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和歌山市のアウトダーショップ、キセンランドトレイルの白石です。 有田市のコーヒーショップ、ARCの上田です。
この番組は、和歌山で活躍するゲストの方にインタビューしていく番組です。 kisenradio 第60回です。
本日は、和歌山県岩手市にある和高冷熱さんの事務所で収録しています。 本日のゲストは、和高冷熱の高橋和也さんです。
和高冷熱さんの生まれから現在に至るまでのルーツや現在のこと、これから計画していることについてお聞きしていきます。
よろしくお願いします。 よろしくお願いします。 よろしくお願いします。それではまず、和歌山県岩手市から自己紹介してもらってもいいですか。
岩手市で電気屋を営んでます、和高冷熱の高橋和也です。 よろしくお願いします。
和高冷熱というと、どういう仕事をしているとか、そんなのをちょっと教えてもらってもいいですか。
電気、空調、冷凍機工事と、あとは個人宅の給湯器の修理、大手メーカーから依頼された給湯器、エアコンの修理等ですね。
うちのARCも和歌山の会社で電気工事とかしてもらったんですけども、和歌山といえば、結構和歌山の色んなかっこいいお店とかの電気工事で手掛けたりとか
すごくされてるんですけども、今のメインのお仕事っていうのは店舗の設備系になるんですか。
いや、それも数ある仕事のうちの一つ、4分の1、5分の1ぐらい。自分らの年間売上の一部って感じですよね、電気工事も。
なので、今言った冷凍機、電気工事、メンテナンス業が20パーずつぐらいあるっていう。それで5つぐらいで100になるみたいな感じで。
冷凍機ってどういうことですか。
冷凍機はスーパーマーケットのショーケース、肉とか魚並んでるケースとか、バックヤードに大型の冷蔵庫あるんですけど、冷蔵庫、冷凍庫の設置、修理、点検とかですね。
その辺が冷凍機の主な修理で、今はもうスーパーさんとか大手の取引はやってないんで、個人の知らせ屋さんとか商店さん、野菜屋さん、八百屋さん、肉屋さんって個人、あくまでも個人、小規模でられてるところの冷蔵庫、冷凍冷蔵庫ショーケースの取り付けとか修理やってます。
それが家業ですね。親父がやってきた仕事。
もともとおじいちゃんが鉄工所やってたんですよ。
鉄工所やってて、昔って今は既製品で業務用の冷蔵庫とか箱になって、誰でも買えるんですけど、昔は鉄工所で鉄の箱作って断熱台入れて、それに電気とか冷凍冷蔵設備を組み込んだやつを販売するっていう始まりを、
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親父らが、おじいちゃんが箱作って、親父がシステム作って販売するっていう流れだったんですけど、そういうことから派生して、親父とおじいちゃんはもう別れて、親父は冷凍機械として一人で独立したっていうイメージなんですけど。
へー。
で、数屋さんの台になって、その電気工事が始まったっていう。
それも要は、もともと始め、八百屋さん、肉屋さんってあるんですよ、みんな。で、世の中景気が良くなるときに、みんな大手スーパーさん、もとは魚屋さんとか八百屋さんとか、その人らが伸びて大手スーパーさんになっていくみたいなイメージなんですけど、
それに付随して、数は少ないんですけど、冷凍機械屋さんっていうのが各県、地方にもいてて、でも少ないんですよね。
で、それが、自分らがついたお客さんが店舗を増やすごとに仕事をもらったり、いい時代だったんで、要はもう、いい時代だったっていうのもあるし、特殊な仕事だったんで、冷凍機械屋さんってすごい、冷凍機械屋さんが言うならみたいなぐらいの、
建築工事入っても、冷凍機械屋さんが10日かかると言ったら10日かかるしっていう、そこまで誰かに制御されるような業種じゃなかったんですけど、でも時代が進むにつれて、その人らが大手スーパーさんになり、大きくなっていくにつれて、
工事も2日でやってほしい、大げさなのに。夜やってほしいとか、すごい制約が出てきて、そういった個人でやってる人は応援読んで片付けたりするんで、後期身近なったり値段が下がったりしたらもうやれないんですよ。ついていけないというか。
それに伴って僕らも、親父も、だんだんそういう世界から離れていかざるを得なかったというか。
僕は冷凍機、20代、18からこの仕事やってるんですけど、18で仕事、家業に入って、その時はスーパーがポコポコできてる時だったんで、大手スーパーさんの工事もまだ受けてる時代だったんで。
そこで仕事、忙しいから、18で何の志も何もないけど、ただただ仕事忙しいから、トレーニングみたいに勝手に仕事を覚えるというか。
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その中で、電気工事っていう電気の知識も冷凍機でいるんで、電気屋に修行行ったほうがいいよなということで、どこもわからんとこじゃない。親父の知り合いが電気屋だったんで、そこ行くみたいになって。
昼間は電気やって、夜は冷凍機やったり。冷凍機の修理って夜が多いんですよ。夜間とか店閉めてからとか。なんでそんな感じで電気やって冷凍機やってみたいなのを数年やってましたね。
めっちゃハードですね。
めっちゃハードだけど、若い時代、20代って値案でもいけるから、18から。だからもうほんまに、夜中まで遊んで、仕事行って、ずっとこうなんかやるみたいな。
でも今思えば、今お世話になった僕の師匠的な、親父の同列の人らとかとやってた仕事の内容を思い出すと、その人めっちゃキレてた時もあったし、僕がぼーっとしてるから。
