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それでは引き続き、お話を伺っていきましょう。小向さん、よろしくお願いします。
ということで、パート1ではですね、小向さんが割とこう、はみ出てる系人材だぞというのは、
ラジオっていうのは、僕からもそれでしかないというか、すごい興味があったんですけども、
一応もうちょっとパーソナルなところにご質問向けていけたらなというふうに思ってまして、
とはいえやっぱラジオ局に関しても、僕もうちょっと把握した方がいいなと思ってて、
J-WAVE 特にむちゃくちゃ大好きで、番組も元々結構聞いてたりするんで、
体がもう一つあったとして、かつサラリーマンに自分がなるとしたら、ちょっと入社したいランキングがかなり高いんですよ。
いつかなんかあったらお世話になるかもしれないですけども、解説していただきたいなと思っていて、
今の J-WAVE って、どういう方がいらっしゃるんだろうみたいなことを、
簡単に組織図をイメージしつつ、かつどんなご経歴の方が活躍されてるのかなみたいなのが、
結構ケースバイケースかもしれないですけど、ちょっとバックにでも土台としてご質問させていただきたいなと思ってまして。
つい最近組織改変があって、大きく5つの組織が中にあって、
で、わかりやすい昔の言い方ですると、総務経理はありますよね、総務経理はどこでもある。
他に4つ事業の土台があって、1つが僕がいるとこで、これは編成です。
いつの間にか僕も編成局長という大役になって気づいたらいますけれども、編成。
そしてもう1つが政策、政策。
実際の名前はね、ちょっと割愛しますけど。
営業の内勤と事業、これはイベントですね、の局。
そして営業外勤の局。この4つの業態、プラス総務経理。そういう感じになってますね。
その編成って言葉が多分聞いたことない人からすると結構?っていう二文字かなと思うんですけど、
僕からすると花型だなというか、プログラムを考えたりだとか、どういったコンテンツを作っていこうかみたいな、
いわゆる企画っぽいこととして認識してると正しいですか?
細かく言っていくと何でもやなんですよ。
いわゆる番組表をどこにどういう番組を配置するかみたいなこともやらなきゃいけないし、
放送局のブランディングもやらなきゃいけないし、広報、それからソーシャルネットワークもありますし、
僕のチームでは放送技術もあって、放送技術もこれデジタル化進んでるんで、
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いわゆる今までのような専用の放送機材からどんどんコンピューター、
そしてクラウドに変わっていくっていうすごい変わり目の時代で、そこもやっています。
で、今回のMUSEみたいなやっぱり取り組みもやっていて、
イノフェスみたいなこともやってきたし、さまざまですね、何でもやるんですよ。
編成トゥーマッチ説ですね、本当。
ただし、すごくある意味変わり目の時期なので、非常に面白いというか、
僕自身が元々エンジニアなんですよ、手術師。
なのでデジタルの時代が来てすごくいい波乗ってる感じはあるかもしれないですけど、
いろんなものがやっぱり解像度高く見える。
さっきのデータの話もそうですけども、放送のマジックもアナログの放送から
ラジコっていうデジタルの方にどんどん変わってくるんで、
できてると何ができるかっていうとやっぱりさまざまなデータが取れるんで、
このデータを分析すると新しい企画もできるし、編成の在り方もあるし、
新しい商品開発にもつながるし、みたいなものすごい過渡期ですね。
何でもやですという頃なんですね。
ラジオ好きの方も聞いてそうなんで、一応聞いておきたいんですけど、
例えば新卒とか取ってます?
不定期に取ってます。
じゃあチェックしといた方がいいですね。若者のラジオ好きは今年やってるかなっていうのは。
そうですね。だからそのタイミングに合わないとやってないので。
どういう人材が入ってきてほしいとか、そういうのは今、
結構全方位で採用とかされてらっしゃるんですか?
そうですね。個人的にはね、やっぱりデータとか分かる。
今の人ってそういうのすごく研究されてる方もいっぱいいると思うんで、
データとかAIだとか単に言うとね。
あとはテクノロジーとかね、デジタルのことも分かる人が、
個人的にですよ、放送局全体として求めてるというよりは、
僕がちょっと求めてるところはそういうのがありますね。
面白いですね。多分得意なんで、いつか自分の仕事に蹴りがついたら、
俺ラジオやってみたいなと引き続き思ってますが。
ご自身のキャリアのシステム関係からというふうなお話があったんですけれども、
少し詳しくお伺いしてもいいですか?
