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2024-04-29 32:51

#7 中国駐在の振り返り <抑圧編>

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2024年4月14日。今回は前編の<自由編>に続く中編で、<抑圧編>と題し、コロナ禍での中国での暮らしについて話しました。


出演: ともひろ


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00:00
今日は 2024 年 4 月 14 日 午後 9 時 です。
前回の続きで、今日も中国の駐在の頃の記憶をたどって、
ポッドキャストに音声として残しておこうと思います。
今日は前回喋れなかったコロナが流行った時に、中国でどういう風に生活していたかっていうのを中心に
話せたらいいなと思います。
日本の正月休み、冬休みって、だいたい 12 月の末から 1 月の 3 日日超えて 4 日とか
ぐらいまで休みあると思いますけど、中国ってこの時期は特に休みではなくて
確か正月、1 月 1 日だけ祝日だったかと思うんですが、中国は特に休みではないです。
なんですが、僕含め日本人駐在員は
このタイミングに勇気を取って日本に帰るっていうのが、だいたい
みなさんよくやることです。
で、日本に帰ってお正月休みを日本で過ごして、
3 月日明けたぐらいから中国にまた戻って仕事をすると。 僕もそれに倣って
2019 年の年末に日本に帰って
冬休み過ごしていたんですけれども、 そのタイミングぐらいで、たぶん日本ではその
コロナという新しい感染症が中国で流行りだしているという報道がされてたかなと思います。
その時は半分自分ごと半分人ごとみたいな感じで
あの全然実感湧かなくって
日本でもそのタイミングではまだそんなに流行ってなかったんじゃないかなと思いますけど 大変やなぁとこう
半分人ごとみたいな感想を持ちつつ、 日本で正月休みを過ごして
中国に戻っていっ 普通に帰ったと思います。
正月休み終わって中国に帰って しばらく仕事をしていて
たぶんそのタイミングぐらいで武漢がロックダウンになったのかな。
発症地の武漢がロックダウンになって、 うちの会社も武漢にオフィスがあったんですけど
そのオフィスのメンバーがロックダウン
になってしまって、いろいろ苦労していて、 っていうのを
03:05
スタッフづてに聞いていました。まあ幸い コロナにもかからずに
体調も崩さずに、ロックダウンの大変さはもちろんたくさんあったと思いますけど
直接はコロナにも感染せずに、なんとか
ロックダウンを耐えたと
聞いて、まあ一安心しました。
で、その時は中国の上海にいながら、 ニュースとかっていうのも見てて
同じ中国なんですけれども、まだやっぱりちょっと一言で
すっごい大変な、武漢すごい大変なことになってるなぁと思いつつも、 まだ一言だったと思います。
その時はまだそんなに他のエリアには
広がってなかったんで、感染は広がってなかったと思います。
まあちらほら感染者が出てましたけれど、 そんなには広がってなかったはず。
で、そうこう言っているうちに中国の旧正月
大体1月の末から2月の初めぐらいが中国の旧正月で
春節って言うんですけど、このタイミングで
民族大移動、中国人が
働いている場所から自分の故郷に帰る。 中国人すっごい人口多いんで、大量の人が
主に中国国内ですね。 あのみんな田舎に帰るんで
大量に移動するというのがこの旧正月春節のタイミングなんですけど
まあ結構あの この民族大移動で
コロナが中国大陸全域に
拡大、感染範囲が拡大するんじゃないかというのが懸念されていて
で、国内の田舎に帰るだけじゃなくて バケーションで海外に出る人もいるので
まあそういうのもあって世界への感染拡大っていうのが かなり危険し危惧されていたタイミングじゃないかなと思います。
この春節のタイミングにも 日本人駐在院は日本に帰ってました。
日本に帰った時は 実家に泊まるんですけど
