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おはようございます🍄言葉のファンタジスタまゆみ🌏です。今日も来てくださりありがとうございます。お帰りなさい。
この番組では、経験豊富なアーティストがお届けする、インスピレーションあふれる幸福な人生を送るための10分間、ユニークなマインドを一緒に作っていきましょうという趣旨で配信しております。
今日はね、勝手に自分史語ります前半後半、皆さんすごい反応してくれて、本当にみんな優しいなと思って。勝手に私のことを知ってもらうっていうね、こういうふうにあの人はファンタジスタまゆみの中身、ああいうふうにできてるんだっていうふうにね、知っていただきね、私の扱い方がみんなわかりやすくなったのではないかと思うんですけれども、
あれって2017年に書いたやつなんですよね。で、えっと今年のね1月に、またそのライターからこう卒業する、編集のライターの仕事を卒業する頃、だから2017年の時かなのから書いたやつがあるんですよ。で、これちょっとビジネスっぽい感じの流れになってるんですけど、これ結構わかりやすくあの続きが書いてあるので話していきたいと思います。
で、本当にね、あの事務所の中にもう語りきれないくらい面白いエピソードがたくさんあるんですけど、その芸能事務所に所属しているときね、バンで寝泊りしててね、そのバンをベイバス号っていうね、あのインドネシア語で自由号っていう、まさにだよね、あの空色に塗って雲描いて、ペイントした車に乗ってたんですよね、その頃。
で、あの、もうさ、えっと、スピード違反とか信号無視とか路駐とかで年定くらったことがあるってね、もうね、結構私優等生派だったから、もうこんなねことをしちゃって、もう私、もう本当にダメな人間みたいな、なんか、あの、ぐらい凹んだ思いがあるんですけど、でもああいうのやっといてよかったよね。
そうすることでさ、なんかこう、なんか自分に対するジャッジを、ジャッジしようがない、もうやっちゃったんだから、もうしょうがない、もうやっちゃったっていう、その時はめちゃくちゃショックでしたけどね、携帯、携帯見てるのバレて止められたとかさ、なんかありましたけど、意外と私あの都内とかも道知ってますね、あの自分で運転してたので。
まあそんな感じでね、あの楽しいいろんな出来事がありましたね、あの時代は、で、その時はさ、なんかその、あの、あのそういう屋台系のおいちゃんにすごいお世話になって、原宿でいつもあのカステラ焼き焼いてたおじちゃんとすごい仲良くなって、なんか全国ちょっと一緒に行ったりすることとかがあって、
その時にね、えっとね、琵琶湖であるね、夏のフェスがあって、サザンとかミスチルとか結構有名どころ、福山さんもいた、福山さんもいたし、結構な有名どころが来るやつに、あの、ただでね、参加できて、めっちゃ楽しかったな、あの時も。
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で、あの時ね、なんか一番めちゃくちゃ愛感じた人は、あのミスチルだった。あのもうね、ステージの一番端まで、端まで行って、もうすごいハートから歌ってるっていうのがすごい伝わってきて、逆にあの好きな福山さんは、琵琶湖盛り上がってるかーいとか、琵琶湖ーみたいな、人じゃない人に投げかけるっていうのが微妙でしたけどね。
なんかちょっと微妙だったの覚えてますけど、まあいいや、そんな感じでね。なのでちょっと編集のライターから卒業するちょっと前の話をここから今日したいと思います。
えーとね、編集ライターの仕事をしながらフードコーディネーターの学校に行ったり、スタイリングを学んだり、次の未来に行くためにいろいろ準備していたが、彼とも会社とも上司ともうまくいかず、仲の良い同僚もみんな辞めてしまい孤立状態、こんなに外側の現状が悪化しているのは外側ではなく私の内側に問題があるんだなと思った。
そして新規一転退職し、望みの自分を生きることの一歩を歩むことにしてフリーランスにまずなったんですね。
