00:07
こんにちは、ほかひびとラジオのTaitoです。
今、羽生公園でね、いつも島久沢でバーとかイベントスペースみたいなところでね、一緒にやってる仲間たちがいるんですけども、
花見に来ててね、最高ですね。
羽生公園やばいね。公園に人類の営みを感じる。
タッチボールしてる人もいれば、追いかけてる人もいれば、サボン玉吹いてる人もいれば、遊具で遊んでる人もいれば、野球やったりバッケットボールやったりとか、ギター弾いてる人もいればみたいな感じで、
この山のいたるところに人が遊びほうげてるっていうね。
今、野球ボールが、男の子の親子のキャッチボールから転がってきたんで、下投げで返してあげましたけどね。
あ、会社やってる人がね、いたりとか。
なんかすごかったのが、耳が聞こえないね、老の人たちの団体があって、すげえ、何て言うんだろう。
年齢も割とおじいちゃんとかおばあちゃんとか多いんだけど、若い人とかもいて、20人くらいいて、一つのテーブルを囲んでね、ずっと喋ってて。
それが、みんなシュワで喋りながら、でもなんか大勢の中で爆笑みたいなのがね、声が出ずに盛り上がってたりとか、受けてるみたいな。
なんかすごいなって思いましたね。
なんかさっき古木さんと話したら、なんかアメリカだと老の人でも、シュワで笑うときは、笑うときは自分の声を出すみたいな。
そこを言ってて、まあクリティカルにやっても、その老の人たちの文化って違うんだなと思ったけど。
これはヤバすぎ、今。
ファンズハントがあるんですけど、もう公園の真ん中が桜並木になってて、そことかもう人がギューギュー繋がってたんですよ。
なんかね、僕らの街の北で集まってる人たちの仲間たちはね、やっぱミュージシャンだったり、創作やってたりとか、まあその人の彼氏さんとかだったりとか。
03:06
そんな感じで色んな人が集まってて、高校の友達とか、常にみんなサッカーやったりとか、花見やったりとか、キャンプやったりとか、山登ったりとか。
ながらそれぞれライブに足を運んだりとか、それぞれ興味関心があることについて喋ったりとか。
一応ディスコードのグループがあってね、そこで、まあ盛り上がってるとも盛り上がってないとも言えない緩い繋がりがあるんですよね。
やっぱそれ以上に、オープンマイクだったり、まあオープンマイクっていうイベントだったり、バーに集まって何かしら誰かがライブするとか、発表するみたいなのがぐるぐるなってる感じでね。
本当にすごい可能性を感じて。
うーん、なんかこうやって一つの村って成り立っていくんだなーって、農村回帰みたいなことはしたいわけじゃないけど、
なんか家族とかに繋がりを包括した集まりっていうかね、それも会社とかでもなく、何となくこう別に利害関係がない中で繋がってる、出たり入ったりする人もいて、
その中で喧嘩もあったりとか、なんか別の人生を歩むって決めて戦いたりとかするけど、なんかそれから戻ってくるみたいなのがぐるぐるあって。
まあこれは、僕がニューヨークに行った時、2019年とかに大学で一緒に友達を始めたオープンマイクっていう、
誰でもマイク持って演奏したりとかしていいよみたいなやつが広がっていって。
それは僕から見たストーリーだけど、日本、コロナで東京で下北に帰ってから、僕は3年間離れてたりとかしてギャラリーの仕事をしたりとかして、
で戻ってきて、やっぱりなんかこう創作の現場に立たされるみたいなのが楽しいなーとか思ったりとかして。
ギャラリーで展示するっていうよりは、アートとか関係なく自分の身内の人たちの生き方みたいなのを残していくみたいなのをやりたいなと思って。
それはある種の演芸運動みたいな大袈裟に言えばそういう感覚もあるからこそ、一緒に編集をやってる高橋君とかはそういうところに共鳴してもらえるところがあったりとかして。
なんかね、集まる人っていうのは、世代でいうと20代前半の大学生とかから31、2、3、4ぐらいまでの感じで、ぼんやりと花見に行こうって言って集まるのが20人とか、
06:00
大きくイベントしようみたいな感じで集まるのが100人とかの感じなんですけど。
正直言って普段生活してる中では100人と心が繋がってるっていうことは思わないんですけど、見てるとすげえなぁと思いますね。
みんななんだかんだで近くに住んでる人もいれば遠くに住んでる人もいるから。
地場っていうかね、場所と環境性っていうのが結構絡み合ってて、遠くに住まざるを得ない人はなんか、
当然心理的な距離も離れるしみたいなところもあるんだけど、なんだかんだ言うと全員が繋がってるわけではないけど、
小さい小集団で2、3人ぐらいの仲良いグループみたいなのがあちこちに連絡してたりとかする感じ?
