00:06
お疲れ様でございます。黙れヤドロクということでございましてですね。先日、安之助さんからご依頼いただいた
フォレストガンプ一期一会を観て感想いただけないですか?ということでね、もう早速観まして、アマゾンプライム無料やったから
もう無料に勝るものはないということでね、観させていただいたんですが、もう1995年の作品でして、多分僕がDVDか
VHSか分からんのですけど、借りて観たのがその次の年ぐらいだと思うんですけども、もう今から20何年前ですか?
25、6、5、6年前ですか?それはもう僕も20代の頃ですわな。結婚もしてない頃に観たんですけども、
ピンとくる経編というのは、その作品を観たときにそれまでの人生を鑑みて何も感じるところがない部分ももちろんあったし、
映画やなというふうに普通に観てて感動もしてというような感じだったと思うんですが、やっぱりこれ20年以上経ちますとですね、
結婚もし子供もできてという立場でもう一度を見るというようなことがありますと、人生はチョコレートボックスのようなものやという言葉というのが、
本当にあの作品の中ではね、もう冒頭に出てくるわけです。後半にも出てくるわけでございますけども、
まああの蓋を開けてみるまではわからないとその後のセリフが続くんですけどね、確かにそうですなどんなことでもまあ蓋を開けてみるまではわからないというようなことでございますし、
蓋を開けたら開けたでそれをどう捉えるかというようなことということなんかなというふうに思いますね。
彼がこう成長がゆっくりや人間やというのはまあ作品の冒頭から見ていただいてもわかるような状態なんですけども、
その彼が見えている世界っていうのと周り社会ですね、それが彼とはまた違う次元の中に存在するような描き方というんですか、
彼はもちろんその世界の中に生きてるんですけども、それとは違うものを見てる、そんなところに興味はない、自分が求めているのはそんなものじゃないというものすごくシンプルな一人の人間というんですか、
純粋であることが素晴らしいというわけでもなく、純粋でないからダメというわけではなく、それぞれ人の人生というのは色があるなという描き方というんですかね、
時代の流れとともに翻弄されていく、まさに風の中に鳥の羽が舞うように流されているのと、自分が信念やと思って突き進んでいく生き方っていうのはどっちが正しいということじゃなくて、
両方存在するんやというようなことをもう後半に彼が語ってるんですね、もういろんなことあるけどもって、両方存在しますよっていうようなことって言ってるんですね。
これがこの映画の一番伝えたかったことで、っていうことなんちゃうかなと僕はね、勝手な僕の感想ですよ、思った時にね、もうね、冒頭から終わりまでずっと僕、うっすら涙こむというんですかね、
03:10
それはまあ自分の人生の中にその景色があったやろうかというふうに考えたりとか、ちょっと私の生まれた時代よりは少し前の話、最後年号が出てくるのは1972年なんで、僕の生まれる2年前までぐらいの事件というんですかね、
接続的に起こったことというのが集合しながら、そこにポレストガンプさんがどうやって関わってきたかというような映画というんですか、っていう描き方をしてる。社会はこういう流れです、こういう動きです。
その中でも自分を変えず自分というものがここにあるんやと言って、一つのことに生きていくというような感じっていうのは、まことにやっぱりなかなか人間できそうでできへん。
純粋な人間やからこそ、その景色を美しく捉えれると、同じような景色、違う景色、人から見たらそれが辛い景色やったりとか、しんどい景色やったりとか、嫌な世の中やったりするんですけど、彼には決してそう見えてないというようなことの描き方っていうのもあるんやなと。
私のようにつまらん生き方をしてるというような自分にそういう思いがあると、景色というのは淀んで見える。これがまことに自分にはとって素晴らしい人生やと思って生きてると、とたんその目の前の景色、同じ景色でも美しく見えるんやというようなことなんだろうなと思って。
そうなった時にね、今までの人生を振り返って過去、子供の頃から今に至るまで50年近くありますけど、美しく感じることもできる。汚く淀んで見ることも可能。そのどっちが正しいんじゃない。そのどっちも存在するんですっていうね、大きいテーマやなと思うんですよ。当たり前のことなんですよ。
