全国のプールをリストアップして、テレアポをして、テレアポが通ったら企画書を作って、
スタートアップだ。すごい。ベンチャー、ベンチャー。
仙者であって、演出して、ビジネス作って、披露してて、ステージ。プロダクションだ。
そうですよ、なんかそれでもういざ契約できたら、もう海パン一丁でシンクロやりに行きますみたいなこと。
その勝負もすごいね。
体ひとつで勝負みたいな。プロレスラーと同じレベルだね。
アクションビジネスですね。
そんな感じでしたね。なので、そこでみんなは大学4年間終わって、その当時のメンバーいろいろ入れ替わりもありつつも、
最終的に大学終わったんで、じゃあもう社会人として働いて、シンクロは卒業しますっていうメンバーもいれば、
そうじゃなくて、当時は会社として立ち上げもしてたので、当時のリーダーが会社の代表としてやると言いまして、
そこに何人か賛同してメンバーが加わっていったんですけれども、自分だけ大学院進学をしたので。
もうひとつのサイエンスっていうね。
天気が現れましたね。
高校の頃理数系で、もともと昆虫好きとか生き物好きなんで、大学は生物系でやってたんですけども、
それですごい生物を学ぶとか研究に関してもすごくモチベーションあったので、
それで大学院進学をしたんですけど、シンクロはシンクロでプロのパフォーマーというか、プロレベルでやってるパフォーマーではあったので、
そこを一人だけ料理でやってるみたいな感じになったんです。
大学院生でプロのシンクロとスイマーってことですね。
大学院生の時はやってたんですか?それとも大学院に入るまでやってたんですか?
大学院生の頃もやってましたね。
それで本当に朝から夕方過ぎぐらいまで大学で授業を受けたり研究実験をやったりとかをして、実験系の研究をやってましたんで、
思いっきりじゃないですか。教科医学ですよね。研究もめちゃくちゃ思いっきりやりますよね。
やってたので、とはいえ本当に同期たちは本当に夜中まで研究をやってましたけれども、
自分はその夕方過ぎぐらいのちょっといいところでラボを出て、
そこから京都市街にあるようなみんなが合宿してるところに合流して、
ちょうどその市民プールとかだと営業時間外に自分たちが練習ができるので、
そこに合流して夜更けまでプールで練習して、そこからまた体育館みたいな施設があるんですけども、
そこで深夜とかまでダンスの練習とかを今度はやって、
寝たら朝の営業時間前とかまでまたプールで練習できるので、
えーすごい。
そこで練習して、そしたらいい感じに人が集まってきて、
もうすぐプール開くから切り上げなきゃっていうタイミングでまたラボに戻ります。
すごいタフ。
今やることを想像するとちょっと自分でゾッとしちゃうみたいな感じのことをやっていたんですが、
その修士号をそれでどうにか取りまして、
博士後期課程に行ったんですけれども、
そこで学進、いわゆる学進特別研究員の立場も得てはいたので、
それで一応お金もいただいたりしながら研究をしていたんですけど、
だからそれもあって、プロ活動としてやってるシンクロのチームに、
自分はそっちでは金銭は受け取らない形で、あくまでも課外活動としてパフォーマンスをしているっていう、
いわゆる特別研究員の制度にお金を受け取ると停職しちゃうみたいな、いろいろあったので、
そこは厳密に守ってはいたんですけれども、
とはいえそこを守る守らないっていう問題ではなくて、
もはやその博士号を取ってアカデミックなキャリアに行くとかっていう選択肢の中には、
ちょっとさすがにそこまでプロのシンクロのパフォーマーと両輪でやるみたいなことはなかなかなくって、
というかそれはできないなと思って、
当時は円溜めの道へ行こうと思って、
それでその大学をその1年目、博士課程の1年目が終わって、
D2に行かずにエイヤーとそこで自主大学をし、円溜めの道に行ったっていう感じです。
素晴らしい。すごく悩みましたか?
もうそれより円溜めの方がもうパッと道が開けた感じでしたか?
