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2020-12-11 1:05:49

BC001 『ダーウィン・エコノミー』

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面白かった本について語るPodcast ブックカタリスト第1回

今回は、ダーウィン・エコノミーという本について語ります。

概要

* Amazonリンク

* 日経BP (2018/3/23)(オリジナルは、2011年に執筆されている)

* 購入日:190106

* 著者:ロバート・H・フランク 若林茂樹 (翻訳)

* 価格:2000円

■昔のほうが、生活は豊かだった。社会の中間層には経済的活力があり、社会インフラはきちんとメンテナンスされていた。だが、その後何十年にもわたって経済成長率は大きく鈍り、中間層の時間当たり賃金は減少する一方で、CEOの賃金は10倍になった。富の格差は広がる一方だ。

■「経済学の父」とされるアダム・スミスは、自由な市場はすべての人にとっての最善を生み出すと考えた。だが、現実世界を見回すとスミスの「見えざる手」が機能していないように思える。むしろ、ダーウィンが観察したように、個々の動物の利益と、種としての大きな利益は深刻に対立している。

■このダーウィンの観察を、経済に応用したら、どんな世界が見えるだろうか。個人の利益と、社会全体の利益は、どうやってバランスさせればよいのだろうか。格差、教育、公共投資、貧困といった諸問題に対し、人気経済学者が解決策を提示する。

要約

中流階級は相対的に貧乏になり、政府は意義あることにお金を使わなければならない。

現在の最適解は税金が最も高い価値を生む政府を作ることであるが、そのためにどういう手法があるか。

ダーウィンの進化論を元に、方法について考える。

まず知っておくべきは、物事の多くは相対的な関係で決まる、ということ。

この相対的な関係から起こる事象に規制をしないと、結局全員が不幸になってしまう。

また、個の進化は全体の最適化に結びつかないことがあるので、そういう場合に規制が重要になる。

例:ホッケー選手はヘルメットをつけない

規制のポイントは相対的な関係への過剰な投資をやめさせることと、有害な活動に対する課税である。

これが結果的に全体の幸福を生む。

🐷コメント

著者は、とにかくリバタリアンを嫌っている印象が強い。リバタリアニズムが強い人は反発を覚える可能性あり。

今回最も「役に立ちそう」な言葉は「地位財」「非地位財」というもの。

地位財は「相対的なもの」で、結果的に(一般人には)幸福に結びつけることが難しい。

書籍では「地位性が強いものほど多く課税すべきだ」という累進的消費税、という概念が述べられていたが、個人的には自分の消費行動においてこの「地位財」「非地位財」という観点で見直してみると「コスパ良く」幸福に繋げられるように感じた。

読んでみて、5〜6章あたりが大変に難しかった。(通読に加え、複数回読み返してようやく大筋が掴めた)