もうすごく当たり前。めちゃくちゃどう考えたってそんな難しいことじゃない。当たり前のことですよ。こういう描き方をすればこれは当たり前なんですよって。教えて、もう一回教えていただけるとしてからもう一回考え直す。振り返りたい映画ですよね。感じ方は全然違うんです。自分も状況が変わって一個あった事件を汚く見ることも可能です。
それでやっぱり落ち込むこともあります。せやけど美しいものやというか、そこをスルーすることも可能です。スルーしてみてはどうですか。きれいに映すことも可能ですよ。きれいに見てみてはどうですか。それによってあなたはこうなったんですよっていう見方もできると。やっぱり素晴らしい映画やなと。何よりトム・ハンクスさんが若い。それにちょっと驚くんですよね。
ダメージコードとかね、あの辺のトム・ハンクスさんとかが結構印象に強く残ってるという部分で言いますと、やっぱりビッグから何年後ぐらいの間隔なんでしょうね。ビッグっていうのもAmazonプライムにありましたけど有料でしたね。
06:07
なんかみたいな思ったんですけど。クッと指が止まりましたけど。若い時から売れてる俳優さんというんですかね。やからこそ上手にあれを表現できる。まあ涙なくしては見れない部分もたくさんあるんです。その瞬間その映画の中、自分もベトナム戦争のジャングルの中におってね、横でこいつがおったらこいつに助けてくれって叫んでまうっていうものの見方もあれば。
あんな風に助けられたやろうかっていうような考え方もある。足をなくした上司が人生を諦めかける。だけど彼の存在によって立ち直る。単純にそういう見方もできれば。彼でそれがダメなわけではない。彼の中の美しく見えるか見えへんかで彼の生き方が変わるんだっていうのがよくよく現れてるんですね。
これゾガンプそのものを見るよりも、軍曹とかね、周りの人の人生を見るとそれがよくわかる。冒頭の方なんかでもお母さんがどういうふうに彼を一般の学校に入れたのかっていうところに、時代の現れとか、女で一つで子供を育てる大変さとかいろんなことが。それはじゃああなたにとって汚い景色ですか。それとも綺麗な景色ですかって。これは考え方ですよね。
だからわざわざこんなに描かんでもよかったんちゃうかと思われる方もおられると思うんですが、当時のアメリカとか当時の文化、当時の状況、政治いろんなことを考えみたらこうやってやっていくしかなかったんやとか、一人の人間一個ずつスポットライトを当てて考えればなるほどなと思えることとかいっぱいあるんですよね。
自分が若い時にはわかんなかった親の立場であったりとか、自由に生きてきた自分と見たときに、もっと自分こうすればよかったのに、映画の中のキャラクターに思うんですよね。なんでこうせえへんかったんやって思うんですけど、自分がじゃあできたかよ。できへんかったんですよね。
それが風にあおられて生きてくるという選択をした自分を見るような感じもありましたし、それをきれいなふうに見ようと努力してるようなところもやっぱりあったりとかして、それを純粋に見れる人たちっていうのは美しいと思えるような感覚だったり、これが個性と見るような感覚も芽生えてきたり、いろんなふうに思いますね。
バス停でバスを待ちます。フォレストガンプ、横に座る人らに話しかけます。これだけ見てもちょっとそんなするかな、アメリカ人ってするんかなって、これはわかんなかったことですけど、やっぱりそれでもちょっと冒頭に出てくる女性なんかは何この人というような空気感を出したりします。やっぱりアメリカでもそうなんやなと思うんですけど、そこの話の中に面白さが詰まってて、次々横に座る人が変わっていきます。
09:00
なんかその景色の中同じ世界に生きてるんですけど、彼だけやっぱりほっと違う世界の中に生きてるように見えると言うんですかね。素晴らしいなぁと思うんですね。改めてこの年齢でもう1回見る。で、まあ有名な作品です。もちろんあの素晴らしい作品だと思います。あのブームになった作品でもあります。
だからあのもう一度年齢を落としとって自分の状況が変わったときにもう一度古い映画を見返すっていうことは、もう一度自分の人生を変えり見るときに結構な便利な道具として使えるのではないかなと思うわけですね。
