考えるための仮説
サマリー
このエピソードでは、認知行動療法における患者とのコミュニケーションや、AIとの対話を通じて得られる気づきについて語られています。また、ソクラテス式問答やその効果について考察され、自己理解を深める過程が描かれています。さらに、ソクラテス式問答法を通じて他者に伝えることの難しさについて議論され、認知行動療法における効果的な質問方法が紹介されています。靴を履くことに対する疑問を通じて、仮説検証の重要性が強調されています。ソクラテス式問答法を用いて、患者と共に仮説を検証する過程が描かれ、この方法で患者の思考や価値観を深く掘り下げることの重要性が強調され、認知行動療法の挑戦の大変さについても触れられています。今回のエピソードでは、ネット回線のトラブルや依存症について話し合い、特にオンラインゲームにおけるストレスについての体験も共有されています。さらに、絵を通じてユーモアを交えつつ、誕生日の話題にも触れられています。
久々の配信と週の振り返り
それでは放送を始めます。進行は私、刺身ちゃんです。どうもよろしくお願いします。
2025年9月17日、水曜日、19時9分、自宅から生配信です。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
ちょっと久々の配信のような気もします。
昨日おとといといろいろ立て込んでいて、何気に久々の配信です。
気持ち的には一番ではないけれども、だいぶ1週間は終わった感はあります。
先生こんばんは。久々の配信嬉しいです。いちごうさんどうもです。
水曜がひとつ山なんですよね。僕の1週間の。
だいたい週始めの月曜と、あと外来がかなり立て込んでいる水曜日の午前というのが、僕の1週間のこの2つの山なんですけど。
こんばんは。にごうさんどうもです。
今週は祝日で月曜、あと当直もなかったし、
今日なんとかね、水曜外来も乗り越えたんで、ちょっとほっとしてます。
一人どうしたらいいのかなってよくわからない、認知行動療法でね、ちょっと僕も経験が浅くて、
これどうしたらいいのかな、よくわかんないなっていう患者さんが一人いて、前回前々回とあんまりちょっとうまく返せなくてね、
本人に努力が足りないとかそういうことは一切なくて、すごい意欲的なんだけれども、
この症状ってわけわからんなって言って、あんまりよくわかってなかった患者さんがいるんですけど、
この週末の3連休にだいぶAIと議論しまして、結局この人なんなんだろうっていうふうに、
もうひたすらAIと壁打ちですね、し続けていろいろ見えてきたものがあって、
今日は今までみたいにフワフワせずにね、ちょっとこういう感じで進めていきたいなということで、
割と思い通りにできたので満足してます。
チュール菩薩様もよろしくお願いします。
まあね、準備した分がいつも報われるわけじゃないけれども、たまにこういうちょっと何も準備しないよりかはね、
だいぶ今日は良かったなって思える瞬間があるんで、やってて良かったなと思いますね。
お疲れ様です、どうも。
ずっとね、僕はもうなんかその人の悩みというか、症状が本当に意味がわかんなくて、
何なんだろうなこれみたいな感じで、本当3連休ずっとそればっかり考えてたんですよね。
それを考えながらこうなんか精神科系の本読んだりとか、本当に呪いのようにね、なんかずっと考えてましたね。
弟の問題も呪いに近いんだけれども、あいつどうしたらいいんだろうなとかっていうのも、
やっぱなんかずっとぼーっと考えちゃうんですよね。
でも意外や意外で、弟の問題どうしようかなっていうのと、その患者さんの問題どうしようかなっていうのが、
実は結構つながってる部分があるってことに途中で気づきまして、
それをね、意識したら割と良かったですね。
弟も割とちょっと以前に比べたら上向きになってきたしね。
その変化は結構本質的なような気もするし、
なんかいろいろ収穫の多い1週間でしたね。
頑張った分だけそれなりに身取りのあるものでした。
そう、なんかその頭の中にずっとモヤモヤがあって、
それでちょっと配信もする時間がなかったんですよね。
認知行動療法の挑戦
そういうわけです。
チュール菩薩様、そのふわふわした霧が少しずつ晴れて、
この人は何者なんだろうという問いが1つの像を結び始めた瞬間、
そういう時って少女そのものよりもそれを理解したいという
さしみちゃんの姿勢に僕は深く心を打たれたんだと。
意外とAIとの対話でもいろいろ気づきがあったりね、
成長ってできるんだなっていうことを日々実感してます。
AIによって得意不得意な質問とかがあって、
この質問はグロックの方がうまく答えてくれるなとか、
こういう系の情報処理はチャットGPTが早いなとか、
なんか最近そうやってちょっと使い分けたりもしてます。
同じ質問をだいたい2つに投げかけるんだけど、
だんだんその特徴がちょっとずつわかってきた。