そして最終盤、11章での「効率的な課税による解決策」が最も楽しく読めた。



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ブックカタリスト第1回、goryugoとラスター2人で面白かった本について語るポッドキャストです。
新しく始めまして、今回はダーウィンエコノミー自由競争公益という本について、私goryugoが面白かったところなどを語りたいと思います。
いきなりこう難しそうな副題がついてる本が出てきましたけども、まずこの本はどこで発見されたんですかね?
今回はですね、ちゃんとソースが残っておりまして、本しゃぶりっていうブログがあるんですよ。
その人がちょっと古いんですが、2018年に読んだ本から5冊っていうので紹介されていて、
自分も買ったのは2019年の1月なんですよ。
そして現在は2020年の12月。
1回読んだんですが難しくて放棄しておりまして、改めてポッドキャストで語るためにコンテンツとしてはすごく良さそうだったので、もう1回根性を出して読んだっていう感じです。
ちなみにその本しゃぶりは結構定期的に確認されてるんですかね?
そうですね。RSSリーダーで登録していて、100%の記事を読んでいるかっていうとわかんないんですけど、面白い目線で本を紹介しているブログとして結構はてなブックマークがたくさんついているブログっていう印象ですね。
ちなみにこの本って確認させていただくと出版社が日経BPなんですけども、このブックカタリストのプロトタイプが1回で紹介された本も確か日経BPさんから出てた本だと思うんですが、別に回し者とかではないですよね。
言われてみて初めて気づいたけど。
そうですね、偶然。
偶然とも言って実は偶然ではなくて、日本以外の翻訳社を日本が出している出版社は結構業者さんいるんですけど、日経BPさん、ビジネスプラス人文っていうここで言いますけど、人文的な本って多いんですよね。
じゃあ多分自分の趣味は割とそこがピンポイントで刺さりやすいものが多く、たまたま今回もやはりそういうものが必然的に選ばれたみたいなのはあるかもしれないですね。
そうなんです。それが分かると次から日経BPさんの本を集中的にチェックしてみようみたいな読み方ができるようになるわけですね。
出版社が分かるの探し方ね。
そうです。ちなみにビジネスプラス人文でビジネス寄りが濃くなると今度ダイヤモンドっていう会社が出てきまして、逆に人文がもう少し強くなると早川書房っていう出版社が出てくるんで、本を探したいときはその3つから探すとビジネスプラス人文系の本が翻訳所から結構見つかると思います。
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確かに好みで言うとダイヤモンドだとビジネスに寄りすぎていて、早川書房は人文すぎて、本当に中間のそういう感じで言うと日経BPみたいな感じが一番相性がいいのかもしれないですね、自分の場合。
そういう相性とか好みが結構出版社、出版社というか出版社の中で出版する本を担当している編集者さんの好みとマッチするかしないかっていうのがあるわけですね、これ。
かなり前置きというか全然関係ない話ではあるんですけど。タイトルダーウィンエコノミーなんですけど、どういう本でしょうか。
すごい大雑把な紹介を一言で言うならば、一般的に経済学ってアダム・スミスっていう人が経済学の祖だ、父だって言われているんですけど、この人は100年後にはダーウィンこそが経済学の父だって言われるようになるって言っていて、
ダーウィンが言っている進化論みたいなものから経済というものについて考えられることがすごくいっぱいあるっていうような話を全体的にしている本ですね。
だからダーウィンっていう生物学者がいて、ダーウィンが経済学を唱えたっていうことを言いたいわけじゃなくて、ダーウィンの考え方が現在の経済を理解する上で非常に有用だということを言ってるってことですかね。
そうですね。本の中では結構ストレートにダーウィンこそが経済学の父だっていうふうに言い方をしてるんですけど、読み終わってもあんまりそうだとは思えてはいなくて、今言っていたダーウィンこそがダーウィンの進化論的な考え方でヒントというか役に立つことがいっぱいあるんだろうだっていうふうに僕は理解しております。
ちなみにチャールズ・ダーウィンっていうのは1800年代の人なんですよね。1800年から1800年後半に生きた人なんですね。で、種の起源っていう超有名な本がありまして、あれが1859年かなに出てるんですね。もう一つ経済学の父と呼ばれてるアダルト・スミスなんですけど、これが1700年代の人なんですよ。だからどこにでも経済学を唱えてるのはアダルト・スミスなんですけど。
そこはね、この人が言っているのはですね、進化論っていうのはトマス・マルサスさんっていう人だとかデビッド・リカードさんっていう人に影響を強く受けてるんですよね。で、この2人というのはアダム・スミスからの影響が大きい人なんですよ。で、アダム・スミスは経済学の父ではなくて経済学の祖祖父になるって言ってますこの人は。
なるほど。その言い方なら納得します。はい、それなら確かにそうかもしれません。
正直ダーウィン・エコノミーっていうのはインパクトのために言われたものだと僕も思うので、あんまりタイトルを気にせずに読んだ方がいいんじゃないかなと思っていて。
06:09
で、一番引きが強い話っていうのが、例えとしてアイスホッケーが出てきてるんですけど、アイスホッケーの選手はヘルメットをつけるっていうルールを全員がつけてほしい。
これはルールとして規制しないと全員が不幸になってしまうっていう研究があって、アイスホッケーってすごい危険なスポーツなので安全のために全員ガチガチの防具をつけるじゃないですか。
で、その中でヘルメットをつけない人っていうのがいたら、その人は視野が広がって音が聞こえやすくなって周りがよく見えるようになるので、仮に自分一人がヘルメットをつけていない場合は圧倒的に自分だけ有利になるんですよね。
ということは、ホッケーの選手は何もルールがなかったらみんなヘルメットを外そうとする。でもそれに従って全員がヘルメットをつけるということをやめてしまうと、今度は全員が何も有利じゃないのにただ危ないだけになってしまう。
これって、こういう場合に何らかの強制力を持って規制をしないと、全員が不幸なことになってしまうぞっていう。それがちょっとダーウィンの話が出てくるんですが、ダーウィンが研究した動物の進化についても結構同じことが言えていて。
例えば、クジャックの羽根って過剰に派手ででっかいじゃないですか。あの羽根って目的はメスの注目を引くために羽根がどんどん大きくなっていったんだけど、もうどんどん羽根が大きくてあれどう考えてもデカすぎでしょって客観的にも思うし、実際にあそこまで羽根がでかくなってしまったことで、敵から狙われる確率が高くなってしまう。
でも、クジャックの中で勝ち抜いて子孫を残そうとすると、どんどん羽根をでっかくしていって目立つようにしないといけない。クジャックの単体として見れば羽根をでかくした方がいいことは多いんだけど、クジャック全体で見たらあんまりでかくない方がいい。
アザラシが過剰にデカくなってしまっただとか、鹿が過剰に角がですね、なんか1.2メートルで18キロにもなる重さ18キロのアメリカアカシカっていう鹿もいるらしいんですけど、それもどう考えてももう過剰に種を残したいがために天敵に捕食される可能性が高まってしまった。
この最適と全体最適は同じではないっていうことがいっぱいあるので、それを規制しないと世の中全体は不幸になることがいっぱいあるぞっていうのが話の始まり。
なるほど。まあでも、いきなり反論しちゃったけど、クジャックは確かに生存競争で不利なぐらいまで派手になってますが、かといってクジャックって滅びてないわけで、なんとかいい程度まで収まっているとも言えるギリ?
