1. 刺身ちゃんのPodcast
  2. 2025/08/19【投影同一化/魔界..
2025-08-20 3:11:20

2025/08/19【投影同一化/魔界へようこそ】

投影同一化

サマリー

このエピソードでは、メンタルの疲労や魔界への入り口について話し、その原因を探ります。特に、自己認識の重要性とカメラ配信が心に与える影響を考えます。対照関係論に基づく内的世界の概念が探求され、自分と他者との関係性が心の中でどのように表現されるかが説明されます。また、内的世界が外的世界に与える影響についても考察されます。自己の内部に生じる感情を外部に投影し、分裂を通じて内的な不快感を管理する過程が探られます。特に、赤ちゃんの未熟な心が外的世界との関係をどう構築するか、それが形成する心理的構造に焦点が当てられています。赤ちゃんと母親の関係を通じて精神分析の概念が探究され、悪い経験を良いものに変換する「コンテイン」機能や、内的世界の統合の重要性が考察されます。内的対象関係の理想と現実、妄想分裂ポジションからデプレッシブポジションへの移行を通じて、精神分析に基づく人間関係の理解が深まります。感謝や償いの気持ちが内的安定性をもたらし、他者との関わりに関する見解が示されます。投影同一化の概念と、深い人間関係における悪い対象との戦いについても語られています。フロイトとメラニー・クラインの理論を通じて、心の中の良い対象と悪い対象の関係がどのように形成されるかが考察されます。フロイトの理論や精神分析の進化についても触れられ、投影同一化や内在化の心理的メカニズムに焦点が当てられます。精神科医としての実体験を通じて、問題解決のためのアプローチの必要性が論じられます。自己の内的世界と外部との対立について語られ、特に母親との関係性から生じる感情の複雑さが考察されます。投影同一化のメカニズムが個人の人間関係に与える影響や、それが孤立を深める要因についても触れられます。内的対照関係や親子関係の影響が深く掘り下げられ、それが個々の日常生活に与える影響が語られます。精神的なトリガーや他者との関係性における葛藤が中心テーマとなっています。個人の心の内面が外の世界にどのように影響を与えるかが探求され、特に母親との関係や自己認識の重要性が強調されます。また、AIとの関係や新たな恋愛観についての考察も行われています。完璧主義とそれによる他者との関係の影響についても考察され、完璧さの追求が個人や他者に与える影響や心理的な側面についても触れられます。

配信の始まりと状況
それでは放送を始めます。
進行は私、刺身ちゃんですともよろしくお願いします。
2025年8月19日火曜日22時28分、自宅から生配信です。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
こんばんは、いちごうさんどうも。とりあえず今日もダラダラ配信ですね。
もともと配信の予定ではなかったんですけれども、急遽ちょっとテスト配信です。
だいぶね、体調悪かったんだけど、さっきまでサウナに行ってまして汗流して、
その前に軽く筋トレもして、ちょっと気分が良くなって、ちょっと整ったので、
まだ寝るにはちょっと早すぎるし、配信しようと、そういうことです。
チュール菩薩様もよろしくお願いします。
あとノイズとかいろいろあれば、ずっと音割れしてる気がするんだけどね。
せっかくいいマイクつけててもあんまり意味ないよね。
ずっとこの設定が一生うまくいく気がしない。
ちゃんと調べればいいんだろうけどね。こういうのいつも適当にやっちゃうんだよね。
ちょっと小さくした。さて、チュール菩薩様もよろしくお願いします。
一応一発送るか。
さしみちゃんこんばんは。
急遽のテスト配信とはいえ、なんだかんだで整っているのはさすがダニア。
さすが共感性が高いだけあって、何でも褒めてくれるね。
こんばんは、どうもこんばんはです。
こんばんは。
さんごうさんどうも。
モンスターの笛プレゼントって言うけど、これ絶対笛じゃないよね。
ジャッキーチェンの花だよね。
ずっと僕だけかね。
ジャッキーチェンの花もらってる気分です。
探検を3回投げました。
どうもです。
横に広がってる系の。
ちょっと鼻大きい人のやつ。
今日も疲れたな。
最近なんかメンタルの疲れがやばい。
肉体的な疲れは全然なんですよ。
当直室のベッドがあってないんで、火曜の朝はいつも頭痛でうなされるんですけれどもね。
大体いつもロキソニン飲むんですけど。
でもそれがなくてもずっとメンタルが悪い。
メンタルの不調と魔界
昨日の当直中もずっと話したんで、今日はもう繰り返しませんけど。
当直明けお疲れ様でした。
当直後もお仕事されてるんですか?
そうなんですよ。
医者は夜勤と言わない理由はですね、当直明け大体また普通に日勤が始まるからです。
医者はシフト制じゃないので看護師みたいに夜勤がないんですよ。
当直があるんです。
当直という名の休憩時間があるんです。
シフト制を組んでる救急課とかの病院だと夜勤はありますけど、
医者には基本的に夜勤というものは存在しない。
なぜならシフト制じゃないから。
さて、とにかくいろいろ理由があって何か調子が悪い。
思い当たる理由はよくわからない。
常々メンタルの不調が来るには、何かしらの日常に潜む魔界への入り口というものがあるんだと。
その入り口というものをちゃんと自覚を持っておくことが大事ですよなんて。
偉そうに言ってる割にはですね、僕自身もその魔界の入り口がよくわからないんだよね。
突然いつの間にかその魔界の中に入っていて、
もうそこからいつの間にか抜け出せなくなってるんですよね。
今まさにそのような状態で。
何かわからないけど自信もないし、
何か今までやってきたことが全て無駄だったんじゃないかって。
何かいろいろ自分なりに努力してきたつもりになってるだけで、
実はとんでもない無駄な時間を過ごしてるんじゃないか。
そういう虚しさをですね、最近なぜか感じ始めています。
えっと、先生こんばんは。どうもこんばんはです。
それでは疲れ取れないような。そうですね。
基本的には呼び出されないという前提で当直に入ってるんですけどもね。
昨日もね、別に特に夜間、呼び出しはあの後ありませんでしたね。
でも何かね、当直人のベッドの硬さなのか合わなくて、
何かすんごい疲れるんだよね。
笛の砂をプレゼント。ありがとうございます。
アイテムどうも探検3回投げました。
たくさん来るね、イベントで。
様々な魔戒への入り口。
でもまあ、複数おそらくその入り口はあるんでしょうけども、
最近カメラ配信をなんかするようになってね、
手元を映したりとかもしてるんです。
でももしかしたら何かそれがすごく悪く作用してるんじゃないかって、
そんな気がしてるので、だから今日あえてカメラ配信をしてみたんですけど。
何かこれから逃げることによってよくないんじゃないかと思ってね。
そこに魔戒の入り口があるんだとしたら、もっとちゃんと研究した方がいいんじゃないかなと思って、
ちょっと無気になって最近カメラをこうよくやるようにしてるんです。
逆にこっから逃げたらいけないんじゃないか。
カメラつけるとなんか調子崩れるからやめようって言ってやめちゃうと、
自己認識とカメラ配信
なんかかえってよくないんじゃないかって。
えーと6号さんどうもです。お疲れ様です。どうも。
私はさしみちゃんの配信が心の安定剤になっています。ありがとうございます。
どうも。
何かしらうまく使ってください。
本当にどうしようもないくらいつまらない配信もたまにはあるんですけど、
そういう時は静かに消していただいて、いいとこだけうまく使ってください。
笛の砂プレゼントありがとう。
今日は急遽の突発ワークなんでね、そんなに人が来ない想定で今話してます。
でもね、結構濃い人が来てくれてるんじゃないかなと思って、
人が少ないけど濃い人が来てくれるってことを今ちょっと想定しながら、
ちょっと皆さんにもね、なんか一つ手伝ってもらいたいなと思って。
えーと1号さんどうもです。
というわけでそのテスト配信なんですよ。
いずれ本配信というかね、50人とか100人とか大勢来た時にてんぱらないように、
先にちょっとみんなで仲間だけで打ち合わせしとこうみたいな、
そういうテスト配信です。
なんか変なもの映ってたりとかね、
してもこの10人15人くらいだったら多少映ってても大丈夫だからさ。
先生チンゲ落ちてますとかね、そういうの早めに教えてもらえると対応できますんで。
お願いします。
えーと、
アイテムありがとうございます。
了解です。
チンゲらしきものが落ちてます先生って。
耳打ちしてもらうと助かるね。
こんばんはどうもこんばんはです。
ちなみにあらかじめ言っておくとヨダレはもうついてます。
ヨダレに関してはもう理解してますんで。
ヨダレ以外でお願いします。
えーと、笛の砂プレゼントありがとう。
とにかく最近はなんかコントロール感がうまくないっていうのと、
なんか変などもりが最近また入ってきてる。
いずれもなんかこう自分の自信の無さをね、
なんかちょっと反映してるのかなと思うんですけど。
文字が見やすくなった。
本当にちょっと文字が大きくなったかもね。
大きさ少し変えたんで。
10%ぐらい大きめにしたんで。
ヨダレとかそう鼻水とか、
そういうものは気にしないでください。
で、今まであのこのね、
左側に映してたじゃない、こうやって。
でもこれちっちゃいなと思って、
こうしました。
ちょっと別の画面を作ってみたの。
これでちょっと広くなったでしょ。
まあ猫ちゃんはちょっと消えちゃうんだけど。
もしかしたら猫ちゃんちょっとこの空白の左側に
持ってくるかもしれない。
あるいは左側じゃなくて、
右側に猫ちゃん映せばいいのかな。
猫ちゃんをチュール菩薩様だよね。
チュール菩薩様をちょっと待ってくださいね。
でもこれまあ配信外でやったほうがいいのかな。
変なもの映っちゃうかな。
えーとね。
こうなってて。
こうなってて。
ありゃ。
まあなんかちょっとこう見守ってる風な感じにもできる。
ちょっとね、チュール菩薩様いるよ的な感じにもできる。
よし。
押しよう。
なんかいないと寂しいもんね。
OK。
じゃあこういうレイアウトで。
で、ちゃんとあのタイトルもついてるし。
これいけるんじゃない。
で、あともう一個チェックしたいのがさ、
文字の大きさどうしようかなと思って。
本当に基本的なことなんですけど。
まずマイクは大丈夫だよね。
でもね、書きながらだとマイクが難しいってことにも気づいてる。
まあこうか。
これだといいですよね。
で、これは映ってますよね。
OK。
これはA4を普通に横にしておいてます。
で、
あ、これはかぶっちゃうのか。
なるほど。
あ、これは読める。
これあの、マッキーの細の方で書いたんだけど。
これ読めます?
視力検査です。
これ読めない人は1.0ないです。
読める。
おお。
こんばんはお疲れ様。
綺麗なお手でこんばんはどうも。
変態も群がってます。
読めます。
おお、ありがとう。
探検さん回ありがとう。
じゃあもう一個ちょっとテストしていいかな。
これあのボールペンなんですけど。
これでボールペンでこう文字を、あごめんなさい薄いな。
これはちょっと見づらいか。
これは読めます?