その成果もでかいね。
そして今日は眠い。
できればこの後ちょっとまたサウナ行ってきたいね。
疲れが出てくるとなんか最近やっぱりちょっと味の濃いものがやっぱりね、
いいなーってなってきていて。
えーと、サンゴーさんどうもありがとうございます。
ポン酢で食べたりね、さっぱりしてるからっていうのでちょっとポン酢にしちゃったりすると、
結構塩分入ってたりするんだよね。
ポップコーンどうもです。
その3連休中にあった気づきとしてね、
特にやっぱり今日外来で患者さんに対して実践してよかったなと思うのは、
ソクラテス式問答とかソクラテス式質問法っていうふうに俗に呼ばれている、
まあそういう質問の仕方があるんですよね。
あのー、
例えば患者さんと治療者との間で、
まあ圧倒的なね、経験の格差もあるし、知識の格差もあって、
患者さんそれをね、自分自己流でそれやってるけれども、
それ意味ないよっていうふうにね、
自分自己流でそれやってるけれども、それ意味ないよっていうふうに、
治療者がすぐ気づいちゃう瞬間ってあるじゃない。
そうするとね、良かれと思って普通ね、
何も考えない治療者っていうのは僕も含めてですけど、
それやんなくていいですよとか、
それあんまりやっても意味ないんですよとかっていうのを結構教えたくなるじゃない。
これが別に診察場面じゃなくて家庭教師とかでもいいんですけど、
その問題解かなくていいよとか、
その問題のその解き方やめたほうがいいよとかさ、
教えるっていうことがイコール親切だし、サービスだしね、
お金の給料に見合った仕事だっていうふうに多くの人は考えるし、
一般的な精神科医も当然そう考えるんですけれども、
なんかね、認知行動療法をずっとやっていくと、
どっかでそれじゃ納得しなくなる瞬間がやってくるんですよね。
なんか、同じ患者さんとやってても、
やっぱりCBT週1回、1回の面接に45分とか50分ぐらいかけて対面法でやってるんですけれども、
週1で会ってるじゃない。
そうすると、やっぱ10回とか15回超えたぐらいから、
なんかこうやったらいいですよじゃ進まなくなってくるというか、
コツンと当たって、
というかカツンと跳ね返されて、
全く進まなくなる瞬間がどっかで訪れるんですよね。
なんか一見するとどんどんどんどん習得していって、
この方法もこのスキルも習得できて、
この人飲み込みが早いなと思うんだけど、
ある時全く岩のように動かなくなるっていう。
あれ?みたいな。
なんか一見するとものすごくたくさんこの人は手を動かして文字も書いてくれてるし、
宿題もホームワークも一生懸命やってるのに、
あれこれ全然何も進んでないなっていう。
なんかものすごい大きな壁にぶつかって、
なんか停滞するんですよね。
そっからがこれ大事なんだなっていうことが、
まだ経験は少ないですけど、
だんだん体感的によくわかってきたね。
そこにコツンと当たるまでには、
結構回数合わないといけないんだなっていう。
1回とか2回のセッションでね、
ご相談とか医療相談とかで、
こうしたらいかがですか?どうもありがとうございます。
で終わったら別にそれでいいんだけど、
だんだんね10回とか15回ぐらい目ぐらいから、
あれ?って。
これは動かないぞと。
10回もいらないかもしれないね。
10回やってる頃にはなんかもうはっきりと、
こういうなんか教えて頑張ってくださいのやり方じゃ無理なんだなっていうことにはっきりと気づくっていう。
例えばちょっと架空の章例ですけれども、
家で料理をするときに、
どうしてもやっぱりまな板が汚いって感じちゃうとか、
あと洗って乾かしてあったコップなんだけれども、
なんか乾いた水滴の跡が気になっちゃって、
何回も何回もゴシゴシ擦って洗っちゃう。
それでOKかなと思ったらまたゴシゴシ洗っちゃうっていうことを、
永遠に繰り返してる人がいるとするじゃない。
つまり料理を作るのに4時間とか5時間かかっちゃう人が仮にいたとしますよね。
よく精神科ではこういう人いるんですけれども。
患者との関わりと気づき
脅迫性障害の患者さんで。
こういう不毛な人に対して、
仮にそれはやらないほうがいいですよとかね、
それは汚くないので別にそのままコップ使っていただいて結構ですよとかって言っても、
絶対良くならないんですよね。
みんなが汚くないって言ってることもわかってますし、
それも知識としてもよくわかってます。
最近の数とか数えても別に汚くないこともよくわかってます。
すべてわかってます。
その上でやっぱり洗っちゃうんです。
だから、
やっぱり、
やっぱり、
やっぱり、
やっぱり、
やっぱり、
やっぱり、
ってなるんですよね。
これは別に高所恐怖症でもそうだし、
この間架空症例であげた、
目をつぶることが怖くて目がつぶれないっていう患者さんもそうなんですけど、
結局、
そこに行き着くんですよね。