仕事は仕切ってるけど、明治が頭されてないし、スピードも遅いしとか、思い返せば全然やったなっていう部分もあるんですけど。
なんか普通の冷凍機屋さんとか電気屋さんじゃなくて、大谷実さんの本の既存店のデイスクールでも高橋さん紹介されてるんですけども、そこで地元のかっこいい店をいっぱい手がけてて、
法事業者では珍しくカルチャー的要素を持った電気屋さんみたいな感じで紹介されてたんですけども、すごいなんか、僕が外から見てる感じでも、なんかかっこいいお店の周りには和谷さんが高齢熱がいてっていうのが見えるんですけども、そういうふうになってきたのは何でなんですかね。
それは多分、それをつないでくれた人らのおかげであるのが第一なんですけど、でもただただ、順番はいろいろある。
せっかくにはあれなんですけど、スタートは順番めっちゃ難しくて。
一回話めっちゃ戻るんですけど、家業やっていく中ですごい、これ問題やな、僕やったらできへんなっていう事柄がめっちゃ多かったんですよ。
そもそも、なんか、親父が、親父の時代なんで、要は追ってから仕事もらって十分な収益をいただける事業が、その当時はあったんでそれでいけるし、そのスタイルはそのスタイルで別に僕は否定もしないですけど、自分、時代もそれを認めない流れだったし、そもそも。
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要は、強く営業をかけて仕事をもらうというか、その人と仲良くなって、営業マンとすごく仲良くなって仕事をもらったり、密になるというか。
で、その大手の。僕から見たらその人間がすごいくだらない人というか、悪い人に見えて、それはある側面から見たらもちろんあれですけど、僕から見たらこの人ほんま嫌やなっていえば、18くらいの僕はめちゃくちゃ思ってて、絶対に付き合いしたくないなと。
で、そういうのとか、あとは値段を決められたり、後期を決められたり、交渉の余地なく、そういう人たちを付き合うと。
で、それを回避する、それじゃなく僕が生きていくにはどうしたらいいかなとか考えてたら、自分のフィールドを作りたいなってずっと思ってたのもあるし、それはいきなり芽生えたものじゃなくて、
これ僕の一番の、自分の中でやっと、今43なんですけど、やっと出来てきたなっていう形は、やりたいことはずっとないんですよ。
これやりたいと思ったことは全くなくて、これとこれだったらどっちの方がやりたくないとか、こっちだったらまだええかみたいな小さな選択の先に今があったり、
例えばちょっと心出しあって、思いのあるお店さんに関われたりに繋がったんですけど、だから当時からこれがあったからこうなったとかじゃなくて、スタートラインで言ったら親父が生きているスタイルは自分に合えへんなって思ったのが小さいスタートだったかなと思うんですけど。
河村 軽んじられているように感じたのかなっていう、営業というか、納期だったり金額が決められてしまうっていうのは、そういうふうに感じたのかなって今聞いてて思うんですけど。
岡田 今でもそうですけど、例えばコミュニケーションが一番大事で、これもずっと大谷さんのトークセッションでも言ってたんですけど、コミュニケーションが一番大事だけど、ある一面では建築業ってお客さんに2500万要りますって提示したら、とりあえず200万負けてよみたいな。
なんか分からんけど、何のコミュニケーションもなしに、多分2、300万は買えるやろみたいなイメージがあるような感じなんですよね、なんとなく。で、それはちゃうやろっていうのは思うし。だから、その部分のコミュニケーションは取りたいなと思ってやってますけどね。
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自分のフィールドを見つけたいっていう中で何か出会いがあって、今のちょっといい感じのお店の仕事をするようになってっていう。
これでも逆に、今ちょっとあれなんですけど、僕の場合、2個前に戻ったほうが話ストールかなと思う。
じゃあ最初から聞かせてもらったほうが。
最初のほうが多分いいんちゃうかな。僕の場合、事業に関してはね。子供、幼少期はまたあれかもしれない。幼少期も含めてかな、もしかしたら。
じゃあちょっと今のスタイルに。
僕、しゃべりやすいかもしれない。小さな積み重ねと選択の結果なんで。そのバックボーンが幼少期からあるから。逆にそうかもしれない。
今の考え方とかスタイルになったルーツを聞かせてもらいたい。
ルーツが幼少期から始まるっていうか。
幼少期からお願いします。
いつものスタイルで。
そのフィードバックがあったらめっちゃわかるんだけど。今だから逆に戻っていくのがめっちゃしゃべりにくいなってなって。
わかりました。じゃあちょっと一から教えてもらいたいんですけども。
すいません、ややこしくて。
いけるかな。先週でそれは結構いけるですからね。
じゃあまずちょっと生まれ育ちから教えてもらいたいんですけど。さっき言われてたみたいに、おじいちゃんが鉄工廠をやってて、お父さんが冷凍機をやっててっていう家庭に生まれてっていう感じですかね。
そうです。生まれたのは和歌山市松島で、おじいちゃんが松島で鉄工廠をやってて。
もともとは赤戸でやってたんですけど、移転してちょっと大きくして和歌山市松島でやってて。そこで鉄工廠の前に家があって、そこで親父が、
僕が多分ちっちゃい時はずっとおじいちゃんとやってたんやけど、平成元年から親父が独立して和歌山市でやってるって感じで。僕はそこの松島で生まれました。
何歳くらいまで松島で過ごすんですか?
