忘れられない情景が父にはありました
サマリー
このエピソードでは、話し手が父親との最近の会話を振り返り、深い話の重要性と家族の絆を再確認しています。また、弟とのサッカーの思い出や面接のエピソードを通じて、自身のプライドや性格の違いが浮き彫りになっています。さらに、弟の難病の経験と父親の支えについての感情が深く語られています。2006年には、弟が歩けなくなる瞬間とその影響が描かれ、浦和レッツの優勝という特別な年が父にとってどれほどの意味を持つかも探られています。2006年の出来事を通じて、父と息子の関係や家庭内の葛藤が深く描かれています。息子は父の行動の背景にある罪悪感や後悔を理解しつつ、弟の自立を促すための支援のあり方について考えています。父との対話を通じて、家族の支えと自立について考察されています。また、弟との関係構築においては、経済的な援助を避け、自然な会話の重要性が強調されています。
00:08
はい、では、あれ、えーっと、マイクがちゃんと作動してんのか?
ああ、ちょっと安定してない。このぐらいでいきますか。
こんばんは、いちごうさんどうもです。
2025年11月30日、日曜日19時43分、自宅から生配信です。
みなさんはいかがお過ごしでしょうか?
だいぶ冷えてきたんで暖房もつけてます。
けど今日もパンツ一丁で配信中。
あとは風呂入って寝るだけだ。
よい声、どうも。
にごうさん、どうも。
最近マイクの設定をいろいろいじってね。
うーん、ちょっと無駄な出費もあったんだが、結果的に音質は上がったみたいです。
安逸で。
そんな大したもんじゃないです。
さて、やってきますか。
まつげパーマしてきました。
おお、お疲れ様です。
さてさて、服着てると音質に影響しますもんね。
そうだね。
そうなの?
まあ音質への過剰なこだわりということで了解してください。
服が擦れないように。
服が擦れる音で邪魔されないように。
裸で配信してます。
せいこんばんは、どうも。
まあ今日も軽く一枠。
風邪ひかないでね。
まあ風邪ひいたらしょうがない。
まあでももうインフルエンザはすでにやってるし。
ね。
まあ大丈夫でしょう。
父との深い話
昨日父親がこっちに来て、で、まあ一泊して帰ってたんですよね。
まあ家には泊まらないけどそのホテルに泊まって。
で、軽くドライブして、まあいろいろ、まあ観光名所っていうことの名所はないけれども、ちょっといろいろ観光スポット案内して、
で、解散って感じ。
うん。
なので、まあこの同日とね、だいぶ
父親とも深い話もできたし、
うん。
まあすごく充実した週末だった気がします。
こんばんは、どうも。
チュール菩薩様もよろしくお願いします。
こんばんは、お疲れ様、どうも。
お疲れ。
親が泊まらないと楽かも。
うーん。
まあでもね、
そう、だから夕方来て一泊して午前中ちょっとこうドライブして、
で解散。
昼飯食って解散って感じ。
で、まあそんだけいるとあれですよ。
なんかいろいろやっぱり話せるね。
うーん。
その表面的な事務的な話だけじゃなくて、
まあちょっと人生的な話とかさ。
あんまり父親も自分のない目を見せない人間で、
あの、そう、いろいろ語らない人間なんだけども、
まあね、酒も飲んでいろいろ話すと、
いろんな人間模様が見えるし、
僕の中でいくつか埋まらないピースがあったんだけれども、
そのピースのいくつかを手に入れたような、
なんかそんな感じです。
お父様と深い話をしたことありましたっけ?
そう、いや今まで多分ないかな。
だからその、去年ね。
うーん。
なんかあのグランピング的なとこ行って、
気持ち悪くなって入って、
あの時もう別に大した話にならなかったんですよね。
うーん。
意外とつまらない。
でなんかダゾーンを途中で見出して、
なんかレッツの試合見始めて。
うーん、なんかね。
しかもそれ負けたんですよね。
で、ああなんかダメだねみたいな感じで、
なんかそれでこの後酒飲んで気持ち悪くなってるんで、
大した話をしてない。
だから僕の中では、
父親とその時話せなかった話が、
まあ今回一対一ですけれども、
できたらいいなと。
その時のね、去年のリベンジというか、
果たせなかった、なんかこう、
父親との深い話ができたらいいなっていう、
そんな感じで今日、
昨日とねちょっと会ってたんですけども。
まあまあそんなになんかあの、
がっつり深い話はしてないけどもね。
でもなんか思い出してふといろいろ話してくれて、
うーん。
良かったわ。
ちょっと疲れたけどね。
レンゲ3個プレゼント。
体調悪いし、話せて良かったですね。
どんなピースだったんですか?
