普通の幅を広げていく 社会福祉士のお気楽ラジオ
この放送は、現役の社会福祉士で、障がい自己育て奮闘中のTadaが、人と環境の交互作用に着目した発信を通じ、
皆さんの中にある普通の幅を広げ、誰もがお気楽に過ごせる社会になるためのヒントを共有するラジオです。
皆さんおはようございます。社会福祉士のTadaです。
シルバーウィークね、真ん中ぐらいだと思うんですけども、どんなですかね。
僕はね、かなりのんびり、そしてのんびり、時にはのんびり過ごしております。
はい、ほとんどね、家出てないかも。
うん、そんな感じでね、本当に、なかなかね、こう連休中って人多いじゃないですか、どこ行っても。
まあっていうところもあってね、割と家の中、まあ近所ぐらいでね、ゆっくり過ごしている我が家なんですけれども、
それでもね、日常的な用事ぐらいはね、こなしたりとか、あとコマコマとしたね、イベントとかがあったりするのでですね、
まあ楽しんではいるんですけどね。
そんな中、この週末なんですけど、ゴールデンウィークじゃなくてシルバーウィーク中か、
シルバーウィーク中にも、まあいつもと変わらずではあるんですが、月に1回のね、息子のST、言語聴覚療法ですね、言語聴覚士の先生と、
言葉の練習、訓練みたいなことをね、するのに行ってるんですけども、月1回のSTの時間でした。
親同行でね、まあ大体40分ぐらいということで、本当にね、うちの息子からしてみたら塾みたいな感じですよ。
まあ大きな病院のリハビリ室でやらせていただいてるんですけども、すごくね、もう本当3歳の頃からかな、ずっと通わせていただいてて、
まあ彼のね、成長の一助になってるんじゃないかなというふうにはすごく思ってます。
で、あのやっぱり年齢とか、その発達状況に応じて課題は変わってきてて、
当然ね、もう3歳の頃やってたものとはね、全然レベルが違うぐらい。
まあとはいえ、今うちの息子10歳なんですけども、ダウン症で知的障害、重度知的障害なんで、
まあ一般的なね、定期発達の10歳と比べると、本当にね、まあまだそんなことなの?とかね、
まあ子供だね、赤ちゃんだね、みたいな感じがするかもしれませんけども、うちの息子からするとね、めちゃくちゃな成長進歩なんですよ。
で、まあそのどんなことをやってるかっていう話をね、ちょっとして、まあちょっとね、面白かったんでね、毎度毎度面白いんですけどね、
今回もね、ST面白かったので少しね、お話を、ザボーと雑談としてね、シェアさせていただきたいと思います。
まあ今はね、わりとこうひらがなが全部読めるようになってきたんですよ。
うん、確実じゃないね、あのぬとか怪しいね、目と間違うよね、うん、難しい。
まあそんな感じで、いろいろとね、まだ完璧ではないんですけども、おおむねひらがなが読めるようになってきた。
まあただ、ひらがなを繋げていって一つの意味にしていくっていうのはまだね、スピードが伴ってないというか、結構時間がかかっちゃうので、絵カードを使ってね、練習をしたりしてます。
おうちでもね、絵カードを使ったりとか、お風呂にね、ひらがなの五重音が書いたね、紙をペタッと貼ってね、お風呂上がるときに練習したりしたりしてるんですけども、
その僕が聞いた日は、夜の講演会だったんですけども、当直で現場、義務の病院でお仕事されて、それが終わってから移動して講演っていう形でね、駆けつけてくださったということなんで、
やっぱりね、言話しながらね、講演活動するって、そのものすごいパワーだなというふうに思いましたけども、
でもそれをね、お届けしてくれる、本当にありがたいなというふうに思いました。
ぜひぜひ、本当に聞いていただきたいなと思うんですけども、その中からね、僕が学んだことをね、少し事例のね、ワンエッセンスをね、かいつまみながらお話ししていきたいなと思います。
大きくね、今日ね、僕が感じたことを2つに分けてみました。
先生のね、この講演の中から学んだことなんですけども、それはね、命の時間っていうことと、普通とダメな普通、今回のタイトルです。
この2つをね、感じることができたので、そこらへんについてね、少しお話ししていきたいと思います。
まずね、命の時間についてですね、やっぱり事例で本当にたくさんあります。
小児科医っていうところでね、やっぱり救急とかNICUとか、いろんなところで勤められているということなんですけども、
生まれてすぐその命に向き合う、そして生まれた時からすでに医療が必要な子たちと向き合っていくということでね、なかなか壮絶な現場。
やっぱりね、本当に命が生まれ、そしてそれが続くのか、その命が続くのか、尽きてしまうのかっていうところの瀬戸際でね、救ってくださる先生なんでね、本当に貴重なお話し事例をたくさん持たれていました。
で、その中で僕が学んだこと、まず一つ目はね、3週間あれば人はこんなに変われるんだっていうところですね。
これは先生がね、生まれた赤ちゃんのその措置を、医療治療をした中で、生まれたての子供、大体皆さんどれぐらいを想像します?
