1. 万華鏡 Mangekyo | Japan through history
  2. JP#2 | 伏見稲荷大社 千本鳥居..
2026-10-07 12:30

JP#2 | 伏見稲荷大社 千本鳥居は、なぜこんなにあるのか?【京都編】

朱色の鳥居が、トンネルのように山へ続く「千本鳥居」。

いったい誰が、何のために建てたのか。711年の始まり、豊臣秀吉が寄進した楼門、そして江戸時代の人々の願い。3つの時代をたどって、その謎を解いていきます。


▼ この回で分かること

・「いなり」という名前の由来と、全国約3万社の稲荷神社の本家

・秀吉が母のために約束した「一万石」と、400年後に見つかった証拠

・千本鳥居は、誰が、なぜ奉納したのか・狐がくわえている4つのモノの意味

・伏見稲荷を訪れるときのコツ(おもかる石、山の歩き方)


▼ 目次

オープニング

711年、すべての稲荷神社の始まり

1589年、秀吉が寄進した楼門

江戸時代、鳥居の正体

狐の正体と現地で楽しむコツ

エンディング


▼ 次回

JP#3|なぜ清水寺は、崖の上に舞台を作ったのか?【京都編】


▼ パーソナリティ

新井大貴|福井県在住の英語コーチ。全国通訳案内士を目指して勉強中。TOEIC 930点、英検準1級。


▼ 英語を学び直したい方へ(英語コーチング)https://mosh.jp/public/landing-pages/62af8d92-faf3-4696-88a4-56711acd3f08


▼全文文字起こしはこちら

https://listen.style/p/mangekyo/eho6jflw


▼ お便り・お問い合わせ番組の感想、取り上げてほしい場所、英語学習のご相談などはこちらから。

https://forms.gle/j9wwu5g1pWxiTMxF7


感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

京都・伏見稲荷大社の千本鳥居が、なぜこれほど増えたのかを、711年の創建から戦国時代、江戸時代までたどる。稲荷はもともと稲作と豊作の神で、全国約3万社の稲荷神社の本家とされる。1589年、豊臣秀吉は母の病気平癒を願って一万石の奉納を約束し、楼門を寄進した。江戸時代には商売繁盛を願う人々が鳥居を奉納し、現在1万基を超える朱色のトンネルになった。狐は神そのものではなく使いで、くわえる鍵・玉・稲穂・巻物にはそれぞれ意味がある。参拝時の見どころとして、鳥居の裏の奉納者名、おもかる石、稲荷山の歩き方も紹介する。