これ結構きつそうだね。
僕普段カルテこのボールペンで書いてるんだけどこの1.0、1.0ミリなんだけど。
これはね難しいね。OKです。
じゃあまずボールペンという線は消えた。
マッキーでいきます。
これはねしっかり見える。
OK。
これもまあ見えると。
細字でもまあ読めるよね。
でも太字の方がいいよね。
じゃあやっぱり太字でいこうか。
そう。
ボールペンは見づらいと。
太字の方がよりはっきりと出るね。
マッキーの方がよく読める。
太がいい。
やっぱりみなさん太くて固い方が好きなんですね。
知ってました。
うん。OKです。
すべて古文書に書いてあった。
さて、あともう一個ちょっと全然少しこの中身というか心理学的な話なんだけどちょっと話していいかな。
またいずれちゃんと話すんだけど。
僕が何かうまく話せなくてこの間。
そのせいでなんかずっと自分がもやもやしてるんです。
何の話かっていうと憎しみの連鎖の話なんだけどね。
なんかねこれを説明するときに僕は過去と現在に分けてね。
登場人物は丸と四角と三角。
これは人ですね。
三人登場します。
それぞれ別の人。丸と四角と三角を使ってちょっと図示するんだけど。
僕が書いたのはこういう図なんですよね。
これが過去の丸と四角の関係をね、つながりを表しています。
家計図だとこれ結婚って意味なんだけどそういう深い意味ではなくて単純に人のつながりをここではちょっと表しています。
で、現在この四角目線で。こいつが主人公ね。四角を主人公にするね。
四角目線で見たときに現在の四角ってこう書くと新しい人ね。
三角形とのつながりはこういう風に書けますよね。
ちょっと大きさは気にしないでください。
過去に丸と四角のつながっていたっていう関係があります。
現在この四角と新しく三角がつながっています。
これがあの人のつながりをまずこれ表してるんだけど。
四角に着目したときに四角の心の中っていうのはこうなってるっていう説明をしたんですけど、
なんかこっから多分ね、なんか怪しかったんですよね。
何を言ってるんだこの人は。
先生何言ってるんだろう。
なんかね図を使って、言葉でいつもねこれ結構もう何年も前から配信では話をしてるんだけど、
この四角の中に書いた図形っていうのはこれは心の中の世界を表してるんですけれども、
四角の心に着目したときに四角の心の中には過去のこの関係が入ってるんですよっていうのをこれは単純に図示してるわけなんですけど、
これはわかるかな。
なんかこっから結構置き去りになってた可能性があって。
内的世界の説明
でなんかねちょっとこの説明がわかるでしょっていうつもりで進んでっちゃったんだけど、
ちょっと不親切だったかなと思ってさ説明が足らなくて。
でこれ結構あのこの後すぐになんかこれとこれがつながっててみたいな話に進んでっちゃったんだけど、
ちょっと一枚別の説明を挟みたくなってきたんだよね。
今日仕事しながらなんかこの図の結構飛躍してた部分をもう少しちゃんと説明したいなと思ったんですよ。
だからちょっとしていいですかね。
この間さらにこれとねもうすぐ四角と三角の関係があってっていう風になんか進んでっちゃったんだけど、
この現在の四角と三角の関係を考える上でこの四角の心の中っていうものが激化しちゃうんですよ。
転移って書いたんだけど、何かね、この二人の関係性の中で転移とも言ったり、
あとは激化とかドラマタイゼーション。
二人の関係性の中に過去の丸と四角の関係性が転移しちゃうよね、激化しちゃうよね。
ちなみにその心の中にこの二人の関係性が入り込むことを内在化っていう風に言うんですけれどもね。
転移に移る前に、ちょっとこれまたいずれ使うかもしれないから綺麗にとっとこう。
だから今綺麗に書いたんだけど。
いつもサラサラっとなんか適当にくちゃくちゃって書いてるんだけど、ちゃんと書こう。
今日なんか仕事しながらちょっと頭の中でぼんやり考えてたんだけど、
もう一枚ちょっとこう、遅く説明しようかな。
遅くしといたほうがいいかなと思ったんだけど、
イギリスの対照関係論。
対照関係論っていう学派があるっていう学派に基本的に基づいて僕は結構心を捉えてるのね。
だから同じ心理学とか精神分析とかでもまた違う考え方もあるので、
僕が今から言う説明っていうのはこの学派にのっとった考え方なんで、
絶対的な説明ではない、答えではないんですけれど、
この対照関係論っていう学派の考え方だと、
これさっきのね、これさっきのあの人の心を表してる四角ね。
この四角の内側に内的世界っていうものがあって、
で、この外に広がっているのが外的世界とか、
まあいわゆるあの現実世界っていうふうに普通に日常語で呼んでる世界ですね。
で、あの私たちは現実世界そのものを生きてるんじゃなくて、
実は、これ目ね。
内的世界を通して外的世界を見てるんですよ。
だから私たちが見ている世界っていうのは、
まず自分の中にある内的世界っていうものを通じて見てるっていう話なんですよね。
だからこの外的世界に登場する、例えばなんとかさん、三角さんっていうね、
これ、まあ別の人物を見るときも、
この四角は丸とか四角みたいなものをベースとして見るんですね。
まあこれ俗に言う、だから潜入感とか、第六感みたいなものかね。
第六感とか第一感か。
だから私たちは本来見るもの聞くもの全部は目新しいもののはずなんだけど、
でもそういった内的世界みたいなものをベースに、
初めて見るものもなんとなくこういう人かな、
とかなんとなくこういうもんかなっていう潜入感とか直感とかね、
第一感みたいなものを使って大掴みに知ることができるんですよね。
私たちはもうある人と話す前から、その人がどんな人かっていうのを大まかに掴んでるわけです。
もちろん超能力ではなくて、単純にこの内的世界の何かに結びつけて、
この三角形を捉えると。
新しく目の前に現れた自分以外の誰かを捉えてるんですね。
で、すごくシンプルにこの内的世界っていうものが、
すごく偏ったりしている、極端だったり、すごく過酷だったりね、
迫害的だったり、自分に対して優しくなかったり、
この丸とか四角とかのこの心の中にいる、
自分と自分以外の何かの関係性がすごく荒れ狂っているような人、
すごく不安定な人っていうのは、
この外的世界、現実世界で出会う人との間でもそういうものを見がちだっていうことです。
まず第一、補足説明としてね。
なので、この内的世界のあり方っていうものについて研究することが大事だよね。
っていうのことなんですよ。
自己と対象の関係
で、その内的世界っていうものは何かっていうと、
自分と自分以外の何かの関係性のドラマなんですよね。
だから自分っていうものが中心に一人いるのが心なんじゃなくて、
自分と誰かが常にドラマを繰り広げているのが心なんですよね。
だから自分以外の何かも入り込んでくるのが心なんですよ。
かつての誰かが自分の中に寄生してるというか、何かが入り込んでるんですよね。
今、全く何の台本もなしで、しかも下書きとかもなしで今話してるんで、
僕も次何話そうかなって今ちょっと考えながら話してるんだけど。
最終的にはこっちに戻ってくるんだけど、
さっきの憎しみの連鎖の転移とか激化って何かっていう話に戻ってくるんだけど、
まず何気なく書いたこの意味っていうのは、こういう世界観があるよと。
だから外的世界、いわゆる普通の学校とか社会とか、
外的世界に住まう人たちとね、先輩とか後輩とか同期とか、あるいは顧客とかと、
何かトラブルを起こしがちな人、対人トラブルを起こしがちな人っていうのを元を正していくと、
結構ここがぐちゃぐちゃしてたりとか、ここがバチバチしてたり。
この丸と四角の関係性が非常にバチバチして対立していて、
生きるか死ぬかの抜き差しならない関係になってたりする。
そういうものをベースに人を見てるからね。
目の前に人がいたらこいつは私のことを騙すかもしれないっていう目で見てる人っていうのはやっぱり、
外的世界でも問題を起こすんで。
だからこことここっていうのは実はこう、同期してるというか、
そんなまず考え方があるんですよね。
またちゃんと聖書します。
テスト配信なんでね。
カメラテストプラス、この間なんかモヤモヤしちゃった。
なんか全然伝わらなかったなっていうことを今ちょっともう一回やり直してるんですよ、僕の中で。
だからある種の暴露療法だね、これはね。
僕の中で納得いくまでやろうっていう。
僕はバカじゃないんだって。
でね、あともう一つちょっと話したい。
これに関連する、今度内的世界に関連する話をちょっとしたいんだけど。
どういうふうに書いたらいいのかな。
僕、こういうふうに図解とか図紙で対象関係論を学んだことが本当にないんですよね。
でね、松木邦博先生っていう精神分析家の日本人の先生がいらっしゃって、
その先生の本読んでたんですよ。
今日、仕事の合間にね。
これがそのPDFなんですけど、ちょっと全文写すとね、著作権違反になっちゃうんですけど。
ほんとね。
あ、動いちゃった。
こっちじゃなくて、こっち。
おっぱいはこれ大丈夫だよね。
これでバンとかにならないよね。わかんないけど。
おっぱいバンは多分ないと思うんですけど。
なんかそれらしい図を見つけたんです。
あ、これだ。
でもね、これ見てちょっとかえってわかりづらいんじゃないかなって。
図で書くとこれなんですけどって言ってさ、いきなり見せられてちょっと意味わかんないよね。
これね。
だからね、図にするとわかんなくなっちゃうんですよね。
対象関係論の分裂と投影とかの話なんだけど、
あの、正確に書くとこういうことらしいんです。
でもちょっと今から僕が書く絵はだいぶ雑で簡略化しますね。
直感に従って。
そう、なんかね、正確に書くとああいう図になっちゃって、結局よくわからんっていう感じで、
いつもね、精神分析って嫌がられるんですよね。
で、補足2ね。補足2。
タイトルはね、内的世界について。
この間、さっきあの四角の中に丸と四角がつながっててって簡単に書いちゃったけど、
あれについてもう少し丁寧に説明した方がいいなと思って。
この図なんですよね。
僕が今書こうと思ってたのはね、こういう感じの図なんですよね。
なんか対象関係論では、
自己と対象のつながり、ペアで考えるんですよね。
だからさっき書いたのはね、さっき書いた図で言うとこういう感じ。
僕はこの四角と、ごめんなさい、映ってないね。
自己と対象のペアの話なんですよね。
自己っていうのをさっきの四角で表すと、
対象っていうのを僕はずっと丸で表してたんですよね。
のペア。
対象っていうのは自分以外の全て。
自己っていうのは自分ですね。
で、赤ちゃんの頃の内的世界、心の中の話をすると、
これをもっと拡大するとね、
自己と対象の、心の中には自己と対象っていうものがあって、
自分っていうものがいろいろ部分部分でぷかぷか浮かんでいるような感じ。
例えば自分の手とか、自分の口とか、自分の鼻とかね。
ジャッキー・チェンの鼻とか。
唇とか手とか。
そういう自分に属するいろんな体の部位とかいうものと、
逆に自分に属さない対象。
例えば一番端的に言うと、お母さんのおっぱいとかね。
あとは母親の目とか。
寝る時間だけど聞きたい。寝てください。
多分YouTubeにまた残しますんで。
これは非常にオチがない話を今してるんで。
だからテスト配信なんだよね。
大勢の人に聞かせる、なんか大衆受けする説明ではないので。
めちゃめちゃよくわかんない話を今してます。
のでぜひ寝てください。
赤ちゃんの頃の心の中っていうのは、
自分とかっていうものも全然バラバラでまとまっていないし、
また自分以外の対象ね。
お母さんのおっぱいとか、お母さんの眼差しとか、
あるいは物とかね。
いろんなものに囲まれているけど、
そういった感覚とかっていうものが全部バラバラに繋がらずに存在している。
で、そういうものがだんだんだんだんとですね。
あれ?
こうだね。
神経が発達してくると、神経の発達に伴って、
最初赤ちゃんって目も見えないぐらいの状態からだんだん生まれてくると成長して発達してきますよね。
そうすると徐々に徐々に、
おぼろげに自分というものっていうのが繋がりをもって大きく固まってくる。
で、逆に対象っていうものがおぼろげに固まってくるみたいなイメージですね。
で、最終的にはすごく大きな塊を作ってくるみたいな話なんだけど、
なんかね、それがそう穏やかにいかないっていう話。
補足3。
僕なりの理解なので、相当間違ってるよっていう風に鼻で笑える可能性もあるんですけど。
内的世界について。
②。
さっきのね、神経が発達していくと最終的には自分っていうものと対象っていうものがこうやって最後ね、
すごくまとまりよく綺麗に統合されていくような感じがするじゃないですか。
自分の唇も手も鼻もこれ自分というものなんだっていうふうにまとまっていくし、
目とかおっぱいとかバラバラで近くしてたものが実はこれお母さんだったんだっていう風に抽象度が上がりますよね。
本来だとそれが目標というか発達の達成なんですけども、
実際にはそこに至る前に、
これはゴールなんですけどね。
実際にはもう一回復習しておくと、こっちが事故でこっちが対象でしょ。
この点線より上が。
それにプラス、白と黒。
これはちょっと青いんですけど黒としましょう。
良い事故と悪い事故。
良い対象と悪い対象に引き裂かれる。
こういうのはスプリッティング分裂って言うんですけれども。
分裂と感情の影響
分裂します。
分裂。
本当は良い事故と良い対象とのすごく穏やかな関係でいたいんですけれども、
何か不快な感情とか、自分に属する不快な感情っていう悪い事故が出てきますよね。
例えば何だろうな。
苦痛とか。
よく例で出てくるのが空腹とかね。
そういう不快な感情ですよね。
先ほどの自己側に存在するプカプカ浮いていたものの中には、
手とか鼻とか以外にも、
例えばお腹の腹部の苦痛とか息苦しさとか、
そういう感覚も自分の中にプカプカ浮いているわけです。
そういうものがどんどん固まりを作って統合されていく中で、
どうしてもその不快な感情っていうものを自分の中に留めておくことができない。
嫌なものという塊としてやっぱりどうしてもできちゃう。
なので、良いものをとりあえず保持しながら、
嫌なものを隔離して置いておこう。
これが分裂っていう操作というかね。
心の中で自然に生まれてきたら人間が全員起こしていることなんですけれども。
それだけではなくて、分裂した悪いものを、
これは自分が悪いんじゃなくて、
対象側が嫌がらせをしてくるんだ。
対象側が迫害してくるんだ。
っていう風に、自分ではなくて相手が悪いんだってね。
自分以外の何かが自分を責めてきてるんだっていう風に考える。
っていうか感じる。
その知覚の在り方を投影とか、
あと排出とか言うんですけども。
だから分裂と排出をここで繰り返して、
何とか自分というものを良いものに保って、
心地よい感覚は自分の中に置いて、
自分の中に湧き上がってくる不都合な感覚とか、
気持ち悪い感覚っていうものを外部に投影して、
この外部っていうのもさっき言った大きい視覚の中の内的世界の話なんですけれども。
内的世界っていうのはさっきも言ったように、
丸と視覚の繋がりの関係性だから。
で、悪いところから、悪い奴らから自分は迫害されてるんだ。
っていう風にする。
だから分裂して、投影して、
自分は外から迫害されてるんだと。
青色一色だとちょっと見づらいね。
こういう自分の内部の感覚、内臓の感覚とか、
自分の中に起こってくる不快な感覚みたいなものを迫害不安じゃなくて、
絶滅、破滅不安という風に言って、
それが分裂されて投影されて、
悪い対象からの攻撃されてるんだ、私怖いんだっていう捉え方を迫害不安って言うんですけど。
赤ちゃんの感覚とその影響
ずっと赤ちゃんの心の中の話をめちゃめちゃ具象的に図で書いてるんで、
言ってる意味よくわかんないと思うんですけど、
これは対照関係論ですね、心理学じゃなくて。
精神分析ですね。
例えば、生後1歳とかの赤ちゃん、
乳幼児をイメージしていただくといいんだけど、
夜通し泣き狂いませんか。
乳幼児研究をこの対照関係論の分析家の先生はよくなさっていてね、
だから赤ちゃんが生まれたって聞いたらそのお宅を訪問させていただいて、
その赤ちゃんの様子をじっと観察するっていう乳幼児観察っていうのをこの学科の人はよく行ってるんですけれども、
