昨年2月から続けてきた長期連載「ホームレスは、どこへ行った」が、いよいよ最終章を迎えました。その初回に掲載した北九州市での炊き出しの様子を、音声で伝えます。会場の温かい雰囲気が伝わるでしょうか。認定NPO法人「抱樸」理事長・奥田知志さんのインタビューも。
【出演】山田俊介(報道部)坂井萌香(同)
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◆ホームレスは、どこへ行った ―岐阜の現場から― 第8章[1](社会面) 欠かせないつながる場(→https://www.gifu-np.co.jp/articles/-/632927)
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00:02
報道部の山田俊介です。
報道部の坂井茂香です。
岐阜新聞ポッドキャスト▼ききかぢ第113回目の配信です。よろしくお願いします。
以前、北九州に来ておりますっていう入りで収録した回あったじゃないですか。
すっごい前ですよね。
結構前。
北九州行ってたのが、まだ暑い時期でしたよね。
まだ暑かった。
で、辿るとその回102回目の配信回なんですけど、長崎に合わせに行ったりとかしてた頃ですよね。
そうか。
あの時ですよ。
その時は?
まあまあまあ。
まあまあまあ。
前っちゃ前やね。
前っちゃ前ですけどね。
で、その時北九州で取材してきてっていう記事、実はまだ出してなかったんですけど。
そうですね。
この度ようやく日の目を見まして。
よかったー、あっぶねー。
何の取材かとかあんまりしっかり言ってなかったような気もするんですけど。
答え合わせがようやくできますね。
答え合わせがね、できますけど。
昨年の2月から続けてきました連載のホームレスはどこへ行ったのうちの1回ということですね。
第7章まで続けてきて、今第8章が1回ずつ掲載されている最中で。
なんなら今まだ最後までかけてないかとしてはあるんですけど。
そう、ピンチです。
ピンチではあるんですけど。
で、今回が最終章となりますということですね。
ゴール。
ゴール。
で、今回のポッドキャストはせっかく北九州まで伺ったので音声でもお伝えしたいなと思いまして。
その北九州での様子を収録してきたものを配信するんですけど。
北九州では認定NPO法人ホーボクの取材をしてきたんですね。
ホーボクさんはいわゆるホームレス状態にある方、生活に困っている方の支援を中心にして
立ち出しですとか生活相談ですとか居住就労の支援、あと刑務所を出所された方への公正支援ですとかね。
もう困っている人のための支援、ありとあらゆる活動をしている団体でして。
実際に立ち出し会場にお邪魔してきたんですけど、あの雰囲気ですよね。
温かい感じ。
暗いじゃないですか、夜やるんで。
そう、立ち出しはね。
なのになんでこんな明るいかなと思ったか。
なんかほんと温かくて、誰が支援者でとか誰が受けている人でっていうのが分からないような、ほんとかきには超えている感じがあって。
なんかあの雰囲気をちょっと皆さんにも感じ取ってほしいなと思いまして。
03:02
今回は立ち出し会場の様子、レコーダーをちょっと回させていただいてたので、その様子と報告の理事長、奥田智さんのインタビューの一部をお伝えしようと思います。
で、またあのいろいろ落ち着いたところで、ファッションまで全部終わったところでまた振り返りからね、ベッド撮っていこうと思いますね。
こってり振り返って。
こってりですね。
こってりこってり。
ねえ、去年の2月からやってますからね。
下間さん呼びたくないんですか。
ほんとそうですね、デスクはずっと一貫して下間デスクでした。
あのね、ちょっと移動がいろいろあったりなんかして、今本社にいないんですよね、下間さんね。
中農総局におりますんで。
総局長。
総局長よ。
よ、総局長。
にいるんで。
まあ、あのね、ちょっとそれでもこう記事ずっと見てくださって。
そうなんですよね。
だから第1章からずっと下間さんなんですよね。
そうなんですよね。
ちょっとその振り返り会はね、また後日。
はい。
できれば3人で。
やりたいなあ。
やりたいなあと思いながら。
本当に。
今回はひとまず北九州の会ということでお届けしようと思います。
北九州の会です。
おはようございます。
おはようございます。
山田さん。
はい。川内と申します。
今もあの、総属のスタッフ、後でやってるので名刺はないんですが、長いこと書き出しにはかかっています。
このままの坂井と申します。
坂井さん。
坂井です。
こっちの坂井さん。
はい。よろしくお願いします。
今年も20年。
2004年からスタッフになって、ボランティアをする前から。
だから約20年。
やってるなあって自分ながら笑いながら。
よくやってるなって思いつつ。
昔はもうとってもね、たくさんいて忙しかったけど、今はもうほら、人も少なくなってお家から来てる人もいるし。
そうなんですね。
生活困窮者支援という形。
路上の方だけじゃなくて。
もう路上の方少ないですね。
多いですか。どこですか。
3分の1、3分の2、2分の5、1かな。それより多いかも。
そうですか。
なんですよ。
ここってね、ボランティアの受付です、ここ。
で、お弁当もらうために。
手伝ってくださる方もいるけどね。
私はお弁当の担当なんで。
はい。
こっちに入りますが。
電気ついた。
06:05
ここにコードが。
はい。
おいしい。
車入ります。
こんにちは。
私は弁護士を小倉座の方でやってまして、
福岡県弁護士会から派遣という形で。
そうなんですね。
次に1回くらいなんですけど、
どこかで生活保護とか借金のお相談とかですね。
ついでというか、それでやっております。
ホテルは日本消防支援センターが協力して、
お金もかからないように、相談料とかもかからないように。
たまたま僕が協力しております。
すいません。
なんでつかないの?
