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2025-01-28 21:55

#171 災害ボランティア経験談(東日本大震災・陸前高田)

東日本大震災において、陸前高田市に災害ボランティアに行ったときのお話です。

その当時に書いたブログはこちら↓


http://synamon47.blog52.fc2.com/blog-entry-9.html

サマリー

ポッドキャストでは、ヤモリンさんが東日本大震災でのボランティア経験を通じて、文系から建設業界に進むきっかけについて話しています。陸前高田市でのボランティア活動の様子や、重機の重要性、ボランティアセンターの役割についても詳しく紹介されています。このエピソードでは、陸前高田でのボランティア活動に必要な準備や注意点について語られており、特に参加者が持参すべき道具や宿泊施設の情報、ボランティアの心得について詳細に説明されています。

ヤモリンさんの背景
建コンのあれこれの建コンのアレです。このポッドキャスト番組は、建設コンサルタントという、わかりにくく、つかみにくい業界について、あれこれ、お話をしていく番組でございます。
先日の建コンレイディオさんという、建コン協会若手の会の方々がやっているポッドキャスト番組がありまして、そこにヤモリンさんという建コンの方を取り上げるというか、ゲストとして呼んでお話を聞く会がアップされていました。
ヤモリンさんというのは、もともと大学で文系経営学、経済学を学んで、その後に建設業の現場監督を何年かやって、その後建コンに転職をして、建コンの企業から今、つい最近のようですけど、つい最近、3Dプリンターを作る会社に転職をしたという、
文系から現場監督をやって、現場監督の後建コン、そして今、3Dプリンターの会社という異色の経歴というか、特徴的な経歴の方で、どういうふうにその時々で思いを持って転職したのかって話をしている会があるんですけど、皆さんぜひ聞いてみてください。
それで、そのヤモリンさんが文系から建設業界に飛び込んだと、大学を卒業して最初の就職が建設業界だったということのきっかけは、東日本大震災の陸前高田市でのボランティアの経験がきっかけだったというふうにお話ししていてですね、
実は私も陸前高田に2度ほどボランティアに行ってまして、3泊4日かける2回ぐらいボランティアに行ってましてですね、懐かしいなぁ、そうか、あれをきっかけに土木の世界にね、文系から土木の世界に飛び込んだ人がいるのか確かにわかるなぁとちょっと思ってですね、それでちょっとボランティアの話をしてみたいと思います。
皆さんご存知の通り、東日本大震災というのは2011年の3月11日に発生しまして、私はその2011年のお盆と、それから翌年2012年のゴールデンウィークにボランティアに行きました。
1年以上経ったね、2012年の時点でも、あの街は本当に、あの全然復興がスタートしているとも言えないぐらいの状況でボランティアとしてやることはたくさんあったんですけど、1年以上経ってボランティアの参加者は減っているみたいな話を聞いてですね、ゴールデンウィーク時間もあるし行ってみようと思って、2回目のボランティアに行きましたけど、
インパクトとしてやっぱり最初に行った、その発生したその年2011年のお盆に行った時のインパクトがやっぱり強烈だったですね。
大事な背景として、当時スマホというものがほとんど普及してなかったんですよ。
私は持ってたかもしれないです。iPhoneのすごい初期のやつ。だけどそんななんか地図アプリとかもあんまり充実してなかった。
アップルの地図アプリあったけどね、あんまり当てにならないような状況で、情報がないんですよね。みんな持ってないから現地の情報が全然ないっていうのが印象的でしたね。
その中でいろいろインターネットでパソコンで情報を集めて、どんな風に行けば現地に行くことができるかっていうね、移動手段とかもいろいろ調べてなんとか行くことができたっていう感じでしたね。
当時私は車を持ってなかったんで、車持ってる人が自分の車で行くのが一番いいんですけどね。現地の何かに頼る必要ないんで。活動にも必ず必要なんだよね。
なんですけど私は車持ってなくて、2011年に行った時にはネットの情報を頼りにして電車とバスで行きましたね。
市の席からバスに乗って陸前高田に行ったのかな。