そうすると赤ちゃんが本当に火がついたように泣き始める赤ちゃんっていうのがいるんですよね。
これは結構個体差があると思うんですけど、
なんで泣き始めるかっていうと、おそらくこの自分の自己側に属する何かが非常に苦痛を伴う何かなんですよね。
それは大人の言葉で言うと空腹とか、あるいはおむつの中のうんちの不快感とかね、
おむつ群れとか、何か擦れて痛いとか、
あるいはずっとなんか体のサイズの合わないタオルとか、
衣服みたいなものに締め付けられて苦しい感覚とか、
でもそういうのを衣服とか空腹とかですね、赤ちゃんは解剖学も何も知らないので、
体を食い荒らされるとか、体をとにかく痛みつけられるっていうすごく途方もなく怖い感覚を持ってるんですよね。
それに対して無力な自分、何にもできない、全くもって無能な自分、
悪い事故っていうものを外からね、自分は攻撃されてるんだっていう風に感じる。
悪い対象を作り出す。
だから何か、空腹なんじゃなくてこれはきっと腹の中から何かを食い荒らされているんだっていう風に愚症的に、
自分以外の何かによって迫害されているんだっていう風に赤ちゃんの内的世界ではそういう風に物語としてドラマチックにね、
なっている。何回も言うように、これは内的世界の話ですので。
だから赤ちゃんの中の、今の赤ちゃんの世界ではさっき言ったように、これが起きているので、赤ちゃんから見る世界っていうものは非常に過酷なんですよね。
何か自分のことを痛めつけたり締めつけたりする。
で、そういうものと何とか戦おうとするみたいな。
だから実際には内的世界の話なんですが、実際に外的世界にそういう悪い対象っていうものがいて、
そいつが自分を今めちゃくちゃに腹をぐっちゃぐちゃにしてるんだっていう風に感じる。
非常に愚症的な世界だし、迫害者によって迫害される辛い世界を生きている。
っていうのが対照関係論の、特に初期のクライン派の、メラニー・クラインという精神分析家の描いた世界。
だから赤ちゃんってのは非常に苦しいんだ。
この間話したとき、この分裂とか排出とか、迫害不安とか、良い対象とか悪い対象とか、
母親との関係性
その話がまず抜けていたっていうのがずっと心残りだった。
で、補足4。ちょっと補足が何個まで続くかわかんない。
コンテインファー機能ですね。
で、補足4。
で、さっきの良い対象とか悪い対象とかを前提にすると、
この間描いた四角の中に四角と丸がありますっていう図を、もっと正確に僕は描くとね。
こうなってるんですよ。
四角という患者さんの心をね、心の無い敵世界を描くと、こうなってるんですよね。
良い自分、良い対象、悪い事故。
良い事故、悪い事故、良い対象、悪い対象の、そういう戦い。
良い自分というものは良い対象と結びつきたい。
でも悪い対象とか、悪い事故っていうものがこの関係を破壊しようとしてくるっていう、
なんていうんだろうね、これは僕の言葉ですけど、
想像と破壊の狭間で揺れてるんですよ。
で、そういうものを私たちは内側から目でね、見て、
それを通じて外のね、現実世界っていうものを見ていますっていうモデルですね。
だから世の中の子供向けのアニメとか戦隊ものとかが、
なんか完全に長枠型なんですよね。
なんか正義の味方と、あと悪の組織みたいなものになぜか分裂して、
それとそれの戦い、2つの組織の戦いで映画とかドラマって進行していくじゃないですか。
それは対象関係論で言うと、この良い対象、良い事故と、悪い事故、悪い対象のペアの戦いだからですね。
で、子供にとってそういう世界の認識っていうものは自然なんですよね。
大人にとっても自然なんだけど。
完全長枠型の、あのアニメを見たから私たちは完全長枠を身につけるんじゃなくて、
もう正徳的に、人間として生まれてくると、
もう世界の、心の内的世界の立ち現れ方として、成り立ちとして、
これがもう自然に起きている。
だからこれを通じて世界を見るから、
正義対悪っていうものにすごくなじむわけです。
すごく理解できる。
で、この良い対象ね、良いペアと悪いペアがこう戦っている。
で、この状態っていうのは人にとってすごく辛いんですよね。
常に揺れている。
だから外部に、外部の誰かを見た時に、
あれ、その自分の外的世界に三角という第三者がね、
自分以外の誰かが現れた時に、まあ二者か、
誰か相手が現れた時に、悪いペアを投影して見てしまう。
ここにもまた投影って出てきちゃうんだけどね。
こっちからこっちに投影する。
内的世界でも投影っていう言葉が出てくるんだけど、
そっちは排出って言ったほうがいいのかもしれない。
僕もね、ちょっと今その用語がすごく曖昧なんで、
またちょっと勉強し直そうかなと思うんですけど、
ここら辺詳しい人がいたら訂正してほしいんだけど、
投影って何か何箇所かで出てきちゃうんで、
ちゃんと厳密に使い分けたほうがいいのかもしれない。
ここでいう投影っていうのは内的世界の中で起きている投影ではなくて、
もうまさに対人関係の中でね、
外的世界における他者との間で起きていること。
で、ちょっと書くスペースがなくなってきちゃったけど、
一旦ちょっと区切って、
四角で書くか。
こっちが赤ちゃんね。
こっちが母親のおっぱいですね。
これが悪いペア。
こっちが良いペアだとしましょうか。
で、悪いペアっていうものを、
この乳房ってさっき言った三角形だと思っていいと思うんですけど、
現実世界、外的世界における他者に投影する。
投影。
で、この時お母さんは、
具体的に言うと赤ちゃんがどういう風に投影するかっていうと、
投影しますとかね、いう風には言えないので、
基本的に泣き叫ぶとか、噛みつくとかね、
あるいはおっぱいを吸ってる時に、
おっぱいの乳首に噛みつくとか、
夜通し泣き続けるとかっていう形で排出する、投影する。
自分の中にある空腹感とか苦痛感とか、
おむつ群れとかね、
そういった大人がそういう風に呼ぶような、
全ての不快な感覚というものを、
まあ、発散して、とにかく外部に押し付けてくるわけですね。
具体的には、母親のおっぱいに向けてね。
そうすると、お母さん側にこの悪い事故、悪い対象のペアが、
お母さん側を同一化する。
非常に今図式的に書いてます。
あんま僕こういう説明好きじゃないんだけど。
僕はだからこうやって教わってないので、
文字とか頭の中の視覚的なイメージとか、
記憶の中でね、結構こういうのを理解してたんで、
人に伝えるのってすごく難しいなと思いながら今やってるんだけど。
で、お母さんはここに同一化せざるを得ないので、
おむつを取り替えたらいいのかなとか、
おっぱいをこれあげたらいいのかな、
でも下の住民の方から、
そういえばこの間クレームが来たから、
何かまた貸し折り一つ持っていかなくちゃいけないかな、
夜泣きのね、この赤ちゃんに対して、
自分にも責任があるから、
っていう風に色々こう考えますよね。
この時すごく苦しい感じってあると思うんです。
苦痛な感じとか焦りとか、
逃げ出したいなという思いとかね。
それが同一化ですね。
だからもともと赤ちゃんの中にあった、
ある種の言葉にならないような不快さというものが
投影され、同一化され、
お母さん側に押し付けられている。
お母さんの中に心があるので、
お母さん側に内的世界があるので、
お母さん側の内的世界に、
その悪い対象と自己のペアみたいなものが
投影、同一化され、追体験してるわけですね。
だから言葉というものを介さずに、
非常に原初的なコミュニケーションをここでしている。
お母さんという心の器、内的世界という器の中に、
この悪いペアがね、
位置を占めている、
という状態になっている。
で、この時お母さんは何で返すか。
どう返すか。
例えば、悪い対象、悪い、
何て言うんだろうな。
悪い対象に、
同一化、感情移入して成りきっちゃったら、
虐待が起こるでしょうね。
赤ちゃんが投影して、
で、同一化させてきたような、
実際に迫害者に、
もしそのまま何も考えずになっちゃったら、
お母さんはおそらく赤ちゃんに向けて手を挙げたりね、
ぶったり殴ったり、
うるせえな黙れって言って口の中にタオル突っ込んだりね、
っていう形で、
もし悪い対象に、
そのまま同一化して、
何も考えずに行動化すると、
もうこの悪い対象そのものになってしまう。
虐待が起こる。
お母さんが内的世界の中で、
この悪い対象、
悪い事故っていうものをうまく処理できないと、
そのまま行動になっちゃうと、
ここで虐待が起こる。
そうすると赤ちゃん側で、
不快さが高まる。
つまり、
より悪い対象とか悪い事故ですね。
もう全く無力で、
不快で、
辛くてっていう不快な感覚がさらに高まる。
そうするとさらに過劣に投影が起こると、
より強烈に泣いたりとか、
母親の機能と悪循環
より強烈に不適応を起こす。
そうするとお母さん側にまた、
ドジボールじゃないけど、
キャッチボールがドジボールになって、
ぶち込まれてきて不快な感覚が。
っていうこの悪循環が起きちゃうんですよね。
平均的なお母さんとか、
一般的なお母さんは何をやってるかっていうと、
コンテインとか、
物思いとかアルファ機能っていう風に、
リオンが、
リオンっていう精神分析家の先生が
読んだことをやってるんですよね。
心の中で、
悪い事故、悪い対象の
ペアに同一化してしまったところで、
一旦、物思いをする。
一旦、すぐに行動に移すんじゃなくて、
一旦心の中で耐えるみたいな。
耐えて、何か良いものを投げ返す。
例えば、殴ったり蹴ったり、
口の中にタオルを突っ込むのではなくて、
大変だったね、辛いでしょって言いながら
おっぱいを差し出す。
暑かったね、ちょっと涼しくしよっかって言って
服を脱がすとか。
あるいは寒いよね、ちょっと温度上げるかって言って
エアコンの温度上げるとか。
そっか、おむつ、もしかしたらおむつに
ウンチ出ちゃったかなって言って
おむつを取り替えるとか。
お母さんは不快な感情をぶち込まれたとしても、
それをなるべく良いもので返そうとしますよね。
お母さんは赤ちゃんではないんで。
お母さんの内的世界っていうものは
非常に統合されて成熟しているので、
仮に悪いものをぶち込まれたとしても、
それをなるべく良いもので返すことが
お母さんの内的世界では可能。
なので、単純に色で言うと
黒いものを投げたら
ちゃんと白いもので返すことができる。
で、赤ちゃんがまた不快になって
黒いものを投げて
白いもので返す。
赤ちゃんは腹をかっさばれて
虫に食われて死ぬんだみたいな
原初的な愚症的な空想で
泣き叫んでお母さんを呼んで困らせる。
そうするとお母さんは
あらお腹空いちゃったのねって言って
抽象度を上げてね
おっぱいを差し出すことで返す。
っていう形で
黒いものを白いもので返して
悪いものをなるべく良いもので返して
お母さんも傷つきながらね
困りながら
なんかちょっと痩せこけちゃったりしながら
でも何とかそこを必死に対応していこうとすることで
赤ちゃんのこの悪いペアから
赤ちゃんを守る。
悪いペアに圧倒されないように
良いペアを応援する。
と同時に
コンテインに
これ書いていくとちょっと邪魔になる
内的世界の統合
コンテインっていうのはなんか
包容とかそういう意味ですよね
コンテナっていうね
普通に
貿易とか輸入とか輸出とかで
コンテナってありますよね
そのコンテインですね
包容する機能
お母さんが何かを投げられて
ちゃんとこう器としてね
入れて
しかもそれを白いもので返すみたいな
コンテインする
そうするともともと愚症的なもんだったものは
抽象的になる
愚症的なもの
例えば不快で
肝くて
痛い
辛い、まあいいや、痛い
痛いな感覚がお母さんの中でコンテインされ
物思いにふけると
空腹とか
おむつかぶれと
服が
服のサイズが
小さいみたいに抽象度が上がる
愚症的だったものが
抽象的に返されたりする
っていう形で
さっきのこの
バラバラにプカプカ浮いてたもの
っていうものがこうだんだんだんだんお母さんの
コンテインの機能とか物思いの機能を通じて
徐々にこうまた
統合されていくみたいな
抽象度を上げるっていうことは
このバラバラだった
プカプカ浮いていた対象とか事故っていうものを
よりまとめていくことになるね
お腹の中でぐるぐる鳴ることと
この不快な
腹を食いちげられるような苦痛っていうものが
一緒だったんだみたいな
自分とか他者に対する理解とか
繋がりみたいなものを
こういうお母さんの機能が支えている
だからその包容することによって
事故
対象が
繋がる
統合される
部分だね
事故と部分の対象が
統合されていく
もう一つはその
悪い事故
悪い
フェアみたいなものが
良いものに変容していく
みたいな話が
これですね
精神分析家の
松木邦博先生が書いた
赤ちゃんの
不安とか苦痛
性の本能とか死の本能っていう
生物学的な基盤を中心に
不快とか不安っていうものが心の中に
これはさっきの
視覚の中の世界ですけど
内的世界のものが排出されて
お母さん側の
物思いとかアルファ機能によって
苦痛とか不快度っていうものが
減らされて返される
っていうものを通じて内的世界っていうものが
徐々に統合され安定性を
取り戻すというか
次世代への影響
獲得していき
赤ちゃんっていうものが次第に
世界を
良いものと悪いものと分裂した
捉え方から
良いものもあるし悪いものもあるし
悪いものは別に
自分を殺したりはしない
っていうふうに情緒の安定性に
繋がっていくっていう
物思いとかアルファ機能
の話
に繋がってこれが
三角形の
あの三角形って結構
先生大事ですよねって言ったときの
三角形の機能
原型にあるのはこのおっぱいの機能
なんですよ
乳中というかおっぱいで返す
っていう赤ちゃんが
吐き出したものを栄養素を添えてちゃんと
赤ちゃんの中にまた取り入れる
投げ返すっていう
そういう機能の
このアルファ機能が結構
三角形には大事になってくるよね
っていう話なんですよね
対照関係論的に
前回だいぶ省略したんですけれども
まだだいぶ省略してるけどね
これが
元々良い悪いみたいな
形で分裂して
それが人に
排出投影されて
多くの人に
トラブルを
起こしがちだった状態から
そういう外部の
アルファ機能の力を借りて
お母さんのおっぱいの力を借りて
心の中の
事故と対照との
関係
そういうのを内的対照
内的対照関係って言うんですけど
内的対照
関係
これが内的世界の対照の
話なんで
内的対照の
関係性っていうものを
内的対照っていうものが
部分だったものが
部分部分でバラバラになっていて
良いものとか悪いものとかが
分裂していた状態から
まとまりのある
ついた内的対照っていうものが
だんだん徐々に形成されてくると
ここが
だいぶ端折りますけれども
それが心の冗長の安定性
とか人に優しくなれる
とか
あるいは自分自身を
同一性っていうけど
自分自身がまとまりのある
自分であると
自分自身が人生のハンドルを握って
操作しているっていう感覚
コントロール感とか
心の安定性につながっていく
心の安定性につながっていき
ひいては
そういう内的対照関係を使って
その後の実際の外的対照を
現実世界での
対人関係も
うまくいくだろうと
言ったときのこれです
ここの四角の中に書いた
この丸と四角の
関係っていうのは
そういう内的対照関係を
表しているってことだね
そこにはたまにまた
悪い対象とか悪い事故みたいな
ものもぷかぷか浮かび出して
またそれが対人トラブルを
引き起こしたりするそういう種になったり
するのかもしれないけど
だからこの現在の図をもう少しちゃんと正確に
こういう感じかな
時に人は
良いペア悪いペアに
分裂することもあれば
何かをきっかけに
ある人の
助けを借りてすごくまとまりの
まとまりのとれて安定した
内的対照関係になることもあるし
でもまた何か
嫌なことがあったり人から裏切られたりすると
またこの
こっちの状態に戻っちゃったりする
このPSって書いてあるのは
そのパラノイドスキゾイドポジション
っていう
いう風に
対照関係論で言われている
日本語で言うとその妄想分裂ポジション
このDって書いてあるのが
デプレッシブポジションなので
よく打つポジション
常に
内的世界の中では
こういう2つの
ポジションを
入れ替えているということですね