弁護士さんに行ってくださると、相談しやすいから。
うーん。
なかなか足が向かないですからね。
ハードルがあるっていう。
ハードルがある。
結構いろんな方がいて、
例えば家族とかも、
弁護士行ったら借金がある人はダメだとか言われたりとか、
入ってきちゃう人とかいる。
そんなことないんですけど。
そういうことは一緒に同行してから行ったりとか、
そういうこともしたりすることもある。
市民としても結構やっぱり、
昔結構路上生活者の方が多かったんですよね。
はいはい。
でもやっぱりいるには、
あんまりいらないですね。
逆に場所を割れたりとかすると、
見に来たくなくなっちゃうんだけど、
やっぱりいらっしゃる方がいらっしゃる。
車の中にも泊まらせられたりとか、
車の中にも泊まらせられたりとか、
海岸とかもいらっしゃる。
やっぱりちょっと見えづらくなってる。
見えづらくなってる。
お弁当を今仕分けしています。
お弁当を。
お弁当仕分け。
仕分け。
これを用意をしている。
今日はいくつくらい?
132個くらい。
はい。
残りは?
で、ここが30ぐらい。
あ、これは場所を?
はい。戸端とか。
あ、そっか。直接。
あ、届けるのもあるんですか?
昔みたいに多くないんだけど、
本当に何人しかいない。
はい、ここに来てください。
初めての人。
お願いします。
はい、お弁当をおろして1箱。
お弁当1箱おろしてください。
はい。
09:01
お弁当を。
お弁当をここにおろします。
1箱。
お弁当を置いてください。
どこに?
下に。
で、ここに書いてある箱を、
ここに書いてある箱を、
ここに書いてある箱を、
揺らしだけ入れます。
すいません。
今日ですね、ギフ新聞。
ギフってどこか知ってる?
はい。
愛知の上。
私、ギフ県まだ行ったことないんですけども、
ギフ新聞の方が、
ちょっと、炊き出しの取材に来られています。
で、皆さんの顔は映さないように、
配慮してもらいますし、
この全体撮るときもね、
分からないようにはしてもらいますので、
どうしても嫌っていう人は言っていただいたら
映さないようにしますので、
ちょっと協力よろしくお願いします。
路上で生活してる方っていうのが
だいぶ減ってきたっていう風には
言われてますけど、
けど、
やっぱり行列って…
生活起こるのに人が多いわけですからね。
そういうことですよね。
家をオーダーされて、
貰いながら生活起こるみたいな。
まあ、3分の1は…
家持ってると思うけど、
生活起こるじゃん。
上から炊き出しで。
家畜一応家畜。
今またふっからかじゃないですか。
だってコンビニで買うよって言ったら、
この辺何もあってもたらんね。
なんかスーパーとかで買ったりして。
自分は年金でなんとかやれるんで、
それでもあれかな、
弁当貰って帰ろうかな、
みたいな感じで。
あ、岐阜から来ました。
お世話になります。
お願いします。
お願いします。
ブランディーの数やばくないですか?
めっちゃ多いですよ。
すごいですね。
何人見えるんですか?
全国各地です。
えー。
そっか、全国から来られるんだ。
すごい。
すごいなー。
名誉びっしりで。
はい、みなさんこんばんは。
こんばんは。
それではカメラマン見てください。
いいですか?
えー、今日は、
えー、それでは炊き出し始めます。
12:06
今日はミッキーさんが、
ひもベッドの香りに出すんですね。
ありがとう。
冷たいお茶あります。
はい、ちょっと降ってきたから、
物資の配布のほう急いでください。
いいですか?
