1. 呟ききれない話
  2. #060 神学部卒による『チ。』..
2025-09-15 22:23

#060 神学部卒による『チ。』もんやりレビュー

医学部中退・神学部卒が『チ。』をレビューしたら大部もんやりしちゃったよお

番組へのご意見ご感想、疑問質問はおたよりフォーム
(https://accessible-root-3a9.notion.site/1cffd6aff8c780b696bdf5c59101dd7c)

YouTubeもやってます。
(https://www.youtube.com/@MedamaChannel55)

Twitter (X)も来てね。
(https://twitter.com/Soichi_ii)

サマリー

このエピソードでは、神学部を卒業したソウイチがアニメ『地球の運動』をレビューし、そのストーリーや登場する宗教テーマについて考察しています。特に、キリスト教と似た宗教観を持つ架空のシー教についての考察や、地動説に挑む人々の姿を通じて命の大切さを語っています。また、科学と宗教の関係を探求し、ガリレオ・ガリレイの言葉を引用して、両者が必ずしも対立するものではないという見解を示しています。さらに、ビッグバンや太陽の運動を通じて、自然科学と宗教が共に真理を探求する営みであることを強調しています。

日常の忙しさとアニメの話
どうもこんにちは、呟ききれない話のお時間です。
この番組は、ツイッターに本体があると思っている私、ソウイチが、
ツイッターでは呟ききれないことを一人で喋る番組です。
今日もよろしくお願いします。
9月に入って、2週が過ぎたんですけど、
カレンダー見たら、9月の今後の予定が、なんかいっぱいいっぱいなことに気がつきまして、
なんか最近ちょっとお仕事、平日のお仕事も、結構やることが急にゴンと増えて、
なんか一気に2つぐらい関わるプロジェクトが増えちゃって、
今まで1個しかなくて、ちょっとゆるゆる、ゆるめにやってたんですけど、
いきなり2つ増えて、都合3つプロジェクトに関わることになっちゃって、
なんかすごく嫌なんですけど、毎日なんかやることが多くて、本当になんか辛いです。
平日はそれで、休日は休日で、遊びの約束だったりとか、人と会う約束だったりとか、
お友達の本番のお手伝いをすることになってたりとか、
なんかそういうのでいろいろ休む間がないんですよね。
ずっと毎週末に何か予定がぎっしり朝から晩まで入ってるみたいな状況で、
これはやばいぞと、どっかで休まないと死んでしまうかもしれません。
というわけで、多分9月の後半どっかでどうにか休みを取りたいなと思ってます。
『地球の運動』のストーリー
さて今日は、今さらの話にはなっちゃうんですけど、
ちょっと前にアニメで大変人気だった地球の運動についての話をしようかなと思います。
ちょっとスピっぽい話もたくさん出てくるかと思いますので、
今日はガチスピ回ということでよろしくお願いします。
前のなんかのエピソードで、僕が医学部を途中まで通って中退したなんて話をしたかと思いますね。
医学部途中まで通って中退して、最終学歴が神学部、神の学部ですね。
神学部卒であるっていうことを話したかと思うんですけど、
地球の運動についてっていう漫画ね、そんな僕の経歴にぴったり刺さるんじゃないかみたいなことを
お友達から散々言われてずっと気になってはいたんですよ。
ちょっと絵柄があんまり好みじゃなくて、漫画はちょっとまだ読めてないんですけど、
アニメの前話をアマプラで見る機会が見ることができまして、それで前話を見ました。
というわけで今回は、医学部中退、そして神学部卒の人間から見た地球の運動についての感想、レビューをしてみようと思います。
ネタバレももちろんございますので、まだ見てない方はご注意ください。
アニメ見たのはもう結構前のことで、今回これを撮るためにまたちょっと見直したりもしたんですけど、
物語としては架空の、おそらくキリスト教をモデルにしているとおぼしき、