すごく穏やかに
いろんな良い人に恵まれているうちは
このDのポジションですね
すごく良い
良い対照関係を結びつけられるので
これを通じて
見える外部の世界っていうのも
非常に穏やかなんですよね
なんか非常に落ち着いてますよね
落ち着いていて
常に人の輪ができるみたいな
その人を中心に
だから情緒が落ち着いてるねとかさ
なんとなくあの人といると
心地いいよねっていうのは
この良い内的対照関係が
常に東映同一化されているからです
外部の人に
東映
同一化されているからです
良い対照
良い事故が
良い対照良い事故が
外部に東映同一化されているから
外部の人はすごく良いものを
押し付けられるのですごく気持ちが良くなるね
なんかその人といると
自分はちょっと
良い人間みたいにね
優しい人間とか優れた人間だっていう
なんか自信が持てるような気がしてくる
良い人間関係
良い人間関係が築ける
D
これがあのね
こっちですね
まあ良いやつも悪いやつもいるかもしれない
だから本当に言うと
この悪いのも多分こう
あるんだけど
悪い自分っていうと悪い事故っていうのも
こう繋がってるんだけど
でも比率としては良い
自分と良い事故の関係性が
かなり優位になっているので
あんまり悪いものにも圧倒される
多少このね
外部に嫌な人がいたとしても
まあでもこの人も嫌味を言うなりに
何か理由があるんだろうっていう風に
かなり落ち着いて捉えることができる
この内的世界を通じて
世界を見ているからね
この人はね
世の中完全に悪い人っていうのはいない訳で
まあその人が何か
自分のことに何か意地悪してくる
のにもきっと何か理由があるんだろうね
っていう風に
かなり落ち着いて
多面的に人を観察したり
洞察したりすることができる
だからこれがあの物思いですよね
お母さんのおっぱいの機能ですよね
そういうお母さんのおっぱいの
アルファ機能がうまく内在化された
まあ達成した状態ですね
こういう方はいずれご自身が
お母さんになって
子供におっぱいを差し出したら
このDのね
良い内的対象関係を入獣として
赤ちゃんに栄養として
分け与えることができるでしょう
そういう話
そうやって良い内的対象関係が
次世代に内在化されていくと
すごくいい家系ですよね
またその次世代に
その子供の子供にまたそうやって
内的対象関係の理想
良い内的対象関係を伝え
バトンみたいに伝えていくことが
できるので
やっぱりね
そういう家族ってすごくいいよね
っていう風になると思うんですよね
これはすごく理想的で
目指すべきところかもしれない
わかんないその大泉さんの
ご家庭がどういう家庭かちょっと
わかんないけど
離婚してたらすみません
まあでも多分基本的に
うまくいくはずですこういう人は
憎しみの連鎖っていうのは今
言ったものの今度反対ですね
Dポジションねデプレッシブ
ポジションではなくこのPS
妄想分裂ポジションにずっと
とどまって
それによってそこから
世界を見る人ですね
パラノイドスキゾイド
ポジションから
それを通じて世界を
見てしまうと世界っていうものは
良い人と悪い人とはっきりと
2種類の人間に分かれて見えますね
最初いい人だなと思ってたけど
何か尻尾をつかんで
やっぱこいつダメなやつだって
そういう尻尾をつかみたくなるポジションなんですよね
これって妄想分裂ポジション
やっぱそうじゃない
やっぱやばいじゃん
こいつみたいな
やっぱ不倫してたじゃんみたいな
なのがこれPSですね
だから基本的な不倫報道
叩いてる人はみんなPSです
非常に原始的な
泣き叫ぶ赤ちゃんの
状態に戻っちゃってる
だから彼らに必要なのは
そのおっぱいですよね
その泣き叫ぶ
叫びをきちんと
それはあなたつらかったねっていう
にちゃんと慰めてくれて
抱きしめてくれるおっぱいですよね
そういうものから残念ながら
孤立しちゃってるとか
救援信号ずっと送り続けてるんだけど
誰も助けに来てくれない
っていう孤立した状況が
このPSに悪者をかけてるんだと思う
孤立すればするほど
無能な事故とか
孤立無縁な事故
悪い事故っていうものが非常に強調されますからね
誰からも必要とされていない自分
無能な自分
尊敬されてない自分っていう
悪目立ちしますからね
そうするとそれがまた
投影されて
悪い対象からの
迫害不安ですね
やっぱり私のことをいじめてる誰かがいるんだ
っていうような
ところからだんだん抜け出せなくなっちゃう
アイテムたくさん来てるね
ありがとう
デプレッシブポジションへの移行
妄想分裂ポジションと欲打つポジション
なんでこれ達成したのを
欲打つって言うんですかと
打つってなんか病気なんじゃないんですか
っていう話なんだけど
さっきのこの赤ちゃん
赤ちゃんは
不快になるものを外部に
排出する外的世界に排出する
悪い
対象を
押し付けてくる
それを
良いもので返そうね
良い対象で返そうみたいな
さっきの物思いとか
の話なんですけど
でもそうは言ってもすごく
悪い対象を
押し付けられるって嫌な体験じゃないですか
赤ちゃんだとちょっと分かりづらいので
ある程度成人したこっちがね
子供だとすると
例えば親の悪口を言うとか
親の悪口
あるいは
まあその親からするとね
悪口を言われたり
架空の被害を
架空の被害を訴えられたりとか
私はこんなハラスメント受けたんです
っていう風にありもしない
架空の被害を
訴えられてなんか
恥を欠かされるとかね
あるいは屈辱感を
味わされるとか
あだで返されるとかね
あだってどう書くんだ
あだで返される
無視されるとか
まあこれはもう永久
無限に挙げられますけど
こういう悪い対象を
投げ付けられて押し付けられて
お前はもう最低な親なんだよ
みたいな感じで言われたときって
すごく辛いじゃないですか
言われた側はね
おっぱい側は辛いですよね
ここででもそういう
あんただってこうでしょあでしょみたいに
言い返しちゃうと
これ悪い対象で投げ返すんで
あんまり物思いというかね
器の機能としてはちょっと
物足りないですよね
お母さんの機能としても物足りない
子供対子供みたいになっちゃってるんで
だからこの状態っていうのが
パラノイドスキゾーですね
妄想分裂ポジションですよね
妄想分裂して
こうやってこいつ悪いやつなんです
っていう風に外部に悪者を見つけて
被害を報告する
私はこんなに傷つけられてるんです
こんなにやばいやつがいるんです
皆さん大変です
っていう風に騒ぎ立てる
これは妄想ですよね
妄想分裂ポジションなんですけど
欲打つポジションっていうのは
そこからこうひるがえって
悪いことをしたなと
傷つけてしまった
例えばいつもだったら
まあ
いろいろボロッカスに言っても
まあなんだかんだ
言い返してくる親が
なんか今日は元気ないなとかさ
親じゃなくてもいい
別にこれが会社の上司でもあるいは
自分の恩師でもなんでもいいんですけれども
いつもだったら
こっちがわーっと言っても
また向こうでわーっと言い返してきて
っていういつものペースが
なんか急にシュンとされちゃったりね
あれ?みたいな
ちょっとやばい言いすぎたかなみたいなさ
うん
なんかちょっとやりすぎかな
今回はみたいにちょっと後悔したりとか
あるいは
散々悪口言っちゃって
その後なんか
事故にあって死んじゃったりとかね
死んじゃうとあれか
違うけども
傷つけて
しまったな
だから
その傷つきっていうものの
原因っていうのはやっぱり
自分がやっちゃったのかもしれないなっていう
後悔とか
まあ懺悔とか
償いの気持ちですよね
なんかやりすぎちゃったから
まあちょっと次回からは
気をつけようとか
なんか少し困ったら少し手伝ってあげようとか
っていう償い
償いってこういう字だっけ
とかあるいは感謝の気持ちとかね
だからあいつすっげー
ダメなやつとか悪いやつと思ったけど
まあでもちょっと言いすぎたし
まあね
そんなそこまで傷つけるつもりは
なかったんだけどっていう風に
内省的になって
ある種償いとかね
あるいはまあそうは言ってもありがたいって気持ちも
あるんだよっていう風に感謝の気持ちが
持てるようになる状態っていうのが
このデプレッシブポジションなんですよ
Dポジション
心の中ではこの
丸ね
白と黒の部分がきちんと統合して
全体対称を
獲得していくと
いうような形になっている
戻ると
このパラノイドスキゾイド
ポジションからねデプレッシブ
抑鬱ポジションに移行して
心の中にある種
安定性が築かれていく
それは感謝とか償いとかの
気持ちを通じてね
だからこの右矢印っていうのは常に
やり過ぎてしまったなっていう
深い後悔とか
謝罪の気持ちがすごく含まれてるはずなんですよね
誰かに対して
それが大人になるということで
あり精神分析でいうと
安定した内的対称関係を
確立していくことなんですよね
だから僕がよく言うのは
どこをやがいけないんだっていう風に
誰かをずっと攻め続けている限りはやっぱり
このPSポジションなんですよね
だからどこをやどこをやとはいえ
親だって結局は何かのどこをや
さらに上の世代のどこをやによって
毒された被害者なんだよね
そういう意味では似た立場なんだよね
だからお母さんのことを攻めすぎるのは
まあ酷な話だよねっていう風に
デプレッシブにやっていくっていうことが
何か心の成長にとって言えば
大事なことだと思うんですよね
なんとかこの
PSからDに持っていくっていうのが
僕はずっと考えていることで
だから別に母親と脅威ゾーンですね
先生はあんなに嫌なこと言われて
ひどいこと言われて
なんでお母さんとランチ行ってるんですか
脅威ゾーンですかみたいに
よく皮にくらえるんですけど
僕はこれDだと思ってるんですよ
PSではなくて
今デプレッシブポジションに
自分がいるんだなっていう風に
ある種の達成として捉えてるんですよね
他者との関わり
簡単にここまで来たわけではなくて
非常に30数年くらいかけて
ようやくここにたどり着いたなっていう感じなんですよ
そうすると
まあ完璧ではないけれども
ここから見える世界の風景が
だいぶ変わって見えるわけです
だから困ってる人に対しても
僕は穏やかに接したりとか
多少嫌なこと言われてもね
その人の裏側にも何か苦悩があるんだろう
っていう風に押し量れるようになったんですよね
だから常に心の中で起きていることと
先生悪くなったねみたいな
穏やかになったね先生みたいな話が
ちゃんと心の内外が
ちゃんと通じてるんですよ
繋がっているっていう
そういう理解です
そういう精神分析的な理解を
僕は持っているし
人が良くなっていくっていうものを
こういう図式で
図式はしないけども
なんかビジュアルで
結構捉えてますね
その話を1枚にまとめるとこれです
だから絶対に伝わるはずがなかったんですよね
これだけ見せると
じゃああれでしょ
なんか
褒めまくればいいんでしょう先生みたいな
そういう
三角として機能するには
じゃあ
良い対象になればいいんでしょう
傷つけるんじゃなくて褒めれまくればいいんですよね
先生みたいにおっしゃる方
いらっしゃったんだけど
この図を見たら確かに
いい関係を内在化すればいいんだから
褒めて伸ばせみたいな感じだよ
この三角形に
もし僕たちがなっちゃったら
この三角形を見つけたら
じゃあ先生なんか褒めまくればいいんですよね
確かにこの図だとそう思いますよね
でも違うんですよ
褒めまくることは
違うんですよね
褒めまくろうとしても実際には
PSで向こうは入ってくるので
めちゃめちゃ怒らしてくるんですよね
メンヘラ彼女みたいな
例えば服綺麗だねとか
どうせあれでしょ
他の女の子にも言ってるんでしょ
あれ髪切った
そんなの切ったに決まってんじゃん
って
髪切らない人なんかいないんだからさ
みたいに全部PSで返してくるんですよね
その時に人を褒め続けるって
投影同一化の影響
多分できないと思うんですよ
人が褒め続けられなくなるまで
こっちの人はずっとそういう
悪い対象を投げつけて
統一化させてくるので
めちゃめちゃ辛いんですよね
やっぱりね褒められなくなる
こいつクソだなっていうところまで
結構持ってかれちゃいますね
一気に向こうのペースで
その時にお前やっぱりクソだな
ブスだな死ねよみたいに
やっぱ悪い対象で投げ返しちゃうと
このPSをずっと維持し続けることになっちゃうので
やっぱりその悪い対象を押し付けられた時に
生き延びること
っていうのが
この三角形のアルファ機能とか
おっぱいの機能の
大事なことなんじゃないかな
ある程度傷つきながらね
なんかボロボロに
ズタボロに引き裂かれながらも
なんとか生き延びていくっていうのが
なんかこのPSからDに
持っていくにはやっぱり必要なんじゃないかなって
ずーっとあなたの味方だからね
辛いことがあったら言ってねみたいな
味方で良い対象でずっと
言い続けることはできないんですよ
それはまだあの
女の口に過ぎなくて
人の精神分析が始まったり
結婚生活とかなんでもいいんですけど
人と深い関係の中に入り込むと
結構こういう感じになってきちゃうんですよね
ボロッカスに
ズタボロに引き裂かれたりする
関係性みたいなものが
もともとこういうPSの
ポジションがかなり可烈な人ほど
やっぱり出てきますね
すごく可愛らしかったり
見てくれが穏やかに見えても
やっぱり深い関係性に入ると
すごくズタボロにしてくる人がいるので
やっぱりそこで生き延びることが
治療者とか三角形にとって
大事なんじゃないかな
大事というか三角形の役割として
すごく重要なんじゃないかな
ほとんどの人は
それを無償ではできないね
やっぱり精神分析
みたいな形でお金を取ったり
かなり高額なお金を取りますし
なかなか無償で
ボランティアで
あなたの辛い話を聞かせてくださいは
やっぱり無理だと思うね
僕もね結構配信してると
この状態にもってかれがちなんですよ
僕がおっぱいで
であの
嫌なアンチがこのPSでね
入ってくるんで
僕のなんかあることないことを
書き連ねてくる
それに対してまあ
いい対象で返すのは理想ですけども
でもそれをね無償でつまり
ただでやるにはもう割に合わないんですよね
あまりにも重労働なんで
それを生き延びたり
耐えし飲んだりするっていうのは
基本的にはもうブロック一択かなって
僕思ってるんですよね
PSで入ってきた人に対してはもう
もううむも言わさず
2秒後にはブロックでつまり悪い対象で
あなたは
聞くに値しないくだらない人間なんです
っていうふうにレッテルを張って
早めに隔離しちゃうとか離脱しちゃう
っていうのが
結局は
配信上では必要なのかなって
僕今思ってるんですよね
これがあの治療者だったらね
治療者患者の関係性だったら
違いますけども
でもそうじゃないんだったら
どこの馬の骨か分かんないやつのPSを
拾うっていうのは
意味がないかなって思って
なので僕は結構このビジュアルのイメージを
持って
ブロックが安定かなっていつも思うんですよね
別になんか僕が独善的に
なんではなくて
悪い対象でしかも
僕の心に起源を持たない
どこの馬の骨か分かんないやつの
悪い対象を投げつけられてさ
嘘をね
デマを書き連ねられて
それを引き受けるっていうのはちょっと
まともじゃないですよね
なのでそれはブロックでいいんじゃないかなと
この人は永久に
PSに居続けると思いますし
アンチっていうものはずっと
PSを死ぬまで繰り返し続けると思うんですけど
僕はその
アンチでいることの罰は
受けてるんじゃないかなと思うんですよね
これで居続けるっていうのは
死ぬほど苦しいことなんで
だからもうすでに罰せられてるというか
十分罰を受けてる人たちなんで
僕としてはあんまり恨みもないですね
ずいぶん辛いところに
おられるんだなっていう感じで
でも僕は
治療者じゃないしお母さんじゃないしおっぱいではないので
さようなら
っていう感じでいつも
ちょっと後ろ髪を
惹かれる思いで
ブロックしてるんですけどね
僕はここまで見えてるんでね
こういう感じでPSでなんか
挑発してきてんなっていう
図式でいつも捉えるんだけど
でも僕は君のお母さんじゃないんだよな
って思いながらいつもブロックしてる
まぁっていうかここまでなんですけど
フロイトとメラニー・クライン
前回言えなかった話
みんな気絶してるみたいだけど
どうですか?