09:21
そう。なので多分、それで言うとですね、もっと目立ちすぎる奴らは食われてしまって死んでしまって、限界まで大きくはなって均衡が取れたのがようやくそこなんですよ。でももっと種が繁栄するためにはきっとちっちゃい方がいい。
なるほど。だからクジャックが仮に文明を持ってたとしたら、ちょっともうこれ以上派手になるのはやめましょうっていう規制を設ければ、もっと省エネルギーで種が増えていく可能性が生まれるっていうことですね。
そうですね。それを世の中に、現在の社会にも当てはめるときっといいことがあるぞ。この人がリバタリアンがすごく嫌いで、政府というものをどんどんちっちゃくしろっていうのは間違っているって言っていて、政府がなぜ大事なのかだとか、リバタリアンの理論はなぜダメなのかっていうのがすごいいっぱい書かれているっていう感じで。
それはわかりますね。
例えば現代において同じように競争というものが過剰に激しくなってしまって、同じように不幸になっているっていうのがいっぱいあるっていう話をしていて。
例えば面接に向かう場合に、みんな面接では見た目が大事なので高いスーツを着て面接に臨むんですけど、みんながみんな高いスーツを着て面接に臨もうとすると、これも再現なく誰もがちょっと前までは2000ドルのスーツでよかったのに、最近はもう3000ドルのスーツを買わないといけない、4000ドルのスーツを買わないといけないっていうことになっていたりだとか。
富裕層の間でアメリカの誕生日パーティーというのも巨大化がどんどん進んでいて、最終的には高級ホテルの屋上を貸し切って参加者全員にiPodをプレゼントして芸能人何人も呼んでみたいな、どんどん無駄な消費というか過剰な消費がどんどんされるようになってきてしまっている。
これって結局そういうことにおいて幸せになれるというか、比較においては結局相対的に優位であるっていうことばっかりに力を入ってしまっていて、この相対的な関係、相対的な消費への過剰な投資っていうのをやめさせることがまず一つの解決策だと。
この人が結構派手な論理というか、この人が社会を一番良くするのは、類心的消費税というものを採用するのがきっと良いことだって言っていて。
12:06
類心的な消費税。
その世の中には地位罪と非地位罪というものが存在していて、我々の現在の社会では地位罪というものが多すぎて、非地位罪というのが少なすぎる。
ちなみに罪っていうのは罪っていう方じゃなくて、財産の罪ですね。
財産の罪ですね。だから例えば人よりも良い家を買いたいという意味で、家というものはもう地位罪であったりするし、逆に言えば美味しいものを食べたいという意味においては、食べるものも地位罪とも言えるかもしれない。
じゃあ非地位罪っていうのは例えば?
例えばなんですけど、職場を快適にするものっていうのは非地位罪だって言えたりだとか、あと貯蓄というものは非地位罪だって言ってるんですよね。
そこでもまたダーウィンが出てくるんですけど、ダーウィンの枠組みでの成功っていうのは遺伝子をちょっとでも残すこと。
ここに投資をすることで繁殖率が高まる。
要するに繁殖率が高まるようなものっていうのが地位罪としての価値が高いものだ。
この人が言ってるその累進的消費税っていうのは、累進所得税ではなくて、こういう地位罪としての性質が強いものに高い税率をかけて、地位罪としての性質が低いものには税金を低くすることで、世の中の調和を取りつつ、うまいこと全員が幸せになれるようになるだろうなって言ってるんですよ。
なるほど。ものすごくパターナリズムであることがわかりました。
ここまで話を聞いてパッと思ったのが、地位罪とか非地位罪に関するものとかっていうのは、実はこの第-1回で話したMODって出てきたドーパーミンと非ドーパーミンの話と実に対応するなと思って、
地位罪って相対的なものって実はドーパーミンを刺激するもんだろうなと強く感じたんですよね。
非地位罪っていうのは自分の居心地を良くするようなものっていうことで、非ドーパーミン的なものに多分、おそらく対応するんだろうなというのを感じたっていうのを今言ってたかっただけです。
実際、本をちょっと余談になるんですけど、本を一生懸命読めば読むほど、1個前の本と繋がることがめっちゃ多いんですよね。
これはやっぱり軽く読んでいたら、なかなか気づきづらいことで、本当に読みながらドーパーミンと同じようなことはめっちゃいっぱいあるなというふうに思ってます。
この本は目線を変えて、それをどうやって解決しようかっていうことを考えていたりだとか、それを例え話を使って、こういうことってこうだよね、今の地位罪だとか非地位罪っていう話を納得できるような論理をいっぱい説明しているっていうので、
15:19
すげー難しい例えとか、理解しようとするのに苦労する項目っていうのがめちゃめちゃ多くて、今の話を聞いただけで、多くの人は何言ってんじゃんこいつはっていうふうに思うだろうし。
実際に同じような人で、ロナルドコースさんっていう人がいて、ノベル経済学賞を取った社会コストの問題っていう論文がめっちゃすごいらしくて、そこで出てくる例え話っていうのも出てくるんですけど、1時間説明しても納得させられる自信がない。
3回、4回、5回ぐらい読んで、やっと言いたいことはちょっとわかった気がするって。実際、この論文自体も出された頃は非難豪豪誤解されまくり、はちゃめちゃに言われまくっているんだけど、最終的には経済学の論文で今でも最も多く引用されたものになっているっていうぐらいすごい話らしいんですけど、直感的に理解しがたいことが結構多かった。
ここまで聞いた話って2つの要素が多分あって、1つは、いわゆる史上原理主義とか史上史上主義。史上史上主義っておかしいな。史上原理主義っていう、史上さえあれば全ての物事の分配はうまくいくっていう考え方があって、それはあまりにもイノセントだろうっていう批判がまず主張としてあると思うんですよね。
その後に、じゃあどうしたらいいのかっていう話で、政府の規制を強めようみたいな、政府がいろいろコントロールできるようにしようっていう主張、この2段構えだと思うんですけど、前半は大いに納得できるんですけど、後半はちょっと行き過ぎかなという気はして、
例えば、誕生日パーティーですごいお金が浪費されている状況を消した方がいいっていうことが正しいとする論理はどこにあるんでしょうかね。そういうのを書いてました。
そこもちゃんとこの人は論理立てて話してはいます。それを納得できるかどうかとか、それを納得させるためにとてつもなく長くて難しい文章が書かれている。100%同意できるかって言われたら難しいんですけど、理解はできました。言っていることがこういうことを言おうとしているんだなっていうような。
大雑把に結論だけを言えば、やっぱりそうすることでコストが削減できて、その削減できたコストというのは結果的に自分たちの税金を減らすということになって帰ってくるので、無駄を減らして無駄なところに税金をかけてお金を取ることで、必要以上のお金を取らなくても良くなる。
18:15
お金をかけるべきところにちゃんとかけておけば、必要でないお金のかけ方をしなくても良くなる。お金をかけるべきところっていうのをどういう目線で捉えるかというと、地位罪にお金をかけろっていうことと、もう一つが有害な活動へ税金をかけろっていう言い方をしている。
このままだのまた難しい。ここでいう有害というのはどういう意味なんでしょうか。
一番わかりやすいのは、例えば工場が廃棄ガスを出していて、最近ってCO2の排出量に税金がかかるみたいな世界になってきてるじゃないですか。
そのやり方というのが一番わかりやすく理解がしやすい話かな。
公害発生源のガスに税金を払わせることで、社会全体が、これの場合は公害が減るっていう利益なので、直接的な金銭的なメリットかどうかって言われるとまた難しいんですけど、
