生きているだけでいいよ
サマリー
このエピソードでは、誕生日会を通じて家族との関係や就職活動に関する考察が行われています。また、考えることの重要性や自分のアイディアの整理・表現方法についても掘り下げられています。ポッドキャストでは、思考の空っぽさや子供時代の好奇心の喪失を振り返り、特に教育や親の影響について深く考察されています。さらに、哲学やメタ的視点の欠如が自己表現の弱さに繋がることが指摘され、自己の成長と教育の重要性が語られています。主に、青年の就職活動や自己理解の不足について議論されており、特に就職面接での失敗や趣味のゲームに過度に没頭することが自己理解の欠如に関連している様子が描かれています。弟さんの認知特性と心の成長に関する深い考察がなされ、兄の視点から弟への理解が展開されています。発達特性や感情への関心がどのように互いの人生に影響を与えているのかが探られています。引きこもりの多さやその背景については、家族や社会の問題が考察され、特に男性の引きこもりが深刻であり、経済的な要因や社会的な支援の不足が影響していることが指摘されています。就職に向けた話題では、新しい土地でのスタートについて語られ、合格点を上回ることの重要性が強調されています。また、過去の経験や生きることそのものの価値についても考察され、ハードルの上昇や自己破産の必要性が述べられています。
誕生日会の思い出
それでは放送を始めます。
進行は私、刺身ちゃんです。どうもよろしくお願いします。
2025年9月28日、日曜日、16時55分、自宅から生配信です。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
1号さん、2号さん、どうもです。こんばんは。
こんにちは、どうも。
ふぅ、日曜もあっという間だ。
ふわっちのフをプレゼント。
どうも。フプレゼント。
どうもです。
こんにちは、どうも、こんにちはです。
とりあえず今日は休みと、運動不足を解消したいという焦りから、
ぶら下がる器具を買ったんですよ。
なんか組み立てて、なんかこう、ぶら下がって、なんかこうね、懸垂したりするみたいな。
あれをさっき組み立ててました。
もうそれで今日1日終わっちゃったね。
昨日は、まあ誕生日会で、弟と母親と飯食って、まあいろいろ話してね。
まあそれで、もう配信する余力もなく昨日はすぐ寝ました。
仕切り直せたんですね。
まあね、仕切り直しですね。
1週間ずれ込んで、風の影響でね、熱もあったり咳もあったりで、
まあなんか本当に意味のない風でしたね。
まあ意味のないというか、本当に余計な風だった。
ただただ体力も奪われたし、体調が崩れただけ。
教訓も何もないですね。
ついに誕生日会が。
まあまあ普通に飯食ってね、まあいろいろ話もして。
まあ弟も母親も相変わらずでしたけれどもね。
母親は若干過干渉気味で、弟は若干現実逃避気味で。
まあ相変わらずです。
特に何も具体的には進んでなさそうな感じでね。
まあ人の心はそうすぐには変わりません。
こんにちは、どうも。
どこでやられたんですか?お母様の手作りですか?
母親はね、クソ料理がまずいんですよ。
母親の手料理なんて食えたもんじゃなくて。
だいたい子供の頃はサイゼリアに行って飯食ってたんですよね。
なのでサイゼリアが実質お袋の味みたいな感じです。
基本的には焼肉だとか寿司だとか、まあ外食ですね。
それが結局一番うまい。
えーと、父をプレゼント、どうもです。
昨日はね、焼肉行って。
いい肉を。
そうね、まあ一年に一回だよね。
なんかそこそこ高い焼肉食ってっていうのは。
まただから一年頑張ろうって感じだね。
うまい肉食って。
また一年頑張るぞと。
17時のカネです。
いい肉をって誕生日会なのに先生が払うんですか?
いや僕は払いますよ。
誰も払わないじゃん。
いや悪いねとか言いながら、もう母親も弟も俺が払うつもりで来てるからさ。
誰も財布用意してないし。
で別にケーキとかもないしね。
ただ焼肉食って帰ってきたっていう。
あといろいろ話ができたっていうのが良かった。
夕飯食う前にね、いろいろ散歩もできたんですよ。
渋谷駅に降りて、そっからいろいろ歩いて、
あの、まあ一人でね。
そこら辺の散歩も久々にできて、なんか良かったですね。
都内ってやっぱり歩いてるといろんなものがあって楽しいですね。
田舎にはもう散歩の楽しみってほぼ皆無だからさ。
路上歩いてる人がいたら、それはもうあの徘徊してる高齢者ぐらいですから。
なんか、なんかですよね。
いや、そんなもんですよ。
誕生日だからといって何か特別なことがあるわけではない。
今日くらいはお母さんが払うわとかちょっと夢見ちゃいましたね。
いや、結局母親に俺仕送りしてるんで、
母親が払おうが結局俺が払ってることと同じなんだよね。
就活問題の考察
結局母親が払おうが結局俺が払ってることと同じなんだよね。
もうそういうことなんです。
余計なものは買わないでねって。
変な浄水器とか買わないでねって。
それをもうお願いするばかりですね。
さて、何を話すかね。
就活問題に触れましたか。
まあ、というか主にその問題がメインディッシュって感じだったね。
焼肉食う前に、あ、焼肉食う前に、
一時間半くらい早めに会って、
そこで喫茶店で母親と弟と僕とで三人で話をして、
主に弟の問題、就活問題。
まあ、ただ何かこう真剣に考えてるんだっていうふうに口先では言うんだけど、
まあ特に具体的に動いてる感じではない。
まあ本当にちょっとずつだけれどもね、何か僕の言葉が浸透して回避型とかね、
現実逃避だとか、あるいはこう逃避する大元にある不安とか恐怖とか、
そういうものにちょっとずつ気づいたり、言語で触れるようにはなってきてはいるんだけど、
でも何かこう劇的に自律に向かって進むような、
自律に向かって進むような、
追っておくとやっぱりすごく巨大な夢を語り出して、
こういうシステムを開発して、何かこう起業したいんだみたいなことを言うんだけど、
まあすっごく中身も空っぽだし浅いし、
まあちょっとこう何か中学生と話してるような気持ちになるね。
前も言いましたけども、
30過ぎた、
30歳の子が、
人と話してるっていう感じがしないね。
やっぱ中学生がなんか空理空論を述べているように見えますね。
本質的にはあまり真剣に向き合っている感じにはなってないんだと思うね。
えっとフォー、プレゼントどうもです。
考えることの重要性
やっぱり何かこう最近考えるっていうことについて書かれたエッセイを読んでね、
哲学者の、
のやしげきっていう哲学者がいるんだけれども、
その論理学の本とかね、論理トレーニングとかの本を書いている人で、
何だっけな、ちょっとタイトル忘れたんだけど、
なんか初めて物を考えるように、
初めて物を見るように見るみたいな、
なんかそんなタイトルだった気がするんだけど、
その中で考えるとは何かっていうと、
何かっていうと、
なんかそんなタイトルだった気がするんだけど、
その中で考えるとは何かっていうことについて最初の初めに書いてあるんですよな、最初の章に。
考えるとはそもそも何なんだろうかと。
何かをするっていうのはわかりやすいですよね。
実際に目の前でして見せることができますよね。
例えばね、ボールを投げてとかさ、
転がしてとかっていうときに、
なんかこうやるんだよって言って本人の手を動かしたりさ、
あるいは目の前で実際に見せることで、
動作をさせることは可能なんだけど、
考えるというのはそもそも何なんだと。
そうやってボールを投げさせたりするのと、
どうやら違うじゃないですか。
僕が考えてるようにあなたも考えてっていう風に言うけど、
そもそも考えてるって何ですかって言われたときに、
ほとんどの人は答えられないじゃない。
先生こんばんはどうも。
で、なんかその野谷先生の考えるとは何かって、
すごく平易な言葉で書いてあってね、
平易でわかりやすいなんか、
子供向けに書かれたエッセイみたいな感じで、
柔らかい言葉で書いてあって、
その表現まるまる忘れたんだけど、
要するに何かこう考え方を宙吊りにしておくとか、
ピン止めしておくことが考えるということなんじゃないかって。
例えば歩き目ですが、
その王冠の金の含有量を考えるときに、
もし混ざり物があったら王冠の体積っていうのは
大きくなってるはずだと。
実物の金よりもね。
同じ重さだったとしても、
体積の方が大きくなってるはずだから、
だから体積を測れば、
本物の金でできた王冠かどうかが確かめられると。