気絶してた?
じゃあ
大丈夫です
普通の精神科医の先生でも
知りませんこの話は
平均的な精神科医の先生が
知らない話をね
皆さんが理解する必要はないので
まぁなんとなく
あぁなんかすっごくめんどくさい
世界なんだなと
っていうのと
科学的なその反証可能性とか
そういうのは別にして
かなり経験的に
手応えがあるんですよね
神様がいてっていうフィクションのようにも
見えるんだけど
フィクションを使うと
恐ろしいぐらいに
人の心がだいたい手に取るように
動いているのがわかるんですよね
だからフィクションにしても
すごく現実をよく捉えている
追跡可能な
フィクションだなと思う
だからいずれそのフィクションと
まるっきりぴったり重なるような
神経回路のね
実在みたいなものが
発見されるんじゃないかなと思うけど
その良い内的対象関係と
悪い内的対象関係というものが
脳の血流を見ると
こんなに変わって見えますとかね
っていう神経学的な基盤は
いずれ明らかになるんだろうけど
100年前にすでにこういう考え方は
あったんです
長さはおっぱい
探検を3回投げました
途中から入って全然ついていけませんでした
だよね
それからは余計難しい
またよくわかんない絵を先生が描き始めたな
フロイトも元々神経学者ですもんね
そうですね
元々ウィーン大学の生理学教室で
本当は教授の座を狙ってたんですが
執事が
そもそもユダヤ人なんですよね
フロイトって
ユダヤ系オーストリア人なので
ユダヤ人は基本的に学問の世界では
教授になれません
それに教授から言われて
それで開業したんですよね
当時まだ若くて
結婚したてで
子供も育てていかなくちゃいけない
っていう必要に迫られて
結局開業するんですよね
これはね
フロイトのお弟子さんにあたる
メラニー・クラインっていう人が
ほぼほぼすべて全部作ってしまった
フロイト以上に天才なんじゃないかな
っていう呼び声もある
そう
これ映しとくか
メラニー・クラインっていう
女性の精神分析家が
考えたことですね
生前もちろんフロイトとメラニー・クラインは
一時期同時代を
同時期を生きていたんですけれども
フロイトは
このメラニー・クラインの考え方を精神分析とは
認めなかったみたい
だから生前すごく対立していた
クラインの方は
フロイトの正当な後継者は
自分だっていう風に
思ってたんでしょうけど
だからフロイトから始まった精神分析は
思わぬ方向でね
フロイトの手を離れて
その後の全く別の精神分析家によって
今現在に至るんですよね
古典として
古典的な精神分析として
フロイトの精神分析入門の
上下巻とかを
読んだりがするし
論文も読んだりするけれども
でもやっぱり臨床上
どうしても使いづらいですよね
リビドーロンとか初期の頃の
性欲が
抑圧されているので
その覆いを隠す
抑圧されている
ブロックされているものを
ちゃんと取り外そう
蓋を開けましょう
みたいな考え方って
非常に分かりやすいけど
臨床では使いづらいですよね
なかなかおっぱいとかマンコみたいな話を
精神科で診察室で
患者さんとしてたらやばいじゃないですか
やっぱちんこ大事っすよね
みたいな話してたらやばいと思うんだよね
告発されたら一発アウトだと思うし
なかなかね
フロイトの精神分析を
忠実にやろうとすると
ちょっとやばいことになるんで
やっぱり太さと角度ですよね
みたいな
あまりにも生々しすぎるからね
フロイト以後は
セックスとか
窒とか
子宮とかそういうセクシュアルな
メタファーが脱色されて
こういうちょっと
PSとかDとか使って
発展してきたんですよ
あんまりペニスとか出てこないよね
おっぱいは出てくるけど
おっぱいが出てくるのは
フロイトと違ってメラニー・クラインは
お母さんとの母子関係に着目した
分析家なんですよね
フロイトは
お父さんとお母さんと
自分っていうこの三者関係で
エディブスコンプレックスで
人の心の成熟っていうものを
一概に極論で
捉えた人なんだけど
メラニー・クラインはその手前にある
お父さんがまだ
登場する前の
お母さんと自分の二者の関係
っていうものをすごく上手に
描いた人なんですよね
そこでお母さんとか
お父さんと二者っていうものが
心の中の自分とか対象っていうもの
バラバラだったものを徐々に統合していき
なおかつ
良い・ない的対象関係っていうものが
心の中に定着するように
していくことが大事ですよ
心の中の対象関係
っていうのを理論化していった人
途中ちょっとビヨンっていうね
クラインのさらに
次の世代の、後の世代の
若い機営の精神分析家の
理論もちょっと
つまみ食いしちゃいましたけど
フロイトは極諸論モデルを
考えたけど当時の神経学では
そうせざるを得なかった
フロイトの極諸論ね
意識と無意識と全意識っていう
極諸論もあるし
自我と超自我とS
っていうね
そういう構造論みたいなものもあるし
でもそのメラニー・クラインの考え方では
超自我っていうのも内的対照なんですよね
かつての父親
フロイトとその理論
っていうものが自分の中に
入り込んできた
かつての倫理とか規範とか
をビシッと言い付けてくる
頑固親父みたいな父親がね
外的対照が内在化されて
内的対照に
取り込まれたものであると
それはどっちかというと
良い事故と良い対照の
関係性の中に取り込まれていく
良い内的対照関係
に入るんだと思うんですけどね
一時フロイトの理論はかなり
窮地に陥りましたよねと
今もそうじゃない?
一時というか
精神科医でフロイトの話が
できる人なんかほとんどいないしね
認知行動療法とか
言ってもフロイトは
ダメでしょみたいな話になって終わりだからね
なんかエビデンスあるんですか?
終了
ですね
レム睡眠の時に夢を見るという説があったと聞きます
フロイトは男性の妄想説
とりあえず
その完璧ではないけど
前回話したこの図の
ちょっと補足説明
はできたんで
今んとこちょっとは満足
でも結局今話しながら
内在化っていうところと
さっきのじゃあおっぱいの話とどう繋がるんですか
っていうのがなんかちょっと抜けていて
なんか僕の中でまだね
そこはちょっと今しっくりきてないんだけど
結局
おっぱいの機能っていうものも
心の中に取り込まれて
いく
それが良い・ない的対称関係の
定着に繋がる
そうやって外部の良いものを
取り込み
自分の嫌なものを外部に排出する
っていう形で私たちはPSで
生きてるんですよね
PSとかDとかっていうのを繰り返しながら
繰り込みたいにPSになったり
Dになったりしながら
悪いもので返されたらやっぱり
DだったものがまたPSに引き戻されて
すごく嫌な
だから職場でパワハラ受けたり
なんかすっげえ嫌な恥を
欠かされたりとかすると
やっぱ悪い事故
とか悪い対象っていうものが
めちゃめちゃありありと
心の中でバーンと立ち上がるんで
そうすると一気になんかPSになりますよね
やるかこの野郎みたいな
なんかブレイキングダウンみたいになりますよね
生きるか死ぬかみたいな
マークソームズが
かなり新しい境地を切り開いて
フロイトが少し復元してきたと聞いた
なんかマークソームズの
話をしてくれたのは15号さんかな
全然知らなくて
一応本借りてね今
読もうかなと思ってたんですが
ちょっとごめんなさいまだ読めてないんです
グロックに聞いちゃおうかな
そのまま
15号さんのコメントを
そのままグロックに投げてみよう
そうするとなんか答えてくれるかな
弦を3回投げたらどうも
フロイトが復元しないと
様々なクリティックが
機能しなくなってしまう
フロイトの復元
っていうのがどういう意味なのか
ちょっとまだピンときてないけどね
批判理論の復元は
必要と考えていて
フロイトはいらないでしょ
うーん
なんか理論とやっぱり臨床って結構
違いますからね
僕はこれを趣味でやってるんじゃなくて
これを使って患者さんの心を
実際考えてますからね
うーん前も言ったように
ODして救急車で
搬送されてその搬送先の
救急科の先生がカンカンにブチギレてね
精神科になんかこう
診療情報提供所へ起こせみたいなこと
言ってきたりさ
なんでこんなにベンズを飲ましてんだこの野郎みたいに
ブチギレてる先生を見ると
やっぱさっきのこの絵が思い浮かぶわけですよ
うーん
しかもその先生もPSに
入ってるけど
そのPSに引きずり込まれてる
引きずり込んでいる
ODしてる患者さんはやっぱこっちなんだな
とかね
この図でやっぱり捉えるんですよね
めちゃめちゃ分かりやすいんですよ
その神経科学とか使うとそういうのって
分かんないけどさ
これってすごく説得力のあるフィクションなんですよね
であんまりフロイトまで
遡って今の話っていうのはちょっと
性欲からね
リビドウとか
死の本能とかからさ
なんかこう今の理屈づけるのって
ちょっと難しいんで
使い勝手が悪いんでね
そのねなんか
数学の問題解くのにわざわざ
ライプニッツとかまで遡らないと思うんですよね
ニュートンとか
そこまで遡らなくてもいいんじゃないかなっていう
ちょっと使い勝手が
フロイトはあんまり良くない
歴史のお勉強としてはね
大事だし
その界隈の
コミュニティの中で一目置かれるには
フロイトはやっぱ読んどいた方がいいのかもしれないけど
ちょっと僕は正直
難しいなって感じだね
内在化のメカニズム
フロイトのあの
元メランコリーっていうね
うつ病の
心の中にある
心について
精神について
フロイトが語った論文とかはすごく面白いなと
結局それをベースに
メラニー・クラインがね
この対照関係論を作っていくので
でもそれ以外のなんか
リビドウとかちょっと正直
よくわかんない
どうなんだろう
っていうね
初期の神経症理論
その
ヒステリーとかはね
抑圧されている大意を取り外す
だから言えなかったことを
誰にも言えなかったことを誰かに言うっていうことで
立ちどころに左腕が動き始める
とかね
声が出るとかさ
目がちゃんと見えるようになるとか
言葉が話せるようになるとか
それは初期のヒステリーには
その通りなんでしょうけど
今の臨床で
あなたの思っていることを言ってごらんとかさ
なんか辛かったこと何とかって言うに吐き出させても
別に何も変わらないしね
脅迫性障害とか
全般性不安障害の方の
あなた本当は大変だったんでしょう
みたいな感じで色々探りを入れてね
仮になんかその
トラウマの
起源みたいなものが見つかったとしても
別に何にも症状を回復しないしね
実際
やってみると分かりますけど
脅迫性障害の精神分析をしても
脅迫性障害は良くならないしね
むしろ原因に遡ることって
あんまり意味ないような気がしてて
結局曝露療法とかやった方がいいんじゃないかな
みたいな
なので
初期のヒステリーの治療を
発達障害とか
パーソナリティ障害とか
うつ病とかにも生かすっていう
発想はもうないですよね
今の臨床化にはないですね
原因を追うことにあんまり意味がないんで
面白いのは精神分析で
一度科学じゃないと
知りづけられたのに
神経科学の進展で
逆に予言的だったっていう風に
再評価されてること
ちょっとそこら辺は普通に学問的に
臨床の現場と問題解決
面白そうですね
だからさっきチラッと言った
投影とか排出とかね
分裂とかの
そういうのと認知科学っていうのは
すごく結びついてるんでしょうし
きっと
あと投影同一化を僕はね
ぜひ神経科学的な基盤で
説明してほしいんですよね
投影同一化ってもうめちゃめちゃ
いろんなところで起きてると思うし
だから芸能人の
不倫した芸能人を
みんなで石を投げて
叩くのもまさに
投影同一化だなと思うしね
1日に数十回起きてんじゃないかな
私たちの身の回りに
私たち自身に
そこら辺についてはすごく興味深い
これは臨床医学の場面ではなく
クリティックの面で
必要だと考えていて
ソームズは革命的なので
おすすめですありがとうございます
投影同一化って
何でも説明できませんか
うん
何でも説明しちゃうと
言葉の意味がなくなっちゃうので
限定して使いたいですけどね
やっぱり
何らかの親密な関係性の中で
起きている
心の現象ですよね
いきなり街中で出会った人と
突然起こるっていうのは考えづらくて
しかも
2回目とか3回目の
デートで起こるっていうのもなかなか考えづらい
でも結婚して
1年目ぐらいから徐々に起こり始めるみたいな
同棲生活して
初めて見えてくるみたいな
そういう場面に
限定して使いたいですけどね
投影同一化の説明も
さらっとしちゃったからね
本当は
もっとちゃんと
したほうがいいんだけどね
投影同一化の説明は今日ちゃんと
1枚の絵では
書いてないの
説明すればするほど
したたらずというか足りないものが出てきて
嫌な気持ちがしますね
結局僕が読んでいるものを皆さんに
勧めるっていう形が一番安直なんだけど
確実なような気がする
それだと伝わらないんで
投影同一化を絵で描くとどうなるんだろうね
それこそ
松木先生はどういう絵で描いてるんだろう
絵が描いてないね
やっぱり描きづらいんだよね
投影同一化の
図紙はしてない
なるほど
やっぱ難しいね
これはその
内側の世界で
これが外側の世界
外的世界で
PS
DDとしましょうか
こっちはPSで
この三角形の他者は
レプレッシュポジションで
この悪い事故と
悪い対象の排出
に対して
一旦この悪い
悪い対象と悪い事故が
入り込んでくる
この器の中にね
心という器の中に
コンテインされる
良い無い敵対象関係を
攻撃してくるというか
侵食してきますよね
これが投影同一化ですよね
うちの配信で僕言ってるんですけど
四角が事故で丸が対象って
一応そういう風にルールを決めてるんですけど
例えば親が
非常に困った人で
母親が非常に困った人で
うーん
まあ僕の
過去の話で恐縮ですけれども
まあ
自分は本当にいつも傷つけられてるんだと
あの
クソみたいな旦那のせいでね
私は本当に人生不幸なんだ
って言って泣きながら
あの
僕のことを責めてきたりね
なんでお母さんがこんなに
辛い思いをしているのに
あんたは笑っていられるの
っていう風に僕は言われた時に
僕はやっぱすごく悪い事故になってますよね
本当にお母さんに対して
申し訳ないことをしてしまったっていう
無能で、まあ事故不全で
何もできない、何の力にもなれない
無能な自分
悪い事故ですよね
まあこの何かペアみたいなものがやっぱり
内的世界との対峙
自分の中にどうしても入り込んでくる
実際にこの外部にね
その
母親がこう来ると
自分の内的世界にある
悪い対象
みたいなものとやっぱりどうしても向き合わざるを得ない
こいつがものすごい
攻撃してくるんですよね
本当に嫌になるぐらい
情緒が不安定になる
美味しいものも美味しく感じないし
見たかった
アニメも別に見たくなくなる
食べたかったものも味がしなくなる
とにかく
感情としては怒りとか
憎しみみたいなものに
心がいっぱいになってしまう
そうすると僕のね
あの世界
好きなものとか
好きなものに接している
自分というものがかなり脇に
追いられてしまう
それを身を守るために
外部に排出する
こいつがいけないんだ
お前がそうだろうみたいな
お前が無能だろうバカ野郎みたいな
何かこう不的された態度を
取ったり相手を非難したり
あるいはこっちが傷ついている素振りを見せて
相手に
罪悪感を抱かせたりする形で
こう排出しますよね
その時それをね