伏見稲荷大社と千本鳥居の数
万華鏡 Mangekyo. Japan through history.
この番組では、日本の観光地を歴史の視点から掘り下げ、
誰もが知っている名所のまだ知らない物語をお届けしていきます。
この番組を聞き終わった後に、その場所をもっと知りたくなる、
いつもの景色が少し違って見える、
そんな発見をお届けできたら嬉しいです。
パーソナリティの阿良太役です。よろしくお願いします。
さて、今回取り上げるのは京都の南側、伏見にある伏見成大社です。
お正月になるとここには毎年、ものすごい数の人が初詣に訪れます。
その数は近畿地方の神社やお寺の中でも一番多いと言われています。
また、一年中海外からの観光客もつきません。
その人たちのお目当てが朱色の鳥居がトンネルのようにどこまでも続く千本鳥居です。
写真や映像で一度は見たことがあるかもしれません。
では、この千本鳥居、実際には何本あると思いますか?
実は稲荷山全体で1万基を超えると言われています。
千本どころかその10倍以上です。
では、一体誰が何のためにこんなにたくさんの鳥居を建てたのか?
今回は711年、戦国時代の終わり、そして江戸時代へと時代を順にたどりながらその謎を解いていきます。
前回、京都の五番の目の話をしました。
七九四年にできた平安京、その五番の目の南東の外側にあるのが伏見稲荷大社です。
711年に始まった稲荷信仰
そしてこの神社は平安京よりもずっと古いです。
伝えられている創建は711年、平安京ができる83年も前のことです。
この神社を設立したのは八田氏という一族だとされていて、
八田氏は朝鮮半島から渡ってきた人々の子孫と言われ、当時の京都盆地で大きな力を持っていた一族です。
ここにちょっと不思議な伝説が残っていまして、八田氏の一人、八田の色具はとても裕福な人物でした。
山の峰に降り立ちました。 そしてその場所に稲が実ったのです。
この稲が成る、つまり稲成が稲荷という名前の由来だと言われています。
つまり稲荷の神様は、もともとはお米の豊作を見守る農業の神様でした。
そして稲荷の神様はここから日本中に広がっていき、現在全国にある稲荷神社はおよそ3万社と言われています。
街角の小さなお稲荷さんも、会社の屋上にある小さな祠もその一つです。
そのすべての本家にあたるのがここ伏見稲荷大社、双本宮と呼ばれています。
ところが今伏見稲荷大社にお参りする人の多くが願うのは商売繁盛です。
お米の神様がいつの間に商売の神様へとなったのか、実はこれが千本鳥居の謎を解く鍵となっています。
時代は一気に進んで戦国時代の終わりです。
豊臣秀吉が奉納した楼門
伏見稲荷大社に着くと、まず目に飛び込んでくるのが朱色の大きな門です。
二階建ての立派な門で、これは老門と呼ばれています。
この老門を起身したのは豊臣秀吉だと伝えられています。
1589年、秀吉が天下統一を目前にした頃のことです。
そこで秀吉は稲荷の神様に好願いを立てます。
母の病気が治ったら一万穀を奉納します。
一万穀というのはお米の量のことです。
一穀は大体大人一人が一年間に食べるお米の量。
つまり一万穀は一万人が一年間食べていけるほどのお米です。
しかも相手はお米の神様で、秀吉らしいスケールの大きな約束ですね。
この時、秀吉が書いた願文、つまり神様への願い事を記した文書は、今も伏見稲荷に伝わっています。
そしてその願いと共に起身されたと言われているのがこの老門です。
実体だったのですが、1973年に老門を解体して修理した時に、
炎症17年、つまり1589年と墨で書かれた文字が見つかりました。
願文と同じ年です。
秀吉がこの門を建てたという話は本当だったと確かめられました。
天下人の秀吉でさえ、最後は神様に願いを託した。
そして願いを込めて何かを奉納する。
江戸時代に広がった鳥居の奉納
実はこの願いを込めて奉納するという形が、次の時代、もっとたくさんの人々に広がっていきます。
そして江戸時代、戦乱が終わって世の中が落ち着くと商売が盛んになり、町は活気づいていきます。
この稲荷の語理訳が商売が実る、つまり商売繁盛にもつながると考えられるようになったんです。
ここでようやく鳥居の話に戻ります。
秀吉は願いを込めて門を奉納しました。
しかしあんなに大きな門を建てられるのは天下人ぐらいですよね。
町の人たちが奉納したのが鳥居だったんです。
そう、千本鳥居の鳥居は神社が建てたものではありません。
お参りに来た人たちが願いを込めて、あるいは願いが叶ったお礼として奉納したものなんです。
鳥居は神様の世界への入り口。
商売をしている人たちが商売繁盛を願って一つまた一つと鳥居を奉納していく。
その積み重ねが1万基を超える鳥居のトンネルとなっていきました。
ちなみに鳥居の奉納は今でも受け付けていて、金額は大きさによって変わります。
つまり千本鳥居は今も少しずつ形を変えながら続いています。
これが千本鳥居の正体でお米の神様が商売の神様になり、
商売をする人たちの願いが朱色のトンネルへとなった。
あの風景は日本の人々の暮らしの移り変わりそのものなんです。
狐の像がくわえる四つのもの
伏見稲荷には鳥居の他にもう一つあちこちで目につくものがあります。
狐の像です。
ここでよくある勘違いが稲荷の神様は狐だというものです。
実は狐は神様そのものではなく神様の使いなんです。
そして狐の像をよく見ると口に何かを加えています。
代表的なものは4つで、
一つ目は鍵。お米を蓄える蔵の鍵を表していると言われています。
二つ目は丸い玉で、神様の力を表す大樹だと言われています。
三つ目は稲穂で、これはそのままでお米の実りを表しています。
四つ目は巻物で、智慧を表していると言われています。
こうしてみるとここでもやっぱりお米や豊かさとのつながりが見えてきますね。
ちなみに稲荷寿司や狐うどん、この名前も狐の好物とされた油揚げに由来すると言われていて、
伏見稲荷の三堂でも稲荷寿司や狐うどんを出すお店が並んでいますので、参拝の後にぜひ食べてみてください。
参拝のコツと稲荷山の歩き方
最後に伏見稲荷大社を訪れるときのポイント・コツを三つ紹介します。
楼門をくぐって千本鳥居へ、そして山へ向かっていく、歩く順番で紹介していきます。
一つ目、千本鳥居を歩いたら一度振り返ってみましょう。
鳥居の裏側には、放納した会社や個人の名前と日付が書かれています。
今回の話を思い出しながら見てみると、ただの朱色のトンネルが人々の願いの列に見えていきます。
二つ目、千本鳥居を抜けた先の奥社奉拝所というところで重かる石を持ち上げてみてください。
灯籠の前で願い事を思い浮かべながら石を持ち上げます。
思っていたより軽ければ願いが叶いやすく、重ければ叶えにくいと言われています。
ここでもやっぱり願いが主役です。
三つ目、山の上まで行くなら時間に余裕を持つといいです。
稲荷山は標高およそ233m、山をぐるっと回るとおよそ4km、2時間ほどかかります。
途中の展望台からは京都の町を見下ろすことができます。そこで引き返すのもおすすめです。
今回は伏見稲荷大社のお話でした。
711年、お米の神様として始まり、戦国時代の終わりには秀吉が門を奉納し、江戸時代には商売の神様として町の人たちが鳥居を奉納していった。
千本鳥居はこうして積み重なってきた人々の願いと感謝の形となっていく。そして狐は神様の使いです。
次回は京都の東、東山を取り上げていきます。
清水の舞台から飛び降りる、こちらでおなじみの清水寺を取り上げていきます。
最後に少しだけ告知させてください。
今、自分は英語を学び直したい方に向けて英語コーチングを行っています。
学生の頃の英語をもう一度やり直したい、日本のことを英語で話せるようになりたい、そんな方はぜひ概要欄からチェックしてみてください。
この番組はSpotify、Apple Podcasts、YouTubeなどで配信しています。
いいなと思いましたら、ぜひお好きなアプリでフォローをよろしくお願いします。
最後まで聞いていただきありがとうございました。
お相手はパーソナリティの新井大輝でした。
12:30

コメント

スクロール