松島中二前半ですね。
結構そうなんですね。
そうなんですよ。だから僕は和歌山市木の川中学校地区で育って。
松島ってどんなエリアなんですかね?
松島はインターボールがあって、僕の家の前にロッテリアがあって。だからロッテリア食うかって言われたらめっちゃテンション上がるし、夜中インターボールの丸高ラーメン食いに行くかって。
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ボーリングやって丸高食うっていうのが最大のエンタメやったよな。
あの辺結構住宅街って感じなんですかね?
住宅街は団地もあるし、住宅地もあるし、小学校もあるし。めっちゃ道路沿いではあるけど子供も多かったですね。
家庭環境的にはどんな感じですか?
家庭環境は家族構成が兄貴と僕が末っ子で二人兄弟で、親父とお母さんって感じで。めちゃくちゃ厳しかったですね。
どういう厳しさですか?
厳しさはゲーム禁止、ダウンタウン禁止、門限も5時ぐらいかな。
厳しいし、外食行ったら両親が必ず喧嘩するんですけど、必ず100%。
喧嘩に至る段階もあるんですけど、喧嘩する原因は親父はシェアする文化ないんですよ、ご飯を。
お母さんは女子やからシェアしたり、ちょっとちょうだいって。ちょっとちょうだいって言ったら親父はブチ切るんですよ。親父は一個食いたいからっていうお父さんで。一回もう中華料理で端掘って。もうわかるやん、怒るの、子供心に。
でもそう、めっちゃ怒る親父とそんなお母さん。プラス子供ら、僕らは兄貴が4つ上で、ちょっと独特、その親父とお母さん、僕の親でもあるけど、すごいちゃんとしようとするっていうか。
だから家族でご飯行っても、コーラ飲みたい。普段ジュースも禁止なんですよ。ゲームジュースダウンタウン禁止やから。外食のときは飲めるからコーラ頼むじゃないですか。兄貴が、お前そんな料理に合うわけないやろっていう。
僕めっちゃ飲みたいけど、全然おいしないコーラ飲むみたいな。旅行行っても、おじいちゃんにドロップって飴ある。あれ買ったら、お前そんなどこでも買えるお土産にならんぞみたいな。
僕は大人になって思うのは、そんな言い方せんでもいいし、それも一つのお土産だし、おじいちゃんたぶん喜ぶと思う。むしろ奈良のキーホルダー買ってくるより、おじいちゃんこれドロップって言った方がおじいちゃん喜ぶのに、すごい人間として良くないなって思った。
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なんか正論を振りかざすみたいな。
ただ4つ離れてるからそんなだけじゃないですか。4つ生きたから分かる知恵というか。
その子供の頃の4つは大きいですよね。
全然僕も自主性ないから、発想として、あ、そうか。こういうでこうやから、次からこうしようとかないですよ。ただただコーラ飲まないや、なんでか分からんけどみたいな、ドロップ良くないや。
そのチョイスしてる時点で、もう理解してないじゃないですか。奈良やから奈良とか。だからその後の補足で何か言ってくれんと、分かってないです、アホやから。またドロップ買いかねやん。ドロップだけは買わんけど、多分違うメーカーの奈良じゃない何かを買うはずの方のまんまなんですよ。
だから当時から問題があっても、自分で考えて改善するとかした記憶がない。
めっちゃ意外ですね、今の金田さん。
今はそれを猛烈に反省して、猛烈に小さく積み重ねてる結果やと思う。もし何か違って見えるのならば。でもそんなことだらけで、幼少期から。
お父さんが冷凍機屋さんやってて、お母さんが専業?
