんかこう世界を語るなよと思っちゃうんですよ。
なんか気持ちよくなってるなっていう顔してるじゃないですか。 テレビっていうか画面に出てる学者の人って。だから嫌いなんですけど。
自分もね、なんかこう勉強するの自体好きですから、なんかこう自分の考えをね、比例したいときもあるんですよ。
やっぱそう知ってほしいというか話したいっていう自分の考えてること。 そういう風になった時にそこが避けられないんですよ。
なんかこう大きいもの言ってるみたいな。大きいものを背負って世界とか歴史、それまでの人類史を背負ってるんだぞみたいな顔して言っちゃうんですよ。
気持ちいいんだけど、それ勘違いの始まりだなっていう。そこをできるだけね、抑えながら抑えながらというか、
そこを切り離しながら真摯に自分と向き合っていくっていうのが大事なんじゃないかっていう風に思ってるんで。
それを意識しながら実際、今文章書いてるんですけど、そういう風に意識しながらやってますね。
でもそういうのを良しとする風潮というか、良しとするコンテンツというかいうのもありますからね。
特に批評的なもの、批評的なコンテンツっていうんですかね。
映画について書いたり喋ったり、漫画でもコンサートとか、音楽でも漫画でも消極性でもなんでもいいんですけど、
何かを語ろうとするときに、その語る対象の偉大さに乗っかって言うわけじゃないですか。
だから自分も何か作ってるかのような感覚になっちゃうんですよね。
自分もね、そんな大ピロゲンやってないですけど、以前1回だけ東京MERについて話した記憶があって、
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聞いていただいてる方はもしかしたらわかるかもしれないんですけど、第何回かだいぶ前ですけどね。
音羽さんと何だっけ、主人公、ダブル主人公みたいな2人の関係性はこういうことだみたいな。
その場所の細々とした違いとか、そこで起きてる問題に直接関わっていきたいっていう北見さんですね、主人公。
それに対して、もっと社会全体みたいなことを、社会全体をコントロールしていくためには均一な対応が必要で、
いちいちそういう細々としたことに構ってられないよ、みたいな。
政府というか国的な視点を代理しているのが音羽さんで、北見さんと音羽さんの絡みというか、
音羽さんはちょっと心変わりしてて、そういう細々としたものも助けられるような仕組みを広げていきたいみたいな風に変わっていくっていう理解なんですけど、
今そういうふうなこととしてあったりみたいなそういうことを言ってるんですけど、
いや、お前そんなすごくねえよって、なんか言ってるけど、言葉はギョギョしいけどそんな大したこと言ってねえよって、
お前なんも作り出してねえよって思うじゃない?俺も思う。
だからそういう批評みたいなことは、何かものを作るときには必要だと思うんですけど、
批評そのものはコンテンツというか、ある偉大さみたいなものって絶対借り物だと思うんですよね。借り物。
借り染めだし、そういう批評する対象の作品から借りてくるものだと思うし、
っていうところなんであんまりそういうの好きじゃないんですけど、
そんなことよりこちらのコーナー行きましょうよ。
本出版。
ということでちょっと気持ち悪い言い方になっちゃいましたけど、
このコーナーで本出版に向けて現行の進捗報告や出版に必要な知識や作業について、
ゲストを招いてお話を伺ったり出版に向けて活動している中で起きた失敗などを話していきます。
ということでね、今回は批評入門編。
批評嫌いだと言いつつ批評をやるんかいということで。
わかってます。
それこそ今軽い台本みたいなものを書いてきて、批評のことをちょっと考えてたんで話す話題もそれになっちゃったんですけど、
コーナーへのつなぎとしてはすごく良かったんじゃないかなってことで批評について話していきますけども。
今回資料というか文献みたいなものを取り上げます。
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取り上げるというか参考にします。
今回参考にするのが4つかな。
批評理論っていうタイトルの本で、
講談社選書目知恵っていうところから出ております。
これが何人かの著作の編著っていうのかな。
何人かの方が書をそれぞれ分担して書いて編集されたものなんで、
一人の方は著作っていうわけじゃないんですけども。
丹羽愛さんっていう方かな。男性の方で。
この本の第一章をちょっと活用していきます。
で、あと悲劇の解読っていう吉本隆明っていう方が書いた。
これどこだったかな。忘れちゃいましたけども。
それの序、序文ですね。
あと成熟と喪失っていう本。
これ江藤潤っていう人ね。
この吉本隆明っていう人と江藤潤っていうのは、
1970年代だかなんだかに有名だった批評家の方。
批評家かな。思想家とも言うのかな。
よくわかんないですけど。の方で、
最後の4冊目が現代日本の批評2001年か2016年。
講談社から出されてますね。
この本は編集者というか、
これもうオムニバス的っていうかアンサルジェイ的って言ったらいいのかわかんないですけど、
何人かの方の対談とかインタビューとか書き起こした文章、
基調報告を書き起こした文章なんかをまとめた本で、
編著者?編集者?