そのコミュニティのメンバーの中で。で、結局全員が繋がってる感覚になるっていうのがすごい不思議な。
まあでも学校の延長みたいな感じで。
面白いなぁと思うんですよね。
全然顔も知ってるけど意外と仕事の話したことないよねみたいな。
人と喋って仕事に繋がったりとかっていうのもあるし。
それが正直、まだまだ経済活動として小さな経済圏で回ってるみたいなところまでは、
まだ回ってないっていうのがね、もどかしい現状なんですけど。
活動を前進し続けつつ、自分の仕事をやったりとか創作活動をやっていて、
たまにこう、何か挨拶したりとか、こういう新聞とかを通して、
顔を見やすく、この人を知っていくみたいなのを繰り返していけば、
このコミュニティーはすごい面白くなると思いますね。
なんか、次、4月2日にキリン新聞っていうのを出すんですけど、
これは満月に発行してて、
で、それもパートナーのデザイナーのカンズと高橋くんの友達と一緒にやってて、
09:01
それはそれでもいろいろ問題があってね、
制作と生活みたいなものの折り合いみたいなのをつけながら、
この可能性はあるけれども、まだ隠されているものっていうか、
まだ目でしかないものを作っていくっていうのはね、
結構折り合いが難しいところもあったりとかして、
それはちゃんと正直に向かっていくみたいなところをやるしかないなとは思ってるんですけど、
その新聞の中でもね、オープンマイクについて書いてるページがあって、
僕がその下北を拠点に活動しているとかコミュニティを作っているっていう時に指す範囲みたいなのがぼんやりあって、
それは本当は別に固定化されたものじゃないんですけど、
あえて場所を限定するとしたら、
バージラフっていうね、鎮谷横丁にある場所、
その響さんがオーナーをやってる場所と、
そいぽいっていうね、
そいぽいっていうかロバートっていうコワーキングスペースがあって、
そこの近道二中を曲がりしてそいぽいっていう場をやりつつ、
そいぽいっていうのはもともとよくの時からやってたオープンマイクっていうのを下北に引き継いだ時に付けた名前で、
オープンマイクのイベントをしたりとか、即興コントのイベントをしたりとかっていうのをね、
去年とかすごいたくさんやってたっていう場所と、
最近響さんがずっと範囲移住するようになった場所があるんですけれども、
山梨のキャンプ場があって、
それはその僕たちのオープンマイクをする仲間たちが、
年に1回宴って言ってキャンプをして、
肉食べて焚き火してみたいな、キャンプファイやってみたいなのをやってる場所なんですけど、
とにかくこの3つの場所みたいなのが、都市もあって都市の中でも2拠点あって、
地方とのつながりも保つしつつ、
昼間はワーキングスペースで仕事ができるロバートと、
週末はイベントができるそいぽいと、
毎日夜明けてる、日替わりでやってるバーっていうのがね、
コミュニティの地場になっているような感覚があってね、
下北周辺っていうときはそこを指してて、
いわゆる下北の人たちっていう人ばっかりじゃないんですけども、
それこそ外から来ている人間だけど、
下北という場所に今日を構えて小さく広げているという現状ですよね。
12:05
それでそのオープンマイクっていうのをね、
次のキリン新聞でも扱って、
これは今、即興コントをやっている小堂さんっていう人に、
とりあえず実筆を頼んで、
僕と編集部の高須さんと一緒にオープンマイクの勧めっていうね、
本を書こうと思ってて、
これ結構説明が難しいんだけど、
オープンマイクをやり始めたそいぽいというのと、
ジラフとか一緒にバーやっているとか、
ロバートという場所だったりとか、
というのを統合する形で、
活動を統合する形で、