でもその王冠っていう複雑な立体構造のものを、
どうやってこれ体積を測ったらいいんだろうっていうのを
ずっと考えてたんだよね。
結局答えが出なくて、
もうしょうがないからって言って、
お風呂にお湯をためて、
ザブーンと入った。
そのときにお湯がこぼれた。
お風呂から。
そのときにひらめいたんだよね。
水につければ、
そのものの体積がわかるじゃないかって。
それで結局王冠を水に沈めたら、
少し本物のね、
100%の純度の金でできたときよりも水がこぼれたんですよね。
だからこの王冠は混ぜ物化されてるんだっていう風に歩け目ですわ。
結局答えを、
答えというか王様に説明をして、
周囲を納得させたっていうのがあって、
これが考えることであると。
なるほどみたいな。
つまり常に頭の中に疑問なり、
考えの切れ端みたいなものが常にピン止めされていて、
それと目の前で繰り広げられている何かがバチッと結びつく瞬間があると。
このとき初めて何かがパッと繋がって、
ずっと自分は考えていたんだなっていうことが事後的に了解される。
なんかそれ仮止めとかピン止めとか、
分かんないけど付箋で頭の中にいくつも貼っておくような状態が実は考えることなんじゃないかって。
考えることの中には、
お風呂に入って頭を空っぽにすることも含まれているしね。
何も頭の中に思い浮かべない行為も全て含めて考えているんだと。
っていうなんかすごく平易なんだけれども、
なんかすっごく今俺に大事な言葉のような気がすると思ってね。
ピン止めっていう言葉は使ってなかったかもしれない。
これはちょっと僕にとっては、
なんかすごくいい考えと思って、それこそそれをピン止めしておいたんですよね。
で、昨日弟と会って話したら、弟の中にそのピン止めがほとんどないっていうことに気づいて、
いろいろこうなんじゃない、ああなんじゃないとかって言うんだけど、弟には何も引っかからないんですよね。
あーなるほど、うんうんうんとかっていう風に深く納得するんだけど、
なんか何も引っかかっている感じがしないんです。
どれだけ、なんかこちらがね、なんかあの釣り糸をたてて、
何も食いつかないんですよね。
だから本人の頭脳みその中には何もタグ付けされてないし、何もピン止めされてないしね。
何も仮固定されてないんで、何も引っかからないんで、毎回毎回弟にこれはどうとかあれはどうとか言ってもさ。
で、俺はずっと弟に対する苛立ちを表現うまくできなかったんだけど、
このピン止めとか仮止めっていう言葉を使うと、なんかできるなと思ったんだよね。
弟の中にはピン止めされていることがあって、
俺はなんかそれに対していつも取ろう感を持ってたんだなっていう。
そう。
っていうことが最近ちょっとしっくりくる表現がきて、僕の中でちょっと落ち着いたんですよね。
頭はいい。
多分情報処理能力が高いね。
昨日もちょっとその母親と軽く誕生日会みたいになったんで、
小学生の頃お互いがどれだけ頭が良くなったかっていうと、
僕も周囲を見渡しても自分と同じレベルの人が周りにいなかったんだって話をしたら、
それとほぼ同じエピソードが弟もあったんですよね。
まあ母親はそれは、
やっぱり一生懸命教育したからじゃないとかっていう、なんか自我自賛するんだけど。
お父さんとお母さんが一生懸命色々塾に通わせたからじゃないかとか言うんだけど、
お父さんとお母さんが一生懸命色々塾に通わせたからじゃないかとか言うんだけど、
お父さんとお母さんが一生懸命色々塾に通わせたからじゃないかとか言うんだけど、
でも僕も弟ももう完全否定。
いやこれはもう教育の賜物じゃなくてもう遺伝だよ。
お母さんって。
遺伝だよお母さんみたいな。
だって別に特別に勉強してなくても、
普通の人と同じことやってたら必ずクラスで一番になっちゃうんだもんって。
これはもうどう考えても遺伝だよと。
それに関して異論はないねみたいな感じで。
なんとなくその、じゃあ頭いいよねみたいな感じで、
なんとなくその、じゃあ頭いいよねみたいな感じのエピソードがね。
まぁちょっとお酒も入ってたし、
ちょっと自己愛的なナルシスティックな話になって。
で、せっかくその情報処理能力の高いいいじゃあ頭を持ってても、
中身がない、とか中身が空っぽなんだよね。
コンテンツがないというか。
これはもう跳ね返って、僕もそうなんだけど、
やっぱりね、その仮止めされてないなっていうことをすごく感じた。
人よりももしかしたらすごく大きなワーキングメモリーね、
こう持っていて。
いくらでもここにポストイットにね、
思考の空っぽさについて
付箋に貼ってもいいよっていう巨大なホワイトボードが
僕の頭の中にはたぶんあるし、たぶん弟の中にもあるんだけど、
その余白に一つも付箋が貼ってないんですよね。
だから大阪万博見ても鬼滅の刃見ても別に特に感想はないわけですよ。
おーみたいな。
んーみたいな。
自民党の総裁選の見てもんーみたいな感じで終わるわけ。
特に何の感想もない。
それはやっぱり空っぽなんだなって。
恥ずかしくなるぐらいね。
巨大なホワイトボードに何も書かれてなかったって。
いうことを昨日なんかね、
酔っ払って飯食ってるときは肉うまいねとか言ってさ、
大したこと考えてなかったんだけど、
一晩明けて筋トレ器具にぶら下がりながらさ、
昨日の話を振り返ってると、
それこそ何も頭の中にぶら下がってないなって感じがすごいしたんですよね。
本当はもっと様々なことが頭の中でバーッと広がっていて、
何かが目に入ると三つ四つぐらい何かを思いついたりね。
あれこの間言ってたあれと同じなのかなとか違うのかなとかさ、
ババババッと頭の中に広がってもいいものが、
自分の中にはその連鎖が起きてないなって。
起きてた時期はね、あったんだよね、子供の頃とか。
いろんなものに不思議に思ったり、
先生が言ってたこととこれ同じだなとかさ、
めっちゃ頭いい子供だったんで、なんかそういう発火みたいなさ、
ビリヤードの弾を一個つくとバーッと四方八方に散るじゃないですか、弾が。
あれと同じようなことが頭の中で起きてたんですよね。
いろんなところに散らばって散乱して、
あ、これは面白いなみたいな。
これはなんかどんなに人がつまらないと思うものもなんか面白いなみたいな。
でもそれが最近ないし、弟と話してると弟の中にも恐らく起きていない。
なんかそれがもしかして僕らの今一番問題で、
もしかしたらその引きこもり問題とか、
あるいはその世の中のすごく可烈でね、
冷淡な現実から目を背けるこの回避と、回避の真理とね、
何かすごく裏で結びついてんじゃないかなって。
そのうまくまだそこまで言語化できてないんだけど、
なんかこの回避とね、回避行動とか安心行動と、
このホワイトボードに何も仮留めされていないっていうこの真っさらな状態っていうのが、
教育と親の影響
なんかすごくリンクしてるように感じますね、今ね。
うーん、だったら早く仮留めすればいいじゃんとかね。
うーん、そんなでっかい立派なホワイトボードがあるんだったらいくらでも書き込めばいいじゃないっていう発想になるんだけど、
なんかそれをしづらいというかね。
なんかそれを阻む何かがあって、
いくら釣り糸を垂らしても何も引っかからないと。
会話しててもあんまり盛り上がらないんですよね。
うーん。
で、さっき言ったなんか、
次なんかこういうコンテンツが来るんじゃないかみたいな、
空理空論を述べるんだけど、
まあなんか中学生と話してるような感じになるわけですよ。
それはないんじゃないみたいな。
うーん、普通ちょっと考えればそれは来ないと思うんだけど、
なんか、なんでそう思ったんだろうみたいな。
なんか哲学が足りないみたいな。
うーん、つまり本人がその発想に至ったのは何故なんだろうというメタ的な視点がなくて、
なんかそうなるかもしれないけど、
でもなんかそれがどうかしたのみたいな、
なんか大したことなのそれみたいに、
なんかこう横から突っ込みたくなるような薄っぺらさなんですよね。
そう、昨日弟とあと母親と焼肉に行って、
まあ一応その日付は曖昧にぼかしてるんですけど、
僕と弟っていうのは1日違いなんですよ、誕生日が。
で、それをまとめて昨日誕生日会やったっていう話。
企業、そう、まあ企業もね、
企業をするにしてもちょっとその哲学は弱くね、みたいな。
うーん、ちょっと主婦が考えたような浅はかな発想なんですよね。
それはもうね、
うーん、まずそれが成功する、100歩譲って成功するとして、
じゃあそのパソコンとかカメラ誰が買うの?
