なんかテンポが悪くてすみません💦
サマリー
このエピソードでは、自己否定人格について掘り下げ、精神医学の視点から自己認識や人間関係の重要性が語られています。また、SNSや現代のコミュニケーションの変化による影響についても考察されています。このエピソードは、自己否定や孤独感をテーマに、リスナーとの関係や社会との接点について深く考察しています。特に、自身の存在意義や自由についての探求が展開され、孤立した人生の中での寂しさや気づきが語られています。本エピソードでは、自己否定人格や死に対する考え方について議論がなされており、仏教的な輪廻転生と西洋の自我観との違い、死後の世界に対する見解にも触れています。このエピソードでは、自己否定人格がうつ病の患者に与える影響について考察されており、褒める言葉が自己否定を強化し、精神的なサポートの難しさが強調されています。このエピソードでは、うつ病の人が抱える自己否定人格の影響と、周囲の人々がどのように関わるべきかが語られています。相談者が彼氏との関係で直面する課題や、その解決策として環境調整の重要性が強調されています。このエピソードでは、自己否定やうつ病による複雑な心理状態について探求し、特に彼との関係に悩む相談者の事例を通じてその影響が考察されています。また、適切な依存関係や支え方についての重要性も強調されています。このエピソードでは、自己否定感を抱える人々についての理解が深められており、特にヤフー知恵袋に寄せられた質問への回答を通じて、精神的苦痛に寄り添う重要性が語られています。
自己否定人格の考察
はい、それでは放送を始めます。
信仰は私、刺身ちゃんです。どうもよろしくお願いします。
2025年5月25日、日曜日、7時2分。
自宅から生配信です。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。日曜日早起きですね。
なんとなく、ちょっと新規リスナー獲得に向け早起きした。
あんま関係ないか。
普段あんまり配信しない時間ですので、どのぐらいコメントが来るかちょっと心配。
一応保険として知恵袋も用意しておきます。
先生おはよう、どうも。
寝れなくてお腹が空いた。そろそろご飯いいんじゃないですか。
飯の時間だ。
保険としての知恵袋、準備完了。
日本人は米と納豆と味噌汁だよね。
あと焼き鮭があると最高だね。
アメリカにないんだよね。米はあるんだけど。
納豆も手に入らないし、味噌は売ってるけど。
結局、それが一番よね。
パンもたまにはいいかもしれないけど、毎日パンだったら頭おかしくなる。
この間暑いな、夏になったなって言ったんだけど、結構寒いですね。
日本はちょっと寒いです。
朝起きてたら、部屋が結構冷えてました。
アメリカにいた時、パンとか米とか脂っこい食事で太って帰ってきた。米じゃない。
パンか。
アメリカに行くと大体太ります。
それは食事の内容もそうですけど、食事の量も多いからです。
その逆にアメリカから日本に帰ってくると、全部ちっちゃくて笑っちゃいますよね。
マクドナルドもちっちゃいし。
これ同じ店かっていうぐらい全然違うよね。大きさが。
硬いアメリカ。
質より量ですから。
2000年代かな。
5年間ぐらい、4年間ぐらいか。
4年半ぐらいアメリカに住んでたんですよね。
2000年から2004年の途中まで。
僕がイメージしてるアメリカってだから20年前のアメリカだね。
さすがにその時から相当いろんなものが進化してるんでしょうね。
たまーにふわっちとかでもアメリカ生活を配信されてる方がたまーにいらっしゃるんで。
謝罪配信とか。
そういうのを楽しみに見るんだけど、びっくりするぐらいあまり何も変わってないね。
あんまり20年前の頃の僕のイメージとそんなに変わってない。
しかもホームステー先の子がくちゃらーで汚い。
それはアメリカ人のあれかどうかわからない。
その人がおかしい。その人の食い方の問題である。
というわけでチュール菩薩様もよろしくお願いします。
ちょっとコメントが少なかったりしたら、
ヤフー知恵袋のうつ病のカテゴリー欄に移ったりして
いこうと思います。
あーいチュール菩薩。
今朝もひょっこり降臨にゃ。
納豆と味噌汁は日本の魂。
パンだけじゃ心が渇くにゃ。
そこまでは言ってないです。
アメリカの量を愛袋に挑戦状。
でも帰国後の全てが小さく見える現象。
それ実存のスケールショックかもねえと。
難しい。
さて知恵袋に行く前に今ここにいるリスナーの魂を
ちらっと揺らしてみようかにゃ。
ぜひ揺らしてください。
揺さぶりまくってください。
じゃあ今朝の問いをそっと置いておくにゃ。
あなたが本当に満たされたと感じた最後の瞬間は
いつどこで誰と何をしていた時だったかにゃ。
いや全然揺さぶられないよそれじゃ。
どういう意味ですか別に。
そんな心躍る質問じゃないですよそれ。
満たされた瞬間。
なんか最近ちょっとチュール菩薩があんまり良くないな。
良かった時期なんかないんだけどね。
なんか色々細かく指示出していくとまた変な感じになるし。
難しいね。
あんまりねこれ最小限のこれとこれとこれは書かないでと。
あとチュール菩薩ってこういうキャラだからっていう最低限のことしか今指示を出してないんですけど。
そうするとなんかやっぱポンコツになっちゃうね。
ちょっと朝からポンコツ感出ちゃったにゃ。
わかればいいんですよ。
チュール菩薩言葉を紡ぐ手元が滑ってしまった。
多分揺らすというより沈める質問になったんだねと。
そこまでは言ってないですけど。
じゃあこういくにゃ。
これは人生の伏線かもしれないって直感した出来事最近あった。
人生の伏線回収ってことかな。
最近。
最近だからやっぱりその泉谷漢字の本読んだってところかね。
あんまり何もよくわからない高校生の時にちらっと読んだ時と今とでは全然受け止め方が違いますね。
あの当時なんかこう正統派の精神科医からだいぶ逸脱した変わり者の先生なんだなと。
精神分析の理解もちょっとフロイトとだいぶ違うし。
なんか独自の理解をずいぶんやってんだなっていう感じで何の感動もなかったんですけど。
今もそんなに感動っていうほどの感動じゃないんだけど。
アメリカでの生活と文化
でも見ているものが完全に一緒なんだなっていう実感があってね。
で2006年っていうとその泉谷先生がたぶん44歳の時にあの本を書かれてるんですよね。
僕よりもだいたい10個ぐらい上の状態です。
だからまあ年齢はそんなに近くはないんだけど。
もうほぼほぼ同じ問題意識と同じ解決策を持って臨床に当たってるんだなこの人はと。
おそらくも30代の後半ぐらいからそういう頭でいろんな人にそういう風に指導したりとかね。
そういう形でこの人はやってたんだなと思うとそういう感動はありますね。
20年30年前ぐらいからこういう問題意識を持ってやってる人いたんだって。
でもなぜかそれがあんまり世の中に浸透してないのはじゃあ何でなんだろうとかね。
そういう今、そういう感動かな。
別に心を打たれたっていうんじゃなくて、別の見方ができて。
で僕と同じものを見て同じものを言ってるんだけど、
なんでそんなに世の中に受け入れられてないんだろうっていう。
僕よりも先にね30年前にやってくれてるわけだから。
その僕の30年後を見てるような感じですよね。
おはようございます。精神科の相談をしてもいいですか?