雨が落ちてきましたから、
物資の配布のほう急いで。
えー、今から、
えー、お弁当の奥のほう、
お弁当を配っている弁当の奥のほうで、
本日相談を行います。
えー、雨降ってきてますんで、
相談されたら、
えー、
お弁当をお持ちの方で用意します。
お弁当を配っている弁当の奥のほうで、
弁護士会の先生による法律相談、
今から始めます。
ちょっと、
ちょっと閉まらない。
雨、雨降ってきたので、
すごい雨降ってきた。
雨降ったよ。
大雨でやった。
あ、お宅のテレビあるけど、
テレビちょっとないけど。
テレビの人たちで会ったよ。
そうか。
今日は少ないですね。
もう、いわゆる一人だけど、
まあ、こう来ると、
誰かに会えるみたいな。
そうですよね。
そういうのがね、
結構、結構するだろうね。
久しぶりやね、
とか言う方もおるし、
前たかね、
今回いいね、とか言う。
まあ、来る人がね。
なんか、いろんなとこで声掛け合ってるのが
すごく印象的ですか?
15:00
やっぱ、やっぱつながりっていうかね、
それを求めとっていたり、
あれやけど、
なんかね、やっぱ、
居場所というのは、
みんな居場所はね、
一つとか言うけど、
もう今、いくつあってもいいんじゃない?
居場所というのは。
あ、でもそうですね。
だから今、反対に、
昔は居場所と言ったら、
隠れ家だったね。
そういうので、
今はなんか、
例えば教会であってもいいし、
ここで竹田っていうのがあってもいいし、
まあ、自分の好きな幕に行くとか、
そういうとこ、
そうしたらたまにね、
こういう人が、
ああ、この人多いだね、とかね、
そういうとこ、
施設に行ったら、
何人か出て、
ちょっと今日、学生が入ってない人が居て、
もう今、あれだよ、
星空カフェが始まるんだよ。
あ、そうです。
うさくんもコーヒー飲んでいいんですか?
いや、みんなで飲むんですね。
みんなで飲むんですね。
うん、俺でもOKです。
あ、OKです。
ちょっと一緒に行きましょうよ。
はーい。
行きましょう。
行きましょう、行きましょう。
コーヒー飲むよ。
コーヒーね。
ブラックね。
ブラックね。
はいはい。
小松町さん。
あ、お疲れ様です。
いいよ。
あ、いいんですか。
じゃあ、ブラックで。
はい、すいません。
並んでるじゃないですか。
あ、そうですよね。
なんか、ちょっとついてきたら、なんか、
なり口に任せてたら。
そうですよね。
すいません。
はい、小松さんどうぞ。
あ、いいんですか?
うん。
あ、でもこういう場所があるのが大事ですよね。
お疲れ様。
こういうのを再生して。
ちょっと待ってね。
あ、ごめんなさい。
岐阜新聞一緒なんですね。
すいません。
いや、椅子持って。
大丈夫?
おじいさんとこっちも。
ちょっと、撮影に来たときもさ。
うんうん。
あ、中枢さん、紙コップ邪魔さーん。
ちょっと、よし。
ごめんなさい。
なんか、話に満たさしてます。
うんうんうん。
あ、でも、なかなかアパートだとね、
どんな人でもあまり周りの人とか変わらないじゃないですか。
だから、アパートにおいても、
やっぱ、さっき言った、
18:01
食べられなくて、
去年、お父さんの子は、
パッと食べられなくなったり。
たまにはコーヒー飲んでくださいよ。
それ、済んだら。
まあまあ、済んだらね。
まあまあ、ありがとうございます。
うん、元気しそうだね。
安いね。
食べよう。
食べようって言う?
食べないといけんよ。
あんな一言、
バイ。
やっぱ、あの、
やっぱ、一言二つもね。
でも、みんな、やっぱ、なんか明るいですね。
すごい雰囲気がね。
結構、やっぱり、あの。
うん。
実は、みんな、落ちこともないけど、
こう聞くと、
落とす。
それがあると思います。
だけ、
まあ、
まあ、みんな、それぞれそうやけど、
さっき、居場所って言うと、
居場所って言うの、
そういうとこかもしれないですよ。
みんな、それぞれ違うけど、
意味が違うじゃないですか。
今、話してたの。
あの、来て、
明るいとこ、
なんか来た、
こう来て、
元気しとるっていう。
なんかそう、すごい、
挨拶が飛び交う感じが、
すごくいいんですよね。
うん。
で、片方は、
挨拶で言うの。
何しよう、どうしとったんだよ。
うん。
うーん。
そろそろ時間になりましたので、
片付けを始めましょう。
就労支援だったり、
自立支援というところでは、
いろんなところにそういった場自体が
あるとは思うんですけど、
なかなか、
施設の中にいることが長期化してしまったりだとか、
なかなか社会に戻っていくっていうのが、
難しい事情が、
他の施設を見ていると
あるのかなと思うんですけど。
うちはそのほどないですね。
半年でだいたい出ますし、
自立支援センターは。
何か違いがあったりしますかね?