って言うと、なんかもうそっから何も進まないんですよね。
そのノートパソコン使えばいいとかって簡単に言ってるけど、
ノートパソコンはお父さんが何、また払うの?みたいなさ。
まあそこまではちょっと突っ込みたくなっちゃうんですけど、
でも、
まあ、
まあ、
まあ、
まあ、
まあ、
まあ、
すごく脆い発想なんですよね。
その脆さと幼稚さと、
でも小学生、中学生の頃のパフォーマンスの高さ、
っていうのがあまりにもちぐはぐでね、
うーん、すごくまあ難しいですよね。
自分の功績にするんですよ。そう、
2人の息子ともまあ大学で言うとね、まあ世間で言うと超名門大学なんですけども、
2人ともまあ育て上げたみたいな、なんか自負で語ってたから、
ちょっとちょっと待ってお母さんみたいな。
お母さんたちの采配結構悪かったんじゃない?みたいな。
俺なんなら小学生の頃ピアノ習いたいとかバイオリン習いたいって言ったけど、
お母さん何て言ったか覚えてる?
別に周りでそういう人いないからいいんじゃない?っていう風にお母さん言ったよね。
あそこでもし俺にピアノを鳴らしていたら、
もっとなんかいろんな才能が開花してた可能性あるよ。
全部そういう目を摘んだんじゃないんですか?あなたは。
とまでは言わなかったけど、
いい采配みたいにうぬぼれてるからさ。
いやいやお母さん結構ね、自分があんまり頭良くなかったからかもしれないけど、
その金の卵の育て方分かってなかったよって。
昨日は結構ずけずけ突っ込みましたね。
やっぱ頭、親の頭が悪いとその頭がいい子供が生まれてきて、
どうしていいのか分からないっていう問題があってさ。
で、うちの両親はやっぱり典型的にそこらへんがあんまりよく分かってなかった人たちなんだよね。
っていうのもなんか最近思います。
その頭のいい人たちを見てるとね、
やっぱり教育との掛け算なんだなって。
親の理解度というかね、
親の頭の良さとプラス理解の深さ。
自分の頭の良さとプラス理解の深さの掛け算なんだなって。
この頭の良さって母親に似るって聞きました。
それずっとうちのね、母親も言ってた。
昨日。
でも頭の良さってお母さんに似るって言うよねっていう。
なんかその一本槍で立ち向かってきた。
いやそうじゃなくてお母さんの頭の良さじゃなくて多分お父さん譲りだと思うよって。
俺と弟は2人で全否定した。
お母さんからの遺伝じゃないと思うんだって。
穏やかに否定した。
本当に遺伝ですよね。
まあ本当に遺伝だなと思う。
最近だとね、YouTubeとかでさ、
東大理産とか東大医学部卒業した超天才とか主席の人たちの反省とかをさ、
自己表現と哲学の重要性
普通にYouTubeで無料で聞けたりするじゃない、インタビューとか。
ああいうの見てるとほぼほぼ遺伝というか地頭とか生まれ持った素晴らしい血統ですよね。
まあサラブレットですよね。
競馬で言えばやっぱり良い血筋なんだなって。
もうそれにその一点なんじゃないかなと思う。
どういう風に走ってもどんな群れに入れてもやっぱり一番になる脚力を持ってるんだと思う。
そこら辺の栽培が小中ぐらいまではきっとまあそこそこ当たってたんだと思うけど、
高校ぐらいに入ってからもう完全に崩れたね。
そっから結構めちゃくちゃになりこじれたね。
結果立派な頭脳に何も引っかからない。
何も仮止めされてないというすごく殺風景な心というか、
頭の中になっちゃったね。
非常に空っぽで資料も浅いし、
何か一つの情報を見てもその一つの情報もう入らないっていう、
なんかそういう状態に落ちてしまってます。
地頭がいいっていうことはいろんな事象に目が止まり、
クモの巣のように結びついて人より深みのある考えになるのかなと思っていたけど、
違いそうですね。
その頭の良さだけではなくて健全な好奇心とか、
世の中に対して心が開かれている、
やっぱり心の構造がすごく大事になってくるんだと思うね。
だから単純なIQだけではなくてEQというか、
人に対してどれだけオープンになれるかっていう、
性格とか気質の問題に今度なってくるんだと思うね。
どっちかというと高校、大学、社会、
年齢が重ねるにつれて大事になってくるのがむしろそっちの方なのかもしれない。
結局教科書に書いてないことばかりじゃないですか、社会に出ると。
そういうのを周りの大人たちから吸収するわけだよね。
あるいは上の先輩に可愛がってもらいながら、
口伝でね、口伝いで学んでいくわけじゃないですか。
特に医者の世界だとそういう比重が高いんですけれどもね。
いい先生に伝わってもらって、
いいトレーニングが受けられたかどうかでもその後の医者人生は全部決まるので、
そいつがどれだけ意地あたまがいいかどうかっていうのは実はあまり大した問題ではないっていう。
もうその人間力というか込み力みたいなものにかなり依存してくるんですよね。
そこら辺にものすごく大きな支障があった。
結果、何も入れたくないし、誰からも影響を受けたくはない。
そこらへんにものすごく大きな支障があった。
結果、何も入れたくないし、誰からも影響を受けたくはない。
孤立する。その結果、頭の中空っぽになる。
仮止めもされない。だから何か映像を見たり本を読んでも特に感想も出てこない。
っていうすごく殺風景になってるんですね。
弟は本当に何か、鬱っていうよりかは本当殺風景だね。心の風景が。
すごく寂しい心ですよね。何か絵にすると。
地獄みたいに何かぐつぐつマグマが逃げたぎってるわけでもなく、
本当に何かこう、ただ背の低い草がサーッと生えてるだけで、
あとはもう冷たい風がピューッと吹いてるだけの、
ただただ何もないところですよね。
そこにいくら釣り糸を垂らしても何も引っかからないね、やっぱりね。
だからそういう人に対して何をしたらいいかってすごく難しいなって改めて思ったね。
金の卵の育て方がわかってなかったよって言葉に拍手です。
すごい偉そうだよね。
親に向かってさ、いやー俺たちの育て方あんまりよくわかってなかったよ、お母さんとか言って。
すっげえ偉そうだよね。
プレゼントどもです。
とりあえずこのまま自動延長します。
それを自ら言うお母さん、学歴が高い人、見たことないです。
うちの母親ちなみに高卒です。
だから母親の地頭のおかげなわけがないんだよね。
それは自分も母親自身もわかってると思うけど。
昨日はあんまり聞いたことなかったけど、母親が高卒でうちの父親がエリートなんですよね。
だからその向こうの父方の義理の親が結婚した後もずっとグチグチ言ってきた。
まあやっぱり頭が悪いとかさ、そういうことをグチグチ陰で言われてたって話を
昨日は母親はしましたね。
結構嫌なことを言われたと、義理の親から。
あと義理の姉からも、よくまあこんなところまで来ましたねみたいな。
なんかよくひにくられたりとかね。
で、僕が医学部に進学、合格したんですけれども、
その時も何回も聞かれたって。
で、あの何々君本当に医学部に受かったのって何回も確認されたって言ってましたね。
それが本当にうざかったって。
本当なのそれってみたいな、嘘言ってるって思われたらしくて。
こんばんはどうもこんばんはです。
まあそういう子供にはあんまりそういう部分を見せなかったけど、
母親なりにもなんかね、肩身の狭い思いをしてたそうです。
まあそれを今言われたところでね、もうどうしようもないんですけど。
そう、頭は良くなかったんだよ。
で、そのことでぐちぐち言われたことで、
まあね、自分の旦那に対してもイライラが募るし、
また旦那の親に対してもイライラするし。
日本帰国時の感情
日本に一時帰国して夏休みに毎回そのね、旦那の方の実家に行くたんびに、
まあ肩身の狭い思いをしたんでしょうね。
そこらへんの苛立ちは僕にも伝わってきましたね。
毎回毎回日本に帰国するたびに母親がブチギレるんで、