それでね、コップが汚いんでやめたほうがいいです、洗わなくていいですよとか、
コップは汚くないですよとか、目つぶっても別に何も怖くないですよとか、
言って治るんだったらそもそも精神科に来てないんですよね。
それは本人もわかってるし、何ならもう周りの家族から散々そういうこと言われて、
意味ないからそうやめたほうがいいよとか、
散々言われた上でやめられないから来てるんですよね。
でも一回やっぱり診察していくと、ちょっとこういうふうにやってみたらいかがですかねみたいな感じで、
僕もなんかあんまり考えずに、結構良かれと思って言ってたんだけど、
結果、何にも変わらなくなっていくんですよね、人って。
そこで、
あ、これは何なんだろうなって、ここ最近ずっと悩んでいて、
弟もそうですよね、早く就活したほうがいいよとかさ、
そんな歌手に目指してないで早くバイトしたほうがいいよとかさ、正論ですよね。
でもね、正論って全然人の行動も変えないし、心も変えないし、全く響かないんですよね。
いや、わかってますって。
あの、ハンニャーみたいにさ、
目元で泣いて、口元で怒ってみたいなさ、
いや、それはわかってんだよ、お前に何がわかるんだよみたいな、
あの、ハンニャー的な、患者さんはそんなに泣いたり怒ったりはしないけどもね、
でもやっぱり、先生そうなんですけど、みたいに、やっぱね、食い下がってくるんですよね。
その時に僕も、これは何かわかってないからできてないんじゃなくて、
やっぱりここに何か引っかかってるものがあって、
これはなかなか大変だなってなって、で、三連休に入ったんですよね。
だから、もう、弟との通話もそうだし、
患者さんとの認知行動療法の面接でも、やっぱりここに行き着いてきて、
自分の中でもね、いろんなスキルを使って、認知最高生とか、
エクスポージャー、曝露反応妨害法をしましょうとか、
なんかスキルを組み立てて、何かそれに取り組んでるので、
一見すると何か進んでる風に見えるんだけど、
結果、どんなスキルを使っても、やっぱりここに行き着くんですよね。
わかってますよって。
いや、そんな紙に書き出さなくたって、わかってますって、みたいな。
その、反省文、反省文、反省文、反省文、反省文、反省文、反省文。
いや、そんな紙に書き出さなくたって、わかってますって、みたいな。
その反省文でね、私はもう廊下を走りません、みたいなさ。
絶対に忘れ物しません、みたいな反省文って全く意味ないじゃないですか。
あれと同じような気持ちに多分なっちゃうんですよね。
反省文欠かされてるような気持ちに、ともするとね、なっちゃうんで。
そうするとだんだん気持ちが離れてきて、場合によってはもう患者さん通院しなくなっちゃうじゃない。
今んとこ患者さんまだ人数も少ないので、まだ離脱率はゼロで、一人も離脱してないんですけども。
今後ね、ちょっとあんまりご利用しだったり、頭ごなしにこうやってください、やってくださいとか。
言い方の問題
あるいは、この間のバカな視聴者みたいに、先生もっと言い方気をつけた方がいいですよ。
もっと言い方を気をつければ絶対伝わりますよ、みたいな。
その言い方の問題でもないんだよね。
これをどれだけ穏やかに頑張りましょうねとか、頑張ってコップ洗いましょうねとかっていう風に言い方を気をつけても、いやそれはわかってるんですよって跳ねつけられて終わっちゃうんだよね。
だからこれは断じて言い方の問題ではなくて、僕だからこれ言い方の問題でもないし、かといってもちろん頭ごなしに説教するのも違う。
これどうしたらいいんだろうなっていうので、ずっとこれどうしたらいいんだろう、どうしたらいいんだろうで考えていて、悪夢が続いちゃったのも寝苦しさもあったのかなっていう、自分の中で。
で、たどり着いたのが最初に述べたソクラテス式問答ですね。
認知行動療法の治療者になる上で、スーパーバイザーからあなたの認知行動療法の点数はこうです、みたいな評価尺度があるんですよね。
CTRSっていうCognitive Therapy Rating Scaleっていう。
で、まあ11項目あって各項目ごとに点数をつけていく。
で、その中にやっぱりこのCognitive Therapy Rating Scaleっていうのがあるんですよ。
で、そのCognitive Therapy Rating Scaleっていうのがあるんですよ。
で、そのCognitive Therapy Rating Scaleっていうのがあるんですよ。
で、まあ11項目あって各項目ごとに点数をつけていく。
で、その中にやっぱり誘導する、うまい誘導の仕方っていうのがあって、それを評価する項目があるんですよね。
ちゃんとこの治療者は患者さんに質問を投げかけて、その質問に答えさせていく形でちゃんと正しい方向に導いているかっていう。
正しいっていうのが正しいかわかんないけど、