社会全体が良くなるためには、一律でお前たち今から30%CO2の排出量を下げろっていう言い方というのはコストがかかりすぎてもったいなく。
そうではなくて、二酸化炭素排出権という税金のかけ方にして、これだけ二酸化炭素を排出したらこれだけ税金を納めなさいっていうルールにした方が、結果的に政府もコストがかからず、
社会もコストがかからず、全体的な二酸化炭素の排出量を減らすことができるって言ってるんですよ。
それは例えば会社によって公害が出やすいものというものは当然違うので、
iPhone作ってる会社がその二酸化炭素を減らそうとしているものと、テレビを作っている会社が二酸化炭素を減らそうとして、
どっちがどうとかっていうのはちょっと具体的にはわかんないんですけど、
どっちかが減らしやすいところが減らして減らしにくいところは金を払うっていう形にした方が、
一個一個お前たち一律でやれって言って無茶なことをするよりも税収も増えるし手間もかからない。
もう一個出てきたのが、取引コストっていう言葉。
全部を自分でやろうとする場合のハチャメチャな例え話で出てくるんですけど、
もしあなたが車を買いたい場合に、一個一個鉄鉱石を作っているところにまず交渉しに行って、
鉄鉱石屋さんから鉄鉱石をいくらで売ってくれっていう話をして、
じゃあその鉄鉱石を持って今度は鉄鉱に加工してもらって、
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エンジンを作っているところに行ってそういうことを一つ一つやるなんて取引コストが膨大になりすぎて、
現実的にそんなことは無理だと。
二酸化炭素を減らせみたいなやり方っていうのも、そういう取引コストが多くなりすぎるということが多い。
結果的に現状を考える取引コストを最も安く、なおかつ効果を上げられる方法っていうのが、
その排出券にお金をかけるというやり方だったんだっていう。
だからその点では、排出券のやり取りで結局それは市場の喪失というわけで、市場のメカニズムそのものを否定しているわけではないっていうことなんですよね。
そうですね。最初の例えで出てきたホッケー選手にヘルメットをつけさせた方が全員が幸せになる。
その目線でやりましょうっていう感じですかね。全てのことにおいて。
ただ現代の社会の流れとして、やっぱり政府が何らかの規制をつけたりだとか、ルールをつけようとするっていうのは、世間的な反発がめっちゃ多いじゃないですか。
そうですね。
だからそれがいかんことだっていうようなことをこの人は言っていて、そうじゃないんだぞっていうことをずっと言っているっていうイメージで。
そうですね。例えば工場が出す排気ガスとかCO2とかっていうのは分かりやすいじゃないですか。分かりやすい有害者じゃないですか。
それが例えば個人レベルの個人の行動にまで言及できるのかどうか気になりますね。
この人は結構どこまででもっていうか、そっちの方がいいみたいなことは言ってますね。個人レベルまででも。
そこまでいくと僕はちょっと同意しかない。
例えば誕生日ですごいお金を使って自分のあれを見せびらかすためにお金を消費することは個人の自由の範囲に入ると僕は思うんで。
それはめっちゃ分かります。一応俺は読んだのでこの人側の意見で言うと、やりたいのなら好きなようにやればいいけど、やってもいいからいっぱい税金払ってねっていう。
そこですよね。今タバコが1箱めちゃめちゃ高くなってますけど、これを個人の自由を損害しているのではないかっていう意見もあるわけで。
当然、税金を上げることによって例えば全体の社会保障費が下がる方がいいではないかっていうのがおそらく一つの意見なんですけど。
これはトレードオフの問題で個人の自由が削減されていることもほぼ間違いない話であって。
そこは俺が一番上手に説明できない難しい、危害原理っていう話があって。危害原理のルールをきっちり全部説明できるかよくわかんないんですけど。
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例として出てきたので、スポーツでドーピングってダメって言われてるじゃないですか。
あのドーピングをダメって何でなのかっていうのをどう説明するのかっていうのがあって。
それは危害原理という原理を使うことで説明できるって言っていて、俺的には一応理解はできたんですけど。
危害原理はあるですね。J.S. Millですね。
そうですね。すげえな。そんな知っているのすごいですね。
危害原理っていうのを書いてあったことで言うと、個人の自由を制限することが正当化されるのは、他者に不当な危害を与えるのを防ぐ、より穏当な手段がない場合に限られるという原理だと。
これはここまではごく自明ではないけど、社会を整理する上では必要な考え方ですね。
でも確かに文字だけ読んでも一回で理解できるかって結構すごい難しい話で。
それを踏まえた上で、何でドーピングがダメなのかっていうと、最初の相対的な価値で決まるっていうものとちょっと関連してくるんですけど。
例えば出てきたのが自転車だったんですけど、自転車の選手が収入って順位で決まるんですよね。極論の大雑把なことを言うと。
わかりやすく言えば、勝たないと金が手に入らないんですよ。
その中で一人ドーピングをした人がいると、単純な話で言えばその人が勝っちゃうでしょう。
それに対抗するためには負けそうなドーピングをしていないゴレゴさんというのは、自分の体が傷つく恐れを取ってドーピングをするのか、お金を諦めるしかなくなってしまう。
だからライバルのラシタさんがドーピングをするというのは、間接的にゴレゴさんにドーピングを強制しているのと同じだと言える。
それはわかります。
それって、ラシタさんがドーピングをすることでゴレゴさんに危害を加えていると言えるのではないか?
はい、わかります。
だからドーピングはしてはダメなんだっていう。
例えば、競輪とかの話でドーピングが禁止されるのが合理的なのは、競輪に参加しない自由があるからだと僕は思うんですよ。
いや、やったらそこから抜けられる。
国である以上、そこに住む人はそのルールに絶対に従わなければならないじゃないですか。
そうすると、タバコを危険でも吸いたい人の権利っていうのは、果たして根本的に剥奪されていいのだろうかと思うわけです。
この人が言っていて、出てきた話で言うと、そう思う人も自らの意思でそこにいることになるって言ってます。
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試行実験をしてみて、経済というか社会を成り立たせるためには一定以上の人口が存在していないと、結局効率が悪すぎて専門性が高まらず、社会全体での生産性というものは上がらない。
なので結局できるだけ人が多い社会に加入しておいた方が得が多い。
リバタリアだけで集まってしまうと、そのリバタリアだけの社会というのは非常に小さいものになってしまって、全体的なメリットとしては大きな社会に入っておいて、結局合理的に考えるとそっちの方が得になるからそうするしかないっていうようなことを言っていました。
はい、なるほど。それは説得されますね。確かにその通りですね。
だから、自由を奪われているのはある意味では正しいというかそうなんだけど、それでもお前は得だからこっちを選んでいるはずだっていう言い方をしてるんですよね。
なるほどね。はい、わかります。なるほど。
そうじゃない社会を選んで、俺は自由にタバコがどこでも吸える方がいいんだっていうことにすると、そこだけでは得するかもしれないけど結果的に損をしてしまいますよっていう感じなのかな、この人が言っている。
それでなお僕は損することを選択できる自由というか、愚公権、愚かな行いをする権利とか、愚公権も最低限維持される社会であってほしいとは思います。
全体の効率化を失って、なお僕は個人の自由が保障されてほしいと思う派ですけど、著者はそうではないですね。