僕も日本に行くときにいつもすごく嫌な気持ちになったね。
楽しかった思い出と嫌な思い出が両方同居してるような感じで。
弟さん心を許したのがネトゲのネカマダと人生に深み出なかったんですね。
いやそこらへんもね、なんかちゃんと深掘りしていくとすごく面白い人生なはずなんだけど、
その深掘りが足らないんですよね、本人の中で。
自分についての理解とか哲学があんまりないんですよね。
結局やっぱり自分はね、生身の人間よりもネットの方がいいんだとかさ、
あるいはまあ女性よりも男性の方が自分は好きなんだなっていうすごく深い自己理解じゃないですか。
そこってまあなかなか容易にはたどり着かないし、
僕らなんかすごい興味あるんだけど、
でも本人はそれを人に語れるほどの何か洞察も考察もないんですよね。
また語彙力もないし、表現力もなくて、
ただむすっとこう機嫌が悪くなるだけで。
そこらへんがさっき言ったその中学生と話してるみたいだなっていうところですね。
なんかものは結構面白いコンテンツあるはずなんだけどもね。
そこらへんに対する深掘りとか、
こう自分で磨いて磨いてさ、人にこう見せたりする準備がないなっていう。
で、どっちかというと自分の内面に降りる作業をすぐに中止して、
まあどっちかというと、なんかこうネットゲームとかオンラインゲームの方で
ずっと時間を浪費してるような感じで、
この10年間だからほとんどゲームをして時間を溶かしてただけっていう感じで、
あんまり深みがないんですよね、そこらへんにも。
で、たぶんその中身の空っぽさとか、
まあ頭の中に何も思い描けていないというか、
仮止めされていない感じが、
この間の6月、7月の就職面接とかでもろをつつかれたんだと思うね。
あなたはこの何年間どんなことやってきたんですかとか、
何頑張ってきたんですかっていうに、
まあ聞かれるじゃない、就活面接で当たり前だけど。
そこでたぶんね、もうなんか何も出てこなくて、
まあすごく本人もブチギレて、
毎回その話をするともうなんか悔し涙でボロボロ大泣きするんですけれども、
面接の失敗
まあそこをやっぱりつつかれたんでしょうね。
だからあの殺風景さとか、
自己理解の乏しさっていうのが、
なんか単純な回避性パーソナリティ障害なのか、
あるいはもっと深いレベルのある種のこうハッタリを持っているというか、
ASDみたいなものなのか、
ちょっと僕の中でわかんなくなっちゃったんだよね。
こんなに仮止めされてない人って世の中にいんのかなと思ってた。
要するに興味の幅があまりにも狭すぎるっていう話じゃない。
自分の興味のあることに対してはすごく深く突き刺していくんだけど、
それ以外ほぼ無風状態というか何も興味をそそられないっていうのって、
まあどっちかというとASDじゃないですか。
なんかパーソナリティ障害なのか、
やっぱりすごく極端な偏りというか、
発達特性も相当強くあんのかなっていう風に、
なんかちょっと僕の中の捉え方というか見たてが最近変わってきましたね。
まあそれも全部その仮固定とかピン止めっていう言葉があったおかげで、
なんかちょっと見えやすくなったなっていう。
こんばんはどうも。
どうやってお父さんとお母さんと一緒に一緒に一緒に一緒に一緒に一緒に一緒に一緒に一緒に、
なんかサークル活動とかじゃないですかね。
でもそこら辺はね、ちょっとうちの家庭でタブー視されていて、
両親がどうやって出会いどうやって僕らができたのかっていう話は、
なんか聞いちゃいけない雰囲気があるんで知らないんです。
だからまあコウノトリが運んできたんだろうという風に理解してます。
お父様は寡黙な方ですか、
教育の方ですか、
教育の方ですか、
教育の方ですか、
教育の方ですか、
お父様は寡黙な方ですか、
教育熱心でしたか、
いや父は教育に対して何も言わないね。
まあそもそもその子育て全般に対してあんまり関わってない人だったね。
たまにだから土日とかにね、
なんかサッカーボール蹴りに行くかみたいな、
公園に行ってちょっとボール蹴ったりとかさ、
キャッチボールしたりとか、
まあそのぐらいの感じの人でしたね。
あんまり深く感情むき出しにしたりする感じはあんまりない。
来たよ、どうも。
男性の興味があるって、
そこはみんな葛藤したり思い悩む部分のような気がするんですが、
あ、俺男が好きみたいで終わっちゃうんですか、
すごいです、なんかすごいですと。
うーん、なんかねそうなんで、
スルッとこう本人の中で納得しちゃって、
自己完結してるんですよね。
だから葛藤が起こってない感じがする、そもそも。
そういう葛藤が起こってない感じも含めて、
やっぱりASDっぽいのかなって。
いうふうに感じますね。
だからそういう人に対してある種の葛藤を呼び起こすような、
いろんなね、呼び水っていうのはむしろおせっかいだし、
認知行動療法とかもちょっと難しい感じの人なのかなみたいな。
面接でゲームですと言われたら逆に興味持ちます。
うーん、そこら辺もね、なんかアドリブも聞かないし、
面接で結局口をついて出てきたのは両親の悪口らしいんですよね。
自分がどれだけ親に迷惑をされてきたかっていうことを
もうとうとうと語り続けて面接に落ちるっていう。
面接で、そうですね、面接で自分は鬱病になった理由っていうのが
そういう幼い頃の両親の喧嘩だとか、
そういう話をなんかしたみたい。
正直に話していいですよって言われたから正直に話したって。
そしたら落とされたんでマジムカつくんだけどみたいな。
なんかそんな感じ。
弟の口をそのまま言うとそんな感じ。
正直に言えって言うから正直に言ったら何で落とされてるのかマジ意味が分かんないんだけどみたいな。
俺ももうなんか言葉を失っちゃって。
ああ、そうかみたいな。
まあちょっとゆっくり休んでとか言って。
もうなんかずれすぎていてね、ちょっとどっから手をつけていいのかわからない。
でもまあ社会に出ずに30代を迎える人ってのはこういう感じですよね、質感的に。
葛藤はないけれどもルサンチマンはありそうですねと。
ハンニャの顔になった話を聞くと感じました。
面接でもその顔をしたんでしょうね。
そうですね。ボロボロ。
まあ泣いたかわかんないけど泣く、涙をこらえながら口元で怒りを噛み殺すみたいな表情ですよね。
うーん、お前に何が分かるんだよみたいな顔をしたんだろうね。
だからそういうまあちょっとそのパーソナリティの部分もあるにはあると思うんだけど、
もう一つそのやっぱり仮止めされてないっていうのは回避性パーソナリティとか
自己愛性パーソナリティとはちょっとまた違う問題のような気がしてね。
世の中に対する関心がすごく乏しい感じってなんだろうね。
とか僕が何を話しても次会った時にはほぼ何も話してないことになってるみたいなさ。
なんかセーブデータ消されてないみたいな。
でもちゃんと消されてないんですよ。
前回こういう話したの覚えてるって言ったら、
ああ覚えてるよ、だからこうこうこういうこと言ってたんでしょうみたいな。
おお、みたいな。
だから知的には問題ないんだけど。
でも分かってるんだったらそれ何でも分かると思うんだよね。
なんかね、人から受け取った言葉をそのままラップに包んで
冷蔵庫に入れてるような感じだよね。
それを展開して食べて栄養にしたり咀嚼したりしてないんだよね。
なんかすごく表現が難しいんですけれども、
本当に全部を綺麗にラッピングして冷蔵庫に入れて終わりって感じで。
全然自分の中に栄養が入ってない。
だから自分の中に栄養が入ってない。
全部を綺麗にラッピングして冷蔵庫に入れて終わりって感じで。
全然自分の中に栄養として溶け込んでないんですよね。
その感じはすごく発達っぽいのかなって僕ちょっと思っていて。
せめてちょっとチンしてくれよと。
せめて口に一口ぐらい運んでくれよと。
