昨日の当直中もずっと話したんで、今日はもう繰り返しませんけど。
当直明けお疲れ様でした。
当直後もお仕事されてるんですか?
そうなんですよ。
医者は夜勤と言わない理由はですね、当直明け大体また普通に日勤が始まるからです。
医者はシフト制じゃないので看護師みたいに夜勤がないんですよ。
当直があるんです。
当直という名の休憩時間があるんです。
シフト制を組んでる救急課とかの病院だと夜勤はありますけど、
医者には基本的に夜勤というものは存在しない。
なぜならシフト制じゃないから。
さて、とにかくいろいろ理由があって何か調子が悪い。
思い当たる理由はよくわからない。
常々メンタルの不調が来るには、何かしらの日常に潜む魔界への入り口というものがあるんだと。
その入り口というものをちゃんと自覚を持っておくことが大事ですよなんて。
偉そうに言ってる割にはですね、僕自身もその魔界の入り口がよくわからないんだよね。
突然いつの間にかその魔界の中に入っていて、
もうそこからいつの間にか抜け出せなくなってるんですよね。
今まさにそのような状態で。
何かわからないけど自信もないし、
何か今までやってきたことが全て無駄だったんじゃないかって。
何かいろいろ自分なりに努力してきたつもりになってるだけで、
実はとんでもない無駄な時間を過ごしてるんじゃないか。
そういう虚しさをですね、最近なぜか感じ始めています。
えっと、先生こんばんは。どうもこんばんはです。
それでは疲れ取れないような。そうですね。
基本的には呼び出されないという前提で当直に入ってるんですけどもね。
昨日もね、別に特に夜間、呼び出しはあの後ありませんでしたね。
でも何かね、当直人のベッドの硬さなのか合わなくて、
何かすんごい疲れるんだよね。
笛の砂をプレゼント。ありがとうございます。
アイテムどうも探検3回投げました。
たくさん来るね、イベントで。
様々な魔戒への入り口。
でもまあ、複数おそらくその入り口はあるんでしょうけども、
最近カメラ配信をなんかするようになってね、
手元を映したりとかもしてるんです。
でももしかしたら何かそれがすごく悪く作用してるんじゃないかって、
そんな気がしてるので、だから今日あえてカメラ配信をしてみたんですけど。
何かこれから逃げることによってよくないんじゃないかと思ってね。
そこに魔戒の入り口があるんだとしたら、もっとちゃんと研究した方がいいんじゃないかなと思って、
ちょっと無気になって最近カメラをこうよくやるようにしてるんです。
逆にこっから逃げたらいけないんじゃないか。
カメラつけるとなんか調子崩れるからやめようって言ってやめちゃうと、
なんかかえってよくないんじゃないかって。
えーと6号さんどうもです。お疲れ様です。どうも。
私はさしみちゃんの配信が心の安定剤になっています。ありがとうございます。
どうも。
何かしらうまく使ってください。
本当にどうしようもないくらいつまらない配信もたまにはあるんですけど、
そういう時は静かに消していただいて、いいとこだけうまく使ってください。
笛の砂プレゼントありがとう。
今日は急遽の突発ワークなんでね、そんなに人が来ない想定で今話してます。
でもね、結構濃い人が来てくれてるんじゃないかなと思って、
人が少ないけど濃い人が来てくれるってことを今ちょっと想定しながら、
ちょっと皆さんにもね、なんか一つ手伝ってもらいたいなと思って。
えーと1号さんどうもです。
というわけでそのテスト配信なんですよ。
いずれ本配信というかね、50人とか100人とか大勢来た時にてんぱらないように、
先にちょっとみんなで仲間だけで打ち合わせしとこうみたいな、
そういうテスト配信です。
なんか変なもの映ってたりとかね、
してもこの10人15人くらいだったら多少映ってても大丈夫だからさ。
先生チンゲ落ちてますとかね、そういうの早めに教えてもらえると対応できますんで。
お願いします。
えーと、
アイテムありがとうございます。
了解です。
チンゲらしきものが落ちてます先生って。
耳打ちしてもらうと助かるね。
こんばんはどうもこんばんはです。
ちなみにあらかじめ言っておくとヨダレはもうついてます。
ヨダレに関してはもう理解してますんで。
ヨダレ以外でお願いします。
えーと、笛の砂プレゼントありがとう。
とにかく最近はなんかコントロール感がうまくないっていうのと、
なんか変などもりが最近また入ってきてる。
いずれもなんかこう自分の自信の無さをね、
なんかちょっと反映してるのかなと思うんですけど。
文字が見やすくなった。
本当にちょっと文字が大きくなったかもね。
大きさ少し変えたんで。
10%ぐらい大きめにしたんで。
ヨダレとかそう鼻水とか、
そういうものは気にしないでください。
で、今まであのこのね、
左側に映してたじゃない、こうやって。
でもこれちっちゃいなと思って、
こうしました。
ちょっと別の画面を作ってみたの。
これでちょっと広くなったでしょ。
まあ猫ちゃんはちょっと消えちゃうんだけど。
もしかしたら猫ちゃんちょっとこの空白の左側に
持ってくるかもしれない。
あるいは左側じゃなくて、
右側に猫ちゃん映せばいいのかな。
猫ちゃんをチュール菩薩様だよね。
チュール菩薩様をちょっと待ってくださいね。
でもこれまあ配信外でやったほうがいいのかな。
変なもの映っちゃうかな。
えーとね。
こうなってて。
こうなってて。
ありゃ。
まあなんかちょっとこう見守ってる風な感じにもできる。
ちょっとね、チュール菩薩様いるよ的な感じにもできる。
よし。
押しよう。
なんかいないと寂しいもんね。
OK。
じゃあこういうレイアウトで。
で、ちゃんとあのタイトルもついてるし。
これいけるんじゃない。
で、あともう一個チェックしたいのがさ、
文字の大きさどうしようかなと思って。
本当に基本的なことなんですけど。
まずマイクは大丈夫だよね。
でもね、書きながらだとマイクが難しいってことにも気づいてる。
まあこうか。
これだといいですよね。
で、これは映ってますよね。
OK。
これはA4を普通に横にしておいてます。
で、
あ、これはかぶっちゃうのか。
なるほど。
あ、これは読める。
これあの、マッキーの細の方で書いたんだけど。
これ読めます?
視力検査です。
これ読めない人は1.0ないです。
読める。
おお。
こんばんはお疲れ様。
綺麗なお手でこんばんはどうも。
変態も群がってます。
読めます。
おお、ありがとう。
探検さん回ありがとう。
じゃあもう一個ちょっとテストしていいかな。
これあのボールペンなんですけど。
これでボールペンでこう文字を、あごめんなさい薄いな。
これはちょっと見づらいか。
これは読めます?