どういうキャリアをこれまで歩んでこられましたか?
大学卒業してですね、ちょっとあんまり想像もしてなかったんですけど、
コンピューターの大型コンピューター、
当時はだからIBMとか富士通の物置みたいな、倉庫みたいな巨大なコンピューターの、
いわゆる汎用機って言われるのの、エンジニアになったんですね。
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僕、キーボードを人差し指でしか叩けなかった人間なんで、
だけどその時に全くよくわからない業界だったんだけど、
ちょっと負けらんねえなと思って、研修とかでプログラム作るんですよ。
コボルタとかアセンブラで、当時ね、今はそういう言語使わないかもしれないけど、
それも結構電車の中でいわゆるコーディングしてました、僕も。
大学の電車の中で、ここはこのルーティンが間違ってるなとか、
みたいなことをちょっと頭の中でバグ出しをしながら、
みたいな感じで結構好きになって、プログラミングみたいな世界がね。
その後、ニュース系の通信社にエンジニアとしてまた転職しました。
そこでサービスを作るっていうね、手を貸して開発というよりも、
コンピューターシステムを使って情報をどう届けるかみたいなサービスを作る方のエンジニアとして、
数年やっていた中で、J-WAVEとも出会いに、その縄縁もあって、
当時ね、その頃ね、インターネットが普及し始めて、
その時にね、僕ちょっと思ったんですけど、
これはすごい時代になるんだろうけど、僕はついていけないなと思って、一瞬。
だったら昔から好きだった音楽業界行きたいなと思って、J-WAVEに転職しました。
音楽好きだったんですね。
バンドも今だいぶやってますからね。
そうですよね。たまに拝見してますけど、そっかそっか。
それで、好きが真ん中にある転職の方なんか多そうだなっていうイメージもすごくあって、
とても何か理解はできました。
やっぱりインターネット時代に突入したタイミングで、好きを真ん中にしながらJ-WAVEに入ってきたと。
一番最初何やられたんですか、そこで。
そこで編成ですね。デジタルはネットというか、コンピューター関係はやめたいなと思っていたから、
編成キャンペーン企画だとか、聴取率調査の対策だとか、
実際にJ-WAVEどうあるべきかみたいな検討をやったりね。
今でこそあんまり見ている人少ないかもしれないですけど、新聞のラテランとかね。
広報で雑誌社とか新聞社呼んで記事を作ってもらったりとか。
だいぶ幅広いですね。それって2005、6年とかそれぐらいの感じですか。
もっと前ですね。
もっと前。
1999年、2000年、2000年前後のあたりですかね。
かなり黎明期の段階ですね。確かにインターネットの波、僕も当然生きてたんで感じてたんですけど、
そのぐらいの2000年代ぐらいの感じって、今でこそ僕J-WAVEにテクノロジーの匂いすごい感じてますけど、
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当時ってどうインターネットに対して目線が向けられてたんですか。なんかやろうぜって感じだったんですか。
当時J-WAVEでインターネットのホームページとか作られてた方は、これはこれで結構先進的な方で、
当時で言うと、例えばホームページにマウスでマウスオーバーするとそこが画像がひとつで変わるとかっていうような、
今では当たり前のような技術が当時は珍しくて、それが結構先進的にJ-WAVEのホームページには組み込まれてたんですよ。
結構ね、当時かなりウェブ業界でもJ-WAVEのサイトって注目されてましたよね。
なんかそういう流れがあったからなのか、あれですよね、たぶん関連会社もできてきたりとかされましたよね。
J-WAVEの設立が2006年ぐらいですかね。
そうですね。だんだんお前経験者だからやれって言われて、デジタルのほうに舞い戻るんですけど、
J-WAVE入社して3,4年経った頃からですかね。
面白くなってきたんでやってました。
やってたんですけれども、結構そこからわりと個人的に冬の時代だなと思っていて、
ラジオってやっぱりラジオなんですよ。
だからデジタルとかウェブって主役にはなり得ないという立場があんまり面白くないなと思ってて。
だからこそ面白いことやってやろうっていうね。
ほっとくととかく社内下請け業者になるんですよ。
なんとみのホームページこういうの作りたい、こういうデザインでよろしくね、いつまでにあげてね、はいこれで素材です。
はいできましたどうですかみたいな。