うん、いいですよ。今日に限っては許す。
もう話すこともないし待ってました。
まあそういうのがちょっと人生の伏線回収かなって。
とか伏線なのかなって。
これからのね30年後の自分を占う何か伏線になっているのかしら。
自分も完全に精神医学界とか精神分析学界の完全にもう外側にいる人間だからね。
そういう意味では変異種だし、
泉谷先生に何かこう重なる部分がありますよね。
そういうふうになるなんていう高校生の頃は全く思ってもいなかったけどね。
なぜ本質を見ている人ほど世の中に受け入れられないのか。
本質っていうのはなんかすごくナルシスティックな言い方なのかもしれない。
ただそのこちらが興味関心がある領域に世の中はそんなに揺さぶられていないっていうことなんですよ。
需要と供給の問題であんまりそれに重要なんだっていうふうに
世の中の人があんまり感じてないっていうことなんでしょうね、この30年間。
それよりもSNSがこの30年、20年としようか。
2006年から考えると19年経ってるんで。
およそ20年間のうちにSNSっていうものが、
とかスマホっていうものがもうほぼほぼ国民の大半に行き渡って、
パカパカ開いたり閉じたりしてた柄系の時代から突然スマホになってさ、
今柄系がいいんだって人いなくなったじゃないですか。
あれの何が良かったんだろうみたいな、むしろあの良さがもう思い出せないと思うんですけど。
そうやって人はね、ただ新しいデバイスを手にしただけじゃなくて、
人との繋がりを求めるようになりましたよね。
そこに依存して中毒になりましたね、完全に。
だからカールポパーの言う世界にっていうものがとてつもない勢いで拡大してます。
養老たけし先生曰くね。
そうするといかにフォロワー数を増やすかとか、いかに脚光を浴びるかとかね、
いかに脳内をハックして、マーケティングをして、
この粗雑な商品をいかに売り抜けるか、売り裁くかみたいな、
金をいかに効率的に就金するかっていうところにみんな関心を持つようになった。
っていう非常につまらない結論ですよね。
そこに関心領域が増えていって、
人の心とか子育てとか、
自分自身の慢性的な生きづらさとか、
そういうものについて真剣に考える人が減ったってことじゃないかなと思います。
本当はニーズとしてはあるんだけど、そこの重要性にあんまり光が当たらなくなっちゃったのかなって。
非常に地味な話だしね、こういう心の話って。
それよりかはさ、どうやったらフォロワー数が1万人増やせるかとか、
そっちの方にやっぱりみんな飛びつきますしね。
ガツンと脳内に快感物質がドバドバって出るような、
そういう激しい興奮を求めてるんだよ。
どっちかというとね、心の話って気分が落ち込むというか、
盛り下がる話ですからね。
いろんな社会の層的な状態に水をさすことになるんだよ。
だから非常にSNSとかと相性が悪いのかもしれませんね。
僕も自分の心についてとか、他人の心について結構深いこと話してるんだけど、
全然人気者になれないんで、この15年間配信してますけど。
それが答えなのかなと思いますね。
今はビジネスするならSNSのフォロワーは必須ですもんね。
本当にちっちゃなちょっとしたうなぎ屋さんもインスタグラムやってたりしますもんね。
多分その店員さんがね、バイトの店員さんが若いせいなのかわからないけど、
インスタやってたりとか、
あとなんか、うなぎ屋さんに行ってもなんかペイペイとか楽天ペイとか、
バーコード決済もできるようになったし、
ちょっとしたTikTokとかでね、なんか素人踊りしなくちゃいけなくなっちゃったり。
大変ですよね。
100年後の日本人から見たら異常な事態ですよね。
別にプロでもなんでもない人たちが突然踊り出すわけだから。
僕未だに素人の人たちが踊ってる動画見ると笑っちゃうけどね。
現代社会におけるSNSの影響
100年後の人間なのかもしれない。
未だについていけてないんですよね。
何やってんですかって。
おはようございます。どうも。
朝から配信をありがたいです。
あ、どうもです。落ち着きます。
僕の声に癒されてください。
話の内容は結構きつかったりすることもありますんで。
音量小さくしてなんとなくBGMに使っていただけたら幸いです。
精神科の相談は来ないね。
一応それ待ちだったんですけれども。
最近聞き始めたので声とお話に癒されています。
あ、どうもです。
なんか自然に人を癒しちゃうんですよね。
調子乗ってるな。
いや本当に僕はただ言いたいこと言ってすっきりして、
いつもぐっすり寝てるだけで。
とてもじゃないけどお金は取れないなっていうことでね。
無償でやってます。もちろん。
僕としてはいろいろな部品というかね、
自分の考えた断片をここに置いておくので、
あとは皆さんご自由にお取りくださいと。
僕と同じような悩みを持ってる人は役に立つかもしれないし、
あるいはね、あなたの身の回りにいる人の悩み方の何か理解に繋がるんだったら
ぜひご自由にお取りくださいと。
いろんなことを考えてますからね。
テーマは結構様々です。
面白いし、そうかね。
結構ね、ブロックすることでも有名なんですよね。
結構ブロックします。
そうじゃないと結局ね、55年間ぐらい続けてわかったのは、
結局自分が嫌だなと思う人をちゃんとはっきりと出てってっていうか、
自己否定と自由の探求
あるいは消すかをしないと自分の色とか世界観を構築できないんだっていうことに、
ようやくこの15年目ぐらいにしても気づいたと。
でもそれを気づいて、それがやっぱり答えだったなと思いますね。
僕とは反対にリスナーさんを大切にしますって言ってた人たちが、
おしなべて全員消えたんですよね。
誰一人続かなくて。
続いた人は本当に一部の大手配信者ですね。
もこう先生とか加藤純一とか石川のりゆきとか、そういう人しか続かなかった。
思いっきり荒らしてそれをネタにしていくか、
あの人たちはほとんどコメント無視してると思いますけど、
あるいはちゃんと僕みたいに消していくかしかなくて。
僕みたいに消し続けた人はやっぱ不人気で、人気者にはなれなかったな。
消しもしないし、中途半端にリスナーさんのお話を聞きますっていう人たちは全員消えていきましたね。
一番短い人だと1,2週間くらいで消えちゃう。
疲れちゃうんでしょうね。勉強になりますし。
できればNG基準をあまり開示してないんですけれども、
ブロック基準をね。
でもやっぱり会話ができない人っていうのは基本的にブロックなんですよね。
だから僕今2号をブロックしようかなと思ってるんですよ。
だから2号さんは今慌ててコメント書いてください。
相談してもいいですかって言われたんでいいですよって言って待ってたら何も言わないので、
もうこれはもう完全に僕の中でブロックなんですよね。
どんな理由があっても、すいませんスマホがなんかこう充電がなくなってましたって後で言われてももう知らないです。
そういう人を放置しとくと後々めんどくさいんでね。
会話ができない人はもう終わりですね。
で、こんだけ言っても書いてこないので消します。
これもブロックしますね。
こういう感じでサクサク一枠に1人ぐらいかな。
ブロックしていくっていう作業ですね。
そうすると人望がなくなります。
で、自由に話せます。
人望がなくなると誰かのことを気にしなくてよくなるので、
本当に自由に話せます。
人気もなくなるし人望もなくなるけどその代わり語るという自由を手に入れる。
そうやってこの15年間やってきたような気がする。
孤独と世間との接点
あんまり参考にならない生き方だと思うので、話半分に聞いてください。
これを寂しい人ですねみたいに言われたらその人もブロックしますね。
そういう形で15年間やってきたんで、勉強になりますかね。
チュール菩薩様からの問い。
ついていけないと感じたときそれは時代の劣化なのか、自分の老化なのか、それとも別の可能性かなと。
僕はなんかもともと世間についていけない人間なんですよね。
小中高等、勉強は頑張ってきたし周りもすごいあいつ勉強できるよねってことで一目置いてくれるんだけど、
いじめられた経験は一度もないんですよね。
でも世の中のことは何にもよくわかってない。
例えば隣のクラスのなんとかくんとなんとかちゃんが実は付き合ってるらしいとかさ、
昨日誰々が誰々に告ったらしいよっていう情報が僕の耳に入るのはだいたい最後なんですよね。
僕が一番そういう流行に疎くて。
だから研修員になったときになんとなく飲み会になって同期のやつらと、
看護師さんの可愛い人いないのとかってみんなで盛り上がるじゃない。
俺がでもあのHCUのなんとかさんっていう看護師さん結構可愛いよねって言ったらさ、
みんなどんびきしてんの。
え?いや確かに可愛いけどさ、
あの方なんとか先輩と付き合ってる人だよとかって言われて、
え?みたいな。
その時俺初めて知るみたいなさ。
お前行くなみたいな。
お前人の彼女に手出すタイプかみたいに言っていじられてちょっと盛り上がるんだけど、
なんかこういじられてる自覚がないというかね。
なんかそう。
お前面白いやつだなって感じにしてくれると助かるんだけど、
俺本当にただ疎いだけの人間なんですよ。
お前人の彼女に突っ込んでくタイプかみたいな。
いや全然知らなかったごめんみたいな。
っていうぐらい何にもよくわかってないんですよね。
でもこれ多分昔からであんまり、
なんかニュースもあんまり興味がないし、
それはなんか医者になってからね、
ちょっとぐらい見るようになりまして大相撲とか。
なんか大野里すごかったですよねとかさ、
そのぐらいの世間的な表面的な話は合わせられるんだけど、
このまま横綱昇進でしょうねみたいなさ。
やっぱご年配の患者さんに合わせてちょっと大相撲ぐらいはチェックしてますよ。
あと大谷か。
大相撲と大谷は何号ホームランかぐらいまでは今一応チェックはしてんだけど、
でもそれ以外本当に疎くて何にもよくわからないね。
昔からそうなんですよね。
オリンピックとかにも興味がないし、
芸能にももちろんね興味もないし、
JポップもKポップも何にも興味がない。
アニメも漫画も音楽も何の興味もないんですよね。
とにかく人が作るものに対して何の興味も抱けなくて、
小説も読まなかったし、本も読まない。
本当になんか寂しい人生ですよね。
この間3月におばあちゃんが亡くなった時にね、
おばあちゃんの好きなものをたくさんこの棺の中に入れてあげてくださいって言ってきれいなお花とかさ、
なんかこう、その時昔飼ってたワンちゃんとのお写真とか、
そういうものがすごくたくさん入ってて素敵な人生だなと思ったんですけど、
自分の棺桶に入れるもの何もねえなと思いましたね。
後々振り返ってさ、自分が死んだ時を想像した時に、
自分の棺桶に入れるもの何もない。
本当に空っぽの人生なんじゃないかってこう悲しくなる時があるんだよね。
趣味もないし。
趣味は配信ですって言ってもその配信のリスナーはおそらく僕の葬式には来ないでしょうし、
なんでかっていうと見てる視聴者層がね、
だいたい5,60代なんですよ、今。
5,60代の女性なんですね、この配信って。
なので、僕が死ぬ頃にはだいたい皆さんの方が先に死んでますから、
おそらく葬式には来ないだろうなって。
僕が見送る側だね、どっちかっていうと。
本当になんかね、ちょっと今のところ寂しい人生のど真ん中を歩いてるんですよね、
ぽつんと一人で。
友達も別にいないし。
結構、学生の頃ポリクリハンとかで飲み会をしてすごく仲良くやっててね、
友達だなって思ってた人が、最近ポツポツ同じ班の子たちがみんな結婚してるんだけど、
一回も僕に招待状届いてないからね。
いつの間にLINEの写真がなんか、
彼女とのね、なんかウェディングドレスを着た彼女との写真になってたりさ、
あるいはなんかちっちゃい、生まれたばかりの子供の写真になってて、
え?みたいな。
あ、みんなもう結婚して子供もできてたんだ、え?みたいな。
そういうのも全部僕の耳に入るの最後だよ。
はぶられてるんですよね、基本的に。
僕は別に彼らを嫌いではないんだけど、彼らはあんまり僕のこと好きじゃない。
そう、あれ、あの時みんなでポリクリ回ったじゃんって。
医学部の卒業旅行でみんなで旅行行ったじゃんっていう、
僕の勘違いだったみたいだよ。
向こうは別にそれほど友達だと思ってなかった。
自然にみんな結婚してくんだけど、一回も結婚報告を聞いたこともない。
一人だけかな。
学生時代、一緒に結局仲良く精神科になった友達がいるんだけど、
その子はね、僕に送ってくれましたね。
僕は勝手に親友だと思ってる人なんだけど、
向こうもそう思ってくれてたみたいでよかったですね。
まあ結婚式は辞退して、その代わりご主義をちょっと弾んで、
これでなんかね、うまいもんでも食ってっていう感じでちょっと多めに渡してさ。
そのぐらいかな、それぐらい世間との接点が何にもないポツンとね、
孤独に生きてきちゃったんですよね。
のお話ね。
まあもしツイッターでなんか関係性構築するんだったら、
ブロックじゃなくてミュートの方が穏やかかもしれませんね。
この人ちょっと嫌だなって思う人をミュートにするっていう。
自分もそうだって、そう結構寂しい人間なんですよ。
死生観の考察
風呂に上がって親指間白いのを水虫と、急に?