これ結構きつそうだね。
僕普段カルテこのボールペンで書いてるんだけどこの1.0、1.0ミリなんだけど。
これはね難しいね。OKです。
じゃあまずボールペンという線は消えた。
マッキーでいきます。
これはねしっかり見える。
OK。
これもまあ見えると。
細字でもまあ読めるよね。
でも太字の方がいいよね。
じゃあやっぱり太字でいこうか。
そう。
ボールペンは見づらいと。
太字の方がよりはっきりと出るね。
マッキーの方がよく読める。
太がいい。
やっぱりみなさん太くて固い方が好きなんですね。
知ってました。
うん。OKです。
すべて古文書に書いてあった。
さて、あともう一個ちょっと全然少しこの中身というか心理学的な話なんだけどちょっと話していいかな。
またいずれちゃんと話すんだけど。
僕が何かうまく話せなくてこの間。
そのせいでなんかずっと自分がもやもやしてるんです。
何の話かっていうと憎しみの連鎖の話なんだけどね。
なんかねこれを説明するときに僕は過去と現在に分けてね。
登場人物は丸と四角と三角。
これは人ですね。
三人登場します。
それぞれ別の人。丸と四角と三角を使ってちょっと図示するんだけど。
僕が書いたのはこういう図なんですよね。
これが過去の丸と四角の関係をね、つながりを表しています。
家計図だとこれ結婚って意味なんだけどそういう深い意味ではなくて単純に人のつながりをここではちょっと表しています。
で、現在この四角目線で。こいつが主人公ね。四角を主人公にするね。
四角目線で見たときに現在の四角ってこう書くと新しい人ね。
三角形とのつながりはこういう風に書けますよね。
ちょっと大きさは気にしないでください。
過去に丸と四角のつながっていたっていう関係があります。
現在この四角と新しく三角がつながっています。
これがあの人のつながりをまずこれ表してるんだけど。
四角に着目したときに四角の心の中っていうのはこうなってるっていう説明をしたんですけど、
なんかこっから多分ね、なんか怪しかったんですよね。
何を言ってるんだこの人は。
先生何言ってるんだろう。
なんかね図を使って、言葉でいつもねこれ結構もう何年も前から配信では話をしてるんだけど、
この四角の中に書いた図形っていうのはこれは心の中の世界を表してるんですけれども、
四角の心に着目したときに四角の心の中には過去のこの関係が入ってるんですよっていうのをこれは単純に図示してるわけなんですけど、
これはわかるかな。
なんかこっから結構置き去りになってた可能性があって。
でなんかねちょっとこの説明がわかるでしょっていうつもりで進んでっちゃったんだけど、
ちょっと不親切だったかなと思ってさ説明が足らなくて。
でこれ結構あのこの後すぐになんかこれとこれがつながっててみたいな話に進んでっちゃったんだけど、
ちょっと一枚別の説明を挟みたくなってきたんだよね。
今日仕事しながらなんかこの図の結構飛躍してた部分をもう少しちゃんと説明したいなと思ったんですよ。
だからちょっとしていいですかね。
この間さらにこれとねもうすぐ四角と三角の関係があってっていう風になんか進んでっちゃったんだけど、
この現在の四角と三角の関係を考える上でこの四角の心の中っていうものが激化しちゃうんですよ。
転移って書いたんだけど、何かね、この二人の関係性の中で転移とも言ったり、
あとは激化とかドラマタイゼーション。
二人の関係性の中に過去の丸と四角の関係性が転移しちゃうよね、激化しちゃうよね。
ちなみにその心の中にこの二人の関係性が入り込むことを内在化っていう風に言うんですけれどもね。
転移に移る前に、ちょっとこれまたいずれ使うかもしれないから綺麗にとっとこう。
だから今綺麗に書いたんだけど。
いつもサラサラっとなんか適当にくちゃくちゃって書いてるんだけど、ちゃんと書こう。
今日なんか仕事しながらちょっと頭の中でぼんやり考えてたんだけど、
もう一枚ちょっとこう、遅く説明しようかな。
遅くしといたほうがいいかなと思ったんだけど、
イギリスの対照関係論。
対照関係論っていう学派があるっていう学派に基本的に基づいて僕は結構心を捉えてるのね。
だから同じ心理学とか精神分析とかでもまた違う考え方もあるので、
僕が今から言う説明っていうのはこの学派にのっとった考え方なんで、
絶対的な説明ではない、答えではないんですけれど、
この対照関係論っていう学派の考え方だと、
これさっきのね、これさっきのあの人の心を表してる四角ね。
この四角の内側に内的世界っていうものがあって、
で、この外に広がっているのが外的世界とか、
まあいわゆるあの現実世界っていうふうに普通に日常語で呼んでる世界ですね。
で、あの私たちは現実世界そのものを生きてるんじゃなくて、
実は、これ目ね。
内的世界を通して外的世界を見てるんですよ。
だから私たちが見ている世界っていうのは、
まず自分の中にある内的世界っていうものを通じて見てるっていう話なんですよね。
だからこの外的世界に登場する、例えばなんとかさん、三角さんっていうね、
これ、まあ別の人物を見るときも、
この四角は丸とか四角みたいなものをベースとして見るんですね。
まあこれ俗に言う、だから潜入感とか、第六感みたいなものかね。
第六感とか第一感か。
だから私たちは本来見るもの聞くもの全部は目新しいもののはずなんだけど、
でもそういった内的世界みたいなものをベースに、
初めて見るものもなんとなくこういう人かな、
とかなんとなくこういうもんかなっていう潜入感とか直感とかね、
第一感みたいなものを使って大掴みに知ることができるんですよね。
私たちはもうある人と話す前から、その人がどんな人かっていうのを大まかに掴んでるわけです。
もちろん超能力ではなくて、単純にこの内的世界の何かに結びつけて、
この三角形を捉えると。
新しく目の前に現れた自分以外の誰かを捉えてるんですね。
で、すごくシンプルにこの内的世界っていうものが、
すごく偏ったりしている、極端だったり、すごく過酷だったりね、
迫害的だったり、自分に対して優しくなかったり、
この丸とか四角とかのこの心の中にいる、
自分と自分以外の何かの関係性がすごく荒れ狂っているような人、
すごく不安定な人っていうのは、
この外的世界、現実世界で出会う人との間でもそういうものを見がちだっていうことです。
まず第一、補足説明としてね。
なので、この内的世界のあり方っていうものについて研究することが大事だよね。
っていうのことなんですよ。
で、その内的世界っていうものは何かっていうと、
自分と自分以外の何かの関係性のドラマなんですよね。
だから自分っていうものが中心に一人いるのが心なんじゃなくて、
自分と誰かが常にドラマを繰り広げているのが心なんですよね。
だから自分以外の何かも入り込んでくるのが心なんですよ。
かつての誰かが自分の中に寄生してるというか、何かが入り込んでるんですよね。
今、全く何の台本もなしで、しかも下書きとかもなしで今話してるんで、
僕も次何話そうかなって今ちょっと考えながら話してるんだけど。
最終的にはこっちに戻ってくるんだけど、
さっきの憎しみの連鎖の転移とか激化って何かっていう話に戻ってくるんだけど、
まず何気なく書いたこの意味っていうのは、こういう世界観があるよと。
だから外的世界、いわゆる普通の学校とか社会とか、
外的世界に住まう人たちとね、先輩とか後輩とか同期とか、あるいは顧客とかと、