自分が感染していると、家族に迷惑がかかるんで
感染していないということを 確か検査キットでテストして
06:00
陰性であるっていうのを確認してから
帰っていたと思います。 まああれ潜伏期間があるんで
そんなに隔離とかっていうのはしてないので 厳密にはあまり
100%は防げないんですけど、一応 簡易キットみたいなので陰性であることを
確認してから実家に帰ったと思います。
で、あの時は 日本の空港でもテストとかっていうのはなかったはずなんで
普通に帰れたかなと思います。 普通に休みの間中、例えば
美容室に髪を切りに行ったりとか ちょっと旅行に行ったりとか
していたんですけど
やっぱり美容室とかで普段何してるんですか みたいな話になった時に
普段中国で仕事しているんですって
ちょっと言いにくかったですね。 美容室に行ったタイミングも実家で
あ、そうそう、で
2週間ぐらいで
中国に戻る予定だったんですけど
あの その間に日本に帰っている間に
中国での感染っていうのが急激に拡大して
で、上海でさえ戻るのが危険だということになって
会社から日本人駐在院は一旦日本に留まっておくようにという
お達しが来ました。 元々2週間で帰る予定が
結局1ヶ月ぐらい伸びたのかな。 日本滞在が1ヶ月
中国に帰れない期間が1ヶ月ぐらい伸びて その間は日本でリモートワークをするという形で仕事をしていました。
なので 日本に帰ってきてから2週間ぐらい
経った後に美容室とかで髪を切ってもらったり
ちょっと旅行に行ったりっていうのもしたんですけど その時点であの陰性100%
2週間経ってるんで もう
陰性であると自信を持って言っている状態だったんですけど やっぱり美容室とかで普段何してるんですかっていう話になった時に
普段中国で仕事してるんです、今は一時帰国です っていうのがちょっと言いにくかったですね。
自分が置かれている状況のこの言いにくさというか
09:00
まあ偏見ですよね。 あの
差別とまでは行かないと思うんですけど 中国で
普段仕事をしている まあイコールウイルスを持っている
可能性のある 危険な人
みたいなそういう 目線が
あのゼロではないと思うんですよね。それって 被害妄想かもしれないんですけど
実際そういうふうに思う人も いると思いますし、まああの時って
コロナが始まったばっかりで よくわからない
非常に危ない 得体の知れない感染症っていうことで日本でも報道されていたんで
中国から帰ってきてるんですっていうのはすごい言いにくかった です。
で、あの時に初めてこう 自分の置かれている状況を人に言えないあるいはとても言いにくい
まあそういう感覚っていうのを初めて味わった瞬間でした。 日本の滞在が伸びている間に
もう 既に中国に帰っている
駐在院っていうのも特にあの
中国の 現地法人の社長が日本人だったんですけど
社長とかは やっぱり
中国の方で 現地スタッフと連携を取らないといけないんで
で、情報を集めて指示を出して で、日本の本社と連携を取ったりっていうのをしないといけないんで
社長とかそういう上の役職の人は 早めに中国に帰ってて
で、既に中国に戻っているそういう日本の上の 役職の駐在院の人と
定期的にこう リモートで
近況報告というか あの今中国ではどういう状況になっているのかとか
日本ではちゃんと仕事ができているかとかも そういうお話の場が何回かあったんですけど
で、そんなこんなしているうちに あれは多分3月ぐらいかな
に もうそろそろ中国に帰っていきましょうと
いうことになって まあすっごい嫌だったんですけど
中国に まあ嫌ですよね 日本だったら
日本だったら安全っていうよりか まあ日本は普通だったんですよね その時は日常で
12:00
で中国がすっごい危険な場所っていうふうに 映ってたんで
帰りたくなかったですね 帰りたくなかったですけど まあ
お仕事ですし おかしいですよね 駐在院で
現地の会社に勤めているのに あの帰りたくないですってずっと日本にいるのって
あのよっぽどの理由があったら身の安全とか 理由があったらもちろん
戻らないですけど その時って あのまあ会社の判断で戻ってきても大丈夫っていうふうになっているんで
