1. 神田大介の経験
  2. ひめゆりと集団自決
2024-01-10 10:25

ひめゆりと集団自決

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はい、そんなわけでね、沖縄旅行してきたんですけれども、レンタカーでね、回りました。
でね、気になったのが、道路が良くないですね。
あのー、舗装の状態ね。普通に幹線道路を走ってんのに、なんかあんまりね、アスファルトの状態が良くない。
で、結構ね、車が揺れて。
あとはですね、看板ね、標識。
まあ、さすがに止まれとかああいうのはそれなりでしたけど、行き先の表示の看板がありますよね。
青い、白で泥書いてあるやつ。
行き先の表示がね、ほぼほぼ読めないみたいな看板がたくさんありまして。
あと、白字に観光名所とかこっちだよ、何キロだよって書いてあるやつとか本当にひどい状況で、全然読めやしない。
これね、なんかもうちょっと税金落としてあげられないもんかなって勝手に思っちゃいましたけどね。
米軍基地とかあるので沖縄って比較的税金がね、北海道沖縄開発局とかもあるし落ちてるっていう印象ないですかね。
私は勝手にいくらか持ってたんですけど。
ちなみに沖縄に行くのはもちろん初めてじゃないですけど、
去年、2023年の夏は北海道行ってきたんですけど、北海道に比べても沖縄の道良くなかったですね。
標識は特に良くなかったな、道路の行き先の標識ね。
初日はね、あそこに行ってきましたよ。姫百合の塔、姫百合と平和記念公園ね、平和の意思示があるとこ。
これはやっぱりね、子供たちにもね、こういうことがあったんだよっていうのを教えていこうということで。
広島の原爆資料館とかも行きましたし、沖縄も行こうと。
沖縄はね、子供ちっちゃいときにはね、入岩手とか石垣とか本島も行ったことありますけど、どっちかというとアクティビティ中心だったんですけど、
上は中一、下は小5ってことでね、大きくもなってきましたので、
この辺はね、ちゃんと今のうちに我が事として覚えてもらいたいなっていうところもありまして行ってきました。
姫百合はね、本当私自身も前に行ったときに、よかったなっていう、見てよかったなっていう、そういう思い出もありましたので行きましたね。
変わらずというか、変わるわけないですけどね、昔のことですから。
内容もね、内容は多分リニューアルはされてるんでしょうけれども、ちょっと前の記憶もさらかじゃないんですけど、はっきりやっぱり一致したのが、
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姫百合にね、姫百合って何かっていうと、当時の女子高校生、中学生ですよね。
だから沖縄中から集まってきた賢い女の子たちですよ。
女子校があって、その子たちが途中からね、戦時になって、野戦病院みたいなところにね、
仕事をすることになるっていう、そういう野戦病院ですから怪我をしてね、沖縄戦っていうのは本当にあの大変な悲惨な戦闘がありましたから、
兵士たちがいる、その世話をするんですよ。
糞尿をね、始末したりとか、
ウジを取ったりとかね、
そういう仕事、大変だったっていう。
で、そういう手記がね、作文がいっぱいあるんですよ。
読めるんですよね。
それを前に言った時にも読んであってね、すごく感心したというか、
我が事のようにね、感じられた作文を読んで思ったっていうことと、
あとその、
戦争になる前のね、
中高生の生き生きとした様子、先生にあだ名つけてみたりとか、
なんかそこらへんがね、またね、戦争に入っていく中との対比があって、
どこでもそうなんですけど、
広島とか長崎とかもそうなんですけど、
普通の生活とね、戦争っていうもののコントラストがすごい印象的で、
それは本当に前に言った時と全く印象変わらず、
すごくね、印象的に残りゆるものでしたけれども、
子供たちもね、しっかり見てたようになってね、
よかったなと思いますが、
それでね、
その妻とか、
妻がたまたま聞こえてきた他の旅行者の人の話、
集団自決のイメージがあるみたいなんですよね、姫ゆりって。
全くゼロってことじゃないと思うんですよ。