わかんない。
よそ何やというか。
うち出てからの、
出会いから見取りまでで、
後で見てもらったとか、
そこのお活動あって、
お掃除も全部ここでやってますから。
だから自立支援がメインじゃないんですよ。
他のところは多分ね、
自立支援センター出たら、
あとどこ行ったかわからないみたいな、
多いんじゃないですか。
うちは、
今北九州市内でだいたい1200人ぐらいですね。
自立した後の、
そのアフターっていうか、
フォローを続けている人たちが。
21:00
ですから、
昨日も実は、
炊き出しやっているさなかに、
11年の塾やって、
自立してもう20年ぐらい経つんですけど、
その方がもう既得だということで、
昨日うちのスタッフ走ってましたね。
なので、
今日、
だからもう結局、
自立を、
結局自立しても孤立で終わるっていう、
パターンが、
ひょっとしたら全国多いのかもしれません。
うちは、
自立支援センターはもう、
たかだか半年の話なんで、
そこから先の人生の方が長いんで、
そこに、
地域生活サポートセンターというのを
勝手に作って、
市も後々それを認めて、
今、
費用の半分は市が出しているということですね。
そのサポートセンターは、
自立後、
地域で生活が始まった後、
今、スタッフが、
全部で8人置いているかな。
8人のスタッフで、
1,200人だけ多いですけどね。
でも、
若くてまだ1人で働いて、
生活を自分でできる人は、
そんなに手がかからないし、
そのアフターで、
補助会みたいなのも作っているんですね、地域で。
それとは別に、
これですね、サポートセンター。
サポートセンターは、
小倉というサポートセンターや、
最小社が、小倉は、
自立支援センターが出た後ですね、
1年間は市が委託。
年間だいたい50名の新規が出ると。
八幡はそこの法務課でやっていて、
高齢者が多いと。
これが実績ですね。
20年の実績ですけども、
年間の
相談を受けた人たち、
就労とか居住とか、
だいたい7,000人、
あ、700人か。
7,000人。
件数で言うと、
2万件以上ですよね。
支援内容ですね。
金銭管理とか、
再就職、
この辺、ちゃんとやらないと、
才能熟化するわけですよね。
2020年の場合で言ったら、離職者が21名。
前の年から離職した人もいたから、
再就職した人が26名。
家の転居も、
58、59名。
転居していると。
金銭管理、
369名が使っていて、
年間の対応件数が
1万4,000件。
こういうことをやったので、
自立継続率が
9割ということですね。
だいたい、
全体で今で
1,713人いて、
その中でのじく不明になっている人が
11%ですから、
9割は
生活継続している。
そのアフターの部分、
自立後ですよね。
24:00
自立後はすべて障害なんで、
自立っていう、
ホームレスとか困窮者というと、
自立っていうところばかりしか強調されるけれども、
自立した後に
孤独死したり、
才能熟化したり、
自立が孤立で終わるっていうのが、
最初の頃からの問題だったんですね。
路上の時に、畳の上で死にたいと
言ってたおじさんに、
アパート紹介して、
再就職も決まったと。
しかし、アパート、畳の上で死にたい
っていう言葉通り、
畳の上でね、
にあがったから、
これで安心ですねって言うと、
俺の最後は誰が見取ってくれるか
っていう人の問題になるんですね。
だから我々の
放牧の特徴って言うと、
経済的困窮である
ハウスです。
家に象徴される困窮と、
人とのつながりを失っている
誰が?っていう問いに対する
答えがないっていうのを
ホームレスって捉えたんですね。
ホームと呼べる人はいない。
だからハウスレスとホームレス、
つまりハウスとホームは違うんだと。
ハウスに関しては、
この人には何が必要か。
例えば仕事だと。
仕事しようと思ったら、
例えば携帯電話がいると。
携帯電話がいるって、
携帯取りに行ったら、
もうすでに
ブラックリスト載ってて、
かつての携帯の
体能がわかると。
では弁護士がいると。
何が必要かっていう問いと、
この人には誰が必要かっていう。
何が必要かと
誰が必要かっていうのが、
北九州の放牧の
スタイルですよね。
だから亡くなったら、
お葬式までやるというのが
うちの特徴。
他はどうされたか知らないけど、
特徴ですかね。
だから路上生活者支援ではないわけですね。
変にくくったりしないっていうのも
一つあるわけですかね。
当然。
だからやっぱりそこに
30年前から孤立の問題を
入れてたってのは大きいでしょうね。
ホームレス問題を、
例えば、
一部の弁護士さんなんかは
生活保護があればいいでしょうって。
生活保護取れたらそれで
済むじゃないですかということで、
ホームレス自立支援法にも反対していた
弁護士という系がいたんですよね。
これが要するに生活保護を
使わさないための、
それこそまさに水際作戦になる
ということで。