NPO法人、オープンマイクジャパンというのをプロとしていて、
それは実質、やっぱり経営を動かす人というのが固定して、
戦略が決まらないとまだちゃんと動き出せるようにしていないんですけども、
オープンマイクジャパンというのが活動の基盤になったりすると、
もっと社会的に表現とか創作とかにまつわる人たちがつながっていけたりとか、
その中で、わからないことの中で仲間を作って広げていくこと、
それから仕事をつないでいくことみたいなのもできる、
創作表現にまつわる一つの生き残る方法みたいなのを捉えていけたらなと思ってて、
僕も結局仕事をしながら、そういう創作をやったりとかして、
うまくバランスを取らないといけなくて、その中にも生活があってっていうのはね、
いろいろ考えたりとかするんですけれども、
こうやってそういうものと関係なくっていうか関係あるんだけど、
花見をして集まるっていうのはね、なんか改めていいなと思いましたね。
オープンマイクはね、これちょっと長くなっちゃったけど、
さっき言おうとしたこと忘れちゃった。
一個、今回の新聞で書いた言い方があって、
オープンマイクとは、本当に分かりやすい、
本当に知らない人にとってみれば本当になんだって感じだと思うけど、
バーとかカフェの閉店後の時間を借りて、
マイクを置いて誰でも入れ替わり出し替わり演奏したりしていいよってやつなんだけど、
それをもっともっと抗議の意味で、
要は声が開かれているっていうかね、
誰か助けてって言ったら助けてもらうみたいな、
もっと社会的な営みとして大きく捉えたくて、
それがオープンマイクを最終的に書きたいことだったりとかするんですけど、
15:05
いろいろクラシックピアニストとジャズシンガーとかっていうのは、
ジャズピアニストとか落語家とお笑い芸人とかダンサーみたいなのって、
本当だったら繋がり得ないけど、
それが同じステージの中で見れるっていうのがすごい夢みたいというか、
僕が今感じている公演の風景みたいなのとすごい似ていて、
みんなが別に完全に同じ道を通ってきたわけじゃないのに、
なぜか交われるっていうか一緒に遊べる場所があるっていうか、
そういうのを目指したいなと思ってて。
で、それがどんどんイベントとして広がっていくと、
例えば美味しいご飯を持って行くとか、
イベントにね、
なんか出来た新聞を持って行くとか、
服を売りに行くとか、
小さい子は飽きないじゃないけど、
ギフトみたいなのが循環していく感じがあって、
表現に感化されて、
自分は自分で頑張るぞって言って、
作ったアクセサリーがイベントに出てくるみたいな、
オーソンマイクって何かを渡して、
みんなに届けるみたいな、
自分から出たものをみんなに届けるみたいな手段だと思ってるんで、
まだまだ日本では知名度の低いオープンマイクっていう、
本当に音楽イベントの延長みたいな、
アマチュアのイベントみたいな、
音楽的なテンションがたまに介させているイベントみたいな、
そういう見方だったりとか、
どちらかというと、
ポンちゃんの舞台にステージに上がるための登竜門みたいな、
捉え方がアメリカの方とかでされてるけど、
そういう側面ももちろんあるんだろうけど、
それは羽ばたいていく場所っていうものであると同時に、
自分の立ち位置を振り返られる場所っていうか、
ちゃんと自分のパーソナルな部分を、
知ってくれている人と付き合うことだったりとか、
毎月やってると当然生活の沈みも見えてくるわけで、
そういうのをプロセスとしてずっと目撃する人たちの集まりみたいな、
なんかになったらいいなと思ってね。
これすげえダラダラ喋ってるけど、
新聞にオープンマイクとは何なんだろうっていうのを書くときに、
僕がなんか一つ思ったのが、
これ仮固定ですけど、