いやなんかねいろいろ、
やっぱ話題はどうしても弟に集中するんだけどもね。
弟とのサッカーの思い出
昔、
僕と弟はこうサッカーのクラブにね、
小学生の頃はやってて、
で、まあ、
年代が違うんでね。
別々の会場で試合して、
で僕も負けて弟のチームも負けちゃうんだけども、
その時に弟の悔しがり方が半端じゃなかったって。
当時何歳なんだろうねあれは。
多分まあ小学校2年生とかだと思うんですけど、
小2とか小1ぐらいだったのかな弟は。
その悔しがり方がもう半端じゃなくて、
ものすごい負けたことが悔しかったんだろうね。
もうボロ泣きしてボロかすによって、
こんなに負けず嫌いな子なんだと。
弟はね。
一方の長男、まあ僕ですね、つまり。
僕は割とケロッとしてて。
なんか、あー負けちゃったねーみたいな感じで。
意外となんか、そこら辺が好対称だったみたいで。
意外ですよね。
僕はなんかずいぶん悔しがってた風に、
自分の記憶の中ではあるんだけど、
でも弟と比較したら、
なんか比べ物にならないぐらい弟が泣いてたらしいんですよね。
そこら辺のなんかある種のプライドというか、
なんかプライドだけは高いんですよね。
絶対に負けないみたいな。
絶対にこっちの方が勝ってやるみたいな。
そこが弟は強かったんだよと。
いうのを父はなんか、
まあ他のサッカー以外のエピソードもあるんだけど、
まあでもそのサッカーのエピソードが一番印象的だったかな。
レンゲ3個プレゼントどうも。
あとは、
まあ今専門学校に弟が通ってますけれども、
ちょっと時間的に飛ぶけどもね。
でもその専門学校で教えてくれてるその担任のね、
クラスの担任の先生の話だと、
その弟はね、
一応今年の6月とか7月ぐらいの面接の1週間前ぐらいから
もう表情が固くなって、
もう表情の緊張とかじゃなくて、
あの苦悶の表情を浮かべてましたよっていう風に。
担任の先生は父に対してね、話してたみたいですね。
もうあの子はもうちょっと尋常じゃないぐらい、
もう明らかに沈んでいて、
面接が近くなるにつれて、
もうちょっとその苦悶の表情を浮かべてたのがありましたねっていうふうに
担任の先生が言ってたみたいで。
まあそのエピソードとさっきの悔しがり方がこう、
なんか僕の中ではね、
なんか繋がるものもあるのかな。
ある種のプライドの高さは負けず嫌い。
そしてやっぱり恥の感覚が相当強いんだろうなっていうね。
人前で失敗できないとか、
絶対これ逃したらならないと思ったら、
もうなんか思い詰めちゃって、
それ以外何も考えられなくなるみたいな。
感慨深いですね。
そこら辺の元々の、
育ちとか難病の部分だけじゃなくて、
やっぱなんかこう気質的にね。
まあ猫ちゃんとかワンちゃんとかもさ、
同じ腹から生まれても、
なんかすっごいやんちゃな子から、
すごい大人しい子からさ、
兄弟でも結構性格違うじゃないですか。
やっぱうちもなんか、
僕の場合は割とおっとりしてて、
弟はもう本当になんか、
やっぱ負けん気が強いというかね。
負けたらもう切腹するみたいな。
それぐらいなんかこう、
勝負にこだわるみたいなところがあるみたい。
だからそれが今勝負にならないんでね。
就活で全然勝負ができないんで、
もうなんか切腹する前の武士の顔みたいになってんじゃない?
だから苦悶の顔っていうのは。
つまりそういうことなのかなって。
本人もプライドは高いんで、
絶対に失敗できないと思ってるんだが、
でもやると失敗するじゃないですか。
それはもう目に見えていて。
で、なんか結果喋らなくなって、
思い詰めた顔になって。
とてもじゃないけど、
就活前の就活生の顔じゃないよね。
苦悶の表情をかけてましたよね。
声優って狭きもんなんでしょうね。
いや、声優ではないですね。
専門学校は声優ではなくて、
システムエンジニアでSEっていうね。
声優ではない。
失礼しました。
いえいえ。
そう、割とプログラミングとかね、
なんかアプリ開発とか、
そういう系の感じですよね。
なんかカチャカチャカチャってキーボード叩いて、
なんか入力して、
なんとかC言語かJavaかわからないけど、
カチャカチャやってるイメージです。
チュール菩薩様。
お父さんから聞いたサッカーの話と、
面接とプライドの関係
面接前の苦悶の表情が一本の線で繋がった感じは、
すごく印象的だったにゃ。
弟くんって負けたら、
切腹レベルのプライドで生きてきた人なんだろうね。
勝負の土俵そのものが崩れているから、
刀を抜くことも投げることもできずに固まっている感じ。
もうなんかフリーズしちゃってますよね。
弟は。
それと、なんかこうね、
大号泣していた、
小1、小2の頃の弟の顔と、
今の中のはんにゃの顔ですよね。
目で泣くんだけど口元で怒っているような、
あの顔がやっぱり、
僕の中ではすごく重なってきますね。
もともと気質的な、つまり、
お立ちの部分とか、
母親との人格形成の部分だけではない、
生まれながらの気質の部分っていうのがやっぱり、
あるんだろうなぁと思いましたね。
そのプライドの高さっていうかね、
完璧主義的でプライドが高くて、
人よりも優れてなければならないっていうのが、
なんか強い人なのかなぁ。