何かトラブルを起こしがちな人、対人トラブルを起こしがちな人っていうのを元を正していくと、
結構ここがぐちゃぐちゃしてたりとか、ここがバチバチしてたり。
この丸と四角の関係性が非常にバチバチして対立していて、
生きるか死ぬかの抜き差しならない関係になってたりする。
そういうものをベースに人を見てるからね。
目の前に人がいたらこいつは私のことを騙すかもしれないっていう目で見てる人っていうのはやっぱり、
外的世界でも問題を起こすんで。
だからこことここっていうのは実はこう、同期してるというか、
そんなまず考え方があるんですよね。
またちゃんと聖書します。
テスト配信なんでね。
カメラテストプラス、この間なんかモヤモヤしちゃった。
なんか全然伝わらなかったなっていうことを今ちょっともう一回やり直してるんですよ、僕の中で。
だからある種の暴露療法だね、これはね。
僕の中で納得いくまでやろうっていう。
僕はバカじゃないんだって。
でね、あともう一つちょっと話したい。
これに関連する、今度内的世界に関連する話をちょっとしたいんだけど。
どういうふうに書いたらいいのかな。
僕、こういうふうに図解とか図紙で対象関係論を学んだことが本当にないんですよね。
でね、松木邦博先生っていう精神分析家の日本人の先生がいらっしゃって、
その先生の本読んでたんですよ。
今日、仕事の合間にね。
これがそのPDFなんですけど、ちょっと全文写すとね、著作権違反になっちゃうんですけど。
ほんとね。
あ、動いちゃった。
こっちじゃなくて、こっち。
おっぱいはこれ大丈夫だよね。
これでバンとかにならないよね。わかんないけど。
おっぱいバンは多分ないと思うんですけど。
なんかそれらしい図を見つけたんです。
あ、これだ。
でもね、これ見てちょっとかえってわかりづらいんじゃないかなって。
図で書くとこれなんですけどって言ってさ、いきなり見せられてちょっと意味わかんないよね。
これね。
だからね、図にするとわかんなくなっちゃうんですよね。
対象関係論の分裂と投影とかの話なんだけど、
あの、正確に書くとこういうことらしいんです。
でもちょっと今から僕が書く絵はだいぶ雑で簡略化しますね。
直感に従って。
そう、なんかね、正確に書くとああいう図になっちゃって、結局よくわからんっていう感じで、
いつもね、精神分析って嫌がられるんですよね。
で、補足2ね。補足2。
タイトルはね、内的世界について。
この間、さっきあの四角の中に丸と四角がつながっててって簡単に書いちゃったけど、
あれについてもう少し丁寧に説明した方がいいなと思って。
この図なんですよね。
僕が今書こうと思ってたのはね、こういう感じの図なんですよね。
なんか対象関係論では、
自己と対象のつながり、ペアで考えるんですよね。
だからさっき書いたのはね、さっき書いた図で言うとこういう感じ。
僕はこの四角と、ごめんなさい、映ってないね。
自己と対象のペアの話なんですよね。
自己っていうのをさっきの四角で表すと、
対象っていうのを僕はずっと丸で表してたんですよね。
のペア。
対象っていうのは自分以外の全て。
自己っていうのは自分ですね。
で、赤ちゃんの頃の内的世界、心の中の話をすると、
これをもっと拡大するとね、
自己と対象の、心の中には自己と対象っていうものがあって、
自分っていうものがいろいろ部分部分でぷかぷか浮かんでいるような感じ。
例えば自分の手とか、自分の口とか、自分の鼻とかね。
ジャッキー・チェンの鼻とか。
唇とか手とか。
そういう自分に属するいろんな体の部位とかいうものと、
逆に自分に属さない対象。
例えば一番端的に言うと、お母さんのおっぱいとかね。
あとは母親の目とか。
寝る時間だけど聞きたい。寝てください。
多分YouTubeにまた残しますんで。
これは非常にオチがない話を今してるんで。
だからテスト配信なんだよね。
大勢の人に聞かせる、なんか大衆受けする説明ではないので。
めちゃめちゃよくわかんない話を今してます。
のでぜひ寝てください。
赤ちゃんの頃の心の中っていうのは、
自分とかっていうものも全然バラバラでまとまっていないし、
また自分以外の対象ね。
お母さんのおっぱいとか、お母さんの眼差しとか、
あるいは物とかね。
いろんなものに囲まれているけど、
そういった感覚とかっていうものが全部バラバラに繋がらずに存在している。
で、そういうものがだんだんだんだんとですね。
あれ?
こうだね。
神経が発達してくると、神経の発達に伴って、
最初赤ちゃんって目も見えないぐらいの状態からだんだん生まれてくると成長して発達してきますよね。
そうすると徐々に徐々に、
おぼろげに自分というものっていうのが繋がりをもって大きく固まってくる。
で、逆に対象っていうものがおぼろげに固まってくるみたいなイメージですね。
で、最終的にはすごく大きな塊を作ってくるみたいな話なんだけど、
なんかね、それがそう穏やかにいかないっていう話。
補足3。
僕なりの理解なので、相当間違ってるよっていう風に鼻で笑える可能性もあるんですけど。
内的世界について。
②。
さっきのね、神経が発達していくと最終的には自分っていうものと対象っていうものがこうやって最後ね、
すごくまとまりよく綺麗に統合されていくような感じがするじゃないですか。
自分の唇も手も鼻もこれ自分というものなんだっていうふうにまとまっていくし、
目とかおっぱいとかバラバラで近くしてたものが実はこれお母さんだったんだっていう風に抽象度が上がりますよね。
本来だとそれが目標というか発達の達成なんですけども、
実際にはそこに至る前に、
これはゴールなんですけどね。
実際にはもう一回復習しておくと、こっちが事故でこっちが対象でしょ。
この点線より上が。
それにプラス、白と黒。
これはちょっと青いんですけど黒としましょう。
良い事故と悪い事故。
良い対象と悪い対象に引き裂かれる。
こういうのはスプリッティング分裂って言うんですけれども。
ずっと赤ちゃんの心の中の話をめちゃめちゃ具象的に図で書いてるんで、
言ってる意味よくわかんないと思うんですけど、
これは対照関係論ですね、心理学じゃなくて。
精神分析ですね。
例えば、生後1歳とかの赤ちゃん、
乳幼児をイメージしていただくといいんだけど、
夜通し泣き狂いませんか。
乳幼児研究をこの対照関係論の分析家の先生はよくなさっていてね、
だから赤ちゃんが生まれたって聞いたらそのお宅を訪問させていただいて、
その赤ちゃんの様子をじっと観察するっていう乳幼児観察っていうのをこの学科の人はよく行ってるんですけれども、
そうすると赤ちゃんが本当に火がついたように泣き始める赤ちゃんっていうのがいるんですよね。
これは結構個体差があると思うんですけど、
なんで泣き始めるかっていうと、おそらくこの自分の自己側に属する何かが非常に苦痛を伴う何かなんですよね。
それは大人の言葉で言うと空腹とか、あるいはおむつの中のうんちの不快感とかね、
おむつ群れとか、何か擦れて痛いとか、
あるいはずっとなんか体のサイズの合わないタオルとか、
衣服みたいなものに締め付けられて苦しい感覚とか、
でもそういうのを衣服とか空腹とかですね、赤ちゃんは解剖学も何も知らないので、
体を食い荒らされるとか、体をとにかく痛みつけられるっていうすごく途方もなく怖い感覚を持ってるんですよね。