陸前高田ドライビングスクールっていうバス停があって、そのバス停も震災の前のバス停の位置からずらした場所にあったんだと思うんだけど、そこで降りて、そこからまた路線バスに乗り換えて行くみたいなそんなことでしたね。
実際にボランティアで行った活動は、被災した住宅の解体、バールで釘抜いて木造の建物の壁を剥がして断裂剤を引っ込ませてみたいなそういう解体作業とか、
速攻に溜まった泥を掻き出す作業とか、海岸に打ち上げられた松の木をゴロゴロ転がして移動するっていう作業があって、あれは一体なんだったのかちょっとよく覚えてないんだけど。
多分あれをチェーンソーでバラバラにする係の人がいたんで、なんか燃料、薪のような燃料にするためだったのかな。ちょっとわかんないけど。でもあれもね、海、潮に濡れてたけど、あれ火つくのかな。
なんかそんな作業とか、あと竹林竹を伐採する作業とか。2年目に行った時にはですね、かきのいかだを組み立てるっていうのがありましてね。養殖用のかきのいかだが流されちゃってたんで、それを組み立てる作業とかを行いましたね。
ヤモリさんがね、ボランティアに参加されていたと、東日本大震災の陸前高田のボランティアに参加されていたという話で、そこからどう感じて土木っていうものと結びついたか、ちょっとその回では詳しくは述べられてなかったんですけど、
私が行った実感としては、重機の力みたいなものはすごく実感するし、現地のたくさんの人がそう言ってる。たくさんっていうのはね、これちょっと後でも語るんですけども、後っていうか次回にするかもしれませんけど、長期ボランティアの人っているんですよ。
私が行った時もお盆でしたけど、ゴールデンウィークの前、だから翌月4月か5月ぐらいからもう3ヶ月ぐらいずっとそこで生活をしてボランティアをやってる人っていうのが少数ですけどいて、
その人たちとの交流っていうかね、その人たちの話を聞くのがすごくまた私としては学びが大きい時間だったんですけど、その人たちが言うにやっぱ重機の力はすごいっていうことを言っててですね。
そういうことなんですよね。ボランティアでみんなでね、速攻に溜まった土分に泥が溜まっちゃってるんですよね。海からだーって津波が来て。その速攻の泥を流すことってやらないと雨降った時に水浸しになっちゃうということで、速攻の泥出しっていうのは結構定番の作業らしいんですけど。
あれがある時、なんか自衛隊かなんかの重機が来てバーってやってて、何十人で2週間かけた仕事が半日で終わったみたいな話を聞いて、あれは呆然としたって言ってましたけど、その長期ボランティアの人が。
ただその人が続けて言ってた言葉が私はすごく印象的で、でもだからってやらなくていいってわけじゃないんだよなって言ってて、やっぱりものすごい災害だったんで、そこにボランティアとして人が来るっていうことそのもの来て、そしてその人のポリシー思想で言うと、ボランティアが来て明るく作業をする。
それが現地にすごくプラスの空気をもたらすんだっていうふうに言っていて、その人はボランティアというものの明るさっていうことをよく説く人だったんですよね。すごく印象的でした。
話が戻るとやっぱり重機はすごいっていう話で、そこで土木というものに矢森さんが足を踏み出すきっかけになったのはそういう部分かもしれないし、単純に津波を守る傍聴水門とかあるし、道路がないところに道路が新しくできていったりとかね、当時本当に地盤沈下したんですよね。
津波で岩手とか宮城の沿岸地域がですね。だから元々は海抜よりも高いところにあったはずの道路が沈んでるみたいなことがあって、そういうのもすぐ刈橋とかで復旧してて、そういう土木の力を見たのかもしれませんけれども、やはり津波のあの場所に土木の力というものは強く感じる場所でしたね。
ボランティアセンターの機能
でですね、せっかくちょっとボランティアの話なんで、ボランティアの仕組みをもう少し話したいんですけど、先ほど言ったみたいにいろんな作業があるんですけど、そのいろんな作業をやらなきゃいけないことがあるのに対してボランティアの人って特に私が行ったお盆の時なんかはものすごい日本中から殺到してですね。
で、あの何かやらせてくださいっていう状態で現れるわけですね。被災地にザワザワっといっぱい何かやらせてくださいと。そうするとこれをコーディネートする人が必要なんです。裁く人が必要なんですよ。