北九州は全然そのことなくて、
ホームレス自立支援法ができたからこそ
生活保護にもたどり着けた
ということだったんですね。
何よりも見落としていたのは、
保護って結局、
ケースワーカーさんいるけども、
申し訳ないけどやっぱり
孤立の問題を解消するまで
行っていないわけですよ。
ケースのワーカーなんで、
いわゆる従来のソーシャルワークと一緒で、
問題解決型ですよね。
問題なのは、
仕事がない人に仕事をとか、
家がない人に家をという問題を
どう解決するかだけじゃなくて、
27:01
孤立をどう防ぐかなんですね。
だから誰が必要かという問いに対して、
北九州は、我々が一早く
そういうことをやって、
後々それが2015年の
生活困窮者自立支援法という
法律の中に、
社会的孤立という概念が入ったのも、
私も、
厚労省の審議会、
今でも審議会のメンバーですけども、
審議会で単なる経済的支援だけじゃ
駄目だと、
生活保護だけじゃ足らないと、
なぜかやったら、
生活保護なんていうのは、
どっかね、
味方を変えれば手切れ金みたいなもんで、
一月こんだけ渡すから、
あと自分でやってねみたいな話ですね。
けず若さんもね、
やりたくないっていう人よりか、
ちゃんとやろうとする人が
多いと思いますよ。
でも、一人が80世帯とか
担当してるわけですよ。
80世帯が年度末になっても
100世帯ぐらい増えてると。
80が100になってると。
そうなると、けず若さんも
手回らないっていうのが事実ですよ。
北九州のホームレス支援の特徴は、
野宿からの脱出っていうことに
のんびり置かなかったってことですね。
その後の
長い人生を
一人にしないっていう。
だから、
昨日の滝田市なんかでも、
昨日はいつも来てる人が
何人も来てなかったんで、
あれだったんだけど、
元ホームレスのおじさんなんかも
滝田市でボランティアの方に
今回ってるっていうことですよね。
こういったモデルというか、
全国に広げて
いけるといいのかなとも
ちょっと思ったんですけど、
どうしても自立支援っていうところに
置いてしまっているような
印象を受けるんですけど、
そこをスライドさせていくためには
どうしていくといいんでしょうかね。
けど、どの団体さんも
これが大事だよねと
みんなそうだと言うと思いますよ。
これに反対してる人がまずいないと。
単純に
例えばそのアフターの部分の
費用は誰が出すのか
っていう話なんかは
大きいですよね。
このあたりが生活保護から
別口で出るか、支援する人に
出てるかやったら出ないし、
このあたりをやっぱり
クリアどうしていくか、
ボランティアベースでずっとやっていくのか
っていうところで
うちは例えば居住支援と
組み合わせて
支援付きの住宅みたいなものを
作ったり、言っても
たかだか月
生活支援費って2000円しか
もらっていませんけど、ゼロよりは
マシですよね。
2000円っていうパッケージにして
あと
アパートの
30:00
サブリースモデルですよね。
空き家になってる物件を
家賃の6掛けぐらいで
借りて、実際に今
小倉北で10年ぐらい前に
始めたのは
大量にワールドマーシャン空いてたんで
そこを一括で借り上げて
3万から3万5千円ぐらいの
家賃だったところを2万円で
借り上げて
生活保護の家賃基準が
2万9千円だったんで
2万円で買えて2万9千円で
サブリースすると。
そうすると一部屋について
9千円の差額が生まれるんで
それと
入居者自身が
払ってる2千円
1万1千円が
一部屋から毎月上がってくる
わけですよね。
それを最初55室借り上げたんで
そうすると年間730万ぐらい
なって、NPOで言ったら
2人分の人件費になると。
っていうようなことを一方でやっていかないと
葬式まで最後までちゃんとやりましょう
っていうのは多分どの団体さんも
みんなそうだそうだって言うと思いますよ。
出来たら。
誰がどうやってやるんですかみたいな話
で止まってるんじゃないですかね。
その仕組みをどう作っていくかっていう
そうですよね。
元々の
その
あったらいいよねっていうレベルなのか
ないとダメだよねっていうレベルなのか
の意識の差はあるかもしれません。
うちはないとダメだよねだったから
最初から
2002年に
私がグランドプラン
これもうちのホームページで
読めると思いますけども
北九州のホームレス支援の
グランドプランっていうのを
2002年か1年間に
書いてるんですね。
その中に
自立後の支援ですね。
をするっていうことと
出会いから
見取りまでのスパンでやりますっていうのと
自立の概念の中に
自立の5本柱
っていうので最後の
5本目が自立したものは
一人で死なない、一人で死なせないっていうのが
自立だって書いてるんで
まさにそれを具現化する
仕組みとして
一つはプロフェッショナルがやる
地域生活サポートセンター
さっきのデータですね
サポートセンターを作るのと