専業職で。お母さんと家族で外食行く話があったんですけど、行ったらお母さんはだいたい席数を数えて、段階を数えて、この店やったらこれぐらいなみたいな。全然知らんのに多分言うんですよ。知らんというか、一応おばあちゃん、父方のお父さんは鉄工所で、母方の親は服屋されてたんですよ。
戦後から服屋やってるんで、すごい商売としては伸びる時期に服屋されてて、和歌山で有名な服屋さんやったらしいんですけど。そこで一応手伝いとかもしてたんで、商売人っていう気質はあるんですよね、プライドと。
なんかって言ったら商売してきたからって言うし、一番お客さんとやり取りしてきたし、私は売ってきたみたいな言うから、癖で飲食店行っても席数と単価数えたり、あとは料理食べるじゃないですか。これやったら私でもできるわって。
で、飯食いに行ったらお母さんがそれ言うじゃないですか、これ私でもできるわって。ある時、小学校の時から友達が、お父さんが家増築したって言ってた。お父さんが大工として家を増築した。すごいってなるじゃないですか、小学校から。
そこで商売人に言うじゃないですか、何々君と家、お父さん増やしたらしいみたいなお父さんがプレハブやろって言ってた。プレハブが何なのかもわからんけど、でも多分違うんですよ。プレハブやった時もすごいし、大工さんやから木でも建ててると思うし。
でも、母は飯食いに行ったら私でもできるわ。父もそういうニュアンスじゃないですか、俺でもできるわっていうプレハブやろみたいな。だからその2人の教育を受けた兄と僕は、家族全員言われたことあるんですけど、大人になってから、何でお前そんな偉そうなんて、全員言われてるんですよ。
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親父は僕らが言うだけだけど、兄貴も僕も友達に言われたことあるっていうか。で、僕はそこで強烈に反省するっていうか、マジでってなって。全然わからんじゃないですか。ただただそんなつもりないけど、知らんままに母と父が偉大すぎるというか、どこの料理も作れるやつとどこの建物も建てれるやつみたいな。
だからなんか、せっかく言ってくれた友達の気持ちとかも何が周知するっていうか。プレハブやったやろみたいな気持ちになるじゃないですか。だから小学校も多分今思ってもすごい嫌なやつやったと思いますね。
なんかちょっと言いたい家系が引き継がれてるみたいな。
そう。だから今でも母の口癖が、言っちゃ悪いけどから入るんですよ。言っちゃ悪いけどで言っちゃ悪いけどめっちゃ入るんですよ。
子供時代の和也さんはどんな感じだったんですか?
いやなんかめちゃめちゃ自信家やったと思います。ただ空気も読めないし、自分で反省して次トライアンドエラーっていう感じでもなかったんで。だから成長せず。
でも活発ではあったけど、そこまでドッジボールめっちゃ速い球投げるとか野球部の子やったし、足速く思われるがちやったようなイメージがあるんだけど、実際走ったら全然速いみたいな。
クラスの中の立ち位置的には結構活発な、中心的な。
中心だけが活発だったんですよね。
そのまま中学校も地元で。
地元で。それで小学校、もう一個何でも自主性がないがゆえに言われたらやりますっていう、やるやるみたいな感じで。だから劇団みたいなのあったんですよ。和歌山県のどっかなんか。
それで同級生の女の子のお父さんがやってたんですけど、その劇やるって言われたらやってみるみたいな感じでやったり。合唱団入るって言われて、入るみたいな。何も考えへんと。
ノリが良かったね。
で、入って、でもなんか居心地悪いのをめっちゃ感じるじゃないですか。合唱団なんか女子ばっかりで、なんかもう自分のこと言われてんちゃうかみたいな、ネガティブなマインドになったり。
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そう、めっちゃ覚えてるのが歌詞カードのファイルの開いたところにめっちゃ絵描いてたんですよ。なんかモンモンモンみたいな。で、ある時それを笑われてる気して、なんか居ても立っても居られないようになって。
うーん。
176、176、165。で、あと2人上手なガードみたいな感じで。その176、2人って多分、なかなか全国探しの当時は多分居てない感じの。やって、めちゃくちゃ強く。で、先生も指導者も良くて、めちゃくちゃ強くて。
その時から試合に、小学校って10分4回か5分4回なんですけど、その、で、しかも交代絶対せなあかん。5人5人みたいな。だから上手い、レギュラー5人、で、純レギュラー5人って出るんですけど、その次に過労死で出る1人が僕みたいな感じで。
5人出て5人交代して、たまに1人出てみたいな。11人目の選手だったんです。で、中学校行ったら、その僕からしたらバスケしか知らないし、バスケも面白かったから、中学校行ったらその近いの5人のうち1人か2人かな、違うクラブ入ったんですよ。
僕それ信じられなくて、あんだけバスケやってたのになんで変わんのみたいな。でも普通に考えたら別にこの5人おるし、努力したら勝てるかもしれんけど、勝てるというか方法があるかもしれんけど、1人はサッカー部行ったり、選択を変えてんのにめちゃくちゃ驚いて。
驚くだけで、でもそういうことか、自分はこのポジションやから立ち位置というか、だから違うスポーツしたほうがいいとか、自分にはこれが向いてるんじゃないかとかも考えたことなかったんですよ。今思えば考えるべきやったなって思うし、なんか考えたらって人に言ってあげたいなと思う。でもなんも考えた11番目の選手としてバスケ部入ったんですよ。
まあ中学生ぐらいだったらみんなそんなもんなんですかね。
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でも5人出て、中学校は多分20分2回かな。5人がレギュラーで出て、県1位やったんで、準決ぐらいまでは何十点札組んで順番に控えが出ていく。最後色濃く控えが5人出るでしょ。残り2分とか1分何秒で僕出てくるんですよ。
向こうはちんちんに温まったレギュラー、こっちはガチガチの11番目の選手が出てきて、向こうも補欠やけどめっちゃ強く当たってくるんですよ。温まってるし鬱陶しいやん、補欠出てきてやられるのも。
だからすごい。そればっかりだよ、きのこ煽るときは。そのパターンでしか出ないっていう。
――そこには疑問は感じていない?
結構状況に流される。
大西 めちゃくちゃ流されるんですね。
それが中学校?
大西 中2で転校するんです。中2で岩手中学校に転校したんで、松島からここに引っ越して。
なんでまた引っ越すことになったんですか?