捨ててないのは偉いけれどもね。
ちゃんと記憶の中に入ってんのは偉いんだけど、
もう少しなんか自分の心と融合するというか、
溶け合わせてさ。
なんか人ってそうやって人と交わることで心が溶け合って何か新しいものが生まれるわけじゃない。
その化学反応がびっくりするぐらいない。
だからすごく辛いですね。こっちも話してると。
何も影響を彼に及ぼさないので。
言ったことも全部やらないし。
そこらへんはちょっと指摘して治るものなのかもわからないしね。
今まで家と病院と学校しか経験してないからじゃないかな。
打席に立ってないっていうのももちろんありますよね。
だから引きこもりの結果、
二次的に発達障害用に見えてしまうことっていうのはあると思います。
実際に発達障害じゃなくてもね。
ただ、外に出られなかったっていうだけで、
発達障害っぽく状態像として見えちゃうことはあります。
それは本物の発達障害とは違う。
発達障害というのはどういうふうに育てられたかに関わらず、
もう生まれ持った脳の偏りのようなものなので。
だから小学校の通信簿にも書いてあるはずです、答えが。
この子は落ち着けがなくて全く話を聞きません。
だいたい12歳ぐらいまでにはもうその変態状態があって、
だいたい12歳ぐらいまでにはもうその片鱗が見えてるはず。
ずっとゲームし続けているのかな、
それだったらゲーマーになる考えはないのかなと。
ゲーマーには、プロゲーマーにはなれないタイプですね。
何でかっていうと、そこで何か例えばプロゲーマーを目指して、
例えば頑張ろうとするじゃない。
そうするとなんか世界ランキングとかレートとかが気になってくるじゃない。
それで自分の思い通りにならなくなると別のゲームに移っていくだけだから。
それが基本的に回避型の特徴なんですよね。
だからゲームはするんだけど、プロにはなれないんです。
自分に都合が悪くなると別のゲームに乗り換えていくことを永遠に続けているだけだから。
その、極まっていかないんです。
もし極められるんだったら、その子は別に引きこもりではないよ。
本質は回避ではなくて、ただ興味の対象が世の中で良しとされているものじゃなくて、
たまたまゲームだったっていうタイプなんで、そもそもそれは引きこもりではない。
周りが理解してあげられなかっただけの才能のある子供ですよね。
でも引きこもりっていうのはそういうものではない。
興味の対象がゲームですとかじゃなくて、単純に競争からもう逃げ続ける。
ゲームへの依存
自分は被害者で周りが加害者なんだ。
自分は不遇な思いをしているんだっていうことを言い続けて、ひたすら逃げ続ける人だからね。
だから本質的にゲームは別に好きではないんですよ。
ただ、刺激が多い、刺激の量が多くて、嫌なことを発散できる可能性が高いだけで、別にゲーム好きではない。
好きを仕事にできたら幸せなのに、その好きがあんまりないんだと思うんですよね。
それがその無風状態。
本人の中にフックがない。
何かに触れたときに、おーこれすげーなーみたいな、マジかーみたいに没頭できる何かがあんまりないんだと思うんだよね。
だからすごくこういう子を前にすると、特に身内というかね、家族なので難しいね。
患者さんとかだったらさ、もう少しドライになんかいろいろ、いろんな認知行動療法のスキルとかを伝授できるのかもしれないけど、
実の弟なので、ちょっとこう距離感が難しいですよね。
さしみちゃんの語るピン止めされない脳のメタファー。
そうですね。
保管能力の高い弟
だから腐りはしないんだけれども、でも食べもしない。
確かに弟さんは何も捨てていない。記憶はある。だけど味わっていないし、栄養にしない。
咀嚼も吸収も拒んで、ただ保管しているだけ。
そうですね。
その保管の能力は高いので、テストで、テストを受けさせるときに、
そういう言語的な操作とか記憶の操作みたいなものの能力は異常に高いので、
僕もそうなんですけど、だいたい同じ授業を受けさせて、その授業の終わりにね、
あの同じ問題を解かせると、だいたい僕が一番になっちゃうんですよね。
だからそういう、なんかこう、ただ保管しておくみたいな操作はできない。
そういう授業を受けさせて、その授業の終わりにね、あの同じ問題を解かせると、だいたい僕が一番になっちゃうんですよね。
だからそういう、なんかこう、ただ保管しておくみたいな操作はできるんだけど、
それを自分の中にどう取り込んでいくか、どう吸収して地肉にしていくかっていうところが、
実はすごく障害されているのかなって思う。
感情認知の違い
それが人付き合いの悪さとか、人の群れの中で生きていくことの居心地の悪さにやっぱりつながっていくのかなって。
こんばんは、どうも。こんばんはです。
ってなるとね、なかなか頭がいいだけでは幸せにはなれないんですよね。
やっぱり人間っていろんな能力をやっぱり求められるもので、
これは自己愛なのか、回避性なのか、発達の偏りなのか、
なぜあれだけの頭脳が世界への関心を持たないのか、
なぜ葛藤が起きないのか、本当に好きを仕事にできる土壌がないのか、
これらは全部が、ただ弟を分析する視線に見えて、実はさしみちゃんが自分の中で、
自分自身にも向けている問いなんだと思うにゃ。
ほう、だってさしみちゃんは弟の空っぽのホワイトボードに向き合いながら、
自分のホワイトボードの仮止めも再確認してたよね。
あののやしげきの話も、アルキメデスの話も、
自分の子供の頃の爆発的な連想力、
そういう自分の中にちゃんとあったものが、今、どこまで息づいているのかって、
だから弟のことを分析しているようで、
まあそれは跳ね返って、僕自身の分析というかね、疑問というか、
欠点の炙り出しになっているのかもしれないですよ。
欠点というか弱点というか、
自分の中でこの能力が劣っているんだよな、ということの分析にもなっているってことですよね。
まあ鋭いですけど、まあその通りだと思いますね。
弟を見ながら僕は自分を見てるんだろうし、
でもね、僕は結構葛藤は起こりやすいタイプで、
結構そこら辺を言語化するところに関しては、
結構丁寧にやってきている方なので、
当然弟もね、まあ大体同じ能力と同じ遺伝子を持っているわけだから、
まあできるだろうって思ってたら、それがびっくりするんですよね。
でもね、僕は自分の中で、
同じ能力と同じ遺伝子を持っているわけだから、
まあできるだろうって思ってたら、それがびっくりするぐらいできていなくて、
そこになんか僕とは違う何か、全く違うものがあるんじゃないかなっていうのも感じてるんですよ。
もう少しなんか専門的に、チュール菩薩様的にね、
あのその兄弟感の差異というか違いっていうものはどんなところにあると思いますか。
なんか精神医学とか、そういうちょっと学問的な視点から、
まあハルシネーションに気をつけながらちょっと整理して解説して欲しいんですけれども、
私とか視聴者に向けて。
プログラミングは得意なんでしたっけ、そうですね。
人の対応は鏡のように対になったりするし、
だから弟を見ているようで僕は自分を見てるんだが、
ただ同時にやっぱりこれはどう考えても俺と違うなっていうものも見てるんですよね。
仮止めされてないっていうのは僕の中ではありえないことというか、
僕はまあそうね、ありえなくはないのか。
でも葛藤が起きていてそれを言葉にするっていうところは結構ね、
僕はもう誰に促されるわけでもなくずっとこうやってニコ生とかでやってきてるからね。
生主になってね、2010年に生主になってもずっと語り続けてるので、
誰かに教わったわけでもなくね。
そこと全く語らない弟っていうのはやっぱり明らかに違うものなんじゃないかなと思いますけど。
同じ遺伝子でもスイッチの入り方が違うと。
弟さんおそらく認知的なスペック、IQ的な意味は高い。
