朱色の鳥居が、トンネルのように山へ続く「千本鳥居」。
いったい誰が、何のために建てたのか。711年の始まり、豊臣秀吉が寄進した楼門、そして江戸時代の人々の願い。3つの時代をたどって、その謎を解いていきます。
▼ この回で分かること
・「いなり」という名前の由来と、全国約3万社の稲荷神社の本家
・秀吉が母のために約束した「一万石」と、400年後に見つかった証拠
・千本鳥居は、誰が、なぜ奉納したのか・狐がくわえている4つのモノの意味
・伏見稲荷を訪れるときのコツ(おもかる石、山の歩き方)
▼ 目次
オープニング
711年、すべての稲荷神社の始まり
1589年、秀吉が寄進した楼門
江戸時代、鳥居の正体
狐の正体と現地で楽しむコツ
エンディング
▼ 次回
JP#3|なぜ清水寺は、崖の上に舞台を作ったのか?【京都編】
▼ パーソナリティ
新井大貴|福井県在住の英語コーチ。全国通訳案内士を目指して勉強中。TOEIC 930点、英検準1級。
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サマリー
京都・伏見稲荷大社の千本鳥居が、なぜこれほど増えたのかを、711年の創建から戦国時代、江戸時代までたどる。稲荷はもともと稲作と豊作の神で、全国約3万社の稲荷神社の本家とされる。1589年、豊臣秀吉は母の病気平癒を願って一万石の奉納を約束し、楼門を寄進した。江戸時代には商売繁盛を願う人々が鳥居を奉納し、現在1万基を超える朱色のトンネルになった。狐は神そのものではなく使いで、くわえる鍵・玉・稲穂・巻物にはそれぞれ意味がある。参拝時の見どころとして、鳥居の裏の奉納者名、おもかる石、稲荷山の歩き方も紹介する。