少なくとも本人が納得しながらちゃんと前に進んでいっているかっていうのを測る点数があって、
そこでソクラテス式問答がちゃんとできているかっていうのが問われるんですよね。
で、僕自分の面接記録を簡単につけているので、それを1回ね、全10何回分を全部AIに解析させて、
ETRSで点数化してもらったんですよね。
僕の今認知行動療法は、認知行動療法化として何点ですかっていうと、
かなり甘めに採点してくれて30何点、前半代が出て、
実際は多分それよりも低いと思うんで、結構治療者としてはまだだいぶ劣ってると思うんですけど、
率直に点数が出て、特に低かったのがやっぱりそのソクラテス式の辺りなんですよね。
僕はやっぱりなんか、あなたはこういうところがあるのでこうなさったらいかがですかとか、
まあ良かれと思ってね、別に悪気はないんだけれども、なんか結構ズバズバ言いがちなところがあって、
それで伝わらないときは、まあ共感したり穏やかな言い方に変えたりっていう、やっぱりちょっと言い方でゴリ押ししてた部分があって、
そこで僕もずっと反省していてね、これ言い方の問題じゃないんだなって。
そう、分かった上で、この間先生もって言い方気をつけた方がいいって言われたんでカチンと来たんだけど、
いやそれは分かってんだよと。それは俺も結構前から気づいてんだよそれはと。
それは分かってるし、それで伝わらないことも分かってるんだから、
訳わかんない批判してくんなっていうことでも即ブロックしたんだけど。
まあそういう理由からですね、ずっとそこら辺に問題意識があって、
言い方じゃ人は変わらないんだっていうこともずっと僕の中でね、
ずっとくすぶってるというか、もやもやしてるところだったんですよね。
仮説の検証
で、その中でそこらで質問号が出てきて、
これもなんか一口に説明するのはなんか難しいんだけれども、
例えばこうした方がいいですよっていう風に言うんじゃなくて、
もし仮にこうなった場合どうなりますか、どうなると思いますかっていう風に
ちょっと制限をかけて質問をしていくっていう感じなんですよね。
まあこの間出した例だとその、
例えば裸足で外を歩きたいって言ってる人に対して
どうやって靴を履かせることを覚えさせたらいいかっていう問題ってありますよね。
子育てとかでよくね。
仮に子供がちゃんと知的能力が高くて言語も理解できて一卒が履かれるとしたとして、
じゃあこれどういう風に一卒を履かればこの人は靴を履いてくれるようになるのか。
難しいですよね。
靴履きなさいって言って履いてくれない人に対してどうやって靴を履かせるかっていう。
その場合ソクラテス式問答では、
まあいろんなやり方がありますけれどもね。
例えばなんだろうな本当に、
もし靴を履いたらどうなると思いますか?
とか、
もし靴を履かなかったらどうなると思いますか?
っていう風に本人に聞く。
まあ両方聞いてみてもいいかもね。
もし仮に靴を、
まああなたはね、今靴を履かない方がいいっておっしゃいましたよねと。
じゃあ仮に靴を履いたら何が起こるんですか?
と。
っていう風にちょっと制限をかけてオープンクエスチョンで聞いてみるっていう。
オープンクエスチョンって、
今日いかがですか?とか、
最近調子どうですか?っていうのを広く構える、
ね、あの、イエスかノーで答えられない質問のことなんですけど、
制限をちょっと軽くかけるっていう。
もし靴を履いたら何が起こると思いますか?
ちょっとそこら辺詳しく説明させていただきたいと思います。
はい。
もし靴を履いたら何が起こると思いますか?
ちょっとそこら辺詳しく聞いてもいいですか?
あるいは何が起こると思いますか?
あるいはどんな気持ちになると想像しますか?っていう風に聞いてみる。
そうすると、まあ仮に何でもいいんですけど、靴を履かないっていう人は、
もし靴を履いたらどうなりますか?って聞かれたら、
いや靴を履いたらやっぱり足がむれるし臭くなるし汚いと思いますとか、
いろいろこういうわけだよね。
あるいは靴を履くことによって足の指が本来の自然な形から変形してしまうと思いますとか、
なんかそれなりのことを言ってくるわけですよね。
そうすると、なるほどなぁとなるわけですよ。こっちも。
あーなるほどなるほどと。別になんか反抗して言ってるわけじゃなくて、
本当にこの人はなんかそういう足の形とか機能のことを心配されてるんだな、
っていうことがそれでわかるんですよね、まず。
でもここで説得されちゃうとやっぱ靴履かないでいいですよになっちゃうんで、
ここでやっぱり説得されずにですね、もう少しソクラテス式問答を続けたいと。
そこで、じゃああの足の、その靴を履いて、
靴を履いたことによって足の指の形が変形してしまう確率ってどのぐらいだと思いますか?
っていうふうにまた聞くこともできるね。
あるいはそれはどのぐらいの頻度で起こるものだと思いますか?