全体の社会的なコストが最適に使われる社会の方が望ましいということなんですね。
でも例えば解決策っていうか、こういうことが効率よく有害な活動に課税してこんなふうにうまくいった事例があるぞって言っていて、
一番面白いなと思ったのが、ヘルメットって日本国の場合、バイク乗ってたら絶対ヘルメットしないといけないじゃないですか。
これに関しても全員にヘルメットをつけさせるのは何でいいことかみたいなことがいっぱい書いてあったりだとか、長々といっぱいあるんですが、
その中でのみんなが幸せになれるであろう案っていうのは結構面白くて、
例えば年間300ドルで陸運局からステッカーを買って、そのステッカーをバイクに貼っておくとバイクのヘルメットの義務化は免除される。
そういうような仕組みを作ることで、バイクを乗る時にヘルメットなんてつけたくないっていう人はお金を払うことで具貢献ですよね、まさにさっき言っていた。
ヘルメットをつけずにバイクを乗る権利というものは手にできて、社会的にはその人が300ドル余分にお金を払ってくれるので、みんなも結構得をする。
30:04
なので読んでいて全体的に思ったのが、この人の意見に同意できるか同意できないかというのは置いておいて、
こういう面白い解決案というものがこれからいっぱい出てくるんじゃないかなとか、なんか面白い解決案をもっといっぱい知りたいよなっていうのは思ったんですよね。
それは確かに。だからその根本的な話で、自由市場に任せておければ全てOKっていうのはもうさすがに古すぎる考え方であるのは間違いなくて、
特に政府とかで選択と集中みたいなあれももうまるっきり嘘で、新しい枠組みで特に人間の不合理性を踏まえた上での枠組みを作り直す必要は多分あるでしょうね、きっと。
例えばなんですけど、その出てきた事例でへーって思ったのがロンドン、イギリスロンドンって渋滞税っていう仕組みがもう作られてるらしいんですよね。
ロンドンに平日車で入ろうとすると14ドルお金が取られるっていうルールを設けたことによって交通量は3分の1ぐらいに減って、
バスの運行時間っていうのが半分になってCO2の排出量っていうのも20%減少した。
もちろんそれによって損をした人はいるんだけど、全体としては話だけ聞くと感覚的にもそれは大変いいことだなっていうふうに思えるし、
こういうことをいっぱいやっていくことで上手に規制をして幸せになれて税収が増えるということがやれるんじゃないか。
これもニューヨークでやろうとしたらめっちゃ反対されてダメだったらしいんですよ。
お金を持っていない人がニューヨークに車で行けなくなってしまうじゃないか。弱者へのいじめだっていうような言い方をしていて。
例えばの解決策というので、お金を持っていない人に年間10枚ずつそのニューヨーク無料侵入チケットというものを配布することでうまく解決できるんじゃないみたいなアイデアが出てきたりだとか。
それはわかりますね。
イギリスないしヨーロッパがその施策に賛同しやすくアメリカ特にニューヨークが反対しやすいのは非常によくわかりますね。
ゴリゴさんが言って少しの人が損するかもしれないけど、その少しの人たちのことを忘れないというか見逃さないのが結局ニューヨークが主張する自由さなんですよね。
そういう人たちがもしちょっとでも損するのであれば全体の最適を取るのは間違ってるっていう自由主義なんですよね。
あとそれの話でちょっと思ったところで言うと、現段階では今までの歴史で言うとやっぱりヨーロッパよりもアメリカの方がうまくいってる感じはするんですよね。
33:05
あとはここから50年何十年か経った場合にアメリカ的なシステムの方がうまくいくのか、ヨーロッパ的なシステムの方がうまくいくのかっていうのはちょっと見物で期待できる面白いところだなとも思ったりして。
でもアメリカ的なのも例えばサブプライムローの爆発とか、こういうとちょっとあれですけど、某大統領が選挙で勝ってしまうとかあるわけで。
だからやっぱり行き過ぎた自由主義っていうものの弊害っていうのが当然あって、自由な活動に任せておけばうまくいくっていうのもやっぱりこれ違うんですよね。
かといってやっぱりさっき言ったように、例えば二酸化炭素を減らそうっていうのはおおむね人類8割ぐらいはたぶん納得してくれる話だと思うんですよ、きっと。
で、バイクで転ぶっていうのもそれも生命の危機があるからおおむね納得できると思うんですけど、飲酒とかタバコになってくると少し距離があって。
で、例えばその被害原因でいうところの他人に不当な被害って、その被害って何やねんって話になってきて。
そう、そこがまだやっぱりたぶんこの人もきっちり言えてないし解決できてないと思います。そこは数値化するしか現状では解決策が見つかっていなくて、現在数値化ができるものではないと思う。
死ぬとか死なへんとかっていうのはわかりやすくデータが統計取れますけど、例えばタバコの副流炎の健康被害はもう統計しかないし、しかも実証できないものじゃないですか。
もっと言うと、あのアニメの絵は私に不快な精神的な危害を与えたとか言い出したら、これもっとややこしいことになってきて。
かわいいアニメを描くための権利を300ドルで買わなければならないということになってくると、これは果たして本当に幸せな社会なんだろうかっていうことは気になりますよね。
この人が言うのはその辺も数値でできるし、さっきの人を嫌な気持ちにさせるのもコストの面で見ると表現の自由があった方が社会全体のコストは低いっていうことは言ってましたね。
それも原点を読んでないんですけど、タバコの研究で言うと、タバコ税が高い国ほど喫煙者が幸福だっていう研究はあるらしいです。研究結果というものは。
それはでも多分あれですよね。認知的不協和の解消というやつだと僕は思うんですけど、高いものを買ってるから幸せに感じているというブランド貧困があると僕は思いますが。
この人が言っていた感じで言うと、やめたいけどやめれなくて、要するに人はダメだっていう、人は意思ではどうにかできないって同じような話に基づく話なんですけど、やめたいと思ってもなかなかやめれずに続けてしまっている人が結構いて、
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タバコ税が超高くなったら渋々諦めることで、タバコ税が高い国というのはそれでも俺はタバコを吸うんだっていう強い意思を持っている人しかいないから、幸福なんじゃないかっていう感じのことを言っていた。
なるほどね。いや、それも確かに理屈。しかも全くもって正しい話で、おそらく10月にタバコ値上がりしましたけど、おそらくそれでやめた人もまたいるでしょうね。それは間違いなく。
この人が考えているのは全般的にそういうことで、人間は結構ダメなんだから、ある程度規制でダメなところを人類全体を守ってあげないといけないよねみたいに考えている印象は強いです。
だから激しくパターナーリズムですよね。パターナーリズムかつ市場をうまく使おう主義という、わりかし新しい感じ。
これでカリフォルニアの渋滞税だとか、重量税みたいな話とかも出てきていて、ちょうど最近よく聞く話で、サンフランシスコってもう家賃とんでもなく値上がりしてやばいことになっていて、結構二極化も進みつつあり、
さらにサンフランシスコはアメリカでも有数の渋滞で超やばい世界になってるらしいんですよね。
さらにもうすぐ新しく作る車は電気自動車しか作れないっていうルールがあって、ある意味自由主義の一番言ってるところの一つがサンフランシスコとかカリフォルニア州とかじゃないですか。
その辺っていうのが確かに言われている通り、この人が言っているダメな例みたいなことが見事に歩んでいるような印象はあって。