編集者の人が東裕樹っていう方ですね。
この方も有名な批評家とか思想家哲学者みたいな形で紹介されている方ですけれども、
とにかく、とにもかくにもね、
どの本から入るかって言ったら当然批評理論っていう、
一番最初に紹介した本から取り上げさせてもらいますけども、
なんでこの本選んだかって言ったらやっぱり教科書的だなと思って、
入門するにはこれがいいかなっていう。
なんでまず批評なのかっていう話からしましょうか。
この批評からなんで始めるのかっていう、
この話し方自体批評的だからあんまりしたくないんですけど、
せっかく本出版するみたいなこと言ってるし、
言ってるというか本出版しますから、
しますんで、読むっていうことに関しての一つの見通しというか、
やり方みたいなものを一応取り上げて、
今聞いてくださってる方がね、
林さんなり私松田の本読んだ時の一つの助けになればいいかなみたいな風に思ったのでやります。
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批評理論の。
ちなみにこの4冊ありますけど、
全部の読んだページ合わせたら20ページもいかないです。
1冊読み切った本一つもないですこの4つの中で。
成熟と喪失に関してはもうぺらぺらめくっただけなんで。
そういうレベルの話をするんで、
あんまり構えずにまともに聞かないでほしいですね。
まずポッドキャストを真面目に正座して聞いてる人なんかいないと思うんで、
それいいと思うんですけど。
批評理論第1章ということで、
田んぼ愛さんが書いてるんですけどもこの第1章に関しては。
第1章の役割が批評理論ってどういうものなのかって、
なんで批評が必要なのかみたいな。
批評とは何かを想像することなのかみたいなタイトルがサブタイトルついてて。
そこから始まっていくんですけれども、
一つ典型的なイメージとして書いてあったのは、
何回の文章を解説、分かりやすく解説するものなのかっていう批評っていうのは違うと。
文章を読むときの多様な可能な読み方を提示することだ、
っていうようなことを書いてあったっていうふうに自分は理解してるんですけれども。
もうこれが全てだと思います。
批評って何だろうって。
この文章の読み方がある中で、
現状を読まれてない読み方を提示するっていうこと、
そういうのが批評だろうと。
一応最小限の批評の規定になると思うんですけれども。
当然ね、正直批評についてっていう話をしておいて、
もうここで終わっちゃってるんですよね。
文章の可能な読み方、多様にあり得る読み方を提示するっていう。
それが作り上げると言えるのかどうかっていうところはあるんですけれども。
基本的にその先を前提にしてるわけですから、
新たな想像ということとは言い難いと思うんですけれども。
2つあります。
1つ浮かぶじゃないですか。
最初に何で批評を取り上げるのかということと関係してますけど、
文章を読むっていうのはそんなに重要なのかっていう素朴な感覚ありますよね。
だって実際本読んでる人いなくね?そんな。
漫画読んだり雑誌読むとしても小説読まなくね?
俺読まないし。
専門的な、専門書っていう括り方でいいのかわからないですけど、学術書みたいな。
読まなくね?普通に。
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自分は読む方かもしれないけど、それでも読めますけど。
でも読まないじゃん。小数派じゃんそんな。
文章を、一般的にこう読めるけど、こう別の読み方できるよねって言って何になるのっていうことは当然あるじゃないですか。
ただ1つね、こう考えるといいかもしれない。
読むこと、批評の中でも中心、確保は読むってことじゃないですか。
じゃあこの読むってことが、身の回りの物事とか出来事の理解する様式、構造だとしたらどうかっていう。
そう考えると、どんな小説でも映画でも、一般的な見方というか感覚みたいなものってあるじゃないですか。
ただそれに変わるオルタナティブな読み方を提示するということは、身の回りの環境とか出来事、物事に対する各々それぞれの理解の仕方が変わるってことを意味するじゃないですか当然。
じゃあその物事を理解する構造とかやり方とか様式が変わるとなったら、人の振る舞いとか物事を変えていく上での原動力の一つになるんじゃないかっていうところまで言えるのかなと思うんですよ。
だからこそ批評っていうのは大事だというか、読むっていう行為が大事だっていうことですよね。
ただね、ここでも当然あの問題がありますよ。
読むこと、最終前提で読むことっていうのが周りの環境を理解する様式だって言ってたけど、本当にそうなの。
読むことと事物、身の回りの環境に対する理解の様式っていうことって必ずしもこの自明の繋がりを持ってないよねっていう論理として。
じゃあここで問題になっていることって何かなって自分なりに考えると、それは言葉だということになるんだと思います。
言葉の位置づけって何なの。
事物と関係する言葉、自分からの言葉で発しているときには、当然身の回りの環境に対するある程度のその自分なりの取り込みというかその取り込みがあるわけですよね。
それを言葉として発する。言葉で発しないまでも思考している感覚として持っていることはあるじゃないですか。