これいろんな人の言葉があっていいっていう大前提の上で言ってるんだけど、
これを声と耳を循環させる装置みたいな言い方をして思ったんですけど、
18:04
誰かが声を発したときにそれを聞くと、
それを聞いてフィードバックをするとか、
自分もその声を出してみるっていうね、
循環ができるものなんだなみたいな感じがして、
オープンマイク、マイクロフォンっていうぐらいだから、
その覚醒器っていうね、声をわーっと広げて、
それは誰にでも開かれて声を出していいと、
ネガティブなことであってもポジティブなことであっても、
自分の中で上手くなくても全然出していい、
途中であっても出していいみたいなね、
そういうものを一つのメタファーとして、
声っていうね、抽象概念にするとしたら、
本当に人が生きている中で、
心の中に揺る動いている何か一つの衝動だったりエネルギーっていうのは、
声っていうものに表現できると思ってて、
でもそれは内側にあるんじゃなくて、
外に届けることができて、
そうすると人と繋がれることができてっていうことを考えると、
誰でも声を出していいよっていう場所で、
そこには安全性があって、
一応場所と他人と自分自身に対するリスペクトだけ忘れないでねっていう、
ものすごく抽象的な制約だけを生かして、
ある種そういうのは同調圧力を生む側面があるっていうこととか、
自由っていうことをリスペクトさえ払えば自由っていうことを言って、
オープンマイクっていうのをやってるんですけど、
その言葉の定義が曖昧すぎて、
それぞれの裁量に任せられてるっていうのは、
ものすごく難しい問題だと思うんですよね。
けど、そういう安全性の中で声を出したときに、
それを受け取る人がいてっていう、
ひとつの救済装置っていう。
そういったときにエネルギーをもらったり感化されたりとか、
感動があったりとかするっていうのはね、
本当にかけがえないことだなと思ってて、
かけがえないとか言って真面目に話してんじゃん。
それはいいんだけど、
だからね、もともと誰でも表現していいっていうことを言ってて、
オープンマイク始めたんだけど、
その表現っていうのはね、
やっぱ独りよがりになっちゃったりとかっていうのはね、
コミュニケーションが下手だとそういうのが起こっちゃうんですよね。
これは自分自身もそうだし、
今だってそうだしっていうことで。
けどそれを人前で定期的にね、
交流する機会があって、
コミュニケーションの仕方を学んでいくっていうことはね、
すごい面白いし、
表現っていうのは、
21:01
表現する人っていうよりは、
受け取る側っていうのも、
ものすごい技術が必要で、
何かに感動するっていうのは、
受け取るっていうことの技量を磨いていくこと、
この人がなんでこの歌を歌ってるんだろうとか、
この人がなんでこの曲をやってるんだろう、
なんでこの人がこんなに苦しんでるんだろうっていうことも、
その人の目線に、
人生を追っかけていくことで、
やっと理解できたりとかするみたいな、
そういう粘りっこい営みなんですよね。
このね、僕が感じている感動みたいなのが、
なんとなく共有できている感覚があって、
少なくとも小さな民主党の中ではね、
僕は誰々がスタジオを撮ってるだけですけど、
同時変更で、進行でそういうことをね、
考えたりとかするんで、
もしかしたら知らねえよっていう、
話かもしれないけれども、
なんかね、聞いてくれる人がいることをね、
想定しながら喋っているのが、
自分の心の救いですね。
じゃあちょっと僕は、
みんなが花見で楽しんでいるところから抜け出して、
一人でぐらぐら歩きながら、
喫煙所に来たんで、
一旦煙草を吸いますけれども、
見させないと間に合わないって言ったんですね。
頑張りますよ。
無理せず。
じゃあ。