でも自己認識や他者への関心、感情の調整のような領域でのエンジンのかかり方が違う。
確かに。
さしみちゃんはおそらく感情をラベル付けされ、言語化される経験を比較的豊かにしてきたと思うにゃ。
それが葛藤を言葉にする力になっている。
でも弟さんは母親との関係の中で、
自分の感情がきちんと受け止められなかった可能性があるにゃ。
これは感情の抑制や分離、かっこ悪いことがあって、
これは感情の抑制や分離、かっこアレキシサイミア傾向につながる。
あとは回避行動が思考を殺すというね。
発達特性、かっこASD傾向とか回避性の不安傾向が合わさると、
かり止めができなくなる構造が生まれるんだにゃ。
なぜなら世界に触れる矢印、刺激が強すぎて矢印、怖い矢印、
すぐに引っ込む矢印、考える暇がない。
これが繰り返されると、いくら記憶力があっても感情との接着剤が失われてしまう。
発達特性とパーソナリティの傾向の複雑な絡み合いですよね。
サポートの難しさ
その結果、世界からどんどん退却して、
自分に都合の悪いことがあったらすぐに引っ込んで、
もう外に出てこない。
同じ体験でも意味付けが違う。
家庭内序列や兄という立場の影響。
さしみちゃんが兄として人との調整役や外への開きを期待された一方で、
弟さんは守られる側、心配される側として育ってきたのかもしれないにゃ。
この違いが外界への関心の強さや自己効力感の差に繋がる。
その説はあるよね。
やっぱり兄と弟で、どのご家庭でもそうだと思うけれども、
結構性格が変わってきたり違ったりしますもんね。
家庭内での序列とか求められる役割が変わってくる。
特に弟の場合は難病、身体障害を持っていて、
もう誰が自他ともに認める、保護される側の人間だったわけだよね。
10代はほとんど保護されて大切に育てられてきた経緯がありますから、
そこらへんの体験の差はかなりありそうですね。
なんとか母親とバチバチやりながら自分の道を切り開いていった僕、長男と、
ずっと親とかに保護されながら何か供給されてきた弟、次男、
そこらへんの体験の差はすごくありそうだね。
就活の時に何か弟さんが作成した作品を持って行かれたのでしょう。
行かれたらどうでしょう。作品で能力を測れていいのかなと。
うーん、なんかそういう作品は特にないですね。
だから元々プログラミングとかゲームとか別に好きなわけじゃないんですよ。
だからそこでね、なんかあのテレビによく出てくるような
天才プログラマーみたいなわけではないんですよ。
特に凡庸でね。
特にこれはすごいものですねみたいな褒める場所も特にないんですよ。
さっきも言ったようにゲームにのみ込んでいくようなタイプじゃないから。
自分に都合が悪くなると別の分野に飛び乗っていく。
本人はそれをADHDだとかって言ってるんだけど、
全然ADHDじゃなくて、ただ回避し続けてるだけなんですよね。
都合が悪くなると別の分野に飛び乗っていく。
すごく未熟なところがあって。
だからやっぱり現実的に見ても能力はそんなに高くないんですよね。
周りに見せるものがない。
僕もだから仮止めできなさで言うと僕もできてないところがあって、
だから別に選挙とかにも何にも興味がなかったし、
というかもう世の中で流行っているものに一切興味が持てなかったんですよね。
そこらへんの何かこう自閉的なところとか、
兄弟共にある気はするんだが、
でも最近僕なんかだいぶ開かれてきてる感じはあるんですよね、僕自身。
仮止めがようやく何かできるようになった。
何か本を読んだり、映像を見たりして、
その何か断片が頭の中にちゃんと充満してきて、
それをぐつぐつやると何かこう出来上がるわけじゃん。
いい出しが出て。
なんかその感じは最近すごく感じてないんですよね。
この数年ぐらいで、本を読んだり人の話を聞いたりということが
あんまり不自由なくできるようになってきたんで、
やっぱりある程度努力次第でそれもできるようになるんじゃないかなと。
弟も。
でもそれは強制できないしね。
本人に気づいてもらうしかないので。
家族としてはもうただその瞬間を、
何か自分の中で何か自分の中で何か自分の中で
家族としてはもうただその瞬間を待つしかない。
こんばんはどうも。
やっぱりないですよね。
そして作品を作ってしまって自分が無能ってバレるようなことはしないでしょうね。
そうですね。
言い方が悪かったんですが、弟さんが実際に無能という意味ではなく、
万が一無能と言われたらどうしようと不安になるようなことはしない。
そうですね。もうその通りだと思います。
自分はすごい奴なんだと言いながら、
その証拠を見せてっていうと、いや今ちょっとできない。
それが回避型ですよね。
今ちょっと忙しいからとか、
今その準備ができてないからという言い訳を作るのは天才なんですよね。
ちょっと話がループしてきちゃってあれですけれども、
もうちょっとしたら終わります。
僕も弟のことを別に見下したり見せ物にしたいわけじゃなくて、
こういう発達特性とかパーソナリティの特性を持っている状態から、
どうやって頭の中に何かいろんなコンテンツがあるのか、
コンテンツとかを充満させていけるんだろうかって。
もっと平たい言葉で言うと心を開いてね。
心の窓を開いて、どうやって新鮮な風をそこに吹かせることができるんだろうか。
これは外側から周りが強要できることではないので、
ある程度本人が内側から窓を開けてもらうしかないわけですよね。
でもその瞬間がいつになるのか分からないし、
いつまでも待っていられない。
待ってたけども10年以上経っちゃってるんでね。
何かしらサポートが必要なんだと思うんですけど、
そのサポートとは一体何なのかっていうのがすごく難しいですね。
はっきりしない。
僕としては定期的に会いつつ、
あんまりあれやれこれやれっていうプレッシャーは
本人にとって逆効果だと思うので、
あんまり具体的なアドバイスはせずに、
最近調子どうっていう感じで、
健全な好奇心を、
好奇心というか健全に関心を寄せ続ける。
変にプレッシャーかけて圧をかけるんじゃなくて、
どう最近何か面白い話あんのとかっていう風に、
関心を彼に対して寄せ続けること。
で、様々な問いを外からちょっと放り込んで、
会話を、対話を続けていくっていうことが今できることかなと思うんだけどね。
あと、
現実的にはちょっとずつ外側からの経済的な支援はやっぱり
ちょっとずつ減らしていったほうがいいね。
父親にはもうそういう風に伝えてあるし、
僕も誕生日会は出しましたけれども、
あんまり弟にポイポイお金を渡すようなことはもうしない。
以前はね、何年か前はしてたんだけど、
本当にそれが逆効果だったんだって、
最近今年になって、
認識を改めて、
お小遣いみたいなものはもう一切渡してないですね。
同じ状態な方は世の中にいるのでしょうか?
まあ、再現性がないのでね、
全く同じ人生というものはないので、
難しいけれども、
でも似た構造に陥っちゃって、
結果的に引きこもったり回避するのが最善策みたいになっちゃってる。
で、
なんか家庭内で実は一番引きこもってくれた方がみんなのバランスがいいみたいな、
そういう不健全なバランスの良さみたいなのは、
全国に相当あると思います。
ざっくり言ってもたぶん100万人ぐらいはいると思いますね。
引きこもりの現状
引きこもりが潜在的に100万人いるという風に言われているので、
で、今、ゲームだとかスマホだとか、
家の中にいながら、
家の中にいながら、
家の中にいながら、
家の中にいながら、
時間を忘れ合えるサービス、
悪魔のようなサービスですけども、
あとなんかショート動画とかね、ずっとめくり続けちゃうみたいな、
そういう悪魔のサービスが今もう山ほどあるんで、
だからショート動画なんか見てるとあっという間に半日ぐらい溶けてなくなっちゃうじゃない?