シー教が信じられているポーランドをモデルにしているとおぼしき、
ピー国っていう国で地動説の研究をしている人たちの物語ですね。
そのそこのピー国では地動説っていうのがもう禁じられた学説みたいな感じになっていて、
それでいろんな人が拷問にあったり、次々に死んでしまったり、
それでもその地動説の研究を諦めずに、次につなごうみたいなことをみんなが頑張るみたいなお話で言ったらいいかな。
なんかちょっとすごい軽い話みたいなあれですけど。
宗教と科学の対立
話はねすごく面白かったですね。
正直途中で何回も泣いてしまうシーンもありました。
まあなんか地動説が云々っていう以前に、
命を懸けて何かを成そうとする人の話っていうのは結構好きで、結構ね弱いんですよねそういうのにね。
あとあの家族、家族系の話もね結構私弱いんですよ。
であの名言もたくさん出てきました。
もう名言製造機みたいな漫画でしたね。
僕が結構好きだったフレーズは、最初の方で出てきたかな。
不正解は無意味を意味しませんっていうセリフだったりとか。
あとはヨレンタさんっていう途中の女性の研究者が出てきたんですけど、
彼女が言ってた文字はまるで奇跡ですよっていうようなセリフが僕の中では結構印象に残ってます。
さっきも言った通り、シー教っていうのがどうもキリスト教を思わせる宗教ではあるんですけど、
物語の途中でどこでどういうセリフだったかちょっと思い出せないし見つけられなかったんですけど、
いやなんかキリスト教はこんなこと言わねえよなって思うようなセリフがいくつかあって、
なので僕途中からはこれは多分キリスト教じゃないんだなって思いながら見てました。
なので、物語の終盤の方でこれまでの展開が全部フィクションというかパラレルワールドみたいな架空の話だった?みたいな、
名言はされないんだけど、まあそういう視察がされるんですよね。
ていうので、なんかこれまでのあれはキリスト教じゃなかったっていう立て付けなのかなっていうふうに思ったんですけど、
これまでの話っていうのは、そのシー教の名のもとにこれまでいろんな人たちが拷問されたり殺されたりしてきてるんですけど、
それが全部キリスト教ではないっていう立て付けなんだなっていうことを一応そういう理解をしたんですけど、
今回これを作るにあたってレビューサイトなんかもいくつか見たんですけど、
なんかやっぱ、これを史実だと捉えてる人も結構いて、結構いるっぽくって。
なんか、中世にこんなことがあったなんてとか書いてる人とかもいて、
あ、なんか、そう、たぶんね、史実ではないはず、こうではないはず、こういう史実はさすがにないはずみたいなのをちょっと思ったんですよね。
ツイッターで誰だったかが、この話は知的好奇心VS宗教的信仰心の話だ、みたいなことを書いてる人がいたんですよね。
それはちょっと、お話自体はそうとしても、実際の教会とはちょっと違うんじゃないかなっていうふうに思いました。
僕がたぶんちょっとね、宗教の勉強してるから、ちょっとやっぱ、教会によって考えちゃうっていうところもあるのかもしれないけど、
それにしたってなんか、まるでカトリック教会がバカの集団みたいに思われたら、ちょっと嫌だなぁと思って、
まあそれで、あの今日こういう回を撮ろうかなと思いました。
この話に登場するシー教と現実世界のキリスト教っていうのは、
まあなんか、ちょっと似てるけど違うところも結構あるんだよ、みたいな話を今日はできたらなぁと思っています。
なんかまずなんですけど、その教会、物語の中でその教会が反知性みたいな扱いをされているのがちょっとなーって思いましたね。
あの、特にその9000本は、伊丹新聞館の野爆さんですよね。
彼を中心として、やっぱりこう、その、指導説を中心とした、まあそういう、そういう研究は、なんかやっぱこう、危険思想扱いするみたいな。
まあそういう動きがもうすでに反知性だなと思うんですけど、
実際にキリスト教会っていうのは、そういうふうなことは、全くとは多分言えないと思うけど、あんまりしてないはずなんですね。