いやもうさすがにそのD進してましたんで、
それはアカデミアのキャリアとか研究者みたいな道っていうのも、
少なくともその選択肢とかっていうのも見据えながらD進をしていたはずなので、
そういうのもありましたし、
かつ今でいうまさにサイエンスコミュニケーションとかって、
当時の自分の発想としても、
なんかこうエンターメントサイエンスの掛け合わせとかができそうっていう領域ではあったので、
当時もうかなり何年前か今計算できないぐらい前ですけど、
その頃もそういうキャリアも想像はしたんですね。
さすが、もう少しは見えてる状況があったんですね。
ただD1の時点で12年前とかになるので、
その頃はまだ日本国内でこういったサイエンスコミュニケーションの土壌、土台みたいなものも、
今よりはまだ整備されてない印象でしたし、
自分の知識とかスキルだったりキャリア経験っていうのも、
まだ今と比べると全然段違いに少なかったので、
それを仕事にするみたいなことがちょっと想像しきれなくてですね。
なので結局どっちかを選ぶっていうことかなという中で、
当時はエンターメントの方に一旦行ったっていう形ですね。
すっごい面白い。
そんな人、世界に一人しかいないじゃないですか。
いないかもしれないですね。
なんでそのサイキケイトの作り方っていう話っていくと、
自分自身が例えば人生2周目、同じDNAというか、
自分自身として人生2周目やったとしても、
再現性なさそうというか、できなそうだなと思いつつ。
そういうのワクワクする。面白いですね。
再現性のない人生ね。
作り方語れるのかなみたいなところもあったりするんですけども、
そういった流れっていうのが正直なところですし、
もっと言えばシンクロチームは残念ながら、
ドクターを退学してまでエンターメント道に専念したんですけれども、
その2年弱ぐらい過ぎたタイミングで解散になってしまったので、
いろいろ本当にプロとして専業してずっと持続させていくみたいなことは、
ビジネスとしても大変ですし、方向性っていうものが合ってないようなものだったので、
その先に見るもの、音楽活動でしょ。
シンクロ足掛かりに音楽活動。
それぐらいやらないとメジャーのステージに立てないじゃんっていうメンバーもいれば、
ダンサー出身のメンバーとかもいたりとかもしましたんで、
そういうメンバーたちはダンスが活かせるからやってるけど、
ボーカリストが一番のチームになるとかは聞いてないみたいな話になったりとか、
自分自身はどっちでもなくて、ただ泳げるから参加したっていう経緯だったので、
ボーカルパフォーマンスとか自分どっちでもないしどうしようみたいな感じになって、
なかなかそこがそれぞれの考えもあったりして、解散になっちゃったので、
その先の表現活動とかエンタメ活動の中での動きとして、
今はその役者をやっているみたいな形になりますね。
半分同じなのに、その残りの半分が全く未知ですごくて、
年だって同じ科学を志し、科学の研究室に行ってラボに行ってっていう、
24時間のうち8時間くらいはたぶん私たちは同じことをしてたんですよね。
研究計画立てて、実験して、ゼミで発表してみたいな生活は同じだったわけです。
首にタイマーつけて、そこからの過ごし方がまるで違うっていうのが、
すごい!どんだけ大変な。
でもどんだけ才能があったのかって思うと、
いやいや、でもなんかやっぱり自分自身は、
高校3年生の頃は、さっきほどの話で、
ウォーターボーイズ選手権に人生かけてましたんで、
結局最初は映画の憧れっていうところから入ってるんで、
とりあえずそれを真似しようみたいなことで、
青春、笑顔、元気、爽やかみたいなことでワーっていくんですけども、
それを10年やってたわけではなくって、
さすがにその続けていると、
それこそ先ほどのお話とかも大学院に自分は行ったけれども、
こんなシンクロを寝る間惜しんでやってるけれども、
その先の人生はどうなんだとかいろいろ考えるわけですよね。
メンバーもそれぞれに自問自答しながらやってて、
1年に1回とか自主公演っていう形で、