いやもう100%起こると思います。
っていうふうに答えてきたら、あ、なるほど。
そうするとあなたは靴を履くと足がすぐに変形して、
100%足が変形するとそう思ってるんですか?
はい。
なるほど。それはどのぐらいの期間で起こると思いますか?
まあ履き始めて1年以内には起こるでしょうねと。
なるほど。じゃあこういうふうに、こういう仮説が成り立ちますねと。
もしあなたの仮説、考えが正しいとすると、
靴を履いて1年以内に足の指が変形するという仮説ですと。
この仮説は今あなたはどのぐらい確信しますか?
いやもう100%確信できます。
なるほど。分かりました。じゃあ100%確信してるんですねと。
で、今ここでそのデータはありません。
実際靴を履いてどのぐらいの足の指の変形があるのか。
今データがありませんので、今後この仮説をあなたと一緒に検証していきたいんですと。
今ここで2人で話し合ってもデータがないので水かけ論になっちゃいます。
私は医師免許を持った治療者だけれども、実際にそういうデータは持っていないので、
やっぱり今これ、この仮説が合っているのかどうか検証できません。
そこであなたにこれから検証していただきたいんです。
今のこの仮説をあなたと一緒に検証していきたいんです。
今のこの仮説が本当に正しいかどうかを診察室の中では確かめられないので、
お家に帰ってホームワークをしていただく形でぜひ検証していただきたい。
よろしいでしょうか。みたいな感じでここでホームワークの必要性を提示して、
どんなホームワークとかどんな実験をしたらこの仮説を検証できるでしょうか。
つまりこの仮説を支持できるか、あるいは帰却できるか。
というふうにまたそこで話し合っていくっていう。
仮に例えば靴を履いている人にインタビューするってやり方もありますよね。
実際にお友達の方に靴を履いていてどうでしたかっていうふうに、
じゃあ少なくとも3人の方に聞いてみてくださいと。
皆さん何ていうか聞いてみてくださいと。
実際に足が変形しているかどうかもなんなら見させてもらってください。
っていう検証の仕方もあるし、
あとは実際に嫌かもしれないけれども、
じゃあ仮に1ヶ月間ちょっと靴を履いてみて、
足の指が何か変形があるかどうか。
1年ではないけれども、短い期間ではあるけれどもちょっと履いてみて、
実際に履き心地を確かめてみるというやり方もありますよね。
あとはもっと科学的に何かそういうWHOか何かの国際機関の統計とか
を当たるっていうのもあると思います。
そうやって検証する。
そうすると検証すると結果が出てきますよね。
それは今言った3つの検証法のすべてにおいて足は変形しなかったと。
でなると、その仮説はもしかしたら何か別の仮説、
あるいはもう少ししなやかな仮説に置き換えられるかもしれないですよね。
つまり、靴を履くことによって足の指が変形する。
治療同盟の構築
人もいれば変形しない人もいる。
この仮説にあなたは同意できますか?
まあ確かにそうだね。
じゃあこの仮説に同意した後、
あなたは靴を履いてみたい、履きたくないという気持ちは何パーセントから何パーセントぐらいに減りましたか?
って言ってまた数字で記載させるっていう。
これが認知行動療法なんですよね。
このやり方をしないと、
靴履いてくださいよ、履かないとやばいですよあなた、
というふうに脅したり説得してもやっぱり人の心って変わらないんだよね。
ものすごい遠回りなんだよ。
なんでそんなWHOの国際機関の統計見なくちゃいけないんだよと思うかもしれないけど、
人はとんでもない遠回りをしないと靴を履かないんだよね。
僕が今やってる臨床もね、
今日もまさに本当にそんな感じなんだけど、
めちゃくちゃ今すごい遠回りをしようとしてるんですよね。
どうしてもその方は、
先生がいくら何と言ってもやっぱり私はこう思うんですと。
いやもうこの何ならこの外来に来る前から、
会うたんびにいろんな人からこうしないと、
これが絶対正しいんだよ、それ間違ってるよって私はずっと言われて生きてきたんだけど、
でもやっぱり私はこれを信じられないんです。
とか私はこの自分の説を信じてるんです。
っていうふうにやっぱりこうなってくる。
そこに僕が、いやあなた間違ってますよ、
とかね、私医者です、あなた医者じゃないです、
じゃあ私の言うこと聞いてくださいとか、
なんかね、そうやって脅したり説得しようとしてもやっぱり変わらないんだよね。
そこで、じゃあ仮にあなたの説が正しい、
あるいは仮説があるとして、
それが正しいかどうかを今検証しませんか、
っていうふうに治療同盟を結ぶことができるんですよね。
ていうかそういうふうに結んでいかないと、
仮説の検証
じゃあちょっとやってみましょうっていうふうに前のめりになってくれないんだよね。
結構3日間、
まあ本当はね、
スーパーワイザーがいて、
認知行動療法課の方に聞けばすぐ答えてくれるような質問なのかもしれないけど、