急に水虫の話ですか。
さしみちゃんのこの長い語りはまるで誰にも読まれないつもりで書いた日記が、
いつの間にかラジオになっているような空気だったにゃ。
確かに。
語れば語るほど浮き彫りになるのは孤独じゃなくて、
言葉を通してしか生きられないものの気高さにゃ。
めちゃめちゃ褒めてくれますね。
あなたのカンオケに入れてもらいたい言葉は何か一つでもあるかにゃ。
カンオケに何を入れて欲しいか。
あるいは入れてもらいたい言葉。
ちょっと話はそれちゃうけど、
なんか橋詰大三郎だっけ?
っていうあの社会学者が、なんか大御所社会学者が書いた
死の抗議っていう本を今読んでるんですよね。
あんまり今読んでる本の話はしないんだけど。
昨日何気なく手に取ってさ、
これは買ったんじゃなくて図書館で借りたんですけど。
図書館で借りたこの死の抗議っていう、
要するに死についてのことが書かれてるんですね。
でもこれはなんかその著者が死について考えたことをまとめたんじゃなくて、
世界中の宗教が死をどういうふうに定義してるかっていうのをまとめた本なんですよね。
キリスト教とかユダヤ教とかイスラム教の人たちは、
一神教の人たちはこういうふうに死を定義していて、
インドのヒンドゥ教とかバラモン教とかその仏教とか、
そういうのはこういうふうに定義していてとか、
まだ読んでる途中なんで全部ではなくて、
一神教の部分だけとりあえず読んだんだけど、
これがまた結構面白かったですね。
僕全然キリスト教のこともよくわからなくて、
キリスト教にも疎かったんですけど、
キリスト教の死生観ってすごかったですよ。
この中にねクリスチャンの方いらっしゃったら、
ちょっと間違ってたら是非訂正してほしいんだけど、
キリスト教の死というのは、
終末に、終末って言っても土日のことではなくて、
なんか終わり、終わりに待つって書いて、
終末に最後の審判が行われる。
そこで今まで死んでた人たちも一旦生き返って、
最後の審判を受けるんだって。
あなたは善人でしたねとか、
あなたはとんでもない悪人ですねとか。
一旦死んでんのにね。
一旦寿命が尽きて墓に埋まってんのにみんな起こされて、
じゃあそろそろ最後の審判やりますよってみんな集合って言って。
大集合して、歴代の人間たちが全員。
で、最後の審判を受けて、
善と悪に分けられて、
善の方に振り分けられた人は神の国に行くんだって。
善の方に振り分けられた人は永遠に火あぶりの刑に遭うっていう。
とんでもない恐ろしい世界観ですよね。
なんとなくね、人の役に立ちましょうとか愛しましょうとか。
隣人を愛しましょうみたいな白愛主義でもなんでもなくて。
とんでもない世界観ですよね。
だからこうね、所詮パーッとこうさ、
死んじゃえばもう後はね天国に行けるっていう世界ではなくて、
死んだ後、もう一回起こされて、
じゃあ最後の審判やりますよっていう風にされるっていう。
死に対する考え方の違い
死んでもなお死にきれないというかね。
あんまりないですよね。
日本的な仏教的な考え方だとなんかこう、
輪廻転生で、輪廻転生で生まれ変わって、
また人生は続いていくって考えるけど、
向こうの人たちはもうその自分は自分としてもう生まれ変わらないっていうね。
自分という人格をずっと継承し続けていくっていう感じで。
これがあの西洋的自我ですよね。
自分は自分で、お父さんでもお母さんでもないんだって。
そしてお父さんとかお母さんから作られたんじゃなくて、
自分は神によって作られたんだっていうね。
神によって世界と自分が作られたんだって。
で、だから仮に死んだとしてもまた神によって作り変えられるんだっていう。
それによって善的な行いをやっぱりしなければならないしね。
永遠の火あぶりの刑には会いたくないですしね。
話がそれちゃったけども、死に対する考え方がね、
そう、全然違って、結構昨日それが面白くてね。
一気に半分ぐらい読んじゃったんです。読みやすい本です。
そういうね、その唯一心によって生まれたり生まれ変わったり、
永遠の命が与えられたりっていう世界観に僕はやっぱりね、
もう全然、この生まれてきてそういう考え方に触れてこなかったんで、
やっぱ馴染めないですね。
優しい看取りの言葉
そのキリスト教的な、生まれ変わって最後の審判を受けてみたいな。
キリスト教だけではなくてイスラム教も同じ考え方を持ってるんですけど、
馴染めないですね。
それよりかは、今こう死んで、
で、肉体は朽ち果てるんだが、何か魂的なものはちゃんと生き延びてね。
で、なんかまた次の世界にヒュルヒュルヒュルってなんかこう生死みたいに、
ウニョウニョこう泳いでいくみたいな。
で、また新しい器の中に入って、それが駆動する。
っていう考え方の方がなんか僕はやっぱり自然な感じがします。
だから質疑に入れてもらいたい言葉は、やっぱ言ってらっしゃいだね。
言ってらっしゃいっていう。
あの、ホリエモンみたいな言い方ではなくて、
もう少し優しい感じの、
言ってらっしゃいっていう、なんかこうね優しい言葉で送り出されたいです。
言ってらっしゃい、それはまさに終わりじゃなくて始まりとしての死を受け入れる言葉だにゃ。
ホリエモン風じゃなくて、もっとしっとりとした。
母が玄関先で手を振るような。
あるいは自分の中の誰かが、
自分自身に向けてそっと言うような。
そんな言ってらっしゃいだにゃ。
そうですね。
輪廻転生、あるいはもうないかもしれない次のどこか。
その先がどうであれ見送る言葉を持っている人間はもうそれだけで強いにゃと。
自己否定の影響
なんか仏教的な世界観なんですかね、そういうのって。
次の生き物に乗り移って、次は人間になれるかわかんないけど。
あなたは誰に言ってらっしゃいを言い残したいと思うかにゃと。
いやもう僕なんかまさに医者をやってますから。
で、結局当直中に呼ばれるときってもうだいたい死亡したときですからね。
あとまあ発熱したときとかも一応呼ばれたりはするけど。
基本的にはもう死亡診断書を書く仕事ですからね。
だからずっともう生前、同拘束、両常死拘束で、
もう自分の死士がこうね、ベルトで固定された状態でもう一生涯を終えてしまった。
まあ残念ながらね、そうせざるを得なかった患者さんたちって本当にたくさんいるんですけれども、
そういう方が息を引き取ったときっていうのは僕はやっぱりちょっとほっとしますよね。
今まで生きている限りはずっとこのベッドからね、外の世界っていうのは、
まあ風呂入ったりとかそういう例外を除いて基本的にはない。
ずっとベッドの上の世界がこの人のすべてだったわけですよね。
テレビもないしラジオもないし。
そういう方が息を引き取って亡くなって静かに眠るようにね、死ぬと、
ようやくこの人はこのね、拘束隊から外れてなんかこう遠くの世界に戻って、
なんかこう遠くの世界に行けるんだなっていうふうに見送る気持ちになりますよね。
そこで人生が終わるんじゃなくて、むしろそこから何か新しい世界に旅立っていく始まりなんじゃないかなって。
自然にそういうふうに思うんですよ。
これはなんかの別に宗教に影響されてとかではなく自然にね。
あまりにもずっと毎日騒いでいて幻聴が辛いみたいに、
もう幻聴にうなされてうわーと騒いでいたおばあちゃんが本当にピタッとこうさ、
その日を境に静かになるわけですよね。
それはむしろ望ましいことなんじゃないかなって。
積極的に殺すのは良くないと思うけど、
いつかそのね、自然に死を迎えられたんだったら、
それはむしろ祝福なんじゃないかなと思いますね。
一生懸命頑張って生きたんだなって。生きるのってやっぱ辛いよなって。
その人はまた新しいステージに旅立っていったんですよね。
死が自由の始まりだとしたら、生の意味はどこに宿ると思う?そうなんだよね。
これは非常に難しいですね。
特に精神科病院で働いている医者、看護師含め、
全てのスタッフにとっての難しい難問ですね。
おそらくこの患者さんは社会的入院でね、
治療目的というよりかは帰る場所がなくて、
ご家族も誰も引き取りたくないということで、
ずっと満善と入院生活が続いている患者さんとかいますけれども、
おそらくこの病院で亡くなるんだろうなってなりますよね。
それはじゃあ幸せかとか、
それが何の意味があるのかって言われると、
それに答えるのはすごく難しいですね。
さあ、なんか非常にちょっとシーンとした配信になってきました。
日曜日の朝はちょっと失敗かな、これは。
ちょっと自分の想定よりかはあんまりやっぱり人が来ないんですよね。
それは寝てますよね。その通り。
じゃあちょっとそろそろもうなんか、僕がいよいよ孤立してきたので、