それに対して無力な自分、何にもできない、全くもって無能な自分、
悪い事故っていうものを外からね、自分は攻撃されてるんだっていう風に感じる。
悪い対象を作り出す。
だから何か、空腹なんじゃなくてこれはきっと腹の中から何かを食い荒らされているんだっていう風に愚症的に、
自分以外の何かによって迫害されているんだっていう風に赤ちゃんの内的世界ではそういう風に物語としてドラマチックにね、
なっている。何回も言うように、これは内的世界の話ですので。
だから赤ちゃんの中の、今の赤ちゃんの世界ではさっき言ったように、これが起きているので、赤ちゃんから見る世界っていうものは非常に過酷なんですよね。
何か自分のことを痛めつけたり締めつけたりする。
で、そういうものと何とか戦おうとするみたいな。
だから実際には内的世界の話なんですが、実際に外的世界にそういう悪い対象っていうものがいて、
そいつが自分を今めちゃくちゃに腹をぐっちゃぐちゃにしてるんだっていう風に感じる。
非常に愚症的な世界だし、迫害者によって迫害される辛い世界を生きている。
っていうのが対照関係論の、特に初期のクライン派の、メラニー・クラインという精神分析家の描いた世界。
だから赤ちゃんってのは非常に苦しいんだ。
この間話したとき、この分裂とか排出とか、迫害不安とか、良い対象とか悪い対象とか、
その話がまず抜けていたっていうのがずっと心残りだった。
で、補足4。ちょっと補足が何個まで続くかわかんない。
コンテインファー機能ですね。
で、補足4。
で、さっきの良い対象とか悪い対象とかを前提にすると、
この間描いた四角の中に四角と丸がありますっていう図を、もっと正確に僕は描くとね。
こうなってるんですよ。
四角という患者さんの心をね、心の無い敵世界を描くと、こうなってるんですよね。
良い自分、良い対象、悪い事故。
良い事故、悪い事故、良い対象、悪い対象の、そういう戦い。
良い自分というものは良い対象と結びつきたい。
でも悪い対象とか、悪い事故っていうものがこの関係を破壊しようとしてくるっていう、
なんていうんだろうね、これは僕の言葉ですけど、
想像と破壊の狭間で揺れてるんですよ。
で、そういうものを私たちは内側から目でね、見て、
それを通じて外のね、現実世界っていうものを見ていますっていうモデルですね。
だから世の中の子供向けのアニメとか戦隊ものとかが、
なんか完全に長枠型なんですよね。
なんか正義の味方と、あと悪の組織みたいなものになぜか分裂して、
それとそれの戦い、2つの組織の戦いで映画とかドラマって進行していくじゃないですか。
それは対象関係論で言うと、この良い対象、良い事故と、悪い事故、悪い対象のペアの戦いだからですね。
で、子供にとってそういう世界の認識っていうものは自然なんですよね。
大人にとっても自然なんだけど。
完全長枠型の、あのアニメを見たから私たちは完全長枠を身につけるんじゃなくて、
もう正徳的に、人間として生まれてくると、
もう世界の、心の内的世界の立ち現れ方として、成り立ちとして、
これがもう自然に起きている。
だからこれを通じて世界を見るから、
正義対悪っていうものにすごくなじむわけです。
すごく理解できる。
で、この良い対象ね、良いペアと悪いペアがこう戦っている。
で、この状態っていうのは人にとってすごく辛いんですよね。
常に揺れている。
だから外部に、外部の誰かを見た時に、
あれ、その自分の外的世界に三角という第三者がね、
自分以外の誰かが現れた時に、まあ二者か、
誰か相手が現れた時に、悪いペアを投影して見てしまう。
ここにもまた投影って出てきちゃうんだけどね。
こっちからこっちに投影する。
内的世界でも投影っていう言葉が出てくるんだけど、
そっちは排出って言ったほうがいいのかもしれない。
僕もね、ちょっと今その用語がすごく曖昧なんで、
またちょっと勉強し直そうかなと思うんですけど、
ここら辺詳しい人がいたら訂正してほしいんだけど、
投影って何か何箇所かで出てきちゃうんで、
ちゃんと厳密に使い分けたほうがいいのかもしれない。
ここでいう投影っていうのは内的世界の中で起きている投影ではなくて、
もうまさに対人関係の中でね、
外的世界における他者との間で起きていること。
で、ちょっと書くスペースがなくなってきちゃったけど、
一旦ちょっと区切って、
四角で書くか。
こっちが赤ちゃんね。
こっちが母親のおっぱいですね。
これが悪いペア。
こっちが良いペアだとしましょうか。
で、悪いペアっていうものを、
この乳房ってさっき言った三角形だと思っていいと思うんですけど、
現実世界、外的世界における他者に投影する。
投影。
で、この時お母さんは、
具体的に言うと赤ちゃんがどういう風に投影するかっていうと、
投影しますとかね、いう風には言えないので、
基本的に泣き叫ぶとか、噛みつくとかね、
あるいはおっぱいを吸ってる時に、
おっぱいの乳首に噛みつくとか、
夜通し泣き続けるとかっていう形で排出する、投影する。
自分の中にある空腹感とか苦痛感とか、
おむつ群れとかね、
そういった大人がそういう風に呼ぶような、
全ての不快な感覚というものを、
まあ、発散して、とにかく外部に押し付けてくるわけですね。
具体的には、母親のおっぱいに向けてね。
そうすると、お母さん側にこの悪い事故、悪い対象のペアが、
お母さん側を同一化する。
非常に今図式的に書いてます。
あんま僕こういう説明好きじゃないんだけど。
僕はだからこうやって教わってないので、
文字とか頭の中の視覚的なイメージとか、
記憶の中でね、結構こういうのを理解してたんで、
人に伝えるのってすごく難しいなと思いながら今やってるんだけど。
で、お母さんはここに同一化せざるを得ないので、
おむつを取り替えたらいいのかなとか、
おっぱいをこれあげたらいいのかな、
でも下の住民の方から、
そういえばこの間クレームが来たから、
何かまた貸し折り一つ持っていかなくちゃいけないかな、
夜泣きのね、この赤ちゃんに対して、
自分にも責任があるから、
っていう風に色々こう考えますよね。
この時すごく苦しい感じってあると思うんです。
苦痛な感じとか焦りとか、
逃げ出したいなという思いとかね。
それが同一化ですね。
だからもともと赤ちゃんの中にあった、
ある種の言葉にならないような不快さというものが
投影され、同一化され、
お母さん側に押し付けられている。
お母さんの中に心があるので、
お母さん側に内的世界があるので、
お母さん側の内的世界に、
その悪い対象と自己のペアみたいなものが
投影、同一化され、追体験してるわけですね。
だから言葉というものを介さずに、
非常に原初的なコミュニケーションをここでしている。
お母さんという心の器、内的世界という器の中に、
この悪いペアがね、
位置を占めている、
という状態になっている。
で、この時お母さんは何で返すか。
どう返すか。
例えば、悪い対象、悪い、
何て言うんだろうな。
悪い対象に、
同一化、感情移入して成りきっちゃったら、
虐待が起こるでしょうね。
赤ちゃんが投影して、
で、同一化させてきたような、
実際に迫害者に、
もしそのまま何も考えずになっちゃったら、
お母さんはおそらく赤ちゃんに向けて手を挙げたりね、
ぶったり殴ったり、
うるせえな黙れって言って口の中にタオル突っ込んだりね、
っていう形で、
もし悪い対象に、