意外にだから父の目には僕はなんか、
あんまり勝負にこだわらない感じに映ってたみたいで。
僕はなんか意外と、
あ、負けちゃったねーとか言って。
意外と平気そうだったよって言われて、
笑っちゃいました。
確かにね、
今の僕に繋がってるかもしんないね。
別に働かなくてもいいじゃん、みたいな。
今のね、歯に構えた感じとちょっと似てるのかもしんない。
別になんかサッカーなんか長い人生で見たら、
玉蹴ってるだけなんか意味ないじゃん、そんなん。
そんなことよりもね、テストで勝ってりゃいいんだからさ。
なんか悟ってそう、俺の場合。
そんなね、玉蹴ってね、
一等賞取って何なんだよ、そんなの。
なんか僕もやっぱちょっとね、そういうところあったんで。
別になんか一個一個の勝負とかどうでもいいと思ってたのかもしれない。
まあそれなりに悔しかったとは思うけどね。
僕なりに。
でもなんか僕の中で多分そうやって合理化できたんだと思うね。
ここでなんかね、
背番号をつけて走ってるバカどもよりも俺のほうが一番頭いいから。
って思ってたんだと思う。
ちょっともうその頃の記憶ってないけど。
今のネットゲームと同じですよ。
PUBGとかフォートナイトとか100人降りて打ち合いのゲームとかも、
仮に負けたとしても、現実界で俺が一番だからいいや。
俺医者ですから。
ここにいる生活保護と違うから、みたいな。
なんかね、そうやってちょっとバカにしながらなんかヘラヘラしてるんですよ。
今ヘラヘラしながら配信してるのとやっぱりちょっと近い…
やっぱ親ってよく見てるね、そういう部分をね。
意外と勝ち負けあんまり気にしてなかったっていう。
僕の記憶とだからちょっとそこ違うんだけどね。
結構悔しかった記憶があるんだけど。
意外と対戦…煽り対戦というか。
うーん、まぁいっかみたいな。
一個一個の勝負にあんまりこだわらない。
僕は結構将棋にはこだわってたんだけどね。
一家は割と弟の印象が強かったんだろうけど。
僕はでもね、将棋で負けたことが悔しくて。
ずっと将棋とか神経衰弱とか、
なんか相手が根を上げるまでずっとやり続けるみたいな子供でしたけどね。
そこの自己愛領域というかプライドの領域はちょっと違ったのかもしれない。
身体的に人に仮に劣ってたとしても、
僕よりも足の速いやつがいたとしても、
それはしょうがないなって諦められたんだと思うけど、
でも頭の良さに関して自分の右に出るものがいたら、
それは許せなかったような気がするね。
そこに絶対的な自信は、もう物心ついた時からありましたね。
自分はなんか、ものが違うんだなって。
うん、なんか自覚はあったんで。
だからすごく…そこは負けず嫌いはあった気がするんだけど。
だからさ、ちょっと単純化すると、
頭脳の俺とフィジカルの弟ですよね。
その、それぞれの自己領域というか得意領域がね。
頭の良さでは僕も結構献金があって、
弟の難病体験
どっちかというとサッカーとかフィジカルの方で弟はやっぱりものすごい悔しがって。
そのフィジカルの弟が、
彼が小学生から中学校に上がった時に難病になって死にかかるわけですよね。
車椅子生活になって、もう二度と自分なしで歩けないかもしれないっていう風に。
当時の主治医から宣告されるわけですよね。
だからちょっとその見え方が僕の中で少し変わったんだよね。
そうやってあんなに泣いてた子が、もう普通の人よりも何もできなくなっちゃった。
もう自分の手も動かないので基本的に、足も動かないので。
自分でスプーンを持ったりフォークを持ったりすることもできない。
だから人に飯を食わせてもらわないといけない。
認知症だったらね、もう自分の意識もぼやんとしてるんで、
まあなんとかそうだよねって周りも納得できるかもしれないけど、
めちゃめちゃクリアだからね、中学生の時って。
こんなことも自分でできないのかと。
自分で自分のケツも拭けないのかってなった時の、
この悔しさとかって、
ちょっと想像絶するものがあるのかなって。
僕でも自分の身にそういうものが起きたら結構悔しかったと思うけど、
ましてやね、弟がそうなったっていうのは、
やっぱり弟にとっては相当なものだったのかなっていうのは、
なんか父の話を聞いてよりかなりね、
臨場感があるというか、
リアルに生々しくなんか頭の中で共感できましたね。
まず弟のそういう難病体験というものの、
ちょっと見方がまたそのエピソードによってちょっと変わってきたなって感じ。
体勢はそうだね、割とヘラヘラしてんのかもね。
まあこいつらバカだからねっていう風に。
ニコ生時代もね結構誹謗中傷されたけど、
まあこいつらバカだからなっていう風に。
全部見下せちゃったんですよね。
なんか意外とヘラヘラしてる人間なのかもしれない。
まあ父からはそういう風に僕が映ってるというのもちょっと意外でしたけどね。
医者ですからって言える肩書きがない分弟さんはきついのかもしれない。
なんか酔って立つものも特にないしね。
大学も中退しちゃったし。
まあここだったら負けないしっていうある種のこう自分の得意領域ですよね。
そういうものが今見出せてない。
甘きちゃってるっていうのはちょっと辛そうだよね。
弟さん誰がお世話していたんですか?