まあ物語の中でも、あの言われてるんですけど、最後の方で言われてるんですけど、
キリスト教でも指導説っていうのは、まあちゃんと研究されて、その地球が本当は動いてるんだってことがわかる前でも、
その説としては存在してたし、まあ有名でもありました。
しかも、あの、キリスト教って大学作ってるので、たくさん。
今ヨーロッパにある古い大学って、だいたいこう宗教、教会が、あの、もともとメインみたいな、教会が建てたりとかしてるので、教会が建てたり、まあいいや。
えっと、科学の探求っていうことと、それから神学的なその神様の言葉を研究するっていうことは、とっても、あの、昔はとっても近い位置にあった行いなんですよね。
今だとよく、宗教対科学って対立するものみたいな、に考えられることが多いと思うし、あの、地の中でもそういうふうに描かれてたような感じなんですけど、
なんか、僕の中ではこの2つって全然両立し得るものというか、対立するものじゃないんですよね。
ヨレンタさんとかラファウくんが言ってたように、なんか、神が作り保ったこの世界はもっと美しいはず、みたいな考えて、結構一般的だったし、
その、そういう言葉を信じて、その、科学、科学の研究、自然科学の研究をしていたキリスト教徒っていうのもたくさんいました。
例えば、ヨハネス・ケプラーとかはとっても、あの、信仰深い科学者として有名ですね。
それこそ、惑星の運動について研究した人ですけど、彼は、私は神の思考を後追いしているに過ぎないっていうようなことを言っているみたいです。
それから、アイザック・ニュートンとかも、とっても熱心なキリスト教徒でしたね。
彼は、科学者としても有名ですけど、錬金術の研究とかもしていて、あの、なんか、最後の錬金術師なんていう人もいたりするみたいですね。
そんな彼は、プリンキピアっていう著書の中で、この美しく整然とした宇宙は、ある知性と意志を持つ存在によって、想像されたものであるっていうふうに書いています。
こんなふうに、結構いろんな人が、こういうことを書いてるんですよね。
で、なんで、なんでみんなが、そこまで、その神が作った世界っていうのは、もっと美しいはずっていうのは、なんでそういうふうに考えてるかっていうと、
創世紀に、創世紀の1章31節に、こんなことが書いてあるからです。
神は、作ったすべてのものをご覧になった。それは極めて良かった。
この、極めて良かったっていうのが、本当に極めて良いんですよ。
神が作ったこの世界っていうのは、もう完璧であったっていうふうに考えられるんですね。
だから、その、完璧なこの、完璧にできた美しいこの世界が、どういうシステムで動いているのかっていうことを研究することは、
まあ、それこそ神の思考を後追いするというか、神がどうして、どういうつもりでこの世界を作ったのかっていうことを、こう、解明する営みだったわけです。
よく、宗教vs科学っていう構造で引き合いに出されるのは、ガリレオ・ガリレーさんですよね。
彼は、地動説を唱えたっていうことで、宗教裁判にかけられて破門されているんですけど、
まあ、それも単に地動説を唱えたから裁判にかけられたっていうわけではなかったんですね。
さっきも言った通り、地動説っていうのは、すでに一つの仮説として存在してて、すごく有名なものだったんです。
ガリレオさんは、それをあたかも真理であるとして主張していたっていうのが、当時の聖書解釈とは矛盾しているっていうふうに言われたんですね。
つまり、そういう説もあるよね、だったらよかったんだけど、こうじゃん、地球動いてるやんっていうことを書いちゃったら、それはちょっとダメだよねっていうことを言われたんですね。
その聖書解釈と矛盾することを書くのが、なんでダメかっていうと、その頃って、すごく厳しかったんですよ、教会自体が。
ちょうど、宗教改革っていうのがあって、ルターさんとかカルバンさんっていうのが、教会が、カトリックの教会がもうひどすぎるから、俺たちの教会を作ろうぜっていうことを言い出した。