もう一つは地域で五条会っていうのを作って
誰でも入れる五条会で
その五条会が主催で
お葬式をするという
仕組み。お骨はうちの教会で
全部今、引き受けていると
いうような組み合わせを
作ったんですね。
これがあるから再ホームレス化は
極端に少ない
ああ
そういった仕組みを
築いて来られたっていうことは
うん
ボランティアの方の活動もすごい
目もチラッと拝見したんですけど
結構全国から来られてるとか
基本東京都
そう
この一週間青山の
学生さんが
うちで研修したいって言って
33:02
8日ほど泊まり込んだんですね
もう一人東京から来てたね
それと
男の人もこれで2回目
って来てましたね
あれはだから来た人かな
結構そうやって来るんですよ
全国からボランティアが
来るって
さっきの仕組みの話も
もちろんそうなんですけど
気持ちを広げるって
そこが大事で
大変な部分でもあるじゃないですか
それをするために
ここがみたいな
それだけは
なかなかできないなと思ってたんですよ
例えば
ソーシャルワークの専門職教育なんかでは
感情移入しちゃいけませんとか
クライアントとの距離を
取りなさいとか
うちは感情移入するんです
当然悔しかったり悲しかったり
嬉しかったり当たり前ですよと
でも感情を感情で終わらせないで
感情を仕組みに変えなさい
事業に変えなさいと
感情で終わらせたら
個人の事柄で終わるんで
そこで悔しかった
例えば手が届かなくて
結局亡くなってしまったっていう
ケースで泣いてると
じゃあそれが次起きないためには
どんな仕組み
どんな事業を起こしたらいいかと
感情を事業に変えろ
仕組みに変えろ
事業に起こせたら今度はそれを制度に持っていけ
国の制度まで持っていく
っていう
じゃあそこに
共通の
基盤みたいなものは何かっていうと
言葉なんですよ
言葉
例えばさっきの
ハウスレスとホームレスは違うとか
あの人には何が必要か
誰が必要か
一人にしない
繋がりっていうこと自体が支援になるんだ
とかね
そういう様々な言葉
なんですよね
例えば家族機能
昨日の夜の話でいうと
うちのプラザほうぼくっていう
支援付き住宅は
家族機能を社会化した
じゃあ家族機能って何ですか
って言われたら
それは気づきと繋ぎだと
気づいた人が繋いでくれると
家族は日常的に一緒にいるから気づける
変化に気づける
サザエさんで言ったら
ナミ兵がね
朝ごはん食べて一時間ほどしてね
おいサザエ
飯まだかって言い出したら
サザエさんはやばいと
ナミ兵来てると
船さん呼んでお母さん明日キャバネとこ行こうと
ナミ兵の相談しようと
これが家族なんですね
気づきと繋ぎ
その気づきと繋ぎの
家族っていう人たちが
随分変だ
今単身世代が4割ですから
北九州は4割越した
そうすると
日常的にナミ兵見てくれてる人が
いなくなるわけですよ
家の中でぶっ倒れてもわからない
36:01
気づきと繋ぎがついてる
ワンルームマンション
っていうのがさっきのサブリスモデル
さっきの1万1000円で
スタッフつけたのは
2人のスタッフがいて
1人はビルの中に住んでる管理人
1人は支援員、専門支援員
管理人さんは
3日に1回必ず全顧訪問してますね
会えなかったらメモ置いて
連絡ください
みたいな
気づきと繋ぎが
家族の機能だったんですよ
家族機能の社会化
っていう時に
家族になりましょう
あんまりバックとしてはわからないから
最初の頃20年くらい前に
そこで言い出した時には
養子園組の話ですかみたいになってた
そんなことできるわけない
なんちゃってよ
もうちょっとわかりやすく言おう
って言って
家族機能を社会化すると
例えば家族だから
お葬式出しなさい
家族だから最後の見取りをしなさい
けどその家族がいないとか
家族に財政的な力もなくて
お葬式出せない
という人がいるわけですよね
じゃあ逆転させて
家族の機能がお葬式だとするんだったら
お葬式した人
お葬式出た人をみんな
みんな家族と呼んだらいいじゃないか
家族機能の社会化
親だったら子供の弁当を作れ
って言ってきたけども
それを作らない親たちっていっぱいいるわけですよ
あるいは作れない
一つの原因は自分も子供の頃
作ってもらった覚えがないっていう
そういう親たちが
子供時代が送った人が親になって
自分の子供にも
弁当作らないわけです
だからそうなったら地域で
弁当作ってくれた人はみんな親だ
これが希望の街の
家族機能の社会化ですね
そういうことを
言葉にして
気づきとつなぎだってやってきたのが
今回の居住サポート住宅
っていう国の制度になるわけです
法律改正したわけですね
そのサポートって何なんだ
みたいな話になって
気づきとつなぎですよ
実際その言葉だけでは自由にならないんですよ
理念だから
それに肉をつける
言葉を充実化させるのが
うちの若いスタッフたち
言葉はあくまでも
方向性を示している
ベクトルなんです
そこに若いスタッフたちが
おじさんたちと葛藤するわけです