そんなのも面白くないじゃないですか。
って考えたら他にやってないことをこのデジタルの力使ってどんどんやってやれみたいな思いでずっとやってましたね。
いろんな雑誌だとか新聞で取り上げられたりするとすごくそこはそこで自己満足ではあるんですけども喜びを感じながら。
例えばどんなことが当時でいうと注目されていたんですか。
ウェブサイトも相当凝ったことやってたからいろんなショーみたいなところとか雑誌で取り上げられたり。
あんまり覚えてないんですけども結構雑誌とかいまだに撮ってますけど新聞でいろいろ取り上げられてクリッピングよくしてましたけど。
とはいえフラストレーションとかそういうのもあるんですよ。
ラジオ業界当時は今から15年20年くらい前かな。
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割とチヤホヤされてる部分もあったから音楽業界に。
いわゆる番組プロデューサーみたいな花形だったわけですよ。
キラキラしてるわけですよ。
デジタルのほうは割と黙々とやらなきゃいけないからちょっと陰な感じかな。
そういうのがあったんで。
なおかつ当時僕しかいなくて外部から派遣でスタッフが来てはいましたけど社員でやれるのは僕だけで。
膨大なECだとかJ部隊員データベースだとか作ってたんですけどこれ僕辞めたらどうなるんだろうなとか思いながら。
明日死んじゃったらどうなるんだろう。
これ誰も触れないしどうなってるか誰も把握してないよなあんまりみたいな。
結構あるあるだと思うんですけど。
そういうのはずっと何年もあって。
これひどい時は1年間ね、その日の日付で帰ったことなかったくらい。
みんな飲みに行っちゃうんですよ。
僕はもう延々と深夜番組が始まるまでやって。
当時子供が生まれたばっかりなんですけど全然子供にも会えず。
土日には会いましたけど。
みたいな毎日御前様。
それが何の部署だったんですか?
それはね編成でデジタルやってる頃だったと思うんですけども。
ECサイトを、物販のECサイト、CDのオンエアからCD買えるサイト。
それからJウェーブのファンクラブのJウェーブネット。
当時はJウェーブネットって言ったんですけど今はJMEって言ってるんですけど。
データベース全部同時に立ち上げろって言われて。
ほぼ一人で黙々とやってたんですよ。
これ作ったことある人ならよく分かると思うんですけど。
相当ねこれ。
本当にね結構フラストレーションが溜まってて。
立ち上がりました。
だったらすぐにまた上の方からですね。
じゃあすぐレポート出せ。
今どれだけ上に立ってんだっていうのが来て。
結構カチンと来ました。
これもあるあるかなっていう。
その時に一人じゃ回らないから、
某を作ってほしかったんですよ。
なんだけど某を作ってくれって言ったら作ってもらえないだろうから。
じゃあもっと難しいね。
グループ会社、ITの会社立ち上げてやった方がいいよと。
これからインターネットどんどん来るから。
っていうのをかませにして。
会社作るのは難しいけど分かった某を作ってやるよみたいに持っていこうと思ったら。
会社の方が採用されて。
面白いじゃないか、会社作りなさいって言われて。
いろんな賛否両論あったんですけど、
背中を誰かに押されるかのように何か作りましたね。
それがDVI。
2006年ぐらいのということだったんですね。
自分でやりましたよ、全部会社の登記も。
誰も手伝ってくれないから。
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学校オフィスまで結局入ってくるっていうね。
全部。
意外だったというか、
いわゆる時代的にはインターネット自体が流星になっていくから、
そこで何できるのか。
それをやってる人はすごく注目を浴びるっていうところがありつつ、
やっぱり音楽コンテンツを中心としたラジオっていう中においては、
意外とこの光と影のギャップがあるんだなっていうところは、
今聞いて分かりました。
反骨というか、
反骨ですね。
何くそ的な部分。
結構反骨から生まれる厚いものみたいなのは。
そう言っていただけるとありがたいですね。
ある意味、社内から起業したようなものにほぼ近いというか、
実際そうだったっていうことなんですね。
めっちゃ面白いですね。
そこを一個転機で聞きたかったところなんで、
興味深く伺ってました。
そこからイノベーションワールドの番組を立ち上げるみたいなことになっていくところが、
どういういきさつがあったんですか。
これはね、とはいえ、
これはどのビジネスマンにも言えることかなと思うんですけども、