大西 いやそれは多分、両親の家建てたみたいな感じの中で引っ越してからです。
この場所ってことですね。
大西 この場所。
そんな時期に引っ越して。
大西 超高いんでしょ。急にヤバないですか。
ヤバいっすよね。
大西 生徒も岩手ヤバいらしいですよね。先生も岩手はなーみたいなぐらいの感じで。何が起こるんだろうこれからぐらいの。
30年近く前の岩手で。
大西 でもたまたま木の川対岩手中学校の試合が、木の川中学校在籍時にあったんですよ。もう転校に決まってる。僕が行く中学校で決まってるところの試合があって、引っ越し先の中学校なんだよ。
大西 で、県1位ずっとどこにも東中学校でめっちゃ強かったんで、最決勝は東とやるんだよ。中で岩手中と予選というか、県大会の途中でやるってなって、前半負けてたんですよ。岩手中学校に。
岩手 強かったし岩手中学校も。多分木北1位が岩手中学校なんで。その試合もめちゃくちゃ今でも鮮明に全部覚えてるし、なんやったら勝ったとき泣いたぐらいの。負けそうなハーフタイムでも泣きそうになってて。
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岩手 早いね。
大西 なるほど。でもそんだけ印象深い。
岩手 そうめちゃくちゃ印象深い。ほんまに岩手の校も転校するからかちゃんと見てたし。
大西 それで転校してまたそのバスケ部に入るんですか。
岩手 転校してどうでした。
岩手 転校して大人の階段に大きく変わるのちょうどの移動時期が岩手行ったみたいな感じで。市内だとヘルメットかぶってなかったらヘルメット検査あって通話中に生徒指導の先生にヘルメットどう思ったか頭殴られたら全然あったんですよ。
大西 そう。やったからみんなヘルメットつけて被るじゃないですか。でもその後転校した後聞いたら木の川でも被ってなかったようなイメージだったけど、岩手行ったら誰も被ってないです。誰も。
岩手 今ではこそすごい街な感じになってますけど当時ってそんなに家もなかったんですか。
大西 それでも多分めちゃくちゃ爆発的に人数増えてる時期やから家も増えてきて、商業施設も例えば王将とかあった感じで。
岩手 和歌山市とか大阪のベッドタウンみたいな感じでぐいっと来てる状態だったんですかね。
大西 だから聞いてたほど怖いって言われてたから荒れてるって。学校のガラス割りまくってんかなぐらい気持ちというか。そんな知識もないけど。
岩手 でも岩手中学校はそこまで荒れてなかったんでただ自由やったって感じですね本当に。なんか休憩時間に男女が抱き合ってたりとか。
岩手 なんかそんなんてね。え?なにこれって。どうすればあの学校に行けんだみたいな。
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大西 その頃和歌山さん何が好きやったとかハマってることとかバス系以外あったんですか。
和歌山 バス系以外なんもなくて。ただギターを木の川におるときに街のギター教室みたいなとこにギターをやりに行ってた記憶がある。
でもそれも別に自分の意思ではないような。でも全部母親に聞いたらなんでやりたいって言ったんやって言うと思うんですけど。でもやりたくてやってたイメージはないなって。
岩手 へえ。
和歌山 ハマってるけど、でも木の川の甲羅もちょっとずつファッションに興味持ち出してたときあって、そういうのはちょっと好きやったなっていうイメージはあるんですけどね。
岩手 当時って言ったらちょうど裏原とかめっちゃ流行ってるんですか。
和歌山 そのとき古着屋さんばっかりですね。ピタティにベルボトムのコーディロイとか、あとエンジニアブーツとか、ハーレーダ・ビットソンの財布とか、そんな時代だったですね。
岩手 中学校は岩手で、高校ですか。
和歌山 高校で中3でちょっとスケボーやろうかなみたいな感じで友達だとなって、スケボーの子だと。一瞬で辞めたんですけど。岩手は本当に良かったのが、最後の大会でもう20点差ついたら軍大会、長軍やったんで、20点差ついたら控え全部出そうみたいな感じのスタイルやって、すごいなと感銘を受けたんですけどね。めっちゃいいやんみたいな。
もう2分とかじゃなくて、しっかり思い出を作らせたみたいな。岩手ではレギュラーやったんですか?
岩手 全く。もちろん。急にレギュラーやったらおかしいでしょ。11番目のやつが。
そんなにレベルは変わらなかったんですか?
岩手ってキノカと比べると、キノカは突出して上手い子らが多かったというか、少なく。岩手は10人全員上手いみたいなイメージやったんです。
全員特に身体能力低いオライアンみたいなイメージに衝撃を受けたんです。みんな均一に遊びの延長で生まれた人らみたいな。僕ら知らん間に小学校4,5,6でちょっと特訓みたいな感じやけど。
余計につけ入り好きなしみたいな。
岩手 行った時、レギュラーの子が片腕折れてたんですけど、練習参加してたんですよ。多分キノカから来るぞみたいなんで、ポジション取られたらまずいとなったのか。骨折してるのに練習参加して、もちろんそれでも上手いんやけど。
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もういけるとなったのか、別にその後は何も後定めなかったんですけど。あれだったらもういけるってなったんで。
一旦様子見してみて。
岩手 かましたら思って来てくれたのかもわからんけど、あれだったらまあいけるかと。
じゃあバスケを終えて進学っていう感じで。
岩手 そうですね。高校行って。
高校はどこ行くんですか?