同じように、さらちのようになっちゃった陸前高田で何が必要かっていうニーズを把握するっていうことも自然とできることじゃないんですよね。意識的に組織的に取り行われてニーズが認識把握される、調査される。
そのニーズに対してマンパワーがどさーっとボランティアとしてやってきた時に何人はここで何してもらう。ここの何人は何してもらう。そういうニーズマッチングが必要なんですよね。そのニーズマッチングをするのがボランティアセンターっていうもので、ボランティアセンターは本質的には多分市役所の社会協議福祉なんとかみたいなところがやってるんだと思うんですけど、
でも陸前高田の場合は市役所の庁舎も思いっきり流されてしまってましたし、市役所職員の人もたくさん被災をされていたので、ほとんどがそのボランティアセンターの機能自体も多分ボランティアで賄われてたのかなっていう感じがします。ちょっと確かな実態はわからないですけど、そんな雰囲気でした。
陸前高田のボランティアセンターっていうのは気仙川のほとり、左岸側だったかな。あれは多分。気仙川の左岸側に道路があって、その道路の反対側にテントがあって、そのテントの中がボランティアセンターなんですよね。
ボランティアセンターの様子とかはちょっと私が昔その当時書いたブログがあったんでちょっと概要欄に貼っておきますけど、写真があります。これは陸前高田の例なんで、また他の震災被災地だと全然別の形で行われてたかもしれませんけど。
それでボランティアセンターに行ってボランティア登録っていうのをすると、10センチ角くらいのシールをもらうんですね。それ本当に強力なシールで何回も剥がしても貼れるっていう服に貼れるシールがあってそれをもらってですね、そこに番号が書かれてるんですね。名前と番号を書くんですね。
みんながその登録が済んだら、はいじゃあ何番から何番の人はこの人について行ってください。何番から何番の人はこの人について行ってくださいとか言って、そうやって振り分けが行われる。
そうするとニーズがある場所とかを知っている人も必要なんで、ボランティアセンターのそこのボランティアセンターの係りの人っていうのは多分20人とか30人ぐらいの体制だったんじゃないかな、十数人か。
引率する人とか、あと結構ボランティア先のお昼ぐらいにまた見回りに来て、体調不良の人いませんかとかっていう感じで、お盆に行った時には結構そういう体制が構築されてましたね。
ゴールデンウィークだったらどうだったんだろうな、ゴールデンウィークだったらまだそこまで確立されていなかったのかもしれません。
時間で言うと大体朝8時にボランティアセンターに集合して、4時ぐらいには終わってたような気がしますね。
夏だったけど、やっぱりそういう肉体的な作業に私もそうでしたけど慣れてない人がたくさん来てるってこともあって、無理はさせないっていう前提でやってたような感じがします。
被災地にボランティアに行ってね、ボランティアの人が怪我したり病気になるとまた大変なんですよね。
そこに医療インフラもまだまだ整ってないところでなっちゃうんで。
だから必ずボランティアに行く時には自分が住んでる自治体で保険に入るんです。
ボランティア参加の準備
市役所とか区役所に行って保険に入らないとボランティアって参加しちゃいけなくて、それだけは本当に徹底されてましたね。
だからボランティア行きたいですって言って登録するときにその保険の証明書を出してくださいって言われて、それ持ってないとボランティアさせてもらえないっていうそういう感じだったですね。
なんか最初に語ればいいと思って語ればよかったですけど、これね詳しく話してるのはまたいつぞそういう大きな災害が。
まさにね1年前にノトでも起こってますけど、いろんな場所でこれからはまた日本でも起こる可能性があって、ボランティアってどういうものかをちょっと言葉に残しておくのっていいかなとも思ったので、それでちょっと語ってるんですけど。
ボランティア行くときには必ず自分が住んでる住民票のある自治体の保険に入ってからボランティアに行ってください。
であとボランティアの鉄則として自己完結っていうものが基本で現地で世話にならないでねっていうことなんですよ。だから怪我をしない病気しないっていうのもその一環だし。
陸前高田のボランティアセンターは結構道具類とか揃ってましたけど、でも基本的にボランティアの精神としては自分でもってけっていう話になってて。
で結構ねよく言われるのがそこに鉄板が入った長靴。
これあの釘の踏み抜きをしてしまうんですね。これね。