まあ安之助さんどういうふうにお考えになってこの映画が大好きでって人生はチョコレートボックスのようだと思うのか。そしてまた開けてみるまではわからないっていうのはどう捉えてるのか。終わってみないとわからないということなのか。それとも今現実チョコレートボックスの中を開けて見てそれをどう捉えるかっていうことなのか。
考えてはるんかなと思いながら。映画やなやっぱり思いながら見たんですね。そしてこの映画を映画やなと見れる気持ちが大事なんかなと。いろんな映画ありますよ。今もたくさんの映画が吹きられてて。
まあいとところによると映画のブームから言うと製作費が下がったりとかいろんな事情はあると思うんですが、自分がどう見るかなんやなと思うんですよね。どんな作品も人がつまらん、レビューがつまらんと言っても、自分が見たときにいやこれは俺はおもろいって強く言えるようではないかなと。
これもダサくやと言われる作品はおもろいなと思うでもね、もう一回見返してみておもろいとこ探してみるっていう見方はあるんかなと思うんですよ。これは役者さんを見たりとかいろんな見方あると思うんですよ。カメラの撮り方であったりとか、客はおもろいなとかここなんでこうやって描かへんかってやらなしやけどこいつはこう思ったんやろなとかね。いろんな見方あると思うんですがその景色の見え方が自分次第で変わると。
知識があればあるだけ、これはおもんないな、俺はここまで考えてるのにこの作品は全然考えてないなと思えるかもしれんけど、それ作ってる人はあなたとは違う人です。風の中で吹かれて生きてきた人かもわからん、自分にしか見えへん世界の中で死後が抜けた表現をしてるかもしれん。そういうふうに思うと、映画っていうのはもう3枚も4枚もおもろいもんやなと思うんですね。
映画だけに限りませんが小説もそうですな。テレビ番組もそうなんです。お笑いもそうなんです。歌もそうなんです。自分の捉え方、見方っていうのが自由やと、制限がないことが芸術の良さやなというふうに思うわけですよね。
まあヨドガー・ナガハロさんとかでも、いろんな映画評論家、僕らの子供の頃はいろんな方がおられましたけど、映画って本当に素晴らしいですねとか言う言葉が水野春夫さんとか残してますけど、いろんなこと包括していろんなことを含めて素晴らしいですね。表現作品というのはやっぱり素晴らしいもんですなと言えますよね。
12:13
俺は漫画でも書籍でも何でも同じです。だから人に向かって表現することとか、人に何かを伝えたいとかっていうのは別に不特定多数余計な人に伝えなあかんわけじゃなくて、自分の思うこの人やという人に伝わればそれで面白いなんで伝わったからと言って100%自分の思いやのうて、向こうが受け取ってくれるのがいい景色で見てもらえるというようなことがあれば一番いいんやなというのは思いますね。
誤解も多いし、いろんなことで誤解を受けたり自分が一生失敗したシーンを切り取られてしまうことというのは多分あることですけど、それは僕にもたくさんあります。
人のことを一回の失敗でこいつはあかんって切ってしまってることもいっぱいあります。
ありますけど、それでしゃあないんですよ。どうしても時間が経たないと許されへんこともたくさんありますけど、もう一生許されへんこともあるんやと思うんですよ。
自分はそれでその分世界が狭いやな、汚い心を持っとんなと思って生きていくしかないんですけど、それも風に吹かれて、吹かれるがまま生きてるのかもわからへんし、自分の中に綺麗なものというのが確定的にあって、そこから外れたものはもうかなんと、それが自分を守るための一つの生き方なんかもわかんないなというふうに思うわけでございます。
安野助さんどうですか。僕の思える感想はたぶんこんなもんですわ。
その映画評論家のように何か難しいことをいろんなことを知っててね、その時一瞬こう見た、自分が感じたものとかっていうことなんですよね。全然映画の深さ、深いところを読み取れるわけじゃないんです。
ただ何がええというのは自分で決めることないと、この映画が一番教えてくれてるような気がしますね。
あんまり偉そうなこと言うてますよね。安野助さんにも他の皆さんにも、黙れ、やどろくと怒られそうですな。