そう、まあ順中満々?合ってる?だったわけじゃなくて、本当に最後の方、社長とかとは仲良かったんですよ。
なんかちょっと社長と話したら、なんかいや私、長崎の観光家の人と友達になって、長崎にあの旅にこの前行ってきたんですよねって言ったら、え、コツボーそれその観光家の人紹介してとか言って、なんかプレゼン持って長崎に行くことになったりとか。
なんかあのちょっとあのあのこう中間管理職からは目の目の上の炭鉱部的なちょっと他の人と動き違うことするからあの若干こうなじられるというか。
後半そんな雰囲気になっちゃったんですけど、もうね完全に孤立してましたね。あの異質すぎて。
なんでねもうしんどくなって、これはもうこれはもう私の居場所のないのにいるんだなっていうのもあったし、本当にこう彼ともねなんか仲良くダメになっちゃって、もうこれはあかんあかん辞めちまえ辞めました。
で、フリーランスになり編集ライターの仕事をしながらフードコーディネーターの仕事もこなしたが、世の中のためだけでは続かないと続かん。
あのねその味噌玉っていうのをね、すごい記事をそのフードの経営関係のあのサイトで記事出したらそれがめちゃくちゃバズったんですよ。
もうこれはニーズがあると思って、これしかないと思ったんですよ。味噌って体にいいしみんなの腸内を健康にさせるし、腸内が健康になると幸福ホルモンが出るからみんなも幸福がアップする。
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これ最高の社会貢献じゃないと思って、味噌ボウルを世の中に広げようと思って、その味噌屋と開発して商品作ったりとか、味噌のワークショップとかをいろんなところでやったり、海外の人向けにやったりとか、
あとなんかアシックスとかのね、あの丸の内にあるアシックスのランニングのサロンみたいなところでもやったりとか、とかいろいろ頑張ってたんですよ。ただやっぱりそれをビジネス化するっていうことは何も考えないで、もうこの情熱だけでやってたんですよ。世の中のために。
そしたらやっぱりさ、疲れてきちゃった。NHKとかにもね、朝のさ、おはよう日本とかのバレンタインの日に出たりとかして、そのチョコみたいに可愛い味噌ボウルっていうのをプレゼントしませんか?みたいな、なんかそんな感じでね、テレビにも出たりとか、なんかまあそんな感じで上手くいってなくはなかったんですよ。
それをついでにね、フードコーディネーターの仕事もしたりとかして、だけどなんかやっぱり世の中のためだけって続かないなと思ったんです。しかもあとはこれいけるなと思った3段があったんだけど、やっぱりなんか疲れてきちゃったんですよね。で、海外をたくさん旅をして日常の豊かさを大切にして生きるね、フランス人の身近な幸せをこの十二分に味わいながら過ごす在り方を見てね、本当に豊かさってなんだろうってすごい問うたんですよ。
いけばなの先生とフランスを一緒にいた時に、その方の旦那さんフランス人で、その親戚の家がスイスとフランスの間のあたりのね、あの場所にあって、そこへ私もご一緒させていただいたんだよね。
その時の豊かなことって言ったらさ、もう本当にさ、あのこれ隣の家の石塾で作ったジャムとか、これはこのなんとかはうちの庭でできたジャムとか、なんかこれは近くのリンゴジュースとか、なんかもう豊かなんですけどみたいな。
で食べるところもテラス席があったりとか、ちょっとこうなんていうのかな、ベランダじゃなくて、とか木の下とか、もうあちこち食べる場所があるのよ。でそのシーンに合わせて豊かに食べるっていうね、なんて豊かなんだろうと思ったの。でそこに会話があって楽しいそのね、お話があって地元の野菜があってみたいな、豊かだなと思った時に自分の働き方とかを問うたんだよねすごく。
でだから豊かさとはっていう生き方そのものに疑問を持つようになって、でものすごい眠れたんですよ。もうとてつもなく眠れたの。もちろんねフライトで疲れてるとかもあるけど普通ね、あの時差ボケとかでなんかやっぱり眠れなかったりするんだけどびっくりするぐらい深く眠れたんですよ。