戻るのを拒否する理由っていうのがない状態なんですよね まあ戻ってきましょうということになって
あの僕含めて何人か日本に残ってた日本人駐在院も そのタイミングで中国に戻ることになりました
でそっからは 結構大変で
すっごい大変なこともあったんですけど まあそれってだいたい
2ヶ月ぐらいかな でそれ以外はもう
うっすら大変でした もう地味に大変な感じで何だったかっていうと
まあ中国での移動が監視されるようになったんですね
2020年の3月ぐらいに中国に戻ったんですけど そのタイミングでは2週間の隔離っていうのはまだなくって
確か空港で陰性かどうかっていうのをテストされて 結果を待って陰性だったら
入国してよしとかなんかそのレベルだったような気もします で中国に戻ってからは
しばらくというか結構すぐのタイミングで 移動に規制がかかり始めて
間一髪で中国に戻ることができたっていうタイミングだったと思います まあそのタイミングを逃しているとずっと日本に入れたんで
まあ僕はそっちの方が良かったなと思ってるんですけど まあなんとか滑り込みセーフで
えっと 中国にみんな戻ることができた
戻ることができてしまったっていうタイミングだったと思います そう中国に
戻ってすぐに 移動規制っていうのができて
例えば国内移動もそうですし 国外から中国に入ってくる人に対しては2週間の
隔離が求められるようになりました
でその2週間の隔離がまあすっごい大変なんで そういうのもあって
15:04
えっと
日本に帰国することができない状態になりました でそっから
まあ2年弱ぐらいはずっと中国国内
で日本に帰ることもできずにずっと中国にいました 駐在する時はまあそんなことを思ってもみなかったんですけど
今から考えると3年の駐在生活のうち自由に暮らせたのは最初の半年間だけで
あとの2年半っていうのはずっとwithコロナで行動に制限がかかった状態で駐在の生活をしていました
行動に制限がかかるってどういうことかっていうとみんなアプリを入れさせられて そのアプリっていうのが自分がどこに移動したかっていうのが記録されるアプリで
えっと例えば上海から
北京とかに行きたいっていう時に
例えば空港を利用する時とか 鉄道を利用する時とか
あのどっかのビルに入る時とかまぁ何でもどこでもそうなんですけど 入り口で
えっと自分の移動ステータスっていうのを 停止しなければいけないっていうルールになりました
例えば僕が上海から飛行機に乗ってどこかに行きたいっていう時に 空港に入るタイミングで
そのアプリを立ち上げて qr コードっていうのを表示させて それを
セキュリティに見せる でその qr コードっていうのが
確か3色に色分けされてて青色黄色赤色 で青色の場合は入ってよし
で 黄色と赤色の場合は確か入ってはいけませんっていう
意味だったはず でその色分けってどういうふうに
あのされるかっていうと過去に行った場所っていうのがアプリ内で記録されていて 過去2週間以内に行った場所ですね
でその場所で 感染者数が例えば増えたりとか
ロックダウン地域に指定されてたりとか そういうのがあるとそういう危険地域に過去2週間に行った場合は
危険度に応じて黄色であったり 赤色
に ステータスが
変わります そうなると黄色と赤色の人は
例えばビルに入れなかったり 公共交通機関を利用できなかったり移動制限がかかって
18:04
結果 えっと
自宅とか
でじっとしていなければいけなくなる そういう仕組みが
中国で作られました そうだから
レストラン入るにしても なんかビルに入るにしてもどこに行くにしても
その行動を提示して自分が安全な人間ですよっていうのを証明しないと入れなくなった
これが移動制限です そうなってくるとどういうことが起こるかって言いますと
例えば出張とかでお客さんの工場とか
に訪問しないといけない時とかは 事前にパスポート番号とか連絡先とかっていうのは教えないといけないんですけど
プラス当日に
えっと お客さんの
敷地内に入るためにその行動を提示する必要が出てきます