2700、800、3000、3200、3500ね、だいたいそれぐらい。2000後半から3000前半ぐらいのイメージを持つでしょう。
その先生のところで生まれた子供の一例ですけどね、324グラム、ほんとほぼ10分の1ぐらいの小さな小さな命ですよ。
その小さな小さな命を、命の灯火を絶やさないように先生が、そして先生やスタッフさんたちがね、カバーしていくわけです。
そして3週間経って422グラム、ほぼ100グラムアップと。
3週間経ってその子供の写真もね、公園の中で見せていただいたんですけども、全く別人のような姿になってました。
グラム数、重さだけで言うと100グラム、でもね、その3週間で大きくなった100グラムは、その子をね、全く見違えるような存在にね、変えてたんですよね。
そこで先生が3週間あればこんなに変われるんだっていう風に思ったっていうことをね、お話しされていて、確かにそうだなっていう風に思いました。
あの子供からしてみたらね、すごく大きな成長の3週間、でも僕ら大人っていうのはいつの間にか3週間、もう9月なんかさ、ちょうどわかりやすいですよね。
1日から始まってもう3週間経ってるじゃないですか。どうですか、この3週間大きく変わりました?
きっと変わろうと思えれば変われることもあるんだと思うんです。
でも僕らは3週間にあまり重きを置いていないのかもしれないね。
だからね、そういう小さな命に触れることによって3週間の大切さをね、僕は学ぶことができました。
そして次にね、15年。
これ何かというとですね、18トリソミの子のお話をしてくださいました。
18トリソミ、ご存知の方もいるかもしれません。
この僕のね、この放送自体がダウン症の息子の話もふんだんにしています。
ダウン症の息子は、ダウン症というのは21トリソミっていうね、事実は病名なんですけども、染色体の21番目がトリソミ。
通常ね、2つで1組の染色体なんですけども、この21番目の染色体が3つあるということで21トリソミ。
そして18トリソミはその18番目の染色体が3つあるということで18トリソミっていうね、染色体以上の病気のお腹まではあるんですけども、大きな違いはね、寿命ですね。
ダウン症21トリソミっていうのは結構ね、医療の進歩とともに、どの染色体以上もそうなんですけども、やっぱりね、長く生きれるようになっています。
今のダウン症の子たちは、子たちって言ったらいけないね、ダウン症を持った人たちは、だいたい60年以上はね、生きれるかもしれないねっていうところで推移していってる。
なので、いわゆる一般的な方の平均寿命よりは短いけれども、それなりに長く生きることができるようになったとね。
っていうところなんですけども、18トリソミ、こういう18トリソミを持って生まれた子たちっていうのは、基本的には数年、本当に長くて、平均数年の寿命なんですよね。
ただ、事例としてね、稀に長く生きる子もいるわけで、寺澤先生が関わった子供の中で、15年命が続いた方がいらっしゃると。今も続いている方がいらっしゃると言ってたかな。
その15年続いた命、18トリソミの子から学ぶこと、一般的に、一般的に。
よく言うじゃないですか、僕らは。過去の事例から積み上げてきた先人の知恵といえばよく言ったものです。
でも、それはあくまでも一般的なものであり、確実なものではない。
たくさんの数字を積み重ねた結果、統計的にその数字が出されているので、確率的には当然高いものだと。
そういうふうに思っても差し支えないと思うんですけども、やっぱり数年の寿命であった18トリソミ、平均寿命はその感じ。
でも、15年以上生きる人もいるということで、ここに一つ大人の常識を覆す存在が生まれているということ。
なので、過去の積み重ね事例というのはとても大事だけども、それが全てじゃないよということを感じることができたなと思いました。
僕自身も長く生きていけば生きていくほど、少し前の放送でも話したかもしれないけど、
長く生きていけば生きていくほど、過去の成功だけじゃなくて失敗も積み重ねるわけなので、失敗が怖くなっていくという自分もいます。
だんだん臆病になっていく、そんな自分もいる。
それは、自分の中の常識が積み重なっていって、これ以上はないだろう、これ以上はできないだろう、これ以上は無理だろうがたくさん増えてきた。
でも、それはそうかもしれない、でもそうじゃないかもしれないというふうに思って、
一歩踏み出す力というのはやっぱり大事なのかなというふうに改めて思うことができました。
そして、次に学んだことはね、まだまだあるんかいって感じかもしれないですけどね、まだあるのよ。
結構学びの多かったお話でした。