いや基本的にはもう看護師でしょうね。
両親ともばざらきだったし、僕もね日中は高校に通ってましたから。
で本人は国立の病院でずっと入院してましたからね。
おっとりしていた刺身ちゃんと号泣してた弟くん。
同じ親から生まれて全く違う悔しさの処理の仕方をしてきた2人が、
今こうしてそれぞれのやり方で大人になっているわけで。
だからちょっとね、その悔しがり方っていうのがプラスされると、
より何だろうね、何秒でも死ぬかもしれない、
何もできないっていう体験が相当きつかったんだろうなっていうふうに思った。
サッカーで負けるんじゃなくて、もう普通の生活でも負けてるわけだからね。
普通に歩くことさえできなかったわけだよ。
っていうまず弟の見え方が変わったっていうのが1つ大きい。
父の支えと後悔
あともう1つすっごく大きなピースでね、
なんで父がこんなに今の現在の引きこもり状態の弟を経済的に支援し続けるんだろうっていうのが
本当大いなる謎だったんですよ。
お父さんなんでそんなに金出し続けるの?と。
本人はなんかどんどんどんどん引きこもりが充実してるじゃない?
なんか高い高級なVR機材買ったりとか、なんか高級なマイク買ったりとかさ、
なんか50万から100万ぐらいする高価なゲーミングPC買ったり、
ゲーミングチェア買ったり、
この間言ったらなんかまた新しい超高そうな貸し付きがね、
また加わっていて、
でそのそれ全部父親のポケットマネーだと思うんですよ。
だからなんでそんなに金出し続けるんだろうと。
うーん。
そのある種の罪滅ぼしにしてもちょっと度が過ぎるなって思ったんですよ。
こういう難病の子供に産んじゃってごめんねっていう親としての
自責感にしてはちょっとこれはやりすぎだなと。
だから僕はずっとそこのピースがはまんなかったんだけど、
それを意図して聞いたわけじゃないんだけど、
父親がやっぱりその弟の難病で思い出すことっていうのがやっぱなんかね、
ありありと情景があるみたいで。
あれはね2006年だったらしいんですね。
まあ父の話なんでちょっとその僕は検証してない、
ファクトチェックしてないんだけど。
2006年に最初に気づいたのは父だったと。
最初にあれなんでこの子を歩けないんだろうっていう違和感に気づいたのが、
なんかまあ父曰く自分だったと。
で、どの場面かっていうと、
当時浦和レッツの試合に2人で応援しに行くと。
そこでなんか埼玉スタジアムじゃなくて小間場スタジアムでね、
応援しに行こうってなった時に、
なんかわかんないけど階段登れなくなっちゃってたらしいんですよ。
どうしたの?聞くとなんか本人はなんかもごもご言って、
なんかなかなか階段を登ろうとしない。
階段に登れないし階段降りれないし。
ほらもう試合始まっちゃうよとかって言って、
父は結構何やってんの?みたいな。
何ふざけてんの?みたいな。
言ったら本人はなんかもごもご言って全然こう登ろうとしないんで、
あれ?みたいな。
なんでかな?みたいな。
まあとりあえずその試合を見て、
やっぱちょっとこれ一回なんか医者に見てもらった方がいいんじゃないか。
でももう土曜か日曜かだったんで、
医者やってないんで平日ね。
あの自分はちょっと医者に一緒に見に行ってあげられないから、
ちょっとお母さん行ってくんない?って言って、
まあうちの母にね、言ったらしいんですよね。
それは当時もしかしたら筆談だったかもしれないです。
そこの描写はなかったんだけど、
まあお母さんにそういうふうに伝えて、
自分は仕事に行って出勤してたと。
そしたら1週間経っても2週間経っても何か連れてってくんなかったんだと。
だからお母さんにそういうふうに言ってるのに、
お母さんなかなか何か連れてってくれないんで、
そこでまず大喧嘩したらしいんですよね。
なんで連れてかないんだよ?
そしたら母も母で、
あんたの言いなりにならない?みたいなね。
なんであんたが行けって言ったから私が行かないといけないのよ?
