#56 月の海の名付け親
2021-08-09 07:41

#56 月の海の名付け親

毎週月曜日は、月にまつわるお話をする「月の日」🌝ということで、今日は月の海のお話です🌊

月の海に初めて「海」と名付けたヨハネス・ケプラー🔭

過去の月のお話はこちらです🌝

月とセラビの自己紹介
https://anchor.fm/cest.la.vie.t/episodes/2-e12psl0

月と夢の話
https://anchor.fm/cest.la.vie.t/episodes/23-e13uisn

月の裏側について語りました
https://anchor.fm/cest.la.vie.t/episodes/26-e145ttc

月の絶景、虹の入江🌈
https://anchor.fm/cest.la.vie.t/episodes/31-e14dvhs

月の語源とティコ
https://anchor.fm/cest.la.vie.t/episodes/38-e14phb6

月曜日は「月の日」
https://anchor.fm/cest.la.vie.t/episodes/42-e14upra

月と出産の関係
https://anchor.fm/cest.la.vie.t/episodes/49-e157thf


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月乃セラビの宇宙で一番小さなニュース、始まりました。
この番組は、遥か宇宙の天の川銀河に浮かぶ青い地球に棲む、
月乃セラビの毎日のちっちゃなニュースを、
日記のように音声で残していくポッドキャストです。
月曜日は、月の日ということで、月にまつわるお話をしていきます。
今日は、月の海についてのお話です。
今まで何度も月の地名についてお話をしてきましたが、
月には、海とか湖とか入江とか沼という水はないんですが、
そのような地名がたくさんあります。
月の海と呼ばれるところが、
実際には濃い色の原部岸で覆われた月の平原のことなんです。
今までこのポッドキャストでお話した、
私が大好きな地名、虹の入江の隣の海の名前が雨の海だったり、
アポロ11号が着陸した静かの海だったり、
アポロ12号が着陸したのは嵐の海だったり、
いろんな海を紹介してきました。
ラテン語で海を意味するマーレと初めて命名したのは、
ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーです。
彼は月を天体望遠鏡で観察して、
月の暗い部分は水を蓄えた海であると信じてたんですね。
同じ時代のガリレオ・ガリレーも同じように、
月の海という部分には水があると信じていたそうです。
月の海は月の地表の16%を占めています。
月の表と呼ばれる地球を向いている側に多くの海があって、
月の表には30%、月の裏にはほとんど海がなくて2%しかないそうです。
月の海が表側に偏って存在する原因は様々な説があるそうなんですが、
詳しくは分かっていないそうです。
昔は水があると信じられていた月の海ですが、
実際は水はないんですけれども、
最新の研究では月の南側に水というか氷があるということが分かったそうです。
今日はですね、このヨハネス・ケプラーさんについて詳しくお話ししていこうと思います。
彼は天文学者以外にも数学者、自然哲学者、先生術師の顔を持っていました。
天体の運行法則に関するケプラーの法則というのを唱えたことで、よく知られている人です。
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理論的に天体の運動を解明した点において、天文物理学者の先駆的存在だと言われています。
彼は1596年、今から425年前に宇宙の神秘という本を出版しました。
これは太陽を中心として6惑星、水星、金星、地球、火星、木星、土星が
5つの星多面体に次々と外説、内説することによって、その距離が保たれていると説明したそうです。
この本の中でコペルニクスの唱えた太陽中心説、今でいう地動説を全面的に支持しました。
このようにコペルニクスを支持したのはケプラーが初めてで、この宇宙の神秘を読んだガリレオ・ガリレーは
その考えを支持するとケプラーに手紙を送ったそうです。
1599年にデンマークの天文学者ティコブラーへの助手としてプラハに招かれます。
以前このポッドキャスト、38回目の配信でお話しした月面南部のクリエイター、
私がいつも写真を撮るときに月のおへそみたいだなと思っているまんまるのティコというクリエイターの名前の由来になった
ティコブラーへなんですが、彼は21年間デンマークのベントウという島ですね。
ここにウラニボリ天文台を建設して観測を続けてたんですが、当時望遠鏡がなくて肉眼で観測してたそうなんです。
ティコブラーへは大観測家として知られていて、
当時肉眼で観測された観測データとして最高の精度を誇ってたそうなんですね。
でもティコブラーへは自分のデータの中から地動説を支持する証拠を見つけることができずに、地球中心説、天動説を提唱していたんですね。
ユハネスケプラーがプラハに招かれて、1年半後にティコが亡くなります。
ティコの遺言でケプラーは16年に及ぶ彼の観測の資料の整理を託されます。
こうしてティコの性格で膨大な観測データがケプラーの手に渡り、整理・分析をされたことで、
ケプラーの法則発見へとつながって、太陽中心説、今でいう地動説が強化される大きな転機となったんです。
このケプラーの法則からニュートンの万有引力の法則が発見されることになります。
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とても歴史的に重要な意義を持つ法則の発見をしたケプラーなんですが、もちろん彼の名前がついたクレーターが月には存在しています。
月の中で一番大きな海、嵐の海と島の海の間に直径29.5km、深さ2.6mのケプラークレーターという彼の名前が由来になったクレーターがあります。
これはリコクレーター、先ほどもお話しした月の南側にあるまんまるなおへそのようなクレーターから向上がたくさん伸びているんですが、
その一部が嵐の海を横切ってケプラークレーターを交差しています。
これはヨハネス・ケプラーがリコブラーへの残した観測記録から、ケプラーの法則を導いたことから名付けられました。
今回の月のお話はいかがでしたか?
今までの月のお話、もし聞いていない方は遡って聞いてもらえると嬉しいです。
説明欄にそれぞれのURLを載せておきますね。
あと、ツイッターでも月のお話の感想をお待ちしています。
ハッシュタグ月セラ寺をつけてお気軽につぶやいてみてください。
ではでは最後まで聞いてくださりありがとうございました。
また明日アップしますね。お楽しみに。バイバイ。
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