車にしても自由にそういうふうにしてしまって、変に電気自動車しかダメっていう規制をするよりも、この人が言う解決案だと古い車に乗っている人にお金を渡して、新しい中古車に買い替えさせればコストは安く、排ガスの排出量を圧倒的に抑えられるって言ってるんですよね。
なるほど、そうでしょうね、きっと。
今のカリフォルニアの見てはいないので聞いた話なんですけど、聞いた話の印象から受けると、やっぱり耳を傾けるべき話は結構あるのかなとは思って。
もちろん、実行に移すかどうかは別にして、施策のあり方を考える上では非常に役立つ考え方でしょうね。累進消費税は多分、何らかの形で導入されていくんじゃないかなと個人的には思いますけども。
39:03
読書メモを拝見して気になった話があったんですけど、間接的な危害っていうのが出てきまして、これ全体の読書メモの中でわりかし新しい話だなと思ったんですけども。
読書メモから読ませていただきますが、危害原理に関した意味があるなら間接的な危害にも考慮されるべき。これは計測が困難なので混乱が生じやすいと書いてあるんですよね。
計測が困難って、つまり間接的ですから、直接的でないんで、その効果がわかりづらい。危害をこう思っていることが見えづらいっていうことですね、要するに。
だから、みんなが高いスーツを着てると、みんなが高いスーツを着てるから、高いスーツを着てるということすらもうほとんどわからなくなってしまうんですよね、きっと。
そういう見えないコスト、見えないコストに気をつけるという話は、わりかしあるんですよね。
それが結局競争が必ずしも良くないっていう言い方が多分大切なのですが、必ずしも良くないっていう話と結びついてきて、ブログとかでも、SEOが得意なテンプレートみたいな話がよくあるじゃないですか。
そうか、みんなが結局幸せになってしまう。
結局、そうすることによって、まずどこのブログも同じデザインのものが出来上がりつつ、検索結果も何これみたいなことになるわけですよね。
これも競争の結果ですよね。かといって、それを規制した方がいいっていうことなんでしょうけども、おそらくは。
コモンズの悲劇っていう言葉で出てきていて、この人が言うには、そこはやっぱりインセンティブを減らしてやるしかなくて、国家がやれるインセンティブを減らすことってやっぱり課税するってことなんだよねっていう。
これはだから、Googleをどうにかせってことなんですかね、この場合の解決策としては。Googleの広告に課税すべきなんですかね。
なんかやっぱGoogleのライバルになる検索エンジンが今いないことが、解決策ではないんですけど、原因ですよね。
競争になってないから好き勝手できてしまうし、ウェブで読まれるための方法論がSEOしかないから、そこで過度な競争が起こってしまうわけですね。
その手の業界の話で言うと、Google以外の検索エンジンが使われていなく、言ってみれば今だと流入源SNSが大半になったとかそういう変化はあるので、Googleの重要性自体は薄れているけれども、
42:07
検索というものに関してはもうライバルがいないと無理ですよね。
競争がない代わりにその内側で激しい競争が起こってしまうに違いないということか。そうか。
だから単純な競争原理ってまずいんですよね。だいたい終わりがないし、個々人も過大な苦労をする上に大した収益が見込めない上に、それを利用する人もきっと楽しくない。
で、嬉しいのはGoogleだけっていう。ダービンエコノミーというタイトルを聞いて、経済学の話なんだろうなと思ってたんですけど、ちょっと事前に予想してたのとは違う本でしたね。
俺も読んでみたらそうでしたね。最初のつかみの知ってるのは要するにアメフトの話を聞いて読んだんですよね。そしたら結構違ったなっていう。そこからこういう話になって割と社会と規制と税金の話になるんだっていう。
そうそうそうそう。ダーウィン、アイスホッケーの例で言うと、個人が自由勝手に生きままに振る舞うと結局損するよっていうのはみんな頷ける話じゃないですか。
で、ダーウィンじゃないですか。ダーウィンって言うと自然淘汰っていうか、変異と自然淘汰っていうものによって種は進化してきたっていう話なんですよね。そこには規制ってないわけじゃないですか。
そう、規制がないですね。で、人類がこうまで来たわけじゃないですか。だから僕はそういう話になるのかなと思ったんですよ。
やっぱダーウィンエコノミーというタイトルはよくわかんないんですよ。なんでなのか。
一応概要欄を見て、概要に書いてあったことを見て、改めて見たら一応理解できるかなと思ったんですけど、このダーウィンが観察した結果として、やっぱ個々の利益と種としての利益は対立している。
で、このダーウィンの観察が、この視点で経済を見てみようっていうニュアンスなのかなっていう。
だからそこの出発点、観察力はダーウィンやけど、解決策はダーウィンとは限らない。
この人は何冊か本書いてあって、ちょっとタイトルとか簡単な内容だけ調べたんですけど、言ってることはずっと一貫して、やっぱ政府による規制が重要だっていうことをずっと言っていて、
その切り口としてダーウィンの観察眼というものを選んだだけという言い方はあれだけど、なのかなっていうのは、今改めて話して分かった感じがします。
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なるほど。そうするとちょっとスッキリしますね。
いわゆるアダム・スミスがスタートしている神の見えざる手、見えざる手って言うんですけどがあって、市場の中で上側統一的な計画を持たなくても、個々人が利己的に利益を追求していけば、
なぜか仕事ないけど全体の整合化あるいは資源の適正な分配が行われると主張したのがアダム・スミス。
超天才ですよね。
それをもとに経済学っていうのが発展してきたんですけど、ある時点から、そうは言っても例えば不況が起こったりとか、
労働者が仕事に就けない状況が現実としてあるじゃないかっていう反論が出てきて、新たに組み立て直されてきている最中なんですよね。
行動経済学が流行って、それだけじゃないよねっていうのが分かってきたっていう感じですよね。
経済学でさらに重要な人物で、ケインズっていう人がいて、ケインズ政策っていう、不況な時に公共授業をしたら経済が復活するよっていうことを言った人なんですよ、ざっくり言うと。
だから政府の慣用的なものが必要だって言い始めた人なんですよね、ケインズさんって。
だからそこの流れには沿ってるんですよね、その人の主張っていうのは。それをさらに強めてる感じ。
そうですね、見方としてはやっぱりアダム・スミスの足りないところをもう一段階補うとしているっていう感じですかね。
その補い方が人それぞれに多分違ってて、
すでにジョージ・アカルフっていうノーベル経済学者を取った人がいて、そのままのタイトルで不道徳な見えざる手っていう本を書いてるんですよね。
だから見えざる手の調整って実は観点ではなくて、不道徳性が混じり込むっていう話。
この本も実は結構面白いんですよ。経済学が見通せてない不合理性があるんですよね。
特にいわゆる黒いビジネスと白いビジネスの狭間にあるグレーなビジネスって効率が高いんですよね。
さっき言った一人だけドーピングするのがもうかな、簡単に言うと。
だからどうせ人は黒は絶対にやらないんですよ。白とグレーがあった時についグレーに流れてしまうことがあるっていうことを言ってあるんですけど。
それは確かにその通りなんだけど、それは結局経済学のこれまでの理論では扱えないんですよね。
だってグレーに集まってしまうと市場が崩壊してしまうわけで、結局。
まあやっぱそうですね。新しい何かがいる感じはしますよね。そのままでは。
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たぶんアカルフさんで一番有名なのはアニマルスピリットって本なんだけど。
行動経済学に通じる話で、人間って動物的な感じ、感覚、精神によっても行動してると。
