講座づくりへの情熱
おはようございます、エニシです。このチャンネルは、これまで500人以上の人生の使命を見つけてきたライフコーチが、胸の奥に眠る、本当にやりたいことを呼び起こし、人生を丸ごと再起動するための気づきをお届けするわです。
ここのところ、これまで未来を選ぶことの大切さと、その未来を形にする手段としての講座の力をお話してきました。
講座って、誰かに何かを教える講座ですね。ではなぜ僕がここまで講座づくりにこだわり、あなたにこの道を進めるのか。
今日は、僕自身の背景をお話したいと思います。今日のテーマは、なぜ僕が講座づくりを支援するのかです。
今日も3つのポイントでお話をしたいと思います。1つ目は、僕のライフワークとそこに至る確信。
2つ目は、締めを得た原点、要するに僕に残った悔しさの話。3つ目は、クライアントの変化の話。
この3つのポイントでお話をしたいと思います。クライアントの変化は、夢と経験を掛け合わせて唯一無二の講座を作ったというクライアントの変化ですね。
この3つのポイントでお話をしたいと思います。1つ目、僕のライフワークとそこに至る確信。
僕は今、人生後半のミッションを講座化するストーリーディレクターという肩書きを名乗ることにしています。
大人が自分のやりたいことを叶える姿を見せて、それを見た子どもたちが自分も挑戦したいと思える社会、子どもの憧れを大人が取り戻す社会を作るのが僕のライフワークだというふうに言葉としてまとめました。
このビジョンは理想論ではないです。これまで500人以上のライフワークを発掘・言語化して、そのうち200人ちょっとの方の夢を講座として事業化してきた現場の手応えがあります。
自分なんてって隠してきた黒歴史とか挫折が人を動かす物語になる瞬間を何百回も見てきました。
だから僕は確信しています。人は誰かのために語り始めた瞬間に生き返るということですね。
2つ目、使命を得た原点。僕に残った黒い悔しさの話ですけど、なぜここまで夢の実現にこだわるのかというと、原点は私自身、若い頃に親友たちを次々に見送った経験があります。
見送ったというと引っ越しではなくて、よう去ったんですよね。熱く夢を語ってた仲間から、どんどん突然いなくなるという経験を10代後半から続けてきました。
人の命はこんなにも脆いのかというのとともに、胸に残ったのはもう少し時間があればという悔しさでした。
だから僕は決めました。仲間たちが果たせなかった夢を、僕と関わる人たちでこの世に残すということですね。
僕と関わる人たちの夢を果たすことで、これらの仲間たちが果たせなかった夢を叶いたい。夢を引き継いで命をつなぐ、それが僕の使命だと思っています。
成功事例の紹介
3つ目はクライアントの変化ですね。夢と経験を掛け合わせて唯一無二の講座にした例を1つお話をしたいと思いますけれども、
家業を息子に譲る50代の経営者がいました。急に忙しかった日々から、やることがないとは言いませんけど、時間ができる日々が生まれました。
その50代の経営者の方は胸の奥に英語を教えたいという夢を、実は学生時代から大学時代からずっとしまいこんでいました。
僕とその方と考えて、開花取引や組織運営の経験を経営者としてお持ちだったので、そちらと大学時代からの英語の夢を掛け合わせて、
中小企業が海外展開するための英語講座を設計しました。体験会では実務の英語とか、価格交渉とか貿易の落とし花も含めたストーリーでお伝えすることで、
受講生からは現場の学びだと感謝が相次いで、ご本人も人生がまた走り出したと語ってくれました。
これも夢である英語と経験である経営を掛け合わせて唯一無二の講座になった瞬間の例になると思います。
こうして人生後半が生き生きと動き出す、これが講座作りの本質だと私は思っています。
まとめると、僕が講座作りにこだわる理由は、それは講座が単なるお金、収入の手段ではなくて、
命を持ち燃やすための器にもなって、それは自分だけではなくて、次の世代の憧れも生み出す力を持っていると思うからです。
あなたのやりたいという気持ちは必ず未来を動かす物語になります。
その最初の一歩として、僕の経験を凝縮した動画を知事たちに言われて、最近用意しました。
それがあなたの経験を講座の形にまとめているためのたった一つの方法という動画です。
選んだ未来を現実に変える具体的な道筋をここにまとめました。
概要欄にリンクを貼っておきますので、公開している今のうちにぜひ覗いてみてください。
最後まで聞いてくださりありがとうございました。ぜひいいね、コメントとフォローお願いします。
あとコメントはですね、あなたが命を懸けてでも伝えたいことは何ですか。
その答えの中にあなたの鉱山の種が眠っているかもしれません。
ぜひコメント欄で教えてくださいね。よろしくお願いします。
毎日朝6時の配信を目指しています。江西でした。