岩手 高校長校行きましたね。
長校が結構進学校みたいな。
岩手 でもなんかほんまに近くの人は選ぶみたいな感じで、多少勉強いるかもわかんないですけど。
中学校までは僕も塾行ったりしてたし、勉強もしてたんで。辛うじて行けたって感じですよね。
高校選びは特になんかめっちゃこんなことしたいとかそういうんじゃなくて。
岩手 黙ってほんまに近いからって感じ。
流されてみたいな。
岩手 流されて。
高校生活はどんな感じですか?
岩手 高校生活は、でもあれやな。今喋ってても、あれかな。まあいいか。
どうぞ。
岩手 未来につながらない。
今のところ一生中学までの風谷さんと今の風谷さんめっちゃギャップがあるんで。
岩手 ある。もう一個言うとかなあかん小学校の話。もちろん飲んでください。言うとかなあかん話忘れた。一番言うとかなあかんやつ。
岩手 ちょっとうまいこと入れといてもらっていいですか?
はい。
岩手 小学校のときに夏休みとか、ゲーム禁止やから、でもゲームしたいから、ゲーム持ってるこの家の電話番号、電話かけて、ゲームしに行っていいって、何々くんゲームしに行っていいって電話してはいいって言われたら家に行くっていう遊びをずっとやってた。
岩手 だから数字めっちゃ強くなった。電話番号覚えるからめっちゃ。
記憶力が。
岩手 記憶力がめっちゃ。次。これ次。
ドア開こうみたいな。
岩手 で、しかも扇風機あるし、お茶とか出してくれるし、下手しいお菓子も食べれるし、ゲームしまくれるとこに行くみたいな遊びをずっとやってた。幼少期。それめっちゃ大事やなと。
それ大事ですか?
岩手 めちゃくちゃ大事。後に来てくる、この数字の記憶力がさ。
当時は何で遊んでたんですか?
岩手 ゲーム。僕でもロープレーの良さが全く分からんのでやってないから。魔界村とか。
アクション系の。
岩手 アクションとか。まだ小学校のとき魔界村なかったんで。マリオとか。あとファミコンですよね、多分。ファミコンのめっちゃ登っていくやつとか。
めっちゃ登っていくやつ。
岩手 あと一機もめっちゃ好きだったんですよ。
聞いたことないですね。
岩手 竹やりで。
分かります。
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岩手 そこは大事だから入れといてほしい。
後々この数字の記憶力の良さが出てくる。
岩手 長校生活ですね。
岩手 そのときキャラクター的にというか、クラブとか学年での立ち位置的にいじられる人みたいな感じ?
岩手 いやいや全然いじられるとかでは。いじられるないこともないって感じですかね。キャッチーではあったつもりなんですけど、なんだかなってなってバスケちゃおうかと思って。
岩手 ラグビー部入ろう友達いっぱいおったから。ラグビー部入って多少ちょこちょこってやって、それも別にどっちも1年もってないですけど1月とか2月とか。
岩手 ラグビー部入って、ラグビー部のときもなんかの流れで水たまりへ飛び込むみたいな。雨の後のめっちゃ広い水たまり。
岩手 ラグビーで練習が浅すぎて何も覚えてないんですけど、ラグビーって前にボールを置いたから寝て後ろにボールを置くんですよ。それを水たまりでやれみたいになってバーって走っていってドーンってやるじゃないですか。
岩手 普通相手にタックルされた想定なんでどんどん来るんですよ人。このボールをスクランブルハウス取るまでどんどんこの相手をやるから。水たまりあってパッて向こう見たら団体でランニングしだしたんですよ。
岩手 それは僕ダウンタウン禁止やったし親も厳しかったからポケとかいうノリにすごく疎くて。そのときもモヤっとしてもうやめようかなって。
岩手 結構いじられてたよね。
岩手 そう。モヤっとしてそれがきっかけもあってやめましたね。でも別におもろいじゃないですか。僕が反応したらちゃんと成立するというか。
岩手 でもなんかいじられてるしいじられたくないし。でもポケとか分かってたらちゃんと対応してたと思うけど。それですごいやめたってなった。
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岩手 その後も企画部。学校もちゃんといかんぐらいの。当時ヤンキーもめっちゃ憧れててヤンキーめっちゃかっこええやんみたいな感じで。だからヤンキーじゃないけどヤンキーに憧れる子みたいな感じで。
岩手 そのヤンキーは何か影響ですか?
岩手 いや多かったですよ。周りに不良ってヤンキーって言ったら軽いですけど。そういう子は多かったんで。みんなかっこよかったし。自主性がある。自分に流されないじゃないですか。
岩手 なるほど。
岩手 もちろんバスケやってる子も本来追っかけてるんですよ。自分の好きなものを追求して上手くなりたいとか。でも大人に見えるじゃないですか。タバコ吸ってバイク乗ってて。夜まで起きて。完全に大人やんみたいな。そこの憧れがあって。
岩手 憧れるけど自分では手を出さず。
岩手 そうですね。ほぼヤンキーみたいな格好の時もあったっすね。その弊害で死ぬほど縛られたりした時も。前後破書っていろんな理由があるけど、あるし。でも決して自分では要せんような。根性もないし。でも生きがる。生きてるやつみたいな感じだったっすね。
岩手 ちょっと何してたんですか?