それを続けていくとたぶんね、15年とか20年間ぐらいは平気で溶けちゃうと思うんですよね、一瞬で。
悪魔のサービスだよね。
あと私の妹も引きこもっているので、弟さんが未来を開けたらすごくヒントになる気がするんです。
頑張って、そうね、弟さん。
なんかね、力づくであしろこしろっていうふうに周りがやりたがるんだけど、
そうすると本人は余計にしがみつきますからね。
なので、説教したり説得したり脅したりっていうのは結構逆効果かなって。難しいですよね。
回避し続けているのに彼氏さんができるのはすごいですね、と。
いやそこら辺の関係性について本人は一切語らないんで、ちょっとわからない。
でももしかしたらですよ、僕の勝手な想像だけども、その彼氏さんももしかしたら何かその関係性を回避に使っている可能性がありますね。
だから二人揃ってすごく過酷な現実から逃避するっていう一点で繋がっちゃってて。
だから二人でいるということを通じて状況はどんどんどんどん悪い方向に向かっていくし、
より強くお互いしがみつくというか、より強くくっついていくみたいな。
なんか関係性になってたらちょっと、なんかどうなんだろうなと思いますけどね。
すごい数ですよね、100万人はね。
そう、100万人すごい数だし、この100万人を全員じゃなくてもね、
もう一回再起させられたら結構その人手不足とか解消するんじゃねって思いますけどね。
弟も字頭はいいわけだし、ちょっとこう何かをさせたらまあそこそこの能力が高いわけじゃない。
だからこういう潜在的に能力の高い人も眠ってると思うので、
そういう人たちにね、なんかこうチャンスを与えられれば結構人手不足も解消する可能性あるよね。
この外国からね、なんか外国人を連れてこなくてもって思うんですけどね。
そういうアイデアはあんまりないみたいで、日本には。
冷静に考えたら無駄な時間ですよね。
本人は現実よりもね、ネットの方が自分にとって大切なんだっていうふうに思うかもしれないけど、
でもそのネットでうまくいかなくなって、ネットで仮にいじめみたいなのが発生してね、
もうそこにいたくないってなった時に、ふっと振り返った時に何が残ってるんだろうと思いますよね。
その時本当に本人は辛くなるんじゃないかなって。
うまくいってる時はいいですよ。ネットでもてはやされて、なんかね、充実してる時間は別にそれでいいのかもしれないけど、
なんか何か逆回転し始めてさ、孤立がさらに孤立を生むような悪循環に入り込んじゃった時にどうすんだろうなって。
これは僕もそうなので、人事じゃなくて、ネットで全然枠開けても人来ないとかいう状況僕もあるんでね。
その時の第二第三のチョイス、選択肢は今結構作っててね。
本読むとか、あるいは文章を書くとか、そういうことは実は個人的にちょっとやってるんですけども、
ただ第二第三の逃避に逃げてくんではなくて、やっぱり現実とかに何とかこうね、
現実につながりを持ちつつ、でも一人でいれるようにするというか、難しいけれども。
引き出し屋も社会問題になっている。
引き出し屋。
わかんないけどあれですか、引きこもりの人たちを無理やり外に連れ出すみたいな。
それはもう人権侵害だけどね。
ちゃんと裁判になったら負けるんじゃないですかね、引き出し屋みたいな人たちって。
それぞれの親、家族はどんな気持ちで過ごされているのかと思います。
いやもう見て見ぬふりじゃないですかね。
で、なるべく世間様に悟られないようにしようって。
自分の息子が、大半が男性だと思うんですけどね、引きこもりって。
自分の息子が引きこもりだっていうことをもうこの近所の人とか、あるいは自分の友人に知られないように隠そうみたいな。
親の負担と社会的問題
その一点に関しては家族全員で一致団結してるみたいな。
なんかそんな状態なんじゃないですかね。
だからそれが8050問題ですよね。
80の親が50の息子を世話するっていう。
僕はね、9070は見たことあります。
93歳のお母さんが70歳の息子の朝ごはんを作るっていうのは見たことある。
一回救急外来に行った時にその90何歳の女性の方が、まあおばあちゃんがね、入院しなくちゃいけないってなった時に、
いやもう入院だけはごめんなさい、もうダメですって言って。
あ、なんかあるんですかって聞いたら、その70の息子のごはんを誰が作るんですかっていう風に切れ始めるっていう事件があったよ。
僕その時ちょっと言葉を失ったね。
でも今あなたは入院して治療しないと命に関わるので、肺炎の治療を今しないと大変ですから。
じゃあ息子のごはんは誰が作るんですか。
知らんがな。
それはもう知らんがなです。
なんかそうやって、なんか親の寿命が尽きた時がやっぱりこう終わりですよね。その楽園が終わる時ですよね。
でも大金、まあいつか終わる楽園だと思うので早めにやっぱり潰した方がいいと思うんだけどね。
その潰し方が難しいのかもしれないけど、もう穏やかにはできないので。
できれば穏やかにはしたいから、まあソフトランディング、ハードランディングよりかはソフトランディングにしようっていうことで、
うちの家庭ではとりあえず弟にあんまりお金を渡すっていうのをもう段階的に減らしていくっていうことを今ねチャレンジしてるんですけど。
いきなりバツンて切るんじゃなくて。
就職できたら補助金じゃなく国から母音質をプレゼントとかなったらワンチャン。
というかもう僕は生活保護でもいいんじゃないかなと思うんだけどね。
まあなんかいろいろ親の年収とかね、兄貴の年収とか調べられたとしてもさ、
もう生活保護でいってくれよと思うけどな。
国に寄生していくっていうやり方はありかなと。
なぜ女性は少ないのでしょうか。わからないですけれども、わからない。
僕は単純にそれはメンタルの問題ではなくて、社会的な問題なのかなと思うね。
すごく言い方は悪いけれども、男って稼げないと結婚できないじゃない。
でも女性って稼げなくても結婚できるじゃないですか。それなりに綺麗だったりすると。
で、結婚して子供ができると引きこもりとは見なされないからじゃないですかね。
メンタル的に引きこもりの女性はいるのかもしれないけど、
全然男性ほど重症化しないというか、なんだかんだ周りが助けてくれたり、
旦那さんが世話してくれたりね、あるいは子供に支えられたりしながら、
結果引きこもらずに住んでるって感じじゃないですかね。
男性はもうね、結婚相手も本当に見つからないですし、本当に終わるんですよ。
だからもう親が養っていくしかないっていう感じで、90歳のお母さんが70歳の息子の朝ごはん作るみたいな。
そういう悲しい現実かなと思いますね。男の孤独はね、結構笑えないんだよね。
男のメンヘラはね、需要がないんですよね。これ生主やっててもすごく思ったんだけど、
女のメンヘラはなんだかんだ言われてるんですよね。
男のメンヘラはね、結構笑えないんだよね。
男のメンヘラはね、需要がないんですよね。
女のメンヘラはなんだかんだ囲いがついてさ、なんか盛り上がるんですけど、
男のメンヘラって本当にただ過疎って終わるんですよね。
本当に社会って不平等だなって僕も思います。不公平だなって。
90-70問題。衝撃。
確かにメディアでもあまり女性の引きこもりの特集は見ないと。
女性は奥さん主婦という立場がありますしね。そうなんですよね。
奥さん主婦という名前になりますからね。
兼業主婦は結局はただの引きこもりかもしれないけど、内実は。
でも一応主婦っていう顔してやってられるわけだから。
引きこもりとはカウントされてないんじゃない?
プチ引きこもりになったことがあります。
弟さんの話を聞いてどうやって外に出よう、働こうと思ったか思い出した。
周りがとやかく行ってきてた時はカタクナだったけど、自分自身の経済状況で追い込まれて、
家族に言わず一人で就活し、家にいたくなかったので地方に就職して家を出た。
それが良かったね。
もしそこでもうちょっとゆっくりしようかななんて言って5年とか一人になっちゃうと、
本格的にもう社会に戻れなくなってたかもしれないですよね。
早めにすぐに戻れて良かったですね。
うつ病とかでもデモラリゼーションっていう問題があってね。
うちの配信ではおなじみなんですけれども、
うつ病で診断されて10年も20年もずっと通院して就職してない人っているじゃない?
あれ何でかっていうと、うつ病そのものは実は結構落ち着いてるんです。
だから実はお薬手帳とか見ると、もう1年とか2年とかずっと同じ処方でね、
落ち着いてるんです病状自体は。
じゃあ何で戻れないかっていうと、うつ病そのものの症状ではなくて、
一旦つまづいてしまって社会に戻れなくなっちゃって、自信を喪失したからなんですよね。
だからもう最近2年間ぐらい人と会ってないんで、もう今更会えないよみたいな。
今更もうなんか太っちゃったしとかさ、
なんか着てく服もないしみたいな感じで、
2次被害3次被害がそこにあるんです。
だから純粋な精神学的な問題ってよりかは、
チャンスを奪われてしまって、もう今更外に出たくないよ、恥ずかしいよみたいな。
今更ね、同級生とももう顔を合わせられないしっていうそういうメンタリティーになっちゃう。
いわゆるその四季の低下。
それを英語で言うとデモラリゼーションって言うんですけど、
デモラリゼーションっていうのは、
その四季低下っていうのが実はすごく難しい問題で、
これは精神科医だけではもう解決しないので、
本当は行政とかがきちんと取り組んで、
そういう方にも平等にチャンスを与えるようなね、
本当は社会的な、社会福祉的なサポートが必要なんだけど、
今残念ながらそういうサポートがすごく脆弱で、
なんかあるにはあるのかもしれないけどね、
その就労移行事業とか、
あるんだろうけどあんまりこう盛り上がってないし、
なんか一回ドロップアウトした人に対して社会は厳しいじゃない?