経済学のもともとって、全て合理的に行動した結果市場がうまくいくっていう話だけども、
人間って感情的にも行動するし、そこを加味しないと見えてこないよねっていう話なんですよ。
だからその流れにありつつ、アニマルスピリット的なものをいかに抑えて全体の合理性にたどり着くかと、
この著者はたぶんおっしゃりたいんだろうなとは思うんですけども、
それが果たして政府による規制だけなのかなと僕は思うんですよね。
なんか他にもあるんじゃないかなとは考えたいところですね。
なんだかの手段はいる。なんだかの手段はいるんですけど、
それが例えば規制という形を取らなくても、新しいルールの提案っていうことはできないのかなと思うんですよ。
行動経済学の実験で、イスラエルやったかな、幼稚園の実験が有名なんですけど。
バッキン払えるやつですよね。
そうそう。あまりにもお迎え時間に迎えに来ない保護者が多いんで、
お迎え時間を過ぎたらバッキンを払ってもらいますって制度にしたら、
お迎えに来る時間がさらに遅れる人が増えたっていう話で。
これはルール、インセンティブですね。
インセンティブの設計の変更によって人の倫理観が変わったっていう話なんですね。
倫理観が経済的損失とか経済的計算に置き換わってしまったっていう例なんですね。
で、これの面白いとこはルールを戻しても人の行動はなかなか戻らなかったってことなんですね。
そう、あれはね、あの話はね、暗い未来しか見えなかった。
でも逆のことも言えるはずなんですよね。
もともとあったものを別のものに置き換えることによって、
人の認知行動が変わるっていうことはプラス方面にも使えるはずなんですよ。
それは規制の形を取らなくても済むと、個人的には思うんですよね。
この人の立場に立って考えてみると、
結局そういうルールを一番低コストで作ることができるのが政府だって考えてるんじゃないかなっていう
全体、取引コストですよね、まずは。
ただやっぱりその一番の懸念は、政府が間違えない可能性がゼロではないというところなんですよね。
僕が思うには。
もうそこはね、間違えるのは間違いないですからね。
だからボトムアップでいろいろやって、少しずつうまくいったものを広げていくほうが、
その取引コストそのものは上がるかもしれないですけど、
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決定的なミスを避けられるっていう、もっと大きいコストの削減になるんではないかなと個人的には思いますね。
そこはあれじゃないですかね。
やっぱりリスクとリターンのバランスで、この人が考える場合はやっぱりリスクが、
政府の場合のリスクというよりもコストがかからないことを重要視しているんだろうなっていう。
そうでしょうね。
だから例えばアメリカだったら州レベルで規制を始めて、
うまくいったらその合衆国全体とか日本でいうと都道府県レベルで始めてみてって言うんであればいいんですけど、
日本国政府が一気にっていう話だと僕は大いに反対したいですね。
そうやって考えるとちょっと違う話なんですけど、
アメリカが合衆国であるっていうことは今の反映とつながっているのかもしれないですね。
だからうまくいくルールを見つけやすいですね。
各州が結構権力強くて好きなことをやっていて、
その中でうまくいったものだけみんなで取り入れていて、
ちっちゃいところからのテストができている。
そういうのはプログラマーと似た思考なんですけど、
逆に当然リスクじゃないなどういったコストがあって、
例えばマスクをつけなくても大丈夫な州とつけなければならない州っていうのが現状あるわけで。
あそこはもう問題だらけですよね。
だからその統治コストが高なってしまう反面、
さっき言ったうまくいくのを見つけやすいっていうトレード風があるんですよね。
日本の場合はむしろその統治コストの方が安くなっているんですけど、
実験がしにくいっていう環境もあって、
どちらがいいかっていうのは言えないんですけど、
個人的にはいろいろ実験できた方が失敗しやすい方がいいですよね。
だから逆に言うと。
問題提起そのものは非常に面白いけど、
解決に至る一人が僕には結構同意できれば、
僕はリバタリアン4なんでどっちかっていうと。
俺はだいぶリバタリアンだと思っていたんだけど、
読んでちょっと考えさせられたなって思いましたね。
何もかも結構原理主義まで言わないんだけど、
リバタリアンの方が正しいに決まっていると思っていたけど、
そうとは言い切れないということは分かったっていう感じで。
なるほど、確かに。
それはその通り。リバタリアン自身にも問題が書いてある。
心に落ちたのはリバタリアンだけで集まると規模が小さくなるっていうのは、
これまさにその通りで。
言ったら1割もいないでしょ、たぶん。人類で言ったら。
リバタリアンって自由を尊重する人たちなんで、
そもそもグループっていう考え方が合わないんですよね。
例えばですけど、インターネッツの世界を見たところ、
リバタリアンな人ってやっぱり孤立してるんですよね、当たり前ですけど。
それよりもサロン作ってウェイの人たちの方が数の規模が大きいんですよね。
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盛り上がってるし、経済は回ってるんですよね、そこで実際に。
言論的な力強さでもやっぱりそっちの方が弱いんですね。リバタリアンの方が弱いんですよね。
それはその弱さを考えるときにリバタリアンが自分の考えが正しいと信じてたら、
その弱さはやっぱり権威をつけた方がいいことなんですよね。
ただ正しいことを言ってるけど力弱いでは多分ダメで。
妥協してグループを組まないと、自分が思う社会で結局できなくなってしまうっていう。
ということは多分、通定してる話。
そこでは自分の持ってる自由っていうのは多少抑えても、
何かしらのパワーを得るトレードとして提供しなければならないんだろうなと思いましたね。
その視点は確かにそうだなと思いました。
なんかね、そこはね、すげえいっぱいいろんなサンプルがあってね。
それも長くて難しくてね、パッと説明できないんですよ。
なぜリバタリアンが結局いいのかっていう。
納得できるかどうかさておき、面白い話ではありました。
個人的なあらゆるものにも個人の自由が重要だと考えてるんで、
あらゆるコストを払っても自由の方が大切と考えるんで、
その職者の政府の規制を強めるべきだという意見そのものには反対しますけど、
個々の政策において提案されてることは、まあなるほどなと結構思いますね。
なんかね、この面白い解決策はね、やっぱ良かったですね。
気候変動の話にしても。
あとアメリカがもう一個あったもので、
無料の電話番号案内を0.1ドル課金するって言ったら、
アメリカ中ですっげえ非難されてふざけんなよっていう風に言われたんだけど、
皆さん毎月0.3ドル値引きしますって言ったら、みんな納得した。
それこそ行動経済学の上手い使い方ですよね。
飛行機のオーバーブッキングがあった場合に、
昔って早く着いた人が遅かった人は飛行機に乗れないっていう仕組みだったのが、
今は100ドルの金券あげるから誰か降りてくれませんかって、
200ドルにします、300ドルにしますっていうオークションシステムが今当たり前になってきて、
それによってやっぱりみんなが幸せになれるようになった。
これなら降りるって納得をして降りることができるようになったっていう、
そういう良い事例は結構あって、
そのあたりはやっぱり自分の興味と重なるとこですね。
ちょこっとだけ後でここを聞いてもらってもいいので、ちょこっとだけ言うと、
アダム・スミスって国富論っていうのが経済学の出発点と言われている本なんですけど、
もう一個道徳感情論という本も書いてまして、
これは倫理学の本なんです。
人間の行動の中にその共感っていうものがあると。