受け流すことはなかなかやっぱできないと思うんです
そのすれ違う人
その日会った人ぐらいだったら
無視することってできると思うんだけど
ある程度時間も
重ねて深い関係になっちゃったりすると
ブロックすること
ってできないので
やっぱそういうふうにギャンギャンギャン言われると
なんか裏切られたっていう感じがしてきたりとか
なんか本当に自分が
まずいこと言っちゃったんじゃないかって言って
なんかどうやって謝ろうかな
って気持ちになっちゃったりする
その時点でこう同一化してますよね
でその時に
僕のその排出の仕方とか責め方っていうのは
非常に母親っぽくなっている
あんたがいなければ
私はこんな人生にならなかったのに
なんでこんなに傷ついているのに
もっと早く私のこと
言ってくれなかったのに
ダメでしょみたいな
相手を無能扱いするとこの三角形の人
やっぱり自分は無能なんじゃないかなって
気がしてきますよね
つまりこれは僕の過去の
体験をここで
追体験してるわけですよね
僕が母親で
でこの三角形が
かつての僕でね
僕が母に
まさに言われた嫌な体験っていうものを
この人は追体験している
投影同一化の影響
というわけで
対して
漢字は
この三角形を
追体験する
というのは
僕が
持っている
その
身体の
体験を
追体験して
いるという
という
この心の動き方は東映同一化だけど、この全体のね、この過去を反復している、過去の反復、現象そのものは劇化、ドラマタイゼーション、まるで悲劇を再現しているかのようにね、劇化ともいえるし、伝統的には反復脅迫って言ったりするんですけど、
反復脅迫とか、陰性治療反応とかね、陰性治療反応とかって言って、相手との間で良い内的対照関係を築くための位置添えをぶち壊すものですよね。
相手からやっぱり良いものを引き出しづらくなるので、こうやって避難しちゃうと。だいたい見捨てられて悪い対象を投げ返されて、結局この悪い内的対照関係がより強化されるっていう形で、人からの支援を受けづらくなるんですよね、こういうことが起こると。
どんどんどんどん孤立していくし、どんどんどんどん好きだった人が離れていくし、かつて親友だった人がみんなバーッと離れていく。だからこう、解決していく糸口をどんどんどんどん自分から根こそぎ排除してしまってるんですよね。
探検を3回投げました。どうも。アイテムどうもです。これを詳しく描いたのが結局これなんですよ。今日はこれを描きたかったんだと思う。東映同一化まで描きたかったんで、とりあえず描き切ったかな。
でもこの絵を見て人に別れっていうのはちょっと濃くなんで、今後これをどう洗練させていくかって。この間描いたのも捨てずに撮ってあるんだけどさ、本当に悲しくなるぐらいに伝わらなかった。この図なんですけど。これか。前回これを出したんですけど、なんか全く伝わらなかったんだよね。
でも今見てもさ、伝わるわけないよね。こんな稚拙な図でさ。これを描いた時にまず思いのほか自分がうまく説明できてないっていうことにショックを受けて、もちろんこれをちょっと見て伝わらなかったなって。皆さんのせいじゃなくて、俺が本当にあまりにも稚拙だったなと思って、結構傷ついたんですよね。この図を描いて。
だから、ちょっと捨てずに撮ってあるんですけど。これは伝わらない。だから鬼ってなんだよみたいな。鬼滅の刃じゃないんだからさ。鬼ってなんだよみたいな。
こういう説明になっちゃった自分っていうのがすっごく恥ずかしいし、一体何を勉強してきたんだろうみたいな、なんかすごい変に内省のモードに入っちゃってさ。なんかPSになっちゃったんですよね。っていう、ちょっとその自分の中での恥とか後悔をちょっともう一回やり直したいなと思ってさ、あんまり逃げずに。
っていうこの、とりあえずここまでなんですけど。アイテムどうもです。たくさん。こういうのを人に説明する意味もちょっとよくわかんないね。僕の中で別に理解してればいいし。
たまに人に説明して、自分の中でわかってないものを炙り出すだけでいいかもしれないね。ちょっとこれを理解してもらおうとか。これをベースにね、もののけ姫見たりとか、僕と母親とか、僕と弟の関係性を理解できるとめちゃめちゃ深いんですけど。
でもちょっとそのレベルまでね、皆さんに求めるのはなんかよくない気がしてさ。これを書きながら、やっぱり説明する意味ないなっていう、なんかだんだん気づいてきた。
なんか僕は多分、完璧なものとか完璧な何かすごく理想的なおっぱいをここに求めていたような気もするね。皆さんはなんか完璧なリスナーみたいなものをなんか今押し付けられていてすごく苦しくなってるのかもしれない。
その関係性自体がかつての自分のね、自分と母親とか自分と私と親の関係性の何か反復脅迫のような気もするしね。親の期待に沿って完璧でいなきゃいけないみたいな。またテストでね。
どんなにわかりづらい説明でも何とかテストで100点取らないというこの家庭が崩壊してしまうんだみたいな。なんかその役割を今僕は皆さんに求めすぎてるような気がする。皆さんが今辛くなってきたりよくわかんないなっていう感覚は僕のかつてのね、幼少期の頃の感覚ですよね。
だから東映同一化が起きちゃってる。私のこと分かったよねっていう親、母親とお母さんのことちゃんと理解しなくちゃっていう救急としている僕ですよね。それが排出されて皆さんがかつてのね、何か理解しないとまた起こり出すかもしれないみたいなかつての僕になっちゃってるんですよね、皆さんにね。これかこっちになっちゃってる。やや理解できます。
鬼に同化しないことは可能だということでしょうか。ここでいう鬼はそのPSなんですけどもね。PSのもう完全に敵ですよね。PSの中のその悪い対象のことですね。かつての鬼みたいに見えた母親にさせてしまっている皆さんとかあるいは他者をね。
そうなるように僕もなんかすごく嫌な態度をとって鬼になるように仕向けてしまっているみたいな。この三角形の他者が鬼になることもあれば鬼にやられる僕になることもありますよね。このペアが内在化されるのでどっちかになるね。他者が鬼にもなるし、他者が鬼に喰われる役にもなる。で、僕が鬼になることもある。逆に僕が鬼に喰われることもある。
不可解なんですよね。僕が怒り出すこともあるし、僕の周りにいる人が突然僕に向けて牙を向けてね、鬼みたいに怒り出すことがあるんですよね。これやっぱり投影同一化を使わないと、なんでそれ起きてるんだろうっていうのがわからない。
投影同一化っていうのを勉強しないと、ただの、この人こっちの被害妄想みたいにね、そういう風に被害的に感じやすい人なんですねっていう話で終わっちゃうんだけど、投影同一化っていうのは実際に他者が怒り出したり、実際に他者が泣き出したりするんですよね。
だから、ただの個人的な感想とかね、妄想のね、なんか主観的な世界ですよね、ではなくて客観をねじ曲げる力があるんで。実際にこういう人が一人車内にいると、周りの人が適応障害で休んじゃうとか、会社自体がね、生産性が下がったりしちゃう。
投影同一化はかなりその、やばいっすよ。内的世界だけの話じゃない。実際に外的世界をもう歪める力があるんで。敵の正体が分析できれば敵でなかったということがあるかもしれない。だから、そう、三角形をもし治療者に見立てるのであれば、今自分はすっげえ嫌な気持ちがしてるけども、でもこの嫌な気持ちっていうのはもしかしたらこの四角のね、四角くんが昔感じていた辛さなのかもしれないみたいに。
その、内的な、内的世界からこう外に出て、この全体を見通すこの人になれればね、この視点を獲得できれば、結構、破局せずに済むというか、なんとかこっちが生き延びることには繋がるんじゃないかな。
こっちが生き延びることが、こっちをデプレッシブポジションに持っていくことに繋がるので。
理解の欠如と孤立
だからこの、あ、すみません。精神分析的な理解を持った上で、この内的世界の外側から、こう両方の世界を見れるようなこの視点がないと、治療者はきついし、
患者さんを治すことはできないんじゃないかなと思う。
自分自身が今何かに操られてるな、何かの台本の上に乗っかってるなっていう、この視点がないとちょっと厳しいですよね。
やっぱり怒って怒鳴って、もう来んな、もうお前はもううちのクリニックでできんだみたいになっちゃいますしね、この視点がないと。
患者さんいろんなことやってきますからね、リストカットとかODとか。
僕も結構ね、最近ちょっと一つ疲弊してる、ただの子ぞかなと思ったらちょっと面倒くさいタイプの人で、いろいろ交渉してくるんですよね。
病棟内のルールで、これがやりたいとか、これはじゃあいいけどもその刈りこちをやらせろとかね、めちゃめちゃ交渉してくるんですよ。
で、まあそういうすごく泥臭いことを毎日やってるので、あんまり神経学的な基盤は気にならないです、僕は。
とりあえずこの患者なんとかしなきゃなっていうふうに、人の顔とか患者さんの名前で僕らは認識してるので、世界とかこういう病理をね。
だからあんまり脳の研究とか神経学的基盤とかには気にならないんですよね、日常精神科やってる限りは。
まあ勉強したい人はすればいいけども、敵の要因を自分が持っていなければこちらは安定できそうですと。
だからこの三角形側がある程度情緒が安定してればね。
で、それなりに安定した全体対称というか、まあ良い事項、良い対象との関係性が心の中で築けていればね。
何か嫌なものをぶち込まれてもまあまあまあって言ってこういうのを収めることはできそうですよね。
だからやっぱ大泉ようですよ。
わかんない、大泉さ、そんなにいい人かわかんないけど。そんなに柄の大きな人かわかんないですけど。
まあでもなんか大抵のことは許してくれそうじゃない。そういう器のデカさっていうのが大事なんですよね。
探検3回投げました、どうも。
さて、もう1時じゃん。1時じゃないか。
そう、YouTubeのアーカイブをご覧になっている方、今あの夜中のもうすぐ1時です。
ので、ちょっとそろそろさすがにもう寝ないとヤバい。
でもそれぐらい最近なんかずっとこの辺りがもうモヤモヤしてて。
なんかやっぱり理解されないんだよな。なんかね、理解されないっていうのがきっと何か魔界への入り口になってるんだと思うね。
ずっと僕の人生誰からも理解されないんですよね。
理解しない親、理解されない俺。
これです。これを通じて世界をこう、ここに目があってここから世界を見てるんで。
やっぱり僕の前に現れる人、誰もやっぱり僕のことを理解してくれないんですよね。
何が辛いのかっていうのもちゃんと話を聞いてくれないっていう。
内的対照関係の探求
何かね、そういうものがずっと心の中にやっぱりあって。
で、実際に人に理解されないとか、実際に人が僕の話を聞いてくれないっていう場面に遭遇するとめちゃめちゃPSになるんですよね。
ほらやっぱり俺のこと話聞かねえじゃんっていう。
めちゃめちゃDからPSに引き戻されるんですよね。
それがやっぱ魔界への入り口であり、ある種のその認知行動療法でいうところのトリガーになってんだなってすごく思うね。
なんかこうスキーマのトリガーになってるんだって。
意地悪な人に捕まっちゃうとすごく辛いし、あと能力的に聞く能力が低い人に捕まっちゃうとやっぱりきついですね。
どんだけ根節丁寧に説明してもやっぱり能力的に理解できない人がいるとさ、
いやそんなはずはないのにみたいななんか変にね、こう考え込んじゃって頭抱えちゃうんですよね。
みんなそれぞれおそらくこういう何らかのかなり多様で、かなり個別具体的な悪い内的対照関係っていうものが、
過去のだいたいこれは養育者との関係性がそのままこう入り込んでくるので、
あとそれプラスクラインでいうところの死の本能とか生の本能とかその生理学的な基盤がここにプラスアルファしてね、
とか発達特性とか知的能力とか、そういうものがベースになって最終的にここに形作られてくるので、
それっていうものは何か外的なものとこうある部分でピッピタッとつながっちゃったときにめちゃめちゃこれが発動するんですよね。
これを収めるのにこっちの関係性ではもう足りなくなってくる。
もう本当になんか仕事休みたいとか、あるいはなんか悪者探しをして誰かを懲らしめたいとか、
自分に恥をかかした誰かに仕返しをしたいとかいうピッタリなものが、
誰かを懲らしめたいとか、自分に恥をかかした誰かに仕返しをしたいとかいうPSポジションにやっぱり入ってくるんですよね。
だからこれを抑えるにはすごく難しいですね。
なかなかサウナに入ったりとか湯船にゆっくり浸かってるだけじゃやっぱPSからDには戻れない。
Yは理解しました。天才や。
私と同じ、ごめんなさい、母と同じ何らかの要因を先生も持っているのかも。
そうですね。だから母親も恐らくこういう何らかの悪い内的対照関係を持っているんですよね。
つまり親から理解されなかったんだとか、親の期待に沿わなきゃっていう無能なね、この悪い事故っていうものと、
全然自分のことを見てくれない、理解してくれないっていう手段の父親と、
そういう家庭環境で育っちゃうとやっぱりこの内的対照関係が内在化されますし、
それを使ってまた僕のことを子育てしてるわけですから、僕の中にもやっぱりこういうものがね、内的世界の中にかなり定着してきますよね。
そういう形で世代間伝達してっちゃうっていう話なんですよね。
内的世界っていうものはそっくりそのままではないけれども、かなり近い形で次世代に伝わっていくと。
だから方言とかさ、あくびの仕方とか、そういうのも全部親、くしゃみの仕方とかも全部親譲りじゃないですか、子供って。
あとなんか好きな野球チームとかさ、そういうレベルで内的世界っていうものはそっくりそのままだいたいコピーされていくので、
やっぱこういうものもやっぱりコピーされてくる。
最悪なのは親と、この他者が親だった場合ですね。
自分と親との間で全く同じこの悪い内的対照関係を持っていたりすると、ここでもうぐるぐるぐるぐる循環が起こるんで、
どこ親との間では本当に地獄みたいな、地獄絵図みたいになりますよね。
さっきもちなみにサウナから帰った、帰るときに僕ちょっとスーパーに寄ったんだけど、
そこでもう多分70代とか80代の高齢のお母さんと、
40、50代のなんかおばさん、まあ多分娘ですね、がもう怒鳴り合ってる。
主に娘さんが怒鳴ってるんですけど、だからこっちだって言ってんだろばば!みたいな。
なんかもう人目をはばからずに大喧嘩してる家族がいて、母娘がいて、
ああいうふうに同じ肩を持っている人同士の間でのドッジボールというか投げ返しはもう永久にぐるぐる回り続けるし強化し続けるんで、
本当に地獄だなと思う。
あるときはどっちかがね、怒鳴り、どっちかが黙り、であるときはこっちが怒鳴り、こっちが黙り、
あるときはどっちかがね、怒鳴り、どっちかが黙り、であるときはこっちが怒鳴り、こっちが黙り、
というふうに役割を入れ替えながらずっとこの激化というかね、反復、脅迫をずっと強化し続ける。
ぐるぐる循環し続けるだけなんで、親子関係っていうのは最悪なんですよね。
この図を見てもわかるように。
えーと、私も聞いてもらえない、いつも聞く側。
で、親も親で聞いてもらえない、つらいみたいな、同じ傷を持ってるんで。
同じ傷を持ってる人同士でお互い傷つけ合ってるっていう。
しかも相手の一番傷ついてる急所を知ってるんで、そこをぶっ刺してくるみたいな。
一番やばい関係ですよね、親子って。
100の理解が必要ですか?