次に学んだことはね、たまたま偶然平凡な奇跡が1年続いたということなんですけどね、
これ何の話をしているかというと、誕生日の話ですよ。
誕生日、なんで誕生日をおめでとうって、誕生日おめでとうって言うんだろうっていうテーマから始まった一つの事例のお話だったんですけども、
その子供の話ですけどね、その子はもう生まれる前からね、
すでに心臓とか肺とか食道に本当に大きな病気を抱えていることが分かって、
もうね、どれくらい生まれてきても生きれるか分からないっていうふうな状態の子供でした。
で、お父さんお母さんがその子が生まれてきた後にですね、ずっと病院でやっぱり過ごすわけなんですけども、
お父さんとお母さんが毎月誕生日会を開くわけですよ。
誕生日会ってね、年に一回じゃないですか。
でもそうじゃなくて、どれくらい生きれるか分からないから、毎月誕生日会。
1ヶ月おめでとう。2ヶ月おめでとう。
そうやって毎月毎月、その入院している男の子の誕生日会をするんです。
で、結局その子の誕生日会は11回目で終わりました。
12回目にたどり着くことはなく、そうつまりね、1年の1歳の誕生日を迎えることなく、
その子はね、命を、息を引き取ってしまうわけなんですけども、
なんかね、そういったことを考えた時に先生はね、思ったんですって、
誕生日おめでとうっていうのは、誕生日、たまたま偶然平凡な奇跡が1年続いたことにおめでとうっていうわけ。
だからその子は、たまたま偶然平凡な奇跡が1ヶ月続いたっていうところでおめでとうってね、言い続けてた。
なんかね、ほんとそうですよね。何が違うんでしょうねって思ったら、運だけじゃないですか、単純に。
病気にならないとは限らない。怪我しないとは限らない。事故に遭わないとは限らない。
今日かもしれない。明日かもしれない。明後日かもしれない。10年20年先かもしれない。ずっと遭わないかもしれない。
なんか、いろんな要因はあるかもしれません。
そして生まれてから、自分でね、管理ができるようになってからは、自分でね、その要因を引き寄せたり、
病気に関してはね、事故とかもそうだね、コントロールすることが一定はできるかもしれない。
でも不可抗力は当然あり得るし、どうしようもないことだって絶対あるわけですよ。
だから僕らは、たまたま偶然平凡な奇跡が続いて、今ここにいるっていう風にね、思う。
そうすると1日1日がね、より大切に生きていけるんじゃないかなっていう風にね、僕はね、思ったんですよね。
今日もたまたま偶然平凡なね、奇跡が続いた1日でした。
とてもね、幸せに生きることができたなっていう風に思って、こうやってね、収録できていることも、とても嬉しいなっていう風に思います。
そして、次に、あと2つぐらいあるんでね、ちょっと付き合ってくださいよ。
あとね、57分の大王女。
もうタイトル、そのままですよ。タイトルはね、勝手に僕がつけてます。
あの先生はね、その事例ごとにね、詳しくお話をしてくださってますけども、
僕はその学んだことをお話しするために、その事例のね、タイトルというかね、そのテーマみたいなところをお話しているわけなんですけども。
ほんとね、まあタイトルままですよ。57分。お腹から出てきたら、20分しか生きられないよっていうね、命があった。
で、結局その命は、57分生きることができたと。
ただ、57分しか生きることができなかったのか、57分も生きることができたのか、どう捉えるんでしょうね、これって。
っていう時に、そのお父さんとお母さんから、先生がね、言われたのは、先生ありがとうございましたと。
この子は大王女でしたっていう風にね、言われたらしいです。
生まれて57分。この人生は57分で終わったわけです。
2回だけ小さな泣き声を上げて。
でも、それまでにたくさんのことができて、そして生まれてからも、57分間、みんなでね、最高の時間を提供することができたんじゃないかなという風に思います。
だから、お父さんお母さんから大王女でしたっていう風にね、お言葉をいただけた。
なんかさ、どうですかね。今、命を失ったとして、大王女だったって言えますか。
僕はね、自分自身のパフォーマンスに関しては、大王女だったってね、言ってもいいかもしれないなっていう風に正直思ってるっていうか、思うようにしてる。
思える程度には何かできてるかなという風に思います。
もちろん、成し遂げたとか、目標に達したとかね、そういったものが多いわけではないです。
全てやりたいことの発展途上、目標があるものに関しては、目標達成未完成な状態みたいなものばかり。
でも、僕がね、大王女だったっていう風に思えるのは、何でかっていうと、やりたいって思ってることは基本やってるからかなっていう風に思います。