そのまま同一化して、
何も考えずに行動化すると、
もうこの悪い対象そのものになってしまう。
虐待が起こる。
お母さんが内的世界の中で、
この悪い対象、
悪い事故っていうものをうまく処理できないと、
そのまま行動になっちゃうと、
ここで虐待が起こる。
そうすると赤ちゃん側で、
不快さが高まる。
つまり、
より悪い対象とか悪い事故ですね。
もう全く無力で、
不快で、
辛くてっていう不快な感覚がさらに高まる。
そうするとさらに過劣に投影が起こると、
より強烈に泣いたりとか、
というわけで
対して
漢字は
この三角形を
追体験する
というのは
僕が
持っている
その
身体の
体験を
追体験して
いるという
という
この心の動き方は東映同一化だけど、この全体のね、この過去を反復している、過去の反復、現象そのものは劇化、ドラマタイゼーション、まるで悲劇を再現しているかのようにね、劇化ともいえるし、伝統的には反復脅迫って言ったりするんですけど、
反復脅迫とか、陰性治療反応とかね、陰性治療反応とかって言って、相手との間で良い内的対照関係を築くための位置添えをぶち壊すものですよね。
相手からやっぱり良いものを引き出しづらくなるので、こうやって避難しちゃうと。だいたい見捨てられて悪い対象を投げ返されて、結局この悪い内的対照関係がより強化されるっていう形で、人からの支援を受けづらくなるんですよね、こういうことが起こると。
どんどんどんどん孤立していくし、どんどんどんどん好きだった人が離れていくし、かつて親友だった人がみんなバーッと離れていく。だからこう、解決していく糸口をどんどんどんどん自分から根こそぎ排除してしまってるんですよね。
探検を3回投げました。どうも。アイテムどうもです。これを詳しく描いたのが結局これなんですよ。今日はこれを描きたかったんだと思う。東映同一化まで描きたかったんで、とりあえず描き切ったかな。
でもこの絵を見て人に別れっていうのはちょっと濃くなんで、今後これをどう洗練させていくかって。この間描いたのも捨てずに撮ってあるんだけどさ、本当に悲しくなるぐらいに伝わらなかった。この図なんですけど。これか。前回これを出したんですけど、なんか全く伝わらなかったんだよね。
でも今見てもさ、伝わるわけないよね。こんな稚拙な図でさ。これを描いた時にまず思いのほか自分がうまく説明できてないっていうことにショックを受けて、もちろんこれをちょっと見て伝わらなかったなって。皆さんのせいじゃなくて、俺が本当にあまりにも稚拙だったなと思って、結構傷ついたんですよね。この図を描いて。
だから、ちょっと捨てずに撮ってあるんですけど。これは伝わらない。だから鬼ってなんだよみたいな。鬼滅の刃じゃないんだからさ。鬼ってなんだよみたいな。
こういう説明になっちゃった自分っていうのがすっごく恥ずかしいし、一体何を勉強してきたんだろうみたいな、なんかすごい変に内省のモードに入っちゃってさ。なんかPSになっちゃったんですよね。っていう、ちょっとその自分の中での恥とか後悔をちょっともう一回やり直したいなと思ってさ、あんまり逃げずに。
っていうこの、とりあえずここまでなんですけど。アイテムどうもです。たくさん。こういうのを人に説明する意味もちょっとよくわかんないね。僕の中で別に理解してればいいし。
たまに人に説明して、自分の中でわかってないものを炙り出すだけでいいかもしれないね。ちょっとこれを理解してもらおうとか。これをベースにね、もののけ姫見たりとか、僕と母親とか、僕と弟の関係性を理解できるとめちゃめちゃ深いんですけど。
でもちょっとそのレベルまでね、皆さんに求めるのはなんかよくない気がしてさ。これを書きながら、やっぱり説明する意味ないなっていう、なんかだんだん気づいてきた。
なんか僕は多分、完璧なものとか完璧な何かすごく理想的なおっぱいをここに求めていたような気もするね。皆さんはなんか完璧なリスナーみたいなものをなんか今押し付けられていてすごく苦しくなってるのかもしれない。
その関係性自体がかつての自分のね、自分と母親とか自分と私と親の関係性の何か反復脅迫のような気もするしね。親の期待に沿って完璧でいなきゃいけないみたいな。またテストでね。
どんなにわかりづらい説明でも何とかテストで100点取らないというこの家庭が崩壊してしまうんだみたいな。なんかその役割を今僕は皆さんに求めすぎてるような気がする。皆さんが今辛くなってきたりよくわかんないなっていう感覚は僕のかつてのね、幼少期の頃の感覚ですよね。
だから東映同一化が起きちゃってる。私のこと分かったよねっていう親、母親とお母さんのことちゃんと理解しなくちゃっていう救急としている僕ですよね。それが排出されて皆さんがかつてのね、何か理解しないとまた起こり出すかもしれないみたいなかつての僕になっちゃってるんですよね、皆さんにね。これかこっちになっちゃってる。やや理解できます。
鬼に同化しないことは可能だということでしょうか。ここでいう鬼はそのPSなんですけどもね。PSのもう完全に敵ですよね。PSの中のその悪い対象のことですね。かつての鬼みたいに見えた母親にさせてしまっている皆さんとかあるいは他者をね。
そうなるように僕もなんかすごく嫌な態度をとって鬼になるように仕向けてしまっているみたいな。この三角形の他者が鬼になることもあれば鬼にやられる僕になることもありますよね。このペアが内在化されるのでどっちかになるね。他者が鬼にもなるし、他者が鬼に喰われる役にもなる。で、僕が鬼になることもある。逆に僕が鬼に喰われることもある。
不可解なんですよね。僕が怒り出すこともあるし、僕の周りにいる人が突然僕に向けて牙を向けてね、鬼みたいに怒り出すことがあるんですよね。これやっぱり投影同一化を使わないと、なんでそれ起きてるんだろうっていうのがわからない。
投影同一化っていうのを勉強しないと、ただの、この人こっちの被害妄想みたいにね、そういう風に被害的に感じやすい人なんですねっていう話で終わっちゃうんだけど、投影同一化っていうのは実際に他者が怒り出したり、実際に他者が泣き出したりするんですよね。
だから、ただの個人的な感想とかね、妄想のね、なんか主観的な世界ですよね、ではなくて客観をねじ曲げる力があるんで。実際にこういう人が一人車内にいると、周りの人が適応障害で休んじゃうとか、会社自体がね、生産性が下がったりしちゃう。
投影同一化はかなりその、やばいっすよ。内的世界だけの話じゃない。実際に外的世界をもう歪める力があるんで。敵の正体が分析できれば敵でなかったということがあるかもしれない。だから、そう、三角形をもし治療者に見立てるのであれば、今自分はすっげえ嫌な気持ちがしてるけども、でもこの嫌な気持ちっていうのはもしかしたらこの四角のね、四角くんが昔感じていた辛さなのかもしれないみたいに。
その、内的な、内的世界からこう外に出て、この全体を見通すこの人になれればね、この視点を獲得できれば、結構、破局せずに済むというか、なんとかこっちが生き延びることには繋がるんじゃないかな。
こっちが生き延びることが、こっちをデプレッシブポジションに持っていくことに繋がるので。
だからこの、あ、すみません。精神分析的な理解を持った上で、この内的世界の外側から、こう両方の世界を見れるようなこの視点がないと、治療者はきついし、
患者さんを治すことはできないんじゃないかなと思う。