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共感っていう他人に共感する気持ちっていうのがその道徳のベースになっている話なんですよね。
で、古典的な経済学っていうのは国富論だけをいわば原点として読んできたんですね。
で、市場主義というか市場法人主義かな。
ほっとけばうまくいくみたいな。
反映をすればするほど悪くなるっていう考え方なんですけど、
それって個々のプレイヤーが自分の最善を考えた時に全体として昭和がうまくいくっていう話なんですけど、
この国富論をちゃんと読めばね。
で、個々の人が自分の利益について考えるっていうことは、
実は自分の金銭的利益を最大化するっていうことだけじゃないはずなんですよね。
金銭だけで測れないっていう。
で、そこにもう1個の道徳感情論っていうのを持ってくると、
例えば人間にもってその共感っていうものが個人の利益を考える。
利益っていうか行動。利益というのか。
利益を考える上でその共感っていうのも実は入ってるんではないかっていう見方をしたら、
市場の見え方も多分変わってくるんですよね。
別に金銭を最大化しようと思ってるわけではないはずなんで。
うちのそういうプレイヤーもいますけど。
で、金銭を最大化しようって思ってるプレイヤーだけで回ってるって規定してルールを作ると、
当然そういう人たちばっかりが集まってくるんで、
破綻するんではないかと思うんですよ、個人的には。
だから規制というよりはその個人の感情的なものをよりエンハンスするような仕組みがあれば、
市場経済っていうのも今と違った形に回るんではないかと。
だから株価だけを評価するとかというのは誤った方向に進んでると思うんですよ。
それは一番身近な例で言うと、PV市場過ぎにするとブログが壊れるっていうのと、
多分通停してることだと思うんですよ、きっと。
だからそこの新しい、ブログの面白いって言ってもらえてる、面白いと思ってもらえてるっていうのは、
数値化できるって言う人もいるでしょうけど、僕はできないんじゃないかなと思うんですよね。
できるかな、できんかな、できるか。数値化。
例えば長い時間見てるとか、何度も同じサイトを訪れてるということで、議事的に数値化はできるかもしれないですけど、
どれだけその人の心に刺さっているかはさすがに無理じゃないかなと思うんですよね。
まあそうか、それで言うと幸福度というものがまず数値化できるかどうかっていうところですからね。
第マイナス1回の話を引きつけると、数値って抽象的なものじゃないですか。
抽象的っていうのは基本的にドパミンなんですよね。
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非ドパミン的なものってやっぱり数値で表せない何かを、
その行為の実践者、市場に参加しているプレイヤーにフィードバックする仕組みっていうのがあれば、
人は数字を追いかけるだけじゃないプレイヤーに変身するのではないかっていうのをちょっと最近考えてて、
そういうことがこの本に書かれてるのかなと思ったらちょっと違うかったっていう話なんですけど。
違った。やっぱ改めて言うけど、面白かったと思うけど、思ったものとは違った。
それはもう本当俺もそうです。
最後までどうなるのかなどうなるのかなってすっげえ難しいところを頑張って最後まで読んだのに、
最初の方に言ってたことと何も変わってねえっていう。
でもそういう本読書の体験は結構大切ですね。
まあでも難しかったですね。全部理解しようとするのは。
結構ガリガリの経済学の本、経済の内容に踏み込んでる本で結構難しいですよね、これは。
逆に言うとやっぱりポッドキャストで話そうと思ったから読めたという意味もあって、
このシステムはなかなかよくできたシステムだなっていう、自らに締め切り効果をつけて、
この日までに読んで語れるようにしないといけない。
これも不思議なのが、タバコの値上げによってやめるっていうのとちょっと似てるんですけど、
ある種の外からの規制によって自分の自由の行動が変わってしまうというこの不思議さがあるんですよね、人間って。
まあやっぱり怠惰なところを解決、解決っていう言い方は違うか、怠惰を減らすためにこのシステムは良いですね。
なかなかこれはね、締め切りなかったら多分やめてた。
まあそうでしょうね、締め切り効果というか、自分以外の外部性、大橋さんやったら多立性というか、を導入するっていうのは良いんですよね。
だから、怠惰に任せるっていうのが要するに自由本人主義と多分似てて、あんまり良いことにはならない。
結局ね、怠惰であることは幸福ではないんじゃないかっていうのはずっと思っていることなので、
それを不幸にならない範囲で怠惰を立することができる仕組みがあるならば、まあ俺は乗っかりたいなだから。
まあやっぱり振り返ると、じゃあこの著者にちょっと近いニュアンスはやっぱりあるのかもしれないですね、自分の場合。
だからキーワードとしてはナッジっていう高等経済学のキーワードがあって、
ナッジはリバタリアンパターナーリズムと言われていて、その両方のハイブリッド的な言い方をされるんですけど、
どちらかというとパターナーリズムを受け入れる。
リバタリアンは重要やけど、人間って完全じゃない部分、完全じゃない、愚かだから愚かな部分を補う、
何か制度的なものを作った方がいいっていうのがナッジの考え方のベースになってて、
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僕も割合そっち方向は許容しますけど、まあ難しいですね。
ラフサさんはだいぶリバタリアリズムはデカいですよね、俺よりは強い感じがする。
何が良いか何が悪いかを他者に決められてしまうことになってしまうんで、自分で自分をリフする場合はいいんですよ、さっきみたいなように。
本を読みたいっていう自分の欲望と怠けたいっていう自分の怠惰さを戦わせて片方を勝たせるっていうのは、
僕が考える自由の中にあるんですけど、何が悪い有害かを自分以外の人間が決めることは自由じゃないと僕は思うんで、そこの線引きですね。
だから個人の生活の規範性まで政府が口出すようになると僕はさすがにそれはNOと言いますけど、ある程度のナッジは許容するっていうところですね。
結局そうですよね、片方に極振りしてしまっては社会生活できそうですからね。
結局はその中のバランスを取るっていうのは絶対できるんですよね。これもMODの話で言うと、両方をうまく使う。
ドーパミンとドーパミンじゃないものを両方うまく使うっていうことが多分重要で、市場芸に過ぎて結局思考方向に近いですからね。
そうですね、ドーパミンの話からの繋がるところで言うと、やっぱり一番考えるべきことで役に立ちそうだなって思ったのは、地位罪と非地位罪。
お金を使う時に、これは果たして地位罪的性質が強いものなのかどうなのかっていうことを考えてお金を使うっていうのは、割と自分的に幸福に繋がりやすい考え方なのではないかなっていう。
確かに。地位罪的なものはドーパミンは公用させるけど、終わった後に何も残らない可能性が高いですよね。
悩んだ時にその視点というのは結構いいんじゃないかなっていう、最後にいい話っぽいのが出せていいんじゃないですかね。
そうですね、いい感じにまとまって、このポドキャストを続けてやっていくと、いろいろ厚みが増していきそうな予感がしてきましたけども。
ということで、ブックカタリスト、感想や質問などがあれば、ハッシュタグ、カタカナでブックカタリストをつけてツイッターにつぶやいていただけるとありがたいです。
今後2週間に1回のペースでの更新を考えております。
次回の更新も楽しみにお待ちいただければありがたいです。ありがとうございました。
ありがとうございます。
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