市民プールでショーとかレジャープールでお呼ばれしてっていうだけじゃなくて、
自分たちプレゼンツで本当に1時間なり1時間半なり、
自分たちがやりたいことをやって集客してっていうライブもやってたんですよ。
ってなった時にそこで今の心の葛藤であったりとか、
それでも熱い気持ちを持ってやってるんだとか、
そういったパッションだったりっていうものをそのまま演技として表現して、
何か提示してみようとか、
なんかその青春笑顔元気爽やかとかじゃない、
もうちょっと表現とかいろんなものに深く向き合っていくんですよね。
そうするとなんかそこで提示して、
思ってたのと違うってなっちゃう方もいらっしゃるんでしょうけども、
その中にはすごく皆さんが抱えてる気持ちだったりとか、
その先で表現したいこととか、
すごく渦巻いてるものみたいなのがすごく刺さりましたみたいに言ってくれる方もいらっしゃったりして、
やっぱり楽しいとかみんな笑顔になるとかっていうのは、
すごい素敵な今でも大切にしてることの一つですけども、
一方でなんかこうエンタメってなんか心を動かすというか、
そういうものなので、
自己表現とか生きるとは何かっていう向き合うところですよね。
こういうものになんか自分は携わってるなぁと思う中で、
とはいえ表現のフィールドがずっとプールだったんで、
10年間ぐらいあるとはいえプールでやりましょうっていう話だったんで、
なんかその枠を越えてやりたいっていう中で、
自分自身はその歌とか何かお笑いとか他のことに特化してたわけじゃないので、
やるとするならば役者、お芝居かなみたいなところが当初からあったっていう。
そうなんですね。
お芝居の道に本格的に入っていくって感じじゃないですか。
そうです。だから役者デビューがもう27歳とかの話で、
それ自体ももうかなり遅い方ですし、
でもやってみたらやっぱりハマって、
なんか役者さんも本当にいろんなキャリアの方が集まってる中で、
でもなんか自分はやっぱりある程度自然科学というか理系というか、
そっちのベースもあるので、役者としてもそっちのマインドもあるんですよね。
あんまり根性論とか感性だけじゃないというか、
すごい何か感情をスパークさせるような大号泣するとか、
そういったいろんな状況の中でっていうお芝居も、
もちろん稽古とかも含めてあったりするんですけど、本番だけじゃなくて、
そういう時にその状態になるっていうのは、本当に感情とか心に起因してるわけですけど、
でもその状況を生み出すまでのプロセスっていうのは、
すごくサイエンティフィックにいけるはずだみたいな思いがあって、
すごい面白い。
じゃあどうやれば現場に立った時にその感情が立ち上がってくるのかなっていう、
そこまでは理論でいけるはずだみたいな気持ちもあったりとかして、
ちょっとそこのお話をするとめちゃくちゃマニアックなことになってくるので、
ちょっと聞きたい。
また今度の機会をまた立ち上げてるので。
トップアスリートが1週間とか1ヶ月かけて自分のピークをそこの試合に持っていくように、
演技というものに関してもそこに自分を持っていく、理論立てるものがあるってことですね。
やっぱりなんか最近サイエンスコミュニケーションでもそういった台本読解とか役作りっていうところのプロセスを引っ張ってきて、
コミュニケーションに転用して茶々理解の授業ですよみたいなこととかをやったりもするんですけども、
学びたい。
なんかそれっていうのも今それをやれてるっていうのもやっぱり、
でもまあそれは普遍的に役者であればみんな向き合うことではありますけど、
でもそれをどこか客観視して自分が台本と向き合っている時間、役作りとして何かを作り上げていく時間っていうのをある種客観視して、
これAとBとCとDとEを台本読解の時はやってるってことねみたいなことで、
フォルダ分けして整理してるみたいな見方で自分がやってるので、
それをじゃあサイエンスコミュニケーションの特に取り分けコミュニケーションの部分に転用するならこういうことかなっていうことがおそらくできるっていう。
あれ?似てる?