そこに対して言葉ってどういう位置づけを持っているのかっていうのもあるし、言葉って言ってるけど文法として作られてる主語が主語、英語とかで言うと主語、形容詞、動詞、助動詞、接続詞みたいな全知恵なんたらかんたらあるじゃないですか。
日本語だと一般的に学校文法では主語があって形容詞があって動詞があって形容動詞があって助詞があって助動詞があってかんたん詞があって接続詞があってどうのこのどうのこのっていうことを言葉と言うのか。
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あるいはこの読むっていうこととか何かを考えるっていうときに使われるこの観念の動きそのものを言葉として言うのか、イメージ的なものを言葉っていう括りで考えるのか、あるいはその観念とかその想像したものと言葉の関係性って何なのかっていうことがここで問題として出てくるんですよね。
だから批評の問題っていうのを考えていくと当然文章を読むことっていうのが問題になるし文章を読むのに重要性だっていうことをある程度提示するには主張するには事物を理解する一つの様式っていうか様式の典型的なこの表れとしての読む読み方読む方法があると。
それは当然言葉っていうものが物事の理解としてどういうふうに関わってるのかっていうことを当然語らなきゃいけないっていうそういうふうに連鎖して出てくる問題が出てくるっていう感じがありますよね。
なんで自分も前回歴史観とか世界観を別のものとして作り変えるみたいなこと言ってたと思うんですけど、先取りして言えばこの自分が書いているものの先の方に言葉の問題が出てくるんですけど。
これ先に言っとくと自分がこれ別に初めてやったわけじゃなくて初めてやったと思ってる人いないだろうけど、当然下地があってその人たちが言ってることをうまく取り出すっていうある程度批評的な試みみたいなものをしてるんですよね。
自分の書いてるものって。だからそういうのもあって批評を取り上げたし自分のためにというか自分なりの批評の位置づけというかこんな別に言葉にしなくても感覚で分かってたけど改めて言葉にすると自分で対照化できるしということが読むということがそれはいいとしても。
じゃあねここでもうちょっと具体的な話をすると具体的というかもっと普遍して広げて話していくと読み方ということに改めて戻って考えていったときに先ほども言ったように一般的なものの見方とかこれってこう読むでしょこう見るでしょみたいな。
こう理解するでしょみたいなっていうことのいやこう見るでしょのこう見るを成立させているものって何っていうことが出てくるんですよ。
当然今まで言葉の問題とかクリアした上で問題になってくるから先の方にはなっちゃうんだけどでも当然こういう問題は考えられるわけですよね。
何でそれは一般化されたのかそれはなぜそれは正当化されるのかっていうその読み方は正当化されるのかっていう。
逆に別の読み方は何でそう読まれないのかっていう。
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あるいは逆に何でそこの文章はこう書かれたのかっていう。
何でこういうふうな言葉だったり言い回しとして書かれたのか言われたのかっていう。
でここでちょっと引っかかってくるのがさっき言った文法的な問題はここに関わってくるんだろうなっていう。
ってな感じででめちゃめちゃ話題になってて最近の研究というかこういう社会科学系とかいう中で結構威力を持っているのが言説分析というか言表分析って言われてたりするんですけど。
これがかなり重要な位置占めて先ほどの読むとか言葉として書かれたことを書くっていう行為自体を問い直すときにすごい有用な分析というか有用なんですよ。
でこの言説分析っていうもののとセットで出てくるのが言表言葉の言っていうあの言葉に表現の表で言表っていうふうに日本語訳されるんですよ。
でもう一つ言表化っていう言葉の言っていう感じに表現の表に化学の化、変化するの化で言表化っていう。
それぞれフランス語だとエノンセとエノンシアシオンっていうような単語なんですけど。
じゃあこのまあまあもうここからちょっとここはちょっとまだ考えまとめてないんでとにかくエノンセとエノンシアシオンっていうのはまず言葉がこの事物とどういう関わりを持っているのか。
あるいはそういう言説が人の事物の了解に対してどういう関わりを持っているのかっていうことを問い直すあるいは問題として取り上げられるような下地になる考え方なんですよ。
なんで多分自分は今後そこから始めるというかそういう話をしていこうかなって思ってます。
その時にねまた批評の話なんかできたらいいんだけどね。
ということでね出版のコーナーちょっとここまでにしようと思います。
はいということで続いてはこちらのコーナー。
ポイズン。
ということでね自分一人でこのポイズンを背負えるのかどうかわかんないんですけどポイズンやっていきます。
はいこのコーナーでリスナーの方が普段思っていても吐き出せない毒を我々を通して吐き出していただくコーナーになっております。
ということでね一通来ております。
ラジオネームホワイトレモン。
新宿渋谷原宿あたりの街に月2回以上行く人を集めたら多分死期自立3%ぐらいになりそう。
これポイズンなの?