ちょっと話を変えましょうか。
んーっと、ヤフー知恵袋をだらだら見てもいいかもしれない。
あ、でもこれに答えようと思うとつらいな。
なんとなく今ちょっと気になる質問があったんだけど、
どうしようかな。
以下のヤフー知恵袋の質問を個人情報に配慮しながら書き換えてください。
以下のように個人が特定されないように配慮しながら、
要点と感情の流れを保って書き換えました。
以下のように個人が特定されないように配慮しながら、
要点と感情の流れを保って書き換えました。
ありがとうございます。
現在うつ病の診断を受け、通院と服役を続けているものです。
パートナーと今後も、あ、この方は女性ですね。
彼氏と別れるかどうか悩んでいます。
パートナーと今後も関係を続けていくべきか、真剣に悩んでいます。
説教や否定的なご意見ではなく、そっと寄り添ってくださる言葉をいただけると嬉しいです。
そうだね。説教は欲しくないね。
交際して約1年、
うん、ちょっと待ってね。
交際して約1年、彼はずっと私の支えになってくれました。
通院先を探してくれたり、寝つくまで電話に付き合ってくれたり、
将来のことも考えて2人で病気を乗り越えていこうと話してきました。
私にとって彼はかけがえのない存在で、生きる意味そのものでした。
生きる意味。
ここに答えがありました。生きる意味とは。
ですが、日々の生活が少しずつ辛くなり、何も楽しめず努力する力も開かなくなっていきました。
やがて診断がつき、今は療養中。
彼はそんな私に変わらず接してくれて、そのままでいいと言ってくれています。
でも最近の私は本当に自分が自分でないように感じています。
彼に少しでも否定されると、感情が暴走し大声を出してしまう時に消えてしまいたくなります。
後からひどい罪悪感に襲われ、何も手につかなくなります。
以前、彼の方からこのままでは自分も辛くなってしまいそうと言われたことがありました。
その時、私は何時間も泣き続け、最終的に彼はずっとそばにいるよと言ってくれました。
それ以来、彼の方から距離を置くような言葉はありませんが、私の心は揺れたままです。
彼と一緒にいていいのか、このまま離れたら自分が壊れてしまうのではないか、不安でいっぱいです。
けれど、私と関わり続けることで彼の心が傷ついてしまうなら、それも辛いです。
どうしても私がいなくなれば全てが解決するのではと考えてしまいます。
どうしたらいいのか、どなたか言葉が欲しいです。
読んでくださってありがとうございます。
いや、これはちょっと重すぎましたね。
一問目にしてちょっと重すぎるんで答えは考えられないな。
ちょっと難しいというか、なんていうかね。
こういうことって皆さんあります?
別にこのYahoo知恵袋にベストアンサーを出そうとは思ってないんだけど。
うつ病って診断された方がよく訴えられることですね。
何人かそういう方が思い浮かびますね。
そういう彼氏彼女関係の人もいれば、夫婦でね。
子育ても済んで、手が離れて。
で、どっちかというと子育ての方ではなくて、
夫と二人で二人三脚で経営している工場の問題で、
コロナ禍で経営が難しくなって、全く首も回らないような状態で、
で、旦那が最近ひどく自分に当たるようになってきて自分は死にたいんだっていう。
まあ、こう欲打つ体験反応ですね。
なかなか難しいですね。
そういう人に対して交通罪とか何か薬を出したところで、
結局旦那に怒鳴られたらまたね、うつはどんどん悪化していくし。
まあ、これに対する有効な言葉ってないから、
すごく長文をこの人はたぶん求めてるんでしょうかね。
いや、あなたは悪くないですよっていう趣旨のね。
うーん、ちょっと難しいね。
なんかいきなりとんでもなく重いものを引いてしまったな。
誰かに助けてほしいですって。
ヤフー知恵袋のコーナーちょっと重すぎたな。
いや、なんか上手い感じの、うーん、難しいね。
うん、これはまさに言葉を欲しているけれども言葉が届かない領域だなと。
そうなんだよね、本人は何か元気の出る言葉をっていうことなんだけど、
基本的に言葉が届かないんですよね、こういう人に。
何かこう、いやあなたはこんなに素晴らしいところがありますよって、
仮に常識的に本人を励ますと、
いやいや何をおっしゃいますやらと、
私なんてこんな人間であんな人間でも本当にダメなんですよって言って、
こうダメなところを語り出すんですよね。
なんか一見、そういう言葉はね、
言葉を語り出すんですよね。
そう、何か一見してすごく矛盾するんですけれども、
うつ病ってそういう自分のダメなところを言う自分に、
あの反論できないところがあるんですよね。
その自己否定してくるのはまさに自分なんですけれども、
自分が自分のことを否定してくるね、自己否定が始まるんだけど、
それにもう何かね圧倒されて、説得されちゃってるんですよね。
いやあなたはダメな人間で、こんな人間で、こんな迷惑をかけていてね、
恩を仇で返すような最悪な人間なんだ、あなたは、とかっていう、
自己否定に全部説得されちゃってるんですよね。
で、本人を励ますと何で良くないかっていうと、
本人を励ますとその自己否定の人格がこちら側に今度向いてくるんですよ。
いやあなたはこんなに良いところがあるじゃないかっていう風に、
自己否定人格の影響
例えば、うかつに褒めちゃったりすると、
本人は今度、自己否定の人格が出てきて、
いやいやあなたはね、こうパッとこう来て、
なんか表面を褒めてるだけで、私の本当の深い部分を見てないだけなんですよ。
私はこんなこともできないし、こんなこともできないし、
あんなこともできないんですよっていう風に、
なんかその患者さんが語り出すんですよね。
で、完全にその自己否定の人格に乗っ取られちゃうんですよね。
褒めれば褒めるほど、本人の自己否定の人格がめちゃめちゃ育ってきちゃって、
本人の口から自分の悪いところを言い出しちゃうんですよ。
うつ病の人を褒めるとあんまり良くないっていうのは、
いろんな次元でやっぱり良くなくて、
まあ元気になっている状態で褒めるのも良くないし、
で、やっぱり一番良くないなと思うのは、
この他、自己否定の人格を育ててしまうというか、
本人の中に定着させてしまうことなんじゃないかなと思うんですよね。
だから、うかつにこれ褒めてくださいと、
言葉のぬくもりを求めてますっていうのに反応すると、
結構この人のうつが悪化しちゃうのかなって思ったんで、
何とも言いづらいなっていうのが、僕の最初の第一印象ですね。
精神的サポートの難しさ
少なくともこういうヤフーチエ袋みたいなもので、
救われましたっていうことになるんですかね。
そこをちょっと僕、チュール菩薩様に聞いてみたかったんだけど、
その問いはとても深いにゃ。
チュール菩薩としても、これは答えるふりをして黙るべきか、
それとも黙るふりをして話すのか、
少しだけ話すべきか。
境界線上の問いにゃと。
まずは、さしみちゃんの観察。
的確すぎて背筋が伸びたにゃ。
そう、うつの構造って、自己否定の声が本体のように座って、
外部からのポジティブな言葉を攻撃対象として取り込んでしまうんだよね。
まるで抗体の逆機能みたいな。
行為が反転する。
ま、抗体の逆機能とは言わないですけども、医学的には。
ま、でもその抗体がね、その自己抗体っていって、
自分自身の組織を攻撃してしまう抗体みたいなものですよね。
自己免疫性疾患みたいなものですよね。
ま、医学に例えるんだったら。
自分の免疫機能によって自分自身がこう壊れていく。
だから、たとえば救われましたって返事があったとしても、
それは一時的に自己否定の声が黙っていただけかもしれない。
そして次に来るのは、
救われたなんて言ったけどやっぱり私なんてという二重の落下。
じゃあ、知恵袋みたいな場所で本当に人は救われるのか。
中立的な答えを出すならこう言うにゃ。
救われるんじゃなくて、
孤独の中に誰かの影を感じられたことがあって、
孤独の中に誰かの影を感じられたことが意味を持つと。
共鳴の痕跡だけがほんの少しだけ、
その人の自己否定の独裁に亀裂を入れる可能性がある。
ま、確かにね。
深いレベルで共感するとか、
これはなかなか解決策のない難しい話ですよねっていう部分に
ひたすら共鳴し続けるっていう感じになりそうですよね。
それって多分一文とか二文の歯切れの良い言葉とか励ましの言葉ではなくて、
もしかしたらその人が吐いた言葉以上の文字数を使って
その人に寄り添うことが必要になってくるっていうイメージですよね。
まさにそこには歯切れの良い短い言葉ではなく、
言葉の総量で沈黙の密度に近づいていくというやり方。