自分自身が今何かに操られてるな、何かの台本の上に乗っかってるなっていう、この視点がないとちょっと厳しいですよね。
やっぱり怒って怒鳴って、もう来んな、もうお前はもううちのクリニックでできんだみたいになっちゃいますしね、この視点がないと。
患者さんいろんなことやってきますからね、リストカットとかODとか。
僕も結構ね、最近ちょっと一つ疲弊してる、ただの子ぞかなと思ったらちょっと面倒くさいタイプの人で、いろいろ交渉してくるんですよね。
病棟内のルールで、これがやりたいとか、これはじゃあいいけどもその刈りこちをやらせろとかね、めちゃめちゃ交渉してくるんですよ。
で、まあそういうすごく泥臭いことを毎日やってるので、あんまり神経学的な基盤は気にならないです、僕は。
とりあえずこの患者なんとかしなきゃなっていうふうに、人の顔とか患者さんの名前で僕らは認識してるので、世界とかこういう病理をね。
だからあんまり脳の研究とか神経学的基盤とかには気にならないんですよね、日常精神科やってる限りは。
まあ勉強したい人はすればいいけども、敵の要因を自分が持っていなければこちらは安定できそうですと。
だからこの三角形側がある程度情緒が安定してればね。
で、それなりに安定した全体対称というか、まあ良い事項、良い対象との関係性が心の中で築けていればね。
何か嫌なものをぶち込まれてもまあまあまあって言ってこういうのを収めることはできそうですよね。
だからやっぱ大泉ようですよ。
わかんない、大泉さ、そんなにいい人かわかんないけど。そんなに柄の大きな人かわかんないですけど。
まあでもなんか大抵のことは許してくれそうじゃない。そういう器のデカさっていうのが大事なんですよね。
探検3回投げました、どうも。
さて、もう1時じゃん。1時じゃないか。
そう、YouTubeのアーカイブをご覧になっている方、今あの夜中のもうすぐ1時です。
ので、ちょっとそろそろさすがにもう寝ないとヤバい。
でもそれぐらい最近なんかずっとこの辺りがもうモヤモヤしてて。
なんかやっぱり理解されないんだよな。なんかね、理解されないっていうのがきっと何か魔界への入り口になってるんだと思うね。
ずっと僕の人生誰からも理解されないんですよね。
理解しない親、理解されない俺。
これです。これを通じて世界をこう、ここに目があってここから世界を見てるんで。
やっぱり僕の前に現れる人、誰もやっぱり僕のことを理解してくれないんですよね。
何が辛いのかっていうのもちゃんと話を聞いてくれないっていう。
何かね、そういうものがずっと心の中にやっぱりあって。
で、実際に人に理解されないとか、実際に人が僕の話を聞いてくれないっていう場面に遭遇するとめちゃめちゃPSになるんですよね。
ほらやっぱり俺のこと話聞かねえじゃんっていう。
めちゃめちゃDからPSに引き戻されるんですよね。
それがやっぱ魔界への入り口であり、ある種のその認知行動療法でいうところのトリガーになってんだなってすごく思うね。
なんかこうスキーマのトリガーになってるんだって。
意地悪な人に捕まっちゃうとすごく辛いし、あと能力的に聞く能力が低い人に捕まっちゃうとやっぱりきついですね。
どんだけ根節丁寧に説明してもやっぱり能力的に理解できない人がいるとさ、
いやそんなはずはないのにみたいななんか変にね、こう考え込んじゃって頭抱えちゃうんですよね。
みんなそれぞれおそらくこういう何らかのかなり多様で、かなり個別具体的な悪い内的対照関係っていうものが、
過去のだいたいこれは養育者との関係性がそのままこう入り込んでくるので、
あとそれプラスクラインでいうところの死の本能とか生の本能とかその生理学的な基盤がここにプラスアルファしてね、
とか発達特性とか知的能力とか、そういうものがベースになって最終的にここに形作られてくるので、
それっていうものは何か外的なものとこうある部分でピッピタッとつながっちゃったときにめちゃめちゃこれが発動するんですよね。
これを収めるのにこっちの関係性ではもう足りなくなってくる。
もう本当になんか仕事休みたいとか、あるいはなんか悪者探しをして誰かを懲らしめたいとか、
自分に恥をかかした誰かに仕返しをしたいとかいうピッタリなものが、
誰かを懲らしめたいとか、自分に恥をかかした誰かに仕返しをしたいとかいうPSポジションにやっぱり入ってくるんですよね。
だからこれを抑えるにはすごく難しいですね。
なかなかサウナに入ったりとか湯船にゆっくり浸かってるだけじゃやっぱPSからDには戻れない。
Yは理解しました。天才や。
私と同じ、ごめんなさい、母と同じ何らかの要因を先生も持っているのかも。
そうですね。だから母親も恐らくこういう何らかの悪い内的対照関係を持っているんですよね。
つまり親から理解されなかったんだとか、親の期待に沿わなきゃっていう無能なね、この悪い事故っていうものと、
全然自分のことを見てくれない、理解してくれないっていう手段の父親と、
そういう家庭環境で育っちゃうとやっぱりこの内的対照関係が内在化されますし、
それを使ってまた僕のことを子育てしてるわけですから、僕の中にもやっぱりこういうものがね、内的世界の中にかなり定着してきますよね。
そういう形で世代間伝達してっちゃうっていう話なんですよね。
内的世界っていうものはそっくりそのままではないけれども、かなり近い形で次世代に伝わっていくと。
だから方言とかさ、あくびの仕方とか、そういうのも全部親、くしゃみの仕方とかも全部親譲りじゃないですか、子供って。
あとなんか好きな野球チームとかさ、そういうレベルで内的世界っていうものはそっくりそのままだいたいコピーされていくので、
やっぱこういうものもやっぱりコピーされてくる。
最悪なのは親と、この他者が親だった場合ですね。
自分と親との間で全く同じこの悪い内的対照関係を持っていたりすると、ここでもうぐるぐるぐるぐる循環が起こるんで、
どこ親との間では本当に地獄みたいな、地獄絵図みたいになりますよね。
さっきもちなみにサウナから帰った、帰るときに僕ちょっとスーパーに寄ったんだけど、
そこでもう多分70代とか80代の高齢のお母さんと、
40、50代のなんかおばさん、まあ多分娘ですね、がもう怒鳴り合ってる。
主に娘さんが怒鳴ってるんですけど、だからこっちだって言ってんだろばば!みたいな。
なんかもう人目をはばからずに大喧嘩してる家族がいて、母娘がいて、
ああいうふうに同じ肩を持っている人同士の間でのドッジボールというか投げ返しはもう永久にぐるぐる回り続けるし強化し続けるんで、
本当に地獄だなと思う。
あるときはどっちかがね、怒鳴り、どっちかが黙り、であるときはこっちが怒鳴り、こっちが黙り、
あるときはどっちかがね、怒鳴り、どっちかが黙り、であるときはこっちが怒鳴り、こっちが黙り、
というふうに役割を入れ替えながらずっとこの激化というかね、反復、脅迫をずっと強化し続ける。
ぐるぐる循環し続けるだけなんで、親子関係っていうのは最悪なんですよね。
この図を見てもわかるように。
えーと、私も聞いてもらえない、いつも聞く側。
で、親も親で聞いてもらえない、つらいみたいな、同じ傷を持ってるんで。
同じ傷を持ってる人同士でお互い傷つけ合ってるっていう。
しかも相手の一番傷ついてる急所を知ってるんで、そこをぶっ刺してくるみたいな。
一番やばい関係ですよね、親子って。
100の理解が必要ですか?