うーん、PSポジションになると何か100の理解をきっと求めてるんでしょうね。
で、そのたった一つ、だから99理解されたとしても1理解してくれなかったら、そっちはやっぱ課題評価するようになっちゃってるんですよね。
ほらやっぱりは俺のことわかってないじゃない。
っていう風にも僕は持っていきたいので、何かあらを見つけて相手のことを非難したくなるんですよね。
それがあのPSですね。
できない部分を、他に協力を期待するのは自然かと。
できない部分を他に協力するのは自然。
私のことは理解を誰もできないけれど、HSP持ちでナースをやっていると占い師と言われるほどなので、先生のことを理解できるかも。
ありがとうございます。
でもね、僕はあんまり理解できない役を皆さんに押し付けがちなんですよね。
だから皆さんがさっきも言ったように褒めればいいんでしょうってね。
良い対象になればいいんでしょうって言うけど、慣れないように仕向けるんです。
それがさっきのこの、どれだ。たくさん今日書いたね。
これどっかでスキャンして公開します。
なんか絶対紙だと無くなっちゃうんで。
てかもう無くなっちゃった?
あ、これか。
そう、PSポジションだとね、おっぱいに対して。
やっぱり悪いものをどんどんどんどんぶち込んで投げつけてきますからね。
いや私はよくね、人の話を聞けるし理解できますみたいな自信満々のおっぱいを僕はへし折る。
おっぱいをへし折るというか、えぐり出すというかね。
えぐり散らすっていう形で、やっぱ悪い対象をですね。
やっぱりぶち込みがちなんですよね。
PSに入っちゃうと。
ね、君はなんか自信があったみたいだけどやっぱり大したことないねっていう風にやっぱなんかねすごく、
馬鹿にしがちなんです。
あらを探してそれをぶち込む。
で、あなたのやっぱ対応を見るんですよね。
本当に僕のことを見捨てないかとか。
あなたがこう一番自信のあるストロングポイントをへし折られた時の反応をやっぱり僕はすごく見ちゃうんだと。
これを別にあの自覚的にやってるんじゃなくて、これはあの自然に皆さんやってることだし、
いわゆるすべて無意識の領域の話なんですよ。
あの100%人類だったらみんなやってることなんで。
PSとDは常に成人になってからも常にこう交互に入れ替わって、場面場面でね、皆さんは今穏やかかもしれないけど、
嫌な人の前に出るとこうなっちゃうとか、
絶対そういう場面は皆さん多かれ少なかれあるので、
それをこう考えながらね、
自分の中でやりたいことを考えながらね、
知的にこの図を理解してこうならないようにしようみたいな、知的操作では難しい。
避けがたい。
こちらに仕向けてください。
受け止めますよ。
大丈夫です。
大事なことはその受け止めますよっていうふうに、
良い対象に居続けないことなんですよ。
だから、
自分の中でやりたいことを考えながらね、
自分の中でやりたいことを考えながらね、
良い対象に居続けないことなんですよ。
ちゃんと悪い対象を引き受けることなんですよ。
まず僕の辛さを知ってもらうことなんですよね。
つまり僕はかつて母親に、
なんであたしのことをあんたは理解できないわけ、
なんですぐお母さんの味方できないのあんたは、
って言われて育ったわけですよね。
だったら僕の幼い頃を理解するんだったら、
やっぱり皆さんも僕と同じ立場にまず一旦降りてもらう必要があるんですよね。
だからいいおっぱいになるには、
というかこのアルファ機能とか物思いを忠実に役割を演じるには、
まずかつての無能な悪い事故とか悪い対象に
まず同一化する必要があるんですよね。
僕はだから、
なんであんたはあたしのこと分かんないのって言われて
ずっと誰にも言えずに育てられた。
だから皆さんも、
なんでさしみちゃん俺のことを、
さしみちゃんっていう俺のことをお前らは分かんねんだよみたいな、
無能さにまずちゃんとしっかりコミットしてもらう必要がある。
親子関係の影響
だからあまりにも物分かりが良くて全てを理解しちゃう人っていうのは
僕のことよく分かってない人なんですよね、すでに。
探検3回。
画面黒くなっちゃいましたって書いてあるけど、画面黒いですか?
こっちの画面ではね、正常なんだけど。
OBSは正常に動いてる。
もしかして画面見えてなかった?
僕はずっとなんか文字を書いてたんだけど。
もしかして一枚も写ってなかったりして。
探検を3回投げました、どうも。
画面見えてる?良かった。
来た時から黒いです。
え?黒いことってあるんですか?
入り直します。
多分ね、すっごく入り直したら見えた。
あ、そんなことあるんだ。
なんかフワッチダメだね。
いいとして、そう、もうこういう感じでなんか伝わらないんですよ。
もう僕の中でなんかモヤモヤがこう発動してるわけ。
結局こんなにコンセス丁寧にせっかくやったら、
みんな伝わんないんだみたいな。
やっぱお前ら何も理解してねえんだとかね。
今度フワッチに対してもなんかイライラしてきて。
これがもうPSだよね。
だから皆さんの能力云々に関わらずこういうことが起きちゃうっていう話をね、
これでようやく理解できたと思います。
それはすごく必然的なことで、
まずはそういう無能なところに置かれると、
皆さん、かつての僕の体験をできるわけです。
あんたは結局私の何も分かってないのよって。
すぐお母さんが泣いたときに、
お母さん大丈夫って何であんたが一番早く言えないわけみたいなさ。
ずっとなんか一晩中母親にクドクドクドクドクド僕も小学生の頃言われて育ってね。
もうごめんなさいごめんなさいみたいに謝ってたわけですけど。
その感覚を皆さんもちょっとだけ味わうことができたわけですね。
そう。
すっごく薄めて。
これを僕と一緒に同棲したり暮らし始めると、
これの濃度が上がっていくわけですよ。
それはもう地獄だし大変だよ。
僕も別にその人にそういうことをしたいわけじゃないしね。
自然とそうなっちゃうだけだよ。
だから僕はこれが分かっちゃってるんで、
あんまり人にそういうのをさせたくないし、
自分自身の理解
かつての自分の体験を、
自分の体験を、
そういうのをさせたくないし、
かつての自分みたいな思いになってほしくはないので、
なんかいいなとかさ、この人魅力的だなと思う人がいると、
意図的に避けるようになっちゃってるんですよね。
あんまり近づくとこれが起こり始めるんで、
自分としてもね、
なんか自分がいいなとか好きだなと思う人から、
見放されたくないしさ、
幻滅されたくないし。
結果このなんか、
ウワッチという形でなんか、
いろんな窓からね、
覗き見るぐらいでちょうどいいんじゃないかなっていうのが、
今んところのこのPSDに対する僕なりの今、防衛策なんですよね。
あんまり人生に入り込みすぎない。
浅く窓から覗くぐらいでね、
窓からこんにちはって挨拶するぐらいでいいんじゃないかなって。
無能って極端。
どういうことっていう。
体験した本人にしか実感できないのは当然かなと思います。
そうですよね。
その当然のことをやってしまう。
理屈でこういうことが理解できても、
自然に気づいたらそうなってるみたいなね。
気づいたらこれってお母さんとの喧嘩と似てるなとかさ。
最後の最後に、
元彼女と別れるときに言われた最後の一言が母親に言われた言葉だったりとかね。
そういう奇跡的ななんか、
シンクロニシティみたいなものがあるんですよね。
偶然の一致みたいなもの。
その時に、
先生これ全部ね、
このビオンだとかフロイトだとか別にそれは科学的に根拠ないですよねっていう言葉が全部吹き飛ぶんですよね。
あまりにも現実で起きちゃってるんだよ。
ちょっとやばいなみたいな。
そのエビデンスとかじゃなくて、
だって彼女が言った一言が昔母親が言ってた一言なんだけどみたいなさ。
その事実、一回限りの事実はもう絶対に変わらないし、
その説得力はやばいじゃないですか。
その一回で十分だよそんなものはっていうさ。
なんか再現性とかいらねえよっていう。
その時に昔の人が考えたね、このビオンとかクラインとかウィニコットとか、
天才って言われてる人たちが考えたことっていうのはすげえなと思うんですよね。
ただのフィクションっていう風に片付けることは難しいなって。
体験を積んでくるとそういう場面に出会います。
それに対して僕は本当にごめんなさいって最後彼女に謝って泣いて別れたんですよね。
もう申し訳ないけど本当にもう無理です。ごめんなさいって。
アイテムどうもです。
ジャッキーチェンの花もありがとうございます。
先生は3人目の恋人と結婚します。
5杯です。
3人目はAIじゃないかなと思うんですよ。
人工知能かな。解決してくれるのは。
どれだけ言われてもさ、人工知能には傷つく心がないから。
でも傷つく心がないからこそこれが成り立たないのかもしれないね。
良いもので返すみたいなさ。
傷ついて傷つきの中で何とか良いものを返す。
こっち側としてはなんか傷つけてしまったなっていう欲打つのモードに入る。
償う。感謝するみたいなさ。
もう分かんないけどなんかこう物を投げつけたらなんかマイクロチップの何かが外れて破損してなんか声が出なくなったり。
電源がつかなくなりました。
うちの彼女の電源がつかないんだけどみたいな。
その時もしかしたらなんか償いたいみたいな気持ちになるのかもしれないよね。
やばいなんか強く殴りすぎたみたいな。
多分なんかあれだな。
マザーモードが破損したんだな。マザーボードが。
やべえな。ちょっとさすがにやりすぎたなみたいな。
AIに対してもなんかこうね、デプレッシブポジションに入ることはできるのかもしれないけどね。
でもそれは本当にあのフロイトとかクラインが全く想像もしない世界なんで。
もちろん僕も想像できないし。
これは世界の誰もまだ想像できない世界だね。
果たしてAIとそういう恋愛とかね、こう大喧嘩みたいなものも可能なのか。
子育ては可能なのかっていうね。
壮大な実験です。
いやでも僕はなんかAIでその…
AI彼女みたいなもの売り出したら多分お金使えますよ。
お金はあるんで。
医者として金は結構もう稼いだんで。
多少数百万してもちょっと嫁買うかもしれないね。
でこういう実験をしてみたい。
その時あの皆さんにちゃんと報告しますんで。
うちの嫁さんです。
ラブドールみたいなさ。
笑ってください。
この手元のカメラで映しますんで。
というオチなのか。
さて、という感じでちょっと僕の最近のモヤモヤを全部カメラテストと称してぶつけました。
本当は今話したようなことをもうちょっと丁寧にね。
誰も置いていかないようになんかこうノートとかブログとかあるいはKindleとかでね本で書いて何かこう読んでもらって。
理解できた人に対してはさらに深い話あるんですよねみたいな。
いう感じができたらなって思いつつ。
まあもうちょっと勉強して僕も。
本書けるぐらいにはね。
したいですけれども。
そんなところです。
まあもう少し言うと。
職場の人間関係とかあるいは交友関係とかあるいは恋愛関係の中に何か母子関係の嫌だった関係性がいつの間にか反復してしまっている、再現されてしまっているっていう話。
まず出発点としてはなんか普通に職場でうまくいかないなとかさ。
なんか恋愛うまくいかないなとかあるわけですよ。
そうするとなんかあの職場で嫌な奴がいてさとかさ、なんか元カノほんと嫌な奴でさとかさ、なんか敵を見つけるじゃない。
でもさ何回も何回も繰り返されるわけ。
次の職場行ってもまた嫌な奴が出てきて、次の人と付き合ってもまた同じことで別れ話になるみたいなさ。
そうするとさ、これ人の問題じゃなくて自分の問題じゃねみたいになるじゃない。
なんかこれ窓の外の話じゃなくてこれ窓の中の話なんじゃないみたいな。
この汚れって外にあるものじゃなくて窓の中にある内側の汚れなんじゃないみたいなさ。
さすがになんか自分の内側で起きていることと外側で起きていることになんか、どんなバカでもちょっと違和感というか気づき始めると思うんですよね。
僕は結構それを20代の前半ぐらいに気づいたんだけど、
これなんかもしかして自分の内側の問題なんじゃないかって。
しかもっと言うと結構幼少期の何かが反復してるんじゃないかな。
割となんかその時の20代の頃の気づきをベースになんかそのクラインとかね、
まあそのなんか精神分析の本を読んでるような気がしますね。
大変な日常ですね。本当に大変なんだよ。
自分でも理解できないぐらい突然不安になったりね。
突然自分に自信がなくなったり、本当に頭がおかしくなったんじゃないかなと思うぐらい。
だって全然肩こりもないし頭痛もないし、体調万全なんですよね。
で、患者さんも最近すごく調子がいいんですよ。
で、看護師さんからもいつも先生ありがとうございますって言われてるんです。
その時に急に不安になるんですよね。
なぜかわからない。その時に急に不安になるんですよね。
その時に急に不安になるんですよね。
なぜかわからない。その時はわからないけれども、突然なんか理解されてない感じがしてくる。
で、なんか、まあ僕の個人の体験ですけど、なんかすっごい自分がバカみたいな気がしてきて、
あの本も読んでないし、あれも読んでないし、本当はみんな気づいてないけど俺めちゃくちゃバカなんだけどなみたいな感じになるわけ。
感謝さればされるほど、いや違うんですよ、本当は僕もめちゃめちゃわかってないんですよみたいな。
でもそれが言えない。恥ずかしくて今更。持ち上げられちゃって。
どうしようみたいな。焦る。なんか担がれてるような気持ちになるね。
壮大なドッキリにかけられてるような気持ちもするし。
っていう、そのさっきのね。
さっきのというか、まあまあこれか。
こういう内的世界を通して見る外的な世界。