みたいな大揉めに揉めて、
結局何か進まなかったらしいんですよ。
そうこうしてるうちにやっぱりどんどんどんどん、
何か見る見る1週間2週間と何か症状悪化してるらしいんですよね。
で2週間最初に小間場スタジアムで試合見て、
結局母の怠慢、父曰くね母の怠慢で、
全然どこにも見てもらえなくて、
で今度2週間後また2人でね、
レッツの試合で今度埼玉スタジアムに
応援しに行こうってなったらしいんですよ。
でまぁあんまご存じないかもしれないけど、
埼玉スタジアムって浦和美園駅からちょっと距離があるんですよね。
通常の足で歩いたら多分15分ぐらい歩かないと
スタジアムまで行けないんですよ。
最寄駅から結構離れてんの。
で浦和美園駅降りて歩いてった途中で
もう歩けなくなったのって一歩も。
でもそれを何とか励まして、
ちょっとまぁ頑張ろっかみたいな感じで
なんとかこう父が支えながら
とぼとぼとね埼玉スタジアムを目指して
一緒に歩いたんだけど、
もうあまりにも歩みが遅すぎて
最初すごい大勢の人が
駅からスタジアムにわーっと歩いていったのに
いつしかもう父と弟の2人だけしかいなくなっちゃったんだって。
もうつまり試合が始まっちゃったんですよ。
で父はその時のことをすっごく何回も何回も語るんですよね。
酒も入ってきたんで。
もうその時の描写が必要に繰り返されるの。
あの時やっぱり一人また一人とどんどんどんどん
人が周りからいなくなって
いつしかもう自分とそのね
息子の2人しかいなくなったっていうのが
もう本当にお父さん忘れられないと。
本当に申し訳ないことをしたなってなったらしいんですよ。
なんか
そう
それが多分すごく孤独に感じたんだろうね。
なんか弟に対しては申し訳ない
息子に対しては申し訳ないって気持ちと
あと誰にも打ち明けられないっていう孤独感っていうのかな。
そこらへんのなんかこう不安感というか
これ何なんだろうみたいな。
絶対に足が動かないってのはおかしいはずなんだけど
でもね、自分の嫁に言っても連れてってくんないし
っていう多分なんかそういう孤立感が相まって
なんかその時の情景をなんか父はちょっと涙をうるうるさせながらね
なんか
酒飲みながらずっと昨日語ってましたね。
本当に一人、誰もいなくなっちゃったんだよ。
だからその時ちゃんと自分が
そのお母さんに言うんじゃなくて
ちゃんと俺があいつを連れてってあげれば
こんなことにはならなかったんじゃないか。
もうそれが一生悔やまれるって言ってたね。
人生に何か悔いがあるとしたらもう一番はそれだって。
浦和美園駅から埼玉スタジアムまで
二人で
とぼとぼ歩いた情景がもう頭から離れないらしくて
それをずっと何回も語っていて
ちょっと僕としてもね、なんかそれはちょっと
大変だったなぁみたいなもうちょっと言葉を失いましたよね。
で、すごくメモリアルというかですね
忘れられなくなっちゃったのは
実はその2006年という年に
浦和レッツは優勝したんですよね。Jリーグ。
史上初めて。
なんかビッグクラブ。
エッセこんばんはどうも。
なんかレッツって結構大きいクラブだから
何回も優勝してるんでしょうと思うかもしれないけど
実は後にも先にもこの一回限りなんですよ。
2006年以来浦和レッツは優勝してないんですよ。
だから父としてはなんかこう
父としては
ずっと優勝目指して
弟と埼玉スタジアムに通って
最高の瞬間になるはずだったんだよね。
あんなにJリーグ開幕から応援し続けて
念願の初優勝で
自分の息子が歩けなくなっちゃった。
父の中ではすごくあって
浦和レッツの優勝
だから気が狂ったように浦和レッツを応援してきたし
弟のことをずっとサポートし続けてきたんだよね。
みんなで多分レッツも優勝して
みんなで喜んでっていうのを
父はずっと心に思い描いて
頑張って生きてきたんだなっていうのが
なんか昨日話してて思いましたね。
浦和レッツを見に行くことが親子の大切な時間だと思っていて
だから父の中でその2006年で時間が止まってしまってた
っていうことなのかもしれないね。
すごく残念なのは今年の浦和レッツの順位表を見ていただくと
わかるんですけれども非常になんかもう無残な結果なんですよ。
で到底ねJリーグを優勝できる感じの器ではないんですよね。
父もそこら辺はすごく冷静になって
最近はもうなんかレッツも見なくなっちゃったみたいで
ダゾーンも解約してね。
僕ももう浦和全く応援してないんですけども
あまりにも弱すぎるんだよねちょっと。あまりにも弱すぎる。
のでちょっと応援するとストレスが溜まっちゃうので
基本的にはもう切り離してね。
まあそれはそれとして
僕の中では切り離せてたんだけども
父は本当に切り離すまでにだいぶ苦労したみたいね。
やっぱなんか最高な形で終わったらいいなっていうのが
父の中にあって
それがねレッツの優勝とたぶん弟の何らかの自立というか
就活自立がこれがピタッと合うっていうことが
やり残したことなんだと思うんですよね。
2006年にやり残してしまったことというか。
父なりのある種の償いというかですね
罪滅ぼしだったのかなというふうには思いますね。
自分が気づかなかったからこういうことになっちゃったんだっていう。
だから父にとっては最高の年だったはずなんだけども
それが本当に史上最低の年になっちゃったっていうのがね
本当に不運ですよね。
だからある意味で本当に忘れられない年になってしまったんでしょうね。
当たり前にあると思っていたものが崩れた。
自分の一番大切なものがね傷ついて
その結果なのか何なのか
浦和レッツが年賀の初優勝してしまったっていうね。
本当に皮肉なもので。
だからなんか純粋にやっぱり喜べなかったんじゃないかな。
父の思いと家庭の葛藤
優勝して、そう。