僕自身は
共通する言葉を残して
それをベースにして
若い連中が
言葉を言葉からに変えていって
充実化させているわけです
そういうのはすごく大事だと思います
仕事をこなしていくようでは
なかなか続かないんですよね
気持ちがあって
つながっていくといいとは思うんですけど
なかなか
かつてに比べると
困っている人が
そこにいるというのが
39:00
見えづらくなるというのがあるじゃないですか
やっぱり
可視化しやすい状況にしていく
というのが必要なのか
分からないですけど
昨日の夜の拠点みたいなのは
もはや野宿舎中心じゃなくて
地域で
一食あったら助かる
みたいな人が来ているわけですよね
そこはそこで
つながりの場所になっているので
実はこの滝出しも
食べれない人にご飯を負っているよりかは
そこで週に1回とか
2週間2回会うことで
気づけるかつなげるか
という場所に
滝出しがなっていると
昔野宿の人が500人いた頃は
一晩で500食配る
作るというのが大変だったんです
そこに
家があるよという人が紛れ込んでくると
僕は帰ってくれと
野宿舎の最優先だから
家持ちは帰ってくれと
今日一食確保できるかという
レベルの人
全員が野宿舎ですよ
中には裸足の人もいるし
というような状態だったんですね
たった20年前ですよ
2004年、5年
今は全然違いますよね
今はみんな保護をもらっていたりとか
年金があったりとか
どう見ても野宿じゃないよねという人が
7割、8割並んでいるわけですよね
今あれは何をやっているのかというと
まさに気づきとつなぎですよね
相談するタイミングを作っているわけですよね
いつでもいらっしゃいという場を作っている
今度それを状態化するのがこれです
そういうことですね
報道で出ると
複合的福祉施設と書かれちゃうんだけど
僕は施設を作る気はないよと
従来は
ファーストプレースが
自宅ですよね
ファーストプレースには家族がいて
家に帰ると誰かいてくれる
しかし今は単身化が進んで
家に帰っても誰もいない
セカンドプレースが職場ですよね
日本のいわゆる
就寝雇用とか
長期雇用勧告で
一つの会社で30年40年働く
だからかつて80年代
日本の企業経営というのは家族的経営と言われて
ここにも家族が出てくる
下手すると
職場現役時代は
家族というよりも
職場の同僚というのが長い
雇用がもう一つ可能にさせたのは
住宅ローンで
自分の自宅を
持てたという持ち家ですよね
けどこの
セカンドプレースも今や
労働人口の4割は
非正雇用
だから1年ごとに職場が変わる
公務員でさえ
多くの公務員が
会計年度任用職員で
1年ごとなんですね
これでセカンドプレース行っても
42:00
年々人が変わるから
そういう繋がりの場合にならない
そうなるとサードプレース
第3の場所が
まさに
繋がりつくる場所になるんです
かつては自宅があって会社があるから
サードプレースって時々
行く趣味の場所みたいなものだったんです
京都はそうですね
サードプレースですよね
1週間に1回来る
ここはサードプレースしかない
みたいな人たちが
ここで日常を過ごす
けど自宅はある
ファーストプレースはある
その上でサードプレースが
これから街づくりの中心になる
というのが希望の街
なんですね
昨日みたいに
炊き出しが終わったら
星空カフェって言ってカフェが始まって
もうボランティアも
当時でも関係なく
フードバンから届いた
クソ甘いクッキー食べながら
お茶飲んでるみたいな
でもあの空間良かったです
名古屋なかったんですよ
あれのね
カレー配って食べて帰る
食べたら帰っちゃうので
だからそこが
うちが適度に減ったから
ですよね
苦労は分かりますよ
だって500食やった時は
そんなゆっくり喋ってる余裕なくって
もっと言うと夏場になると
弁当腐るんですよ
数時間で
だから夕方4時5時ぐらいに
500食仕上げて
会場持ち込み8時でしょ
そこからもう12時までに
全部配れっていう
そうでないと腐る
最後の11時過ぎて配る頃は
弁当蓋ちょっと開けて
匂ってから配るぐらい
しないと危ない
やっぱ一回ね
途中でね変な匂いしてる
全部途中で廃棄ですよね
あと100食ぐらい
残した時点で廃棄
そっから
みんなお金握らして
コンビニ走れって言って
5食10食ずつ
100食買い足して
配る
そんな時期もありました
だからお兄さんのみて500人
800人来ると
ゆっくり喋ってる中
ギブもそうかもしれないけど
名古屋もそうかもしれないけど
でもまあ
何を目的とするか
うちはもうすでに
食べれない人に食事を
っていう域はもう超えたんです
あそこが
出会いとか
お互いを知る場所
つながりの場所でいいんだ
っていう
家があろうが
ちょっとなんか
ついでに撮りに来ましたみたいな
雰囲気の
なんか見切れだし
携帯電話握ってるみたいな
兄ちゃんが並んでても
まあどっから来たみたいな
話になってると
いうとこです