自分の価値を上げていくための仕事をする。
それが会社の価値になると思っていて、
この仕事をやったら自分はスキルが上がる。
そして経験値も上がる。人脈も増える。
これは全て会社のためにもなるという思いでやったほうがいいなと僕は思っていて、
それはもし会社に不満を感じたり、会社に何か裏切られたようなことがあったときにも、
自分の力で外に立てるし、自分の足で立てるからね。
そういうつもりでやったほうがいい。
そういうつもりでやることが会社にとってもいいはずだと僕はずっと思っていて、
思ってましたけれども、40代の頃の僕の目標は、
50になるまでに会社を辞めるってことだったんですよ。
だから50になるまでにいろんな実績を積んで、
世の中にアピールできるようなことをいろいろやって、
そして晴れて違う業界に行ってやろうと思ってました。
その中で今の会長ですね、うちの会長と、
たまたま新規事業を立ち上げるみたいなミッションが下り、
それが40代の中盤後半ぐらいですかね。
その時に、さっきのハンコステージじゃないけど、
誰もやってない新しいことをやろうと思って、
いろんなリサーチしてる中で、
当時あんまりラジオ局の中に浸透してなかったマーケティングみたいな考え方、
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多分カスタマージャーニーみたいなことだとか、
ラジオリスナーのカスタマージャーニーってどんなものなんだろうとかね、
そういうことを勉強しながらやってたんですけれども、
その中でスタートアップのイベントを見に行ったときに、
当時まだ10年以上前かな。
まだまだスタートアップって言葉もあんまり世の中になくて、
そのイベント行ったときに、
こんな若い人たちが新しいテクノロジーで、
まさに時代図鑑の中みたいな感じで、
いろんなプロダクトのプロタイプを展示してて、
ずっとその投資家の人たちが見て、
投資家だとかスタートアップがプレゼンテーション、ピッチコンテストやったり、
トークセッションやったりしてる現場を目の当たりにして、
この発作は何だと、すごいなと思って、
これってJWaveとめちゃくちゃ相性いいんじゃないかと。
JWaveはエンタメの音楽のリソースがあるから、
放送もあるし、
当時は企業家と投資家だけの非常に閉ざされた、
もやのかかった向こうで何か起きてる熱狂みたいな感じだったんですよ。
それを若い人に伝えて、
どんどん自分たちも起業したりして、
こんな面白い世界があるみたいなところを、
その一条にもなればいいなと思って、
早速イベント主催者の人たちと計画しながら、
テック×ミュージックのリアルイベント、
イノベーショナルフェスタというのをやろうと決めまして、
リファレンスは、SXSWっていうアメリカでやってる、
テキサスのお祭りですね。
テキサスのね、もう30、40年くらいやってるんですか。
のをリファレンスにしながら、日本版のSXSWをね、
形はずいぶん違うんですけども、僕らがやったことと、
やってみようというような形で、まず番組から立ち上げ、
5台になる。
で、当時はだからMフローのバーバルさんに
ナビやっていただきつつ、
ちょっといろいろ事故があわれたみたいなタイミングで、
川田とんさんにバトンタッチして、
で、そこからフェスが立ち上がり、2016年ですね。
2016年にフェスが立ち上がって、
で、8年、8回やったんですね。
で、9回目がミューズという形に変わったんですけども、
そういう歴史ですね。
なるほど、なるほど。
なんか今の企業家と投資家の間で閉じられた熱狂みたいなキーワードが、
僕もやっぱ当時のことを振り返ると、
まあそうだったなと思うし、
やっぱかっこいいなとか熱いなとか思ってて、
なんかそれをこう、いわゆるマスに対して
風穴を開けて流出させていくみたいなところに
モチベーションがあったんだなって思うと、
結構今胸熱で、
実際そこでいろんな生まれたての企業家みたいな方から、
むちゃくちゃ成熟した技術を持っている人とか、
いろんな人がやっぱり番組に出てくるのがやっぱり本当に面白いので、
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これ聞いていただいてる方もぜひ、
イノベーションワールドは毎週やってますからね、
金曜日、ぜひ聞いていただけたらなと思ってます。
ということで、パーソナルなお話に踏み込ませていただきましたが、
パート2はこちらまでとさせていただきます。
ありがとうございます。
ありがとうございました。