で、カトリックの教会から抜けて、新しくプロテスタントっていうのを作った。
で、それを受けてカトリック側でも、いや、このもんじゃあかんでしょうっていうことを言い出して、反宗教改革っていうのをやったんですよね。
ちょうどそういう時だったんです。
だから、ガリレオが、なんかちょっと聖書解釈と違うようなことを書いて出されると、それこそもう教会の権威が落ちてしまう。
カトリック、あんななんか宗教と違うことを出版してんじゃねーよとか言われちゃう、みたいな。
なので、とってもその、そういうのに敏感だった時期でもあったんですよね。
しかもそんな中で、ガリレオさんは、あの当時の教皇を揶揄するような表現をその本の中でしたらしい。
っていうので、そのすごい当時のその教会の中枢の人たちを怒らせちゃったんですよね。
なんで、まあこういう本書いちゃダメだよって言って、公に怒られて破門されたっていう感じです。
なんか最近、1992年、当時の教皇のヨハネパウロ2世がガリレオガリレーの破門を解いたっていうニュースがありました。
科学と宗教の関係
で、2008年にもね、当時の教皇のベネディクト16世がガリレオの言ってたことは間違いじゃなかったっていうことを公式に認めたっていうこともありました。
なんで、最近のその教会ではそのガリレオガリレーの名誉も全然回復しているという感じです。
その宗教対科学っていうのは、なんか別にそんなに対立するようなものじゃないっていうことを言いようとしてるんですけど、
なんか例えば、ビッグバンってあるじゃない?
ビッグバンって、まあ多分私たちは誰も見たことがそのビッグバンを見たことがないけど、おそらくまあ理論上あったであろうとされている現象なんですけど、
でもそれとは別に聖書に書いてある神は万物を創造したっていう物語もあるわけじゃないですか。
これってなんか一見全然矛盾するようにも見えるけれども、
でも神が世界を創造したっていうこととビッグバンがあったってことは別に両立し得ると僕は思ってるんですね。
まあ創世紀の記述は一つの物語として偶話として読むっていうことも全然できると思うし、
あとはもっとなんかあの信仰深い人だったらビッグバンっていう現実の現象のその元になった、
その裏にはやっぱり神の働きがあったっていう解釈だって全然できると思います。
しかもあの例えばそもそも世界は何で存在するんでしょうかっていう疑問にそのビッグバンは答えられないですよね。
だってビッグバンが起こる前には何があったの?その前には無があったなんて話もあるけれども、
無って何?みたいな。どういう状態?みたいな。
なんかいつからこの世界ってあるの?っていう疑問には科学ではちょっと答えることができない。
そういう意味でもその科学が担当している領域と宗教が担当している領域はあのちょっと、
僕は結構近いと思うんだけれども、でもやっぱりちょっと違うんだと思うんですよね。
もう一つその科学と宗教は対立するものじゃないっていう話をしたいんですけど、
例えば天道説を支持する聖書の言葉って、聖書の中にはいくつかあるっていうふうに言われています。
例えば詩編の19章に、太陽は花向子のように祝いの部屋を出て、勇者のように喜びいさんで道を駆け抜ける。
天の果てを入れ立ち、四方の果てまで雪めぐる。
何一つその熱から隠れるものはないっていうふうに書いてあります。
これって太陽が出てきて、世界を照らして、世界を温めている。
太陽の動き、太陽が動いてますよっていう世界観の中で書かれている言葉ですよね。
これが聖書が天道説を支持している根拠とされてるらしいんですけど、
聖書って 科学の教科書じゃないし、天文学の教科書じゃないし、
私たちだって 日常会話の中で 太陽が昇るとか言うじゃないですか。
それとか あるいは占いが好きな人だったら 西洋先制術ってあると思いますけど、
あれも地球を中心に 太陽とか他の惑星が 12個に分けられた星座の部屋の中を 動いているっていうふうに 解釈しますよね。
