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はい。 それでは、おはようございます。
こんにちは。こんばんは。
早速、万人幸福の栞 17ヶ条 1
今日は、最良の一日。 今は、無二の好気。
日々、好日。 今日は、またと巡ってこない。
昨日は、過ぎ去った今日であり、 明日は、近づく今日である。
今日の他に人生はない。 人の一生は、今日の続きである。
昨日を悔い、明日を憂れる人がある。
これは、今日の陰防止にびくついている人。
今日一日、これは、光明に輝き、 希望に満ち満ちた、またなき、良き日である。
今日しなければ、いつその日が巡ってこよう。
今日を取り逃がす人は、一生を取り逃がす人である。
日の良し悪しというような、迷信に関わる人は、気の毒である。
宝が転げ込んでも、今日は日が悪いと、 これを見捨てるであろうか。
災いが降りかかっても、今日は吉か凶かと、 運勢力をめくって、ぼつぼつそれを払いのけるのであろうか。
今日は一生に二日とない、幸いの日。
また、隙あれば、どんな危険が襲うかもしれない、 厄美である。
黒にするか白にするか、それは己自身にある。
救世早見にあるのではない。
一日は、今の一秒の集まりで。
今を失う人は、一日を失う人。
そして、一生を棒に振るう人。
時は金なりと言う。しかし、金は取り返せる。
時は再びは来ない。
気づいた時、気軽に喜んでサッと処理する。
気づくと同時に行う。
これは成功の秘訣、健康の秘宝である。
ずぼらもの、ぐずつく人、これは皆、 今を取り逃がす人。
時は、光陰矢の如し。
時は、えがたくして失いやすし。
四季より。
宝の山に入りて、手を虚しくして帰る。
消防燃状鏡より。
鉄は熱き討ちに、これを撃て。
ウェブスターより。
気づいた時、それはそのことを処理する最高のチャンスである。
それを伸ばせば、次第に条件が悪くなる。
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事情の最も好調に達した時、
その動きが人の脳に伝わって気が付くようになっている。
これは、気づくとすぐする、という、
ほんの日常の、しかし絶対な暮らし道の実践によって証明せられる。
第一環を働かせよ。
これはHである。
後で考えたのは、つまらぬ人間の馬鹿じえ。
気が付いたら髪の毛一本の隙間もなく、グイッと掴む。
ここに幸福の天地が詰まっている。
気が付いても、一向に手を出さず、
強情を突っ張って、
怠け心、心配症が顔を出して、
せっかくのチャンスを取り逃す。
世の中には宝の山に入りながら、
素手でぶらぶら引き返す人がどれだけあるであろうか、
思い立つ日が最上吉日である。
二
苦難は幸福度もん。
苦難、福もん。
人が恐れ嫌っているのは苦難である。
中でも病気、災難、貧苦、
世に少しの苦しみもないという家は誠に少ない。
必ず何か一つ、
これだけが片付いたらと念じている困ったことがある。
これが今まではただの困ったことであった。
昔の人たちは苦しみや悪魔の仕業だとみて意味嫌った。
ある人は罪の現れだ。
業の報いだ。仕方がない。
諦める他はないと考えた。
天の正に退任をこの人に下さんとするや、
必ずまずその心志を苦しめ、
その筋骨を老す。
申しより。
患難をも喜ぶ。
その患難は忍耐を生じ、
忍耐は連達を生じ、
連達は希望を生じと知ればなり。
ロマ書5-3-4より
と、また、
古の勇者は、
我に七難八苦を与えたまえ、と、
三日月に祈ったと言われる。
これは、苦難は天の試練である。
耐え忍んで努力すれば、
良い結果が来ると考えたからであろう。
しかし、今や、
さらに一歩進めて、
苦難は生活の不自然さ、
心の歪みの映った危険信号であり、
ここに幸福に入る門があることが分かってきた。
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そして、これは日々多くの体験者によって証拠立てられている。
これがはっきり分かれば、
もう苦難を恐れ嫌うことがなくなる。
いや、喜んで苦難に立ち向かう。
にっこり笑ってこれに取り組む。
そして、苦難の原因になっている生活の誤り、
心の不自然さを取り去ること、
滑然として幸福の天地が開けてくる。
苦難の黒幕が開かれたとき、