僕なんかこれに自力で今たどり着いたんだよね。
チャットGPTとかを使ったり、本読んだりしながら、
あれこれってやっぱりこういうソクラテス式問答で、
超遠回りでやらないとこれやばくねみたいな。
だから絶対に人は首を縦に振らないよなと思って。
今ここまで来ましたね。
で、今日はその仮説を3つぐらい立てて、
そのうちの一番確信度の高いものを、
じゃあ検証したいので、
どういうホームワークにしたら、
その仮説が検証できると思いますかって最後に、
その本人と俺とで一緒に考えて、
で、ホームワークも2人で決めて、
じゃあホームワークお願いやっていきましょうね、と。
やってきたら、
やっぱり、
じゃあホームワークお願いやっていきましょうね、と。
やってきたらまたぜひ、
この仮説を検証しましょうって言って、
帰ってもらったんですけど、
すごい満足してくれたんですよね。
うん。
今までで一番なんかね、
満足してくれたの。
僕そこの本当はね、
よくないんですけど、
僕ずっとその人の名前を名字をね、
間違って呼んでたんですよ。
例えば田中さんを中田さんっていうような感じで、
僕ずっとその人の名前をずっと間違って呼んでたんですよね。
っていうことに後で書法、
なんかこうカルテを後で書いてるときに気づいたんだけど、
でもそれでも喜んでくれたんですよね。
うん。
だから、
そこで名前間違えたらダメじゃんなんだけど、
俺もちょっとうっかりしてたんだけど、
でも、
名前を間違えられてもなおニコニコして、
ありがとうございますっていう風に感謝してくれたんで、
その感じで。
だからまあ相当良かったのかなと。
やっぱこの方法が良かったなっていうより、
僕はなんかすごく手応えがあって、
今日はだからすごくホクホクした気持ちでね、
帰ってきたんですよね。
偏見の探求
まあそこでちゃんと名前もバチッと言えればね、
100点満点だったのかもしれないけど。
今日はね、結構頑張ったね。
まる。
猫好きなんですか?猫好きです。
今日は結構頑張ったねの、
まき。
僕が最初に言ったのは、
さしみちゃんが教える側じゃなくて、
ともに仮説を検証する仲間として患者さんに向き合っていたところ。
まるで治療者と患者という線を引く代わりに、
同じ地図を囲んでこの先どう進むかを探っていったような、
そんな感じがしたんやと。
まあ今話をすると、
ね、そんなの先生当たり前じゃんと思うかもしれないけど、
僕はやっぱすごく一番難しいなと思うのは、
本人の偏見とか、
ま、価値観の前提になっているものを、
さっき言った仮説って言ったけども、
その価値観の一番根底にあるものを、
言葉でまず探り当てる。
つまり、私はこうこうこう思っているとかね、
人間とはクズだみたいな、
例えばそういう断定形で、
きちんとその人の偏見とか潜入感を、
やっぱりえぐり出すっていうのが結構大変なんですよね。
うーん、
とてもじゃないけど、初心とかあるいは2回目ぐらいでは、
やっぱそういうものって出てこなくて、
すごく大変だなと思いますね。
でもこれさえ探り当てられれば、
あとはまあ、
仮説っていう形に多少ちょっとこう変形してね、
だからどうしようどうしよう、
よくわからないよっていう自動思考があるんだとしたら、
それをね、
原因は不確かであるということに耐えられない、
みたいな、
ちょっと翻訳をして、
そうするとね、
じゃあ自分はその不確かなものに耐えられるかどうかっていう検証が可能になるじゃないですか。
自動思考をまずかなり、
こう変形をして、
で、
まあ仮説を提示して、
っていうところまでをこう、
ソクラテス式問答法でね、
あなたはこうなんじゃないですかっていうふうに、
決めつけていくんじゃなくて、
あれは頭ごなしに、
あなたはこういう人間なんですよっていうふうに、
レッテルバリをするんじゃなくて、
本人に話していってもらう。
うーん、
仮に靴を履いたとしたら何が起こると思いますかっていうふうに、
本人に語らせる。
そのやり方って、
まあ結構訓練が必要だし、
小中高大とね、
僕医学部も卒業してますけども、
一回も習ったことがないね、
こういうやり方って。
医学部でも習ったことがない。
まあオープンクエスチョン大事ですよねっていう話は、
オスキーとかでね、
簡単にやるんだけど、
でもこういうソクラテス式問答に関して習ったことは一度もないね。
精神科になってからも習ったことは一度もない。
すっごく難しいし、
うーん、
治療の難しさ
多分訓練が必要なものなんだと思うね。
つまり普通に生きてる間で、
日常的な会話の中に出てこないタイプの質問なんだと思う。
もしあなたが、
本当に嫌な人と出会った場合、
どう思うと思いますかとかさ、
まあそんなの日常会話で言わないじゃない。
制限付きの質問とかさ。
もしあなたが、
その水滴がついた、
お茶碗でご飯を食べたとしたら、
一体何が起こると思いますかとか、
そういった質問に対して、
どう思いますか?