青色だったら入れてくれるんですけど すっと入れてくれるところもあれば
その会社独自の安全対策みたいな形でまた別途
いろいろあの書類とかを書かされたりする場面もあったんですけど
なんせそういうことが起こると 例えば大事な商談だっていう時になったら
2週間前から移動に気を遣うようになります
で あちこち例えば出歩いてて 出歩いた先が危険地域になってしまったっていう場合
あの大事な商談にもかかわらず 先方に訪問することができなくなるんで
そういう何か大事なイベントが控えている時は移動を制限することになる
今だけ考えていればいいっていう状況ではなくて
今に未来が染み出してくるような感覚になって
かなりこう気持ち的にはしんどい状態です
先のすごい2週間も先のことを考えて今の行動を立しないといけないので
それってメンタルの状態的には結構しんどい状況でしたね
そういうのもあって中国では結構デブ症になってしまって
あんまりいろいろなところ出かけたりとかもしなくなりましたね
たまに怖いニュースとかも聞いて
例えばある商業施設とかで
感染者が見つかったってなったらその瞬間に
21:01
その建物にいる人はみんなその建物の中に閉じ込められて外に出られなくなって
その建物の中で何日もぐらい過ごさないといけないっていうことが
中国各地で起こってました
なのでその閉じ込めってなった瞬間は
瞬間には中にいる人たちは閉じ込められる前に外に脱出しようと思って
出口に押しかけるみたいなこともありました
僕は幸いそういう場面には遭遇しなかったので
よかったなと思ってるんですけど
そういうこともある
そういう報道を見たりすると
すごい自分の行動に対して後ろ向きになるというか
行動するとリスクが伴うので
普段もそうだと思うんですけどね
普段も行動するとやっぱり事故とか事件とかに巻き込まれるリスクって
家にずっといるよりかは高いと思うんですけど
そのリスクっていうのがかなり大きく跳ね上がっている状態になってました
で、歩かない日々が続いて
だから家でよくジムにも行けなくなったので
家で勉強したりとか本を読んだりとか
彼女にも会えなくなったので
テレビ電話、週末はよくしてましたね
今思うとこのテレビ電話、毎週2時間とか3時間とかテレビ電話してたと思うんですけど
このおかげで遠距離恋愛を乗り越えることができたし
この時間があったから
なかなかそんなに彼女と喋ることってなくないですかね
僕はあんまりないかなと思ってて
普通に会えてる状態だと
どっか一緒に遊びに行ったりするんですけど
そんなにずっと喋ってるわけではなくて
例えば見えてくる景色についてなんか感想を言ったりとか
こう、なんていうんですかね
喋らない時間があったりとかっていうのがあるので
そんなにずっとこう腰を据えて2時間も喋り続けるっていう状況ってないと思うんですけど
テレビ電話してるとそれが強制的に
2時間ちゃんと喋らないといけないんで
この期間はかなり
24:05
会話することができた時期で
それもあって
遠距離恋愛を乗り越えて結婚することができたかなと今では思ってます
このテレビ電話の中で
結婚についても
やっぱり喋ることがあって
2021年の年末に結婚するかっていう風になって
そのタイミングでは
いつまで中国で駐在するかも
することになるかもまだわからなかったんで
でもこのまま遠距離で暮らしていくのも結構しんどいところもあったんで
なので先に席を入れて
帯同っていう形で彼女にビザを取ってもらって
中国に来てもらって
中国で2人で暮らすという話になって
2021年の12月に一時帰国っていう形で日本に帰ることにして
日本に帰ったタイミングで
本当は席を入れて彼女に中国に来てもらう予定だったんですけど
そのタイミングで日本の上司から
日本に起任するようにという内事が出て
なので無理に一時帰国を無理やりして席を入れる必要はなくなったんですけど
もうずっと予定していたことだったので
日本に一時帰国をして席を入れて
で、向こうのご両親にも挨拶をして
そこから僕一人だけ中国にまた戻って
席は入れてるけど、まあしばらく別居するっていう形で
形でした
で、そのタイミングで中国に帰ると何があるかっていうと