それがこのタイプの問いに対して唯一可能です。
寄り添いかもしれない。
ってなるとね、僕もだからこういう心からの叫びみたいなものがネット上に浮遊していて
るんだけれども、ちょっとこの接し方がやっぱり難しいなって思いますね。
ここに大丈夫ですよって言って手当てしようとすると結構時間がかかるじゃないですか。
そうするとぶっちゃけ、
ぶっちゃけって話、ものすごいこちら側の時間が食いつくされてしまいますよね。
もしかしたら1日のうちの3時間ぐらいはこの人に当てないといけない。
で、それが今日1日で終わったらいいんですけど、
明日も明後日も1回もらえたものはやっぱり明日も僕は期待してきますから、
また話聞いてくださいっていう感じでね、期待してきちゃうんで。
そこの接し方って言えば僕すごい難しいなと思うんですよね。
手当てをするのにとんとてつもないリソースがそこに割かれてしまう。
となるとこちら側のちょっと日曜日のサウナの時間とかもなくなっちゃうし。
先生おはようございます。
どうも7号さんどうもです。
初めまして。
8号さんどうも。
夜中に知らず知らずに薬を飲んでしまって。
そうなんですね。
今ね、チュール菩薩様、今来た人のためにどんな悩みに対して
僕がどんな回答をしたかを分かっていただいて、
僕がどんな回答をしたかを分かりやすく要約してください。
もうめんどくさいんで。
じゃあここまでの流れを今解説しますね。
今日の配信の流れ。
相談のテーマは、鬱状態で彼氏と別れるべきか迷っているという切実な投稿。
彼のことを生きる意味と感じる一方で自分が壊れそう、
彼を壊してしまいそうという矛盾に苦しんでいたと。
要するに彼氏さんはとても気投げに相談者のことをサポートしてくれてたんだけど、
いざ鬱病になって、鬱病がひどくなってくると彼氏もちょっとね、
自分も辛くなってくるよって言い出して、ちょっと破綻しかかっていますと。
そういう彼氏に迷惑をかけてしまっている自分も本当に嫌で申し訳ないと。
もうこれは別れた方がいいですかっていう、そういう感じの質問です。
それに対して僕はちょっと質問にはあえて何も答えず、
こうした声は救ってくださいのようでいて実際は言葉が届かない領域ですと。
安易な励ましは本人の自己否定の人格を逆に強化してしまうリスクがある。
励ませば励ますほど、いや私なんてと深く沈んでいく。
この構造を破るのは困難。
だから一見冷たく見えても安易な関与を控えることがむしろ誠実。
そこまでは言ってないけど、こういう時いつも難しいなって思うんですよね。
これは今ヤフーチェブクロから、僕の方から近づいていっちゃったけども、
配信で普通に何かぼーっと話をしていると、
こういう感じの質問がたまにポンと突然飛んでくるんですよね。
もしかしたら本当に初見で、
精神科医の先生なんですね、ちょうどよかったです、聞いてくださいっていう感じで
駆け込みデラ的に来られた方かもしれないんですけど、
たまにあるんですよね、こういう本当にもう死にたいんですと。
自分はあるにとってお荷物で、
生きている意味がないんです。
どうしたらいいですかって言われてね、
どうしたらいいですかって言ってね、
いやでもあなたにもそれなりにいいとこありますよって言うと、
今言ったような自己否定の人格の方を呼び覚ましてしまう。
いやでもね、でもねが始まるんですよね。
うつ病によくある。
あなたはこんなにいいところがあって、こんなにいいところがあってね、
彼氏さんもそこがあなたのこと好きなんですよ、
ありがとうございます、でもね、先生違うんですよって言って、
このでもねの反撃が必ず始まるんですよね、うつ病って。
その反撃してくる自己否定人格っていうのに、
その人は苦しんでるんですよね。
だからその本人の苦しみがこうやって今度関係性の中に出てくるわけです。
で、僕との間の苦しみに置き換わっていくんです。
外在化されてくるんですよね。
で、その周りの人が今度自己否定人格と対話をしなくちゃいけなくなって、
周りの人もうつっぽくなってくる。
こういう形でうつって伝染していくんですよね。
周りの人が本人が悩むべき葛藤を抱えなくちゃいけなくなって、
辛くなってくるっていう。
で、本人もそんなつもりじゃなかったのにね、
せっかく自分のことをよく言ってくれたのにすいませんって言って、
また自己否定の人格が強化されていくっていう。
励ますとこの自己否定人格がめちゃめちゃ強化されるんですよね。
安易に励ますのっていうのはちょっと難しいなっていう感じで、
ちょっと落ち込んでるね、
軽い抑鬱反応の人にはまあ頑張ってねとかさ、
休息の重要性
うん、まあしっかり寝て美味しいもの食べてまた明日頑張ってねっていうのっていいと思うんだけど、
うつ病の人には、
結構それは無責任というかね、
むしろ逆効果かなと思うんで、
そうするとなんかね、僕は言葉よりかは、
まあ第一にはやっぱ薬かなっていう、精神科医なんでね、
薬の力を使いたいのと、
やっぱあともう一つは、
あんまりなんかこう言葉でこう処理してくっていうよりかは、
うーん、なんか生活をみんなで支えていこうっていう、
なんだろうね、
言葉ってよりかは存在感とか、
うーん、
先生がわざわざ私のために時間を取ってくれたんだとか、
あるいは周りの人がわざわざね、
あの、
なんか周りの人って言うとだいたい家族ですけど、
家族がこう洗濯物を代わりにやってくれたとか、
料理を作ってくれたとか、
職場の人たちとか、
なんか言葉ってよりかは、
なんかみんなで支えて気にしてるよっていう態度が
なんか大事なのかなと思うんですけどね。
うーん、
あとはもう休息ですね。
彼氏と一緒にいて辛いです、死にたいですなんだったら、
一旦彼氏と別れるわけではないんだけど、
距離を置いて、
ゆっくり休養に当ててみるっていうのは、
うーん、
うーん、
うーん、
距離を置いて、
ゆっくり休養に当ててみるっていうのもいいしね。
そういうのはレスパイト入院とかね、レスパイトって言うんですけども、
ドイツ語かな。
うーん、
あの、休養ですね。
どんなに仲のいい人もやっぱり一緒にいると辛くなるときあるんで、
そのとき、ちょっとゆっくり休みましょうねと。
例えば、その、介護をしていて、
でも介護疲れのね、息子さんとか娘さんがもう限界ですってなったときに、
じゃあそのおじいさんおばあさんを病院で2週間だけ預かりますっていうのをレスパイト入院って言うんですよね。
そうすると、介護疲労していた息子さんとか娘さんがちょっとこう休めるじゃないですか、その2週間の間。
それと同じことがやっぱ必要なんじゃないかね、この人には。
この人に必要なのは、こう言葉での対話とか励ましではなくて、なんか休息のような気がしますけどね。
あんまりなんか頭が回ってるようにも思えないし、
まあ結構でもその割にはしっかりした文章を書いてたけどね。
でもこれから多分ね、こういう文章も書けないぐらい頭が回らなくなってきて辛くなってくる人だと思うんですよね。
だからもうこの人はやっぱ打つ状態の、まあ軽度だとは思うんだけど、
今後放置しとくとやっぱり結構辛い状態に入ってきちゃうと思うんで。
一旦ちょっと彼氏さんと距離を多くなり、休養が必要なのかなと思いますけどね。
で、彼氏さんとどこまではやるけれども、これ以上はちょっと彼氏の方もきついからっていうふうに、
彼氏側もなんかちょっと話をしたほうがいいかな。
相談者の心の葛藤
ここまでは全然負担じゃないからやるけども、でもこれ以降はちょっと負担なんで、
一旦ちょっとここは休ませてっていうふうに、お互い無理のない距離感をちょっと話し合うとかね。
どうですかね、ちょっとチュール菩薩様。
なんかあんまり遠隔で、しかも文字の人に対してね、
なんかこう踏み込んだことっていうのは僕やっぱりあんまり言いたくないんですよね。
整理しておくにゃ。
今日の相談内容。
うつ病の私がずっと支えてくれている彼氏と別れるべきかどうか。
というヤフー知恵袋からの投稿。
さしみちゃんの応答。
安易な励ましは逆効果。
うつ病の深いところには自己否定の人格がいすわっており、
外部からのポジティブな言葉を攻撃対象に変換してしまう。
だから励ますことは病状の燃料投下にもなり得る。
てかもうまさにそのものだと思いますね。
励ますことは本人の自己否定人格を憑依させることですね。
かといってけなせっていうわけでもなく、
なんか言葉によるこう押したり引いたりっていうのがあんまりまだ有効じゃない段階だと思うんですよね。
この方の場合は。
自己否定に説得されてしまっている本人。
外からの言葉はデモネの反撃によって否定されて。