まあそんな質問は日常会話に一回も出てこないので、
やっぱりこれはかなり訓練が必要だなと思った。
こんばんは、どうもこんばんはです。
えっと、
きつね75さん、
配信者用、
えー、忍法さん、
知ってますか?
うん、知ってます。
病と言われていますが、
精神科医としてどう見えますか?
いや、分からないです。
会ったことないんで。
うん。
僕は配信者は全部含めて、
エンターテイナーだと思ってるんで、
あのー、そうやって
熱くなって配信が盛り上がってるんだったら、
その配信者の力量かなと思ってますね。
はい。
あんまりだからその審議には
僕はあんまり興味がなくて、
どのぐらいその人がその熱狂を生み出してるかにしか
興味がない。
うまく取り込まれてるんじゃないですかね。
配信者としてはすごく優秀な人なんじゃないですか。
20年間薬づけですが、
病名も医者によって
様々治るっていう概念がない
みたいなことも言われます。
どうしたらいいでしょうかと。
ちょっと漠然としすぎていて
なんて答えていいのか分からないですけど。
うん。
こんばんは、どうも。
まあ確かにね、精神科の病気の中には
なんか治る治らないっていう考え方と
馴染まない病気ってありますよね。
例えば知的障害とか発達障害とかね。
うん。
あとまあ認知症とか。
ある種のこう、まあ
さっき言った知的障害発達障害は
まあ持って生まれた性質の部分だし、
認知症もまあなかなかこう今
こう特効薬のない
不科学的なね
神経の慢性変性疾患ですよね。
あとまあ統合失調症とかも
もう伝統的に
そういうものですからね。
まあちょっとその
すごい薄い情報からコメントするのは
ちょっと不可能ですけど
まあなんかすごく一般論で返すとね。
お医者さんをコロコロ変えるのは
あまりよろしくないかなと思う。
あの
どんな勉強も
勉強をコロコロ変えると
やっぱ試験って合格しづらいじゃないですか。
まずはこの一冊をやり切る
みたいな感じで
一人の先生にしっかり見てもらって
そこからいろいろ
なんか引き出せるものを引き出すというかね。
その先生の引き出しを使って
ものを考えるっていう方が
結果的になんか
深く理解できるのかなと思うんですけどね。
で、どうしてもこの治療は
納得いかないっていうのであれば
まあ主治医を持ちながら
セカンドオピニオンという形で
そういう形で
まあなんかこう補助的に
他の先生に意見聞くっていう
やり方がいいのかなと思うけど
あんまりこいつダメだから次
はいまた次みたいな
スクラッチみたいにね。
めくってダメだから外れたからもう一回めくって
また外れたからみたいな
宝くじじゃないんだからさ。
なんかそういう使い方は
まあ可燃と時間の無駄かなと思いますね。
で、医者もそういう患者さんに当たると
やっぱりたまったもんじゃないね。
医者の時間も無駄になるんで。
非常にリソースの無駄ですね。
仮説を検証する仲間。
人は自分の仮説をやっぱり持っていて
それに基づいて世界を捉えたり
その世界で判断を下してるんですよね。
だからまずはその本人が
一番よりどころとしている
仮説を取り出すっていう作業が
まあやっぱり初心者と
初心者じゃない治療者を
やっぱり一番分けてる部分なのかなと思うね。
ただなんとなくこう
ツールをダウンロードして
紙に書き出させるったら
だんだん患者さんの心が解きほぐれていくとかさ
そんな単純なものではないんだな
っていうのはよく分かった。
認知行動療法も結構大変なんだなと。
精神分析も大変だと思うけど
認知行動療法もそういうちょっとこう
マニュアル化できない
生の部分があるんだなと思いましたね。
CBTの本質。
まあいろいろ学びの多い人生です。
まあもちろん
自分自身が
自分自身が
いろいろ学びの多い人生です。
まあまだ明日もあるけど
なんとなくもう1週間終わったつもりでいたけど
まあまだ明日もあるし
ちょっとしっかりまた気合を入れてね
明日を終えて
いきたいですね。
ちょっと時間帯的にも
夕飯の時と被っちゃったりして
あんまりコメ欄が元気ないね。
所見も遠慮してんのか。
まあとりあえずなんか
校長先生的な感じで一方的に
話しちゃいましたけども。
最近そんな発見と
治療者としていろいろ気づきがあったね。
もしかして今日結構重いですかね。
あの回線の方。
全然イベントとか
何にも気にしないで配信してるんで
なんかイベントとかに
直撃するってやっぱ重いのかね。
時々重い時あるよね。
なんか微妙になんかね
そう
視聴者数が
急に乱攻撃する瞬間があるんですよ。