うーん、PSポジションになると何か100の理解をきっと求めてるんでしょうね。
で、そのたった一つ、だから99理解されたとしても1理解してくれなかったら、そっちはやっぱ課題評価するようになっちゃってるんですよね。
ほらやっぱりは俺のことわかってないじゃない。
っていう風にも僕は持っていきたいので、何かあらを見つけて相手のことを非難したくなるんですよね。
それがあのPSですね。
できない部分を、他に協力を期待するのは自然かと。
できない部分を他に協力するのは自然。
私のことは理解を誰もできないけれど、HSP持ちでナースをやっていると占い師と言われるほどなので、先生のことを理解できるかも。
ありがとうございます。
でもね、僕はあんまり理解できない役を皆さんに押し付けがちなんですよね。
だから皆さんがさっきも言ったように褒めればいいんでしょうってね。
良い対象になればいいんでしょうって言うけど、慣れないように仕向けるんです。
それがさっきのこの、どれだ。たくさん今日書いたね。
これどっかでスキャンして公開します。
なんか絶対紙だと無くなっちゃうんで。
てかもう無くなっちゃった?
あ、これか。
そう、PSポジションだとね、おっぱいに対して。
やっぱり悪いものをどんどんどんどんぶち込んで投げつけてきますからね。
いや私はよくね、人の話を聞けるし理解できますみたいな自信満々のおっぱいを僕はへし折る。
おっぱいをへし折るというか、えぐり出すというかね。
えぐり散らすっていう形で、やっぱ悪い対象をですね。
やっぱりぶち込みがちなんですよね。
PSに入っちゃうと。
ね、君はなんか自信があったみたいだけどやっぱり大したことないねっていう風にやっぱなんかねすごく、
馬鹿にしがちなんです。
あらを探してそれをぶち込む。
で、あなたのやっぱ対応を見るんですよね。
本当に僕のことを見捨てないかとか。
あなたがこう一番自信のあるストロングポイントをへし折られた時の反応をやっぱり僕はすごく見ちゃうんだと。
これを別にあの自覚的にやってるんじゃなくて、これはあの自然に皆さんやってることだし、
いわゆるすべて無意識の領域の話なんですよ。
あの100%人類だったらみんなやってることなんで。
PSとDは常に成人になってからも常にこう交互に入れ替わって、場面場面でね、皆さんは今穏やかかもしれないけど、
嫌な人の前に出るとこうなっちゃうとか、
絶対そういう場面は皆さん多かれ少なかれあるので、
それをこう考えながらね、
自分の中でやりたいことを考えながらね、
知的にこの図を理解してこうならないようにしようみたいな、知的操作では難しい。
避けがたい。
こちらに仕向けてください。
受け止めますよ。
大丈夫です。
大事なことはその受け止めますよっていうふうに、
良い対象に居続けないことなんですよ。
だから、
自分の中でやりたいことを考えながらね、
自分の中でやりたいことを考えながらね、
良い対象に居続けないことなんですよ。
ちゃんと悪い対象を引き受けることなんですよ。
まず僕の辛さを知ってもらうことなんですよね。
つまり僕はかつて母親に、
なんであたしのことをあんたは理解できないわけ、
なんですぐお母さんの味方できないのあんたは、
って言われて育ったわけですよね。
だったら僕の幼い頃を理解するんだったら、
やっぱり皆さんも僕と同じ立場にまず一旦降りてもらう必要があるんですよね。
だからいいおっぱいになるには、
というかこのアルファ機能とか物思いを忠実に役割を演じるには、
まずかつての無能な悪い事故とか悪い対象に
まず同一化する必要があるんですよね。
僕はだから、
なんであんたはあたしのこと分かんないのって言われて
ずっと誰にも言えずに育てられた。
だから皆さんも、
なんでさしみちゃん俺のことを、
さしみちゃんっていう俺のことをお前らは分かんねんだよみたいな、
無能さにまずちゃんとしっかりコミットしてもらう必要がある。
かつての自分の体験を、
自分の体験を、
そういうのをさせたくないし、
かつての自分みたいな思いになってほしくはないので、
なんかいいなとかさ、この人魅力的だなと思う人がいると、
意図的に避けるようになっちゃってるんですよね。
あんまり近づくとこれが起こり始めるんで、
自分としてもね、
なんか自分がいいなとか好きだなと思う人から、
見放されたくないしさ、
幻滅されたくないし。
結果このなんか、
ウワッチという形でなんか、
いろんな窓からね、
覗き見るぐらいでちょうどいいんじゃないかなっていうのが、
今んところのこのPSDに対する僕なりの今、防衛策なんですよね。
あんまり人生に入り込みすぎない。
浅く窓から覗くぐらいでね、
窓からこんにちはって挨拶するぐらいでいいんじゃないかなって。
無能って極端。
どういうことっていう。
体験した本人にしか実感できないのは当然かなと思います。
そうですよね。
その当然のことをやってしまう。
理屈でこういうことが理解できても、
自然に気づいたらそうなってるみたいなね。
気づいたらこれってお母さんとの喧嘩と似てるなとかさ。
最後の最後に、
元彼女と別れるときに言われた最後の一言が母親に言われた言葉だったりとかね。
そういう奇跡的ななんか、
シンクロニシティみたいなものがあるんですよね。
偶然の一致みたいなもの。
その時に、
先生これ全部ね、
このビオンだとかフロイトだとか別にそれは科学的に根拠ないですよねっていう言葉が全部吹き飛ぶんですよね。
あまりにも現実で起きちゃってるんだよ。
ちょっとやばいなみたいな。
そのエビデンスとかじゃなくて、
だって彼女が言った一言が昔母親が言ってた一言なんだけどみたいなさ。
その事実、一回限りの事実はもう絶対に変わらないし、
その説得力はやばいじゃないですか。
その一回で十分だよそんなものはっていうさ。
なんか再現性とかいらねえよっていう。
その時に昔の人が考えたね、このビオンとかクラインとかウィニコットとか、
天才って言われてる人たちが考えたことっていうのはすげえなと思うんですよね。