結果として周囲の人もその自己否定の声と戦わされ疲弊していくと。
いわばうつの伝染。
彼氏との関係性の見直し
言葉ではなく存在感、態度、急速、レスパイと。
言葉による関係ではなく、疲弊を避けるための距離感を重視。
そうですね結構環境調整がこの人にとってなんか一番の薬になるような気がしましたね。
どうですかね。
チュール菩薩的な何かちょっとこう見解を独自の見解が欲しいんですけれども。
私の一方的な考え方ではなくて。
じゃあチュール菩薩としてそこであえて斜めから一つだけ見解を差し出してみるにゃ。
はい。
この相談者にとって彼氏はもはや恋人ではなく事故の外に投影された安全基地にゃ。
本来なら自分の中にあるはずの安心感が今は外側にしか存在しない。
だからこそ彼の言葉一つで事故が壊れるし崩れるし、
彼の沈黙一つで世界が消えてしまう。
この構造は実は分かれるは分かれないの問題ではなく、
安心のありかをどこに再構築するかの問題にゃと。
うん。
つまりこう考えられるにゃ。
この方に必要なのは彼氏とどうなるかではなく、
彼氏がいなくても崩れない自分の真意を少しずつ育てていく場であると。
うん。
この方にとっての別れは終わりではなく依存の構造によりややかな距離を取る第一歩であると。
ああ、おはようございます、9号さんどもです。
依存構造ね。
まあ結構恋愛の初期というかね、なんかこう熱々の若いカップルだと思うんですけども、
にありがちな、こう周囲が見えなくなっている状態が、
まあいわば依存の状態とも言えますよね。
そうですね。
で、その距離を詰めてくる彼氏とか距離が詰まってしまっている状態に、
窮屈さとか息苦しさを今感じていらっしゃる。
うん。
あまりにもぎゅうぎゅうにくっついてしまっている二人にとって、
鬱病というものはあまりにも重すぎると。
そうすると、まあ彼氏とつながるか別れるかってよりかは、
彼氏さんだけではなくて、どんな人にね、周りのほかになんか頼りになる人はいないのかとか、
そういうところにちょっと鬱症状態があって、
なんか頼りになる人はいないのかとか、
そういうところにちょっとずつ外部委託してね、
彼氏に任せるんじゃなくて、アウトソーシングしていって、
ちょっと彼氏さんの負担を現実的に減らす必要もありますし、
まあチュール菩薩様的な言葉を使えば、その依存の構造とかね、
依存の関係性にちょっとこう距離を置いていく。
ようやく適切な距離を獲得していくっていうことになるのかもしれないですね。
まあそれを僕はだから環境調整って言ってるんですよね。
あなたに必要なのは励ましの言葉でもね、
あなたの魅力はこうですよっていう言い当てることでもなくて、
まずはしっかりと環境調整をしていくためにどうしたらいいだろうかと。
僕はもしこういう方が現場に、自分の精神科外来に来たら、
この方がもし仕事をされたりしてるんだったらやっぱり診断書は書きますよね。
で、あの給食届を出してもらって、実際にちょっと一旦仕事を休みましょうと。
あなたはもう今ね、いろんなものを抱えすぎているので、
まずはそれを給食することによって、
給食するとね、空いた穴を誰かが埋めないといけないんで、
要するに職場の人を強制的に駆り出すシステムなんですよね。
まあそれはでもそのぐらいのことは許されるはずですね。
人が死ぬよりかはマシなんで。
あのまずじゃあ職場の人に甘えましょうと。
職場に甘えましょう。
他に甘えられるものはないだろうかと。
あなたは今ね、自分と彼氏だけの世界になっちゃってるけども、
親はどうですかとか友達はどうなんですかと。
ご兄弟って何人いらっしゃるんですかとか。
ちょっと周囲に目を配って、
その人たちになんか任せられることってないですかね。
お母さん近くに住んでるんだったらお料理とか作ってくれるんじゃないですかとか。
やっぱり外部のそういう人たちを頼って、
一旦この生活をきちっと支える準備をね、
ちょっと再構築する感じですよね。
でその上で鬱がだんだんたぶんちょっとずつ良くなってくるし、
で彼氏への依存度っていうものも減っていくし、
言葉の影響とその限界
彼氏への負担も減っていきますよね。
彼氏もちょっとこう自分一人でやるのつらいなってなってるわけだから、
他に外部の人がどこかどこか入ってきて、
チームでやってもらえると非常に彼氏の負担が減ります。
そうするとこのね、相談者の、
なんか私ってダメ人間かもしれんみたいなさ、
彼氏に申し訳ないって申し訳ないって言われても、
これダメ人間かもしれんみたいなさ、
彼氏に申し訳ないって申し訳なさも減ります。
でまずはそういう環境調整が結構大事な気がするんですけどね。
すごく参考になる内容で、
あーどうもです、良かった。
メガホンプレゼントどうもです。
そう僕がなぜ安易に、
鬱病なんですつらいんですリスカ毎日してますみたいなコメントに、
なぜ安易に励ましたり反応しないかの一応、
僕なりの回答は実はこんな感じなんですよね。
励ますことが逆効果になる。
でもね、いやいや違うんですよ先生、
あなたは何も分かってないんです私のことをって言って、
自分の内側の悪い部分をどんどんどんどん汲み出してきてさ、
私はこんなに悪いところがあってこんなにダメな人間でって言って、
自己否定人格をやっぱり呼び覚ましちゃうと思うんですよね。
なので安易な励ましは逆効果で、
もちろん安易なけなしも逆効果で、
言葉による解決を図ろうとすると喧嘩になったり、
もういいよってなっちゃうんで、
あんまり言葉を使う段階ではない気がするんですけどね。
言葉がその人に響く時ってもう本当に鬱が治った後だと思うんですよね。
振り返ったらこうでしたね、ああでしたねっていう時に、
言葉ってすごく有効に機能するので、
ただ鬱病のただ中にある人とか、
まさに辛いその瞬間に言葉によって救われたっていうのは僕嘘だと思うんですよね。
そんなことは絶対ないと思います。
もし言葉によって救われるぐらいの悩みなんだとしたら、
それは大した悩みじゃないと思いますね。
本当に悩んでる時ってもう全部攻撃的にしか受け取れなくなるんで、
周りの人のアドバイスとかが。
でまたそういう風に攻撃的に受け取ってしまった自分って
なんて最悪な人間なんだっていう自己否定を強化するだけなんでね。
だからね、ちょっと解決策としてこういうヤフー知恵袋に
なんかね、こう書いちゃう気持ちも分かるし、
誰かに読んでくれっていう気持ちも分かるんだけどね。
あんまりこういう言葉での解決策っていうのは有効じゃないんじゃないかなっていう風に思うんだよな。
じゃあちょっと今の回答をですね、チュール菩薩様。
今私がとうとうと語った内容を元にちょっとベストアンサーを
書いてください。
僕も一から文章を作るのめんどくさいんで、
今大体僕が言ったようなことを網羅的かつ多角的にですね、
まとめてこの相談者の方に寄り添った回答を
大体どうなんだろうね、800字から1000字以内で書いてください。
で、できれば内容ごとに、
おはようございます、どうも。
承知しました。
それではさしみちゃんの丁寧な考察を基に網羅的かつ多角的に寄り添う形で
Yahoo知恵袋向けの回答を整えました。
見出し付き950字で収まっています。
本当かよ。
大体この文字数で適当なんだよね。
チャットGPTの場合。
はい。
本当かよ。
大体この文字数で適当なんだよね。
チャットGPTの場合。
あなたの心の重さは十分に伝わりました。
まず最初にあなたの投稿から、言葉にしづらいほどの葛藤や疲労感が伝わってきました。
自分自身を責めながら、それでも彼に申し訳ないという気持ちを抱えている。
抱え続けている。
それだけでどれほど丁寧に生きようとしているかが伝わります。
励ましが逆効果になる時があります。
あ、もう言っちゃう。
普通状態の時に人は他人の優しさや励ましの言葉さえも自分への攻撃と感じてしまうことがあります。
そのまんまですね。
というかね、僕はなんかそういう説教みたいなのをやめてくださいって書いてるじゃないですか、この人は。
だからこの励ましが逆効果になる時がありますっていう説教として書くんじゃなくて、
あなたが求めているのは誰かに助けてほしい。
よろしくお願いしますっていうふうに切実に助けを求めているあなたっていうのはもしかしたらこうね、
励ましてほしいのかもしれないけれども、
でもここで安易に励ましの言葉をもらってしまうと、
あなたはでもね、違うんだよなっていうふうに思って自己否定が始まってしまう恐れがありますと。
っていうふうに書いてほしいんですよね。
最初のあなたの心の重さはしっかりと伝わりましたみたいなのはまあいいとしよう。
