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どうもー。木曜日の11時にニュースレターをお届けしています。キタノドロップです。
今日はですね、トマトゥさんが、リッキー・ドーザン先生ですね、 プロレスラーのお話をスタイフでしておりました。
ということでですね、私もかぶせてプロレスの話をさせていただきます。
はい、多分私のスタイフ史上一番マニアックな回になると思われます。
トマトゥさん何を喋ってたかというと、戦後のプロレスですね、太平洋戦争後のプロレスの歴史の第一人者、
リッキー・ドーザン先生のお話をされていました。 詳しくはトマトゥさんの配信を聞いてもらいたいんですけど、
それにかぶせてですね、プロレスって戦後だけじゃなく戦前ですね、 太平洋戦争前ももちろん行われていたんですよ。
私の方では戦前に活躍したプロレスラー、平志久間選手のお話をさせていただきます。
多分誰やねんって話なんで、ちょっとだけ志久間選手の選手紹介します。
本名志久間俊一さん、生まれ明治38年1905年生まれですね。
タメ年の有名人としては元総理大臣の福田さん。
あと登山家で小説とか漫画の主人公になった加藤文太郎さんもタメ年ですね。
完全にこれ歴史上の人です。
志久間選手、生まれがハワイ、5歳で日本に引っ越していますね。
学生時代に柔道をやって、その後学校の先生になります。
何がすごいって、身長が180センチで体重92キロもあったんですよ。
今だったらちょっと大きい人ぐらいなんですけど、当時だったらめちゃくちゃでっけえですね。
でっけえです。
ここからちょっとプロレスの話をしていきます。
志久間選手、どうやってプロレスラーになったかっていうと、
学校の先生やってた時に柔道のコーチとしてハワイの日本人学校で授業をしたらしいんですよ。
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その時に現地のプロモーターですね、プロレス団体のスカウトマンに引っ張られて、そのままプロレスラーとしてデビューしております。
学校の先生とプロレスラー二刀流という形ですね。
一番古い試合は1934年のホノルルでの試合。
そこから6年間プロレスラーとして活動してたんですけど、
日本とアメリカがどんどんどんどん戦争に向かっていくということでですね、
ちょっとプロレスの試合も少なくなっているようです。
現役時代、我々が知っている一番有名な選手との試合が、
キラー志久間対ルー・デーズ選手ですね。
ルー・デーズです。
本当こちらも歴史上の人物で3試合して1勝2分け、ごめんなさい間違えました。
1敗2分けでちょっとルー・デーズには勝てませんでした。
1940年ですね、一時帰国しております志久間選手。
その時結婚してアメリカに行って本格的にプロレスをしようとしたんですけど、
日米関係がですね、どうしても仲悪い。
これちょっと戦争あるなぁと思って、
当時日本の領土って言っていいんですよね。
日本だった朝鮮に渡っております。
朝鮮でまた教師として本格的に仕事しだして、
プロレスラーを事実上引退しておりますね。
そこから太平洋戦争が始まって終戦と同時に
志久間さんも日本へ帰国というか、引っ越しております。
そういう選手ですね。
志久間選手何がすごいかっていうと、教師として働き始めた後は
プロレスラーだったってことをずっと隠してたらしいんですよね。
戦前の活躍を知っている人がまたやりませんかって誘いに来たらしいんですけど、
もう自分は教師なんでって言って何かお断りしてたっていう記録も残っております。
もし日本プロレスの旗揚げですね。
力道山選手の日本プロレスの旗揚げの時に、もしキラー志久間も参戦してたら、
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ちょっとその後の歴史も変わったのかなぁみたいな感じで思ったりしております。
今日はですね、戦前に活躍したプロレスラー、キラー志久間選手を紹介させていただきました。
最後まで聞いていただき誠にありがとうございます。また聞いてください。