なので 現代でさえ 私たちは 時と場合によっては 天道説と地道説を 共存して考えてるし、
それって 別に矛盾するものじゃないと思うんですよね。
また朝になったら 太陽が昇ってくるよっていう言い方は 別に レトリックとしては 正しいわけじゃないですか。
そこにさ いや 太陽が昇ってくるんじゃなくて 地球が動いてるんだよっていう人は 誰もいないわけですよね。
なので 天道説とか地道説とかって 科学的な真実は一つあるとしても、
別に必ずしも矛盾するものではないんじゃないかなと思うんです。
ここまで 考えていくと 科学者も 心学者も どちらも 真理に 忠実であろうとした 人々だったんじゃないかなと 思います。
例えば さっきの ケプラーとか ニュートンさんとか。
ケプラー ニュートンの話した?
したよね。
さっき話した ケプラーとか ニュートンとか。
あるいは 地に出てきた 登場人物の ラファウ君とか ヨレンダさんとか ノバックス…なんだっけ?
バデーニさんとか。
彼らも 同じく 命を懸けて 真理を探した人たちだったんだと思います。
んー なんか ちょっと 話が とっちらかってきたな。
難しい。
地の話しようしようと思ってたんですけど、
なかなか どうやって まとめたらいいか 分からなくて、
結構 ちょっと とっちらかっちゃってるんですけど すいません。
地について こうやって 話そうと思って いろいろ 調べてるときに、
ちょっと どんぴしゃな 言葉を 1つ 見つけたので、
1つ 最後に これを 置いていこうと思います。
ガリレオ・ガリレイが 書いたとされる 言葉らしいんですけど、
神は 2つの書物を書いた。
1つは 聖書。
そして もう1つは 自然そのもの。
っていうふうに 言う言葉が あるらしいんですね。
さっきも 言った通り 僕 医学部 中大して 心学部 卒業してるんですけど、
よく この2つの経歴って 真逆の進路じゃんって 言われることが たまにあるんですけど、
この中では やっぱ 割と そんなに 遠くないところに あるというか、
なんか 宗教と 自然科学って 結構 近いところに あるんだよってことをね、
すごく ここで 改めて 強調しておきたいんですね。
その 聖書と 自然そのものは 2つの並び立つ書物であると 僕も思うんですよ。
宗教の研究も 科学の研究も その世界って 何なんでしょうか。
世界は 何なんですかね っていうことを 一生懸命 頑張って 解き明かそうとする 営みなんだと思うんですよね。
さっきの ガリレオ・ガリレの言葉を借りるならば、
どちらも 神が書いた その書物を 読み解こうとすることだと思うんですよ。
なんで なんか その 宗教対科学みたいな、
なんか その 二項対立みたいなのは ちょっとね、やっぱ 違うよなーっていうふうに 思ってしまいました。
んー まあ ちょっと 地位のレビューを しようと思ったんですけど、
自然と聖書の解釈
ちょっと なんか 話が とちらかっちゃって 離れてしまったかもしれません。
みなさんは このお話 どんなふうに 感じたでしょうか。
えっと 僕は とっても よくできた お話だな と思いましたし、
おもしろく 読む あの 見ることが できました。
ちょっと 漫画の方もね あの ちゃんと 読んでみようかな と思うんですけど、
ちょっと なんか 最近 もう 本当 マジで 本が 読めなくなってて、
漫画が 漫画さえ ちょっと 読むのが 苦痛な感じなんで、
ちょっと 読めるかどうか わかんないですけど、
まあ 時間をかけて ゆっくり 読んでいこうかな と思います。
みなさんは この地 地球の運動について どう思ったでしょうか。
ご意見 ご感想など ありましたら ぜひ お便りフォームか、
僕のツイッターのリプライや DMでも かまいませんし、
何かしらの方法で 一言 言ってくれると とっても うれしいです。
では また。
22:23

コメント

スクロール