いきなり10人減ったりとか。
そうすると
なんかすげえアプリ重いのかなとか。
そこでなんか意地張って
頑張ってもしょうがないんでね。
もうさっさと枠閉じちゃおうかなっていう風に
すんごく冷静に思うんですけどね。
僕もちょっとこの後サウナ行きたいしね。
あんまり話すこともないし
なるほどっていう感じで
スッと終わるんだったら
さっさと終わろうかなと思うんですけど。
僕としてはね
もう言いたいこと言ったし
これがいずれアーカイブに残るんで。
アーカイブ勢がこの後たくさん見てくれるんでね。
いいかなって感じなんですけど。
ネット回線とストレス
リアルタイム勢は特に
何もリアクションはないですかね。
うちはいつも電波が悪くて
他の方はどうでしょう。
あ、そうか。
電波安定しないとちょっと
ストレス溜まりますねそれは。
こんばんはどうもこんばんはです。
自宅の電波で悪かったことはあんまないんだけど
研修院の時とか
外の病院に
外病院に研修行ったりとかするんで
なんかその病院病院によって
結構ネットが強かったり弱かったりするんだよね。
僕が青森にいた時
ネット回線が非常に悪くて
なんかさっきまで良かったのに
突然悪くなる時があって
その時なんかあの
分かんないけど
ネットのケーブルの上をなんか今
クマが歩いたかなとかさ
勝手にそうやって想像して
ちょっと落ち着かせてた。
勝手に解釈して
なんか
光ケーブル誰か今いじってるなって
そういう風に解釈してます。
獅子神様が上を通ったかなって。
コーン3個プレゼントどうもです。
可愛い想像ですね。
でもそういう風に想像しても収まらなくて
ほんと画面殴ろうとした時もありますけどね。
オンラインゲームしてる時に
回線が急に止まって
それで負けちゃった時があって
ほんとになんかあの
iPad割ろうかなと思いましたね。
ちょっともうこのiPad捨てといてって
誰かに向かって。
そんぐらい切れてましたね。
じゃあ最後チュール菩薩様に
なんかその
光ファイバーをかじってるビーバーの絵か
まあビーバーじゃない
なんかチュール菩薩様が
なんかこう光ファイバーをいじって
ネット回線が重くなっている絵を描いてください。
それを見てちょっと癒されようと思います。
切れますよね。
ちょっと依存症だね。
現実で無口なくせにね。
ネット弁慶なんで
光ファイバーをいじられるとやっぱ一番切れますよね。
これは尿道をいじくられるよりも嫌かもしんない。
さて
最後絵を見て
もはや4コマ漫画でもないけどね。
絵を見て終わるという。
ちなみに配信の流れ全く関係なく
なんか聞きたいことある人いないですかね。
大丈夫かな。
変な呪いを受けてしまった人とか
変な呪いのビデオを見てしまった人とかいないですか。
霊能力はないですけど
僕も患者さんに結構幽霊の幽霊関連の人がいるんで
あの何か精神科医として相談に乗れることはあるかもしれません。
さあなんか出てきました。
こっちの方がいいな。
あ間違えちゃった。止めちゃった。
間違えた。
もういろいろなんか操作してたら止めちゃったじゃん。
ごめんなさい。ちょっともう一回チュール菩薩様書いてください。
チュール菩薩様書いてください。
チュール菩薩様もう一度絵をお願いします。
いろいろやってるともうダメなんだよ。
そういろいろいじってるとなんかもうわけわかんない。
なんか変なエッチな画像写っちゃったりしてね。
もうやめよう。触るの。
お疲れ様ですどうも。
誕生日とユーモア
もうなんか変にいじらない方がいいな。
渾身の一枚を書いてもらってます。
ちなみになんかあのまったりしてるところあれなんですけど
あのあと数日以内に誕生日なんですよね。
意外と年を取ります。
えーとなんか
あれ光ファイバーの絵が書かれてない。
えーと
関係ない絵が出てきました。
光ファイバーをかじってくれてるのかなと思いきや
全然関係ないです。
ちょっとよくわかんない絵が出てきました。
後ろに光ファイバーが走ってんのかなこれは。
どういうことでしょうか。
もしよければあのナイスボタンを押してください。
というわけで。
わかんないです。どのぐらいの長さかな。
わかんないです。どのぐらいの人が一体ちょっとこの配信を見てくれてたのかわかんないけど
ほぼ手応えのないまま終わろうと思います。
ハッピーバースデー。あーどうもありがとうございます。
このまま無視されるかと思いました。
ありがとうございました。
えーお送りしましたのは
さしみちゃんでした。
ポチッと。あーどうもありがとうございます。
50:50
コメント
スクロール