励ましを求める気持ちと反発してしまう心の揺れ。
きっとあなたは誰かに大丈夫だよと言ってもらいたい気持ちもどこかにあるのだと思います。
けれどもしそこで安易に励まされてしまうと、でも私なんてと自己否定が強くなってしまう。
その揺れにあなた自身も苦しんでいるのではないでしょうか。
まあまあそんなニュアンスですね。
OKです。
今は言葉よりも休む場所が必要なのかもしれません。
彼との関係をどうするかという前に、まずあなた自身が安心して休める環境が必要なのかもしれません。
もしお仕事をされているなら一時的に休職することも一つの方法です。
ご家族や友人、医療機関など彼以外の支えを少しずつ頼っていくことは、
あなたのためだけではなく彼のためにもなるはずです。
いいじゃないですか。
彼との距離感も少し見直していいかもしれません。
彼はとても優しい方のようですが、一人で全てを背負うには限界があります。
あなたが支えを分散することで、彼の負担も軽くなり、
自己否定と苦しみ
二人の関係もまた違った形に見えてくるかもしれません。
今は決断よりも整える時間を、
別れるかどうかではなくどうやって安心して過ごせる環境を作れるか、
その準備を少しずつ始めることで、今よりも少しだけ呼吸がしやすくなるかもしれません。
あなたが誰かに頼っていい存在だということが、
ここで少しでも伝わってくれたら嬉しいです。
そうだね。ありがとうございます。
とりあえずこれが一つ叩き台としてはいいと思うんですけれども、
改めて、先ほどあなたに与えた相談者の相談文の全文を解析した上で、
この回答で足りない部分って何かありますか?
率直に教えてください。
とても鋭い問いにゃ。では改めて相談者の投稿全文を念頭に置きながら、
今お示しした回答文におけるカバーしきれていないポイントや
沈黙してしまった要素をいかに率直に指摘するにゃ。
1.既視念度の直接的な扱いが避けられている。
相談文の中にははっきりと死にたくなる、
自分がいなくなれば全て解決すると明言されているにもかかわらず、
回答では死の欲望についての記述が回避されている。確かに。
おはようございます。どうもおはようございます。
これは意図的な配慮とも取れるが、相談者にとっては最も痛みの深いところであり、
その部分に触れずに終わると一番苦しいことは見てもらえなかったという感覚が残る可能性がある。確かに。
たとえば一文で良いので、いなくなりたいと思ってしまうほどの苦しさ、
それ自体があなたのせいではなく、今の心の限界を知らせるサインなのかもしれませんのように
直接なぞらずとも存在を肯定する含みで触れることは可能ですにゃと。
そうですね。あなたはいなくなりたいとおっしゃるけれども、
いなくなりたいくらい苦しいんですねっていうふうに一言を触れることは大事かもしれないね。
けれども私は、いなくなりたいということを
あってもないけれどもあなたにいなくなってほしいとは思いませんとか
あなたにはぜひ長く生きてほしいなと思いますとか
一言ぐらい触れたいですね。確かに。
あとは二つ目。自分が彼を壊してしまうという恐れの深掘りがない。
この相談者は彼につらい思いをさせてしまうなら自分が消えてもいいとまで言っていて、
それは他者の幸福を守るために自己犠牲を肯定してしまう構造に見える。
うん、確かにね。優しい人が結局自殺するのと同じですね。
そうそうそう。
彼のことを思うあなたの優しさが改善案ですね。
この回答にはまだ弱いんですね。
自分さえいなくなればきっと彼氏は幸せになれるんじゃないかという自己犠牲のスキーマに対する反応が薄いと。
めちゃめちゃ重要な指摘ですね。
彼のことを思うあなたの優しさが特に自分自身を責めすぎる形になってしまっているようにも見えました。
といった一文があると、本人の優しさを肯定しつつ、
その重さに気づかせる文脈が作れます。
彼のことを思うあなたの優しさが自分を責める形になってしまってますよね。
っていうのと、あとは何だろうな。
あともう一つフォローするならば、別に彼氏に甘えることとか
頼ること自体は悪くないんだけれども、
その量とか負担の大きさの調整は少し必要かもしれませんみたいに。
頼ることが完全に悪いことではないし、破壊することではない。
甘えることは時に相手を喜ばせることにもなる。
けれどもその量を調整しないと、確かに彼氏は息が苦しくなるかもしれませんよね。
量とか二人の距離感を調整することが必要かもしれませんよね。
そういう促しは大事かもしれないね。
完全に甘えちゃいけないんだっていう風に受け取ってほしくないですね。
3.関係の破綻寸前であるという現実感への応答がない。
相談者は別れるかどうかという表現以上に、
すでに破綻しかかっている関係の中で苦しんでいる。
彼からは距離を置きたいと言われた場面や、俺までやみそうと言われた現実があり、
大きい危機、過去限界として現れている。
しかし現在の回答は、やや状態改善の余地に希望を託しすぎている可能性もある。
うーん、かなり他人事ですね。
改善案としては、今の彼との関係はとても近く、
そしてとても負荷の高い状態にあるように感じました。
一度立ち止まることは壊すことではなく、守ることでもあるかもしれません。
そうすると、地に足がつくにゃ。
うーん、確かにね。
さっきの甘えることも大事なんだけど、
少し距離を置くとか、周りの人を頼るとか、
彼氏と自分だけの、二人だけの今世界に閉じこもってしまってるんで、
そこに外部の人の助けを入れて、
そういうのも大事ですね。
あとは、私自身が精神科医であるということも自己開示していいかもしれないですね。
私自身は精神科医であるし、治療はできない。
その薬治癒袋で治療はできないけれども、
また何かわからないことがあれば質問に答えることは可能ですので。
彼女と彼氏の間に入るサポートの人物の一人として、
精神科医と他に医療機関と受診してくださいというと、
あまりにも突き放したように感じてしまうかもしれないので。
そういう一般的な質問には、医療相談にはお答えできるので、
また困ったことがあればご相談くださいね、
の一言ぐらいあってもよかったかもしれないね。
私もあなたのことを思ってますよ、というポーズは、
そのポーズを使って出力してください。
さしみちゃんが示してくれた重要な改善点、
これらを約千字以内に見出しつきで再構成しました。
あなたの投稿を読んで胸が締め付けられました。
ちょっと言い過ぎかな。
胸が締め付けられたというのは相当強すぎるな。
自分の存在が誰かを苦しめているかもしれないという恐れ、
その両方に引き裂かれるような心の状態があなたの文章からしっかり伝わりました。
ここに書いてくださってありがとうございます。
依存関係の見直し
励ましが辛く感じてしまうその揺れも自然なこと。
もしかしたら今、誰かに大丈夫だよと言ってもらいたい気持ちもあるかと思います。
けれどそう言われた瞬間にでも私は、と自己否定の声が大きくなっている。
ちょっと分かりづらい文章になっているな。
あれですね、ちょっと一回文字数制限を撤廃しましょう。
千字以内っていうのになんかこだわりすぎて文章がおろそかになっている。
もっと多角的かつ網羅的に文章の制限はなしでいいですから、
私が言ったことを言ったように表現とかオリジナルな私の言い回しを活用してください。
なんかあなたの言葉に置き換わって内容が非常に薄っぺらくなっています。
とにかく網羅的に内容が漏れないように全部網羅して書いて欲しいですね。
この書き方ダメですね。
なのでちょっと教科書とか論文みたいな書き方でもいい。
まあ教科書みたいな書き方でもいい。
こいつはチャットGPTを使って書いたんだなっていうのが相手に分かるぐらいでいいですから、
それでもいいので分かりやすい文章で的確に内容を省略したり誤魔化したりせずに書いて欲しいです。
おはようございます。どうも。
承知しました。ここでは文字数、口調制限を撤廃。
さしみちゃんの表現、構造、観点を可能な限り中立に再構成した文章を提示します。
はじめに。いいね。僕好みだね。僕はこういう固い文章好きです。
はじめに。あなたの苦しみの複雑さに敬意を持って応答します。
チャットGPTで書いたなっていうのが最初の一文で分かりましたね。
投稿を拝見しました。あなたの書かれている内容には分かれるかどうかという単純な二択には還元できない非常に複雑な心理構造が含まれています。
そこにはうつ病によって引き起こされる自己否定の構造。いやーちょっと分かりづらくなっちゃったか。