あのそのフランスで。あー、でそれでまた帰国してきたらもう眠りもめちゃくちゃ浅くなるし、もちろん時差ボケもあったと思うんだけど、本当なんか東京にいることの意味を見出せなくなっちゃったんだよね、その豊かさっていうのは。でもうこれは実家に戻ろうって思ったの一回。でそれでまああとねすごい海外に行ったりしてたからなんか家賃もったいないみたいな、あの空けっぱなし1ヶ月とかさ、
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でな感じだったりしたから。でとにかくやってみて、まあ自分がどう感じたかどうしたいかっていう実例をね小さく繰り返してたんですね。こっちに来てからもね、編集の仕事ライターの仕事は個人で受けてたから沖縄に取材に行ったりとかなんかこう旅しながらとかいうのをやってみたりしたけど、やっぱ旅は旅がいいなとか、仕事と絡めるともうその後の記事書くの大変で嫌だとかさ、
なんか意外と旅しながら仕事してみたいって言ったけど、あの取材のための旅はその後の膨大な記事書かないといけないからだいぶしんどいとか、それで実践して気づくことってあったな、これちょっと好みじゃないみたいとかやってみたいことをやって好みじゃないことを精査してたんですよね。
それでその途中の経過で自分の本音に行きたいと100万かけてコンサル受けて自分の本音にも気づくようになり偽りの自分から脱却したが、私もね多くの人にこの生き方を伝えたいと思ってyoutube始めたりfacebookライブ始めたり試行錯誤始めたわけですね。
でもとにかく楽しかったのよ、喋るのが。で、記事とか書いてて私結構喋るの好きみたいってことにこのあたりで気づくわけですね。で、根本的にねその土台を作り直そうと思ってとりあえず職に関する仕事のバイト始めたんだけど、まあなんかそこの扱いがちょっと自分の価値はこんなもんじゃないっていう思いがどんどん出てきたんですよ。
でも、もっと給料も何倍も高いところじゃないと私の価値に合わないと思ってね、ちょっと喧嘩吹っかけちゃったりとかしてなんかその時に喧嘩そこのバイト先で吹っかけちゃった、なんかなんかなんていうのこうなんか生意気っていうかなんかすごい視野が狭いあのおばちゃまからなんかこうなんか言われた時にピキって切れちゃって、すいません言わせていただきますけれどもと。
なんかバーってなんか出てきた時にあのなぜか頭の中で終わった終わったねあなた終わったねって中国人の声が聞こえてきたんですけどそんな感じでね逆にここ私に見合わないっていうのがすごいエネルギーが出たんですよ。
それでもっとこうがいい、もっとこんなのがいい、あんなのがいいって呪いをバーって書き出したんですよ。もう3倍がいいとか近所がいいとかなんか職の仕事もこんなのがいいとか。
でそしたら新たに望みを思いっきり書き出したらビビビッと来た別の職の仕事に申し込み面接へ面接でそれと同時にちょっとこれ長くなっちゃうけど話していくねそれと同時に前置3週間の安静の前置3週間の安静の足の怪我をしたんですよ。
私ねあのグラウンドで一人踊りながら歩くっていうのが趣味で結構一人で踊りながら歩く。最近はね普通に歩いてるんですよね意外とこの時踊りながら歩くんですよ。いろいろダンスしたりしながら誰もいないんだよっていうのをやってたら体に疲れが来てたみたいで足の怪我しちゃうんですよ。
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でもこれ怪我の巧妙と言わんばかりにそのバイトを辞め。もう歩けなかったから。で足を引きずりながら新しいところには面接に行くんですよ。であの面接から答えが来るまでに時間もあって自宅で安静っていう制限が逆に私に安心感を与えたんですよ。というのは私動きたがり行きたがりね取材とかもそうだけどあちこち出かけたがりだから逆に出かけられないっていう制限がねすごい安心感を与えたんですよ。