岩手 何?
岩手 何してたっていうかどんなことハマってたりとか。
岩手 タラタラほんまに何もないっすね。もう原付乗ったり。ほんまに何もしてなかった。
岩手 でも一時スケボーにハマった時が、毎日深夜の駐車場でスケボーをし続けるみたいな時期があって。そこでスケボーの基礎的な部分は練習したかなって感じですね。
あとスケーターやったんですかね?
岩手 スケーターでもあったような時期はあります。みんなで和歌山市電車で行って、和歌浦までポッシュで行ってみたいな。で、めっちゃうまいことを巻きに見るみたいな。
でもスケボーでもそこまでがっつりのめり込んでっていう感じではなかった?
岩手 そう。のめり込んでいた時期もあるって感じだけど、いろいろあって。いろいろやってたって感じですね。
その時、将来的になりたい仕事とか?
岩手 なんか美容師流行ってたし、華やかに見えたし、何より都会ファッションも好きだったから、大阪行って美容師になろうかなみたいな。か、1年英語勉強してみたいな。ずっと思ってたんですよ。
岩手 すごい影をついたですね。
それはなんでまた?
岩手 なんかまず美容師の専門学校行ったけど、説明会みたいな。全然空気感が、やるぞっていう人が溢れてるじゃないですか。行くぞっていう。自分ってちゃうじゃないですか。だから、これちゃうなってなって。
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結構、長高校って新学校っていうか、大半大学とか行くイメージなんですけど。
岩手 その選択肢はまずなかったです。卒業できやんって言われてた。できやんかもみたいな。遅刻多いし、学校も。遅刻多かったからかな、たぶん。大学とか選択肢には先生ももちろんないし、僕もないし。辛うじて卒業できたみたいな。
専門学校、美容師行くのもやめて、それでも家業を?
岩手 家業は嗣氏が。嗣氏は大先生だけど、ただただ家の仕事を手伝いだしたみたいな。
今までも夏休みの間ちょっと手伝ったりとか?
岩手 いや、ないですね。
急に。
岩手 急に。で、そっからさっきの時代もよかったからスーパーが大きくなった、店舗展開していくところの、そういう仕事場が増えだしたかなって。
はいはい。もうちょっと遊びたいとかそういうのはなかったんですか?
岩手 でも夜は遊べるんで。仕事終わってから、5時、6時に終わって7時くらいから遊んで、でまた仕事してみたいな。
昔からそんなすげえよとか言われてたり?
岩手 でもなんとなくは兄貴はめちゃくちゃ方根地で不器用なんで、もうないなってなってたらしいです。
岩手 かといって僕に絶対やるよとかもなかったし。僕はやりだしたら、保温カバーを巻くっていうのが坊主の一つの仕事なんですよね。
保温カバー。
岩手 保温カバーを巻いていくのが坊主の仕事なんですよ。でもそれ、全然面白くないですよ。狭いし、何本もあるから。だからこれやってたらもうやりたくないってなって。
僕も溶接したいってなって、でも親子やからね。指定関係やったら多分何言ってんのってなると思うけど。
僕これやんないとやりたないからって言ったら溶接させてもらって、これしか効率いいやんって僕は思ったんです。
溶接しまくってめっちゃしにくいやつを巻くより、巻きやすい溶接の指定、都度やったら仕事。
トータルいい割にいろんなパターンあるけど、今巻いた方がええやんみたいな、この広いとこで。
これ何本も巻いたら狭いけど、これ1本の時にここだけは巻きにくいから巻いておこうとか。
それで主張してやらせてもらって、普通やったらやらせてもらえんかもしれんけど、
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仕事を覚えるのが早い境遇におらせてもらえたのは親が職人やったからかなと思う。
今までの性格からすると、言われるままやっちゃう人になりそうな感じなんですけど、そこはどこかスイッチがあったんですか?
全くないけど、それだけはほんま嫌やったんじゃないですか?
仕事に対しては最初っから結構積極的な感じで?
いや、そういう部分。ただ考え自主性がないから、やるんやったらやるし、やるからには特殊な作業もやりたい、やらんと意味ないなと思うし、
そこに俺は独り立ちするからとか、将来独立して俺が社長になるからとかは全くなくて。
どうせこれとこれやるんやったらこっちしかええやんっていうのをやってるだけ。
小さな選択を積み重ねてるだけ。遠いとこはわかんないんで。
仕事を始めてどうなっていくんですか?
