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理解しあおう、共感しあおうなんて傲慢なのか
2021-08-21 08:50

理解しあおう、共感しあおうなんて傲慢なのか

人は人を理解できない。価値観なんて違うに決まってる。それがわかっていれば、傷つけあうこともなかったのに。 #理解 #孤独
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00:01
こんばんは。
なんか、とても、あの、他人をね、理解しようとしたり、自分を理解しようとしてもらって生きてきましたね。
で、私の尊敬しているプロゴラリアーが、他人を理解しようなんて傲慢だと、無理なんだと最初から分かった上で、生きていた方がいいっていうことを書かれて、
いやー、そのことにはね、気づかなかったですね。
いつも、なんで私の気持ち分かってくれないのって、いつもそう思って生きてきたなと思ってました。
それはね、苦悩するはずですよね。上手くいかないはずというか、もう付き合ったり結婚したら分かってくれるはずだと。
なんで分かってくれないのと、友達にもそれを求めたし、会社の人にも求めてたし、っていうところがあって、
いやー、そうやね、他人と分かり合えないものか、っていうことがやっと頭で理解できるようになって、
あー、そうだよなーって思ったけど、やっぱりこう、理解し合うとか共感し合うというのはすごく嬉しいし、ありがたいし、なんかホッとするというか、
そこでこう、なんか孤独さから解放されるみたいなところがあったんよね。
特に弱っているときはね、分かる分かるっていう、この分かる分かるっていう言葉が欲しくて、生きているようなところがあって、
けれども、もう他人と分かり合えないんだなとか、他人を理解しようとするのをおこがましいなということに気づいた途端というか、
まあ楽になったんですけども、いろいろ苦しい人を見たりしてね、助けてあげたい、分かってあげたいとか思ってしまって、
でもまあ無理なんだと、おこがましいんだということに気づいてホッとしたというか楽になったんですけど、
でもと同時になんか、人ってじゃあ孤独ですねみんな、みんな分かり合えないとして、
なんかちょっとこう触れ合う出会いがあればそれは奇跡みたいなね、ちょっと分かり合えたらもうそれはもう幸せなことだから感動なんだと、
なんかちょっと気が合う仲間とかできるじゃないですか、それで奇跡なんだなっていうその出会いを大事にして生きていけばいいんだなって思いますね。
なんかねちょっとねもう疲れたというか人と接するのがね、どうせ分かり合えないしっていうのもあるけど、
なんかまた傷つけ合うのも、自分がね知らず知らずに傷つけたりとか、なんか怖いなっていうのもあるし、ちょっとね疲れたというのはありますね正直、
全く話ないですね人と今誰ともね、だからもう発信のみなんでちょっと発信のペースが速くなっていってるんですけど、
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このスタイフとSNSの発信はねすごいしていってるですね、もうね反応をね気にしてないですね、いいねがあるかとかどれだけ見に来られてるかということはもう気にしてないですね。
ただ発信したいという、なんかもうなんだろう発信中毒というか、そういうような感じになってますね。
昨日ねすごく怖いドラマを見てね、このコロナっていうのがねいつまで続くのかっていうドラマで、
まあそれは作り話だったんですけど、何年も続くってことになって、10年20年自粛生活続くっていうドラマあったんですよね、めちゃくちゃ怖かったですよ。
20年続いたらね、どうなるかっていうのをねドラマでやってて、いやーなんかリアルだなぁと思いながら見てたんやけども、
20年以上自粛が続くと、もうコロナで生まれた、生まれてた赤ちゃんがもう20歳越えて大きくなって、
もうおじいちゃんもおばあちゃんもお父さんとお母さんも全員死んでるという状況になって、
もうすさんだ20年後みたいなドラマで、めちゃくちゃリアルで怖かったね。
でも人とね接することをしてないわけなんですよ、その生まれた赤ちゃんはずっと生まれてから自粛なんで、
人と出会ったことがない、もちろん付き合ったこともないし、女の子とデートもしたことないっていうような、
20歳を超えてしまうと、怖いですよね。
なんかそんなドラマでね、だって接触したら女の子と手つないだりね、接触したらもう感染するってなるから、
人とは50メートル距離を取らないといけないっていうドラマで、怖いなーっていうか、またそこにね、生きる意味を考えてしまいましたよね。
誰とも接触せず、誰も傷つけず傷つけられず生きて生きるけど、またそこで、じゃあ何のために生まれてきたんだっていうことになるんで。
結局そのドラマのラストでね、一言いいこと言うんですよね。生きるとはっていう問いかけに対しての。
だからね何なんでしょうね、あのやっぱり意味っていうのを求めたらダメなんでしょうね。
でも考えてしまいがちだし、人はなぜなのかっていう。
何かをしたから偉いとかでもなく、もうすべての人がね、生まれてきたら、それはそれだけで偉いんだっていうことを、
ポログラリアが教えてくれて、自分でもね、生きててもいいんだなって思えたのでね、彼と出会って。
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なんで、まあいろいろと傲慢だったなと思いますね。
私は理解しようとしたり、理解されようとしたり、どうこう決めつけて、まあジャッジしてたのは私だったなと思いますね。
だからこう、ジャッジもされたんだろうなっていうところですよね。
で、まあこれからもね、ちょっと脇出てきたこと、発信していきたいなって思いますね。
それっていうのはもう、なんだろうな、なんか生きてる証みたいなことなのかもしれないですね。
で、ポログラリアの文章を読んでるとね、本当にね、すごい深いこと言ってるんですよね。
優しさとは優しくしないことだとか、深いなと思いながら、それを噛み締めながら生きてるというか、
もう誰とも討論したくなくて、またこれも分かり合いたいとか、共感し合いたいっていうのを求めたらダメなんで、
いや本当にね、孤独だなとは思いますね。もう分かり合おうとしないって決めるってことは孤独だなって。
その孤独になる覚悟ができてるのかどうかっていうところですね。
それが嫌だったら、わちゃわちゃと喧嘩しながら、言い合いしながら、誰かと絡まっていくっていうことをすればいいし、
そこはなんかちょっと葛藤しますよね、すごくね。
でもやっぱりもうね、話せなくなった自分がいて、誰ともがっつり共感し合ってね、
またそのコロナが終わっても飲みに行って語り合うとか別に興味がなくて、
以前はよくしてたんですけどね、話してもしょうがないかなって思ってしまう自分がいるんですよね。
そうなんですよね。
でももうよかったなと思いますけどね、サロンをしていく上でいちいちなんか共感しますとか言ってたら、
仕事にならないというか、ある程度割り切ってその人はその人っていうことで話を聞かないと、
やっぱり来てくれてる人にも失礼かなと思いますね。
今日はちょっとそんなところで。
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