結構ネットでたくさん言われてて本当かよって思いましたけど、後にうちの会社の仕事でね。
あの震災にたくさん入っていって調査をすると。どんな復興が必要かっていうね。道路どうするかとか水道どうするかとか防波堤をどうするかとかね。
災害査定って言うんですけど、どんな復興する必要があってどれぐらい費用がかかるかっていうのを調査する仕事っていうのがまず最初に健康の話で言うと出るんですけど。
それで調査に行った人がもう社員の人でも何人もあの釘踏んで足怪我して帰ってきたってことがあって。
それは私がボランティア行った後の話ですけどね。
やっぱ鉄板が入った長靴ね。鉄板って指先足先じゃないですよ。工事現場でやる足先のやつじゃなくて、そこにも入ってるやつ。靴底にも鉄板が入ってるやつってのは必ず必要です。
あと軍手とかゴム手袋みたいな手袋系とあと防塵マスクとゴーグル。これも結構本当に現地で役に立ちましたね。
家屋の解体やると本当にほこりがバーって出てくるんで、マスクと目も本当に痛くなっちゃうからゴーグル。
いやーこんな本当に使うのかなーって思いながら持ってきましたけど本当に使いました。
あとスコップと鎖釜、草刈り釜。草を刈るっていう作業も夏だったんでね。結構ありましたね。
私は半日しかやらなかったかな。釜を使う作業は。
あと雨降るんでカッパですね。傘差して作業できないんでやっぱりカッパ必須。
それらが道具類なんですけどここに着替えと寝袋と食料が必要になるんですね。
ここで重要な話が三泊どこに泊まるんだと。寝泊まりどうすんだと食事はどうすんだ。
食事はお盆に行った時点で陸前高田には八丁屋。ニックネームがあった気がするんだけど忘れちゃったな。
八丁屋っていうスーパーがあってそこで食材買えるしコンビニも3軒ぐらいすでにローソンがいち早くできていて食事は現地調達が可能でした当時。
宿泊は私はこれが陸前高田をボランティアの行き先に決めた理由でもあるんですけど。
陸前高田市の隣に住田町岩手県住田町っていうのがあってその住田町の中心地からさらにちょっと山奥に入ったところに大又住田町大又っていう地区があってそこの大又公民館というのが。
まあそれがもともと小学校でその旧大又小学校の体育館っていうのがそこにあってそこはボランティア向けに開放されてたんですよ。
体育館に寝泊まり可能だったんですよ陸前高田でボランティアをする場合は。
結構遠い20分ぐらいボランティアセンターから住田町の公民館まで20分ぐらい車で行くんでそこにはもう現地の人に車持ってる人に一緒に乗せてくださいってお願いをするんだけどボランティア仲間みたいな人に。
そういうやり方なんだけどもその住大又公民館が当時住田町基地っていうボランティアの基地として呼ばれていてそこで寝泊まりをしたりそこはもうガスも復旧してて水道も復旧しててで驚くべきことにねあのお盆まで何とか間に合わせたとかってボランティアの人が作ったあのシャワールームみたいなのもあって。
あれU-BOONEもあったかな。ちょっと覚えてないけど。
まあそういうそれに行くまで知らなかったんですけど風呂に入れるっていうのはだからタオルで体拭いて3泊過ごすつもりで行ったんだけどもまあそういう施設が陸前高田には整っていたので。
陸前高田の住田町基地っていう元公民館を拠点にして一応ボランティアセンターまでの送迎もできますよとかバスで来た場合にこのバス停まで来てもらえれば迎えに行きますよとかそういうボランティアを受け入れる仕組みが整ってお盆の時点で整ってたってのもあって私は陸前高田に行ったんですよね。
この住田町基地っていうところでねいろんなボランティアの人に出会ったんですけどその話を次回したいと思います。
次回しますって言ってもえっとですね概要欄に貼る私の昔のブログにいろいろ書いて今読むと青臭いというかちょっと恥ずかしい少し不謹慎な表現もあるかなと思って当時若かったんだなと思ってるんですけどそこにいろんな感想も書いてあるんで気になる方はそちらも読んでいただければと思いますけれども
宿泊施設とその利用
ポッドキャストとしては住田町基地が遠いところでそこでどんなボランティアの人と出会ってどんな話をして何を感じたかってことは次回お話ししていきたいと思います。
それでは最後まで聞いていただきありがとうございました。
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