ロマンチックな憧れと現実の乖離
時代色-歪んだポーズ 岡本 可奈子
センチメンタルな気風は、センチと呼んで、妥協軽蔑されるようになったが、
正常一般にロマンチックな気持ちには、ずいぶん憧れを持ち、
この傾向は及々強くなりそうである。
飛躍する気持ちになりたい。
何者かに酔うて高骨とした情熱に我を忘れたい。
だいたいこういう気風である。
だが、正常一般の実情はその反対を強いている。
それだけ人々はかえってそれを欲するのかもしれない。
正常一般の実情が人々に強いるものは、リアリズムである。
いかに苦しく醜い現実でも、正眼に直視せよというのである。
叱らざれば生活の足を踏み滑らす。
リアリズムの用心深い足取りで、生活の架け橋を拾い踏み渡りながら、
目は高い層空の雲に見とれようとする。
歪んだポーズである。
この矛盾が不思議な調子で時代を彩る。
現代人の矛盾と自己認識
純情な恋の小歌を好んで口ずさむ青年子女に聞いてみると、
恋愛なんておかしくってできないという。
家庭に退屈した若い夫がダンス場やカフェ入りを定期的にして、
しかもそれに満足もしない。
肯定と否定とが一人の人の中に同棲している。
そしてそのような矛盾のままで性格が固定しきっているかと思えば、そうでない。
気分の動きにつれて肯定と否定の両党はすぐ噛み合いを始める。
今日の都会で青年子女について気持ちの話になって、
はっきり一つの意味の言葉を言い切る者は少ない。
必ず意味に濁りを打つか、打ち消しの準備を現代に付け加えている。
これは相手に向かっての用心ばかりでなく、
おそらく自分自身に向かっても保証しきれないからであろう。
しかしこの矛盾に耐えぬ者は現代の落語者である。
たくましい忍耐をもってこの歪んだポーズに耐え、
根気よく真に魅力ある理想を探っていきたい。