長い目で見たら結局
コミュニケーションの場所を
45:01
どこに作るか
だって考えたら1週間に1回とか
2週間に1回、弁当1回配ってね
それで生存権がどんどん来るのってね
嘘ですから
1週間に1食しか食べないで
生き延びてる人いないし
逆に言ったらその1食がなかったら
死ぬかって言ったら死なないし
ちゃっかりどっかでみんな
なんとか生き延びてる
じゃああの弁当って何?って言ったら
最初の頃に
僕らは30何年前
僕がまだ来た時だから25歳
で炊き出しの意味は
まさに生存権だ
命を守る活動だ
やっぱり
3ヶ月もやったらもう分かるわけですよ
1週間に夏は1回
冬場でも毎週配っても
1週間に1個弁当もらって
命を守るわね
って言い過ぎやろ
じゃあ意味がないのか
という議論になって
で、まあ1週間に1回でも
意味がないことはないよねと
食えんよりか食えた方がいいよねと
いう話には当然なったんだけども
その時一緒に始めたメンバーの中から
いや
確かに
一食でも助かるっていう人はいるだろう
でも僕らは
友達の家に
訪ねていく時に
手土産ぐらい持っていくやろうと
それなんじゃないかって
言い出したんですよ
友達の家を訪ねてる
友達になろうとしてるっていうことに
意味があるんじゃないかな
友達の家に訪ねていく時に
手土産として弁当を持って
ああいう拠点で
みんなが並ぶ形になったのは
もうその後なんですね
最初の頃は市内全域を
我々一人一人訪ねて渡してた
だから
友達の家に訪ねていく時に
お土産ぐらい持っていくやろうと
そのお土産なんだと
我々は友達になろうとしてるんだと
その一食で
その人の命をどうのって
そういう
それは
やってる人のロマンであって
もらってる人からしたら
それで生き延びましたってのは
そりゃないやろって
っていう伝統が
そもそも37年前の
出だしの時の議論なんです
ああ
うちの団体はそれが今でも生きてると思います
だからあそこがあんまり殺伐としない
あ、してる?
なんか当たると思って
すごい明るいなって雰囲気が
誰が当社で
誰が応援してるか
分からない
友達なんです
あそこのステージは
友達の場所を作るっていうのが
37年前のスタートの議論
そこの後に
ホームレス団体が全部でき始めて
そして
ホームレス自立支援法の時点になった時に
生活保護があるのに
そんなのいるかと
ホームレス自立支援法を
やっぱり
現場になってきた人たちの中に
ちょっとした対立が起こるわけです
ああ
48:00
僕は視点の違いなんじゃないかと
要するに
生存権
憲法第25条の
生存権からしたら
生活保護があるからいいでしょうは分かる
でも
悪いけど生活保護の現実が
ケースワーカーの現実も含めて
保護もらったからって言って
食べることができても
誰と食べるかはクリアしてないんじゃないの
と
だからそこは
憲法第13条の
全て国民は個人として尊重される
幸福を
追求する権利
13条まで踏み込まないと
旅立ちの意味なんてのは
ないんじゃないのみたいな話にもなって
やっぱり
ホームレス自立支援法っていう
その後の
フラシマで含めたような
ところですよね
の議論と
自立っていう就労の支援とか
の強化も含めて
一方でやっぱり
最低
憲法25条大事だし
絶対国はそれの義務規定の基本は
憲法第25条OKと
国の義務なんだと
人の命を守るっていうのは
でもあの言葉は
ちょっとミスリードもしてて
健康で文化的な
最低限度の生活を
営むって書いてるんですよ
どうも困窮者の支援とか生活
困窮とかその
生活保護もそうだけども
なんかねレベルが
最低限なんだな全ての
無理に線引っ張っちゃってないかっていう
そうだからやってる方も
いつの間にか最低限度の生活
焚き出しで
カフェするなんてはさないわけですよね
何かやったら最低限食べれる
っていうところを目指してるから
けどせっかく来たんやから
お茶飲んで帰ったらみたいな
発想は当初から
やっぱりうちの発想なんですよね
お弁当に
手紙がついてるのも
全国の人とつなげようと
これはコロナ禍で
一緒に食べることができなくなった
うちのボランティア部はやっぱり
家帰ったりとかもしくは
路上で一人食べないといけない
その時期が3年ぐらい続いたわけです
コロナ禍
一人で食べる
誰と食べるかをテーマにしてきたんだから
全国に呼びかけて
手書きの手紙は
全国のうちの支援者っていうか
ボランティアさんが
手紙手書きで書いて
送ってくれた
それをお弁当に挟むっていうのが
コロナ禍のつながりの維持だったんです
だからうちの竹田社やっぱり
徹底的に
つながりを作るんだっていうのが
それが長い目で見たら
自立の継続性とか
っていうのにつながるよ
っていう話になるわけ
グラミン行ったら
あんたたちがおるけん
わたしがおるっちゃ
なんとかなるっちゃ
51:06
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