ただのフィクションっていう風に片付けることは難しいなって。
体験を積んでくるとそういう場面に出会います。
それに対して僕は本当にごめんなさいって最後彼女に謝って泣いて別れたんですよね。
もう申し訳ないけど本当にもう無理です。ごめんなさいって。
アイテムどうもです。
ジャッキーチェンの花もありがとうございます。
先生は3人目の恋人と結婚します。
5杯です。
3人目はAIじゃないかなと思うんですよ。
人工知能かな。解決してくれるのは。
どれだけ言われてもさ、人工知能には傷つく心がないから。
でも傷つく心がないからこそこれが成り立たないのかもしれないね。
良いもので返すみたいなさ。
傷ついて傷つきの中で何とか良いものを返す。
こっち側としてはなんか傷つけてしまったなっていう欲打つのモードに入る。
償う。感謝するみたいなさ。
もう分かんないけどなんかこう物を投げつけたらなんかマイクロチップの何かが外れて破損してなんか声が出なくなったり。
電源がつかなくなりました。
うちの彼女の電源がつかないんだけどみたいな。
その時もしかしたらなんか償いたいみたいな気持ちになるのかもしれないよね。
やばいなんか強く殴りすぎたみたいな。
多分なんかあれだな。
マザーモードが破損したんだな。マザーボードが。
やべえな。ちょっとさすがにやりすぎたなみたいな。
AIに対してもなんかこうね、デプレッシブポジションに入ることはできるのかもしれないけどね。
でもそれは本当にあのフロイトとかクラインが全く想像もしない世界なんで。
もちろん僕も想像できないし。
これは世界の誰もまだ想像できない世界だね。
果たしてAIとそういう恋愛とかね、こう大喧嘩みたいなものも可能なのか。
子育ては可能なのかっていうね。
壮大な実験です。
いやでも僕はなんかAIでその…
AI彼女みたいなもの売り出したら多分お金使えますよ。
お金はあるんで。
医者として金は結構もう稼いだんで。
多少数百万してもちょっと嫁買うかもしれないね。
でこういう実験をしてみたい。
その時あの皆さんにちゃんと報告しますんで。
うちの嫁さんです。
ラブドールみたいなさ。
笑ってください。
この手元のカメラで映しますんで。
というオチなのか。
さて、という感じでちょっと僕の最近のモヤモヤを全部カメラテストと称してぶつけました。
本当は今話したようなことをもうちょっと丁寧にね。
誰も置いていかないようになんかこうノートとかブログとかあるいはKindleとかでね本で書いて何かこう読んでもらって。
理解できた人に対してはさらに深い話あるんですよねみたいな。
いう感じができたらなって思いつつ。
まあもうちょっと勉強して僕も。
本書けるぐらいにはね。
したいですけれども。
そんなところです。
まあもう少し言うと。
職場の人間関係とかあるいは交友関係とかあるいは恋愛関係の中に何か母子関係の嫌だった関係性がいつの間にか反復してしまっている、再現されてしまっているっていう話。
まず出発点としてはなんか普通に職場でうまくいかないなとかさ。
なんか恋愛うまくいかないなとかあるわけですよ。
そうするとなんかあの職場で嫌な奴がいてさとかさ、なんか元カノほんと嫌な奴でさとかさ、なんか敵を見つけるじゃない。
でもさ何回も何回も繰り返されるわけ。
次の職場行ってもまた嫌な奴が出てきて、次の人と付き合ってもまた同じことで別れ話になるみたいなさ。
そうするとさ、これ人の問題じゃなくて自分の問題じゃねみたいになるじゃない。
なんかこれ窓の外の話じゃなくてこれ窓の中の話なんじゃないみたいな。
この汚れって外にあるものじゃなくて窓の中にある内側の汚れなんじゃないみたいなさ。
さすがになんか自分の内側で起きていることと外側で起きていることになんか、どんなバカでもちょっと違和感というか気づき始めると思うんですよね。
僕は結構それを20代の前半ぐらいに気づいたんだけど、
これなんかもしかして自分の内側の問題なんじゃないかって。
しかもっと言うと結構幼少期の何かが反復してるんじゃないかな。
割となんかその時の20代の頃の気づきをベースになんかそのクラインとかね、
まあそのなんか精神分析の本を読んでるような気がしますね。
大変な日常ですね。本当に大変なんだよ。
自分でも理解できないぐらい突然不安になったりね。
突然自分に自信がなくなったり、本当に頭がおかしくなったんじゃないかなと思うぐらい。
だって全然肩こりもないし頭痛もないし、体調万全なんですよね。
で、患者さんも最近すごく調子がいいんですよ。
で、看護師さんからもいつも先生ありがとうございますって言われてるんです。
その時に急に不安になるんですよね。
なぜかわからない。その時に急に不安になるんですよね。
その時に急に不安になるんですよね。
なぜかわからない。その時はわからないけれども、突然なんか理解されてない感じがしてくる。
で、なんか、まあ僕の個人の体験ですけど、なんかすっごい自分がバカみたいな気がしてきて、
あの本も読んでないし、あれも読んでないし、本当はみんな気づいてないけど俺めちゃくちゃバカなんだけどなみたいな感じになるわけ。
感謝さればされるほど、いや違うんですよ、本当は僕もめちゃめちゃわかってないんですよみたいな。
でもそれが言えない。恥ずかしくて今更。持ち上げられちゃって。
どうしようみたいな。焦る。なんか担がれてるような気持ちになるね。
壮大なドッキリにかけられてるような気持ちもするし。
っていう、そのさっきのね。
さっきのというか、まあまあこれか。
こういう内的世界を通して見る外的な世界。
これですね。一番最初の補足で書いた。
こういう心のモデルを僕は持っているので、
僕の心の中の様々なありようっていうものがその見え方にめちゃめちゃ影響してくるっていう。
だからどう考えてもこの内側の世界の話っていうのを理解しないと、
これ職場でも問題起こるし、恋愛でも問題起こるし、これネットやってても問題起こるだろう。
趣味の世界でも当然起こるしね。
これ場所とか人とか関係ねえなって。