でずっと一人一人にインスピレーションアートを描いてみたいなっていう思いがあったの。ふわっと浮かんでたの。その数ヶ月前から。だからじゃあえっとねその思いを形にしてみようと当時フェイスブックライブをしていたので100回ライブ記念に自分が描きたいがためにですよ。
誰かに求められてない。でもその人を感じて描くインスピレーションアートっていうのをプレゼントし始めたんですよ。でこのインスピレーションアートが最初は無料で描き始めたんですけどなぜならばもう描くこと自体が楽しくてで口コミでどんどん広がりあっという間に100名突破したんですね。
でなんでわかるのとかみんな驚きスマホの待ち受けにしてくれたり大切にしてくれたりする人が増え始めた。これを描き始める最初の段階として私がふっと開いたものをふわっと絵を描くっていうことをやってるのを見た友人がまゆちゃんそれって才能なんじゃないって言ってくれたきっかけだったんですよ。
私にとって呼吸をするようにすることはそれはなんていうのその当たり前すぎてやっぱ才能って気づかないんですよね。でそれでね楽して自分では楽しくてね自分では当たり前すぎて意識しない楽々できることに才能のヒントがあるんだなって私は痛感したんですよ。つまり努力とも感じないし楽しくてやっちゃうからお金云々の前にやりたいんだっていうこれ最高の状態なんですよね。
最初は100枚無料で提供しどんどんひらめきのままに絵の依頼を受け続け一時は毎日お礼にamazon欲しいものギフトから贈り物が数個届くような状態だった。毎日サンタ状態。途中で100枚から無料だったんだけどなんか100枚描いた中の一人がまゆちゃんなんかamazon欲しいものリストとかないのとか言ってくれてあるあるみたいな妄想で欲しいやつリストアップしてあったんですよ。
でそのリンク送ったらそこからねごっほの油絵セット送ってくれたんですよね。めちゃくちゃ嬉しくて。なんか自分が描いたものでお礼もらえるってめちゃくちゃ嬉しいと思ったからその101枚からはあなたの才能で返してもらうかamazon欲しいものリストから選んでもらうか好きな金額払ってもらうってこの3択にしたんですよ。
そしたら絶対に何かしらできるじゃないですか。もし描いてもらいたいなら私星占いできますとかなんか私何々できますとかっていうのでその自分のその才能で返してもらうっていうのだったら絶対にできるでしょ。
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でまあなんか金額設定自分のするのはちょっとできないっていう人は私のamazon欲しいものリストからもう1000円くらいのものからさなんか欲しいものいろいろ全部何でも置いておいてその人が送りたいと思うの送ってくれればいいからまたそれも楽しいじゃないですかみたいな感じでね本当にね
あの春頃だったけどあの春にサンタクロースが毎日来ててめっちゃ楽しかったですねでどんどんあの送ってきてもらうからどんどんamazon欲しいものリストに何か入れておかないといけないから何が欲しいかなーって見るのが楽しかったですねでさらには再就職した仕事がどんどん給与が上がりなんか勝手にパートだったのにねその別の私もこと仕事っていうかあの自分の仕事もやってたから
あのなんか勝手に社員になっちゃって勝手にっての変だけどまあ評価していただいて社員になってしまってだけど時間の拘束も短く待遇もよくさらには絵を描く時間まで与えられデジタルのインスピレーションアートだけでなくリアルでもキャンバスに絵を描くようになったんですねでその後もうこれもねこの話が来た時も本当鳥肌だったんですけどまあ2022年にねパリユネスコ本部内のねえっと国際平和美術展というのにで初展覧会が海外デビューになり
パリでデビューしてみたいと思ってたからね本当にドンピシャになりましたねでユネスコ世界遺産のサンパウ病院バルセロナでチャリティー展に出展しずっと憧れてたねコロナ期にもしどこにももう人生あと1カ所しか行けないって言ったらどこに行きたいかっていうのを自分で勝手に考えてやっぱりもうガウディ見なければ私は死ねないって思ってたんですよ