なんかやたらと。
で、戻れなくて、
まあ結局戻れるポテンシャルはあるんだけど、
もう戻らないっていう感じで
ずっとうつ病患者をやってる人はいるんですよね。
この問題は精神科医だけでは解決しないんです。
で、
そういう人たちに対して、
この問題は精神学だけでは解決しないんです。
で、今弟は結構その次元に入ってきてるのかなと思う。
戻れない現実と支援の必要性
彼の処方を見ると、もうこの3年間ぐらいずっと同じ処方なんですよ。
だから病状自体はかなり落ち着いているんで、
精神科医としてはもうあんまりやることがないんだろうなって。
その彼の主治医としてはね。
プチ引きこもりでギリギリ社会に戻れたのは良かったよ。
そこでずるずる長引いてたら、
もう本当に本格的に戻れなかったかもしれない。
フワッチのフ、どうもです。こんばんは、どうも。
お金がないとイケメンでもダメですね。
やっぱり働いてないとね、
女に見向きもされないからね。
専業主婦で、
そう、
引きこもりの方もいるかもしれない。
経済的追い込み量はお尻に火がつきますね。
いやー、火がつかない人もいるのよ。
地震、喪失、
消失とか喪失とか。
もう今さらいけないよってやつだよね。
だって今までできてなかったんだもんって。
自分で落院をしてしまって。
ゲームに没頭みたいな。
新しいスタートと合格点
全然知らない土地に就職するのは新規一点出発しやすいですよ。
そこら辺もね、本人がどう捉えていくか。
国がしている就労移行支援ありますよね。
どうにかそこに繋がれる人はないんですけどね。
そうですね。
フワッチのフォープレゼントどうもです。
さて、まあちょっと弟問題と絡めて、
まあ誕生日会はそんな感じです。
大きな進展はないけれども、
まあとりあえずね、
みんなでこうやってまた肉が食えてよかったねって。
また来年も同じように肉が食えたらいいねっていうそんな感じで終わりました。
生きることの価値
もう生きてるだけでいいじゃんみたいな。
だいたい親と会うともそんな感じだね。
もうみんなで生きてるだけでいいんだよ。
面接でブランクについて聞かれ、
何できるの?と言われたが、
何でも頑張ってやりますと言い続けたら、
開ってくれる会社がありましたよ。
なんかそこで食い下がれる人はまだね、
死期低下が起きてない人なんだと思うね。
死期低下が起きちゃうと、
うまく答えられなかったし、
やっぱ自分はダメなんだっていうふうに
卑屈になってっちゃうんだよね。
そうですね、生きてるだけでいい言葉ですね。
幸せになれるのは大事かもしれないけど、
まず生きてるっていうことで、
合格は合格ですよね。
弟もいろいろ足りない部分もあるし、
僕もあるけれども、
僕も結構人間としていろいろ欠けてるところもあるしね。
だから、
いろいろ足りない部分もあるし、
僕もあるけれども、
僕も結構人間としていろいろ欠けてるところありますけど、
でもね、合格点は出るんじゃないかなと思ってます。
もし一人一人こうね、
死神が裏についていて、
こいつもうね、
合格点下回ったから殺そうみたいなさ、
そういう死神が各々についてたとしてもさ、
僕は多分合格点をギリギリ上回ってると思うし、
弟もギリギリ上回ってると思うし、
母親もね、
とりあえず上回ってるから、
いいんですよっていう。
生きてるっていうことで、
引きこもりの問題
もうすでに何か正しいんですよね。
そういう、とりあえずロジックとかではなく、
直感。
論理はないけど、とりあえず生きてるということで、
すごい、みたいな。
毎朝起きてるじゃないって。
毎朝ご飯食べてるし、
うんこしてるし、
すごい、みたいな。
合格。
美味しい肉食って、
そう、お肉食べれたじゃん。
合格、みたいな。
合格点は来るだろう。
いいんです、そう。
生きてるだけでいい。
でもあんまりその保証しすぎると、
また弟は、じゃあ生きてるだけでいいんだね、
今言ったねって。
その言葉信じるよって言って、
また10年ぐらい引きこもっちゃうから、
あんまりこう甘やかすのは良くないんだけど、
もうちょっと頑張れよっていう風に、
思いますけど。
そう、だからあんまりその、
大丈夫だよって保証しすぎることも、
回避型のね、回避性パーソナリティの人にとっては毒なんで、
適度に厳しく。
うん。
でも適度に突き放す。
適度に突き放し、
適度に、
手をね、
差し伸べる。
そこら辺の距離感が難しいね。
送局性障害で働けなくなってから9年が経ち、
今はほぼ引きこもりの状態ですが、
社会に戻ることを諦めたことで、
病気が落ち着いてきたという面もあります。
うん。
なるほどね。
ある種のこう、軌道修正というか、
まあ過方修正ですよね。
認知行動療法とかでも、
まあ自分の理想が、
実際現実よりかちょっと高めに設定されている人っていうのは、
やっぱうつっぽくなりやすいんですよね。
これぐらいできるはずだっていう風に、
なんかやや高めに設定されちゃうんですよね。
っていう風に、
なんかやや高めに設定されちゃっている人は、
やっぱ落ち込みやすい。
過方修正することも大事だね。
会話がそうだね。
だから過方修正することも大事だよってね、
あんまりうかつに弟に伝えるとまた引きこもっちゃうんで、
そこら辺のね、安倍が難しいんだよね。
10年くらいは、
頑張り屋さんが多いっていうことで、
そうね。
だから1年とか2年とか、
ブランクがあると、
その1年2年を取り戻さなきゃって言って、
どんどんハードルが上がってっちゃうんですよね。
3年引きこもっちゃうと、
その3年分を何とか取り返さなきゃってなるんで、
年々どんどんどんどん厳しくなっていくんですよね。
ただでさえ2年で動けなかったのにさ、
3年分のビハインドになったら、
もっと動けなくなるじゃない。
だからどっかでもう、
心理的な自己破産じゃないけれども、
あ、これはもう返せないものだし、
取り返せないものなんだっていう風に、
心の中で自己破産しないとダメだね。
僕もね、結構うつ病の時、
自己破産しましたね、心理的に。
あ、これはもう俺無理なんだなって、
取り返せないし、
これをバネにさらに徴約しようなんて考えてたから、
これはもう無理だっていう風に、
諦めたら結構良くなりましたね。
まあこんなもんだろうと、
俺の人生は。
もともとちょっと出来すぎてたんで、
まあこの辺だろうなっていう風に、
過方修正したらだいぶバランスが取れてきた。
弟さんは賢いから都合よく取られちゃう。
まあ、そうですね。
安易に甘えさせちゃうと、
やっぱり甘えてきちゃう人たちだからさ。
未熟な自己愛の人たちっていうのに、
あんまり安易な保障は逆に体に毒なんですよね。
いつでも帰ってきていいよっていうと、
一瞬で帰ってきちゃうので、
多少ちょっと突き放さないといけない部分もあったりして、
そこが引きこもり問題の難しさだったりしますね。
はい、ということで、
次の話題に行きたいと思います。
最後にチュール菩薩様に、
今日のまとめの4コマ漫画を
一枚の画像で出力していただきましょう。
お願いします。
最近4コマ漫画の精度が悪すぎて笑います。
早めに分かった方がやり直ししやすい。
シネマギアに分かってももう時間がないし、
早めに自己破産してよかったら、
やり直ししなきゃいけないんですよね。
はい、ということで、
今日のまとめの4コマ漫画を
一枚の画像で出力していただきましょう。
お願いします。
そうですね。
子供の頃からナルシスティックな人間でね、
なんか自分は特別な才能があるんだって、
いう風に思ってたんですよ。
だから何かしなきゃ。
こんなにつらい思いをしたんだから、
この先ものすごくね、
ジャンプ出来るんじゃないかとかさ、
変な期待があったんだよね、自分に対して。
趣味滅裂な4コマ好きです。
生きているだけでいい。
を生きているだけでいいというタイトルの4コマ漫画いいぞいい感じだぞ今日は めっちゃいい感じだぞ今んところ
ずっこけ漫画の漫画ちなみなの左上から読みます なんかよくわかんないんだけどね
生きているだけでいい いいなんだろうねですね
もし死神が 何点したとしても上回っていると思う
おいしい肉合格 いただく合格
生きているだけですごいんだ生きているだけですごいんだ ということですどういうことなんでしょうか
この一コマがあんまりよくわからない まあ死神の話したからかな
おいしい肉合格
なんかいい絵ですね 多分そう兄弟の絵ですこれは
2回言いがちですよねさあいただく合格っていう どういうこと
までもなんか前向きないい絵だと思います 言いたいことはね伝わってきた
もしよければの最後ナイスボタンを押していってください 非常に日々の配信の励みになりますので面白いと思った人はぜひないそうして
ください ナイスありがとうございます
はいナイスどうも後であの解除していただいてもいいので 僕の見えないところで解除してください
はいということでじゃあそろそろ終わりますどうもお疲れ様でした お疲れ様どうも
お送りしましたのはさしみちゃんでした じゃあまた一緒に
01:29:10
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