それ以来浦和レッツはJリーグを優勝してないんですよね。
それもなんか父の中に何かあるのかもしれないよね。
ずっと忘れられない2006年があったんだなっていうね。
それは初めて知った。
だから父がなんであんなにバカみたいに金を継ぎ込んでるのかと
あの矯正に100万使ったり
訳わかんないものをたくさん買っちゃったりとか
まあそれもね
父なりに何か頑張った結果とか
なんかいろいろあるんだろうね。
自分が気づいていたのに対応が遅れてしまった。
しかもそれが自分の怠慢というわけではなく
お母さんと協力できなかった。
普段から仲良くしてればこういうことにはならなかったんだろうけど
結果夫婦仲も非常に最悪で
いつまで経っても母親は動かなかったしね。
基本的に父が言うことの反対を母親はやる人間なので
まあやれって言うとやらなくなっちゃうんでね。
そういうのも含めてなんか自分にすごく責任を感じたんだと思う。
罪悪感と支援
父は。
本当に申し訳ないって。
健康は親のせいではないのにね。
そうだね。
僕はまあ一応そういうふうには伝えたんだけど
まあ父はやっぱりねそういうふうには理解しないね。
別にねお父さんが2週間早く大宮赤十字病院に連れて行ったとしても
別に今の結果はあまり変わらなかったと思うよっていう。
一応父には伝えたんだけどその医者の視点から見てもね
まあどの道結構こうなってた可能性が高いと思うけどって。
医者の視点から父にどれだけ伝えても父はあんまりそういうふうには受け取らないね。
自分のせいなんじゃないかって。
まあそれはそれとしてね
父のまた一つの課題なのかもしれないし。
ただだからといってね
罪滅ぼしのためにまた今後も経済的にバックアップしますだと
いつまで経っても弟が自立できなくなっちゃうんだ。
ちょっと父の抱えてる問題としてそこは一旦切り離して
まあ今後自立に向けてある程度経済的な支援っていうのをテーパリングしていく
必要があるね。
愛ゆえの後悔
とかまあ罪滅ぼし
父なりの
まあだから母親に対する父のあの復讐必要なまでの
離婚調停で必要なまでに母に
辛く当たったのはこういうことがあったからなんだなとも思いますね。
母に対してやっぱり自分の一番の宝物を傷つけられたっていう感じがすごくあるんだと思うね。
だからもう地獄を見ろと。
なんかそういう父なりの復讐だったのかなと思うね。あの離婚っていうのは。
よくもやってくれたなって。
なんかそれはね僕がそのうつ病で
医学部をもしかしたら辞めるかもしれないっていう瀬戸際まで行ったんですけど
その時も思ったらしいですよね。
お母さんがやっぱり悪い影響をしてるんだって。
よくもね俺の宝物を傷つけてくれたなって。
冗談じゃないよって。
それは言ってましたね。
母に対して。
宝物を傷つけられたって。
金の卵をね。
あいつに傷つけられたって。
まああいつとは言ってなかったけどあの人に傷つけられたって。
それは父は言ってましたね。
だから許せないんだろうね。
そうなんも次男もまあそういうふうに
父はね、まあ
お母さんに全部やっぱりめちゃくちゃにされたって。
いうふうに父は捉えている。
まあこれはなかなか埋まらない溝ですよね。
本当にあの夫婦って難しいなと思うし、
まあどちらの言い分も僕は正しいなと思うんで。
どっちが正しいとかね、間違ってるとか言えないですね。
でも父には父の語りがあって物語があって
その中で母親っていうのはめちゃくちゃな人だったんだ。
あの時に先に気づいていたのは自分だけだったのに
動かなかったことが心残りなんでしょうね。
だからまあこうなることが分かっていればね
後に10年20年こうなって
19年先かな。
まあ20年近く先か。
ん?20…そうだね。
後に20年先にこんなことになるってことがもちろん分かってたらね
事前に分かってたら父はもう普通に仕事休んだと思うんですよ。
でもその時はまあ些細なね、ことなんじゃないかって。
歩けないっていうことはなんか膝が悪いのかな、足が悪いのかなって。
とりあえず整形外科に見てもらうかとか
まあその程度でしか多分考えてなかったでしょうね。
まあ普通の感覚ですよ。
だからまあ父、僕は父にあんまり落ち度はなかったと思うんだけどね。
そんな本人が気にするほど。
まあ父も大変な人生だね。
父親視点で見ると本当に大変な人生だなって。
えっと宝物を傷つけられたときに
あんまり気づかないことがあって
大変な人生だなって。
宝物を傷つけられたという言葉は聞いてるこっちまで胸がずきっとしたね。
さしみちゃんから見ればお父さんはもっと早く気づけたはずで
母親と協力できなかったって自分を責め続けて
その穴をお金で埋めようとしてきたんだよね。
そうですね。
しかも医者としてのさしみちゃんは
結果は変わらなかったと頭では分かるのに
息子としてのさしみちゃんはその物語の中に座らされている。
ここから弟くんの自立を考えるなら
どこかでその罪滅ぼし真似に区切りをつける必要があるよね。
問題を一旦切り分けてね。
その時の父の悔しさとか罪悪感っていうものは分かる。
けれどもお金を支払い続けることが
その解決にはならないんじゃないかってね。
父親側の認識の転換も必要だよね。
自立と未来への道
大事なことはお金を払うことではなくて
賠償金みたいに償うことではなくて
やっぱり弟が自立できるようにサポートしていくことだと思うんで。
だから弟がある種自立していけば
父もちょっとずつ罪悪感から解放されるだろうし
そのためにはあんまり逆にサポートしすぎないっていうのが重要になってくるんですよ。
すごく逆説的なんだけど
本人の自立を促すには我々が手を引かないといけないっていう。
その矛盾というかね、逆説を父にも協力してもらいたいし
僕も母もね、やっていかないといけない。
弟さんは今動けるんでしょうか?