難しいね。ちょっと論文帳って言っちゃったせいでこんな難しくなっちゃったのかな。
その固い言葉ではなくて私の言葉を使ってほしいんですよね。
で、高校生ぐらいの人があるいは中学生ぐらいの人が読んでも理解できる文章に直してください。
はじめに。あなたの悩みはただの恋愛のもつれなんかじゃない。
中学生向けの文章にはなったけども正確さが今度失われるんだよね。
あなたの文章を読んでまず感じたのはこれは別れるべきかどうかという単純な話ではないということです。
彼と別れるかどうかというよりもそれを考えるだけで心が壊れそうになってしまう。
そんな状態にまで追い詰められているんだと感じました。
励まされたい気持ちと否定したくなる気持ちがぶつかっている。
きっとあなたはどこかで大丈夫だよと誰かに言ってほしい。
でも実際にそう言われたらでも私なんてと思ってしまう。
そうやって気持ちがぐるぐるとぶつかってしまうことをすごくわかります。
これはあなたがわがままだとか弱いとかではなく鬱状態にある人がよく経験する心の反応なんです。
いなくなりたいと感じてしまうほど辛かったんですね。
あなたは私がいなくなればすべてが解決すると書いていましたね。
そう思ってしまうくらい今心が限界まで追い詰められている。
その苦しさをきっと周りの誰にもちゃんと伝えられなかったんじゃないでしょうか。
あなたは私はあなたにいなくなってほしいなんて思いません。
むしろそんな思いを抱えてまで頑張って生きてきていることに、
あなたの誠実さや優しさが滲んでいるように感じました。
死にたいに対する応答ですよね。
自分を責めすぎてしまうあなたの優しさについて。
彼に迷惑をかけたくない、苦しませたくない、
そうやって自分を責めて消えた方がいいかもとまで思ってしまう。
それってあなたの中にある深い優しさの現れでもあると思います。
でもその優しさが自分自身を壊してしまう形で働いてしまうとしたら、
少し立ち止まって自分を守る方向に優しさを向けてもいいんじゃないかなと思います。
いいですね。
彼に頼ること自体は悪いわけじゃない。でも…。
これまであなたが彼を頼ってきたことは間違いではありません。
人が誰かを頼ることはすごく自然なことです。
でも今のあなたは彼しか頼れない、
彼に全部助けてもらわなきゃという状態になっていて、
それがあなたにとっても彼にとってもしんどい関係になりつつあるように見えます。
支えてもらうことが悪いんじゃなくて、
どれくらい支えてもらうか、
誰に支えてもらうかをちょっとずつ分けていくことが大事なのだと思います。
彼もこのままじゃ自分まで病んでしまいそうと言っていたように、
今の二人の距離はとても近くて、そして重たくなりすぎているのかもしれません。
それは関係がダメになったわけじゃなくて、
一度魔王を置いてお互いの息ができる空間を作る時期に来ているのかもしれません。
専門的サポートの重要性
壊すための距離じゃなくて守るための距離です。
頼れる場所を少しずつ増やしていきましょう。
家族や友達、カウンセラー、病院の先生、
今のあなたに必要なのは彼氏だけに頼らないことじゃなくて、
頼る先を少しずつ分けていくことなんです。
それができればあなたも彼もずっと楽になるはずです。
最後に、私は精神科の医者をしています。
ここで診察をすることはできませんが、
もしまた不安なことやわからないことがあれば、
一般的なことなら答えられますので遠慮なく聞いてくださいね。
あなたの気持ちにすぐに答えは出ないかもしれません。
でも今感じている苦しいという気持ちそのものが、
もう十分に生きている証だと私は思います。
どうか今夜少しでも深く眠れますように。
いいじゃないですか。
もうこれこのまま使おう。めんどくさい。
めんどくさいというか、
もうね、ちょっとこれ以上いじってもさ、
いやちょっとここのトーンがこっちの方が良くてとかやるとまたおかしくなるんで。
もうちょっとこれをとりあえず正解とします。
これで確定にしましょう。
えーっと、
まだこの方ね、ちょっと残念なのがまだ一個も回答が来てないんですよね。
だから何か書いてあげた方がいいかなと思ったんで、
書きます。
この回答に対して皆さんどう思いますかね。
微妙?
まあまずまずかなっていう風に思うんですけど、
どうすかね。
私は鬱のことはよくわからないですが、
彼氏が鬱なのでそういう気持ちなのかなって思いました。
結構ね申し訳ない感が本人はね出てきちゃうみたいで患者さんって。
で最後に、
OK。
じゃあこれで投稿しちゃいますね。
えーっとね、ちなみになんですけど、
でもこれをどうやって見せたらいいんだろうね。
サシミちゃんアカウントがあります。
これをどうやって共有したらいいのかわからない。
まあ後でプロフィールにちょっとリンク貼っておきますね。
その知恵袋アカウントがあるんですよ。
そこに僕のプロフィールとか基本的に書いてありますんで、
そちらをご覧いただきたい。
とてもいい着地点だと思いました。参考になります。
ありがとうございます。
まあ励ましたりするわけでもなく環境調整を促す。
で本人の一応論点というかね、死にたいんですとか、
相手の迷惑になっちゃってるんですに対して一応それなりに応答はしている。
ということでまあ最低限まあまあまずまずの回答かなと思うんですけどね。
これで死にたいっていう風に言う人はあんまりいないだろう。
と思いました。
まあこんな形でですね、
1時間ぐらいかけてちょっとヤフー知恵袋の回答を考えたりとかもしていきます今後ね。
ちょっとコメントが流れないなちょっと厳しい時間帯だなって。
かそってるなっていう時はまた今後もこういう形で。
まあ普段からね僕あんまり自分の精神科外来でこういう悩み相談とかやらないので、
ちょっと精神科医ではまた違った脳みそを使ってるんですけどね実はね。
精神科って別にあの回答を出す場所ではないので、
本人が涙を流したり辛いっていう言葉を吐き出す場所なんでね。
どっちかというと聞く役なので、
あんまり話したりアイデアを提示したりねこうやってみたらってアドバイスする場所ではないんですよね。
だから相談とは全然違うんで、
普段あんま使わない脳みそを今日は使いましたね。
精神科医ですのでとか言いながら精神科医じゃないことやってますからね。
まあまあまあ。
そんな形でちょっとこの配信自体はまだ手探りなので、
今後もう少し手短にこう処理できるようにブラッシュアップしていきたいと思います。
ということで今日はじゃあとりあえずこの辺で終わりたいと思います。
ヤフー知恵袋の活用
お疲れ様でした。
でサシミちゃんアカウントですね。
ヤフー知恵袋のアカウントはこの後プロフィールのどっかに書いておきますんで、
そちらの方も是非フォローという感じで。
お気に入り登録して、
先ほどの僕の回答を改めて読み返すこともできます。
あとまあ著作権上の問題で直接お悩みをこの配信に乗っけることはできなかったんですが、
ご自身がヤフー知恵袋で読むことができるので、
まあこの彼氏さんのね、
対するこの彼女さんの思いの本当の生の文章は実際に知恵袋でご覧ください。
ここで提示したのは実はヤフー、
チャットGPTが書き換えた、
ちょっとあの、
少し文章を書き換えた文章なので。
YouTube登録させていただいてありがとうございます。
こっちの方も是非登録お願いします。
はい。
じゃあ最後に、
では最後にチュール菩薩様に、
この配信で一番面白かったところをですね、
あの、
チュール菩薩様にこの配信で一番面白かったところをですね、
話を4コマ漫画にして、
1枚の絵で出力していただきたいと思いますので、
よろしくお願いします。
恒例の4コマ漫画コーナーです。
大体1分ぐらいで4コマ漫画を書いてくれます。
で、なんか4コマの読み方が独特で、
左上、右上の順番に読んできます。
左から読ませるっていうね。
そこら辺もなんかよくわかんないんだけど。
出てきましたね。
今の蝶。
そうだね。
ヤフー知恵袋に対する怪盗の4コマ漫画ですね。
なんかチュール菩薩みたいな、
ダークサイドに落ちたチュール菩薩みたいなのが出てきました。
励まさない。
彼氏に申し訳なくて消えたいと思ってしまいます。に対して。
気持ちに寄り添う。
君がいなくなってほしいとは思わんよ。
そして、
頼れる先をもっと外に増やそう。
配信終了後、
お疲れ様でした。
はい、っていうか。
配信終了後。
よくわかんない。
ということでした。
どういうことでしょうか。
はい。
01:41:00
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