もちろん、全部やれてるわけじゃないですよ。
ただ、今自分の置かれている環境の中で、チョイスできる、やりたいなっていう風に思うこと、基本的にはできてるかなっていう風に思います。
それは自分目線でですよ。
旗から見たらもっとできるんじゃないかっていう風に思われることもあるかもしれませんけども、それは別に旗から見た評価なんで、
僕は僕から見た自分の評価で、自分がもし今日明日命を失ったとしても、自分自身は大王女だったって言えるんじゃないかなっていう風に思って生きてます。
でも、でもさ、57分を大王女って言えるって本当にすごいよね。
なんか、こういう話を聞いてて、自分自身がどうしたら大王女って言えるのかっていうところをね、もっともっとしっかり考えて、もっともっと悔いのないように過ごしていきたいなっていう風に思いました。
僕は大王女なんですけど、僕はなるべく旗から見ても大王女だったってね、言われるような、そんな準備、生き方がね、していきたいなっていう風に思ってます。
いやー、頑張ろうと。そんな風に思ったね、お話でした。
あとはね、最後、この講演のね、最後じゃないんですけど、僕がね、学んだお話の最後ですね。
命の時間ではなくて、ここがね、今回のタイトルですけども、普通とダメな普通っていうところになるんですけどね。
これはね、この寺沢先生の原点のお話を聞いた時に思ったことです。
なぜこの小児科医というね、職業を選んだのか。
この小児科医というのを選んだのには、ご自身のね、子供の頃のお話し方らしいんですよね。
先生には3歳年下の弟がいらっしゃるらしいんですよ。
で、その3歳年下の弟が先天的に重い病気を持っているようで、お話しすることもできないのかな。
あと、歩くこともできなかったりとか、食べることもあまりできないみたいな感じの風に。
病名とかね、特におっしゃってなかったので、よくわかんないですけども、そういったような状況の、多分重い重度心身障害と言われるような、多分レベルのね、弟さんがいた。
で、その弟が生まれて、保育期の中にいる時に、3歳何ヶ月だったお兄ちゃんである寺沢先生がね、弟を治してやりたいという風に思われたんですって。
そこが小児科医になろうと思った原点って。
でもね、その中で、ここ原点の話なんですけど、ここからが僕の学びというかね、共通する部分でもあったんで、すごく心に残っている部分なんですけど、
あの、中学3年生の頃に気づいたんですって。
何に気づいたかっていうとね、弟を見下していることに気づいたんだって。
なんかね、治してあげたい。弟を治してあげたいという心から小児科医になろうとしていたんですけども、
中3の時にね、思ったのは、弟を普通にしてあげたいという風に思ってしまったみたいなんですよね。
で、その時に思った普通っていうのは、喋る、歩く、食べる、これが普通。
そして、そうじゃない普通はダメな普通なんだっていう風に思ったと。
思っているっていうことに気づいたということかな。
でも、なんかそれは見下しているっていうことなんじゃないだろうかっていう風にね、早いよね。
中学3年でそんなことに気づけるなんて、やっぱりね、早命だなという風に思うんですけども、
やっぱり、ただただ大好きでいてあげればいいんだなという風に思ったっていう話をされていて、
これ、僕の放送の核でもある、普通の幅を広げていくっていうところと、とても繋がりのあるところです。
この話を聞いて、なんかね、めちゃくちゃ勝手にシンパシーを感じたわけ。
たださ、すごいよね。中3でこのことに気づく。
僕はどうだ、弱い。
30後半ですよ、このことに気づいたのは。
普通の幅を広げていくっていう風にね、このコンセプトというかね、この活動理念を持ったのは、
僕はね、息子がね、保育園を卒園するとき、正確に言うとね、うちの息子は保育園にクビになったんで、
年中3までしか行けてないんでですね、年長の時はね、児童発達支援センターに行ったんですよ。
児童発達支援センターの卒園式の時です。
その時にやっぱり親同士でお話をする機会があって、
で、やっぱりね、そのみんな障害を持ったこの親御さんたちが集まる中で、
僕がね、お伝えしたお話が、この普通って何なんですかねっていうお話をさせていただいて、
その時からやっぱりね、僕のコンセプトっていうのは、
みんなのね、こう、社会に住むみんなの普通の幅を広げていくことによって、
全てが普通になっていくっていうね、そういうイメージを持って活動をね、
そういうイメージを求められるように活動していこうっていうふうに思ったっていうところが、
僕の普通の幅を広げていくっていう活動の原点なわけですよ。
浅田先生は15ぐらいの時に気づいて、僕は40ぐらいの時に気づいて、