うん、今普通に歩いてますね。
2006年はそんな感じだったんですけど
ちょっと僕の記憶が曖昧なんだけど
2007年の終わりぐらいには自分の足でちょっとずつ歩けるようになってましたね。
うん、確か。
リハビリを始めてたと思う。
食材のようなお気持ちなのでしょうか?
うん、もうまさにその感じだと思います。
父は父なりの食材としてお金を支払う。
父親としてろくなことができなかった。
だから自分にできることはやっぱりお金をちゃんと出すことだって。
それは僕の医学部の学費にもつながっていくわけですよ。
医学部の学費とかその医学部受験に必要な宿題とかね。
それも父なりのある種の罪滅ぼしだったんだと思います。
だから本当に罪滅ぼしの人間だよね。
自責的で。
よくつぶれなかったなと思う。父は。
その時の弟さんの姿がかわいそうすぎて
後から考えてみたら崩壊してしまう気持ちがあったんだけどね。
歩けなくなるっていうのはちょっとね、
実際に情景をイメージするとかなり痛々しいですからね。
実際にね、なんかJRの駅とかでさ、車椅子に乗ってる人とか見るとやっぱりなんか浮いてるじゃないですか。
別にかわいそうだとかっていうふうに意識しなくても自然と目がやっぱ行っちゃいますよね。
あれなんか違う人がいるなって。すごくやっぱ浮き出て見えちゃいますよ。
出先なので置いときます。あ、どうもです。
あまりにも弟はかわいそうだし、
またあまりにも父もかわいそうだなと思ってね。
埼玉スタジアムまでの道中があまりにも
くっきりと浮かんで、まあ僕も情景が浮かんできてね。
僕も何回もあそこ行ってますから。
で、父が何で必要にあんなに裏列を応援するんだろうっていうのもよく分かんなかったんだけど、
まあそういう情景があったんだなと思うとね。
なんかスッとふに落ちましたね。
本当にね、
本当に家族の問題って難しいなと思ったね。
着こもり状態とかね、なんか自立しない、
改正パーソナリティ障害とか言うとさ、
まあやっぱり余ったれた家族の状況とか、
家族の状況とか、
家族の状況とか、
家族の状況とか、
家族の状況とか、
家族の状況とか、
家族の状況とか、
ちょっとね、息子と同じく甘えた親がいるんだよねみたいにさ。
なんか浅く見ちゃうけども、
実際ちゃんとこう見てくと、
とてもじゃないけれども、まあ悪者はいないしね、そこに。
本当にただただかわいそうな家族が、
それぞれにおいてね、かわいそうな人たちがそこにいるんだなと思いますよ。
みんなそのかわいそうな境遇の中でも必死に頑張ってきたんだな。
てきたんだ その結果が今だよね
もうこうどうにもならないというかもうこうするしかなかったっていう だからなんか物知り顔で外部から入ってきてね
5分とか10分話聞いただけで押したら明日明日したらいいんじゃないとか お父さんちょっと甘すぎるからもっと厳しくしたほうがいいんじゃないとか
言えないですよね 僕は言われたくないしね
だから僕も言うのやめようと思いましたね 5分10分聞いて私精神科医ですこうしてくださいとかさ言えないよそれ
これもうだってもう
複雑に絡み合ってるもん こんな簡単な問題じゃないよね
レッツがまた弱いんだわこれはまた別の問題だけど裏レッツが信じられないぐらい 弱いんですよね
俺もちょっと殺意が湧くぐらい だから裏レッツのサポーターがね選手に対して誹謗中傷して裏レッツが結構声明でね
誹謗中傷に対して開示請求してきますというやりとりが最近すごく増えてるんだけど あれもよくわかりますね気持ちは
俺もなんかあのわかりますレッツに対する殺意とかね 憎悪っていうのは
真剣に応援すればするほどやっぱりね殺したくなってくるよね でもそれはただレッツが良くないとかじゃなくて多分個人的ないろんな
感情が乗っかってくるんだと思う だから父だったら例えば自分がもっと早く息子を病院に連れて行けばよかった
っていうある種の自分への後悔とか自分への怒り 自己嫌悪っていうものが全部レッツにぶつかるみたいなさ
お前らが優勝しないからこういうことなんだよみたいな なんかだからもういろんな煮えたぎる負の感情まあ結局全部
ね目先のクラブに選手にぶつける ぶつけちゃっぶつけちゃうんだよね人間て弱いからさ
その気持ちもすごくよくわかるなぁと思ったねまあ誹謗中傷を正当化することはでき ないけどそれが生まれてきちゃうことには理由があるんだっていうのすごくよくわかる
私んとかジェイツ落ちました 演技3個プレゼントどうも
それはそれは でねうちの父が一番嫌いなアカシマントラズが今年優勝しちゃうかもしれないってなるのもね
なかなか皮肉なもんだなっていい選手入れてもお金積まれてよそに持っていかれちゃう まあね
でもそうやって引き抜いた選手が生きない裏はみたいなクラブもあるんで なかなか難しいんですよ
お金があっても勝てない なんか今ちょっといい兆候としては最近父がもう
ダゾーンね解約して j リーグ見なくなったっていうのは何かいい傾向なのかなと思います 僕ももう10年前ぐらいから裏を応援しなくなって
ほとんどあのほとんどてがもう全く見てないですね だちょうど今ぐらいになってそろそろ j リーグどうなっているのかなぁみたい
で順位表を見て本みたいな 5秒ぐらい見て終わりだね