似てます?もしかしてエリカさんのこのコミュニケーションのグリッド線って呼んでるんですけど。
そういうのがあるんですね。
さゆきさん、たぶんすごい深い話ができると思う、これから。
それはぜひ。
2つの車輪っていうお話を先ほど言おうというところで出てきたんですけども、
さゆきさんから私今すごいアドバイスいただいた気持ちになっていて、
私はほら、科学者を途中で辞めた。
辞めるつもりはなかったのに、ちょっと休憩する時間を持ったらば、
違うお仕事にはまっちゃったっていう状況で、
2つの車輪とは思ってなくて、乗り換えた気持ちではいたんですね。
でも、最近この今日本語を教えるっていうことで教科書を作るときに、
科学者であった、科学を学んだことってガッチしてるんですよ。
これからも子供たちにね、科学の面白さ、科学の良さ、
そしてですね、なぜだろうって自分で考えたり、
その答えっていうのをね、僕たちの科学教室っていうのはすぐには出さないで、
本当にみんなでなぜを温め続けようとか考える、
その過程を大事にしようということで、
実は答えのないものとかを一緒に、
一緒にまだ分かっていないこととかを追いかけていくような
科学教室にも展開していたりするんですけど、
そういう活動にもね、より一層弾みがつけばなと思っています。
2024年としては、ポッドキャストの面で言いますと、
本当に多くの方々とコラボレーションすることができて、
そしてゆりかさんのキラクっていう本を出すことができました。
これを日本に届けるように今準備している段階なので、
2025年としてはそのヒラクをですね、日本で展開すること、
そして科学教室でこれまでやってきたこととかを記事とかですね、
本とかにまとめたいなと考えています。
特にですね、実は来年、僕とゆりかさんの結婚20周年を迎えます。
振り返ってみると、僕は結婚する時によくあるつきなみな言葉で、
あなたを幸せにしますとか、
ちょっとそういうのを簡単に言えるような状況じゃなかったと言いますか、
僕は大学院2年生でプロポーズしまして、
前期家庭の2年生の時にプロポーズしまして、
結婚式を挙げたのがその2年後、白紙の2年生の時なんですね。
結婚式を挙げてから数えて結婚20周年なんですけど、
その時に僕は3つの誓いを立てたんですよ。
幸せにするっていう幸せっていうのがすごい抽象的すぎて僕好きじゃなくて、
具体的に自分が何をするのかっていうことを言ってたんですけど、
それはゆりかさんの性格、ゆりかさんの能力っていうか、
そういうのを見た上ですごくその教団に立つっていうことがすごい向いてる人だなと思ったんですね。
なので、彼女が教団に立つっていう状況がある限り、
僕は全力で助けますということ、
そこに労力は惜しまないっていうことを約束したんですね。
2つ目が母として素晴らしいお母さんになれる人だと僕は思っていると、信じていると。
だから、ゆりかさんが母親というものになる時には、
自分は本当に全力で助けるし、努力を惜しまないって言ったんですね。
3つ目が彼女の文章能力に僕はすごく惚れてまして、
あなたは本を書くべき人だと。
だから、あなたが本を書くっていうことが起きたら、それも全力でサポートするということで、3つですね。
教団に立つこと、母親という道を歩くとき、そして作家ですね。
本を書く、著者としての活動、その3つは全力で支えていくということを誓ったのが20数年前なんですね。
なので、20周年の節目に、彼女は今リベラルアーツ校で授業をやっているし、3人の子供を育てていて、
そして本を書くという機会を得て色々書いていくんですけど、
これをですね、本当に彼女が持っている能力をですね、全力で出せるように。
どっちかというと、僕が研究にのめり込む余りですね。
彼女の時間を取ってしまったり、彼女に大きな負担がかかったような時間の方が多分長いと思うんですよ。
僕も全力でね、色んなことをやってきたっていう気持ちはあるんですけれども、やっぱりそういうところがあるんで、
2025年を迎えにあたってね、結婚20周年ということで、結婚の時に立てた20年前の誓いっていうものを改めて自分に思い出して、
僕ができる限りのことをですね、やってですね、彼女の能力がちゃんと発揮されて、
多くの方にですね、素晴らしい授業や素晴らしい本のね、文才っていうものが届いてて、
人々の、その彼女の文章って勇気をくれるんですよ。
勇気をくれるし、人生に向かって前向きに進んでいけるというか、
そういったものを多くの人に届けることができるようにね、サポートしていきたいなと思ってます。
ということで、本当にね、今年1年多くの方に支えていただいて、
なんとかね、奏でるサイボー、ミュージック&サイエンスポッドキャストというものを続けることができました。
本当に聴いてくれてる皆さん、そしてコラボレーションしてくれた皆さんのおかげだと思ってます。
そしてね、一緒にパーソナリティを務めてくれたユリカさんのおかげだと思ってます。
そういったものに感謝して、そして皆さんに素晴らしいクリスマス、そして年末年始が来ることを祈って、
多分今年最後の配信となりますが、これを終わらせたいと思います。
本当に最後まで聴いていただいてありがとうございました。
来年もね、楽しい配信を続けていこうと思っていますので、どうかよろしくお願いいたします。
以上、最後まで聴いてくださってありがとうございました。
お相手は科学教室の先生、辰でした。
バイバイ。
バイバイセコー。