2週間のホテル隔離っていうのがあります
これをやりたくなかったからずっと中国から出なかったんですけど
で、中国に戻る時に2週間のホテル隔離
これがかなりしんどかったですね
空港について自分の住んでる地域別に空港で待機させられて
なので自分が住んでいるエリアの人たちが同じところに固まって待機させられて
その人たちがみんな一つのバスに乗り込んで
27:00
そのエリアにある隔離ホテルにみんな連れて行かれる
で、ホテルも当たり外れあったんですけど
僕のホテルは大外れではなかったんですけど
別に当たりっていうわけでもなくて
なんかこれ結構地域によっては当たりのホテルとかもあるんで
例えば上海に住んでる人もわざわざ違う地域に行って
この地域の隔離ホテル結構いいよみたいな
そういう噂もそういう情報もあったんで
結構いい隔離環境のエリアの方に帰ってから
そこで2週間の隔離を済ませてから陸路で自分の家に帰るみたいな
そういうハックをする人も出てきて
なんですけど僕は素直に自分の住んでた上海に戻って
その後自分の家に帰るっていうふうな選択をして
その隔離生活っていうのがバスでホテルに着いて
みんな最初にロビーで説明を受けるんですね
どういうルールで2週間の隔離生活をするか
でまぁだいたいご飯と毎日のようにあるPCR検査かな
陽性か陰性かを判断するテストのルール説明がありました
テストは確か最初の数日ぐらいは毎日テスト
で後半になってくると2日に1分とか
でテストはすごく朝早くて
5時とか
なんかすっごい朝早いタイミングで
部屋の電話が鳴ってそれで無理矢理起こされて
今からテストするから待機しておくようにという
最悪のモーニングコールが鳴って
でテストする人真っ白な防護服に身を包んだ
あれは病院の人なのかな
がテストしに来るんですけど
その人が部屋に来るまで待っておく
というような感じでした
ですぐに来てくれたら良かったんですけど
電話が鳴ってから来るまで1時間ぐらい待たせる
待たされることもあったというかほとんどそうだったと思うんですけど
なのでギリギリに電話してくれたらいいのにって
30:03
いつも思いながら眠たい目をこすりながらずっと待ってました
であのテストってすっごい痛いんですよね
あの長いインフルエンザのテストみたいな感じで
受けられたことある人も多分たくさんいるんで
覚えてると思うんですけどそういう方は覚えてると思うんですけど
長い綿棒を鼻の奥に突っ込まれて
そんなに突っ込まんでもいいんちゃうっていうぐらい奥に突っ込まれて
まあテストして
そういうのが毎日とか2日に一遍ぐらいあって
であとは食事なんですけど
朝昼晩一応3食出るんですけど
毎回部屋の前に
お弁当みたいなのを置かれて
あれ確か廊下で管内放送が流れるんですよね
ご飯の時間になったので
みんなお弁当部屋の前にあるお弁当を取って食べなさい
っていう放送があって
その放送があるとドアを開けて
お弁当を取って部屋の中にまた戻る
でお弁当を食べ終わった後は
ゴミを部屋の前に出しておく
まあそういう感じでした
お弁当はまあ美味しいもんじゃなかったですね
その2週間の間はそういう生活をしつつ
リモートワークをしつつ
でそこで陽性になった人は
次あの隔離ホテルじゃなくて
あの感染者収容所みたいなところがあるので
そこに連れて行かれてしまうんで
陽性になりませんようにということを毎日祈りながら
びくびく震えながら2週間
リモートワークもしつつ運動不足になるんで
部屋の中を歩き回りつつ
なんとか耐えた2週間でした
その後はもうあのうちの地区
うちの住んでるエリアっていうのは
ロックダウンにもならずに過ごしていたんですけど
で日本にいざ帰国するという
2022年の4月
入籍してから5ヶ月ぐらい経った時に
ようやく帰国するタイミングが来て
帰国の準備を進めてて
部屋の解約とかっていうのも順調に進んでいたんですけど
そのタイミングその最悪のタイミングで
上海がロックダウンになりました
32:51

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