自決した人も多分いるんですよね。
だけど大半はそういうことじゃなくて、
ガマっていう防空壕みたいなところにいるときに、
米軍に撃たれて死んでるんですよね。
ただそれ自体も旧日本軍が、
生きて捕虜になって恥ずかしめを受けるなっていうようなね、
そういう教育を施していたがゆえに、
米軍兵の大丈夫ですよ、出てきなさいっていう呼びかけに応えず、
ガマの中にずっといたんで、そういう結果になったっていう意味では、
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間接的な集団自決、別に自分たちで命を絶ったわけじゃないですけど、
といっても過言ではないとは思いますけど、
ただいわゆる集団自決って多分、
切りたたた崖から身投げをするとかそういうイメージだと思うんですよ。
海の中にパフォーマンスね。
そういうのも実際あったんですよね。
沖縄本島でもあったし、
本島でも多分離島でそういうことが多く行われたっていう記録が残ってるみたいですね。
ひめゆりはどちらかというと、
もちろん亡くなった人めちゃくちゃたくさんいるんですけれども、
そういうふうに米軍に撃たれたりとか、
結局は米軍が殺さざるを得なかった状況に追い込まれてるってことはありますけど、
あとは自決をしてるのは兵士ですね。
生産管理に入った牛乳を飲んで死ぬっていうケースが多かったみたいで、
ただそういうものは、ひめゆりの女子学徒たちにはそんなに配られてなかった様子ですね。
手榴弾は持たされてたみたいなんですけど、
兵士の中には手榴弾と食料、水を交換させるとか、
自分たちが手榴弾を使って自決するというようなケースがあったってことが書かれてましたね。
たぶん集団自決は、私自分で取材に行ったから、
サイパン島ってありますね。グアムの方ですよね。
すごいバンザイクリフとかスーサイドクリフってあって、
バンザイクリフが有名ですけど、みんな天皇陛下バンザイって言って、
海に身を投げたからバンザイクリフって言うんですけどね。
本当に真っ赤に海が血で染まったっていう。
それも日本兵だけじゃなくて、
サイパンも沖縄から行ってる人多いんですよ。
沖縄から移住させられて畑を開発させられたりしてたっていう。
あと地元の茶室人とかが身投げをさせられたっていう、
せざるを得なかったっていう。
多分その辺りと混同されてる感じがしましたね。
でもいずれにしても悲劇的な場所であることは間違いないんですけれども。
中に少なくからず生き残った方もいらっしゃるわけですけれども、
やっぱり戦後なかなか多くの仲間たちが、
同級生たち、先輩後輩たちがそこで死んでいったっていうことで、
とても当時の話ができないっていう状況だったみたいですね。
何年か何十年か経ってようやく話ができるようになって、
今はヒメエルの党になってると。
だから意外と戦後もすぐ80年、1945年が終戦ですからね。
になりますけど、戦争の歴史って今明らかになってることってすごい多いんですよね。
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お年を召してからじゃないと喋れないっていうことがすごく多いらしい。
だって私も、私の祖父祖母は戦争直撃世代ですけど、
私の実家にはね、じいちゃん家には薬莢ありましたからね。
ライカンとかないからもちろん爆発する可能性はゼロのものですけど。
それほど身近なものなのに、全然戦争の話聞いたことないですもんね。
やっぱり喋れないんですよね。
そういう記録が残されているのってすごい貴重なことですし、
VTRでご本人たちの証言とかも聞くことができて、
あれはやっぱり見ておくといいと思いましたね。
アメリカ人とかの名前も一緒に刻まれている平和の意思示。
死者に敵も味方もないよっていうね、とかも含めてね。
平和記念公園の資料館が年末だったので休館だったのはちょっと残念でしたけど、また行けばいいですからね。
これおすすめです。ぜひ沖縄に行ったらね。
ちょっと反日使ってほしいなというふうに思いますね。
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