その奥には明るい幸福の舞台が用意されているのである。
門を叩け、さらば開かれん。
マタイデンより。
狭き門より入れ。
滅びに至る門は大きく、その道は広く。
これより入る者多し。
命に至る門は狭く、その道は細く。
これを見出す者少なし。
マタイデンより。
命に生き抜くその門は狭い。
入りにくい。
また苦しい。
痛い。
醜い。
それがひどければひどいだけ。
しっかりと足を踏みしめて、
門の扉を強く押し開こう。
にっこり笑って、「えいっ!」と一言。
掛け声勇ましく。
固い扉を押し広げ。
開こう。
その奥には光明、歓喜の世界が待っています。
苦難は幸福に入る狭い門です。
運命は自ら招き、
境遇は自ら作る。
運命自称。
人の一生は運命というどうすることもできない力で、
決まった道筋を引きずられていくものである。
というように信じている者がある。
そして、生まれた年月日、また時間がわかれば、
その人の一生はすっかりわかるなどというものさえある。
運は天にあり、とか、
加法は寝て待て、とかいうのは、
そうした考えからであろう。
しかし、
癒しくも人の関係する仕事で、
捨てておいて、
手をこまねていって、
脇から見ていて、
できる仕事がどこにあるだろうか、
自然のことは、
決まった法則に従って、
一時乱れず運んでいる。
天候に大部分の運命がかかったように見える農業や漁業でさえ、
放っておいては田畑は草の隣、
魚は逃げてしまう。
まして、生産も交通も教育も宗教も、
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何一つ捨てておいてできることはない。
毅然と立って行えば運は開ける。
運は勇者を長愛する。
バージルより。
ぐずぐずしておれば、
その時は去って二度と帰ってこない。
チャンスは前頭だけに髪の毛があり、
後ろ頭は剥げている。
もしこれに出会ったら前髪をとらえよ。
一度逃がしたら、
神様でもこれをとらえることはできない。
ラブレイより。
目の前に来た、
あらゆる時をとらえて、
断固として善処する人。
一度こうと決めたら、
目的を定めたら、
終始一貫やってやり抜く人。
これが世に言う成功者である。
天は自ら助けるものを助く。
ぐずぐずして、
いくらその時があっても手を出さぬ。
何か困ることがあると、
ぐったりしていてすぐやめる。
これは世の中の弱者であり、
敗残者である。
花輪穂喜一が、
日々般若心経を読んで心を鞭打ち、
大軍書類中を変算したその努力。
ヘレン・ケラー女子の死のサリバンが、
いかにそのチャンスをとらえて教育して、
その三十九の大天才を生み出したか。
これを思うと、
盲目という一見不遇の定めは、
一転して大きい幸運と輝き渡った。
各人の運命は各人の支柱にあり。
シドニー・スミスより。
したがって、
境遇もあらかじめそうした定めが決まっていて、
その中に入っていくのではない。
その人の心の通りに、
境遇の方が変わるのである。
現に憂鬱症の人が集まって、
締めっぽい話をしている。
座はいよいよ打ち死ぬ。
ここに世に心配を知らぬ青年が、
カカッと対照して入ってくる。
一座は急に停電後点灯したように明るくなる。
弱り目にたたり目、
亡き面に八。
心が打ちしめれば、
その環境は梅雨時のように打ちしめり、
滑然として心が打ち開けば、
天地一壁、
洋々たる大宇宙が打ち開ける。
運命を切り開くは己である。
境遇を作るのもまた自分である。
己が一切である。
努力が全てである。
やればできる。
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それでは、
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3つ
聞いてどうでしたか?
ああ、そういうことか、
と思ったり、
まだよくわからない、
という人も、
どちらの方も、
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また、
自分はこんな思ってる、
など、
こう思った、
や、
いろんなことがあると思うので、
これは、
無二の好奇です。
なので、
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またねー。