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2022-12-13 57:10

火鍋#4 孤独と向き合うコウモリたちの会話|えびしば と セキヤ|【ゲスト:えびしば(ひがこ0時50分)】

編集後記
編集中に思い出したのだが、本編で話した小2の時に書いた紙芝居の中でもコウモリを登場させていた。少年少女の冒険物語だったが、洞窟に入ると自分達の身体の十倍以上もある、とんでもなく大きなコウモリに襲われてしまう。少女が偶然持ってきていた懐中電灯の光が弱点だと気づき、コウモリの目に当ててなんとか追い払うという場面があった。物語のクライマックスだったこともあり、かなり力を入れて描いたコウモリの大迫力の絵は鮮明に蘇ってきた。その絵をヤンチャな友達がみんなの前で嬉々として見せて、大きな声で発表している、みんながそれに釘付けになっている様子も鮮明に思い出せる。自分が考えたことでみんなが喜んでいるというある種の成功体験だったが、先生からすると、目がいったのは、その発表の中で一言も発言しなかった僕だったわけで。僕としては、なんで先生はこんなこと言うのだろうという大きな疑問の種、孤独感や周囲とのズレを感じる要因のひとつになってしまったのだ。
そんなコウモリが絡んだ子どもの頃のエピソードが、時を超えてポッドキャストのテーマキーワードの1つとしてまた出会うことになるとは。改めて人生は本当にエモ面白い。
叔父さんの死を経験して心が壊れてしまった僕の気持ちを「周りの子たちには分からないと思っていた」が果たしてそうだったのだろうか?あの頃を思い出せば思い出すほど、周りの友達なら話せば寄り添ってくれたようにも感じる。実際、急に泣き出したり、ずーっと外を眺めているだけの僕を、そっとしておいてくれたクラスメイトたちには感謝しかない。教室という空間に居ることができたのは、居るだけの僕を許容してくれていた、存在していていいのだと思わせてくれた、あの頃のクラスメイトのおかげだと思う。居場所とは感じることはできていなかったし、孤独だと思っていたが、本当は、優しい世界に身を置けていたのだと、今では思う。
私たちコウモリは「コウモリだから孤独を感じる」のではなく「自らコウモリになり、結果的に孤独になっていく」のではないか。この収録を通じて、見るだけだった窓の外の世界に触れてみてもいいのかもしれないと感じる。暖かな日差しのもとにある黄土色のグラウンドへ。なんとなく気分を高揚してくる、軽快なJazzを聴いたときみたいに。

【火鍋とは?】中国料理に使う卓上鍋の一種。また、それで作った寄せ鍋。多くは、唐辛子・山椒を使った辛い鍋料理。2つの味を楽しめるものもある。鍋モツの火鍋では、鍋モツのどちらか1名とポッドキャスター1名が熱くて刺激的なトークをお届けするスピンオフ企画です。

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|今回の内臓|
()〜 「ひがこ0時50分」のえびしばさんが来た!
()〜  自分がコウモリだと思うことある?
()〜 自分の輪郭を描く
()〜 居場所について

/ずーみんと仲良し/ネモフィラ/セクシーキャット/コウモリ/イソップ童話/哺乳類でも鳥類でもない?/孤独感/疎外感/居場所じゃない感覚/道徳の時間/何かを残したい/ズレた行為/周りの子たちには分からないと思っていた/教室の中の自分と窓の外のみんな//ドッジボール/自分のカタチを描いてみる/輪郭線/絶対的な自分、相対的な自分/自分を持ってる人/分人/社会と繋がっていることの確認/この感覚わかる?/外出ろよ!/居場所はつくれる?/物理的な空間/ポッドキャストウィークエンド/日常の中にある/僕らは中心にはいない/

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