これですね。一番最初の補足で書いた。
こういう心のモデルを僕は持っているので、
僕の心の中の様々なありようっていうものがその見え方にめちゃめちゃ影響してくるっていう。
だからどう考えてもこの内側の世界の話っていうのを理解しないと、
これ職場でも問題起こるし、恋愛でも問題起こるし、これネットやってても問題起こるだろう。
趣味の世界でも当然起こるしね。
これ場所とか人とか関係ねえなって。
AIとの新しい関係性
誰との間でもやっぱり親密になってくると起こり得るなって。
という内的世界の話に気づいたのが、
20代の前半、22歳の頃。
そこから15年ぐらい今経ってるんだけど、
だいぶ研究は進んでますね。
でもそれでもやっぱり何かがスイッチが入ると、
すごく世界が歪み始める。
一見するとすごく順風満帆に見えるんだけどね。
でもそういう風に心が感じなくなってくるんですよね。
何かをきっかけにPSに入ってきちゃう。
自分というものが何かを知らない。
何かを知らない。
何かがきっかけにPSに入ってきちゃう。
自分というものがとても無能な感じがしてきて、
コントロールできないものな感じがしてきて、
自分の人生を自分でコントロールできない感じがしてくる。
天気もいいし、
最近お豆腐をよく食べるようになって健康もいいんですよ。
ちんちんの立ちもいいです。
ちゃんと筋トレするようになって。
一見すると全てうまくいってるように見えるんだけどね。
世界中で僕以外誰も気づいてない。
アイテムどうもです。
浅く言うと完璧主義的な面がね、
ありますよね。
でもその裏側には、やっぱり僕は
何とか主義っていう言葉がすごく嫌いで、
内的対照関係で捉えているので、
何とか主義っていうのはすごく浅いんですよね。
それは対照関係論の考え方じゃないんですよね。
何とか主義っていう主義主張があるわけではなくて、
やっぱりこのPSの方で考えてるんですよね。
つまり、理解しない親に対して、
何とか理解してもらわなきゃって言って
給給としながら頑張ってる自分。
これを何とか完璧にしないとね。
完璧であらなければ母親がまた機嫌を損ねる、
崩れる、みたいなこのPSポジションで捉えてるんですよね。
完璧主義っていうのは、
裏を返せば、すごく絶望的な無能で、
自分にはどんなに頑張っても
こっちを振り向いてくれない、みたいな
悪くて無能で何もできない事故
っていうのも入ってるんですよね。
との関係性で捉えてるんで。
主義主張があるわけじゃないんですよね。
理解しない母親、何とかそれを理解してもらおうと
死に物狂いで頑張っている、
何とか期待に応えようと頑張っている自分がいるんですよね。
そういう物語とかドラマで
対照関係論は捉えますね。
また周囲の人との間とかで起こる。
例えば学校の先生とか
との間で起こるんで、それを浅い言葉で言うと
完璧主義っていうことになりますね。
その先生の期待に応えなきゃとか、周りの期待に応えなきゃ
っていう関係に置き換わるんで。
すごくちょっと嫌味な言い方になっちゃってる。
僕がちょっと今ね、その言葉嫌だなっていう
感じがしたんで。
何とか主義、完璧主義とか
完璧主義っていう言葉があんま好きじゃない。
インポスター症候群。
完璧主義っていう言葉を使わないで、さっきのドラマでね。
対照と事故とのドラマで捉えると、
その完璧主義って
そのドラマで捉えると、それは東映同一化されると
完璧主義の影響
僕自身が完璧に振る舞わなくちゃいけない時もあれば、
逆に相手に完璧さを求める自分もいるんですよね。
これね。
だから完璧であらねばならんという
東映同一化されると、
僕自身が完璧にならなくちゃいけない。
完璧な自分と、完璧でいろいろお前っていう風に
支持してくる相手っていう東映同一化の
仕方もあれば、今度クロスでね。
今度こっちのクロスで、相手が
完璧であらねばならないという
立場に置かれて、今度僕が
お前完璧にしろよお前っていう風に上から
追いかぶされる僕になることもあるんですよね。
こう、入れ替えて、
実際の他者との間でこの悲劇っていうものが
演じ直されてしまうっていうのが
大事なんですよね。その視点として、この視点として。
完璧主義って言った瞬間に
この人だけの話になっちゃうので、認知機能みたいな話になっちゃうので、
すごく浅いんですよね。
これは完璧主義だけではなく、相手に
完璧主義を求める主義でもあるんで。
で、自分は涼しい顔して0点取れるんですよね、そういう時は。
この図から多分理解できると思うんですけど。
インポスター証拠、探検論。
60点以上で合格ということで
自己納得が深まれば少し楽になれる。
そういう認知の強制みたいなものでは
追いつかない話を今ちょっとしてるんですけどね。
だから認知行動療法で言うところの
スキーマみたいな話をしてるんだと思うんで。
児童思考のさらに根底にある
中核的な信念、その認知最高制
法とか行動療法とか曝露療法で追いつかない
最も根本にある中核の信念
みたいな話を多分今
精神分析の側から説明してるんだと思うんですけど。
だから心がけとか習慣の
科学みたいなもので追いつかない話だね、これは。
だから困ってるんですよ。
そのことにだから20代の前半に気づいて
なんかこれ、アドラー心理学が言うような
勇気を持てば変わる話じゃねえぞみたいな。
どうにもならないなってことに気づいて
心の構えと成長
これヤバい問題だなって気づいたんですよね。
でもこのヤバさに気づいてる人が全然周りにいなくて
ちょっと衝撃を受けたんですよね。
こんばんはどうも。笛の砂プレゼントどうも。
子供が親に完璧を望むのは
不安を避けることで
順調な自分の順調な成長ができる
ということが関与しているのかも。
認知的には確かにね。
このまま自動延長するような流れになっちゃってるけど。
ちなみにちょっと最後宣伝していいかね。
あといいねボタンもちょっと押しといてください。
今日ね、届いたんですよ。
これが。もののけ姫の
コミックバージョンなんだけどね。
これね、ちょっと値段するんですよ。
そこそこ厚くて
2000円するんだよね。結構するよね。
全カラー。全部カラー。
全カラー出ましたよ。
そんなのあるんだ、そう。
これで寝る前にペラペラっとめくって
好きなシーンを見れるんです。
あと8月29日の金曜ロードショーで
もののけ姫やりますんで
ちょっとそれに向けてまた予習しようかな。
予習と復習も兼ねて。
僕が好きなシーンがあるんだけど
それはまた感想会で話します。
だから次回がポニョ。で、その次がもののけ姫かな。
そんなのあるんだ、そう。
文庫本にしては高いけど、オールカラーならいいですね。
ここにセリフが載ってるのがいいよね。
好きなセリフがあるんだよね。
映画だと何回聞いてもね、ちょっとこう
忘れちゃうんだけど、文字だとこう何回も読み返せるし
何回もこう反復して暗記することもできるんで
やっぱ一冊あったほうがいいなと思って。
以上、宣伝でした。
まあそんな感じかな。
明日、毎週水曜の午前外来なんだよね。
一人ものすごく体調崩れてる患者さんがいてね。
ちょっとそれで今若干ソワソワしてて
落ち着かないっていうのもあります。
ベストを尽くしても
うまくいかないこともあるんだよね。
患者さんはあんまり感謝しないしね。
うまくいったら自分の手柄だし、うまくいかなかったら
医者のせいだしね。
そういう仕事だなと思いつつ
こういうちょっと深い勉強もして
日々盛り上げてます、自分を。
医者は結局どんな原理であれ
患者さんを救命できればいいんでね。
MRIとかの原理とか全く知らなくても
患者さんの命が救われれば
それでいいので、使い方さえ分かっていれば
MRIの原理を説明できなくてもいいんですよね。
基本的にそういう連中ですから、医者って。
精神科医も同じなんですよね。
とにかく救えれば何だっていいんで。
その一つとしてこういう
対象関係論みたいな知識も一応あるよっていう。
ただあんまり統合主張症の人とかを理解するのには
今言った話はあんまり使えないんだけどね。
別のそのヤスパースとかシュナイダーとか
それこそ昨日のキムラ・ヴィンとかね
ポスト・フェステムとか
精神科とかが必要になってくるね。
私は精神科が良い民
兄弟関係の複雑さ
が良い民として
先生方に日々感謝しています。
素晴らしい。それは本当に素敵な考え方だね。
やっぱりPSではなくてね
感謝するっていうのが実は結構大事なんだと思う。
もうなんかくどいようですけどね。
相手の傷を見てさ
自分と敵対していた敵みたいな人の
大きな傷跡を見て
それに対してそれを償おうという気持ちになった時に
人は成長するんですよね。
悪い相手と対決しなきゃと思ってたけど
その相手の中にも実は傷つきがあって
守るべきものがあって
意外と大変だったんだなみたいな理解が進んで
よく打つポジションにね
Dポジションに移行した時に
相手との対処関係はすごく安定してくる。
まとまってくる。
良い悪いみたいに分裂していたものが統合されてくる。
なんかこれを見るとさ
やっぱりなんか弟もそうあってほしいなと思うんだよね。
散々やっぱ父親から
金を分取ってしまった。
経済的サポートをずっと期待して
お金振り込まれたらすぐ新しいグラフィックボード買ったりとか
新しいおもちゃ買ってね
とか買っちゃったりしてさ
2,30万するような。で飽きたらすぐ売っちゃうみたいな。
なんかそうやって湯水のように実は
金を使ってた自分っていうのがいて
でも実はその裏では老後の資金をずっと
サポートのために溶かし続けている
傷ついた父親がいるんだみたいなさ。
だから意外と父も最近元気がなくなってきてるんだよって
僕は結構弟に伝えるようにしてるんですけど
それは本当でね。昔に比べると
元気なくないって。
そういう傷ついた親とか
自分が今まで何をしてきたのかっていう認識は
すごく大事だと思うんですよね。
だから感謝しろっていうのはね
逆にPSを刺激しちゃうんで
だからお前感謝しろよとまだ言わないが
ただ自分が成してきたことがどういうことかっていうのは
よく見ておくべきだと。
自分がね、お父さんのお金を何に変えてきたのかっていうのは
大事だと思うんですよね。
それが何かこう、今の余ったれた
引きこもり生活に終止符を打つことになるんじゃないかなって
思うんですけどね。
でも厳しい。
償いとか感謝と無縁だからね。
いや俺はこんなに辛かったんだみたいなことを
弟は未だに言いますし
こんなに就活面接でね
過去問と違うような質問をされて
過去問って何?って
過去問と違うことを聞かれたからもう最悪だみたいな
そういうことを言ってるから
それは違うんじゃねえか。それはちょっと違うぞ。
弟さんが妹だったら対応は変わりますか?
変わるだろうね。
もし女だったら何かしら結婚みたいな選択があるじゃないですか。
すごく性別で語ると
怒り出す人もいるかもしれないけど
女性ってそれがまだできる分
なんとかなるんだけど男ってそれができないんで
結婚によってなんとか生活が成り立つみたいなことがないんだよね。
やっぱり能力が低い人とか
精神疾患があると普通に結婚できないので
だからやっぱり男性の方が自殺率高いじゃないですか。
もう死ぬしかないみたいな。
そこのセーフティーネットがないっていうのは結構男って
ハードモードだなと思うよ。正直に言って。
メンタル持ちでも女性って
結婚できるじゃないですか。
よっぽど汚くなければね。
ちょっと水回りも綺麗にしてさ。
リフォームすればなんとかなると思うんですよ。
中古でも。
でも男性はそうはいかない。
今後もやっぱり善と多難だし
やっぱり世間からひどい扱いとかね。
お前は結局高卒じゃねえかみたいなことを言う人が現れた瞬間に
やっぱPSに引き戻されちゃうと思うし
やっぱりつらい人生が待ってると思いますよ。
厳しい。
内面の準備が必要。
弟さんに対して良い母親を保って接するとなれば
先生の
内面の準備が必要かと。
良い母親。
弟の場合すごく難しいね。
だから弟から悪い対象みたいなものを
すごく投げつけられますもんね。
でも兄貴はやっぱり医者だから稼いでるから
そんなことが言えるんだよみたいなさ。
決して僕もいつまでも弟の味方で
いさせてもらえないんですよね。
弟のほうからこう悪いものを投げつけてきて
お前はこうだろああだろみたいな言ってきますから
そこでプツンと切れて
弟を説教したり恥をかかしたりしない
耐久力はやっぱ必要だなと思いますよね。
そういう内面の準備というか心構えは必要だと思うね。
やっぱり
東映ドイツ化を生き延びることが
今後の課題かなと思いますね。
前提が違いますもんね、全員。
そういうことでちょっと話はつきないですけれども
この後
YouTubeのほうにアーカイブを上げておきますんで
一回で理解できる人はいないと思いますけれども
気づいた点があったらまたぜひ教えてください。
僕もこういうのを
繰り返しながらちょっとずつ絵も綺麗になっていって
何か無駄な線とかが消えていってね
だんだん皆さんにも理解できる形に
ちょっとうつなっていけばいいなと思います。
ぜひちょっと成長していきたいと思います。
とりあえず2回目はこんな感じ。
2回目の説明としてはそんな感じでした。
ちょっと憎しみの連鎖の
連鎖のほうの説明まではいかなかったけど
この内在化と現在の関係というものを中心に
転移とか激化を中心に
今日は話しました。
ということで
じゃあ終わります。
どうもお疲れ様でした。
お送りしましたのはさしみちゃんでした。
遅くまでありがとうございました。
お疲れ様でした。
03:11:20

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