ガウディの桜田ファミリアをあれっていうのはさ変化し続けるそのなんていうかな未熟で未熟が不完全が美であるっていうことを私は表してると思ってるんですよそれが生き物みたいに今も作られ続けてるっていう生き物みたいな建物を感じなければ私は終われないと思ってたんですよ
でそれで私はずっと憧れていたガウディ建築を見そして笠見らないガウディが作ったね今も現在してるアパートなんですけどその1階にレストランがあって笠見らないでのレセプションパーティーと思いもしない私の夢が次々と叶っていったんですね
でその後また仕事で頑張りすぎてですね骨折するんですよなんかねやっぱりすごく評価いただいていてでその同じ同僚の育ちとかよりも給料が確実に高かったんですよだからやっぱりそれに見合う仕事をしなくちゃって私も思ってたから頑張ってたんですよねすごく
でそれがやっぱりちょっとこうなんていうのかな負担になってしまったんだと思うんだけど足骨折しちゃったんですよ仕事中にちょっと年座だと思ったらめっちゃ腫れてきてで初めての骨折だったけど人生ででまあ骨折した1ヶ月半は逆にね集中して絵を描く時間が生まれたんですよね骨折って言われた時に病院でなんか笑けてきて
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であのもう休みなさい拡大しなさい描きなさいっていうメッセージが頭の中で来たんですねだから休んでからは描き続けたんですよでまたまあそれからね未来を内観するワークっていうのを改めて自分でやったりして
自分がこれからどうしていきたいのかということを考える時間をいただいたのよこの骨折足さんが止めてくれたんだよね私をまあまあまでとそんなに頑張るなと本来行きたい道はお前はどっちなんだっていうなんかそういうチャンスをこの骨さんがくれたんだよね
で それでまあ内観して息苦さを覚え始めた職場の逆境から自分の望みを激しく望んだわけやっぱり私は世界に行きたいみたいな
で するとね知人から連絡がありサウジアラビアの国家プロジェクトのリアドシーズの日本文化パビリオンのアーティストとして参加することに誘われ
なぜか所蔵パフォーマンスをすることになり2ヶ月半滞在しているってことが起きたわけですよ で2023年にはフィレンゼの国際コンビニでそしてその後ドバイのビッグステージで
書と歌舞いのチームを結成してパフォーマンスをしてきたと そして夢を叶えてきた作品すべての感情は尊く美しいって私なりのね
感情22の感情でキノコを描いた宇宙キノコマンダルのデジタル版がっていうのを まあプロジェクトを作ったんですよねこの時そのフィレンゼの絵をみんなでパーツの一つに
オーナーになってもらってみんなの夢とかやりたいこととか 叶う場所なんかドラゴンボールのイメージをしたの最初にこのフィレンゼに絵を展示する時に
どんな絵を描きたいかなと思った時にドラゴンボールみたいに人のエネルギーはパッと集まって そこですぐ大きなエネルギーになってまたそこからパーって
放っていくみたいななんかそんななんかビジョンが湧いてそれに合う絵を描こうと思ったの が宇宙キノコマンダラのにキノコの赤いやつなんだけどを作ったんですよね
まあその集大成がのこの前の個展だったんですよ みんなのエネルギーが私はフィレンゼでみんなの夢を背負っていってそしてそのエネルギーを
入れてそしてまた個展で みんながオーナーになってくれた作品のパーツがそこで一つ集まり
そしてそれがまた放ってそれぞれの場所で輝くっていう そういう私の私なりのこのプロジェクトに参加してくれたりしたことでね
まあそのプロジェクトの中の参加の特権というかとして宇宙キノコマンダラのデジタル ハンガーっていうのを販売してたんですけど
まあそれが個人宅とか歯医者さんとかヘアサロンとか あのご自宅とかね全国つつ裏々いろんなところに飾っていただくことになったんですね
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でなんでこの絵をめちゃくちゃ私が押すかっていうと私がの道を間違いなく導いて くれたのがこの絵だったんですよ