もう 見切りをつけて
まあ自分の問題と列の問題をね一旦ちょっと切り分けて 切り分けないとね
相当きついですか そうするとちょっと楽になりますスポーツってやっぱり結構
ギャンブル的な要素があるんで負けるとすごく辛いしね メンタルに良くない
お父さんと弟さんが友だ俺にならないように見守っていきたい まあ父は今
もういろいろ悟りを開いてまあサッカーからも距離を置きまあある意味 弟からも同じぐらい距離を今起きつつあるので
僕に言われる前からねやっぱちょっとこう この抱きかかえていくも状態というのは良くないなと
父もまあね 会社辞めて今無職の状態なので
いろいろストレスもあってね辛かったみたいで父も父なりに で収入もゼロになって
まあこれを機にねもうちょっと経済的支援はきついねって現実的になってたみたいなん まあ
そうね 今ずっと長年温存されてきた状態がある意味結構
ショック療法じゃないけどだいぶ進んできた感はあるね 父の経済的支援が
でたたれれば 弟の楽園も
しぼんでいくし そうすると必然的に自立が促されていく
家族との対話
まあこのプロセスが急すぎるのはね 虐待だけれどもまあそれが緩やかに今起きているように見えるので
とても良い方向に行ってるんじゃないかなぁと思うけどね全体的には だからなんとしてでもこれを逆流するようなことはやっぱ避けたい
父にはそれは結構釘を刺していましたね 今後おそらくまたなんか言語聴覚師になりたいとか何かが欲しいとか
父親を atm だと思ってるから あのいろいろねだってくると思うけどそれに是非屈しないで欲しいって
お金を渡すことは本人を無力にすることだからこの場合ね でサポートすることと反対なので
そこはグッとこらえてほしいっていうふうに 父には伝えてまあそれはすごく納得してくれましたね
クリエそこが今共有できてよかったそうそれを一番伝えたかったので僕としては b 型事業所の農園で働くのはどうでしょうか
そこらへんがね弟の自身のプライドが許さないんですよ 僕らは別にもうどこでもいい
家で何かこうねずっと自分なんてダメなんだって言ってるぐらいだったらなんか外で まあボランティアでもいいし
なんかこう周りとつながりを築いてくれればねなんか嬉しいなって思ってるんだけど 本人がそういうのを一切嫌がるんですよねバイトもやっぱり
動くバカにするしすごく見下すんですよね ルーバーいいつみたいなのやったら終わりだよ
人に使われる人間になったら終わりなんだよっていうふうに結構 そこらへんプライドが高いんで
僕僕よりもプライドが高いんだよ だからバイトでいいんじゃないとかって言うかずにこっちが口を滑らすとすごく怒るんです
よね まあそれは本人の問題です
本人がまあ始末しなくちゃいけない問題だよね
我々の問題ではない 一つ聞いてみたいのはお金のドラマが一段落した後
さしみちゃんは長男としての弟との関係をどんな形にしたいと思っている 援助でも説教でもなくただ兄弟として続いていて
欲しい 時間ってどんな光景で浮かぶかにゃ
まあまず経済的な援助を僕は一戦もしたくない っていうのと
んな形だろうね まあ本人が何か
それなりに生き生きとしてね自分が今やってる仕事なのかボランティアなのかなか活動 何かしらの活動をなんかこう嬉しく報告してくれるような感じになったら嬉しいなと思う
けどね この間ねこういうことがあってさあみたいな
普通の日常会話ですよね あんまりなんかこう弟
なんか精神科の患者みたいには僕は使いたくないけどね自分が精神科医だからね なおさらやっぱり嫌ですよ
身内をそうやって分析したり何か治療戦略みたいな治療計画を考えるのはすごく嫌だね 普通の日常会話がしたいですけどね
どうやったら自立できるかみたいな話はできるだけしたくない まあちょっとぼちぼち終わりますかね
コメントもだんだんだれてきたし 僕としてもねまあとりあえず今日ちょっとここで一旦区切って
まあいろいろ干渉的な気持ちにもなるけどもね やっぱりこの問題難しすぎるし
自立と会話の重要性
俺も嫌だなって思うんだけど自分の問題も解決できないのに患者さんの問題なんか 抱えていいんだろうかとかさ
いろんな自動志向がババッと立ち上がるんだけどまあそれはそれとして一旦切り分けないとね 自分が完璧でなくても治療はできるからね
今自分ができるベストを尽くすっていうことは生きて大事だと思う それをちゃんと
作っていかないといけないという自分を また年月曜が来ちゃうけれども
まあちょっといい準備して したからまた医者としてねちょっと頑張りたいと思います
まあいろいろこうなんかいろんな引き出しが開いた週末だったな うん
あってお父さんといい話ができて良かったまあそうだね 去年みたいなひどいことにはならなかった
まあと父のいろいろ過去のこととかねおじいちゃんとごばあちゃんの話とかまあそれは あんまり配信には関係ないんで話しませんでしたけども
結構いろいろ深い話もできて 知らない話も聞けて良かったです
はいどうもお疲れ様でした お送りしましたのはさしみちゃんでした
はい失礼しますお疲れ様でした
59:40
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