18でやって、21ぐらいで電気屋。すぐ電気屋も行ったから。やりながら22か3で結婚したんですよ。
ちょっと早いですよね、多分。そこからなんとなく仕事してたんかな。
なんとなく仕事するけど仕事量は多かった。
時代的に向こうから入ってくるんで。
そう、入ってるのも仕事多かったし。電気もやりながら。
でも学校レイヤーとして収入が厳しい時代も多分何年もあったと思う。
今思うと多分あの仕事量で。
なんか僕、普通昔から言われるのは冷凍機屋さんって夏半年働いたら半年遊べるっていう仕事だったんですよ。
でもそういう時代じゃなくなってきたのもあるし、そもそも僕と親父2人おるから家計2つを行くのは厳しい状況の時代も多分あったと思うんですけど。
そこをなんとか多分乗り越えつつやってたら、
どこで聞くか結構わかんないですけど、僕が電気工場を教えてもらった人がおって、
その人が原二郎さん、どっか繋がりがあって笠出茶をやったのかな。
ヌメロのエアコン変えてほしいみたいな。
エアコンやったら僕、高橋くん得意やろうか。
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電気工事ばっかやってる人ってめっちゃ忙しいんですよ。
時間ないし、もうやってくれへんみたいになって仕事もらって、
僕は元々原二郎さん知ってるけどそんなにがっつり喋ったことないけど、
めっちゃチャンスやと思って。
いつか自分がそうやって仕事してたけど、
いつかこういう人ら、その時当時名前出てた原二郎さんとかと
仕事したいと思ってたから、
それはどうせやるんだったら何も知らんチェーン店よりも
原二郎さんの店とかやった方が楽しいやろうなと思ってたし、
何より華やかで勢いやったんで。
で、エアコンやらせてもらって、
その次のツヤも電気工事もエアコンも忙して
周りからやってくれへんかなって言われて、
そこからひとつ手に色んな人と知り合って、
設計師さんとかもそうやし、
そうやって飲食店さん、かっこいいお店とかの
設計師さんとかのツテとかもで、
そういう仕事増えてきたなって感じですかね。
結構そこまでの間、重ねちゃうツヤとか
行くまでの間って結構長いこと。
その時は業務用冷蔵庫の修理が増えてきて、
そういうのをやってましたね、何年か。
だから別に、しかも一人やし、
僕と親父で僕だけ稼働してとか、
僕と親父二人でやってたんで、ずっと。
やりながらもずっと何か思ってたって感じなんですかね。
せっかくやるんやったら。
それはうっすら人生としては思ってたって感じかな。
何か分からんけどお金は稼がなあかん。
でも方法はこれしかない。
一番得意なもんこれしかない。
お金稼げる方法って、
みんな知らんまに大人になるっていうか。
だからそれもめっちゃ思うんやけど、
小学校のバスケもそうなんですけど、
3年間でレギュラーに勝つとか総合力で。
結構難しいと思う。
でも僕思うのは、
3年間死ぬほどスタミナつけたり、
死ぬほどシュート打つだけ上手くなったり、
ギュッと特化したら、
試合に出る機会とか、
自分がバスケットボール部の中で価値を上げて高めるのは、
できることだし、
僕指導者はそれを教えてほしいなって思う。
何も気づかんやつが悪いんやけど、
考えやんから、
もしかしたらレギュラーに近い頃は思う。
自分のここを伸ばそうとか思うと思う。
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だからその部分はめっちゃ大事やなと思うし、
スケボーもそうなんやけど、
スケボーもやってたらクルクル回したいとか、
難しい技したいとかなるんやけど、
そうじゃなくて、
もっとのるん、滑ったりのるんが上手になった方がまず面白い。
だからのるんに特化して練習した方がいいし、
自分の得意なことにフォーカスして、
そこを伸ばすっていう順番にした方がいいし、
した方がええやんってなったと思う。
その中で知らん間に大人になって、
知らん間に一応何も考えんから大人になっていく中で、
ある子はずっと修行してた料理屋開くとか、
美容室やってた子は美容室開くとかなった時に、
うわーってなって、
みんな練習してたんやみたいな。
準備してたんやってなったのもびっくりしたし、
誰も教えてくれんし。
そこで、
そこで僕は惰性でやってたけど、
電気工事と冷凍機のスキルはあるというか、
なんとかトレーニングはできてたみたいな。
下地が30台ぐらいであって、
ここからは商売として、
自分もやるんやみたいなニュアンスになった感じはある。
グラデーションやけど、パチンってなったことは覚えないけど、
焦りつつ、自分もそうやなみたいな。
で、ちょっとずつ自分の繋がりの中でやったって感じですかね。
えー、そうなんすね。
これとこれは特化してるなっていうのが自分でなんとなく分かってきたというか。
いや、それしかないって思ってるもんが、
電気工事をずっとやってきたっていうスキルしかないっていうか、
電気工事とか冷凍機とか、
それが別に人より火出てるとかは全くないっていうか、
ただでもやってきたから、できるから、
自分の武器これどうする?ここからって。
なるほど。
えー、そうなんすね。
それはなんとなくやっていく中でそう変わってきたっていう。
いや、ほんま知らん間に気づいたって感じ。
なるほど。
で、今言語化してそうなってるだけで、
その時その時でなくなってることはないと。
えー、でもなんかその仕事に対するスタンスっていうか、
なんかもうすごいきっちりしてるっていうか、
自治したいっていうのがすごいテーマです。
そのスタイルができてきたのはいつからなんですか?
でもそれも仕事していく上で、
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うん。