そんなことでその宇宙キノコマンダラっていうあの絵を 子供へのスピーチでも手に持ってたしあれって本当になんかその
最初は上野の展覧会が決まった時に あの感情を
抽象的な感情をマンダラみたいに書きたい書いてみたいっていう望みが出てきたんですよ じゃあどうやって22の感情感情という抽象的なものをマンダラのように一つの図に
できるんだろうかって思った時に試行錯誤したんだけど いまいち出てこなかったんだよね
だけどある時ね友人にまたね熱く語ってたんですよ中学からずっと仲良い友達が いう中学の時の友達と高校の時の友達唯一一人ずつだけ山梨にあのまだ
コミュニケーションしてる人がいて結構ねみんなあの結婚してね 県外に行っちゃったりするのでまぁその2人が仲良いんですけどその一人とね
私はねこんなことをしていきたいなと私のできる形で社会にこういう貢献をしたくて とかさんが作った
その帰りのあの車の中でふっと キノコでやればいいんじゃんみたいのが湧いたんですね
まあ宇宙キノコキノコは作り始めてたからでそこでそのキノコが生まれ そしてこんなマンダラの絵を書いてみたいっていうのをやり出して書いている途中で
あのそのスペインの派展示が決まったからまさにこの絵が導いたのよ私を見たいな 絵なんですよ
だから夢を叶えるえったし私のエネルギーとともに高まっててくれる絵だと思っているので まあそれを猫今も販売してたりするんですけど
うん まあみたいにそんな感じ
なぜそんな奇跡みたいな展開が起きたのかそれは行動するために安心の心の場所に戻り 内観し望みを出すというシンプルなことをやり続けながらその精度を上げてきたからだった
なぜうまくよううまく行くようになったのか あらゆる実践の中からその手法を体系化して誰にでも自分の人生に合わせて
幸福な人生を歩めるように使いやすいようにしましたと それがまあ今私が改めて
ここではねまあ幸福マインドの作り方っていうふうにしてるんですけど まあ別の形で今ちょっと作ってるんですね
で実際猫のプロジェクトを作り皆にその方法を教えたことでそれぞれがそれぞれの人生で お菓子作りが趣味だった人が実際にお店で販売できるようになったり
インプットばかりだった女性が国際コンテストに出るようになったり 元あのダンサーだった女性がね人が輝くダンスビュートを企画し成功し始め
いじめに悩んでたお母さんがね興味のあるセッションを学びセラピストになったり まあそれぞれが行きたかった海外旅行にも出かける人も続出したし
イタリア人の彼ができた人とかもいるみたいな感じでものすごいこうなんていうかな 変わってたんですよねみんなが
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ね人によって幸せの尺度も何を思うかもみんな違います だからかなった内容も幸福度も人によっては違いますがそれぞれの人生が間違いなく
輝き出すそんなメソッドなんですよね それが美しいし何より本人が幸せだ満足だ挑戦する喜びを感じている状態になっている
ことが成功だと私は思っています 人によってね幸福の形は違うからこそだからこそ外側の出来事の前に
内側を整えると結果的に見える景色が変わってくる面白さを面白さを体験して もらいたいなっていうふうに思ってるんですね
この素晴らしいノウハウを伝授するのが私のいろんな動画のこれからも発信していく 内容講座も考えてたりしてるんですけど今もねその一部無料でね私の脳内どうなってるの
講座15分無料で聞けますのでそれもぜひね概要欄リンクに貼っておきますので見ておいて いただければと思いますということで
長々長々ちょっと今日は話させていただきましたけれどもいかがだったでしょうか それでは素敵な1日をお過ごしください
アディオスまたねいいねやコメントフォローお待ちしております 長々ごめんありがとう
ということで今日は日曜日17時から伊田さんのチャンネルで 楽しいコラボをするのでぜひ遊びに来てください
コミュニティの中に貼ってありますのでそこから遊びに来てね アディオスまたねー長くてごめん