これポイズンなのかな?
これなんかポイズンじゃねーなこれ。
いやー前回のポイズンの方が心に残るなー。
後引く毒だわ先週のは。
あの京スキっていうかレアリアリティ賞出てる人たちが女優とかモデルって絶対言うなよって。
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あ、確かに。
てかこれ批評じゃんと思って。
今思ったわこれ。
批評じゃんポイズンって。
かっこええポイズン。
確かにそれなんかやだね。
言われたくないっていうか。
てかこれ言ってもしょうがないけど。
売れるためだから結局って。
こんなチンプなこと言いたくないわ。
売れるためだからレアリアリティ賞なんて。
本気でつけようって思ってるやついねぇから。
そりゃそうだろ。
誰もが思ってるよ。
何にも新しい発見じゃねーよってなりそうだから。
あんまりね声を大きくして言えないですけど。
まあねそんな感じでちょっと何ですかこれ。
新宿・原宿・渋谷・原宿辺りの町に月2回以上行く人集めたら多分しきり。
バカって言いたいのかなつまり。
まあそういうことだろうね。
まあバカっていうのをしきりじり3%ぐらいになりそうっていうことで言い換えてるんでしょう?
比喩として。
まあいいじゃん。
ラジオネームホワイトでもいいんじゃない?
ポイズンじゃねーけど。
ということでね今週のポイズンこんなところで。
メールでもいただいてます。
あとお便りフォームも概要欄にありますのでぜひ送りいただけると嬉しいです。
一旦閑やむ。
ごめんなさい。
マーブル・アリス
失礼です。
SSBCラジオをお聞きの皆さん、SSBCアナウンサーの有栖川葵です。
今お聞きの放送はラジポ、スポティファイからタイムフリーでいつでも聞き直すことができます。
ラジオの受信はFM906.4 AM1004.2
FM906.4 AM1004.2
それでは皆さんご機嫌よう。
有栖川葵でした。
先輩、今度うちに子供が生まれるんですけど保険見直そうかなって思いまして。
おお、山田か。
それならいい定食屋があるぞ。
え、定食屋?
日陰屋っていう。
日陰屋?
明治8年創業の、いわば定食屋のパイオニア。
いや、保険の話。
今、言い踏めてなかった?
いや、踏めてないですよ。
ははは、ラップでも始めてみようかな。
いや、あの、保険の。
そうだ、マイクを買いに行こう。
いや、マイク買いに行かないで。
じゃあ、お疲れ。また明日な。
え、いや、あの、保険の話を聞こうと思ったんですけど。
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ラッターデンキー。
金曜ドン・金曜?
やってるんだわ。
金曜ドン・金曜?
やってるんだわ。
小松林の、小松林の、小松林の。
変なのやってるー。
小松林の。
マーブル・ブルース。
変なのやってるー。
はい、エンディングです。
金曜ドンキー小松林のマーブルブルースは毎週金曜25時 そして毎週月曜24時に最新回更新しております
ということで本日やってきましたが一人ですね 申し訳ないです
まあ基本的に秘宝の話が長かったですけど 秘宝についてね
ちょっと理解が深まったかなっていう感じしてます自分で
秘宝に関する教科書の20ページ分ぐらい読んだだけなんですけど なんか深まった気がします
なんで聞いた方もなんかわかったんじゃないかな まあ秘宝っていうので大事なのはあれだけですよ
別の読み方があり得るんだよってことを提示することっていうことですよね それだけですよね秘宝っていうのは多分
それがあんのかなあ 特に来週は
2人になると思います 松田動画は2人で早須さん戻ってくるの4月かな
まあなんかそれも前に言った気するけどまぁ4月頭か2週目か 前半のうちは戻ってくると思うんですよ
でまぁその時はまた3人でね
あの 喋っていきたいなと
早須さんの文章もね楽しみですね どんなのが
読めるのかなっていうことでちょっと楽しみにしてますけど ちょっとねそこらへんの進捗なんかもね早須さんには聞きたいな
久しぶりに来たらね なんでまぁエキスタラーの早須さんに頑張ってもらって純レギュラーのね小川さん来週
復帰ということで みなさんちょっと次回お楽しみにそれではまた来週